**Secret**..miho
回顧
2004年10月29日(金)
真っ暗闇に迷い込んでしまってから、もう1週間が経つんだなぁ…
よく「時が解決してくれる」なんて言うけれど、私の場合は、
解決というよりも、落ち込んだり泣いたりする事に疲れ果てちゃって、
もう現実逃避をするしかないという妥協っていう感じ…いつもそう。
半ば投げ遣りだけど、ただ腐っていくだけよりかはいいよね…

今の状態や感情ってね、入院中の私に似ているんだ。
ちょうど4年前の今頃は手術を終えたばかりで、肉体的な苦痛に
襲われていた頃だけど、それから徐々に膨らんでいった精神的な苦悩が
絶頂に達した時期の自分に似ている…自暴自棄になっているの。
成長できていたつもりで、完全に払拭し切れていないものがあった…
それがターミナルポイントとして今でも自分の中に存在し続けている。
トラウマなんて、そういうモノだよね。いつまでも…いつまでも…

「きっと、そんなモノ、最初から存在しなかったんだ。
 本当は永遠なんてないんだって、少しずつ気づいてきていたから…」

繰り返していく苦しみの果てに想う事って、いつもそうなんだ。
繋がりを繋げていく事は信頼関係を築く事だって、知っていたのにね。



久々に今まで自分が書いてきた文章を読み返してみました。
その時々の状況や心境は今でも鮮明に覚えているよ(*^_^*)
いつだって、自分の素直な気持ちを書き表してきたつもりだから…
それだから、余計に感情の浮き沈みが浮き彫りに表出してしまって、
何だか気分にムラのある人みたいで自分が嫌になっちゃうよぅ(>_<)
安定しているようで常に不安定でいるんだなぁって…
平気でいるつもりで本当は答えを見出せずに不安で満ちていたんだ。

実際ではちっとも素直じゃないから、なかなか自分の脆い部分を他人に
曝け出す事ができなくて、強がってばかり。それでも満足だったんだ。
強がっていられる間は、少なくとも相手を安心させられているって
信じていられたから。そんな生き方をしてきたから、今では自己表現の
できない不器用で可愛げのない女の子になっちゃったよ(・・。)ゞ
感情ばかりが発達して、それをどう伝えていけばいいのか分からない…
どこかで歪んで誤解をされていたらどうしようって、いつも心配だよ…

私は現実での顔見知りの人には絶対にHPを教えないようにしています。
だから、ここのタイトルも「Secret(秘密)」なのだ(*'ー'*)♪
特別に秘密っぽい事なんて書いていないんだけど、秘密事なのです。
単に恥ずかしいからというだけではなく、自分の本心を知られたくない
から…内緒にするつもりはないけれど、知らない方が良いと思うんだ。
きっと知ってしまったら、私に対する見方も変わってしまうだろうし、
今まで保ってきた平安が崩壊してしまうかもしれないから…
誰だって自分を取り巻く大切な人たちに絶望を押し付けるような事は
したくないもんね。自分が受ける分には、いくらでも耐えられるけど…

これも強がりなのかなぁ…
最近、自分の事がよく分からなくなってきているよぅ(≧_≦)
自分が本当に求めている事って何だろう…
よく「理想のタイプは?」と聞かれて「自分が好きになった人」と
答える人が多いけれど、まさにその通りだよね。
私が本当に求めている事は、愛する人、解り合える人、
大切な人たちが私に求めてくれている事を理解して、それに応える事…
受け身のように思えるけれど、私にとっては最も大事な事なんだ。
私は自分の事だけを考えようとしてしまってはダメなの。
常に大切な人の事を想っていなくちゃ自分らしくいられないから…
その中で、自分自身の存在意義を見出せる事が一番だと思っているよ。

これからも、相変わらずな私だけど、素直な気持ちを曲げる事なく
生きていけるといいなぁ…



Memorial Song
2004年10月26日(火)


<WASTED TIME by.SKID ROW>
               

   You and I together in our lives
Sacred ties would never fray
Then why can't I let myself tell lies
And watch you die every day

I think back to the times
When dreams were what mattered
Tough talking youth naivete

You said you never let me down
But the horse stampedes and rages
In the name of desperation

Is it all just wasted time
Can you look at yourself
When you think of what
You left behind

