Sun Set Days
DiaryINDEX|past|will
今日は部屋に帰ってきてから夜の散歩に出かけた。 定番コースのひとつ、隣駅までの約25分ほどの道のり。 途中に下り坂と上り坂があり、適度な距離という感じのコースだ。 以前も書いたのだけれど、このコースは目的地(隣駅)に着いたときに疲れていたら電車に乗って帰ってくることができるので重宝しているのだ。それに、駅周辺にはいくつかの店舗(モスバーガーなど)があるので、そういう意味でも結構便利だったりする。 途中、大きな交差点で2人乗りのスクーターが車とぶつかりそうになってクラクションを鳴らされていたり、物騒な感じでもあったのだけれど、とりあえずてくてく歩く。今日は散歩用バックではなく、少し大きめのウエストバックを腰に巻いて、それに文庫本を入れて歩いていた。
風はそれほど強くはなかったけれど、気温はぐっと下がっていた。そういえば、北海道では雪が降ったという話をしていた。確かに、10月に一度少しだけ雪が降るのだった、 あんまり北海道を離れて年月が経っているので、そういう冬の感覚を頭でしか追えなくなっているような気がして少しだけ残念に思う。それは本当にただ残念だという感じだ。自分のしっくりくるリズムが、少しずつ失われてしまうような気がしてしまうこと。 これは、たとえば結構長い間付き合っていた人と別れたりしたときの感情に似ているのかもしれない。しっくりくるリズムが失われてしまい、それは悲しいことではあるのだけれど、そうじゃないリズムにもまた当たり前のように慣れてしまうというような感じに。 確かに、いまでは関東の初冬のリズムにも、少しずつ、というかすっかり慣れてしまっているような気がするわけだし。
目的地の隣駅に着いて、夜ご飯を食べていなかったので駅前にあるなか卯に入る。ファストフード大臣の異名をとる僕としては(?)、なか卯の親子丼はたまに無性に食べたくなるのだ(おいしい)。 そして、食べ終わって、店から出て、電車で帰ろうかなと思う。 けれども、ちょっとだけ考えて、駅前のバス停をチェックしてみる。たぶんあるだろうなと思っていたのだけれど、やっぱり僕の最寄駅行きのバス路線があって、普段とは気分を変えてバスで帰ってみることにする。 22時4分の次は22時33分で、そのときは22時20分だった。バスを待つ間、バス停前のベンチに座って、ウエストバックから文庫本を取り出して読み始める。
文庫本を読んでいたら、隣にやってきた初老の夫人に、「○○駅行きの最終バスはまだありますか?」と尋ねられる。「ええ、33分にまだきますよ」と答える。この1週間で本を読んでいるときに何かを見知らぬ人に尋ねられるのは2度目。暇そうに見えるのだろうか?
しばらくするとバス回しにバスがやってきて、乗り込む。バスは、5人ほどの乗客を乗せてバスは走り出す。もっとたくさんの人が乗るのかと思っていたのだけれど、電車で行った方が早いからか、そんな人数でバスは発車する。
バスに乗るのはなんだかものすごく久しぶりのような気がした。窓から外を見ながら、さっき歩いてきた散歩コースを逆送していくのを目で確かめる。 そして、ふいにああと思った。 いまの部屋に引っ越してきたのは昨年の1月だったから、もうすぐ約2年になる。そして、この隣駅までの散歩だってかなりの数行っている。それでも、こうやってバスに乗って帰ってくるのは今回がはじめてだったのだ。そう考えると、日々は本当にかなり限定された行動パターンに拠っているのだなとあらためて思わされた。 たとえば、朝起きてから部屋を出るまでの行動の7割くらいはルーチン行動と言うことができるかもしれない。そこから会社に行くまでのコースだって、たとえば駅で電車を待っている場所や乗り込む車両など、だいたい同じことが多いような気がする。その方が考えずに行動することができるし、効率だっていい。世界の中にはたくさんの道があって、いくらでもコースはあるのに、それでもほぼ同じ線の繰り返しになっているということなのかもしれない。
もちろん、それは悪いことじゃないし、そういうものだとも思う。 ただ、だからこそ、散歩でそういうルーチンの枠を逸脱してみることもおもしろいのかもしれない。意識しないとそれはたぶんできないことだから、たまには意識して異なる道を選んで。
たとえば半径1キロ以内と限定しても、部屋の近くでも、一度も通ったことのない路地は結構多いかもしれない。意識して、そういう路地を歩くことも、たまにはあってもいいかもしれない。もちろん、なくたっていい。けれども、そういうのも新鮮な発見のようなものがあるのかもしれない。
そのバスは乗り込むときに定額を支払うものだったのだけれど、降りるときに支払うと思っていたので、支払わずに席に座っていた。そして、途中のバス停から乗り込んだ人が最初にお金を支払うのを見て、慌てて支払いに行く。運転手さんも言ってくれればいいのに。
バスは僕の最寄の駅に少しずつ近づいていた。 僕は駅まで行くより、終点のひとつ手前のバス停で降りるのがベストだなと思い、バス停の名前がわからなかったので、距離的にここだろうと思うところでブザーを鳴らした。そうしたら、予想していたバス停の手前に目立たないバス停がひとつあって、そこでバスが停まってしまった。 なんのためにバスに乗ったのか……けれども、そのバス停だって、いつも散歩でその道路を歩いているのに、どこにあるのかという記憶が曖昧になってしまっていた(だから気がつかずにブザーを鳴らしたのだし)。 それだけ、存在していても見えていないものは多いのだとも思わされた。
バス停2つ分の距離になってしまった帰り道を歩きながら、そういうことを考えていた。
―――――――――
お知らせ
最近健康診断をやったのですが、視力は悪くはなっていませんでした。
2002年10月29日(火) |
比率+『日本語の教室』 |
キャスター:さて、本日「Sun Set研究所」による、様々な比率の研究結果が発表されました。 VTRをどうぞ。
――――0.02%
日本人に占める恋人に「マコリン」と呼ばれている人の比率。
――――1.4%
日本人に占めるペアルック率。
――――9.5%
日本の犬に占める「ポチ」率。
――――12.4%
日本の猫に占める「タマ」率。
――――15.7%
バレンタインデーに意味もなく普段より早く登校する男子中学生率。
――――22.8%
メガネを取ると美少女率。
――――3.6%
何もないところで転ぶ率。
――――0.15%
パジャマで登校率。
キャスター:様々な比率で表わすと、興味深いものがありますね。
―――――――――
『日本語の教室』読了。大野晋著。岩波新書。
帯にはこう書いている。
日本語・日本とは何か? その弱点を明らかにし、「文明力」強化の途を示す。
国語学の権威であるらしい大学教授が、日本語や日本についての16の質問に答えていくという形式をとった新書。質問にはたとえば「仮定のことを言うのに過去形を使うのはなぜですか」、「日本語が南インドから来たとは本当ですか」から、「漱石や鷗外は『源氏物語』を読んだでしょうか」「戦争に負けることが言葉に影響するものなのですか」など、多岐に渡っている。それらの質問に対して、著者は事実に基づいて、つまり過去の膨大な文学作品などの著作群を紐解き例示しながら、専門外にもわかるようにわかりやすく解説している。
たとえば、著者は日本語の起源は南インドのタミル語であるという研究を続けており、どうしてそのような確信を持つに至ったのかについて説明し、日本語との類義語の比較を説明してみせる。僕はこのタミル語という言語があること自体知らなかったのでその説明は新鮮に思えたのだけれど、確かに祭祀のやり方から共通する単語の意味や発音まで、興味深い類似が非常に多いなとは思えた。もちろん、日本語の起源にはポリネシアやモンゴルなど、諸説が入り混じっているようで、どれを信ずるのかというのは各学者によって異なってきているのだけれど、一つの説としてはやっぱり信憑性はあるように思う。
