Sun Set Days
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2004年08月26日(木) 夜のごはん

 先日石焼きマグロご飯を食べたのだけれど、石焼きの熱いくらいの器にマグロが入っていて、それがほどよく焦げ付いていたりして、なんだか随分とおいしかった。僕がいま住んでいる町には、その規模のわりになぜか感じのよい食べ物屋が多くて、地域のホームページなんかを覗いていると、出掛けてみたいなと思うような店がまだまだたくさんある。もちろんファミリーレストランも好きだし、よく出掛けているけれど、お酒さえ飲まなければ、そういった感じのよい店でもファミリーレストランと料金的にはそれほど変わらない。ということで、最近はよくそういう店に出掛けている。せっかく来たばかりなのだから、いろいろと試してみたいと思うのだ。
 そして、僕はお酒を飲まないし、大概の場合車で出掛けているので一緒にいる人もお酒を飲まないし、結果としてそういった店に入ったにしては随分とリーズナブルに収まってしまう。
 それで随分と長い時間話しているのだから、結果としては随分とお得なのだろう。たぶん。


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 お知らせ

 最近携帯電話を買い換えようかなと少しずつ思っています。カメラもついていないし。


2004年08月22日(日) 休日と、仕事が終わった後と。

 この間の休日には、久しぶりに東京に遊びに行ってきた。
 ドライブがてら車で出掛けたのだけれど、ブランクのあるドライバーには渋谷を車で走ることは随分と敷居の高いことのように思えた。車よりも人の方が強い街だし、路地なんかに入ってしまうとなおさらだ。
 それでもまあなんとか駐車場に車を入れ、Bunkamuraで美術展を観て(グッゲンハイム)、山手線で新宿まで出てからゆっくりと時間をかけてコンランショップを覗いた。コンランショップに行く前と帰ってきてからは渋谷マークシティの中にある店でパスタとデザートを食べた。2人で出掛けてきたのだけれど、移動の間、歩いている間、いろいろな話をした。なぜなのかよくわからないのだけれど、子供の頃の話がたくさん出てきて、話しているうちに思い出されるようなささやかなことがとても多くて、なんだか懐かしいような不思議な気持ちがしたのだった。
 5歳以上年下の子だったので、微妙に世代がずれていて、そういうのもなんだか不思議な感じだった。たとえば僕が高校生のときに見ていたテレビドラマを、まだ小学生だったので見せてもらえなかったとか。同じタイミングの出来事を違った方向から眺めているみたいで、それは随分と面白いことのような気がした。

 帰りは夜の首都高速を抜け、高速を使って町まで帰ってきた。高速道路を走っている途中の空は随分と暗く広くて、首都高速のときの光景とは明らかに異なるものになっていた。そしてそんな場所に帰ることは、なかなかに悪くないことのように思えるのだった。


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 そして、いまは23日の午前1時過ぎ。少し前に後輩に送ってもらって帰ってきたところ。
 ふくらはぎが結構痛い。
 今日仕事が終わってから、14人でフットサルに行ってきたのだ。22時から24時まで。2時間コートを借りて。
 3チームつくり、勝ったチームがそのまま試合をし続けるというルールにしたのだけれど、所属したチームにうまいメンバーがいたために、結局最後まで勝ち続け6ゲーム連続で走り続けることになったのだった(最後の試合だけ無失点の引き分け)。僕は参加メンバーの中で一番年齢が上で(20歳から23歳前後が一番多かった)、それで全試合出ていたので最後にはもう結構へばってしまっていた。けれども久しぶりのフットサルは楽しかったし、やっぱり身体を動かすのは気持ちがよかった。
 明日は、他のメンバーともども筋肉痛に悩まされると思うのだけれど。