Is it all just wasted time
Can you live with yourself
When you think of what
You left behind

Paranoid delusions they haunt you
Where's my friend I used to know
He's all alone
He's buried deep within a carcass
Searching for a soul

Can you feel me inside your heart
As it's bleeding
Why can't you belive you
Can't be loved

I hear you scream in agony
And the horse stampedes and rages
In the name of desperation

Is it all just wasted time
Can you look at yourself
When you think of what
You left behind

Is it all just wasted time
Can you live with yourself
When you think of what
You left behind

You said you never let me down
But the horse stampedes and rages
In the name of desperation

Is it all just wasted time
Can you look at yourself
When you think of what
You left behind

Is it all just wasted time
Can you live with yourself
When you think of what
You left behind

The sun will rise again
The earth will turn to sand
Creation's colors seem to fade to grey
And you'll see the sickly hands of time
Will write your final rhyme
And end a memory

I never thought you'd let it get
This far, boy




--卒業--10月5日(火)のDiary No.3
2004年10月22日(金)
実は卒業式の日のDiary、まだまだ続きがあったのです。
これで完結だよ(*'ー'*)♪長かったぁ…
月が変わるのも間近だし、これでようやくピリオドを打てるよ☆


一通り卒業式を終え、最後に記念撮影に移りました。
学長様を中心に、出席された先生方と保護者たちとの集合記念写真を
それぞれ1枚ずつ撮影する事になっていたんだけど、当日は天気が悪く
かつフラッシュが不調で何度写しても失敗ばかりで、最後はどこからか
デジカメを持ち出して来て、何とか撮影が成功した模様です。。
保護者たちの中には持参のデジカメでも写して欲しいと頼む人もいて、
合計20枚くらい連続で写したので、最後の方は顔が引きつってしまい、
笑顔が丸っきり疲れ切った顔になってしまいました(ーー;)
たった20分間程度の卒業式だったと言えども、ずっと同じ姿勢のままで
立ちっ放しだったので、両足と腰がガクガクに凍り付いて、途中で
倒れ込まないように全身を支えているのがやっとでした。

ようやく解散になった後は、保護者がいる卒業生たちは共に記念写真を
撮ったり、わざわざ写真館までガウン姿の記念撮影をしに行ったり、
先生方と挨拶を交わしたり、みんなそれぞれ思い出を作っていました。
私もガウン姿で記念撮影をしたいなぁって思っていたら、院卒の人が
「良かったら写しましょうか?」と言って気を利かせて下さり、聖堂で
数枚ほど写してもらいました。私は何度も一人で聖堂へ行った事が
あったので、そこは心の安まる休憩場だったけれど、その人は初めてで
厳かに両手を握り合わせて祈っていました。その日は天候が悪かった
ためにステンドグラスから差し込む日の光もなく、真っ暗な聖堂だった
けれど、神様の存在を知らせる灯火とも呼ばれるロウソクの火だけは
ユラユラと光を放っていました。

着替えをした学生部に戻ってみると、携帯にAちゃんからのメールが
入っていました。Aちゃんは現在も再入院中で、その日は外出をして
わざわざ大学までお祝いをしに来てくれたのです(*^_^*)♪
電話を掛け直したら、すぐに学生部の前まで来てくれました。
学校で会うのは8ヶ月ぶりで、何だかドキドキ緊張してしまいました。
何だか雰囲気が以前とはガラッと変わっていてビックリ(゜O゜*)
もともと美人で可愛いコだったけど、それがさらにハジけてメイクも
濃くなったというか…私が感動して騒ぎ立てていたら本人も自覚して
「まぁ、あん時は学生だったし、学生らしくしてたとゆうか…」って。
とても入院中の患者さんとは思えないほどの現役バリの元気さでした。
わざわざ結婚式用のフォーマルスーツを着て来てくれたのだ(*^▽^*)
私が初めて外出を許可されたのは確か入院7ヶ月目の事でした。
やっぱりその時も嬉しくて張り切っていた覚えがあるけれど、病気が
まだひどかった時期だったので、元気に振舞いようもなかったです。。

