ふみゅ プログラマらしぃ...JACO Mailはこちら

 

 

元気でねぇ - 2007年03月31日(土)

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天気が下り坂のようなので、午前中に出かけてみる。
先週行った「野猿街道」に向かったが、気分が乗らない...
野猿街道にたどり着く前の坂道を登りきったところで、萎えてUターンする。

で、曇り空で薄ら寒いのに、先日来の陽気で桜は満開になっている。
多摩川でも、目黒川でも、コート着込んで花見の真っ最中のグループが山ほどいました。

曇り空の色は桜の色に似ている。


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車で動く - 2007年03月27日(火)

仕事で多摩センターに行くことになる。駅から若干距離があったり、帰りは大荷物だったこともありタクシーで移動する。
山を切り開いたので、坂だらけ、空も広い。

おまけに昨日通りかかったところを通ったりする。
「昨日ここ通ったよ」と同乗者に告げると、正気の沙汰ではないような反応を受ける。
たしかに、タクシーで移動してて、チャリで来ればよかったと思ったりするところは、そかも。
レース

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所用で池袋に行く。同僚は昨日のサーバーをタクシーで持参、私は自転車。

なんとなく気合が入ってTTになってしまった。ただし、信号渋滞つき。
で、抜きつ抜かれつしていたのだが、最後の信号でさし切りました。

で、ぜーぜー言っていると同僚到着。顔の血管が浮きだしていたらしい。

....データーセンターの中はすこぶる寒かった。


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雨降り - 2007年03月25日(日)

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結局、昨日は一日持ったのだが、今日は朝から雨でした。
午後から上がるというので、ある程度仕事を片付けて外にでる...
みんな傘をさしていないのだが、やっぱり雨だ...

とりあえず、野猿街道とやらを目指してみる。
246の坂にも飽きたので、世田谷通り経由で多摩川に出て、多摩川を遡上、あとはぐだぐだと乗ってきましたが...
坂きつい...
本当にタバコやめたら楽になるのかしらと考える今日この頃。


息子と横浜
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思い立って「ツーリング行く?」と息子に聞いたら、「いいね」という答えが返ってきたので、土曜日はツーリング、ちゅうかポタリング。
本当は峠にいくか、鎌倉にでも行くかと考えていたのだが、天気予報が思わしくなく横浜で中折れすることにした。
山下公園でバンドがリハーサルをやっていて、「ベースの音もいいなぁ」と思ったり、中華街でアリバイ工作のように中華まんを食ったりして、東京に戻る。

なんとなく物足りなく、丸子橋で離脱して上流に向かったのだが府中街道との交点でUターン。



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成長なのか? - 2007年03月23日(金)

今年に入って自転車の乗り方が大きく変わった。なんだか単位が変だ。
大田区<->恵比寿 (往復16km)を2年、大田区<->秋葉原(往復34km)を4年、大田区<->恵比寿 (往復16km)を1年間通勤で走った後は、とうとう休日に乗り出すと100km超になってくるようになってきた。

健康な証か、はたまた強迫観念か、一人だとむやみに前に進もうとする。
多分、頭の中は空っぽ。歌を歌っていることもある。一種の禅のようなものかもしれない。
ちゅうか、これがランナーズハイなのかもしれない。

今日は、客先の横浜まで自転車で参上した。帰ってきたらズボンのケツが擦り切れていた。今年に入って二本目だ...


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体だりー - 2007年03月20日(火)

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日曜がんばったおかげで、背中と肩がいてぇ...
ちなみにこんなルートでした。三部作(爆)




プロはこれを5時間で走って、60km/h超でゴールスプリントするのかぁ....


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OFF会 - 2007年03月18日(日)

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昨日の夜に思い立って、突発的に自転車OFF会に参加する。
集合場所は三浦海岸 解散場所は逗子

ただ、地理がよくわからず、ひたすらUpDownだったので、どこに行ったかはさっぱりわからずじまい。
とりあえず、今日一日で190km以上走ったことはトリップメータが記録していた。


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面接 - 2007年03月17日(土)

アルバイト希望者と面接をする。
一人は高校中退・一人は大学中退、息子と同じような年代なのだが...