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 お知らせ

 屋外のフットサルコートだったのですが、時間のせいか風も涼しく気持ちよかったのでした。


2004年08月17日(火) The storm is over now

 最近は外食続き。12人参加で後輩の誕生会をしたり、ナンがおいしい本格的なカレー屋に行ったり、パスタを食べたり。
 おいしいし、話も弾むのでいいのだけれど、そういう日々が続くと部屋でのんびりしたいなと思ったりするのだからないものねだりだと思う。すべてがバランスよく進むことなんて有り難いというのに、バランスをとりたいという欲求がどこからかもたげてくるのだ。
 そして、バランスをとりたいなどと思ってしまうのは、意外と疲れているときだったりする。あるいは、自分でそれほど自覚していないにしてもくたびれているときとか。
 バランスが取れている状態というのは、大概の場合言い換えれば波風の少ない凪のような状態を指しているような気がする。気持ちや感情や環境が安定して、過不足がないような状態とでも言えばいいのか。そういった状態を欲するときというのは得てしてそうじゃない場合が多くて、それは何らかの波風があったり負担があったりするときなのだ。
 いまは何らかの負担があるのだろうか? と自分で考えてみる。
 もちろん、ある種の負担はいつだってあるし、それは逆にそれなりのプレッシャーとなって頑張る力にも繋がってくるものなのだけれど、気がつくと結構じわりとボディブローのように効いてくるものなのかもしれない。そして、それは自分で思っているよりもずっと何かを消耗させていて、膝を地面につかせようとしているのかもしれない。

 けれども、基本的には僕は元気だ。元々が単純な性格なので、ある種のボディブローを打たれていても、たぶんそれほど効いていないように思っている。それがなかなかにハードなパンチで突然倒れてしまうことがあったとしても、何があったのかわからずに「?」と不思議がるような気がする。

 もちろん、いつだって常に元気でいられるのは難しいことなのかもしれない。だからこそ、ときどきはゆっくりと自分の胸に手を当てて、いろいろなことを振り返ることが必要なのかもしれない。振り返ること。様々なベクトルをちゃんとたしかめること。あるいは、わかれみちの前に立つたびに、コンパスがどちらを指しているのかをちゃんと確認すること。

 もし自分が見知らぬ国を旅する旅人で、地図もなくコンパスしかないのであれば、わかれみちに立つたびに食い入るようにコンパスを覗き込むことだろう。どちらが北で、どちらが南なのかをしっかりと確認するだろう。そういった部分に慎重にならないことは、ある種の死活問題にさえなりうる。
 けれども、日々の中で、多くのわかれみちはきっとあるはずなのに、そのときに自分の中にあるコンパスをしっかりと覗き込むようなことをしているだろうか? そう考えてみる。コンパスというのはもちろん比喩的なものだ。比喩としてのコンパス。そして日々の中で訪れるいくつものわかれみち。
 人生がひとつの大きな旅のようなものであり、それならば日々を生きていくことは旅をすることに似ているのであれば、様々なわかれみちのたびにコンパスを取り出さなければならないだろう。それだってやっぱりある種の死活問題だ。コンパスの針の指している方角と、自分が目指そうとしている方角が、合致しているのか角度があるのかないのか、そういったことをちゃんとたしかめなくてはならない。

 たしかめること。コンパスを見つめること。そして、まずは一歩足を踏み出すこと。
 そうしないことには、次にコンパスを覗くタイミングすらおとずれないわけだし。


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 お知らせ

 来月は遅い夏休み(けれども飛び石連休)があるので、長編小説『Wonderful World』に目処をつける予定です。


2004年08月13日(金) Sunday Morning

 今日は久しぶりに中国で働いている同期から電話がかかってきた。昨日の休日に折り返し電話が欲しいという留守番電話が入っていて、新しい番号(080からはじまるやつ)も吹き込まれていた。そして、そのメッセージを聞いたのが深夜だったため今日になってから会社から電話をかけてみた。
 すると、5分後に折り返しかけると言ってかかってきたのだけれど、なんとその電話は中国からだった。同じ会社なので国際電話ももちろんありなのだけれど、それでもなんともまあ、距離の遠さに驚いてしまう。
 用件はちょっとしたことで、それはすぐに終わり、それからお互いの近況を伝え合う。会社の電話なのにと思いつつ、約1年ぶりの同期との会話は、けれども時間を感じさせないほど自然な感じで、なんだか不思議な感じになる。
 冬のまとまった休みには、ぜひそっち(上海)に遊びに行くよと言い、いままで食べたこともないような中華を食べさせてやるからさと言われる。今まで食べたこともない中華ってすごい楽しみな感じだ。頑張ってなと言って電話を切る。後輩たちはいまの電話が中国からだなんて思ってもいないよなと思いつつ。
 ちなみに、新しい携帯電話は、海外でも繋がるやつなのだそうだ。