花束をプレゼントしてくれたので、それと卒業証書を手に持って写真を
写してもらいました。雨の中庭をバックに撮ったので、あんまり綺麗な
記念写真にはならなかったけれど…(*^〜^*)ゝ
それから、Aちゃんもいる事だし、二人で一緒にゼミの先生に会いに
研究室まで行きました。私が先生に会うのは昨年度ゼミ生とのお食事会
ぶりだったけれど、Aちゃんは口頭試問から8ヶ月ぶりだったのかなぁ…
あまり先生を慕っていなかったから、会いたくないって言うかなぁって
思っていたんだけど、意外とすんなり会う事に反対しませんでした。
最近気づいてきたんだけど、Aちゃんの病気に対する価値観が少しずつ
変わってきているような気がします。出会った当初は私と同じ特定疾患
でも早期発見できて軽い症状だったので病気なんて物ともしない態度を
取っていたけれど、卒業と同時に精神的に追い遣られて病状が悪化し、
再入院してからは病気に対して前向きな見方をするようになりました。
私の方が闘病歴が深く長いというのに今だに前向きになれていないよ…

ゼミの先生は、ちょうど講義の空き時間中で研究室にいました。
いきなりガウン姿でヒョコっと現われたら怖いかも。。と思いながら
ドキドキ挨拶をして、その後に続いてAちゃんも顔を出すと、先生は
「おっ!!元気でしたか?今は何をしているの?」と尋ねたので、
「入院してま〜す。」「入院中に外出して来てくれたんだよね♪」と
二人してニコニコ答えました。先生は相当ビックリしていました。
そう言えば、Aちゃん、在学中は病気の事を絶対に誰にも言おうとしな
かったのに、今では平気なんだなぁ…「難病コンビなんです☆」なんて
笑顔で言っていたよ。。何となく照れてしまったのだぁ(・・。)ゞ
先生も私たちの繋がりの事を不思議に思って色々と聞いてきました。
本当に偶然に同じ大学のゼミで特定疾患仲間だっただけなんだけど…
もう一人、心の病気を患っている親友Yちゃんも同じゼミ生だったし、
このゼミの先生にはワケアリの学生たちが必然的に集まって来やすいの
かもしれない(*^〜^*)ゝ確かに、これほど個々人の自由意志を尊重して
卒論指導をして下さる(実際には、ほとんどしてもらっていないけど…)
人はいないと思うから…後輩たちにも、ぜひ勧めてあげたい先生です♪

それから、しばらく3人で今後の人生について語り合いました。
病気と共に生きている以上、Aちゃんと私にとって、一番のモットーは
「頑張らない事を頑張る!!」です。二人とも頑張り屋さんのA型で、
つい自分以外の事でも余分に頑張ってしまうお人よしな性格だから、
自分が病気持ちである事を考慮して、その性格を改善していかなくちゃ
いけない。。分かっていても、なかなかできないから辛いんだよね…
まだAちゃんは「ま、いっか。」と言える性格だから良いけど、私は
中途半端で適当な事が嫌いな徹底した性格だから先生に言われたよ**
「完璧主義な性格も良いけど僕みたいにズボラになってみたら?」と。
何だか悔しかったから「先生はズボラ過ぎますよぉ。少しは直した方が
良いんじゃないですかぁ?」と言ったら、大笑いされました(*・_・*)ゞ
大人になってからは、性格を直す事は誰しも困難な事のようです。。

会話の最後に、私たちの病気の話題になって・・・
「私たちの場合『入院』は病気を治すためじゃなくて、人並みに日常
生活を送れる状態にするためのものだから、特別な事ではないのです。
そうやって、入退院を繰り返しながら細く長く生きていくのです。」
そう言い切った時に我ながら悲しくて胸が熱くなったのを感じました。
入院中のAちゃんも納得したように頷いていました。それが、難病を
患ってしまった者たちの、病気と共に生きていくための宿命だから…
それにしても、Aちゃんと病気の事で解り合えるなんて不思議な感じ
でした。。あれほど病人の気を少しも感じさせなかったAちゃんが、
病気について真剣に考えるようになっただなんて、よっぽど再入院が
身にこたえてしまったんだろうなぁ…今では逆に退院するのが怖いと
言っているくらいに。。現実は厳しいからね…でも、もう大丈夫だよ。
Aちゃんは十分に強さを感じるから…私よりも物分りが良いもん。。
最後に先生が「親より先に死なない事!!きみたちは、あと70年は
長生きできるんだから。僕は20年くらいかなぁ…」と言いました。
「70年も無理ですよぉ。今は体力で言ったら老人並みなんだから…」

