Sun Set Days
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2003年02月28日(金) ヨーグルトパウダー

 札幌からの帰り、新千歳空港で職場に持って行くおみやげを買った(六花亭の「マルセイバターサンド」)。
 それとは別に、自分へのおみやげも買った。自分で食べる用。
 自分用にはだいたいいつもすっかり定番の北海道土産であるROYCE'の生チョコレートを買うのだけれど、今回買ったのは期間限定の「ヨーグルト」味。
 これがまたかなりヒットだった。おいしい。
 パッケージにはこう書かれている。


 ヨーグルトパウダーを練り込んだホワイトチョコレートを使い、さわやかな風味に仕上げました。わずかに感じられる優しい酸味が、全体の印象をすっきりとさせています。


 まさにそんな感じ。もちろん、普通のチョコレートもおいしいのだけれど、たまにはこういう変化球もいいよなと思う。
 新鮮な感じがして。


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 連休明けは気がつくと13時間くらい働いていた。
 歩いて10分くらいのところに住んでいる後輩がいて、帰り道はその後輩といろいろ話しながら帰る。
 後輩と別れ、コンビニに寄ってから部屋に帰ってくる。それからなんだかんだとしているうちにもうこんな時間(1日の1時40分)。
 それにしても、もう3月なのだと思うと早くて驚いてしまう。今年がはじまってもう2ヶ月、6分の1が過ぎているのだ。
 残りの10ヶ月がいったいどのようになるのだろうと思いながら、頑張ろうとあまり深く考えずに条件反射のように思う。
 週末も(もちろん仕事)頑張ろう。
 

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 お知らせ

 R.Kellyはやっぱりセクシーかつスイートでいい感じなのです。


2003年02月27日(木) 『なぜこの店で買ってしまうのか』+『クリスティーナの好きなコト』+『アジアンタムブルー』+『一太郎13』

 連休最終日。昨日は3時過ぎまで夜更かしをしていたにも関わらず8時には起きて、日比谷で10時半からスタートの映画を観るために活動を開始する。電車の中で、この連休の間少しずつ読んでいた『なぜこの店で買ってしまうのか』を読了。副題の「ショッピングの科学」が意味する通り、買い物体験をフィールドワーク的な調査によってあぶり出し、様々な改善案を生み出していくという珍しいことを行っている企業のトップが書いたもので、内容が新鮮でおもしろい。これに関しては後日また改めて。

 日比谷スカラ座2で、10時半から『クリスティーナの好きなコト』を観る。日比谷に到着した時間が少し早かったので、近くのスターバックスでスターバックラテのショートを飲んでから。

 映画は、うーん……キャメロン・ディアスは魅力的だったけれど……うーん。
 遊びの恋ばかりしていたクリスティーナが本当の恋に出逢って……というようなストーリーなのだけれど、なんだかなぁ。
『メリーに首ったけ』が面白かったので、キャメロン・ディアス主演のコメディーということで観てみたのだけれど、正直な話映画館で観なくてもいいという感じだった。『戦場のピアニスト』にすればよかった。

 近くにあったシャンテシネで、8日からスタートの『ヘヴン』の前売り券を買う。ポストカード付き。(自分の中で)期待が高まる。

 せっかく有楽町に来ているのだからとそこから伊東屋まで足を伸ばす。けれども結局何も買わず。
 それから有楽町ソフマップで店頭に展示されている「QCar」(チョロQの実車版)を見てから店内へ。久しぶりに入ったのだけれど、なんだか店内が雑然としているようなイメージを抱く。
 そこではワープロソフトの『一太郎13』を購入する。
 いま『Word』で小説を書いていたのだけれど、どうしても変換やら何やらが勢いを削ぐというかしっくりこなかったので、一太郎+ATOKに鞍替えすることにしたのだ。

 それがかなり大成功。もちろん、まだ一日しか使っていないのだけれど、一太郎というか、ATOKの変換はかなり小気味よく、文章を書くときにかなり重宝しそうな感じだ。今日一日で結構進んだし。

 それから札幌に帰省したときになんとラーメンを食べ忘れるという致命的(?)なミスをしていてラーメンがどうしても食べたかったので、たまたま見つけた喜多方ラーメンの店に入る。おいしかった。

 HMVではR.Kellyの新譜と柴田淳の新譜を購入する。椎名林檎のと併せて、しばらくこれらをローテーションで聴き続けることになるのだろうなと思う(あとはCharaのマキシと)。

 帰りの電車と部屋に帰ってからで、『アジアンタムブルー』読了。大崎善生著。角川書店。
 昨年の正月に読んだ『パイロットフィッシュ』の著者の小説で、帯にはこう書かれている。


 愛する人が死を前にした時、いったい何ができるのだろう。
 喪失の悲しみと”優しさ”の限りない力を描き出した、本年最高の恋愛小説。

 選考委員激賞の吉川英治文学新人賞「パイロットフィッシュ」に続く、鮮烈の受賞第一作。


 ということで、『パイロットフィッシュ』と同系統の喪失と再生の物語なのかなと読み進めていったのだけれど、もちろんそうだったのだけれど、最後はぼろぼろ泣いてしまった。小説を読んでこんなに泣いてしまったのは久しぶりだった(というか前に泣いた本をいますぐに思い出すことができない)。
 それも、じーんとして目に涙がたまるとかではなく、もうぼろぼろ泣いてしまった。もちろん、大の男がそういうことを書くのも何なのだけれど、それに自分だって誰かが映画や本を読んで泣いているのを見たら、理解できるにしてもちょっと引いてしまうものだけれど、とにかく胸を打たれた。後半半分を読んだのが自分の部屋でよかった(電車内だったら大変なことに)。


 恋人をなくした編集者の男性が、その悲しみを抱えたまま再び歩き出すまでを、回想シーンを繰り返し挿入しながら描いているのだけれど、中学生時代、高校時代の記憶なども断片的に挿入され、様々な伏線のようなものが繋がっていく。以前『パイロットフィッシュ』のときにも書いたと思うのだけれど、『ノルウェイの森』に物語のトーンが似ているような感じで、より写実的なイメージ、といったところ。前作とも近い部分が多く、「あ。」と思わせられるところも結構あって。

 でも本当に最後の方は涙が止まらなかった。自分のことながらびっくり。本を読んで泣くなんてと思う方はぜひ一人になれるところで読んでみては?

 そして、その後は自分で小説を書いていた。6時間くらい?


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 お知らせ

(少し遅い)冬休みの連休が終了し、明日からまた仕事を頑張るのです。


2003年02月26日(水) 帰省+『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』

 今日の夜の飛行機で、札幌から帰ってきた。
 妹の結婚式に出るために帰省していたのだ。
 数日間が慌しくあっという間に過ぎてしまったのだけれど、いざ帰ってきてみると、北海道はやはり寒く、横浜はそれほどでもないのだなということをあらためて実感する。
 道路脇に積み上げられた雪の固まりも、吹雪とは言わないまでも何度も降る雪も、凍結しているアスファルトも、随分と懐かしいものであるような気がした。
 そういう冬の景色を見た後、北海道から帰ってくると不思議な気持ちになる。
 雪がないことが関東では当たり前になっていて、そういう場所で暮らしていることがなんだか不釣合いなことのように思えてしまうのだ。
 子供の頃からの感覚は侮れない。もう雪のない場所で迎える冬も何シーズンにもなるのに、ちょっと戻るとすぐにああいう冬こそが自分にとっての冬なのだと思えてしまうのだから。

 いずれにしても、妹の結婚式で久しぶりに多くの親戚と話し、次はお兄ちゃんだねと数え切れないほど言われながらも(うーん)、みな元気でいることを確認することができてよかったと思う。
 なかなか、こういう機会でもなければ親戚と会うこともないし。

 結婚式の後の日も、今回は祖母の家や親戚の家に行ってきた。いろいろなことを話す。大体父親が仕事から帰ってきてから車に乗って出かけるので夕方から夜に親戚の家に行くスケジュールになっていて、今回は昔の友人と遊んだりはできなかった。ということで、日中は最近とみに短くなっていた睡眠をたっぷりととったり(かなりリフレッシュすることができた)、持っていったパソコンで小説を書いたり、映画を観てきた。

 映画は、『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を観てきた。しかも、3月6日に開業するJRタワーで一足先にオープンした「札幌シネマフロンティア」で。
 3月6日に、札幌駅の真上に建つ新しいマチが「ステラプレイス」で、今回帰省していた数日間でも新聞やテレビや広告など、その話題で持ちきりだった。ショッピングモールであるステラプレイスに、大丸札幌店、そして少し遅れてオープンする日航のホテルなどなど、札幌駅前(というか駅上)が大々的に新しくなることになっていて、俄然注目度を高めているのだ。