結構、二人とも受け答えがしっかりしている。日本語が通じる点、自分の意見をはっきりという点では、30才台のプログラマ応募者より社会人適性が高そうだ...

ちょっと見直した。


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最近いけすかないやつ - 2007年03月16日(金)

将棋が一応趣味のひとつなのだが、いけ好かない奴がいる。
もぉ、なんだか会長というのをやっているらしいのだが、言動に品格がないの...
副会長も品性のない前科がある人だし...

日記らしきものを公開しているのだが、なんだか20才代の女性の家に電話をかけて恫喝した話を恥ずかしげもなく書いている。

そもそも、「知的なゲームのプロが150人いる中で一人も女性がいない」ということのほうが不自然だとなぜ考えないのか、また、女性のプロ棋士の誕生を促さないのはなぜか。また、この状況がファンの幅をどれだけ狭めているのか気づいていないのか。35才でアマチュアからプロになった人間が話題になったらしいが、女性に対して同じことが起これば数倍の宣伝効果があるだろうし、35才のおっさんより確実に多くのファンを獲得できることに気づいていないのか。

「女に負けた」という性差のみに基づく評価が、有形無形の評価基準として関係者の心の中にある限り、女性がプロ棋士になることは本人にとって大変険しい道となってしまうに違いない。幸い娘がいないのだが、もし、娘がいてプロ棋士養成機関に在籍していたとしたら、男性に比較して厳しすぎるこの環境で、精神を病んではしまいかと日夜はらはらせずにはいられないだろう。また、娘が男でなかったことを悔やむに違いない。

また、もし子供がプロ棋士であったらば、公然と相手を名指しで「親の顔がみたい」などと侮蔑する人間を会長としている団体に子供を在籍していること自体が、人の親として許しがたい。その団体に属することが子供の唯一の収入の支えであるならば、その団体を抜けさせて子供を養えない己のふがいなさに涙を流すに違いない。
ほんとに息子がプロ棋士と予備軍とあの団体の職員でなくてよかった。

あの男と同じルールで楽しんでいることも腹立たしいので将棋やめます。
教育委員も辞めてくれんかなぁ。


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続けること - 2007年03月15日(木)

どんなにくだらないことでも、続けるのはよいことだと思う。のでまた今日もくだらないことを書くのだが。一番くだらないことは生きていることかもしれない。と、ふと思う。

飯食って寝てれば、とりあえず寿命までは生きていける。たぶん、外にでなければ病気をもらってくることも、交通事故に巻き込まれることも、満員電車で痴漢に間違われることもない。早死もストレスも少なくのではないか、と考えたりする。
でも、生きていくこと「だけ」を続けているのは、本当にくだらない。でも、そのくだらなさは未来への無限の可能性を含んでいる。行き続けていることは、くだらないと同時に未来のために不可欠なものだと思う。今、生きていることがないと、未来の自分も存在しない。そういう点では、何物にも変えがたい価値をもっている。
生き続けていることに、もう少し誇りを持ってもよいのではないかなぁ。と、まじめに考える今日この頃。

そぉ、生き続けてると、ココイチのスプーンが立て続けに当たったりするようないいこともあったりするのだ。


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4年ごとに転職 - 2007年03月14日(水)

というか、勤め先を変えて20年なのだが、今度の4年目は激動すぎ...
なんだか、よくわからない役職につきそうだ。
まぁ、こう見えて根が単純なので「すげぇ」といわれればがんばってしまうし、「部長やらん?」といわれればホイホイ受ける。「好きです」といわれればホイホイ寝てしまう。(なかなか機会に恵まれないが)
ということで、結局自分を認められるというのはありがたいことです。
なので、今回も1日逡巡した挙句、やっぱり前向きな返事をしてしまった。

よくよく、考えればこれも一種の転職かも。


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rolling stone - 2007年03月13日(火)