 仕事が終わってから、後輩に車で送ってもらう。後輩の誕生日プレゼントを買うと言うので、一緒に夜まで開いている雑貨屋に行く。
 キッチングッズからフォトフレームからカーテンから、たくさんのいかにも女の子が喜びそうな雑貨類が豊富に飾られていて、けれども個人的にも雑貨は好きなので思わず見入ってしまう。定番の柳宗理のキッチンツールから、デロンギのアイスクリームメーカーまで、やっぱりじっくりと見ていると楽しかったりする。
 そして、思わず後輩を呼んで「これすごいよ」と言ってしまったのが「イージー・モーニング」というコンテナ。これはシリアルやキャンディを入れてハンドルをガチャガチャと回すと少しずつ出てくるというものなのだけれど、ABS樹脂製のかなりチープなものなのだけれど、なんだか妙にツボにはまってしまったのだ。
 日曜日の朝に、アメリカの平均的家庭の子供が眠たそうにキッチンに下りてきて、眠たそうにお皿をセットして、がちゃがちゃとシリアルを出してとぽとぽと牛乳を注いでいるイメージが思い浮かぶようなやつと言えばわかりやすいだろうか。
 その話を後輩にしたら、後輩は「そして、隣ではお父さんがコーヒーメーカーでコーヒーができるのを待ってて」と言った。そういうのもすごくありそうな感じだ。いまのアメリカに、そんな古きよき中流家庭がどれほどあるのかはわからないけれど、それでもハリウッド映画やアメリカのホームドラマでいくらでも見ることができたそんな家庭のイメージが浮かぶような感じ。
 調べてみたら、「イージー・モーニング」はペット用グッズサイトで一応ペット用としても売られているみたいだ。
 はじめて入る店を訪れるのはいつだってどこか楽しいと思う。見たことのないような品物を見つけることができたりするし。


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 お知らせ

 パラグアイ戦は残念だったのでした……


2004年08月12日(木) 夏のドライブ

 火曜日は結局夜まで職場にいて、後輩と2人でご飯を食べに行った。大画面でMTVが流れているレストランバーのようなところで、3人揃ったTLCの映像が流れていたりしてなんだか感慨めいたものを感じたりしていた。他にもUsherやMario Winansなどが流れていて、部屋のCDラックにも収められているそれらの曲は、やっぱり好きな感じのものだった(そして外出先でお気に入りの曲を聴くと、なんだか新鮮な気がしてしまう)。
 間接照明に淡く照らされたやけに天井の高い店内は夜が深まるにつれて徐々に混み合っていった。20時くらいに店に入り、結局0時過ぎまでずっと話していたのだけれど、4時間もよく話すことがあるものだと思う。けれども、実際にそれだけの時間話していて、笑ったりしているのだか確かに僕はよく喋る方なのだろうと思う。もちろん、相手もよく喋る方だからとは思うけれど。
 言葉はたぶん、結構よどみなく溢れてくるのだ。

 水曜日は、やはり朝から会社に顔を出し、残った仕事を片付け、15時くらいから今度は別の後輩と一緒にドライブに出掛けてくる。
 途中で、今週末で転勤する同じく休日の後輩を呼び出し、3人で。
 行き先は湖もある車で1時間くらいのところにある山で、僕の車で出掛けていった。
 急カーブの続く(ここはすれ違えないだろう!)と思ってしまうような山道をなんとか上りながら、周囲の光景にはとても魅力的なものを感じていた。細い山道の上を覆うような木々に、木々の隙間から見える小さな小川、途中で何度もその山を訪れているという後輩が「エアコンを止めて窓を開けましょう」と言うので窓を開けると、さっきまでの町よりも随分と涼しい風が吹き込んでくる。「体感温度が全然違いますよね」とその後輩が言い、もう一人の後輩が「気持ちいいですよね」と言う。
 確かに随分と気持ちよくて、運転に気をつけながらも、普段とは異なる光景に思わず見入ってしまう。