 これは一昔前の名古屋のツインタワーのことも引き合いに出されつつ、札幌の人の流れが大きく変化するのではないかとさえ言われている。
 かつて、名古屋は駅前と言うよりは栄地区の方が人の流れが多く、三越をはじめ、主要な店舗も栄地区に乱立していた。けれども、JR名古屋駅上に建ったツインタワーのオフィス群とホテルマリオットアソシア、そしてタカシマヤ(や東急ハンズ)の進出が駅周辺へ顧客を取り戻していったという経緯があった。札幌でも事情は似ていて、現状では駅前と大通地区に大きく商業集積地が分かれている。そしてどちらかと言うと栄えているのは大通りの方で、三越や地元の地域一番店である丸井今井(関東にある0101の丸井とは別物)などが力を発揮していた。しかも、駅前はそごうが撤退するなど、最近はあまり明るいニュースがなかったのだ。けれども、そこに今回のJRタワーの開業である。駅前が大通りを脅かすのではないかと言われているのだ。しかも関西の百貨店の雄大丸が進出してくることでもあるし。
 もともと、札幌の人は新しい物好きとのことだし(地元のテレビでやっていた。そうなの?)、しかも商業施設の一番のポイントである立地が最高。駅の真上なのだから、そこに魅力的なテナントが並ぶのであればやっぱり誰もが一度は訪れるのだろうし、そこで気に入った店ができているのであれば、リピーターになっていくのかもしれない。

 その、ステラプレイスの7階にオープンする12スクリーン2705席という巨大なシネマコンプレックスが「札幌シネマフロンティア」だ。もらったパンフレットには「東宝・松竹・東映、初のコラボレーション」と書かれている。それぞれの企業が協力してシネマコンプレックスを運営ということなのだろうけれど、これはかなりの動員が見込まれるのだろうなと思う。札幌にいた頃にも映画は観に行っていたけれど、それでも狸小路周辺(札幌駅から見ると大通りよりもさらに先)などが多く、遠いなとは思っていたし。札幌駅の上なら、それこそ仕事帰りにレイトショーを観て行く人や学校帰りにちょっと映画でもという人が増えるだろうし。

「札幌シネマフロンティア」は、日本ではじめての「THX&DLP」のシアターがあるなど、新しいだけあって最新の設備を有しているのだけれど、僕が『ロード・オブ・ザ・リング』を観たシアターにも「THX」(ジョージ・ルーカスの示した基準をクリアした、最高水準のシアター音響を楽しむことができるシアター)がついていて、541席もあって、左右から体感できる音はすごい迫力だった。『ロード・オブ・ザ・リング』はできるだけ大きなスクリーンでと思っていたので、そういう意味でいうのならちょうどタイミングがよかった。

 月曜日の最初の回を観に行ってきたのだけれど、ウィークデイモーニングショーというのをやっていて、平日午前中1回目は1200円だったというのも得した感じだった。
 また、売店(コンセッション)には、定番のポップコーンの他にソフトクリームやザンギ(!!)などがあって、面白いなと思ってみたり(ちなみに、ザンギというのは鶏の唐揚げのこと。これが北海道独自の呼び方だと知ったときには本当に驚いた)。


 肝心の映画『ロード・オブ・ザ・リング』は、かなり面白かった。これは9時間の超大作の中盤と考えて観るとなおさら面白味が増すと思うのだけれど、今作では前作の最後で図らずも3グループに分かれてしまった旅の仲間の遍歴を、それぞれ追いかけていく。指輪を捨てにいく覚悟を決めたフロドとサムは、ゴラムの案内の元敵地の奥深くへと進み、ウルク=ハイたちに連れ去られたメリーとピピンは、ある不思議な生き物(?)と出会い、メリーとピピンを追いかけていた3人(アラゴルン、レゴラス、ギムリ)は、ローハンでのオークと人間の攻防戦へ巻き込まれていく。その3グループのエピソードが順番に語られていくのだけれど、それぞれのエピソードに見せ場があって、引き込まれてしまう。とりわけ、アラゴルンたちのエピソードは、窮地の度合いが高く、今作のクライマックスを担っている分見応えがあった。
 その美術にしても、作りこまれた世界にしても、第1作目を観ているだけにどういうレベルのものなのかはあらかじめわかるのだけれど、実際この目で見ると、その美しさにはやはり驚いてしまう。ロールプレイングゲームはたくさんあるけれど、それがリアリティを持ったらこうなるのかというわかりやすい実例みたいだ。剣を振り回して闘えばやはりキズはつくし、甲冑は汚れる。ホイミやケアルで簡単に体力快復というわけにはいかなさそうだ。
 これに関しては、ぜひとも映画館で観た方がいいと思う。まだ1作目を見ていない人は、DVDかビデオで見てから。この作品に関しては、ちゃんと順番に見ないとあまりよくはないと思うし。

 それにしても、アラゴルンは格好いい。


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 Top写真を変えたのだけれど、その写真が31枚目のTop写真ということになる。
 Top写真は新しくなるたびにPhotoのページに移すので、現段階ではPhotoのページは30枚の写真が集まっている。
 期間はそれぞれまちまちだけれど、結構な枚数になっている。
 改めてみてみるとつたない写真ばかりなのだけれど、それでも自分でいろいろな場所で撮っている写真なので愛着はある。写真にしても日記にしても記録を遺すということをある程度意識して行うようになったのはホームページを立ち上げてからで、それは後で思い返すのに随分と重宝している。どの写真を見ても、それがどこでどういうときに撮ったものなのかを思い出すことができるし、その前後のある程度の幅を持って、記憶を手繰ることさえもできる。
 これからも写真は撮っていくのだろうなと思う。


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 お知らせ

 北海道は寒かった……


2003年02月20日(木) 眠たそうなコンビニの店員とあんまり眠くない僕

 今日も23時少し過ぎに部屋に帰ってきて、それからご飯を食べたり、パソコンに向かったりする。
 そして、1時過ぎくらいにちょっと買わなければならないものを思い出して、近いところにあるコンビニに行くことにした。
 部屋の外に出ると、かなり冷え込みが厳しく驚く。最近の日々の過し方は季節感を忘れがちなのだけれど、それでも考えてみればいまは真冬の真っ最中なのだ。そりゃあ寒いわけだと思いながらコートのポケットに手を入れて歩く。空が高くて、空気がしんと冴え冴えとしている。

 コンビニにはなぜかアルバイト風の男性がレジに1人だけで、客も雑誌を読んでいるおじさんが1人しかいなかった。深夜であっても2名体制が基本のはずだから、もう1人はバックヤードで荷物の検品なんかをしているのかもしれない。そう思って買う物を棚から取って、ついでに飲み物もカゴの中に入れる。

 そして、レジへ。
 そのときにはっと気がついたのだけれど、店員さんはものすごーく眠たそうだった。もう2晩眠っていません。もう限界ですというような表情。まぶたなんかかなり重そうで、とろーんとしている。
(大丈夫かなーこの人)と思いながら900円くらいの買い物に1万円札を出したのだけれど、そのお釣りの大きい方(9000円)を、その店員はゆっくりと4回も数えていた。そのうち、1枚1枚持ち上げてすかしてちゃんと正しい金額だろうかと確かめでもしそうなくらいにゆっくり、ぼんやり。3回目に数え始めたときには、(その動作はさっきしただろっ!)と片手で突っ込みたくなってしまったくらい。そうしたら4回目があったのでむしろ感心してしまった。

 結局、お釣りは正しくもらったのだけれど、コンビニによく行く僕でも、あそこまで眠たそうにうつろな表情をしている店員を見たのははじめてだった。

 やれやれ。


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 最近は【Fragments】や『Always on my mind』の更新も途絶えているのだけれど、これはひとえに仕事が忙しくなってしまっているから。ただ、それだけではなくて、あんまり時間は取れてはいないのだけれど、密かに応募用の小説の原稿を作成していたりもするのだ。
 正直な話時間があるのかー? 締め切りには間に合うのかー? と思いつつも、なんとか細々と継続してやっていて、しかも自分の中でのバランスを取るために2作品を同時進行で書いて(修正して)いる。
 ちなみに、今日もこんな時間(3:00過ぎ)になっているのも、推敲していて眠気がなくなってしまったから。

 ひとつは『N43゜』(タイトルは仮称)で、これは前からずっと引っ張っているやつ。海辺の小さな町を舞台にした、幼馴染みの高校生の男女の物語。

 そしてもうひとつは、【Fragments】13にある『Spica』の中編バージョン。この話のなかにある断片や光景は結構前から自分の中にあって、きっかけとして短いバージョンを書くことができたので、今度はそれを膨らませて。
 穏やかで淡々とした、そしてちょっとだけせつないという路線のある種のおとぎ話のような感じの物語になりつつあったり。
 ちなみに、語り手である夫の名前は修平です。


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 お知らせ

 2つとも送れればいいのだけれど。


2003年02月19日(水) 雨を逃がしてよ

 インターネットラジオ局のひとつにi-radioというところがあって(http://www.i-radio.fm/)、そこにはCharaの「Happy People」というレギュラー番組がある。インターネットでラジオだなんてブロードバンドならではなどと(たんじゅんに)思いながらたまに聴いているのだけれど、今日は休日だったので久しぶりに聴いてみた。
 なんと、Charaの新曲(の一部)を聴くことができるようになっていた。
 3月5日発売の「みえるわ」という曲。
 あぁー、これはCharaだなーという感じの曲で、ファンには結構嬉しいのではないかなという感じ。
 そしてぼんやりとCharaを聴きはじめてからもう10年経ったんだなと思う。
 昔ほど熱烈にというわけではないのかもしれないけれど、いまでも新曲が出れば聴きたいと思うし、購入するだろうし、繰り返しプレイのボタンを押してしまうような気がする(そして実際にそうしている)。
 久しぶりでも、新曲でも、その声を聴くやいなや、もうある種の周波数がちゃんと自分の中に用意されているような感じだ。
 よく、ユーミンとかサザンオールスターズのファンの人のもうかなりの年月ファンでいるのだという話を聞くけれど、そういう人たちと同じような感覚なのだろうなと思う。
 そして、そういったお気に入りのアーティストの新曲を聴くたびに、本質的なところでは何も変化などしていないのかもしれないと、思ってみたりもするのだろう。
 実際はどうなのかよくわからないままに。