けれども、本書の中で最もなるほどと思ったのは、「文明力」のようなものが、戦後の漢字制限による漢字の覚える量の削減によって低下してきたのだという部分だ。日本には漢字とかな文字があるけれど、かな文字では表現に限りがあり、また情緒や感情についての言葉が多い。一方で、論理であるとか、明晰な思考のためには、日本人は古くからもう一方の漢字を多用してきた。その漢字の語彙数の豊富さなどが、認識力や思考力の礎となっていたのだという考えだ。つまり、語彙が多ければ多いほど、意味の差異や細かなニュアンス的なものを把握していることになり、より精密な論理を展開することができるようになっていく。その部分が、戦後の漢字制限で弱められてしまった。それがゆえに、現在の日本のある種の遅れが発生しているのであるという考え方だ。
これは、たまたま前回読んだ『読書力』の主張に通じるものがあるような気もするのだけれど、確かに語彙の量と考えるときの懐の深さのようなものには共通点があると思う。似たような言葉で微妙に意味やニュアンスが異なる漢字は多いし、そういった差異を把握しながら考えていくことが、より精緻な論理性を獲得するというのも納得することができる。
いずれにしても、たくさんの文章を読んでいくことが、言葉を覚える、そして読解力を高める手法なのだろうと思ったし、それによって得られるものの重要性は、いまなおかなり高いのだろうなとも思った。
いくつか引用。
日本人は漢文そのもの、その訓読系の文章によって明晰、簡明、論理的な組織化の重要さを学び、和文系の表現によって優しい心、自然を感受する心、情意の働きを受けとる能力を養って来た。その二つが日本人の心をはたらかせる車の両輪だった。(141ページ)
言語はただ道具として存在しているものではなく、物や事と即応する精神的組織です。精神を形成する組織を、訳のわからない形で強制的にいじることは、物や事を認識するはたらきを、じつは深いところでいじることです。言語の体系が傷つくと、物や事をそれなりに組織的に動かし運用して行くはたらきに歪みが生じ、全体が雑になるのです。(165ページ)
このような最近の社会現象に現れた、文明の正確な、精しい理解、把握力に欠けた日本人の行動は、私の見るところでは、実は日本語を正確に、的確に読み取り、表現する力の一般的な低下と相応じていると思うのです。(……)そしてまた言語の能力が低く、単語の数が貧弱では、文字を通して事態を精確に理解も表現もできないということがあります。(180ページ)
文化とは地球上の位置が持つ自然に伴って生じる地方性である。それに対して、文明とは、広く生産に関係する技術、精神世界に関する思考の体系。世界中どこにでも持って行くことができ、広がって行くことができる。世界に共通するもの、技術と論理、それが文明です。(192ページ)
ロゴスの意味は、「手に取って集めること、選び出すこと、言葉を選ぶこと、言葉の筋を立てた論述から、論理へ、理性へ、学問へ」と展開しています。(……)これに対して、日本語では「学問する」ことをマナブという。マネブともいう。真似をすること。日本では真似をすることが学問の本質とされて来たわけです。ここに文明を作り出してきた集団と、文明を輸入することが常に第一である集団との、行動と言語の様相の相違がはっきり見える。(200ページ)
―――――――――
お知らせ
日本シリーズは、巨人が王手なのですね。
2002年10月27日(日) |
サービス+『読書力』 |
今日は歯医者に行き髪を切った後で、時計の電池を交換しに行く。お気に入りの時計(2年半くらい前に買ったALBAの「WIRED」の初代。11000円くらいのやつ)のデジタルが表示されなくなってしまったのだ。 部屋の近くの商店街にある小さな時計屋に出したのだけれど、分解してもらって、そのサイズの電池がないことがわかってすぐの交換は諦める。電話番号を伝えて、一度帰る。 すると午後になって連絡があり、なんと交換が終了とのこと。驚いて店に行くと、その陽気なおじさん(分解している途中も、ずっと天気の話とかいろいろ話しかけてきてくれていた)が、問屋までスクーターを飛ばして電池を取りに行ったのだと教えてくれた。それで、電池の交換が終了したのだ。 「ありがとうございます」と言いながら、そのフットワークのよさに驚いていた(その間の店はどうしてたの?)。 僕は流通業に勤めているのでそういう商店街にあるような店舗とは良くも悪くもライバル関係にあると言える。商業施設や大型店舗が、そういった各地の商店街の地盤沈下を招いているということは、いたるところで起こっていることだということも実際に目で見てわかっている。けれども、そういうサービスを失い続けていくのだとしたら、大型店舗は安くて商品が豊富だけれどそれだけの店で終わってしまうかもしれない。そしてそういった店舗は最終的にはお客の支持を失ってしまうかもしれない。考えさせられた。ある程度規模の大きくなった小売業の場合は、もし在庫がなければ取り寄せ対応になることは間違いない。スクーターで自ら問屋に商品やパーツを取りに行ったりする社員は(たぶん)いないだろう。もちろん、大型店舗であれば電池の在庫がないということは起こり得ないかもしれない。けれども、システムや効率を追求することと、お客のために行動することと、その線引きのバランスはやっぱりなかなかに難しいことだと、今回のことであらためて思わされた。
よく様々な企業が「お客様の立場に立って」と言う。僕の勤めている会社だってそう言っている。けれども、一番手っ取り早くその気持ちがわかるようになるためには、自分がお客になって様々なお店を利用することなのだろうなと思う。そして、ただ買い物をするのではなく、サービスであれ、商品であれ、陳列であれ、システムであれ、そういった様々なものを見比べて、よいところを学び、問題点を発見し、問題点についてはどうしたらよくなるのかと考え続けること。そしてよくなったものを自店に取り入れることができないかどうかを考えてみること。言うのは簡単。けれども、そういう行動の繰り返しは、絶対に必要だと思う。 世界最大の小売業であるウォルマートの創業者サム・ウォルトンは、自分がウォルマートのような企業を一代で創り上げたことは、他のどんな経営者よりも自社や他社の店舗を見続けたからだとかつて話していたのだそうだ。その見続けたというのは、もちろんそういう比較する見方なのだろうと思う。それはいいとこどりのようなものなのかもしれない。けれども、それが悪いことだなんて誰に言えるのだろう? 大型店舗でありながら、商店街にある店舗のようなフレンドリーさがあること。もちろんそれはきっと難しいことだ。けれども、それは個々人の意識と、企業のシステム双方のバランスによってある程度までは実現することができると思う。人間だから(いくらプロだとしても)機嫌のいいときもそうでないときもある。キャパシティだってある。企業のオペレーション・システムが社員やパート・アルバイトさんのマン・パワーに過度に頼るようなものであり続けるのなら、きっとフレンドリーなサービスは絵に描いた餅になってしまうだろう。過度なマン・パワーを要求されるルーチン業務に加え、スマイルなどと言われてもできないときだってあるのだ。けれども、システムが、仕組みが向上していくことによって、ある程度マン・パワーに頼る部分が軽減され、余裕が生まれるようになる。そうしたらサービスも現実的に可能なものとなってくる。笑顔だってより多くの時間向けることができるようになる。だって、ものすごく混んでいるファストフードの店員と、比較的空いているファストフード店の店員を見比べたら、明らかに後者の方がギスギスしていないことが多いし。 いずれにしても、働いている人間のモチベーションの高さと、効率的なオペレーション・システムの両輪がうまく回ることによって、その店舗は、会社は前に進むことができるのだろうと思う。片方だけがより多く回っても、片輪だけが回る自動車が前進することができないように、同じところをぐるぐると回り続けることだろう。 難しい……。 けれども、今日の時計屋のおじさんには勉強させてもらった。