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自分の意思の有無にかかわらずころころ転がっていると、転がっている間にそれが自分の意思であるかのように錯覚してしまう。これは、学校教育とか戦時中の国の扇動方法にも似ていてる。
だから、転がしている側の意思が明確に感じられる場合は、明晰な判断で疑ってかからなくてはならない。転がしている側の傀儡に成り下がってしまうから。いったん誰かの意思で転がりだすと、再び自らの動きを止めることは、動き出すときより数十倍の努力と忍耐と苦痛を必要とするだろうから。

しかし、意思のない本当の風のような力であるならば、身をゆだねて動いてみるのもよいのではないだろうか。
本当に考えなければいけないのは、どちらに転がるかとかどんな転がり方をするかではなくて、転がり続け、止まらないことのような気がする。
動きを止めようとしているものを動かすのは、それ相応の力や衝動が必要に違いない。
今の私にはいったん止まった自分を再び動かす自信がない。だから、半ば強迫観念のように転がり続けようとする。

もし、止まってしまったら...?
でも、そんなものでは人生も世の中も何も変わりはしない、そうなったら少しづつでも風を感じて転がろうとするだけ。ときには、弾みがつく日もあるんじゃないかと思うことにしよう。


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行ってきました(涙) - 2007年03月10日(土)

初峠...
246をひたすら50km超。
都内も神奈川でも上って下っての連続で、峠の入り口の手前で売り切れ状態...

で、一休みしてへろへろの状態で上り始めると、この峠は序盤が最難関らしい、いきなりのラスボスであえなく足が止まってしまいました。で、止まった足をまた動かすのが一苦労...自転車の漕ぎ出しのひと踏みが踏み切れない。へろへろなまま、終始一番軽いギアでひたすら踏む。このときばかりは、どおせ峠なんて行かないからと小さ目のギアを指定した自分を恨んだ...

で、ゴール目前(あと1kmなかったらしい)で、TimeUp。節度をもって1時で切り上げようと決めていたし、実際問題これ以上ファイトが湧かなかった。

次はリベンジしてやる。



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モチベーション - 2007年03月08日(木)

まぁ、やめたいと言うのは勝手なのだ。
そんなにすごい手腕があるわけではなく(と私は思ってる)にもかかわらず、ギャラが1000万と言うのはやっぱり変でしょ。それで、生活水準を下げたくないと言われてもなぁ。

ごねたわりに、あっさりと引いたなぁと思ったら、入社日を待って有給消化を2か月分になるのを狙っていたらしい。まぁ、年棒のダウンが1月分くらいなのでそれで埋めるらしい。

というか、あの年であのスキルでスピンアウトして大丈夫なのかと思ってしまう。まぁ、それでも食えてしまうのだから日本は豊かなのだろう。



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んー - 2007年03月07日(水)

新しい靴を買って、ハンドルを修理したら俄然自転車に乗りたくなってきた。
で、自転車を見てみたら、前のギアのアウターが48Tだった。変えてみようかな、と思っていたりする。
というか、前のギアを変えてもあんまりふみ応えが変わらなさ過ぎる。

どうせ、軽いギアなら峠でも登ってみるかと思ったが、坂の手前まで60km...
いっちょ行ってみるか...

すでにコンクリートで靴のつま先が毛羽立っているのがちょっと癪に障る。


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うー - 2007年03月06日(火)

なんだか、激坂に登りたくなってきた。
週末は、どこかの峠に出没しそうだ。といって地図を調べると坂にたどり着くまでに50kmとか書いてあって、天気予報を見ると雨とか書いてあって、萎え気味...


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ちょっとむかつくこと^2 - 2007年03月05日(月)