 しばらく走ると、木々の合間に湖を見下ろすことができる。最後に湖を見たのはいつだったろう? というようなことを一瞬思う。昨年釣りに行ったとき以来かもしれない。そんなふうに思って、なんだかあっという間に時間が経ってしまったような錯覚を覚える。
 湖畔にある無料駐車場に車を止め、湖に近付く。水に指を入れてみると、水は思いがけずつめたく、すぐ近くに浮かんでいるスワンボートやてんとう虫を模した奇妙なボートを見ながら、いかにも観光地的な雰囲気になんだかおかしくなってしまう。そこには随分と幸福な余韻のようなものが残っている。それは子供の頃に家族旅行で訪れた様々な場所の記憶と繋がっているかもしれないし、自分の中に眠っているそういう非日常の光景に胸を躍らせた子供の頃の感覚が一瞬だけ蘇ってくるからなのかもしれない。
 湖畔沿いの通りに並ぶ食堂やおみやげ屋や、貸しボートや貸し自転車の店。売店の軒先で風に揺れる「氷」の旗。斜めに傾いたソフトクリームの看板。遠くに見える小さなホテルや、描かれていた文字がかすれて読めなくなった色あせたベンチ。そういったものがすべて、はじめてじゃないような感覚を持っている。その場所に来たのははじめてだし、同じ景色を見たわけではないのだけれど、それでもそれらの光景を自分は確かに見知っていると思えてしまうのだった。

 それから周囲の山々の中でも一番高い山の頂上に向かって伸びているロープウェイに乗る。16時30分だったのだけれど、ちょうどのぼりの最終のロープウェイが出るところで、慌てて駆け込む。小さなロープウェイに後輩の女の子が「こわそう」というようなことを呟くと、すぐ近くにいた3歳くらいの女の子が「こわくないよ」と答えた。母親にだっこされていた小さな女の子がそう言ったことに周囲の人たちは笑い、僕らも笑った。女の子のおばあちゃんらしい女性は「○○ちゃんは強いもんね」というようなことを言っていた。絵本の主役にでもなりそうな、利発そうな小さな女の子。

 約300メートル上の展望台に出ると、さらに涼しく感じられた。くだりの最終のロープウェイが16時50分だということで、慌てて山頂の神社までいってそそくさとお参りをすます。晴れた日には遠く富士山まで見えるという展望台からは、薄い靄がかかっていたせいもあってそれほど遠くまで見通すことができなかった。清掃をしていたおじさんの話では、やっぱりきれいに遠くまで見えるのは秋だねとのこと。それも台風が過ぎ去った後とのことだ。へえと僕らは言う。そうなんですか。
 それにしても、と歩きながら思う。こんな場所では季節の変化がより濃密に繊細に感じられるよなと。
 くだりのロープウェイであっという間に下まで降りると、今度はおみやげ屋を覗いた。店に近付くとおばさんがお茶を勧めてくれて、飲んでみたお茶はしいたけ茶でしいたけが苦手な僕は思わずむせてしまう。そのおみやげ屋には20年前にタイムスリップしたかのような商品がたくさん置かれていて、さかさまにしても水がこぼれない不思議なコップなんていう安手の手品グッズまで扱っていた。その店では「よもぎひねり餅」を買う。久しぶりに食べてみたかったのだ。

 帰りはうどんで有名な場所(うどん屋ばっかりの場所があるのだ)に寄ったのだけれど、どこもしまっていた。後輩がたまたまいた店の人に訊ねると16時くらいに大量の観光客をさばいたあと、そのまま全部の店がしまってしまったとのこと。お盆ということもあって、従業員たちも早く帰りたがっていたしねと。
 せっかく来たのにと思いつつ、そういうところも地方の独特の感覚なのかもしれないと自分たちの町まで帰ってから食事を取ることにする。