様々な思いを抱えながら、それではまたと挨拶を交わして別れました。
今度先生と再会できる日は、いつになるのかなぁ…その時もAちゃんと
一緒だったらいいなぁ(*'ー'*)♪Yちゃんとも一緒がいいなぁ☆ミ


その後、着替えを済ませて学校を後にし、Aちゃんとランチ&カフェを
しました。私にはAちゃんの事で気になっている事がありました。
Aちゃんは入院加療のおかげで病状的には良くなってきているのですが
精神系のお薬の依存症になりかけているのです。再入院する前は一つも
精神系のお薬を飲んでいなかったのに、再入院してから安定剤と眠剤を
大量に処方されているようで…私の病気とは違ってAちゃんの病気では
精神系のお薬を飲んでも支障はないみたいなので、鬱症状が現われたり
不眠症だったりすると、平気で次々と処方されるみたい。。それでも、
本人で調整しながら飲む事もできると思うんだけど、Aちゃんは全てを
飲むようにしているみたいなのだ。。飲まなきゃ不安になっちゃうん
だって…「そう言えば、アタシが飲んでる薬、みほちゃんの病気では
禁忌薬みたいだねー。」なんて平気で言うから、怖くなっちゃうよ。。
本当に大丈夫なのかなぁ…本人も、本当に不可欠だから必要な量だけを
飲んでいるっていう自覚はあるのかなぁって、心配なのです(>_<)
私の方から「飲まない方が良いんじゃないの?」なんて、おせっかいで
無責任な事を言う事もできないし…

メール交換をしていても、11時前くらいになると「ゴメン…アタシ、今
大量に安定剤を飲んでいて眠たくなっちゃったから、もう寝るねー。」
って…卒業式の日も「今日のアタシ、ずっと眠たそうだったでしょ?
大量に安定剤を飲んでいるから、話していても何だか焦点が合わない
ようなカンジだった。。」なんて言うから本当に大丈夫なのかなぁって
オロオロ心配なのだぁ(≧_≦)確かに、卒業式の日に会った時に、
何となく目が座っているような感じで、ずっとボォ〜っとしていたよ…
病気の症状は良くなってきているのに、それに伴う精神面での副作用を
改善させる事も入院が長引いてしまっている原因の一つみたいで…
本当に厄介だね。。元はと言うと、精神的に患ってしまったのも病気が
引き金であったと言うのに…私みたいにどんなに精神的に辛くなっても
お薬を飲めなくてひたすら耐えるしかない状態も苦しいけれど、お薬に
よって楽になれても、その副作用でさらに複雑に入り組んでいく症状の
方がもっと辛いのかもしれない。どちらにしても、精神的な症状は時に
自ら制御する事ができなくなってしまうから、とても恐ろしいよね…


自分にピッタリの適度な状態を保つ事なんて難しい事だけど、
自分らしさが妨げられる事だけは絶対にあってはならないと思う。
そして、万が一、それを失ってしまうような事があったとしても、
必ず取り戻せるようでなくては、それは真の属性とは言えないだろう。




--卒業式--10月5日(火)のDiary No.2
2004年10月16日(土)
卒業が半年間延びた学生たちの卒業式は9月30日と定められている。
それが、2004年度の場合、台風の影響で10月5日に延期になった。
実際に台風の勢力が最も強かったのは9月29日の夜までで、翌日には
台風一過の快晴となった。延期になってしまった10月5日と言えば、
雨のち晴れで、卒業式が行われた午前中は雨が降り頻る生憎の天気と
なってしまいました。延期なんかしなくても良かったのに・・・

卒業式は10時から学長事務室で行われる予定でした。
9時までに時間厳守で学生部に集合しなければならなかったので、
朝一からの授業の時と同じ時間帯に起きました。前夜は何だか緊張して
お腹が痛くて熟睡できなかったので、睡眠不足のまま家を出ました。
駅から大学へ向かう道は同じ大学の学生たちで賑わっていました。
一番年下の1年生で18歳かぁ…私より6歳も若いんだなぁ(^_^;)
それなのに私は今だに同じ道を歩いているなんて…変な感覚でした。
火曜日の1時間目と言えば、私のゼミの先生のハードな必修専攻科目。
この中にも、その講義を受ける後輩たちがいるんだろうなぁ(*'ー'*)♪
なんか私の世代よりも個性豊かなコギャルっぽい女の子が多いような…
先生も言っていたけれど、年々と普通科以外の高校から受験する学生が
増えてきているようです。昔は普通科卒のマジメな女の子か、同大学の
付属幼稚園、小学校、中学校、高等学校に通ってきた純お嬢様たちが
主流だったみたいだけど。。時代は流れ行くものです。