最近、世間的にマイナーだけどむかつくことが2つ
1.女流棋士という将棋を職業にしている人たちがいる。一方、将棋連盟という将棋のプロの団体がある。女流棋士は将棋連盟という団体の議決権を持っていない、決議機関への参加も認められていない、自分たちの身分保障に対する交渉権すら正式に認められていない。
自分たちの身分保障を確かにするために、独立しようとしたが、会長のお気に召さなかったらしい。いろいろ、妨害されているようだ。
そもそも、頭脳ゲームの分野で、100人以上のトップの中でただの一人も女性がいないというのは、トップを選ぶ段階で、何かしらいびつなふるいがあるのではないかと勘ぐってしまう。女性と当たるときは全力で勝ちに行くとか...まぁ、有形無形の差別が存在していても仕方のない組織のような気がする。
また、将棋の強い人が、団体運営に長けているかといえばそうではないはずなのだが、そういう順列で発言権を持つ団体のようだ。このどたばたで、なんだか将棋は好きなのだが、将棋連盟は嫌いな組織になってしまった。ついでに会長も...
2.ヤンウルリッヒという、プロの自転車乗りが引退した。なんだか不透明なドーピング騒ぎのあおりを食って。まだまだ、走れるはずなのだが、最終的にはプロのライセンスが降りなかったらしい。同じ疑惑の渦中の他の選手はみんな競技に復帰しているというのに、彼だけは引退という道を選んでしまった。
一度はツールドフランスで優勝しながらも、その後は万年優勝候補のまま表彰台の真ん中に立つこともなく、とうとうこの前、引退会見をしていた。
いつぞやのツールで最後の最後までDHバーを握り締めて、歯を食いしばって、眉間にしわを寄せて坂を上る姿は感動的でした。
ドイツではF1のシューマッハにも匹敵する知名度もあったらしい。

もぉ、なんでこんな中途半端な事件ばかりあるのか、優れた競技者を表舞台から隠す出来事があるのか...
憤ります。


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お悩み相談-5 - 2007年03月04日(日)

なので、休むということは「野放図にだらっとしてればよい」ということではないと思うのです。とくに心が疲れているときは...
どうせ心の疲れる人は、「使命感が強い」とか「現状を容認していない」とか、いろいろ疲れる原因があるはずです。まじめな人ほど、うつになりやすいというのはこういうところにも原因があるのではないかと、思います。「だらっとしてる」とますますうつの原因となっている部分にダメージを与えるような気がするのです。まじめな人の思考回路には「だらっとしていること」の正当性なんてわかりっこないので、仕方ないと思うのです。
また、「歯止めの効かない思考の暴走」と「だらっとしてなきゃいけない理性」の葛藤はますます激しくならないですか?私は一時、これに陥りそうになりました。
そぉ、周りの「休みなさい」という助言は、頭の別のところを動かして、「休まなければならないところを休めなさい」という指示なのではないかと。
手っ取り早い手段は、運動することと思います。お勧めは酸欠系の水泳と自転車。両方とも、
  • 負荷をかけたままある程度の時間費やすことができる。
  • 酸欠系なので頭の高度働きをしている部分がおろそかになりやすい。
  • 距離/時間等で満足感が得やすい。
等の理由を勝手にでっち上げます。
まぁ、いつも動いてる部分を空っぽにするためには、その人に対して結構な負荷の運動を強いることになると思うので、体調の問題もあると思います。しかし、心の休養のときは、可能な限り体は動かしたほうがよいと思います。少なくとも、眠ること食べることの二つに関しては、理性からの「ねばならぬ」ではなくて生存本能からの「したい」に基づいた行動となって現れてきます。これだけでもかなり、健全な気がします。

なので、私は頭を空っぽにできる自転車に乗ります。
葛飾
天気がよいので、自転車に乗る。20年ほど昔、しばらく暮らしていた葛飾に行ってみた。一時期さんざん原チャリで走ったので道くらい覚えてるかと思った ら、全然だめでした。幹線を外れるとどこをどう通ったものかさっぱり...きっちり、怪しい徘徊中年になってしまいました。
で、水元公園まで足を伸ばして、そのまま江戸川を下れば、葛西につくかと思いきや市川に出てしまいました...
TDRの脇を通って、葛西臨海公園にでて一服(昨日の夕食から全然ものを食っていなかった)。皇居にでてパレスサイドを一回りして、恵比須着。
んー、やっぱり道に迷うと萎えるなぁ...