 そして、そのラジオを聴いていたら懐かしくなって、そのままベストアルバムの『Caramel Milk』を引っ張り出して聴いた。確か2年と少し前、仙台に出張に行っているときに、いまはすでに会社を辞めてしまっている同期の車で連れて行ってもらったTSUTAYAで買ったやつ。確かそのときはR-Kellyのアルバムも一緒に買った。
 物にはいちいちそういう些細な記憶が付随しているのだけれど、そういうのって個人的には大切だと思う。いままで過してきた道筋なんて、記憶に残っていない部分の方がほとんどなのだから、記憶に残っている部分は(もしかしたらある程度都合のよい恣意的なものになっているのかもしれないけれど)貴重だし、できればいつまでも思い返すことができればいいと思う。
 人生は一度きりなんだし、だったら忘れてしまうのはもったいないように思う。もちろん、それは前を向かないというのとは違うことだし。


 アルバムを聴き返しながら、これは本当にベストアルバムだなとしみじみと思う。
「大切をきずくもの」も「月と甘い涙」も、「タイムマシーン」も、「ミルク」も、そして「上海ベイべ」もいい曲ばっかり。


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 お知らせ

「みえるわ」のジャケットはシンプルでさわやかな感じでいいのです。
 ちなみに、今日の日記のタイトルは、「月と甘い涙」の歌詞の一部です。
 Charaの歌詞は個性的。


2003年02月16日(日) 『ちびまる子ちゃん』15巻

 最近は仕事が終わって部屋に帰ってくるのが23時前後のことが多いのだけれど、その途中でコンビニに寄るのが日課になっている。別に特に何も買わなかったり、買ってもお茶とかくらいのときも少なくないのだけれど、それでもある種の習慣のようなもので必ず寄ってしまう。
 帰り道で寄ることができるのはローソンかファミリーマートで、選ぶ道によってどちらに行くのかが決まってくる。
 そして、昨日の帰り道ではファミリーマートに寄ったのだけれど、そこに『ちびまる子ちゃん』の15巻が置かれていた。思わず驚いて手に取ってしまった。帯にはこう書いている。


 国民的アイドルまる子の新作がついに登場!!(←国民的アイドルの使い方が間違っているような気がするのは気のせい?)
 6年ぶり大爆笑
 さくらももこ


 僕はさくらももこが好きでエッセイはほとんどすべて読んでいるし、マンガのちびまる子ちゃんだって全部読んでいる。確かに14巻以来ずっと新刊が出ていなかったけれど、ようやく発売したんだ! と思ってそのまま購入。そして、部屋に帰って食事をとってから(すでに0時を回っていたのだけれど)、読みはじめる。

 読んでみると、それは新作であるはずなのに、いままで他の巻に収録されている作品を何度も繰り返し読んだことがあるせいか、あんまり懐かしいという感覚はなかった。むしろいつものあの感じ、とでもいうようなトーンがそこにはあって、そういうのが定番の強さなのかなと思う。まるちゃんがいて、たまちゃんがいて、おじいちゃんがいて、ひきょうものの藤木がいて、永沢君や花輪君がいる……そういういつもの面々が繰り広げるいつもと同じようなトーンの話に、そうだったそうだった……と思う。

 ちなみに、15巻の目次は以下の通り。


 藤木のかした30円 の巻
 山根、手相に凝る の巻
 恐怖の心霊写真 の巻
 ベルマークを集めよう の巻
 ビンのフタが開かない の巻
 暑中見舞いを出そう の巻


 個人的には一番面白かったのが「恐怖の心霊写真 の巻」で、ブー太郎がいい味を出していて笑ってしまう。
 今後も続編が出るとのことだけれど、気長に待っていようと思う。


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 お知らせ

 後半の話は読んだことあるなと思っていたら、『富士山』に収録されていたものでした。


2003年02月14日(金) 森の動物たち⑥  ステキな映画を観ようの巻

――主な登場人物――

さる江:ドラマティックなラブストーリーが大好きな猿。親戚にプロゴルファーがいる。

リス衛門:サッカーや野球が大好きな元気なリス。背が低いことがコンプレックス。

くま吉:森の動物たちみんなに慕われているくま。市長時代のジャンバルジャンのようにその過去は謎に包まれている。

うさ子:森のアイドル。ミッフィーを意識しているが、実は結構計算高い。

Sun Setさん:なぜか森に住みついている。




「ふぅ……」

 リス衛門がさる江の家の前を通りかかると、どうぶつテレビを前にしたさる江がうっとりと画面を見つめています。

「どうしたんだい? さる江。ため息なんかついちゃって」
 リス衛門は窓からさる江の部屋を覗き込んで暢気にそう尋ねます。

「ステキだった……」
 さる江はそう言ってもう一度大きく息を吐くと、両手を胸の前で合わせて目をうるうるとさせます。

「ステキだったって、何がだい?」

「いまやっていた映画よ。『猟奇的なヤギ』って映画なんだけど。もう最高にステキだったわ」

「『猟師敵なヤギ』? まあ、ヤギにとって猟師は天敵だろうね」

「ちょっとっ!! ふざけないでよ。『猟奇的なヤギ』よっ。特異、タフ、面白い、突拍子もないヤギってことよっ!!」

「……どんなヤギだよ、それ」

「まったく、リス衛門は乙女心がわからないんだから」

 部屋の中のさる江はそう言うと、リス衛門のことは無視して録画しておいたビデオテープの巻き戻しのボタンを押します。どうやらもう一度見るつもりのようです。

「今度はちゃんとUFOが出てくるシーンにも気がつけるようにしなくっちゃ」

「ちぇっ。なんだよ乙女心って。わかるはずないだろ」

 リス衛門はそう一人ごちながら森を歩いてきます。もちろんくるみを齧りながら。くるみはリス衛門の好物です。リス衛門のどうぶつ学校での将来の夢の作文は、大人になったら、食べきれないほどのくるみを食べてみたいというものでした。クラスメイトたちはその作文に大笑いしたのですが、リス衛門にはどうしてみんなに笑われるのかがわかりません。くるみをお腹いっぱい食べることができたらどんなに幸せだろう……そう思ってにんまりとします。かじかじ。

 そんなふうにして歩いていると、目の前から森のみんなのアイドルうさ子が歩いてきます。リス衛門は友達に会ったときの常で大きな声で呼びかけます。

「よう! うさ子」

 すると、いつもは笑顔で「こんにちは、リス衛門さん」と挨拶を返してくれるうさ子が、どうしてかリス衛門をにらみつけてきます。

「……ん? どうしたんだよ」

「ぶっ殺されたい?」

「ちょ、なんだよそれ。なんかしたかよ、オレ」

「ピンクの服は着るな!」

「着てないだろ……地毛なんだから」

「タメ口きくんじゃないよ!」

 うさ子はそう言うと、そのままつかつかと歩いていきます。

 リス衛門はその後姿を不思議そうに見つめています。

「……なんだよ、あれ」


  ☆☆☆☆☆


「ああ、それは『猟奇的なヤギ』の影響だね」

 リス衛門がさっきの出来事を説明すると、くま吉はそう言って微笑みます。

「『猟奇的なヤギ』? ああ、そう言えばさる江もそんな映画を観ていたな」

「いま動物たちの間で大流行している映画だよ。特異、タフ、面白い、突拍子もないヤギが巻き起こすちょっっぴりせつないラブ・ストーリーなんだ」

「それだけ聞いていたらとてもそんなふうには思えないんだけど……」

「ま。リス衛門も観てみることだね。Sun Setさんなんか大ハマリしているよ」

「Sun Setさんはいつもどっぷりはまるからさ。でもまあ、それだけみんな観てるってことはやっぱり面白いのかもしれないな」

「そうだな……じゃあ、今晩森の大シアターでみんなで見るとしよう」

 そして、いつも落ち着いているくま吉の提案で、その日の夜は森の大シアターに白い布をはって、動物たちみんなで『猟奇的なヤギ』を観るのでした。さる江もうさ子もSun Setさんも、モグたんもワッシーもみんな集まります。
 最初は、どういう映画なのか全然わからなかったリス衛門も、前半に笑い、後半では涙しながら、『猟奇的なヤギ』を充分に堪能します。

 そして、映画の後は若い頃にはフランスの五つ星のホテルでコックをしていたという噂もあるくま吉が腕を奮い、おいしい夕食が振舞われます。きのこソテーやきのこムニエル、それにきのこサラダなど、きのこづくしです。みんなでステキな映画を観た後に、みんなで美味しい料理を食べる。

