Sun Set Days
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2003年09月30日(火) 家の中の物を全部

 仕事帰りに、後輩と3人でラーメンを食べる。はじめての店に入ったのだけれど、あまりのおいしくなさに驚いて言葉を失う。
 遅い時間だったことを割り引いても、ほとんど客が入っていなかったのでいやな予感はしたのだけれど……

 後輩の車で送ってもらって、部屋に着いたのは午前0時過ぎ。
 Daysを書いているいまは午前1時20分。
 起床予定時刻は午前6時30分。
 あと何時間なのかは簡単な計算。

 気を取り直して、今日Amazon.co.jpで購入した本が手元に届いたのだけれど、そのうちの1冊『地球家族』に30分程見入ってしまった。サブタイトルに「世界30か国のふつうの暮らし」とある、意欲的で突拍子もないムックだ。

 この本の説明としては帯の文章を引用するのが最も的確で早いかと思う。


(帯表)

「申し訳ありませんが、家の中の物を全部、家の前に出して写真を撮らせて下さい。」by ピーター・メンツェル

 国際家族年の地球を一周、国連(開発基金、人口基金)、世界銀行後援、前人未踏の大プロジェクト。


(帯裏)

 世界の平均的家族の持ち物と暮らしレポート

 高級車を4台もつクウェート。1頭のロバしかもたず毎日40分かけて水をくみに行くアルバニア。自家用飛行機2台と4頭の馬をもち今日を楽しむアイスランド。2週間も食べられなくてもすべて神様が決めることというインド、生きていることが成功の印というグアテマラは驚くほど物が少ない。テレビも飛行機も見たことがなくても仏に守られているかのように静かに暮らすブータン。物質文明の先端で信仰生活になぐさめを得ているアメリカ。環境や人口といった地球がかかえる問題を考えると子供の未来が不安だというドイツ。物が溢れる日本。あなたの家は?


 このムックは、世界30か国の「統計的中流家庭」の持ち物を家の外に全部運び出して、それをその家族と一緒に写真に収めているものだ。実際、その思いつきを具現化する労力は途方もなく、よく実行に移すことが出来たと感心してしまう。ページを手繰っているだけでも、この本ができあがるまでにどれだけの時間と、労力と、たくさんの人たちの協力があったのだろうかと考えさせられてしまう。

 30カ国は本書によるといくつかの基準によって選ばれている。

・経済が急成長している環太平洋の国々
・アメリカ合衆国の旧敵国
・最近ニュースで話題になっている国
・標準的な比較のために有効な国
・何か学ぶべきものがある国や以前から行ってみたかった国

 それらの基準によって選ばれた国々は以下の30か国だ。

 マリ、南アフリカ、エチオピア、クウェート、イラク、イスラエル、スペイン、イタリア、ボスニア、アルバニア、ロシア、ドイツ、アイスランド、イギリス、アメリカ合衆国、アルゼンチン、ブラジル、ハイチ、キューバ、グアテマラ、メキシコ、西サモア、ベトナム、タイ、インド、ブータン、ウズベキスタン、モンゴル、中国、日本

 最初に家族と彼らの持ち物を写し出した大きな写真があって、その後にそれぞれの家族の毎日と彼らが暮らす国について語られた短い文章がある。それから、家族の日常を写した何枚かの写真が続く。書かれている文章の内容は様々で、「ふつうの暮らし」が世界でこうも違うのだということにいまさらながら驚かされる。写真もとりたてて美しいものではないのだけれど、生々しさと現実感が非常に強く、見ているとそれらの国々での毎日が立ち上ってくるようなリアリティがある。人と物の両方がその中に収められていて、それらが強烈に語りかけてくるような感じだ。

 初版が1994年なので結構メジャーなムックなのだと思うのだけれど、いままでこの本の存在を知らなくて、けれども購入してみたよかったと手にした今日は思う。一気に、というよりはゆっくり少しずつページをめくっていくことになると思う。
 折りを見て、何度もゆっくりと少しずつ。


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 お知らせ

 1893円+税なので、内容から考えると価格的にはかなりリーズナブルだと思います。


2003年09月29日(月) 『Sweet November』+買い物

『Sweet November』を見た。先日、部屋から結構歩いたところにあるレンタルビデオショップの会員になったのだけれど、そこで入会と同時に借りたうちの1本。
 パッケージの写真(木漏れ日のなかのベンチで、キアヌ・リーブスとシャーリーズ・セロンが向かい合っている)が印象的でジャケット買いのような感じで手に取ってみた。そして、借りてよかったと思った。個人的にはストライクゾーンで、かなりよかった。
 もちろん、強引なところや説明不足のところもたくさんあるし、「そりゃあないだろう」と思うところも結構あったのだけれど、それでも根底に流れるトーンがかなり好みの映画だったのだ。


 物語はごくごく簡単に言うと、自己中心的で成功することだけしか考えていない広告マンのネルソンが、ふとした偶然から自由奔放に生きるサラという女性と出会う。サラは自分には不幸な男性を救う特殊能力があるのと言い、ネルソンに彼女の『11月』の恋人になることを提案する。
 そして、サラと一緒に過ごす時間が増えて行くにつれて、ネルソンは少しずつ変わっていくことになるのだが、サラにはある秘密があった……というもの。


 ふたを開けてみると王道のシチュエーションなのだけれど、細部のエピソードがかなり効いている。たとえば、部屋の中で目隠しをして追いかけっこをするところや、初冬の海辺を散歩したり、犬とじゃれ合ったりするところ、あるいは12個のプレゼントのエピソードや、カレンダーのエピソード。結局線が点の積み重ねであるように、ストーリーもエピソードの集積であるわけだけれど、そういう意味で言うとたくさんのエピソードは、その線が向かうラストにしっかりと向かっていた。

 そして何より、主役の2人が魅力的だった。最初の感情を押し殺したような「いやな奴」から、優しげなまなざしを見せる「魅力的な奴」にまで変わっていくネルソンを演じるキアヌ・リーブスと、奔放でとらえどころがなく、はっきりとした喜怒哀楽とある種の真摯さを併せ持つサラを演じるシャーリーズ・セロン。その2人がこのおとぎ話のような物語に「ほんとうのこと」である感じを与えていた。