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秋葉原 - 2007年03月03日(土)

ふと思い立って、仕事の納品用パーツを買いに秋葉原に行く。
相変わらず人があふれてるし、赤信号でも平気で道を横断しようとする人間がいるのは土曜日の秋葉原ならではかも。
いろいろな店のBGMがうるさいのと、町を歩く人間が語りたがっているのも相変わらずで、連れ立って歩いている人間は決まって声がでかい、ほんと、うるさい。これで頭の中が一気に疲れた。
中途半端なPCパーツなのでパーツ屋にもなかなかない、PCショップにもなかなかないという有様で苦労しましたが必要数は確保した、ので一安心。「鈴蘭堂」とか「WE300B」とかに反応してしまいましたが、結局仕事以外で買ったのは自転車用の帽子という感じでした。
そ、メットかぶると頭が寒かったり、汗が滴り落ちたりで不自由なんですわ。

変速機のプーリーを変えたら劇的に回りがよくなった気がするのはプラシーボなんだろうなきっと。まだ、靴がなじんでないので足が痛いのは絶対気のせいではないな。

さて

朝起きたら、周りに人がいてあせった...
そろそろ、家から通勤する潮時かもしれない。
それはともかく。もぉ、一週間があっという間でした。ほんとに、うそ偽りなく。証拠に何も仕事が進んでいない気がする、空回りしただけ...全然あせっていないけど。
で、なにやら週末に100km単位で走ることが習慣になりそうなので、この際習慣にしてしまおうかと企てる。
んー、今度は千葉方面でしょうか。

いろんなことがありつつも、この年まで生きてるのは使命感とか生きがいではなくて、死ぬのが痛そうで苦しそうなので死ねなかっただけだと、自分では納得している。正直すぎてつまらないなぁ




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お悩み相談みたいな(爆) - 2007年03月02日(金)

わたしゃ心理学者ではないので、かえって無責任なことが言えるかもしれない。
でも、経験的にこの3つのことはいつも考えている。

1.ひとつのことを集中して考えず、適当な時間で考える対象を切り替えないとだめ。
2.行動が伴わないことが既に判明していることは考えない。
3.馬鹿にされてもよいから人に話す。

まず1について
プログラマやっていて仕事のことをよく考えるのですが、疲れるのですよ、頭が。
で、疲れた頭で何を考えてもだめなのですよ。特に徹夜なんて最悪。(徹夜して自慢するプログラマは信用しません)
そこまでいかなくても、何時間も集中して考えてると、頭の中が疲れるのですよ。
で、プログラムを考えている場合は直らないバグを生むし、
生き方を考えてると、自分の生き方に疑問を持ったり、悩んだりすると思うのです。
これって、考えすぎて頭や心が動けない状態なんじゃないかと、頭の疲労蓄積状態なんじゃないかと。

ただ、筋肉とか内臓は痛いという直接的なアピールを行いますが、頭/神経系はそういきません。疲れていることを隠そうとしつつ、仕事を続行させようとします。馬鹿なプログラマのように。
で、当然、答えが出ません。ますますプレッシャーを感じてますます一生懸命考えます。
でも、筋肉は脱力する/内蔵は暴飲暴食を避け節制するということができますが、頭は休ませようがありません。文字通り自分で意思を持っていますから。
挙句には、眠ることが休息になるにもかかわらず、不眠症という手段をとってなおも考えようとします。これは、ワーカホリックの企業戦士(爆)が過労状態でなおも仕事をしようとする姿に似てるかもしれません。


座禅は、ただひたすら座ることによって何も考えないことを考えることで頭を休めようとする。滝に打たれたり、寒中水泳などは苦痛を与えることによって頭が動かない状態にしてしまおうとし、バンジージャンプは恐怖によって頭を停止させる瞬間をつくって休めさせようとする行為といえるかもしれない。
繰り返しこれらの行為を行う人は、強制的に思考停止の局面に陥れることがその人にとって快感であると学習しているのではないだろうか。

当然、思考停止した後は日常に復旧するまでにいくばくか時間が必要となる。思考停止->復帰(半覚醒)の時間を無理やり日常的に作ることが、悩まないコツのような気がする。
言葉をかえれば、時折、頭の中でいつも考えている部分を脱力させること、いつも使っていない部分をフル稼働させること、が精神的なバランスをとる上で非常に大変なのではないかと思う。逆に、同じことに悩んで懊悩している姿は、歯を食いしばって脳の一部分だけを酷使している姿に見える。まるで、ベンチプレスだけを半日やり続けているアスリートのような... 彼は、最後には自分の胸の上のバーベルを持ち上げられず窒息してしまうのかもしれない。