 森の動物たちは、ひさしぶりの登場でもやっぱり暢気に幸福に暮らしているようです。


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 お知らせ

 森の動物たちシリーズが読みたい方は、Days Selectにあります。
 そしてもちろん、今日のDaysは『猟奇的な彼女』を観た方には元ネタがわかってより楽しめます。


2003年02月13日(木) My desk

 昨年末に机を購入した。
 実際にそれが配送されたのは1月だったのだけれど、自分ではじめて買ったちゃんとした机だ。
 自分の人生の中ではダイニングテーブルの流用を含めると4台目の机ということになるのだけれど、その日まで買う予定のなかったその机は、いまでは随分とお気に入りの物になってしまっている。
 意味もなく引き出しを引っぱり出してみたりしては、嬉しくなったりしている。

 一番最初の机は、たいていの例に漏れず小学校に入学するときに買ってもらった学習机だった。
 最近のもののように半棚タイプでもなく、環境に優しいわけでもないごく普通の全棚タイプの学習机。横にランドセルを引っ掛けるフックがついていて、インバータータイプではない蛍光灯がついているもの。
 なんだかんだで、その机は高校生まで使っていた。学習椅子も机と同じ色の、下に小さなキャスターがついている木製のタイプだった。小学生の頃は、アニメのキャラクターのシートクッションを置いていた。表面になんだかよくわからないシールを貼り付けたり、引き出しの中に自分で描いたキン肉マンのイラストをしまっておいたり、長年使っていたせいかいまでもどんな机だったのかを思い出すことができる。

 二番目の机は、高校2年生のときに買ってもらった。机ももう随分古くなったし、少しは背も伸びたので使いづらくなっただろうというのがその理由だった。そのときは高校生男子だったので、どうしても黒い机が欲しかった。部屋の窓にはカーテンではなくてブラインドだとか、意味もなく部屋にモノクロの写真のポスターを貼り付けてみたいだとか、ちょっと勘違いしたようなインテリアに憧れていた頃だったのだ。若いよなあといまでは思うのだけれど(埃の掃除が面倒なので、いまでは断然カーテンの方がいい)。
 ただ、その黒い机は全部黒ではなくて天板はナチュラルな木の方がいいと思っていて、結局は店頭になかったため近くの家具屋でカタログから希望に近い商品を選んだ。配送される日は随分と嬉しくて、よし、この机に名前をつけようとか思って実際につけたりもした(もちろん、僕はその机の名前を覚えているけれど、さすがにちょっと恥ずかしいのでここでは書かない……)。

 その机は大学に進学した後も、社会人になった後も、何年も僕の部屋にあった。右袖が固定されているタイプの机で、左側には横長の引き出しが1つ、右側には、高さのない引き出しが3つ(一番上の引き出しには鍵をかけることができる)、高さのある引き出しが1つついていて、それぞれの引き出しに文房具だとか、部屋の契約書だとか、授業で使用するものだとか、様々なものを入れていた。一番大きな引き出しなんかはすぐに様々なもので溢れてしまい、定期的に整理をしていた。捨てるものとそうでないものとにわけて。

 学生時代にはその机の上にワープロを置いて文章を書いていたし、3年生の冬にはアルバイト代を貯めて購入したマックのPerforma5220も置いていた。卒業論文なんかを書いていたのだ。購入当時はWindows95が出た頃で、当時の恋人や友人たちはDOS/Vパソコンを購入していたのだけれど、僕の所属していたゼミの教授がマック大好きな人だったから、互換性云々でゼミのメンバーはマックにしていたのだ。

 社会人になった後も、会社に提出するレポートだとか、そういうものをその机の上で書いていた。最初の頃はワンルームに住んでいることが多かったのだけれど、その部屋にはベッドは置かず机を置いていた。だから部屋の中の結構なスペースを何年もの間机が占めていたことになる。

 それから、部署の異動があって、三番目の机を購入した。
 それはフロストガラストップのダイニングテーブルで、引越しを期に購入した。My Roomのところに写真があるけれど、当時はダイニングテーブルで食事も仕事もすべて兼用するということに憧れていて、お金を貯めてそれを購入したのだ。元々がダイニングテーブルだから幅は135センチあって、それまでの机(110センチ)よりも広く、随分とスペースを使用することができるのも嬉しかった。そのときの部署では部屋で資料を作成することが多かったのだけれど、そのときに様々な書類を広げるのにも重宝した。本当に、食事も仕事も趣味(文章を書くとか、読書するとか)にも活躍した。
 このサイト(Text Sun Set)を作ったのもその机の上だったし(そのときにもホームページの作り方みたいな雑誌をたくさん広げていた)。

 そして、昨年末にまた部署異動の為引っ越すことになり、いまは新しい部屋で暮らしている。
 最初は机を購入する気持ちなんか全然なかった。むしろ本棚が欲しくて、もう1年以上もこれ! という本棚を探していた。けれどもそういうものはなくて(もちろん、お金を出せばすごいのはあるのだけれど、リーズナブルな価格ではなかなかなかったのだ)、まあ新しい部屋でもまたダイニングテーブルですべて兼ねようと当たり前のように考えていたのだ。

 そう思っていたところに、ある店でいまの机と出逢ってしまった。
 びっくりした。物に一目ぼれをするのなんてもう久しくなかったから(冷蔵庫以来?)、何度もじっと見てしまった。目の前で見て、少し離れたところから遠めに見て、それからまた近付いて見て。なんだか憧れの先輩をじっと見つめてしまうように、その机に目を奪われて目をそらせなくなってしまったのだ。

 それはビーチ材の両袖机で、左右に引き出しがついているタイプなのだけれど、ただその引き出しがぴったりと箱組みになっているのではなくて、片側4つずつ引き出しを入れるスペースが開いていて、そのスペースに片側2つの上の開いた箱型の引き出しを自由に入れるものになっている。幅はなんと170センチあって(奥行は74センチ)、かなり大きい。けれども、そのデザイン(逆台形)のせいか圧迫感のようなものは少ない。そういうやつだった。

 そのときの恋人と街に出掛けているときに見つけたもので、ただ値段が結構したので、いいなぁーと思いながら一度はその店を離れた。けれども、他の店を回っていたり、食事をしている間も、ずっとそれがいいなと思っていた(もちろん、口に出したりもした)。ちょうど冬のボーナスが出たばかりで、現実的にそれを購入することはできた。ただ、それでも高いよなあと思い、結構真剣に悩んでしまっていた。

 そして、その日のうちにもう一度その店に行った。
 いま思えば、そのときもまだ悩んではいたのだけれど、もう一度同じ店に行くことを決めた時点で結局は購入することは決めていたのだと思う。少し高いものを買うときに人がよくするように(自分だけ?)、これはもう一生物だからとか、ボーナスを使うのだから頑張った自分へのごほうびだとか、いろんな理由をつけて、けれども日々その机を使えたらいいなという気持ちに押し切られ、購入した。4つ目の、そしておそらくは最後の机を。

 購入したのが年末だったこともあって、配送は1月中旬だったのだけれど、届いたときにはやっぱりかなり嬉しかった。午前中の納品だったのだけれど、配送の人が2名で組み立ててくれているのをずっと見ながら、もう机を買うことはおそらくないのだろうなとぼんやりと思っていた。
 そしてこれからは、この机に負けないくらい趣味を楽しみ、仕事も頑張ろうとあらためて思った。


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 お知らせ

 またまたという感じですが、最近は『猟奇的な彼女』のサウンドトラックばっかり聴いています。22日からは公開劇場もさらに増えて、みなとみらいのワーナーマイカルにもきますよ。


2003年02月11日(火) 睡眠

 いまは、12日の午前1時40分少し過ぎでちょっと前に帰ってきた。
 今日は送別会があり、仕事が終わった22時過ぎから飲んでいたのだ。
 中ジョッキを1杯飲んで真っ赤になり、もちろんその後はノンアルコールで、ジンジャーエールとかコーラなんかを飲んでいた。
 様々な内輪ネタが出て、かなり笑う。

 そして、明日は埼玉県で行われる研修に参加しなければならないため、もうひとりの参加者と午前6時半に駅の改札口で待ち合わせ。その時間に駅に行くためには5時起きになりそうなので、睡眠時間は……?