 突拍子もないというか、無理のある設定であっても、見ている間はそういうことを忘れさせることのできる作品がよい作品なのだと思う。あとで冷静になって考えてみたときに強引なストーリーだと思ったり、無理のある展開と思うことは誰だってできる。ただ、それを見ている間は気にならないと思わせる力、物語に集中させ入り込ませておくことのできる力がポイントで、個人的にはこの作品にはそれがあった。
 そしてそういう物語には、あとで思い返すときに核のようなある種のイメージとか、トーンのようなものがちゃんと残っているのだ。カラーというか、トーンというか、周波数というか、そういうものが。
 それがとても大事なことなのだと思う。

 もう少し長く、2人のエピソードを重ねて、より2人の周囲の世界の映像を重ねていたら、もっと忘れられない作品になっていたような気がする。
 それでも、全然期待もしていなくてなんとなく見て、やられたと思った。
 この映画がヒットしたのかどうかはわからないし、たぶんあんまりヒットはしなかったような気がするのだけれど、それでも思いがけない収穫という感じがすごくして、なんだか嬉しくなってしまう。

 あと、サラ役のシャーリーズ・セロンを絶対他の映画で見たことあると思ってずっと思い出せなくて、見終わった後調べてみたら、『サイダー・ハウス・ルール』のキャンディ役だった。演技うまいし、魅力的。


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 今日は休日だったので、横浜に出掛けてきた。無印良品のノートが欲しかったのだ。普通の無印良品のノートならファミリーマートにも置いてあるのでそれでいいのだけれど、気に入ってよく使っているのがダブルリングの無地のノート(80枚)だったので、それは無印の店にいかないと置いてないのだ。
 文房具を見たりするのが好きなので無印に行くといつもいろいろと見てしまうのだけれど、今日も結構ぐるぐると見て回った。背もたれの高い椅子のようなメモホルダーがあって、一瞬手に取りかけたのだけれど我慢する。また、大きい定規も欲しかったのでそれも購入し、他にもクリアファイルなどを買う。結局、なんだかんだでボールペンなんかも含めると結構買ってしまった……

 今日は横浜そごうの7階にある無印良品に行ってきたのだけれど、壁に歴代の無印良品のコピー「わけあって安い」とか「地球大」とかが書かれていて、それらのコピーの数が無印良品の歴史を表しているような気がしてなんとなく感慨深くなる。
 無印良品を展開する良品計画は、もともと、西武グループの1部門として発足したのが、独立し、いまでは国内の小売業の中でも独特な存在として自らの位置を確立している。ずっと増収増益基調で成長してきたのが、数年前のユニクロなどが伸びてきた時期に衣料品の値下げロスや品目の拡大、主要顧客層の高年齢化などによって打撃を受け、それでも最近はまた少しずつ持ち直している。

 衣食住に渡って独自のプライベート・ブランドでライフスタイル全般を提案するという手法はなかなか他の企業には追いつけないところで、無印の大きな武器となっていると思うのだけれど、店舗の拡大と消費者の飽きの部分のバランスはやっぱり難しいのだろうなと思う。スタンダードなデザインの物が多いから、そう極端に廃れたり流行ったりというふうにはならないだろうけれど、それでも店を増やすとどこにでも同じ物があるというイメージを与えがちで、それが急速に飽きに繋がるというのはなんだかまいってしまうけれど、事実ではあるわけだし。
 その分、企業は新製品を出さなければならないし、革新を続けなければならないわけだけれど、無印良品の品ぞろえは、従来のイメージをうまく活かしながら少しずつ確実に領域を広げているように見える。
 なんだかんだいって、個人的には結構好きな店のひとつ。昔、自転車も買ったし。

 話はかわって、西武とそごうがミレニアムグループで統合して、そごう再建のために強力なテナントである無印良品やLOFTに入居して、今後は仕入れ等もより密接に協力していく〜というような内容がかつての流通新聞とか業界誌に書いていたのだけれど、そういうニュースになった場所を実際に客として訪れることが出来るのは面白いと思う。また、他にもウォルマート流の考えを導入した西友が最近少しずつオープンしたり改装によって現れたりしているのだけれど、それが実現されている店舗に行けば、自分の目でウォルマート流というものがどういうものなのかを見て取ることが出来るのだ。
 たとえば、雑誌の記事で進歩的な仕組みを導入している工場があるというのを読んでも、その工場に視察にいくことは現実的にはちょっと難しいかもしれない。けれども、店なら物販であろうが飲食であろうが、実際に客としてそれが本当なのかどうかを体験することができるのだ。そういうのって当たり前のことなのだけれど、楽しいと思う。自分が流通業にいて店を見たりするのが好きだからというところもあるけれど、たくさんの店を見て、いいところを参考に出来たらと思う。

 帰りに、そごうの地下にあるアンリ・シャルパンティエでケーキとフィナンシェを買って帰る。様々な百貨店の地下で見かける店だけれど、やっぱりおいしい。フィナンシェはちょうど17時に焼きたてのものがあったので、せっかくなのでそれをもらう。出来たてというのはやっぱり魅力的で牽引力があるのか、他の店舗でもアップルパイが焼きたてとか、いろいろなものが出来たてということをアピールしていた。


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 お知らせ

『Sweet November』は結構お約束なのですが、でも思いがけない当たり! でした。


2003年09月27日(土) 『S.W.A.T.』+予告編

 仕事帰りに4人で『S.W.A.T.』を観てきた。大画面で観た方がいいハリウッド映画。実際かなりの大画面で観てきたのだけれど、迫力のある音が様々な方向から聞こえてきて見応えがあった。
 ストーリーは、精鋭警官が集められた特殊部隊S.W.A.T.から降格させられた男が、伝説的なS.W.A.T.の男に見出され、彼の作る新たなチームに入り再び危険と隣り合わせの任務の中に入っていくというもの。その最たるものが世界的な麻薬王を連邦刑務所まで護送するというもので、テレビの生中継で麻薬王が自分を逃がした者に1億ドルをやると発言したことによって、その任務は非常にやっかいで危険なものとなってしまう。上司である男と4人のチーム。主人公を入れた合計6人が周囲が敵ばかりといった状況で精鋭部隊の活躍を見せるのだ。