 夜ご飯は、気になっていた創作ダイニングの店に入る。ちょうど食べきり食べ放題というイベントをやっていて、2500円でたくさんあるメニューの中から何でも90分食べ放題になっていた。それも、あらかじめ作ってあるメニューをビュッフェスタイルで取るような食べ放題ではなく、注文して出来たてを作ってもらえるというもの。
 これがものすごく当たりだった。メニューは最近流行りの創作ダイニングで、ローストビーフに、チーズの生春巻き、地鶏の黒胡椒炒め、ハヤシライスに、デザート(ジェラートや杏仁豆腐)まで、メニューの3分の2くらいの品物を頼んだのだけれど、どれもが平均点以上のおいしさで、新しいメニューが運ばれてくるたびにみんなで声を挙げていたのだった。
 また、店も個室に間接照明という最近本当に多いけれども雰囲気のよい店で、今度もまた来ようと話していたのだった。

 そして、一緒に遊んでいたうちの一人が今週で転勤するということで、最後は僕の部屋に遊びに来る。一度見てみたいという話になっていたのだ。部屋の中で後輩は引越し先の部屋でこのアイデアを盗ませてもらいますとか話していた。
 途中、これからテニスの打ちっぱなしに行くという別の後輩も顔を出しに来て、最後はみんなを送り出す。

 木曜日(今日)は3連休最終日。夜には後輩の送別会があるのでそれに参加。
 日中は、久しぶりに外に出ないで部屋でのんびりとしていようと思う。


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 お知らせ

 久しぶりに聴いているColor Me Baddのいくつかの曲は、結構懐かしく名曲だと思うのです。


2004年08月10日(火) Every day of the week

 昨日で6連続出勤が終わり、今日から休日。

 水曜日の夜は、仕事が終わってからまっすぐ帰る。

 木曜日の夜は、前回のDaysに書いたように、22時過ぎに後輩とその彼女が本を借りるために遊びに来る。

 金曜日の夜は仕事が終わってから、後輩と2人で夜ご飯を食べに行く。パスタを食べに行ったのだけれど、ドルチェセットがワゴンに載ったデザートの中から3種類を選ぶものだったので嬉しくなる。ワゴンの上の様々な種類から選ぶのって、結構好きなのだ。
 ディズニーシーがとても面白い場所だという話を聞く。ディズニーランドってどうしてか昔からあんまり興味がない。ランドの方に一度しか行ったことがないし。けれども、その話を聞いていると、面白そうな感じはするとは思った。

 土曜日の夜は仕事が終わってから、後輩の部屋に遊びに行き4人でアジアカップの決勝戦をテレビで見た。ドライブスルーで購入したハンバーガーを食べながら、みんなで叫び声(得点シーンでの歓喜であったり、納得がいかない判定へのブーイングだったり)を挙げながら、騒ぎながら見た。ハーフタイムには、近くのセブンイレブンにお菓子を買い込みにさえ行った。
 なんだか学生の頃のようで少しだけおかしく思っていた。
 そして、アジアカップは見事に日本が優勝し、4人で喜んだのだった。

 日曜日の夜は、仕事が終わった後10数人(20歳から30歳まで)でファミリーレストランに行き、そのまま花火をしに行った。大きな公園の駐車場(人気のない場所だった)で、コンビニで8000円分くらい買い込んだ花火を、みんなで笑いながらやった。
 笑いながらというのは、手に持ってはいけない花火を手に持ちながら戦っている新入社員なんかがいたからだ。
 花火を持って、山姥のように後輩を追いかける3年目の社員がいたり……
 女の子たちは情緒的に線香花火だけをやって……というわけにはいかなくて、背後から他の人に近付いて、打ち上げ花火を点火するとか、結構アグレッシブなことを行っていた。
 今年はじめての花火だったのだけれど、それがどんなものであっても花火は夏を感じさせて、楽しかった。
 部屋に帰ってきたのは1時過ぎで、すぐに眠ってしまった。