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 お知らせ

 というわけで、これから眠ります。


2003年02月09日(日) バトンリレー

 先日映画館で見た予告編の中に、『ヘヴン』という作品があった。
『ララ・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァが監督で、製作が『イングリッシュ・ペイシェント』の監督だったアンソニー・ミンゲラ。ケイト・ブランシェットが主演の愛の物語なのだそうだ。
 けれども、何よりも興味を惹かれ、そして観たいと思わされた理由は、この作品がクシシュトフ・キェシロフスキの遺稿脚本の完全映画化であるということだ。

 ホームページ(http://www.heaven-movie.com/index.html)の解説を見ると、その部分はこう書かれている。


 1996年惜しまれつつ他界した巨匠クシシュトフ・キェシロフスキが、クシシュトフ・ピエシェヴィッチと共同執筆した遺稿。“HEAVEN、 HELL、 PURGATORY(天国、地獄、煉獄)”の三部作のうち、唯一キェシロフスキが書き上げた幻のシナリオである。夫を殺した男への復讐を誓う女と、その姿に恋してしまう若き刑務官。死を覚悟する女と、望みを抱かずに死んだように生きてきた男との運命の出会い。男の一途な愛が女の心を揺さぶり、女は愛のために限りある生をもう一度生きようとする・・・。


 その三部作はぜひ観たかったと思いながら、遺された作品があったということ自体を知らなかったから、予告編を見ていてキェシフロフスキの名前が出てきたときには本当に驚いてしまった。
 キェシロフスキは最も好きな監督の一人で、『トリコロール』三部作も『ふたりのベロニカ』も、そして『デカローグ』も観てきた。そして、その度にいろいろと考えさせられ、感情を静かに揺らされ続けてきた。学生時代に亡くなったという記事を読んだときには、とても残念だった。

 だから、遺稿があったというのは素直に気になるし、見てみたいなと思う。もちろん、それは別の監督の手によって撮られているわけだから、トーンも手法もすべて異なってはいるのだろう。けれども、ある種のバトンリレーのように、若い世代がキェシロフスキの作品を映画化するというのは素敵なことだと思う。

 公開は3月とのこと。観てみたいなと思う。


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 お知らせ

 予告編で流れているテーマソングがあったのですが、それがとてもいい感じの曲でした。


2003年02月08日(土) いくつもの朝

 たとえばいまが夏で、小さな半島に旅行に来ているとしよう。
 山と海との間の狭い空間に張り付くようにして小さな町が広がっていて、その町にある古いホテルにでも泊まっているということにしよう。別段、観光地として有名なわけでもない、いま風のホテルなんかとてもないような場所だ。

 ホテルの1階には和風の居酒屋があって、結構年季が入っているのだけれど、出てくる料理は新鮮で美味しかったりする。となると、実際にはそれほど大きくはないお風呂は大浴場と名付けられているだろうし、そのウリでもあるはずの眺望は常に湯気で隠れてしまっているのだろう。けれど、湯加減はそう悪くないし、脱衣場に置かれているマッサージチェアも、壊れて「強」でしか動かなかったりするのも味があるといえば確かにそうで。

 そういう町への小旅行に出かけ、翌朝早く目が覚めたとしよう。カーテンを開けると、窓の外の景色には白く靄がかかっていて、世界はまだ随分と深い夢の中に沈みこんでいるみたいに見える。それから、浴衣から着替えて、散歩に出る。ホテルのロビーは照明が落とされていて薄暗く(入り口の近くにある彫刻も何かのメッセージを伝えようとしているみたいに怪しげに見える)、ただフロントではホテルマン&ウーマンたちがもうすでにチェックアウトの準備をしはじめている。へえとぼんやりと思う。こんな時間からホテルは動きはじめているんだなと。

 外の空気はつめたく、肌が湿って感じられる。太陽はまだ靄の向こう側にあって、夜の空気がまだところどころに浮ぶように残っている。ホテルの前の車通りのない海岸道路を渡って、海側の歩道のひしゃげたガードレールが遠くまで続いているのを確かめる。途中に見えるバス停の支柱が、おじぎをするように傾いているのが見える。それから、砂浜に下りるための小さなコンクリートの階段をおりる。それから、裸足にシューズで歩く砂浜の感覚をの心地よさを確かめてから、ゆっくりと歩きはじめる。

 砂浜といっても、実際には道路側には草も生えているし、結構大きな石が当たり前のように残ったりもしている。海の家はまだ扉を閉ざしていて、遠くの方には色とりどりのテントが密集しているのが目に入る。何人かがテントの近くを歩いていたり、海に向かって並んで座っていたり、町の人が犬を連れて散歩をしていたりする姿が見える。まだ随分と早い時間のはずなのに、海辺の町の朝は早いとあらためて思うかもしれない。

 身体の前で腕を組みながら、少し前かがみになるようにしてもくもくと歩き続ける。途中、振り返ると随分とホテルから離れてしまっているのがわかる。砂浜は思いがけず遠くまで続き、その間にも太陽は少しずつ朝靄をかきわけてきて、世界が少しずつ朝を迎えていく。

 朝になるたびに、世界は何度でも生まれ変わると言ったのは誰だったろう?
 その言葉をはじめて聞いたときには、正直うさんくさいなあとあまり信じてはいなかったのだけれど、それでもそういう光景の中に身を置いているときであれば、素直に信じることができるのかもしれない。朝を迎えるたびに、何かがきちんとリセットされていくようなあの感じ。普段はまだ眠っている時間に、そういう奇跡みたいなことが毎朝繰り返し行われているということ。世界の秘密みたいなものを垣間見ることができるような僅かな時間。

 昔知っていたある人は、自分が精神的にどうしようもなく落ち込んでしまったときには、無理をしてでも徹夜をするのだと話していた。そうして、朝になってから散歩に出て、朝の光の中に身を置いて、快復するのだと話していた。そこには、思い込みを超えたなんらかの力のようなものが確かにあるような気がするのだと話していた。

 安上がりだしね、とも。

 結構な年数を生きてきて、思い返してみると、本当の意味で朝の中に身を置いていた日々は、そう多くはないような気がする。散歩が好きだということとよく夜更かしをしていたことで、同年齢くらいの他の人よりはその回数は少しは多いかもしれない。けれども、基本的にはかなり少ない。驚いてしまうほどに。

 昔の人は朝の訪れと共に起きて、日が暮れるのと共に仕事の手をとめたと言われているけれど、そういう地点から考えると、随分と遠いところまできてしまっている。もちろん、それはある種の都市生活者や現代人が得たもののかわりに手放しつつあるもののひとつではあるのだろうし。それは必ずしも悪いことではないのだけれど、それでもいくつもの朝を知らないことは、随分ともったいないことなのかもしれないと思うことはある。

 ただし、現実や日々の生活というものはいつも朝の訪れをちゃんと確かめたり、その変化のなかに身を置いたりするわけにはいかないこともまた事実だ。だからこそ、バランスをとって、そういう時間をたまには得ることができるようリズムを工夫したり、そういう瞬間になったときに素直にそれを吸収することのできるような心持ちを心のどこかに持っておくことが重要であるような気がする。
 忙しくても、面白いことには笑えるように、きれいなものには素直に感動できるように。そういうある種の柔軟性やバランスのようなものを失わないことはきっととても大事なことなのだと思う。


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 お知らせ

「I Believe」はいい曲ですねえ。


2003年02月07日(金) 『猟奇的な彼女』(2回目!)+『バナタイム』+「メトロポリタン美術館展」+『トランスポーター』+『ザ・プロフィット』

 なんだか長いタイトル……

 今日は休日で、昨晩Daysを書き上げた後と朝6時に起きてからで週報を作成し、それを職場に提出しに行くところからスタートした。毎週、自分の担当する部門について週の報告書を作成しなくてはならないのだ。作成には毎週ある程度時間がかかっているのだけれど、もう2ヶ月ほど経つので大分慣れてきたとは言える。もちろん、報告書を書くことが重要なのではなくて、そこから問題点を発見して現場を改善して行くことが重要なのだけれど、いずれにしても、基本的な部分を確実に繰り返して行くことが重要だとも思っている。当たり前のことを当たり前にすることが、難しいことなのだというのはきっと誰もが思っていることでもあるのだろうし。

 それから、JRに乗って再度新橋を目指す。今日も『猟奇的な彼女』を観に行こうと決めていたのだ。昨日の内にネットで確認すると、初回は11時で、それで間に合うように6時に起きて週報の残りをやったのだ。ということで、睡眠時間は4時間半だったのだけれど、朝の熟睡を選んでいたら今度の休日まで軽く後悔しそうだったので、そのまま活動を開始した。そういうときには眠気はどこかに消えてしまっているのだから身体はゲンキンなものだ。

 電車の中では、よしもとばななのエッセイ『バナタイム』を読み終える。マガジンハウス。薄く短く、あっという間に読み終えてしまう。帯にはこう書かれている。


 じわっと押しよせる幸福感が
 人生をかけがえのないものに変える…。
 人生最大のターニングポイントを迎えた著者の
 深い考察とさりげなくも力強いメッセージが満載。
 心にしみる新生ばななのエッセイ集。


 人生最大のターニングポイントというのは、それまでの恋人との別れとそれから間をおかずしての違う相手との結婚のことを指している。そのことは中に書かれているので一部だけを変に引用しないようにするけれど(上の説明ですらもう誤解を与えそうだし)、心情的にこの間読んだ『ハゴロモ』のトーンに一部かぶるような感じがあって、小説とエッセイとが点線かか細い線で繋がっているような気がした。
 人生を柔軟に、かつ忠実に生きているのだなあとあらためて実感する。

 また、電車に乗っているとき、横浜の近くに「関内」という駅があるのだけれど(横浜スタジアムの最寄り駅)、車内アナウンスで「次は関内~」とあったときに、思わず本から手を止めてしまった。

 つぎはかんない が つぎわかんない と聞こえたのだ。

 それはちょっと、いや結構ふしぎだと思えてしまった。電車に乗っていて、つぎわかんないと放送されるのって……けれども、それはそれでおもしろいかもと思って、ノートにメモしておいた。
 ノートにはそういうちょっとしたことがたくさん書かれていて、後で読み返してみても何のことかわからないことが多い。だからこそDaysにすぐ転記するのだけれど。だって、ノートに「つぎわかんない」とだけ書いてあったら、それこそ自分がわからないし。

 新橋に着いたのは10時ちょっと過ぎ。火曜日と同じ道を歩き、日比谷シャンテシネへ。
 なんと金曜日初回は1300円で、知らなかったのでかなり得をした気持ちになる。
 建物の壁には前回は気がつかなかった「ぴあ」の切り抜きが貼られていて、観客の観終わった後の満足度のランキングの最新版で、『猟奇的な彼女』が1位だったというもの。「そうだろうね!」と心の中で思いちょっとだけ嬉しくなる。たくさんの人が好きになれる映画だと素直に思うし。

 初回だというのに、かなりの客席が埋まっていた。そして、(自分にとっては)2回目の『猟奇的な彼女』スタート。

 やっぱり面白かった!