 予告などで見ていたシチュエーションから想像していたようなストーリーではなかったのだけれど、映画館で観てよかったとは思った。また、サミュエル・L・ジャクソン(あるいは今作には出ていないけれどモーガン・フリーマン)が出てくると画面がびしっとしまるような感じがするのはやっぱり巧いからなのだろうと思う。存在感があるし。


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 映画の楽しみのひとつに、予告編を挙げることができると思う。
 目的の映画がはじまるほんの少し前に、もうじき、あるいは数ヶ月先に公開される映画の予告編がはじまる。だいたい3本か4本。その映画館で次回公開される作品や、シネマコンプレックスであれば観ようとしている映画と系統が似ている作品(この映画を観るタイプの人にはこの予告編を流そうという意図があるのだろう)。それらはそんなに長い時間じゃないのにときに心をぐっと掴み、好奇心を刺激する。そこには作品の魅力を凝縮した何かがあって、短い時間に印象的なシーンが連続して続き、効果的な音楽がそれを彩り、大きく(ときに小さく)出演俳優や、監督たちの名前が挿入される。○○賞受賞とかの文字が流れることもある。とにかく、そういった夥しい情報があたかも奔流のように押し寄せてくるのだ。映画の中でも印象的なシーンばかりを集めているのだからそれはやっぱり魅力的な映像で、たった数分の映像なのに気が付くと引き込まれてしまっている。

 たとえば、それがまったく前知識のない、見知らぬ作品だったとしても、予告編の出来がよかったらやっぱり観に行きたくなってしまう。もちろん、中には予告編のシーンだけがいいシーンだったというような期待はずれの作品もないわけではないけれど、予告編のトーンが好みの作品には実際当たりの作品が多いような気がする。そう、大切なのは空気感というかトーンなのだ。
 予告編の中では実際の作品の時系列はばらばらに分解させられてしまうし、登場人物たちの関係性が実際とは異なっているかのように見えてしまうことさえある。それでも、それが作品のトーンを正確に表しているのであれば、それはよい予告編ということができるはずだ。そして、ちゃんとトーンを間違わずに表していれば、予告編に惹かれた人が本編でがっかりすることも少なくなるはずだ。

 ずっと以前に観ていまでもかなり好きな作品である『トリコロール』3部作なんかは、青、白、赤それぞれの色をモチーフにした映像と音楽があまりにも印象的で、絶対に観ようと思ったし、やっぱり昔の映画で『天使の涙』なんかも、かなり魅力的な予告編だった。そしてそれらの作品は、とても印象的にその作品の持つトーン(たとえば、その作品の世界では空気はどんなふうに太陽の光の通すのかということについてなど)を、とてもよく映し出していた。他にも、数え上げればきりがないけれど、惹きつけられる予告編は数多い。中にはぐっと泣きそうになるような予告編もあって、そういうものを観るとなんだか締め付けられるような気がしてしまう。
 やっぱり、短い時間にその作品のトーンのようなものを凝縮しているわけだから、予告編で泣きそうになったり、ものすごく期待を持ったりしてしまうというのは充分あり得ることだと思うのだ。それに、予告編にさえも印象的なシーンを挿入することが出来ないのであれば、それはやっぱりおもしろい作品ではないのだろうし。

 また、単館系の映画館は概して予告編の数が多くなるようで、たとえば東京でミニシアターに行くと、東京中の単館で上映されている作品をアピールしているのではないかというくらい予告編が多い。平気で20分とか予告をしていたりする。けれども、それはそれで悪くない。単館系の作品の場合には、風変わりで凝りに凝った、予告編自体がショート・フィルムのような印象さえ与えるものもあって、魅力があるし。

 そして予告編といえば思い出すのが、学生時代に通っていたミニ・シアターのことだ。
 大学時代、友人と一緒に毎週ミニ・シアターに行くということを自分たちの中の習慣にしていた。そのミニ・シアターでは、だいたい東京から半年遅れくらいで単館系の作品がやってきていて、しかも週毎に異なる作品を上映するといういま思えば、かなり魅力的な映画館だった。毎週異なる単館系の作品が上映されるので、もちろん僕らは毎週そこに通った。『ギルバート・グレイプ』を観たのも、『猫が行方不明』を観たのも、『告発』を観たのも、岩井俊二の初期作品群を観たのも、全部その映画館でだった。僕等は5回通うと1回無料になるスタンプの会員にもなって、映画館のおばさんたちとも顔見知りになって、とにかくもう毎週通った。たくさんの映画のチラシをもらったし、だいたい座る場所も決めていて。100席もない小さな映画館だったけれど、それでも暗くなるとそこは様々な世界を垣間見せてくれる最高の場所のひとつだった。

 その映画館も、やっぱり予告編が多かったのだ。必ず20分くらいはあって、今後上映していく作品を順番に映し出していくのだ。地方都市のさらにはミニ・シアターということで、経営的な問題が結構厳しかったのかも知れない。良質な作品を多数上映しているのだけれど、そもそも作品自体がマイナーなために予告編という形で観てもらわないことには、惹きつけられないといったところがあったのだろう。その予告編を観ることは楽しみのひとつだった。もちろん、たまには長いなぁーと面倒に思えたりするときもあったのだけれど。

 それでも、その予告編のスタイルだと、1ヶ月後公開の作品の予告編を毎週観ることになるという利点もあった。同じ作品の予告編を何度も観るというのはなかなかにないことで、何度も観ている内に新しく気が付くことが出来る点があったり、数週間後に公開を控えているそれらの作品の実際の物語を想像したりする楽しみもあって、そういうのが楽しかった。また、しばらく予告編の顔ぶれに変化がないなと思ったいたら、一挙に1ヶ月分くらいの予告編を追加するときなんかもあって、そんなときにはそれがひとつの独立した楽しみになってしまったりもした。
 あの映画の予告編を見ることができる、映画館に行く途中にそのことを思い出して、ちょっとだけ期待してしまっていたことなんかもあるし。