それから、電池交換の終わった時計をはめて散歩に出かけた。気分がよかったので普段あまり行かない方向に行く。 部屋からちょっと長く歩いたところにいままで入ったことのないおそば屋さんがあるのを見つけて、かつて近くに住んでいた同僚がおいしいと話していた店だということを思い出して入ってみることにする。そのときは午後3時過ぎだったのだけれど、まだお昼を食べていなかったのだ。それがあたり! 天丼セット(ざるそばと天丼)を注文したのだけれど、両方ともかなりおいしかった。いままで入ったことがなかったのはもったいない……と思った。美味しい店だけあって、周囲には家しかないのに、そんな時間でも店内は結構混み合っていた。駐車場に結構車が停まっていたから、わざわざ食べに来ている人が多いのかもしれない。
天気がよくて、散歩日和だった。周囲の木々はまだ色を変えていなかったけれど(山合いならもう変わっているのかもしれない)、それでも空が高く感じられる秋の終わりの日曜日だった。
―――――――――
『読書力』読了。齋藤孝著。岩波新書。
3色ボールペンの本を書いた著者が書いた読書力復権を謳った新書。読書を習慣化するべき「技」として捉え、その蓄積とそれによってもたらされる向学心のようなものなどが、日本の地力であると説いている。そして、読書が自己形成にとってどれだけ重要なのかを述べ、その上達のプロセスを明らかにし、果てはコミュニケーション力の基礎として読書が果たす役割にまで言及している。巻末には「大人の読書(著者の呼び方で言うのなら「多少とも精神の緊張を伴う読書」)」に移行するための文庫百タイトルまで挙げられている。 自らを向上させるための読書の素晴らしさ、自己形成への有益さを熱っぽく(これはちょっと新書としては驚いてしまうくらいに)語っているのだ。 読んでいて熱い人だなと思ったし、けれどもそれは視野が広くかつ熱いといった風なので、説得力があった。
3色ボールペンを使った読み方も各所で使っていて、それは個人的にはたぶんやらないのだけれど、それでも本書で書かれている内容にはなるほど、と思わされることが多かった。ちなみに、読書力があるというのは、「多少とも精神の緊張を伴う読書」を文庫百冊、新書五十冊読んでいることなのだそうだ。
なるほどと思った点の中から、いくつか引用。
私がひどく怒りを覚えるのは、読書をたっぷりとしてきた人間が、読書など別に絶対にしなければいけないものでもない、などと言うのを聞いたときだ。こうした無責任な物言いには、腸が煮えくり返る。ましてや、本でそのような主張が述べられているのを見ると、なおさら腹が立つ。自分自身が本を書けるまでになったプロセスをまったく省みないで、易きにに流れそうな者に「読書はしなくてもいいんだ」という変な安心感を与える輩の欺瞞性に怒りを覚える。 本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。(5ページ)
私は本を読むときに、その著者が自分ひとりに向かって直接語りかけてくれているように感じながら読むことにしている。高い才能を持った人間が、大変な努力をして勉強をし、ようやく到達した認識を、二人きりで自分に丁寧に話してくれるのだ。(……)もちろん書かれた本であるから、本当のライブのような、話し手の身体から発する雰囲気や親しさというものは十全ではないかもしれない。しかし、本当によい本は、書き言葉の中にその人の息づかいが込められている。感情の起伏も文章に表れる。気概や志は、むしろ凝縮して炸裂している。(15ページ)
唯一絶対の価値を持つ本があれば、場合によってはその本一冊を読めばよいことになる。しかし、そういったthe Bookと言われる特別な本がないとするならば、できるだけ多くの本つまりBooksから、価値観や倫理観を吸収する必要がある。(……)日本では、大量の読書が、いわば宗教による倫理教育の代わりをなしていたと言えるのではないだろうか。倫理観や志は、文化や経済の大元である。素晴らしいものをつくりたい、世の中をよくしたいといった強い思いが、文化や経済活動を活性化させる。(46-47ページ)
インターネットの隆盛に伴って、すべてを情報として見る見方がいっそう進むであろう。素早く自分に必要な情報を切り取り、総合する力は、これからの社会には不可欠な力である。しかし、何かに使うために断片的な情報を処理し総合するというだけでは、人間性は十分には培われえない。 人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて育まれる。身の回りに優れた人がいるとは限らない。しかし、本ならば、現在生きていない人でも、優れた人との話を聞くことができる。優れた人との出会いが、向上心を刺激し、人間性を高める。(58-59ページ)
その日常の話し言葉だけで思考しようとすれば、どうしても思考自体が単純になってしまう。表現する言葉が単純であれば、思考の内容も単純になっていってしまう。逆にいろいろな言葉を知っていることによって、感情や思考自体が複雑で緻密なものになっていく。これが書き言葉の効用である。書き言葉には、話し言葉にはないヴァリエーションがある。(66ページ)
自分の経験と著者の経験、自分の脳と著者の脳とが混じり合ってしまう感覚。 これが、読書の醍醐味だ。これは自分を見失うということではない。一度自分と他者との間に本質的な事柄を共有するというのが、アイデンティティ形成の重要なポイントだ。自分ひとりに閉じて内部で循環するだけでは、アイデンティティは形成されない。他者と本質的な部分を共有しつつ、自己の一貫性をもつ。これがアイデンティティ形成のコツだ。(87ページ)
読書は、完全に自分と一致した人の意見を聞くためのものというよりは、「摩擦を力に変える」ことを練習するための行為だ。自分とは違う意見も溜めておくことができる。そうした容量の大きさが身についてくると、懐が深くパワーのある知性が鍛えられていく。(105ページ)
パリのバルザックの家を訪ねたことがある。(……)その中で目を引いたのは、壁一面に張り巡らされた、バルザックの人間喜劇の登場人物の相関図だ。それはバルザック自身が作ったものではなく、後年、バルザックの研究者によって作られたものであったようだが、信じられないほどの数の人間の名前が、線で結びつけられて壁を埋め尽くしている光景は迫力があった。一人の人間がこれほど多くのキャラクターをつくり、それぞれを関係させ、一つの世界を構成し得たということを、一目で見ることができ、感銘を受けた。(179ページ)
―――――――――
お知らせ
『Always on my mind』の3をアップしました。
2002年10月26日(土) |
『スズメバチ』+『マーティン・ドレスラーの夢』 |