 同じところで笑えたし、同じところでせつなくなった(もちろん違うところでも)。2回目なのでより細部まで注意して見ることができたし、2人のエピソードの軌跡がよりスムーズに入ってきた。いくつかのシーンでの気がつけなかった点に気がつくこともできたし。主演の2人のことが、かなりかなり好きになってしまった。
 もちろん、2回目を観るのってちょっと不安なところもあったのだけれど(感動が薄まってしまうのではないかとか)、全然そんなことはなくて、むしろもっとずっとお気に入りになってしまった。心のベスト10には間違いなく入ると思ってみたり。同じ映画を映画館で観返したのは久しぶりのことだ。本当に。もう一度観たいとすら思うし。笑いたいし、せつなくなりたいし。

 そして、銀座線で新橋から渋谷に移動。Bunkamuraで、「メトロポリタン美術館展」を見るためだ。久しぶりの渋谷は相変わらずのすごい人。ハチ公前のスクランブル交差点には数え切れないほどの人たちがいて、三つの大型画面がそれぞれの映像を映し出している。ちょうど宇多田ヒカルの「Colors」のクリップが流れていた(いい曲)。

「メトロポリタン美術館展」は3月までやっているので後1ヶ月ほどあるけれど、こういうのも行けるときに行っておかないと結局タイミングを逃してしまいがちなので、昨日から行くと決めていたのだ。

 ピカソの「白い服の女」を見ることができたのは個人的にはとても嬉しくて、江國さんファンとしては、バルテュスの絵を実際に見ることができたこともよかった。「目を覚ましたテレーズ」は、目を覚ましたというのはダブルミーニングなのかなあと思いつつ。ポストカードも数枚買う。ミーハーだなあと思いつつ。

 その後、渋谷のタワーレコードで『猟奇的な彼女』のサウンドトラックを購入。印象的なシーンでかかるバラード「I Be
lieve」ももちろん収録。

 それから渋谷駅から東急東横線で桜木町へ。途中、人身事故の影響で電車が止まり、車内が少し騒然となった。何人かが携帯電話でアポイントメントやアルバイトの時間に遅れる旨を伝えていて、電車はしばらくの間動かないままでいた。

 桜木町では、ワールドポーターズに行き、いくつかの店をのぞく。そして、17時から『トランスポーター』を観る。これは当初予定していなかったのだけれど、ちょうどよい時間ではじまるということもあってそのまま観てしまうことにしたのだ。スカッとするにはよい映画。おいおいなんでもありだよというアクションの連続だし。リュック・ベッソンプロデュース作品を僕は基本的には割り切って考えているのだけれど(大スクリーンで観るにはいいかなというように。以前も書いたけれど『レオン』と『ニキータ』以外のベッソン作品はあまり好きじゃないのだ)、今作は主役のフランク役のジェイスン・ステイサムが渋く格好よく、見応えがあった。もちろん、やや唐突に進むストーリー展開と、肉弾戦のバトルのときには敵も銃を使わないで肉弾戦でちゃんとやってきてくれるというのはどうなのだろう? とは思ったのだけれど。ただ、アクション映画が好きな人には、見応えは充分あり。

 また、予告で『猟奇的な彼女』をやっていて、予告編ははじめてみたのだけれど、そのことにも嬉しくなってしまった。

 帰りは、ワールドポーターズの中にあるタリーズコーヒーでハニーミルクラテのショートサイズを持ち帰りで購入し、桜木町駅までの10分弱くらいを飲みながら歩く。19時前後だったのだけれど思いがけず寒くなくて、それでも一応マフラーはしながら、のんびりとてくてくと歩いていた。今日1日で結構な距離を歩いたのだけれど、やっぱり気楽な気持ちで歩くのは随分と愉しいことだ。
 桜木町では観覧車は動いていなくて、中央にあるデジタルの時計だけが見えていた。ランドマークタワーはまだまだたくさんの明かりがついていて、金曜日の夜のせいか、結構たくさんの人たちが歩いていた。駅前のだだっ広い空間では、ストリートミュージシャンが機材の準備をしていた。

 帰りはJRかバスかでちょっとだけ迷ってから、結局バスにする。桜木町からバスで帰ってきたことがなかったからだ。バスの後ろから2つ目の窓側の席に座り、のんびりと読みかけの本の続きを読む。

 で、部屋に帰ってきてからさらに100ページほど読んで、『ザ・プロフィット 利益はどのようにして生まれるのか』を読了。ダイヤモンド社。エイドリアン・スライウォツキー著、中川治子訳。

 帯にはこう書かれている。


 あなたは「利益」発生の秘密を知らない!
 なぜ、思ったように儲けが得られないのか? ―――本書で繰り広げられる「利益の物語」について深く考えてみて下さい。必ずや答えが見えてきます。


 本書は、読者の一人一人が「利益」についてわかりやすく理解でき、自分なりに考え始めるきっかけとなるように、物語仕立てで書かれている。と書くとあのベストセラー『ザ・ゴール』シリーズを思い浮かべてしまうけれど(出版社も、装丁のデザインも似通っているし)、けれども読み応えは結構ある。物語は、あるやや傾きかけた大企業につとめるビジネスマンであるスティーブ・ガードナーが、「ビジネスで利益が生まれる仕組みを知り尽くした男」デビッド・チャオの生徒として、毎週受ける個人レッスンの内容が書かれているものだ。チャプター毎にひとつの「利益モデル」を説明しており、チャオの台詞を通じてその「利益モデル」をより理解しやすくなる参考書籍が紹介され、またスティーブの質問やチャオに促されて答える講義のまとめによって、その特徴が鮮明になっている。師と弟子の会話といった体裁のため、物語性ということで考えると『ザ・ゴール』にやっぱり一日の長があるけれど、それでも物語仕立てのため随分と読みやすく退屈ではない。

 ここに書かれている「利益モデル」は全23種類。「顧客ソリューション利益モデル」「製品ピラミッド利益モデル」「マルチコンポーネント利益モデル」などなどだけれど、言葉は妙にうがったと言うかいかにもな感じのものが並んでいるけれど、読んでみるとそんなに難しいものではない(もちろん、表面をなぞるのと、それらのモデルについてしっかりと考えるのとでは話は違ってくるけれど)。また、読みやすく、また参考図書にもぜひ読んでみたいなと思えるようなものが結構あって、興味深いと言えば言えた。

 いずれにしても、「顧客」と「利益」のことをちゃんとそれぞれの現場でも考えて行くことが重要なのだということはあらためて思う。当たり前のことを当たり前にすることは難しい。


 帰りのバスの中で、運転手さんが「お客様の中に5000円札が細かくなる人はいらっしゃいますか?」という放送をしていた。そういう放送ってはじめて聞いた。

 また、バスを降りた帰り道で、石焼イモを売っているおじいさんがリヤカーを押していて、1本衝動買いをしてしまった。300円。部屋に帰ってきて、半分に折って食べる。石焼イモを買うのなんてものすごく久しぶり。おいしかった。

 というように、駆け足になってしまったけれど、朝早く起きて仕事をして、本を2冊読み、映画を2本映画館で観て、美術展にも行ったので、充実した休日だったと思う。


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 お知らせ

『猟奇的な彼女』は面白いですよ!(しつこいけどさ)


2003年02月06日(木) 手探りの価格

 マクドナルドが先日チーズバーガーとフランクバーガーの値上げを発表し、新聞などでは戦略が迷走しているだとか、腰が定まらないなどと書かれている。確かに、狂牛病の影響を受けて以来、値段を下げてみたり、上げてみたり、マックチョイスをはじめてみたりと、様々なことを手探り状態のまま続けているように思える。
 たとえば、今回(2月10日から)の値上げではハンバーガーは59円のまま据え置きなのだけれど、チーズバーガーが79円から120円になるため、極端な書き方をするとチーズが61円もするのかという奇妙な価格設定になってしまっている。また、前回の値下げが期間限定などと特に銘打っているわけでもなかったため、なおさら割高感、迷走感が強くなってしまっている。売上げが不振なんだねというイメージをもたれやすいというか。