 これからも、よい席をとるために少し早めに映画館に行くたびに、予告編を観ることになると思う。
 胸を打つ、魅力的な予告編にたくさん触れることが出来ればいいなと思う。


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 お知らせ

 いまは『インファナル・アフェア』がとても楽しみなのです。


2003年09月23日(火) 物欲

 世の中にはいろんな欲があるけれど、個人的に一番強いのは物欲だと思う。それも結構限定された範囲の物欲。
 それはどちらかというと洋服などよりは部屋の中の物に向けられていて、基本的に部屋の中で過ごす時間が多いせいなのかもしれない。
 ただ、僕の場合は最近の流行である男の部屋改造というようなものとは違って、気に入って選んだ物をただ置いているだけだ。それなのでオリジナリティのようなものは強烈には主張はしてはいない。ただ、それでも個人的な基準で選んだ物が増えていくと、そこにはある一定の雰囲気のようなものは出てくるような気がする。少なくとも、自分が部屋で暮らしているいる分には気持ちよく過ごすことが出来るような雰囲気のようなものが。

 一時期、物欲は随分と収まったのだけれど、最近ちょっと欲しいなと思う物がいくつかある。もちろん、そんなふうに欲求の赴くままに購入できるわけでもないし(先立つものが必要だし)、大抵の場合は我慢するのだけれど、それでもやっぱりいいなと思ってしまう物はある。特に新製品ばかりを載せるような雑誌(DIMEとか日経トレンディとか)をコンビニで見てしまうとまずい。「うー」と思う。もういい年なのに、「あー」とか。

 最近であれば昨年末に購入した趣味&仕事机用の使い勝手のいい椅子であったり、ネスプレッソであったり、ipodなんかが欲しいなと思う(他にもいくつかある)。
 それらの大半は別に購入しなくても暮らすことが出来る物だし、絶対に必要だという物でもない。椅子は別のものを使っているし、コーヒーを飲む方法もいろいろあるし、ウォークマンだって持っている。だから、別に買う必要なんかまったくない。
 それでも、雑誌を見たりインターネットを見てはいいなあと思ってしまうのだ。

 それらの品々は、いわば日々の潤いを増すためのプラスアルファといった位置づけの物だ。
 そしてそういった物が、日々の生活に張りを与えてくれたり自己満足を満たしてくれたりするのだ。そういったものは程度の差こそ人によって違えど、結構必要な気がする。

 でもまあ、そういうのって、物欲に弱い自分が、結局購入を決めてしまうときの謎の理由付けだったりもするのだけれど。でもそういう理由付けというか大義名分がないとなかなか購入に踏み切れない物もあるし(たとえば、頑張った自分にご褒美とかそういうのは定番だろう)。

 いずれにしても、欲しい物があるというのは極端であったり常軌を逸しているのでなければ健全だし、よいことなのだと思う。
 物欲が強いのでこれからも欲しいなと思い、実際に購入する物はあるだろうけど、収支のバランスを考えながら賢い買い物をしたいなあとは思う。


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 お知らせ

 台風が遠ざかり、一気に秋めいてきたのに驚いてしまいます。


2003年09月22日(月) 焼き肉(キャンペーン期間)

 21日の夜に、後輩4人と一緒に焼き肉を食べに行ってきた。
 行ってきたのは牛角で、到着したのは22時半。閉店が24時だったのだけれど、1時間30分の間ものすごい勢いで食べまくった。
 ちょうど牛角の日だかなんだかでお得な5日間ということで、たとえば490円のビールが1人1杯まで98円だったり、同じく490円の牛タンが290円だったりと、かなり得な日になっていた。もちろん、そんなことは知らなかったのでラッキーだとみんなで言い合う。
 しかも、閉店間際だったせいか、それとも全員に同じことを言っているのか、お一人様1枚限りのはずのビールが2杯目まで98円にしてもらえたりもして、単純なのでみんな機嫌がよくなる。ものすごく食べたのに、キャンペーンのおかげで1人4000円くらいで、かなり得をしたと喜ぶ。

 5人のうち関西出身者が3名で、北海道出身者が僕を含めて2名だったのだけれど、関西出身者でも関東にきて同じくらいの年数が経っているはずなのに、話し言葉の標準語に近い度合いがそれぞれ結構違っていて面白いと思う。1人はまだかなり関西弁なのだけれど、2人はほぼ標準語で、普通に話していたら関西出身だということはわからないくらいだ。もちろん、その2人も地元に帰れば関西弁とのことだったけれど、やっぱり言葉には伝染するところというか、うつってしまいやすい部分があるのかもしれない。

 たとえば、自分だっていまは言わないと北海道出身者だとは思われてないし。いわゆる北海道弁(すごいを意味する「なまら」とか、語尾につける「〜べや」とか、物を捨てるときに言う「なげて」とか)もまず言わなくなってしまっている。それだけ言葉には周囲に適合していく部分が強いのだろうし、だからこそ言葉の意味も時代とともに変化していくのだろう(新しい言葉を使用する人が増えれば増えるほどそれが伝染するように広がっていく)。
 語彙や語尾だけではなく、イントネーションも変わってしまっているのだと思う。自分ではそれと気が付かないうちに。


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 お知らせ

 Stingの新譜に収録されている「INSIDE」はいかにもStingの声の魅力が際だっていて、思わず嬉しくなってしまうのです。
(訳詩を読むと歌詞はシリアスなものですが)


2003年09月19日(金) 相談

 今日は30人ちょっと参加の職場の飲み会だった。
 これに合わせてお腹を空かせて行ったのだけれど、料理があんまりと言うかことごとく微妙な感じで、お腹いっぱい食べることができなかった。
 ということで、食べ物があれなら飲み物ということで、普段よりもちょっとだけお酒を飲んでしまう。頭痛い。