学生部に集合してみると、当初の予定通り、卒業仲間は6人でした。
そのうち1人は大学院を卒業される40代くらいのオバチャンで、あとは
同じ英文科の学生が2人、他学部と他学科の学生が2人いました。
もちろん私と同期の友達はいませんでした。他の学生たちは、きっと
特に英文科の人なんかは留学をしていて卒業が遅れたんだろうなぁ…
学生部の奥の事務室でガウンに着替えました。
すると、机の上にフッド(マント)が置いてあってビックリしました。
普通は卒業式の前にフッド授与式があって、それは卒業式以上に大変な
儀式だと言われているのに、それほど重要なフッドを簡単に渡されて、
着用する事ができるなんて…何だか悪いような気がしてしまいました。
その儀式では、卒業生が一斉に合図でバッとマントを装着するんだけど
私はそのやり方が分からなくて、1つ年下の人に教えてもらいました。
そのコもきっと半年前に同期の卒業式を見送ってあげたんだろうなぁ…
私はもう1年半前の話になるよ(*・_・*)ゞ今でもハッキリ覚えている。

着替え終わって、卒業式の司会者と共に簡単な予行演習をしました。
本当に簡単でした。宣誓を言って卒業証書を授与されて学長様のお話を
聞いて最後に記念撮影という流れ…あっという間の卒業式だぁ。。
そうそう、それと記念撮影の前に卒業生代表の謝辞がありました。
それは大学院を卒業されて修士を得られた方が述べられたのですが、
もしもその方がおられなかったら、学年的に最も古い学生である私が
謝辞を言わなくちゃいけなかったのだぁ(・Θ・;)
少人数とは言えども、畏まって人前で話すのは苦手だから良かったぁ…
その方は大学院とお仕事を両立させながら勉強されていたみたいです。
そのため、時間割が合わなくて、先生方に都合を合わせてもらったり、
色々お世話になられたそうです。先端医療について研究されたみたい。
もし私が謝辞を述べる事になっていたら、やっぱり自分の病気について
語らなくちゃいけなかったんだろうなぁ…絶対に泣いちゃいそう(>_<)

練習が終わり、みんなでゾロゾロと学長事務室へ向かいました。
大学内だからガウン姿でも平気で歩けるんだよね。外だったら怪しい…
学長事務室は綺麗なじゅうたんが敷かれていて、壁には美しい絵画が
飾られていて素敵な空間でした。雨で暗かったのが残念だったよ。。
私と院卒の方を除いた卒業生たちの保護者が6人も来られていました。
そのうちの2組は両親お揃いでした☆すごいなぁ。。
それから各学部、学科の代表の先生方も数人ほど出席されていました。
英文科では学科長が来ていたよ。文学専攻の先生だから私の事なんて
知らないだろうなぁ…私のゼミの先生は前に教務部長として出席された
事があったみたいです。以前その時の写真を見せてもらったのだ。
しばらくすると、学長様がお見えになりました。
こんなに間近でお会いした事は初めてだったので、緊張しちゃった。。
お母さんよりは明らかに年上なんだけど、気品があって清楚で美麗な
シスターでした。私の元ゼミの先生は同じシスターでも、それこそ
おちゃめでオバチャン丸出しだったから(・・。)ゞ