 月曜日の夜は連続出勤の最終日で、午前7時過ぎには店にいて先週の様々な数値データーを眺めながら報告書を作成していた。数日間朝から働きそのまま夜まで遊んでいたので体力的には結構ハードではあったのだけれど、それでも明日が休日だと思うと少しくらいの無理は大丈夫だとも思っていた。
 けれども、最後にちょっとしたおまけがあったのだった。

 月曜日は午後からずっと雲行きが怪しかった。いかにも雨の降りそうな雨雲が空の低いところに垂れ込めていて、グレーの絵の具を湿らせた綿のような雲も見えていた。そして、気がつくと夕方から雨が降り出していた。雨はあっという間に雷雨に変わり、閃光と、激しい落雷の音が響きはじめた。

 もちろん、この町に来てからこの雷雨には少し慣れっこになってしまっているところもあった。夏の一時期には一週間に一度は雷雨がやってくるという特殊与件がある町なのだ。
 それで、まあ今回も大丈夫だろうと思っていたのだけれど、一際大きな落雷音が響いた後、いくつかのトラブルが発生したのだ。
 ひとつは、本部側と店舗を繋ぐネットワークが途切れてしまったこと(これは後でルーターが落雷のショックで破損してしまった為と判明する)。もうひとつはクレジットカードが切ることができなくなってしまったこと(これはネットワーク断線の影響)、そして最後が有線(音楽)が聴こえなくなってしまったことだ。不幸中の幸いだったのは停電にまではいたらなかったことで、営業を続けることはできたのだけれど、注文等をパソコンに頼っている分各種注文内容等を入力することもできず、何年か振りに紙の伝票を使用したりしていた。

 上司や本部の該当部署に連絡し、業者を呼んでもらう。確認をしながら、停電ではないのでなんとかなるとは思っていた(そして実際なんとかなった)。ただし、そういったトラブルやイレギュラーが起こった際には、状況を確認し、適切に行動しなければならないのだということを意識していた。
 やっぱり、トラブルの報告は基本的には店長に来るわけだし。

 結局、閉店後SEが到着したのは21時過ぎで、(高速道路での交通事故による渋滞というおまけつきで)東京から急遽搬送してくるという交換用の器機が到着したのは22時30分だった。それから1時間ほど設定作業を行い、ネットワークが復旧したのは23時20分くらいになっていた。
 そして、それからもう一人残っていた社員と2人で手書きの伝票をパソコンに入力し、レジを締め、各種業務締めを行ったのだった。

 店を出たときには0時30分を回っていた。雨はそのときにもまだ降り続いていた。特殊なトラブルがあったにせよ、午前7時台には会社にいたので、2日分くらいの勤務時間にはなったよなとぼんやりと思っていた。
 そんなふうにして終わった1週間は、なんだかんだで面白かったとは思うのだけれど。


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 お知らせ

 昨日のトラブルのために遅れてしまった仕事をしに、午後から会社に顔を出してきます。


2004年08月05日(木) 図書室(貸出カードなし)

 今日は仕事が終わってから、22時過ぎに後輩とその彼女が部屋に遊びに来た。目的は本を借りるためだ。
 部屋に入ったことのある別の後輩から話を聞いたらしく、ぜひ本を借りたいという話になったのだ。
 後輩は結構真剣に本棚(というかカラーボックス)の中にある本を順番に抜き差しし、最後には4冊の本を選んだ。うち一冊は後輩の彼女が気に入ったらしい『ダーリンは外国人』だったけれど。

 また、今日遊びに来ることも突然決まったことだったのだけれど、これだけ片付いていたらいつ来ても問題ないですよねと言われた。若いメンバーが多いせいか(店長の僕を含めて10人以上いる社員が全員20代なのだ。まあ、僕はもう数ヶ月で30歳だけれど)、夜に誰かの部屋に突然押しかけるなんていう学生めいたことが結構あったりするのだ。そして、中には部屋が散らかっているときにちょうど襲撃されたりするやつもいて、そのときのちょっとかわいそうなエピソードなんかもメンバー間では有名だったりするのだ。
 やれやれ。