洗濯をしようと思って7時に起きたら、小雨が降っていた。 それで、洗濯はあきらめて朝食をとることにする。カーテンを開けて、窓も開けて、網戸越しにぼんやりとベランダの外の風景を見ながら、ゆっくりと時間をかけてパンやコーヒーを食べる。僕の住んでいる部屋は2階だし近くのマンションや家に遮られてそれほど見栄えのする光景が見えるわけではない。さらに、各部屋にはベランダがあって、上の階のベランダの影のせいで周囲はより暗く見えさえする。 けれども、影があるせいなのか、目を細めると雨の細やかな線がちゃんと見える。意識しないとあんまりよく見えない。だから一瞬雨が降っていないのかな? と思う。 けれど雨はちゃんと降っている。注意しなければよく見えないくらいの小雨が。
それから、パソコンを立ち上げていつも見るライブカメラ(原生花園)のページを見ると、雨は降っていなくてなんとなく不思議な気持ちになる。もちろん、頭ではわかっているのだけれど、それでも窓の外の雨と道東の小さな花園の天気が異なっていることが、どうしてかおかしいような気がしてしまうのだ。 そう言えば、まだずっと小さかった頃は雨が降っているときには世界中が雨なのだと思っていたような気がするし、世界中は同じ時間に朝を迎え、夜になるのだとも思っていたような気がする。だから、街によって天気が違うことを知ったことは、当時の自分にとってはきっとものすごいカルチャーショックだったんじゃないかと思う。それなのに、他にもそういう驚きはたくさんあったはずなのに、いまではもうどんなふうに、いつ驚いたのかということさえ忘れてしまっている。そういうものだと言ってしまえば話はそれで終わるのだけれど、そういうのって何だか不毛な代償を払っているような気になる。そういうカルチャーショックの体験や記憶を忘れる代わりに、自分が得たものが何なのかよくわからなくなるのだ。まあ、考えてみれば本当にいろいろなことをよくわからないままでいるのだけれど。
窓を開けているせいで、部屋の中が随分と寒くなってしまっていたので、それから少ししてから窓を閉めた。本を読み、いくつかのホームページを覗く。休日の午前中の過し方の、個人的な王道パターン。
11時少し前に、慌てて駅に向かう。あんまりのんびりしていたら映画の上映時間に間に合わなくなってしまうからだ。 今日は『スズメバチ』という映画を観に行くことにしていたのだけれど、いつも行くシネマコンプレックスでは上映をしていなくて、渋谷か関内のどちらにしようかと迷う(どちらも、初回上映が11時45分からのスタートだったのだ)。駅までの道でiモードを使って渋谷と関内のどちらに早く着くことができるのかを検索して、関内なら上映に間に合うことがわかり、横浜線に乗り込む。 iモードの画面メモに残した検索結果では、関内に到着するのは11時37分。ホームページからプリントアウトしておいた映画館の場所からすると、たぶん急いでギリギリというところだ。
地図をプリントアウトしていたおかげで、無事上映時間に間に合うことができた。横浜ニューテアトル。ニューという名前なのだけれど随分とレトロな映画館で、地下への階段を下りてチケットを購入して劇場の中に入ると、10人ちょっとしかいなかった。初日なのに……しかも、ほとんどが1人で観に来ている渋い感じの中年以降の男性ばかり。確かに渋い映画だけに、そういうのにも納得はできるのだけれど。 僕もそういう渋い面々の中に腰を下ろす。けれども、きっと渋くは見られないよな……ともちょっとだけ思いながら。
―――――――――
映画は、「新生フランス映画界がついに本格的なフレンチ・アクション映画を生み出した!」と宣伝されているもの。
アルバニア系マフィアのボスを護送中の特殊警察部隊が、彼を救出するために現れたマフィアの重装備チームに襲撃され、なんとか工業地帯の中にある倉庫へと逃れる。そしてその倉庫の警備を通じて救援を求めようとするのだが、偶然その倉庫には出荷前のノートパソコンを大量に奪おうとしていた窃盗団がおり、彼らが警備員を監禁し、また外部への連絡を絶つために携帯電話のアンテナなどを破壊していた後だったのだ。
倉庫はマフィアの軍隊とも見まごう部隊に完全に包囲され、連絡手段はすべて失われてしまう。特殊警察部隊のリーダーであり一児の母でもあるラボリ中尉は、包囲網をかいくぐり生き残るという共通の目的のために、窃盗団である彼らと協力をするようになる。また、監禁されていた元消防士の警備員のルイも仲間に加わり、機転の利いた行動でメンバーを助けていく。
スズメバチというタイトル通り、包囲された倉庫の外から尋常ではない数の銃弾が打ち込まれる。壁には蜂の巣のように細かな穴が無数に空き、マフィアの兵士たちは何度撃退しても繰り返し攻撃を仕掛けてくる。助けを呼ぶこともできない極限状況の中で、果たして彼らは助かるのか……
といったようなストーリー。その、特殊警察と窃盗団と、巻き込まれてしまった警備員が生き残るために協力するというシチュエーションに興味があり、それで観てみたのだ。 アクションや迫力はもちろんハリウッド製の方が優れているのかもしれないけれど、それでも充分遜色ないレベルにあると思ったし、リュック・ベッソンであれ今作の監督であるフローラン=エミリオ・シリであれ、アメリカ映画を自分なりに組み込んで吸収し作品を製作するフランス人はこれからも増えていくのだろうなと思う。もちろん、日本でも他の国でもそうだとは思うけれど。
この映画の場合は、最初はゆったりとしたペースで、主要な面々が倉庫に集結するまでを描いていく。まるで嵐の前の静けさというような感じだ。特殊警察側の裏側が描かれ、窃盗団の緊張が描かれ、警備員ルイの日常が描かれる。けれども、特殊警察部隊の装甲車が襲撃されるところから、物語はそのスピードを急激に早めていく。そして、部隊が倉庫に移り彼らが終結せざるを得なくなった地点から、様々な状況を背負った登場人物たちは、そういったものを脱ぎ捨ててとにかく生き残るために戦う他はなくなる。けれども、その前のシーンでの説明的な「ため」があるために、その極限状況の中での行動に、それぞれの人物の本質のようなものが浮き彫りにされていくのを見ることができるようになるのだ。
怯えていた若者は守る者のために弱さを捨てるし、反りの合わなかった2人は近付くようになる。また窮地に陥ったときに自分を失ってしまう者がいて、冷静に自分たちが生き残るための方法を模索する者がいる。そういった追い詰められた状況であるからこそ見えてくる姿が、この映画ではしっかりと描かれていたと思う。
声を出して誰にでもおすすめというような映画ではないけれど、観てよかった。
―――――――――
映画を観終わった後、ずっと昔に巨人―横浜戦を観て以来関内で降りたことがないことを思い出し、関内の街を少し歩く。歩行者通路のみの商店街は歩いていて気楽で楽しい。有隣堂はやたらと混んでいた。そしてケンタッキーやスターバックスコーヒーなんかがあった。 それでふと思ったのだけれど、ある程度都市に住んでいる人はでかけているときにちょっとしたゲームをしたらおもしろいかもしれない。「ファストフード&カフェゲーム」。1人でも誰かと一緒でもいいのだけれど、街に出かけるときに1つチェーンを決めて、目的地の駅から戻ってくるまでの間に、いくつくらいそのチェーンの店があるのかどうかをかけるのだ。たとえば、マクドナルドに決めて、それが4店舗と決めて、歩いている間、買い物をしている間に見つけたらカウントしていく。そして、最後帰るための駅まで来たときにそれ以上あったら負け。もし2人とかでそのゲームをするのであれば、買ったほうが負けたほうに駅の近くのカフェやファストフードで、コーヒーでもおごればいいわけだし。そういうちょっとしたゲーム。