 もちろん、何かの値段を高くしている一方、値下げもいつものように行っているのだけれど、今回はダブルチーズバーガーが220円から179円に下がっているのと、マックチョイスにハンバーガーとチーズバーガーが追加されたことがそれにあたるだけなので、それほど新味がないと言うか、苦し紛れという感触は否めない。
 新聞記事を読むと、フランクバーガーで見ると、この半年だけで4回も価格が変わったと書かれていた。既存店の前年実績も16ヶ月連続下回っている。もちろん、ユニクロとある程度同じようにデフレ価格がまだ全盛でありブームだったということが前年割れの影響のひとつだとは思うけれど、それにしても随分と逆風が吹いている。

 僕は個人的にマクドナルドがとても好きで、いまでもよく食べているけれど、たとえば近くにあるマクドナルドでは、マックチョイスのサラダが午後3時には品切れになっていたりする。野菜だけに鮮度が重要で過剰に発注することができないことが理由なのかもしれないけれど、選択肢に入っていて、けれども品切れをしていて選べないというのは、やっぱり残念と言えば残念だ。そういうちょっとしたことの積み重ねもやっぱり大きいような気がする。

 また、スコーンやら新店でのカフェ風の内装やら、様々な実験を行っているけれど、大衆がマクドナルドに抱いているイメージは、安くて手軽というところだろう。だとしたらたとえばスターバックスのようなイメージを持ってもらうことは難しいような気がする。世間的にスペシャルティコーヒーチェーンが流行っているからといって、マクドナルドがそれをやることに大きなメリットはないように思えてしまうのだ。

 それよりはむしろ、自らのやるべきことに集中し、低価格で気軽なファストフードを、よりローコストで提供し、その中で可能な限り味を高めていくというともすれば愚直な方向性のほうが本道であるような気がするのだけれど。

 奇策はたいていの場合うまくいかないし、いままで築いてきたある種の信頼感だってきっと根強い。一度もマクドナルドを食べたことがない人はきっと少ないだろうし、高級レストランに行く人もあるときにはマクドナルドを食べるというのが現代人の生活パターンなのだから、そのパターンのあれもこれも狙うのではなくて、ねらった範囲を確実に奪取するというやり方でいいと思うのだけれど。

 そして、流行っていたスペシャルティコーヒーのチェーン店でも、6割以上のシェアを持つスターバックスも前年割れを続けている。今週発売の『日経ビジネス』では、「ブームに負けない経営」ということで「スタバ・ユニクロの轍を踏むな」という特集が組まれていたけれど、その中にはそのスターバックスコーヒージャパンCEOのインタビューなどもあって、ブームの後の今後の方向性をどう捉えているのかが書かれていて面白かった。

 いずれにしても、企業ごとに特色があり風土がありカラーがあるわけだから、デフレ業態が飽きられて少し高い店、あるいは価値の高い店に顧客がシフトしつつあるという傾向だけで誰もが一様にそちらを向く必要はないし、そのような状況にのみ引きずられていたら、様々な対策は後手に回り、結局は競争の中で消えていってしまうのではないだろうか?

 それよりは、もう一度企業の核となるビジョンなりベクトルを確認し、それを実現するためには何をどのようにしていくことがいいのかということを逆算して考えていくことだけが必要な気がするのだけれど。

 もちろん、そういうのってとても難しいのだろうけど。


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 お知らせ

 最近、MEGMILKを飲んでいます。パッケージの赤と白は好きな感じです。


2003年02月05日(水) プリンアラモード

 ネットでニュースを見ていたら、さっぽろ雪まつりが5日から開催されると書かれていた。札幌生まれの札幌育ちとしては、もちろん幼い頃から何度も訪れたことがある雪まつりが。
 今年はアジアからの観光客が多く、国内からの観光客は不況を反映してなのか、それとも雪まつり自体のマンネリ感(雪像が毎年変わるだけ)を受けてなのか減少していると書かれてあった。確かにそうなのかもしれない。アジアの人たちの海外旅行はある種のブームになっているという話をどこかで聞いたことがあるし、北海道は京都と並んで人気のスポットだということも確か書かれていた。
 いずれにしても、今年も大通り公園やすすきのに、雪像や氷像が立ち並ぶ季節になったのだ。

 雪まつりには何度も行ったのに、どうしてか思い出すのはいつも小学校4年生だったときのことだ。
 その年は、なぜなのかよく覚えていないのだけれど、週末ではなく平日の午後に観に行くことにしていた。だから小学校が終わってから急いで家に帰り、それから母親に連れられて妹と一緒に列車に乗って札幌に向かった。列車の中は随分と混んでいて、「みんな雪まつりに行くんだね」とか、そんなはずはないのに高揚していたのかそんなふうに言っていたりしていた。
 札幌駅からは地下鉄に乗った。大通り公園までは一駅で着いてしまう。もちろん、歩けない距離ではなかったのだけれど(自分で札幌に行ったときには僕はたいていの場合歩いていたし)、それでも早く雪まつりを見たかったし親と一緒だったから地下鉄に乗った。地下鉄の中も混んでいて、「みんな雪祭りに行くんだね」という台詞は地下鉄の中での方がよりふさわしかったのかもしれない。

 雪まつり会場は大小の雪像とたくさんの人たちで溢れ、僕ら3人はどこか急ぎ足で雪像を見て回った。そこには明治時代の旧宅やお城の雪像があり、アニメの人気キャラクターの雪像があり、自衛隊が作ったものと、市民が作ったものがあった。夕方の急速に暗くなりはじめる空気の中、雪像の白は淡い紫から青へ、そして照明を反射して水色やオレンジともいえるような色へと変わっていく。
 随分と寒く、雪が散らつきはじめてさえいた。たくさんの人が耳かけ(本州の人は耳当てと呼ぶのがいまだにちょっと不思議だ)をして、マフラーをして、コートをしっかりと着込んでいた。まだ小学生だった僕はコートではなく、紺色のツナギを着ていたように思う。ツナギさえ着ていれば雪の中で転がっても大丈夫だ。それに温度によって色が変わったりするところがついているマジックテープつきの手袋をしたりする。小学校4年生にもなってそういうちょっとした遊びつきの手袋をまだしていたのかどうかは覚えていないけれど、それでもツナギと手袋があれば、北国の子供たちはなんだってできた。まだ誰も足跡をつけていない雪の上に両膝をついて、雪をかき集めてそれを一気に空に向かってぶちまけたり、雪合戦の雪玉を大量に作ったりもした。大の字になった跡をつけて殺人事件とちゃかしてみたりすることだってできた。雪は随分と近い存在だったし、冬には冬のたくさんの遊びがあった。

 大通り公園の雪像を見た後は、再び地下鉄に乗り今度はすすきのに向かった。すすきのでは雪まつりならぬ氷まつりが開催されていて、それもまたとてもきれいだったのだ。見た目の透明度や繊細さは氷まつりの方が上だった。すすきのの通りの中央に並ぶライトアップされた(そして周囲の華やかなネオンにも照らされた)氷像を見ながら、「うわー」とか「きれいだねー」とかの台詞を連発していた。いまでは割とよく喋る方だけれど、幼かった頃、僕は本当にいまよりもたくさん喋った。言葉は次から次へと溢れて止まらなかった。授業中にだってしょっちゅう喋っていた。だから、そのときもいろいろと感嘆の声を挙げていた。

 雪像も、氷像も、どちらも子供心にはとても愉しいものだったのだ。
 けれども、一番の楽しみはその後だった。雪まつりのときには、近くのデパートの最上階にあるレストラン街で食事をすることができたのだ。
 子供心に、街まで出るときの楽しみと言えばやっぱりそれだった。その雪まつりの夜も、僕らは最後には再び大通り公園まで戻ってきて、その近くにあるデパートの屋上に行った。そして、レストラン街を最初に一周してから、妹と相談して入る店を決めて、その店でハンバーグセットだとかそういうものと、プリンアラモードを頼んだ。パフェとプリンアラモードのどちらにするのかを店先のウィンドウでかなり真剣に(授業中にさえ見せないくらいの真摯さ)で悩み、結局プリンアラモードの方にした。
 
 不思議なもので、雪まつりの夜に食べたそのレストランのプリンアラモードのことをいまでも覚えている。もちろん、それは漠然としたイメージのようなものなのだけれど、あの横長のウィンドウに並んだメニューのサンプルと、中央にプリンがあって、その両側を生クリームやたくさんのフルーツがのっているプリンアラモードのイメージが残っている。

 それはきっと、それが幸福な記憶の断片だからなのだと思う。食べ終わってレストランを出たときには21時半とか、そういう時間になっていた。確かその翌日には寝坊をしたはずだった。帰りの列車では歩き疲れたのかもう結構眠たくて、座りながら少しうとうととしてしまっていた。

 ……雪まつりは毎年開催されていて、そのニュースを毎年聞くたびに、僕はどうしてかそのプリンアラモードを食べた年のことを思い出してしまう。ある種のイメージとして、雪まつりという言葉がそれと連動しているのだ。
 記憶を押すスイッチなんていくらでもある。何かが、心の中の柔らかな場所や硬い殻をやさしく、あるいは強く打つたびに何かの記憶が立ち上がる。過去を振り返り続けることはあまりよいことではないと言う人ももしかしたらいるのかもしれないけれど、それでも僕はそういうささやかな断片がたくさんあるほうが、折に触れてそういう記憶を思い返すことができる方が、いいんじゃないかと思う。記憶のストックがあればあるだけ、それこそ雪原を歩いていて振り返ったときに自分の足跡を確かめることができるのにも似たような、ちょっとだけ心細くてけれども安心できるような心持ちでいることができるような気がする。