 いずれにしても、僕だっていつだって部屋が片付いているわけではないけれど、それでも基本的には片付いている方だと思う。それはやっぱり部屋が散らかっているとそれに引きずられて気持ちもはりがなくなってしまうような面があると思っているからだし、だとしたら無理矢理にでも部屋をきちんとして、日常をきちんとして、ある種のはりを作ろうと考えるからだ。形から入ることは、たぶんおそらくそれほど悪いことではないわけだし。
 もちろん、いつもきちんとできているわけではないけれど、それでもできるだけはそうありたいなとは思う。


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 お知らせ

 いつの間にか花火大会の時期になっているのですね。


2004年08月03日(火) モチベーション・マネジャー

 土曜日、仕事が終わった後に親睦を深めるために行われた職場のボーリング大会があって、それが終わってからダーツなんかをして、そのままファミリーレストランに4時少し前までいた。
 翌日は当然仕事だったので2時間だけ仮眠をとって、夜までかなり忙しく働いていた。
 月曜日も先週の数字をまとめなければならない仕事があったので6時前には起きて普段よりも早く会社に行き、やっぱり夜まで働いていた。
 火曜日の今日はようやく休日で、明日からはまた6連勤だ。

 忙しいのはたぶんありがたいことで、メンバーにも恵まれているし、自分自身も高いモチベーションで仕事に望むことができているとは思う。目の前の数字に一喜一憂しすぎるのはどうかとは思う面もあるけれど(放っておいても数字が確保されるような仕組みなり組織なりを作らなければならないのだろうし)、それでもやっぱり最後の局面では気合だとか根性だとか、主体的なやる気だとか、そういったものを大切にしたいとは思う(アジアカップの日本代表を見ていてもそんなふうに再認できたりして)。
 いずれにしても、一日の中で仕事にかける時間は長いのだから、せっかく縁あって部下になったメンバーにはどうせならそういう前向きな環境の中で頑張ってもらいたいと思うのだ。受身ではなく、主体的に。

 先日、年上の人と話していたときに出てきた「モチベーション・マネジャー」という言葉が耳に残っている。マネジャーのある種の類型のひとつで、メンバーのモチベーションを高めるために、ビジョンを語るようなマネジャーなのだそうだ。もちろん、こうあるべきというゴールイメージを語りそれに近づけるためには、実際には細部の教育やルールが非常に大切になってくる。ゴールイメージを語り続け、日々の業務の中で教育や指示を繰り返し続ける。そこにあるのは愚直なまでの地味な作業の繰り返しで、サヨナラ満塁ホームランのようなものはなく、ひたすら毎打席出塁することを目指すことに似ているような気がする。ヒットが理想的だけれど、現実には振り逃げのような泥臭い方法も少なくないような。
 店長は常に前向きでなくてはならないとまた別の年上の人に言われたことがある。そのときはそうだよなとただ漠然と思っていた。けれども実際に自分がその立場になって2ヶ月になるけれど、前向きにメンバーの気持ちを盛り上げていくことがいかに大切であるのかということを実感するようになっている。そして、まだモチベーション・マネジャーというカッコいい名前のようにはなれていなくても、少しずつでも近づけているようには思う。実際、店舗の目標がクリアされたら、個人の目標を達成したときよりもかなり嬉しいものがあるし。一番喜んでますよねと言われるし、パートさんには「元気ですよね」とか「すごく前向きですよね」とか言われたりもする。

 もちろん、そういうのってどこかで意識的に作っているものだ。前向きな方だとは思うけれど、プライベートでの前向きさと仕事の中での前向きな姿勢というのはやっぱり別物だし。けれども、それでも仕事として、ちゃんと前向きでいられるようにいたいとは強く思う。
 いろいろなことがあっても、へこむようなことがあったとしても、それでも表面的にはそれを見せずにいられるようになりたいなと思う。


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 お知らせ

 今年のアジアカップは神がかり的な試合が多くて、見ごたえがありますね。


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