関内から帰りの電車に乗る。桜木町で横浜線の電車に乗り換え。すると、隣にアジア系の男性が座り、「この電車は新横浜に停まりますか?」とカタコトの日本語で尋ねられる。「停まりますよ」「3駅目ですか?」その電車は快速だったので正確に答えようと思って扉の上にある路線図を確認してから、「3駅です」と指を3本立てて答える。元々本を読んでいるときに話しかけられたのでそのまま続きを読んでいたのだけれど、新横浜で降りるときに、その人は微笑んでくれてから降りていった。なんとなく穏やかな気持ちになる。
―――――――――
部屋に帰ってきてから、本を読み、いくつかのホームページを巡り、会社の人と電話で話す。その間、基本的にはいろんな音楽がかかっていた。Charaの『初恋』、エブリシング・バット・ザ・ガール、サヴェイジ・ガーデン、タミア、矢井田瞳、それからK-Ci&JoJo。
―――――――――
『マーティン・ドレスラーの夢』読了。スティーブン・ミルハウザー著。柴田元幸訳。白水社。
※ネタバレあり。
帯にはこう書かれている。
摩天楼がつぎつぎい建ちはじめた二十世紀初頭のニューヨーク。ひとりの若者が壮大な夢を胸に、成功の階段を昇っていった…… ピュリツァー賞受賞の傑作長篇小説
ピュリツァー賞(ジャーナリズムのアカデミー賞のようなもの? ジャーナリズム、文学、音楽などの各分野で該当作が選ばれる)は『停電の夜に』も受賞しており、結構期待して読んだのだけれど、帯にある「成功の階段を昇っていった……」の「……」の部分があのような形になっていくのだとは思わなかった。もちろん、その「……」は成功への階段を昇っていった先には実は……ということが予見されるものではあるのだけれど、それが世俗的な失敗というよりはむしろ、マーティン・ドレスラーが夢想の世界と現実の世界との境界線を曖昧にしていくというものだったからだ。
前半は、当時のアメリカの様子を生々しく描きながら、小さな葉巻商の息子として生まれたマーティンが持ち前の才気と行動力を示してホテルのベルボーイから支配人の秘書へと出世していく様子が描かれ、その後独立し自らカフェのチェーンを展開するなど、立身出世物語の色彩が強い。物語は、ときどき幻想的なイメージの集積のようなマーティンの夢が語られることがあっても、基本的にはリアルな世界の中で進行していく。 また、その過程で将来の妻となる姉と仕事仲間となる妹、そしてその母親の3人とも知り合うようになる。 しかし、カフェチェーンを売り払い、その資金で経営が傾きかけていたかつて自分が働いていたホテルを買収する頃から、物語は少しずつ単なる立身出世物ではない方向へ軸足を移していく。 マーティンはそのホテルを足がかりに、徐々に規模のより大きなホテルを建造していくことになる。目指すのは自らの夢や幻想を投影したような、その建物だけでひとつの完結した世界ででもあるかのような巨大なホテルである。高速エレベーターの発明も相まって、新しいホテルは天高くそびえ、そして地下深くに広がっていく。そして、ホテルの高さが、あるいは地下の深さがより大きなものになっていくのに合わせるかのように、物語は同様に現実からも離れていくのだ。たとえば、最初の大きなホテル「ザ・ドレスラー」について語られている部分に、このような箇所がある。
都市生活者はみな二重の欲求を抱いている、というのがハーウィントンの信念だった。すなわち、物事の只中にいたいという欲求と、それに劣らず強い、物事のうとましい只中から逃れて、どこか静かな、木陰のある小径があって小川のせせらぐ、ごく漠然と思い描かれた花の上からマルハナバチの羽音が聞こえる田舎へ逃れたいという正反対の欲求。ザ・ドレスラーはこの両方の欲求に応えることができる。長期滞在を考えている人々には公園や川を提供し、絵に描いたような田園の隠遁地のイメージを差し出せる一方、都市が否応なしに北上していく流れの先端に立ち会っているという感覚も売り物にできる。(199ページ)
ここに書かれているように、マーティンの作るホテルは、相反し矛盾する概念を内包するものだ。「現代的な鉄骨のビルを、たっぷり装飾を施した石造りの壁が包んで、お城や宮殿の夢を喚び起こす。」ようなものなのである。そして、そのようなホテルは最新鋭の設備の中にいたいと思うのと同時に古きよき価値の確立されたものにも触れていたい人々の関心や注目を集め、当然のごとく賑わう。ホテルは大成功となり、世間的な意味でいえばマーティンは破格の成功者ということになる。 けれども、マーティンは飽くなき探求者ででもあるように、より大きく、まるで世界そのものといったホテルの建造へとかき立てられていくのだ。
そして、最終的にマーティンが作ることになるホテルは、その傾向を徹底した想像を絶するものになる。グランド・コズモという名前のそのホテルは、地上30階、地下13階もの大きさを示すのだ。しかも、そのホテルの真の凄さは単なる大きさではない。そこには様々なものがある。豪華な部屋があり、建物の中であるというのに鬱蒼と木の茂る田園があり、本物の砂を敷いた湖畔がある。また、機械仕掛けのナイチンゲールが木の枝でさえずり、二十四時間詩が暗誦される場があり、劇場があり、宿泊者のためだけの百貨店まである(グランド・コズモの内部の描写にはかなりの分量が割かれており、それ自体がある意味盲執的なものだ)。 本文では、こう書かれている。
すなわち、都市を不要にする場としてのグランド・コズモ。それ自体都市であれ、人々が都市を逃れてやってくる場であれ、グランド・コズモは完結し、自己充足した世界なのであって、それに比べれば現実の都市など、単に劣っているのみならず、余計でもあるのだ。(250ページ)
しかし、それ自体都市であるとさえ言えたそのグランド・コズモは、世間の関心を惹きはしたが事業としては失敗に終わる。そのあまりの完璧さが人々と相容れないところにまで来てしまっていたのだ。時代の先端を走りすぎていたということができるかもしれないし、マーティンの自らの内なる声に従い続けてしまった結果でもあるのかもしれない。 これは、ある意味予測された失敗であったと考えられる。現に、マーティンたちは、生活者が二重の要求を抱いているということを正確に認識していた。そして結局のところ、グランド・コズモの失敗も同じものによるのだ。つまり、生活者=人々は、完璧なものを求めるのと同時に不完全なものを求めるのである。根本的に矛盾する性質を持っており、だからこそそれ自体で都市とさえなりえた完璧な場所であるグランド・コズモは、人々の注目こそ惹いたけれども、結果としては本当の意味で人を掴むことができずに失敗に終わるのである。それ以前のホテルが成功していたのは、完璧さを目指しながらもまだそこには到達していない、つまりかなり高いレベルで完璧さを維持しながらも不完全な部分が隙間としてそこにあったということによるのではないかと思うのだ。
後半部分のどこか幻想的な描写群も想像力を刺激されるという意味で魅力的ではあったのだけれど、個人的にはマーティンが現実側に足を置いている中盤くらいまでの方が魅力的ではあった。もちろん、様々な事業を手がけていく中で、マーティンは自分が本当に目指したいものを少しずつ理解し、結果としてそれがどこか夢想や妄想のようなものに近くなっていくことも、成功者が成功するのは自らの内なるビジョンにあくまでも忠実に行動するが故であるという意味で、リアルであると言えるのかもしれないけれど。
一人の人物の中にある、何色もの糸が絡み合って丸い塊になっているような精神を、木目細やかに丁寧に表現したような作品だった。
―――――――――
お知らせ
のんびりした休日でした。