 僕の働いている店はアルバイトさんやパートさんを含めるとトータルで100人弱くらいいるので、アルバイトの中には結構大学生が多い。
 その中でもちょうど3年生のメンバーが多く、最近は休憩時間などに就職活動絡みのネタを相談されることが多くなってきた。
 以前採用の部署でチーフをやっていて、採用計画やら面接やらを行っていたので、いろいろと訊けるかもと思っているのだ。
 就職活動は年々早期化していて、大学3年生のこの時期ともなると周囲もざわざわとしてきて、なんとなく浮き足立ってくる。けれども、具体的に今の時期に何をするべきなのかということについては実感もあまりなく、ただ気ばかりが焦ったりしている部分があるようなのだ。そうなのだろうなと思う。
 もちろん、自分にアドバイスできることがあればいくらでもするし、なんでも聞けばいいと話している。これから就職活動が本番になり、面接なんかがはじまってくるとなおさら焦ってきていろいろと聞いてくるのかもしれないけれど。現在では、いくらインターネットで様々な情報が開示されていると言っても、不安は尽きないというのが本当のところだろうから、その不安を少しでもなくすことができるためのやるべきことだとかを、伝えられればいいかなと思っている。なんだかんだで僕の勤めている会社は200人とか300人とかを採用しているので、少しは参考になる部分があるかもしれないし。
 まあ、結局は本人の意志と頑張り次第なのだけれど。


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 お知らせ

 今日は休日でプリンター用紙を買うために久しぶりに電気屋に行ったら、様々なパソコンが売り場に並んでいて思わずいろいろと眺めてしまいました。
 本当に、機能はどんどん進化しているのですねえ。
 物欲が……押さえないと押さえないと。


2003年09月18日(木) 『ILLUMINATE』

 今日は休日で、午前4時少し前に近くにある24時間営業のファミリーレストランに行って、持ち帰り仕事をやっていた(深夜のファミリーレストランには3組しか客がいなくて、随分と静かだった)。
 6時過ぎに会社に行って、それから11時くらいまで職場で続きをする。
 終了したのはお昼過ぎで、それから眠たい頭でぼんやりしながら部屋に帰ってきた。
 途中、CDショップによって、UAのベストアルバム『ILLMINATE』を購入する。
 2枚組で、初回盤のみ幻のレア・トラック集8cmシングルが付いているもの。
 部屋に帰ってきてから、あまりの眠たさに倒れるように眠り(昨夜から1時間くらいしか眠っていなかったのだ)、起きたのが19時少し過ぎ。6時間くらいは眠ったことになる。生活リズムは乱れてしまってはいるのだけれど、早速CDをハードディスクに録音して、それを聴いているとそんなことはどうでもいいことなのかもしれないと思えてきたりもする。
 UAの声は独特のハスキーで伸びやかなもので、様々な光景が歌っている背後でフラッシュバックしていくようなイメージがある。たとえば世界の自然であるとか、都市の映像のようなものが彼女の背後にある大きなスクリーンに次々と映し出されていくような感じだ。それは彼女の声がいくつもの透明な粒子の糸のようなものを結び合わせたように感じられるからかもしれないし、骨太な存在感のようなもののせいなのかもしれない。
 それにしても、はじめてUAを聴いたときには僕はまだ学生で、デビューミニアルバム『HORIZON』を当時の恋人の部屋ではじめて聴かせてもらった。確か、藤原ヒロシがプロデュースしていて、藤原ヒロシが好きな人だったからそれで購入したということだったと思う。そのときには歌がうまいなあと思っていたくらいだったのだけれど、その後1stアルバム『11』を聴いたときに「雲がちぎれる時」という曲がよくて、それで好きになってしまった。
 その後も、アルバムが出るたびに大体は買ってきて(全部は購入してはいないのだけれど)、「ミルクティー」、「リズム」、「青空」など好きな曲もたくさんある。
 また、かつて神奈川県から千葉県に転勤になるときに部屋探しに行くために車を運転していったときがあったのだけれど、そのときに当時よく一緒に遊んでいたアルバイトの男と一緒にドライブがてら出掛けていって、途中の東名の渋谷前で大渋滞に巻き込まれてしまった。そのときにもUAの『AMETORA』というアルバムがかかっていたことなんかをどうしてかいまでも覚えている。物心付いてからあんなに渋滞に巻き込まれたことはなかったから、それで覚えているのかもしれない。

 こうやってベストアルバムを聴いていると、懐かしさと改めての新鮮さが感じられ、何度も聴くことができそうだと思う。
 初期のソウルっぽさが徐々にジャズやブルースっぽくなっていくところも、ベースは変わらないながらも変遷を聴くことができて興味深いし。
 1人のアーティストをだいたい時系列で聴いていくというのは、成長や円熟や変化と変化しないものをいろいろと目の当たりにさせられておもしろいと思う。

 ちなみに、収録曲は次の通り。

<Disc1>

 HORIZON
 太陽手に月は心の両手に
 情熱
 リズム
 雲がちぎれる時
 甘い運命
 悲しみジョニー
 ミルクティー
 数え足りない夜の足音
 スカートの砂
 プライベートサーファー
 閃光

<Disc2>

 ストロベリータイム
 ランドリーより愛を込めて
 あめふりヒヤデス
 TORO
 ロマンス
 電話をするよ
 アントニオの唄
 サマーメランコリック
 赤いあなた
 水色(new mix)
 大きな木に甘えて
 温度
 ドア
 世界
 青空

<レア・トラック集8cmシングル>

 情熱(macaron mix)
 リズム(sakuragaoka flava mix)
 ミルクティー(ナカマ mix)


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 お知らせ

 UAという言葉にはスワヒリ語で”花”という意味と、”殺す”という意味があるというのにそうなんだと思ったものです。


2003年09月17日(水) 『Moonlight Episode』

 今年の春に小説の賞に送ってみた作品はあえなく落選。片方は第一次選考までは通過したのだけれど、まだまだ全然というところ。でも送ってみてよかったとは思う。大体の目安になるし。