 それはつまりは、こういうことだ。
 前には誰の足跡もないからちょっと不安だけれど、振り返って見るとそこは確実に自分の足跡が続いている。だから同じように、ちゃんと自分の足で歩いていけばいいんだなと思えるような感じ。歩いていたらもう一度あのプリンアラモードのような幸福に出逢うことができるのかもしれないし、いまはまだ知らないもっとすばらしいものに出逢えるのかもしれない。もちろん、雪の下には落とし穴が隠されているのかもしれない。けれども、落とし穴を畏れていたら、どこへだって歩いていくことはできない。それに、雪原はまだまだ続いているのだ。足跡もまだまだ残し続けていかなければならないのだ。だからこそプリンアラモードの記憶なんかが重要になるような気がする。そういうものがあるからこそ、落とし穴の可能性があっても歩いて行こうと思うことができる。そして、歩き出せることに、ちょっとだけ誇らしげな気持ちになる。

 プリンアラモードがこれからの人生にまだ何度かありますように。
 そう祈りながら、日々を歩いていこう。


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 お知らせ

 昨日のDaysで紹介した『猟奇的な彼女』ですが、ホームページのアドレスはこちらです。

 http://www.ryoukiteki.com/

 猟奇的.comってちょっとすごいかも。


2003年02月04日(火) 『猟奇的な彼女』+『ボーン・アイデンティティ』+『ハゴロモ』

 久しぶりの更新。みなさんお元気ですか? 僕は職場のインフルエンザブームにものらず、それなりに忙しく日々元気に働いていたというわけでした(最近、いきなり話を過去形で終わらせることが流行っていて、ちょっとそういうのって面白いのでした?)。


 閑話休題。


 人によってツボにはまる(あるいは心の琴線に触れる)音楽が異なるように、映画の好みも千差万別だ。
 個人的には笑わせて泣かせるような物語、あるいは笑わせた後で気持ちのどこかをしんとさせるような物語がストライクゾーンの(そういうものがあるとするのなら)ど真ん中だったりする。そしてど真ん中というのは意外と少なくて、たとえば昨年に観た『tokyo.sora』は個人的にはとても印象的な好きな作品だけれど、その淡々としたトーンや透明感のようなものの中には「笑い」の部分はそう多くはなかった。そういう意味ではいま思い返してみると、ストライクゾーンの渋いコーナーをついてきたというようなものだったかもしれない。

 そして、今日は久しぶりに、ストライクゾーンど真ん中の直球で、しかも速球、手も足もバットも出ないような映画を観てきた。
 そう書くとなんだかひどく大げさだけれど、あんまりにも面白かったから、映画館が明るくなるまで席を立てなかった。

『猟奇的な彼女』を観てきた。ロングのストレートヘアの美人が、ちょっと(いやかなり?)情けなさそうな男の首を絞めている写真でおなじみの、韓国映画だ。

 パンフレットによると、『猟奇的な彼女』はラブストーリー映画として韓国歴代1位を記録しているとのことで、一見タイトルとラブストーリーというところにギャップを感じてしまう。(猟奇的なのにラブストーリー?)というように。けれども、ここで使われている猟奇的という言葉は、猟奇殺人などの猟奇ではなく、「特異、タフ、面白い、突拍子もない」というような意味で用いられているのだ。つまり、猟奇的な彼女=タフで面白くて、突拍子もない(行動をとる)彼女ということになる。

 これはもう、すごく面白かった。あまり人に何かを勧めるのは好きじゃないと書きながらいままでに様々なものを勧めてきたText Sun Set(ちょっと「思いっきりテレビ」っぽいよねと巷で評判)での、2003年最初のフィーチャーはこの映画。かなり笑ったし、泣きはしなかったけれど終盤では感動させられた。ああ、いい映画だったと、掛け値なしに思うことができた。観終わった後でなんだかとても嬉しくなってしまった。
 そういう映画って、そうそうないから出逢えたときにはやっぱり嬉しくなる。

 ストーリーは、平凡な大学生のキョヌが、「ある晩地下鉄でベロベロに酔っ払った超美人な”彼女”と出逢った」ところからはじまる。ひょんなことから彼女を介抱することになったキョヌはそのまま不思議な縁で彼女との距離を近づけていく。ただし、彼女はかなりワガママでストレートな物言いをし(「殺されたいか」なんていう台詞は当たり前)、またすぐに手が出るし(映画の中で、キョヌは何度彼女に殴られ、ビンタされていることだろう?)、さらには酒癖が悪いといった、かなり奔放な女性。キョヌは彼女に振り回されながらも、最初は美人だけどちょっと勘弁と思っていたのに、一緒に過す時間が増えていくたびに逆にどんどん惹かれていく。

 観客も同じように、最初は酔っ払って白目を向いている彼女に、どんどん惹かれていくのだ。
 彼女はナイーブで情けなくてけれども優しいキョヌが気がついているように、心の傷を抱えている。そのギャップが、彼女の猟奇的な行動に違った意味を重ねていくのだ。途中のキョヌのモノローグに「明るい姿を見せようとする彼女が僕は好きです。」というものがあるけれど、彼女には無理してそうしている部分があり、ただそれがキョヌの存在によって自然にそうしていけることとのバランスが少しずつ変化していく様が印象的だ。そして、キョヌ自身の変化(成長)も大きな見所と言えるだろう。

 また、最初からここまでやるかというか、何でもありだよというようなコテコテのネタが連発で、それがまた劇場内での笑いをかなり誘っていた。僕ももちろん笑ったし、映画館でたくさんの人が笑っているのをみたのはなんだか久しぶりの気がした。ギャグやネタは本当にお約束というかある意味ストレートなものなのだけれど、けれどもそれがまた素直に笑えるのだ。おかしいくらいに。

 韓国で大ヒットしたのも納得。ちょっと映画でも観ようかなと思っている人で、近くでこの作品を上映している人は、ぜひ観に行くことをお勧めします!!


『ボーン・アイデンティティ』は、ノーコメントです……。ヒロインは『ララ・ローラ・ラン』のあの走っている女の人でしたけど。


 映画の行き帰りの電車内などでよしもとばななの『ハゴロモ』を読み終える。新潮社。不倫の果てに故郷の小さな町に帰ってきた私が癒されていくまでのある種のおとぎ話。川が常に側にある小さな町について説明されている導入部分が、よかった。物語は、よしもとばななの作品に共通する少しだけ変わった人たちや、ちょっとだけ変わった能力が出てくるもの。穏やかで緩やかで、随所に印象的な模様が編みこまれた肌触りのよい小さな織物といった感じ。私はやっぱり半分だけ当事者で、半分だけ傍観者のようなスタンスでいる。世間的には枠から外れているかもしれなくても、精神的に自立した人たちが常に主人公の近くにいることは、よしもとばななの小説に共通するところであるし、だからこそその関係性によって一歩前進(この作品にある言葉を用いるのなら「癒し」)になるのだろうなと思う。


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『猟奇的な彼女』を観るために東海道線に乗って新橋まで行って、そこから日比谷シャンテまで歩いていった。
 天気はあまりよくはなく、結構寒い。
 濃い茶色の上着にジーンズ、それからグレーのマフラーに定番の斜めかけカバンと同じデザインのウエストバックという身軽な服装で、マフラーの顎を埋めながら、どんどん線路沿いを歩く(この間同じ格好で職場にちょっと顔を出したら、パートのおばさんに「どこの大学生かと思った」と言われちょっとへこんでいる28歳です)。
 最近は高架下(ガード下?)に飲み屋やカフェが増えていて、結構たくさん見かける。そのほとんどは時間のせいか閉まっていて、夜になるとまた賑やかに明るく照らされるのだろうなと思う。いつの間にかもう2月で、真冬の盛りという雰囲気だ。新橋から有楽町に向かう辺りにはやはりたくさんのサラリーマンたちがいて、その中に混じってリクルートスーツに紺色のコートといった感じの人たちを見かけた。
 もうそういう時期なんだよなと思う。
 僕は昨年まで2シーズン採用を担当していて200人の採用計画を立てたり、延べ千人以上の面接をしたりしていたので、就職活動というものについてちょっと感慨深いものを感じたりしているのだ。これはどんな会社の人でも、採用に携わったことのある人なら思うことだと思うのだけれど、他人の人生の岐路に微々たるものかもしれなくても触れることができ、またたくさんの人の人生を短い時間ではあるけれど聞くことのできる仕事でもあるので面白いといえばやっぱりとても面白い。
 活動の早期化によってピークも年々早まっているし、現大学3年生にとっては試験から就職活動と大変な時期ではあると思うけれど、ぜひ頑張ってほしいなと思ってみたり。


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 お知らせ

『猟奇的な彼女』は、8日から日比谷シャンテ以外でも上映するみたいですよ!


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