宣誓の時に皆の声が詰まってしまっても、全く動じずに微笑みの表情を
保ち続けられていて、モナ リザみたいに素敵な女性に見えました。
卒業証書の授与において、通常の卒業式では最初の学生のみが全文を
読み上げられ、それ以降の学生たちは機械的に次々と学長様から証書を
手渡しされる事になっているけれど、今回は6人だけだったので全員の
証書をそれぞれ丁寧に読み上げて、優しく微笑みかけて下さいました。
私も、学長様の前まで歩み寄り、真正面で向き合って「おめでとう」と
微笑みかけられた時に、笑顔で「ありがとうございます」と返して
証書を受け取り、キャップのフサを左から右へ移してから一礼をして
下がりました。すぐ左隣には学科長が見ていたのでドキドキでした。。
涙が出る瞬間だと思っていたけれど、笑顔の方が勝っていたみたい。
これで本当に卒業したんだなぁっていう歓喜の実感が込み上げました。
卒業証書は思っていたよりも小さかったなぁ…1年半前、親友が大事に
抱え込んでいた卒業証書はもっと大きく見えたんだけど・・・

学長様はお話の中で、本学では、各学部、学科による諸課程を修了して
様々な学問を学んで身に付けると同時に、最も大切で重きを置いている
事は「人格形成」であると主張されていました。
ただ勉学に勤しむ場所としての大学であるのならば、別に大学に限らず
どの学校でも構わないはずです。それが私の大学であった場合・・・
私にとって当初この大学は志望校ではなく、この大学へ通わなければ
ならなくなった時には、どれほど落胆と失望をした事だろうか。
でも、今なら…病気と共に生きている今なら、この大学に対して心から
「ありがとう」と言えます。ただ講義を受け、専門の学問について学び
4年間が過ぎ去り、卒業するだけの大学生活ならば、単に専門知識を
詰め込むだけで、人間的には何の成長もしていない事になってしまう…
学業だけの目的ならば中学・高校まででも専門学校でも十分だと思う。
そうではなくて、人間社会で生きていくための、複雑で矛盾だらけの
現実を生き抜いていくための価値観や人生観を養うための場所としての
大学が本来のあるべき姿だと思います。キリスト教の精神を重んじる
私の大学では、人間として他人は元より「ありのままの自分らしさ」を
大切にする事に対する様々な思索や哲学的思想に関する講義や活動も
数多く存在し、人間的な真の優しさや温もりに触れられる大学でした。
だから、病気になってしまってからも、途中で投げ出す事なく最後まで
頑張れたよ…たくさん励まされたよ…以前の私よりも大きくなれたよ…
これからも、私として私らしく生き続けていくよ…


ありがとう。




--卒論--10月5日(火)のDiary No.1
2004年10月12日(火)
卒業式を終えてから今日で丸1週間が経ちました。
同期が卒業してから1年と半年の間、まだかまだかと逸る気持ちを
抑えながら卒業できる日を心待ちにしていたので、十分に心の準備が
できていた分、いざ実際に大学を卒業した後でも、体調は崩したものの
予想していた以上に極度の虚無感に陥る事はありませんでした。

私が最も心配していた事は、2人の親友が、共に病気を抱えながらも
目前の「卒業」だけのために自らを顧みる事なく無我夢中で卒論を
書き上げ、何とか単位を取得して卒業できたものの、卒業前後の
ギャップの反動で精神的に追い遣られ、さらに病状が悪化してしまい、
入院するまでに至ってしまったという悲しい出来事でした。
私もそのような事態になりかねないから・・・
私の場合、卒業までの苦悩の期間が長かった分、余計に反動が大きく
なってしまうのではないかと不安に思っていました。
しかし、結果的にはその逆でした。
昨年の夏、苦渋の思いで卒業をさらに半年間延期する決断をした事に
今ようやく心から納得できたような気がします。
そのおかげで「卒業」という達成感を得る事ができたから・・・
だから、卒業後の虚無感が自らを精神的に追い遣ったりはしないんだ。
例え空虚感に浸ってしまうような事があっても、達成感さえあれば
ただ精神的に落ち行くだけの一途にはならないはずだから・・・
以前の苦悩があったからこそ今の達成感があるのだと、自信を持って
前向きになれるはずだから…頑張った甲斐があったと思えるから・・・