 そして、以前にもほんの少しだけ触れたのだけれど、地下水脈が流れるがごとく新しい長編を淡々と書いていて、それが少しずつ形になってきている。現在のところのコードネーム(と書くとなんだか次期OSのようだけれど)は『Moonlight Episode』で、記憶喪失になり夫のことを忘れてしまった妻と、夫の物語だ。夫のことを忘れてしまった妻は実家に身を寄せ、それでも突然妻を失ってしまった夫の気持ちは頭では理解できるから、一年間は会い続ける約束をする。そして、一年間経っても記憶が戻らずに夫を他人としか思えなかったら、離婚をすると話し合う。その二人の一年間の物語だ。それぞれの現在の時間(それぞれの生活、いくつかの出会いや別れ、そしていくつかの事件や出来事)に、一緒に暮らしていた過去の様々なエピソードを挟みながら、物語は進んでいく。ある種のやさしいユーモアと、切なさとの両方のトーンができるだけ入るようにして。
 それなりの分量のある物語で、来年の春までに完成したら、もう一度賞に送ってみようと思っている。
 たとえば、すごく好きな人がいて、あるいは愛している人がいて(恋人でも、妻や夫でも)、その人が記憶喪失になって自分のことを忘れてしまったら、いったいどんな気持ちになるだろうと考えてみる。もう一度同じように愛し合うようになるとは、よっぽど楽観的じゃないと思えないだろう。そんなに都合のよいことが現実に起こるとは考えづらい。
 たくさんのエピソードを重ねた二人が、もう一度白紙の状態に戻ってしまうということ。けれどもどういう結果になろうとも、そこから生まれるものはきっとあるはずと思って少しずつ書いている。


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 お知らせ

 今日はものすごく久しぶりにPhil Colinsの『Both Sides』を聴いています。
「Can't turn back the years」や「Everyday」はいい曲。


2003年09月14日(日) I say a little prayer+『トゥーム・レイダー2』

『トゥーム・レイダー2』を観た。仕事が早く終わったので、後輩と3人で近くのシネマコンプレックスの先行ロードショーに行ってきたのだ。
『トゥーム・レイダー』シリーズは、言わずとしれたアンジェリーナ・ジョリーの魅力爆発の冒険アクション。大きなスクリーンで観るにはぴったりな作品で、前作が結構好きだったので観に行ってきたのだ。
 今回も世界を股にかけたアクションの連続だったのだけれど、個人的には前作の方がよかった。
 もちろん、きっと『3』も製作されるのだろうなと思いながら。
 また、いよいよあと数ヶ月に迫っている『マトリックス レボリューション』の予告もやっていて、3部作もついに完結するのかとまたもやちょっと楽しみな気持ちが増えていく。

 それにしても、前に『リローデッド』を観に行ったのもそんなに昔のことのように思えないのに、もうすでに9月も半ばなのだ。時間の流れるのは早いなと思う。そして、時間といえば時間をどう過ごしていくのかについては人それぞれに考えるところがあるとは思うのだけれど、最近ちょっと考えさせられた文章があった。
 
『日経ビジネス』の9.15号にファーストリテイリングの柳井会長の最近の発言を1ページにまとめた記事が載っているのだけれど、その中にある文章だ。


「私は計画や目標というものが経営には絶対に必要だと思っている。ほとんどの日本企業はそこが抜け落ちている。形式的には計画を立てるが、『環境変化によって、売り上げが自然減になりました』などと他人事のように言う。だから、成長できない。目標を従業員に示したうえで、全員の意識をその達成に向かわせる。それが経営者の役割だ。」


 この文章を読んで納得させられるとともに日本の企業にそこが抜け落ちているのなら、日本企業を構成する日本人にも同様のことが言えるのかもしれないと思ったのだ。自らのことを省みても目標や計画についてどれだけ具体的に考え、そこから逆算した行動レベルにまで落とし込むことができているだろうと考えてしまった。もうちょっとわかりやすく言うと、たとえば、いまの文章の「経営」の部分に「個人の人生」を当てはめてみると、たとえばこんなふうになると思う。


「私は計画や目標というものが人生には絶対に必要だと思っている。ほとんどの日本人はそこが抜け落ちている。形式的には計画を立てるが、『周囲の環境によって、いつの間にこうなっていました』などと他人事のように言う。だから、成長できない。目標を自分の中に強く持ったうえで、意識をその達成に向かわせる。それが自分の成長のためにしなければならないことだ』


 もちろん、時間は誰にとっても等しく流れるし、人生は誰だって一度きりだ。それでも、その中で自分が何をしたいのかということは普段なかなか根をつめては考えないし、つい楽な方へとゆるやかに(あるいは無意識に)軌道修正をしがちなものであるのかもしれない。自分も含めて多くの人はえてしてそういうものだ。そしてそれなら成長することはなかなかに難しいことになってしまうのかもしれない。
 けれども、同じ時間を目標を持って、計画を立てて進んでいく人もいるのだ。そこにある違いはささやかなものかもしれなくても決定的なものだ。行動をしていることとしていないこととの間には僅かかもしれなくても、深い谷が横たわっている。ただ、だからといっていま進むことが出来ないでいる人もきっかけ次第で、意識次第でいつだって歩きはじめることができるものでもあると思う。やり直しがきく(道によってはやり直しがきかない地点はもちろんたくさんあるけれど)というのはこの長い(あるいは短い)やっかいな道の便利なところかもしれない。
 よく人生は道を進むことにたとえられているけれど、この道は歩いていたら出てくるたくさんの脇道や枝道のどれを選ぶのも、歩くのも立ち止まるのも、あるいは走るのも、乗り物に乗ることもきっと自由だ。もちろん、選んだ道や道具に対してそれぞれ努力なりが必要になってくるのだろうけど。そして、それだけ自由度が高いその道なのだけれど、だからこそどこを目指しているのかということを知っているというのはきっととても大切なことだ。たとえスポーツカーで走り回っても行き先を知らなければ決してどこにも行き着かないし、いつかガソリンだって切れてしまう。けれども目的地がわかっているのであれば、たとえ歩いているのであってもいつかはたどり着くことができる可能性が高くなる。もちろんたどり着くことができる保証はどこにもないけれど、少なくとも可能性は高くなる。