彼女の名前は、フランソワーズ・ドルレアック。昨年の6月26日、ニースの空港に向かう途中、交通事故でこの世を去った。映画ファンにとって、それは、これからスターになろうとしていた25歳の美しい女優の生命を一瞬にして奪ってしまった痛ましく残酷な事故であった。仕事の面でフランソワーズ・ドルレアックを個人的に知っていた人々にとって、彼女は何よりもまず人間としてめったにめぐり逢えない女性だった。彼女と1時間いっしょに話した人なら、誰もが、その人間的な魅力、女らしさ、知性、品位、信じられないくらいの精神力に心うたれ、忘れ難い印象を持っているにちがいない。 海草のような、あるいはグレイハウンド犬のような、現実ばなれしたきゃしゃな体格に似つかわしくないほどの芯の強さ、ときには頑固さを持った個性的な人であった。(……)彼女は10代から毎日、朝晩、冷水のシャワーを浴びる習慣を身につけていた。「だって、20歳になったら、40歳の準備をしなければならないから」と彼女は言っていたものだ。早くさまざまな役をやりたがり、たくさんの映画に出たくて、まるで生き急ぐかのように、待ちきれずにいたのである。(……)そして、6年ごとにいっしょに映画を撮ろうと話した。次は1970年に、ついで1976年に、それから1982年に……といったぐあいに。彼女に手紙を書くとき、わたしは、ボビー・ラボワントのシャンソンの文句(「フランソワーズが本名なのに/フランボワーズと人はよぶ……」)をモジって、「フランボワーズ・ドルレアック様」と書いた。きっと彼女は微笑みながら手紙を読んでくれるだろうとわたしは信じた。 フランソワーズ・ドルレアックは、妥協をゆるさぬ徹底したモラリストだった。彼女のいくつかのインタビューを読むと、人生と愛についての厳しい警句に満ちていることにおどろかされる。彼女は自分の嫌いな人間には唐突に遠慮のない厳しい視線を向けた。率直であるとはいえ、わがままであることも否めなかった。彼女はまだ人生に徹底的に打ちのめされた経験がなく、他人に対する寛容を知らなかった。 しかし、これからは人間的に大きく成長して、微笑から笑い声へ、そしておおらかな哄笑へと高まっていくはずだった。しかし、1967年6月26日、すべての笑いは封じられ、彼女の人生のすべてが突如、永遠に閉ざされてしまったのである。(『トリュフォーによるトリュフォー』87-88ページ)
僕は映画監督としてのフランソワ・トリュフォーが本当に好きなのだけれど、それと同じくらい、文章家としてのトリュフォーにも惹かれている。その簡潔さと、ユーモアと、あるいは真摯さと(誠実さ)、そしてときに優しく感情的な文章に、繰り返して読むたびに帰省でもして懐かしい部屋に帰ってきたような気持ちになる。学生時代、卒業論文をトリュフォーで書いたこともあって、僕はトリュフォーの書いた文章をたくさん読んできた。そして、読むたびにいつまでもこの文章の中に、あるいはトリュフォーのまなざしを通じた世界に浸っていたいと思ったものだった(もちろん、それはトリュフォーの友人でもあり訳者でもある山田宏一氏の訳文によるところも大きかったとは思うのだけれど)。
たとえば、最初に少し長く引用したフランソワーズ・ドルレアックについて書かれた文章からは、彼女の気質のようなものが浮かび上がって感じられるように思う。僕はトリュフォーの映画『柔らかい肌』での彼女しか見たことはないのだけれど、そのときの記憶と本書にも残されている写真を通じて、トリュフォーの文章が彼女の根本的なものをうまく掴まえているように思えるのだ。たとえば、誰かについての文章を書く場合、細々とした細部はそれほど必要ではないのではないかと思うときがある。頭の上からつま先までの細部をなぞるよりも、その根本的な中核になる部分を簡潔で的確な言葉で選び取ることによって、しっかりと餌のついた針を飲み込んでしまった魚がもう逃げられないように、どういう描写をしようとその人本人をしっかりと掴まえてしまうことができるのではないかと思うのだ。そして、映画監督という職業柄なのか、それとも、人を見極める力に優れているからなのか、トリュフォーはそういうのがものすごくうまい。映像でもそれを撮るし、文章でもそれを表現する。そのまなざしは穏やかで、ある種の包容力のようなものを持っている。けれども、どこかドライな面も垣間見えて、そういうところにひどく惹かれるのだ。人生というものを正しい重さで(もしそういうものがあるのだとしたら)把握していて、けれどもだからこそ感情が重要であることを充分すぎるほど理解している人物であるように思えるのだ。
それはトリュフォーの撮ってきた作品『突然、炎のごとく』『恋のエチュード』『アデルの恋の物語』『隣の女』などに確実に現れている。世界を自分の見たいようにしか見ることができない人がどちらかというと多いかもしれない中で、トリュフォーの目には世界は世界として見えていたのだと思う。楽しいことも、そうではないことも、きれいなものも、汚いものも、トリュフォーはすべてを等距離で見ることができていて、だからこそ重要だと彼が信じるものを世界から切り取って繋いでいったのだ。映像として、あるいはそれよりは少ないけれど文章として、世界を編集していったのだ。そしてそれは、優れた芸術家に求められる特徴のひとつなのだろうし。 トリュフォーはこうも言っている。
「私生活は誰の場合もぎくしゃくしている。映画のほうがずっと調和のとれた世界だ。映画はよどみなく進む。映画には死んだ時間がない。映画は列車のようなものだ。ノン・ストップで疾走する夜行列車のようなものだ」(『トリュフォーによるトリュフォー』141ページ)
そういう夜行列車を走らせるためには、何がぎくしゃくしているのかを理解し、線路の上に置かれているぎくしゃくの原因である石を取り除かなければならない。そして、主題をより明確にする方向に線路を敷いていかなければならない。 物語を産み出すのが世界を編集することであるのなら、それは捨て去るものと残すものを選別することと同義になるし、それを行うことのできる目と手を持っていなくてはならない。そして残したものに関しても、どのように残すのかに自分なりの考えを持ち、理解していないければならない。トリュフォーにはトリュフォーの路線を作る力があったと思う。そして、その線路はたいていの場合淀みなく続き、その線路を走る夜行列車は、猛スピードで乗客たちを目的地まで運び出していった……。 トリュフォーはたくさんの映画を観て、たくさんの本を読んだ。そして自ら撮り、自ら書いた。それらの密接な繋がりのなかに、関連性のなかに、トリュフォーという人物が浮かび上がってくる。そのトリュフォーのすべての側面に個人的にはかなり惹かれている。だからこそ、好きな作家は? と尋ねられたときにも村上春樹やアーヴィングや江國香織を挙げた後に、もし好きな文章を書く人も付け加えてもいいのであれば……と前置きをした上で、トリュフォーを加えてしまうのだろうとは思う。
―――――――――
人生にとって想像力はたぶんとても大切なもので、僕はずっとその力のようなものを信じている。もちろん、物事にはバランスが重要だとも考えているので、一日中想像の世界に入り込むようなことはしないのだけれど、それでも想像の世界に身を委ねるような時間はなくしたくないとは思う。現実的であることと、想像的であることはどちらもとても魅力的なことで、限られた時間のなかで、その線引きの場所を、しっかりと見極めてバランスをとっていくことができたらなとは割と切実に思っている。