私はその2人の親友の事をスゴイなぁって尊敬していました。
いくら卒業を遅らせたくないからと言って、すぐ目前に提出期限が
迫っている状態で、大事な卒論を超特急で仕上げてしまうなんて・・・
私なら、まず体力的に不可能でした。性格的にもトロくて不器用で、
中途半端で適当な事が大嫌いなので、絶対に無理だったと思います。
試験に関しても、試験日が近づくにつれて次第に本気になっていく人も
いるけれど、私の場合はプレッシャーに弱いので、かなり前々から
地道に確実に徹底的に時間を費やして努力を注いでいくタイプでした。
どちらの方が強い精神力の持ち主なのかは分からないけれど、
彼女たちは彼女たちで本当にスゴイと思います。
卒論の評価に関しては、2人とも良くはなかったみたいだけど・・・
一人は卒業さえできれば良いんだと割り切って、大学の教科書類も
保存していた卒論のデータでさえも全て処分してしまったそうです。
「アタシの代わりにガツンと持ってっちゃってヨ!!」と言われたよ。
それが、けっこうプレッシャーになっちゃっていたり。。
もう一人は、短期間だったために満足のいく卒論が書けなかった事を、
「もう一度チャンスが欲しい…」と、今でも後悔していました。
その人には「私のように後悔しないようにネ!!」って言われたよ。
それも、かなりプレッシャーになっちゃっていたんだよね。。

卒論作成期間は想像通り、精神的に過酷な生き地獄となりましたが、
周囲の人たちの協力と激励と温かい心遣いのおかげで、良い環境で
取り組む事ができ、時間的にも納得いくまでの間合いを取る事ができ、
我ながら当初の思惑以上に理想的な卒論を作成する事ができました。
昨夜ちょこっと読み返してみたんだけど、恐ろしいほどに理解不能、
かつ出来すぎた文章でした…(゚_゚i)人間って、集中している時には
普段以上に潜在能力を発揮する事ができる生き物なんだね・・・
もう二度とあれ以上に難解な論文は書けないと思います(*^〜^*)ゝ
そういう意味でも、精神力や忍耐力を養うためにも、卒論を作成する
という経験は人生において非常に重要な意義のあるものだと思います。


--追記--

大失敗だった口頭試問の中でも、一縷の希望を抱かせてくれた
主査の一言がありました。
「今までもグライス(私が卒論で扱った言語哲学者)の理論について
 論じた学生たちがいたけれど、あなたの卒論はそれらとは何かが
 違っていて斬新的に思えました。何が違っていたんだろう…?」
「さぁ…私はそれらの論文を読んだ事がないので分かりません。」
今思えば、その観点から私の卒論は「優」となり得たんだろうなぁ…




HALF
2004年10月07日(木)
せっかく無事に卒業する事ができたというのに
体調を崩してしまうなんて…(ノ△・。)
あまりの嬉しさに弾けちゃってハメを外してしまった
わけでは決してないんだよ。
むしろ、それを見越して自制していた部分の方が
数倍も大きかったのに…

昔から私は素直じゃないトコがあって、
どんなに喜ばしい出来事であっても
むき出しになって調子に乗ってはしゃぎ過ぎないように
密かに心掛けたりするようになっていました。
その理由は怖いから。臆病者なんだ…
これ以上にない幸福や歓喜を味わう事ができた時点で
やがては訪れる空虚感とのギャップに対する
恐怖心が芽生え、それに怯えてしまうから…
私にとって、何かを成し遂げるという達成感は
その何か…目的や生きがいなどを失ってしまう事に
なってしまい兼ねないから…
それを、今後の新たなステップのための踏み台とする
能力があれば、どんなに前向きに生きられる事だろうか…
私は「ハイ、終わったから次!!」なんて簡単に割り切って
素早く切り替えができるような順応性に欠如しているから。
立ち直りも遅いし…ホントに損な性格だよね。。

病気になってからかな…全ての事に対して全力を尽くして
一生懸命に頑張る事は無理なんだと思い知らされてから、
先を見通して今ある限りの力を上手にコントロールしていく事を
覚えていきました。だから常に気持ち半分…
それだけの力量しか持ち合わせていないって事だよ。
どんなに嬉しくても、その喜びの感情を100%表出する事はできない。
全て出し切っちゃえば、次に訪れるモノはそれ以下でしかないから…
だから、心に感激の気持ちが生じても完全に心の中から不安な気持ちが
消え去る事はなく、いつも今後の未来に対して不安を抱き続けている…
幸せの後に訪れる恐怖が少しでも和らいだモノとなってくれるように、
常に不安に立ち向かっていくための勇気を忘れないでいるよ。

こんな私だから永遠に…
本当の幸せという終着点に辿り着く事なんてできないんだろうなぁ…




m a i l



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