 そしてそれが感じられるようになると、歩き続けることも楽しくなってくるのかもしれない。

 先日の旅行はただの観光旅行だったのだけれど、それでも普段いる場所から遠く離れて、いろいろなことを考えたりしていた。人生は一度きりで、見ることができるものも知り合うことが出来る人も、何かを形にすることも、限られたものでしかないのだということをはじめて訪れた街で古い建物に囲まれた道路を歩きながら、いまさらながら実感させられた。もちろん、すべてを見たいとは思わないし、多くの人と知り合いたいわけでもないし、何もかもを形にしたいわけでもない。それも思った。けれど、確実に言えることは、いくつかのものは見てみたいし、少ない数かも知れなくても知り合っていたい人はいるし、何かは形にしたいなとも思う。そういった漠然としたところから目標(というよりも小さな願いのようなものかもしれない)を再認識することが出来て、じゃあそこから具体的にはどのような行動をする必要があるのだろうと考え、実際に少しずつ行動に移している。もちろん、焦ったり気合いを入れ過ぎると長く続かないので、少しずつ少しずつ。

 人生は一度きりで、いまでも他愛のないことでいつだって幸福にはなれてしまう。けれども、そこにちょっと目標を加えて混ぜ合わせて、もうちょっと幸福になるために頑張ってみるのもいいかもしれないと思った。
 いつもそんなことを考えているわけじゃないけれど、そんなふうに思ったのだ。


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 お知らせ

 世間的には3連休ですが、もちろん明日も仕事です。


2003年09月12日(金) 【Travel】

 Top画面に記載の通り、新しいページ【Travel】にIndexになる写真アップ。
 文章は少しずつアップ予定(現在写真2枚分の文章までアップ。Indexの写真をクリックすると、その写真についての文章が立ち上がるようになっている)。


〈【Travel】への行き方〉

 【Text】→【Travel】→【エッフェル塔の写真をクリック】


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 お知らせ

 最近、Maxwellの「This Woman Is Work」を繰り返し聴いています。
 Maxwellはあんまり好きじゃないのですが、この曲にはやられっぱなしです。


2003年09月10日(水) 変遷

 仕事帰りに、後輩たち3人と一緒にラーメンを食べに行く。
 そのときに、異動によって今度また同じ部署で働くことになる後輩から電話がかかってきた。
 転勤が比較的多い会社なので結構ありがちなことではあるのだけれど、以前に違う部署で一緒に働いていた人と再び働くことになるというのはちょっとだけ不思議で興味深いことのような気がする。お互いに、前と比べてどれくらい変わっているかだとか、あるいは変わっていないだとか、そういったことが新鮮に感じられるように思えるのだ。

 部署の構成メンバーが変わっていくことにはもちろん面倒なことも少なくないのだけれど(それまでの流れやスタイルが一時的に変化してしまったり、築いてきたオペレーションの流れが崩されてしまう)、ただそれは結局はいつもいいことだと思う。何らかの変化がないと、同じメンバーでずっといるとはたと気がつくと一回りずつ縮小してしまっているというような面もないとは言えないからだ(慣れの弊害)。それを構成メンバーが変化することによって起こる試行錯誤や新しいパターンの構築等を通じてブラッシュアップをかけることができたり、あるいはオペレーションが一瞬うまく回らなくなることで逆にメンバーが成長することができたりと、一時的にぎくしゃくする部分があっても結局は新しい形でまとまっていくことが少なくないわけだし(もちろん逆もあるので注意が必要ではあるのだけれど)。

 もちろん、同じメンバーでそれぞれが成長を続けていくことによってより強固な組織になっていくということも充分魅力的なことではあるのだけれど、現実に自分のいる環境ではメンバーが替わっていくというのが現実で、だとしたらその環境の中でより適した、新しい仕組みなりやり方なりを考えていくしかない。メンバーの組み合わせの妙というのはよくもわるくも必ずあるから、新しくやってくるその後輩が着任した後、どんなふうに変わっていくのか(変えていくことができるのか)が楽しみだったりはする。


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 お知らせ

 ラーメンとカレーライスがすごく食べたかったのです。


2003年09月09日(火) チョコとパン

 朝7時過ぎに部屋を出て、22時過ぎに部屋に戻ってくる。23時くらいにいつの間にか眠ってしまって、ついさっき目が覚めた。ちなみにいまは10日の午前4時30分。あまりにも中途半端な時間でちょっとだけぼんやりとしながらも、もうちょっと眠ろうと思う。
 おみやげに買っていったチョコレートはすぐになくなってしまった。買うときに自分でもひとつ味見させてもらったのだけれど、かなりおいしくてびっくりした。ガイドブックにかなりよさそうなことが書いていたチョコレートショップ(「La Maison du Chocolat」という店)で買ったのだけれど、甘くて美味しいものに対する懐の深さのようなものはやっぱり本場というやつなのだろうなと思う。考えてみれば普通に入ったレストランでのデザートも外れがなかったから、そういうのって層の厚さのようなものを感じさせられてしまう。

 また、結構たくさんの場所で見かけたパンのチェーン店「Paul」でも一度パンやタルトを買って食べたのだけれど、昔大阪に出張に行ったときに散歩中に見つけて入った店だった(Days Select2002年3月17日「大阪の休日」参照)。あのときは日本ではまだ大阪にしか店がなかったようなのだけれど、いまでは東京八重洲、東京駅名店街、六本木、四谷にも店舗があるみたいで、これからも少しずつ増えていくのだろうなと思う。横浜にもできればいいのに。


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 お知らせ

 いろいろなところでパンが美味しかったのです。やっぱり。
 ちなみに、「Paul」のホームページ(仏語or英語)はこちら。

 http://www.paul.fr/


2003年09月08日(月) 夏休み最後の日

 旅行から、帰ってきた。
 午前7時過ぎに成田到着のAF便。飛行機の中ではあんまり眠ることができなくて(現地出発は13時だったのだ)、徹夜明けのようなぼんやりとした頭で電車に乗り、11時過ぎに横浜に帰ってきた。それから19時まで眠り、まだちょっとぼんやりとしている。明日からさっそく仕事なので気持ちと頭を切り換えなければならないのだけれども、ちょっとだけぼんやりと旅の余韻に浸ってみたりもして。