で、人間て高々2000年くらいの間に今のような生活を送るようになってきたので、それまでの間は狩猟生活とかをしてたはず(多分に憶測)。まして、発達した脳髄をもって不特定多数の人間と接近して、食うものに困らず生きていけるようになったのは、ここ数百年くらいのはず。
こんな環境に生きることは、ほかの生物ではありえないのではないかと思うのです。
ちゅうことは、遺伝子のどこを探してもこんな状況に対応する方法は見つからないので、頭が悩むのではないかと思うのです。で、頭はこれに対応するためにあれこれめまぐるしく考えるわけです。考えなくてもよいことを。
でも、考えなくすることは大切なのですが、これはやたら難しい。街中でバンジ−ジャンプをするわけにもいきません。なので、別のことを考えるようにする。

自転車に乗るのはこの辺に効果があるような気がします。
車道を自転車に乗っていると、もぉ、ありとあらゆる身の危険が発生します。
やー様の車にバッグが当たって前に回り込まれて急停車されたり。車輪が割れたり、スポークが折れたり、手を置いているハンドルが緩んで急になくなったり、よける余地がないのに前から逆送自転車が坂を下りてきたり、下り坂で手がかじかんでブレーキを握れなかったり、交差点を渡っていたら実は停電で信号が動作せず横から車が来たり...
これは、何かくるぞと身構えていないと、対処できないことばっかりです。(やー様のときはひたすら謝りました)この緊張は、ちょっとしたバンジージャンプ並みなのではないでしょうか。というか、これくらいの緊張感を持っていないと自転車は走っちゃいけないと思うのです。

閑話休題、そうするともう目的地に向かって自転車を操るので手一杯でほかのことが考えられなくなるのが実情です。結局、これが自転車通勤の効能のような気がします。実際、どんなに忙しい時期でも自転車に乗ったら仕事のことなんか考えていられません。なので、自転車から降りたとたん今まで緊張していた頭の部分が開放されて、今まで休んでいた部分が動き出して快さが発生する。と、勝手に自分で思い込んでいます。


もうひとつ、忘れていけないことがあるのです。実は。
疲れることです。それも精神的にではなくて、肉体的に疲れることです。

前の遺伝子の話ですが、体を動かさずに飯が食えるようになったのもここ数百年の話で、それまでは狩猟に行ったり、農耕したりしなければ、おまんまはいただけず、生きることもできなかったはずです。
つまり、肉体を酷使するすることは結局、生来持っているリズムを作り出す上で不可欠なのではないかと考えます。肉体を酷使せずに、アルコールや薬に頼る手はありますが、やっぱり不自然な感は否めません。

また、精神的に疲れると、これは頭が暴走し始めるという反応も起こりえます。根をつめてプログラムを考えて、そのまま寝ようとすると、頭がプログラムのことでいっぱいになり眠れないという経験を昔よくしました。

結局、ずっと昔に人間が行ってきた生活を、擬似的に再現していかないとやっぱりどこかで、人間のバランスが崩れてしまうのではないかと思います。
考えてみれば、日常的に通勤電車で30分立ちっぱなしというのも不自然だと思うのです。電車以外でそんな状況はありえないはずです。これまた、人間の過去の経験のどこを切っても現れない行為だと思います。胎児だってもう少し自由に動いているはずです。
昔、電車通勤をしていたときは、仕事場にたどり着いたら精神的に非常に疲れたまま仕事を始めなければならないことが苦痛でした。

高々、200年ほど前の生活から比べると、現代の人は、想像を絶する怠惰な生活を送っているのかもしれません。これは、片方で文明という名前で呼ばれているものですが、もう片方では本来の生き方を歪める行為と等価ではないかと思ったりします。
自転車に乗り出して気がついたのですが、山手線は横切っても1時間あればおつりが来る距離です。山の手線内の移動であれば、自転車と電車は同じくらいの移動時間で済みます。
こういうことを知っている人は、たぶん少数派なのだろうな。




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