想像力というのはたとえば、部屋でコーヒーを飲むようなときに、コーヒー豆のことを考えるということだ。 このコーヒーの豆を砕いた粉は、ある南米の国で作られたもので、運命的な出会いをした夫婦の経営する農園で作られたものだと考えてみる。たとえば、男は大きな農園の息子で、女はその農園で働く農園長の娘で、2人は身分を越えて激しい恋に落ちる。本来であれば莫大な財産を引き継ぐことができた男はけれどもそれをすべて捨て、雷の鳴る嵐の夜に女とともに旅立つ。そして、荒涼とした、本来であればコーヒーなど育成することのできないような土地にたどり着く。そこで、2人は協力し、また新種のコーヒーを研究している男と知り合いになり、無口だけれどしっかりと仕事をする相棒を得て、子供が産まれ、嵐の年と豊作の年を経て、やがては父親の農園をもしのぐような規模のコーヒー農園を作り出すようになる。そして、この豆はその農園で作られたものなのだとか考えてみるのだ。頑張ったなボビーとキャシーとか勝手に名前をつけたりもして。
いつもいつもそういうことを考えているわけではないけれど、たまに休日にのんびりとコーヒーを飲んだりするようなときには、そういうことをぼんやりと想像していたりする。
あるいは、ぼんやりとベッドに座って、あるいは横になって、昔歩いたことのある町のことを頭の中で思い出して、当時の出来事に思いをめぐらせることもある。そんなときには、調子がよければいまその町を訪れたらどんな感じだろうとイメージすることができたりもする。天気はどうだろう? とか、どんな人とすれ違うのだろう? とか、にぎわっているのだろうか? とかそういうことを考える。想像の中で、町はかつてのままの姿を留め、また次の瞬間には他の町と一緒になってみたりもする。想像の中では、ものすごく都合のよい、いいとこどりのような町が出来上がっていて、想像の中で僕はその町を散歩してみる。 実際の散歩も楽しいけれど、そういう散歩もそれはそれで楽しい。
現実的でありたいとはいつも思う(そしてまあ、たぶん現実的なほうだと思う)。けれどもいろいろなことを想像することは忘れたくない。そしてそういうのはきっとどちらかを捨てなければならないというものでもきっとなくて、割合融通が利くことなのだろうなと、共存することができるものなのだろうなと、結構楽観的に考えている。
―――――――――
お知らせ
トリュフォーの作品はいくつかがDVDにもなっています。
2002年10月24日(木) |
お知らせ+TOPICS |
よくフリーメールなどのサービスを行っているページにはお知らせというものが書かれている。
たとえば、僕の利用しているところでも「○月○日以前のメール本文が表示されない件の復旧について」とか、「認証サーバーの高負荷によるログインのレスポンス低下及びメール遅延の復旧について」などと書かれている。利用しているサービスに何らかの障害や問題があった際に、そのお知らせ欄を見ることによって原因を理解し、いつごろの復旧になるのか、あるいはどのような対応をとればいいのかがわかるようになっているのだ。 また、Daysを書いている「Enpitu」のトップページでも、「TOPICS」として、日付と一緒に「新ジャンル、アクセスランキングの追加」や「無料版の新規募集一時停止のお知らせ」などというニュースや連絡事項が記入されている。もちろん、すべて問題なく滞りなく進むのが理想ではあるのだけれど、首都高から事故がなくならないように、インターネットのサービスからは何らかのトラブルは決してなくならない。それだけに、高速道路に事故情報の看板があることによって注意するポイントがよくわかるようになるように(事故渋滞に巻き込まれてしまうので迂回しなければ、と判断することができたりする)、お知らせ欄があることによってなんらかの対策を講じることができたり、状況を理解することができる。 そして、たいていの場合情報を集め、知ることは有益であることが多いから、そういう部分は重要だと思う。
ということで、ちょっと実験としてDaysにもお知らせ欄を作ってみようと思う。 普段、よくDaysに遊びに来ていただいている方は、よくお読みください。
―――お知らせ―――
・9月20日以降のSun Set宛のメールが、3丁目の豆腐屋主人佐藤源三さんに届いてしまう件について。
・【続報】佐藤源三さんがとまどいながらも返信をしてくれる件について。
・ポエムンの「簡単☆ポエム」教室12月期開講のお知らせ(定員25名)。
・サーバー障害のお知らせ(すべての文章の語尾が「〜かしら?」に自動的に変更されてしまう件について)
・【再続報】佐藤源三さんの昔堅気な常識を説くメールに感動する人が続出している件について。
・【再々続報】佐藤源三さんのホームページ「ワシの流儀〜佐藤源三説法集〜」が開設されました。
……あれ?
―――――――――
お知らせ
急激に冷え込んできて、初冬の雰囲気が感じられるのです。寒い寒い。
2002年10月23日(水) |
『チェンジ・ザ・ルール!』 |
昨日は仕事である適性検査の会社の講習会に参加してきた。 実際に自社で利用している適正検査についてより深く知るという目的があって参加したのだけれど、ひとつの検査を用いても(もちろんそれがある種の傾向でしかないのだとしても)様々な見方があるのだと知ることができて、とても参考になった。 もちろん、自ら設問に答えていく適性検査の場合、どうしても回答者の方で嘘をつくというか、自分を飾ることを避けることはできないのも事実だ。とりわけ、採用試験のフローのひとつとしてそのような適性検査を行う場合には、その傾向がより顕著になってくる。それは考えなくても当然ことだ。合格したいと思ったら、よりよい自分というのを見せたくなるのは当たり前のことだろうし、それは他のことだってきっとそうだし(仲良くなりたい人がいるとかそういうときに)。 けれども、適性検査で知りたいのはその人本来のキャラクターであり行動特性等であるから、基本的にはほとんど考えずに、どんどん回答してもらった方が都合がよい。その方が本来の性格が出てくるわけだし、検査の信憑性のようなものも高まってくる。 それで、極力そういう「恣意的な」結果にならないための方法というのがいくつかある。 中でも代表的なものは速度を一定にすることだ。たとえばテープであったり、試験官が問題を読み上げることによって、回答の際して一定の速度を保ち、あまり考えさせないリズムなりテンポなりを作ってしまうことだ。その方法は以前から知っていたのだけれど、なるほどなと思ったのは、「同じテストは入社後にももう一度行うので、ありのまま気楽に答えてくださいね」というようなことを検査の前に伝えるというものだ。問題数がそれなりにはあるので、そのすべてに対して自分がどう答えたのかということを覚えているわけにはいかない。だとしたら、もしその会社に受かった場合、いま行っている検査と入社後の検査の結果に大きな差が出ているのでは何かと不都合があるのではないか。それであればありのままに答えるしかない。受験者にそういった心理が生まれ、精度が高まってくるというのだ。 これは(他愛のないことなのかもしれないけれど)結構納得することができた。もちろん、入社後に本当に同じ検査を再度行う必要はないのだけれど(ある種のポーズなのであるから)、それでもそう伝えることがある種の抑止力になってくるのだということは実際にそうなのだろうと思う。 (採用の仕事をしている関係上)これまでもいくつかの企業のそのような講習会に参加してきたけれど、それぞれ興味深い内容でそういう話を聞くことができるという意味では、いまの部署にいて得をしているのだろうなと思う。
―――――――――
『チェンジ・ザ・ルール!』読了。エリヤフ・ゴールドラット著。三本木亮訳。ダイヤモンド社。
いまたいていの書店で平積みにされている3冊(オレンジ→赤→青)中の青の本。いわずとしれた『ザ・ゴール』の著者の第3作目であり、最新刊。帯にはこう書いてある。
在庫削減を目的にERPを導入。だが、むしろ在庫は増え、利益を圧迫している――いったい、なぜなんだ!? はたして、クライアント企業の悲鳴を解決できるのか!?