 リフレッシュという言葉からは遠い、予定を詰め込み過ぎの、歩き続けの数日間だった。のんびりとバカンスというのにももちろん憧れがないわけではなかったのだけれど、見てみたい場所やものがどうしても多かったのだ。だから、いきおい朝早くから行動をはじめていたし、ホテルの部屋に帰ってくるのもだいたいが23時くらいになってしまった。途中、足にはまめができてしまったし、メトロに乗ったり夜道を歩いているときなんかには必要以上に気を張っていたりもしたので気疲れもしてしまったのだけれど、それでもいろいろなものを見ることができて興味深かったし楽しかった。ずっと前から一度は見てみたいなと思っていたものを実際に見ることができて、刻みつけるのにいっぱいいっぱいという感じで。

 簡単にまとめると、こういう日程だった。

 9月1日(月)

 出発。成田発21時過ぎのAF夜行便。

 9月2日(火)

 午前4時過ぎにシャルル・ド・ゴール空港着。
 タクシーでホテルまで。荷物を預かってもらい、歩き始める(午前5時台で街は真っ暗だったのだけれど……)。

 マドレーヌ教会、コンコルド広場、凱旋門、シャイヨー宮、エッフェル塔、アンヴァリッド、ロダン美術館、オルセー美術館、オペラ・ガルニエ、凱旋門(夜景)

 9月3日(水)

 レ・ドゥ・ムーラン(『アメリ』の舞台になったカフェ)、モンマルトル墓地(トリュフォーのお墓に)、オ・マルフェ・ド・ラ・ビュット(『アメリ』に出てきた「コリニョンの八百屋」)、サクレ・クール聖堂(モンマルトルの丘)、ルーヴル美術館、ポン・ヌフ、ノートルダム大聖堂、サント・シャペル、コンシェルジュリー、サンジェルマンデプレ教会、ムーラン・ルージュ

 9月4日(木)

 ノートルダム大聖堂(朝1に出掛けて前日は混んでいてのぼれなかった塔へ)、ポンピドゥー・センター(ポンピドゥー芸術文化センターと、ジャック・アンリ・ラルティーグの回顧展へ)、ピカソ美術館、バスティーユ広場、アビタ、モンパルナス・タワー(夜景)

 9月5日(金)

 パリ・リヨン駅発のTGVでアルルへ。ローマの闘技場、古代劇場、サントロフィーム教会、フォーロム広場、コンスタンタン共同浴場、古代アルル博物館、アリスカン(ローマ墓地)

 9月6日(土)

 アルルから再びパリへ。シャンゼリゼ大通り周辺。スタッド・ドゥ・フランス(サッカーの試合! Euro2004予選フランスVSキプロス)。

 9月7日(日)

 シャルル・ド・ゴール空港から成田へ。

 9月8日(月)

 成田到着。


 最初の3日間がパリ観光で、大体ガイドブックに載っているような名所は結構回ったと思う。ただ、最初の計画ではこんなにたくさんの場所を訪れる予定はなかったのだ。実際のところ、歩いてみると中心部は思いの他狭い街で、たとえばエッフェル塔からオルセー美術館まで歩こうと思ったときに、途中にアンヴァリッド(ナポレオンの墓所)とロダン美術館があったから寄ってみたというのが正直なところだったりする。完全にフリーな1人旅だったので、計画はいくらでも変更することができたのだ。

 ルーヴルとオルセーとポンピドゥーを1日にひとつずつと決めていたりはした。順番としてはルーヴル→オルセー→ポンピドゥーにしたかったのだけれど(年代順)、休館日の関係でオルセー→ルーヴル→ポンピドゥーになる。

 また、ポンピドゥー・センターではちょうどジャック・アンリ・ラルティーグ(世界で最も有名なアマチュア写真家)の回顧展をやっていて、それを見ることができたのはかなりラッキーだった。あんまりにも印象的で、思わず写真集を購入してしまったくらい。

 初日の朝に凱旋門の上からパリを見て、同じ日の夜にもう一度凱旋門に上り夜景を見てみた。
 2日目の夜には、パリに行ったことのある人から絶対に行った方がいいと言われていた「ムーラン・ルージュ」のショー(フレンチ・カンカンなどで有名なやつ)を観に行く。
 3日目の夜にはパリで一番高いビルモンパルナス・タワーの屋上にのぼり、そこから夜景を見る(それまでに回った場所を順番に探してみたりもした)。

 4日目から5日目にかけては、南仏にある人口5万人ほどの小さな町アルルへ。この街は世界遺産にも登録されているローマの遺跡と、ゴッホが住んでいたことで有名。『ローマ人の物語』のシリーズがとても好きで、けれども今回の旅はフランスに行こうと決めていたので、だったらフランスで最もローマ時代の遺跡が状態よく残っているところに行こうと思って、アルルに行くことにしたのだ。TGVのチケットは現地調達だったのだけれど、全然空いていた。

 アルルではローマの闘技場や地下回廊などを見て、ローマのすごさを実際に目の当たりにする。本に書いてあることが実際にはどうったのだろうと確かめたかったので、かなり満足。
 また、アルルは南仏の田舎町だけあって、とてもこぢんまりとしたよいところだった。

 5日目はアルルからパリへ戻り、今回の旅のメインイベントのひとつサッカー観戦! に行く。
 かつてフランスワールドカップの決勝戦が行われたサン・ドニにあるスタッド・ドゥ・フランスで行われたフランス代表対キプロス代表。これは、EURO2004というヨーロッパのワールドカップのようなものの予選で、国際Aマッチ。楽しみにしていたジダンは怪我で欠場だったのだけれど、アンリやデサイーやマケレレ、トレゼゲなどワールドクラスの選手をこの目で見ることができてかなり楽しかった。試合は5-0でフランスの圧勝、格の違いを見せつけていた。
 また、この日は試合が終了した後に、徐々に照明がすべて消えていき、スタジアム(天井が吹き抜けになっている)上で花火大会がはじまり思いがけないものを見ることができた。なんでも、スポンサーの50周年か何かの記念だったようなのだけれど、予想していなかった花火大会はいつだって嬉しい。

 そして6日目は帰国のみだったのだけれど、歩き続けてかなり疲れはしたのだけれど、それでもとても楽しい旅だった。いろいろなものを見て、いろいろなことを思ったり考えたりしたのだけれど、今度時間があれば少しずつホームページにアップしようかなと思う。写真もたくさん撮ったし。


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 お知らせ

 とりあえずTop写真だけ更新です。


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