「システムを導入しただけでは、利益にはつながらない。なぜなら、何もルールが変わっていないからだ!!」
タイトル通り、この本の中では新しいテクノロジーを導入したとしても使う側のルールが従来となんら変わっていなければ、結果としてその旧態依然のルール自体がテクノロジーの導入によって解消されたはずの限界を再度作り出してしまうという状況が描かれている。その際に、このシリーズではおなじみのTOCの理論を用いてどの部分のルールを変化させなければならないのかを特定し、そうすることによってシステムの導入によって利益が上がるということを明らかにすることができるようになっている。それを、いつものように臨場感のある小説仕立てで記してくれているのだ。 やっぱり、1作目を読んだときのように引き込まれたし、非常に面白く読むことができた。このシリーズは、分厚く、敷居が高いように見えてしまうのだけれど、読み始めると本当に早く読むことができてしまう。未読の方で興味のある方は、ぜひともオレンジの1作目(『ザ・ゴール』)から手にとっていただくことがおすすめ。そうしたら、『部分最適』とか『全体最適』という言葉をやたらと使用したくなることうけあいという感じだ。
それはともかく、今作ではこれまでTOC理論の披露の場であった工場からソフトウェア開発企業へと舞台を移し、高価なシステムを導入しても成果や利益が上がらないでいるのはなぜなのかということについてひとつの視点を与えてくれている。僕はそういう面には疎いのでなんともいえないのだけれど、これはシステム開発担当者が読むと興味深い内容を内包しているのだろうなとは思う。もちろん、舞台となっているのが1998年であるから、今から考えると随分と古い時代を扱っていると思うかもしれないけれど、問題の根本的なところはきっと変わらないし、システムだけを売り込むのではなく、システムの導入によってどのような問題が解決されるのかということにまで言及されている点(2002年では当たり前のことなのかもしれなくても)が非常に興味深いのではないかと思う。
問題は次々と起こる。そして、方法や方向性さえ間違わなければ、解決することのできない問題はほとんどないのだろうなということを、このシリーズを読むと思う。
いくつかを引用。
私たちはコンピュータが利用できるようになる前から、組織を管理、運営してきました。では、どうやっていたのか。コンピュータが利用可能になるずっと以前から、その環境における限界、障壁に対応した行動パターン、評価尺度、ポリシー、ルールなどが自然発生的に作り上げられていたからに違いありません。 もし、限界や障壁を取り除いてくれるコンピュータシステムをインストールしても、こうしたルールが古いままだとしたら、いったいどんなメリットがもたらされるでしょうか。 答えは明白です。それまでの古い限界に対応していたルールに従った行動をとり続ける限り、その結果は、いまだにその限界が存在している場合と変わりありません。(日本語版への序文より)
それに劣らずクライアントの理解できる言葉を話せることも重要です。コスト削減、生産性の向上、リードタイムの短縮など相手に合わせた言葉で話ができなければいけません」(77ページ)
スコットは自らの経験を通して、どうしようもない問題にぶち当たった場合でも、必ずシンプルでパワフルな解決策があることを学んできた。しかし、そのためには視野を大きく持たなければいけない。問題をもっと広い視野から見ることで、初めて解決策が見えてくるのだ。(94ページ)
テクノロジーというのは必要条件ではあるが、それだけでは十分ではないんだ。新しいテクノロジーをインストールして、そのメリットを享受するには、それまでの限界を前提にしたルールも変えなければいけない。(175ページ)
「バリューを実現する、つまり利益を増やすためには、”テクノロジーは必要だが、それだけでは不十分”(Necessary but not sufficient)ということだ。今年になってから、私たちはクライアントに対しバリューを提供することに傾注してきた。もはや、テクノロジーだけにとらわれていない。クライアントに対し潜在的なバリューを実現し提供するにはどんなことだってする。たとえ、それがソフトウェア会社としての活動の範囲を超えていたとしてもだ」(298ページ)
―――――――――
今日は転勤する後輩ともう一人の後輩と3人で、夜にステーキを食べに行ってきた。最近は異動が多くて送り出すことが多いのだけれど、やっぱり同じピーク時期を一緒に働いてきたメンバーがいなくなるというのはさみしいと思う。もうずっと会えなくなってしまうわけではないにしてもそれでも。
―――――――――
お知らせ
いまのTop写真は、車の助手席から撮ったものです。夕方。
今日は仕事が終わった後に、21時くらいに7人でお好み焼きを食べに行く。 目の前の鉄板で、自分たちで焼くタイプの店。 いままで自分で焼いたことがなかったので、見よう見まねでやってみる。他にも、食べたことのなかったそばめしも一緒に注文して、ソースをかけたりかき混ぜて焼いたりする。やっぱり、自分が手を加える過程がある料理はおいしいと思う。焼肉とかしゃぶしゃぶとか鍋がそうであるように。
そばめしは、いまでは冷凍食品まで出ているので結構有名だと思うのだけれど、数年前まではほとんど名前を聞かなかった。誰もが考え付きそうな感じではあるのだけれど、それでも実際に形にして広めようという人は少数ということなのだろうか? おいしかった、おなかいっぱい。
―――――――――
お知らせ
今日はアラニス・モリセットの「HEAD OVER FEET」をリピートで聴いています。 この曲のクリップがもう一度見たい……。
2002年10月19日(土) |
『xXx』+部屋のこと |
久しぶりのDays。その間平均睡眠時間3時間くらいだったり、そんな体調なのに後輩の送別会に参加してボーリングをしてみたり、はては後輩が転勤前に一度僕の部屋を見てみたいと言っていたので、その希望を叶えるために招待したりと、なんだかんだで慌しかったのだ。 とりあえず、それは後半で。
―――――――――
今日は近くにあるシネマコンプレックスで『xXx』(トリプルエックス)の先行ロードショーを観てくる。 パンフレットに「新種のシークレット・エージェント誕生!!」と書かれているように、これまでの無口でプロフェッショナルなスパイやエージェントと異なり、アンダーグラウンドな世界のX-スポーツのカリスマであるケイジが主人公となっている。国家安全保障局は、悪には悪をとの考えから、東欧のテロリスト組織へ潜入するエージェントを、生え抜きからではなく札付きの悪(ワル)たちのなかから選ぶことにする。そして、選ばれた悪たち数人に課せられた試験の中で、ケイジがトップで合格するのだ。ケイジは、罪をなかったことにすることと引き換えにエージェントになる。もうそのはじまりから何かが起こりそうな予感で期待してしまう。国家や世界の敵のためにエージェントになるというわけではなく、いやいやなってしまうのだから。 けれども、このユーモアに溢れたタフでホットな新種のエージェントは、その破天荒な潜入捜査中に、自らの中に確かにあった感情に気がついていくようになる。国家のためではなく、自らの倫理観や守りたいと思うもののために、まさに本能的にエージェントの活躍をしていくようになるのだ。そしてその行動も大上段に構えた奇麗事風なことではなく、ただ守りたい人を守るとか、たくさんの人が意味もなく殺されていくことは許せないという誰にでもあるような感情に基づいていて、そういうところが奇麗事ではないように見えて、思わず共感してしまうのだろうなと思う。 肩に変な力の入っていない、そういうところがあって。 アクションはもうぜひ映画館でという迫力。ダイブ、ダイブ、ダイブの連続に爆発、ハードなパンクロックに、魅力的なアイテム、バイクやスノーボードを使ったアクション。見せ場はたっぷり、見るほうも肩の力を抜いて、ハラハラドキドキしながらポップコーンとコーラを手にしながら観たい映画。 続編とかあるだろうなーというような魅力的な映画だった。 スキンヘッドが印象的な主演のヴィン・ディーゼルは、いかついのに愛嬌があって存在感のあるいい俳優だと思う。
―――――――――
転勤する後輩の送別会のときに、前から「一度部屋を見てみたい」と言われていたので、うちに招待する。本やらCDやら結構マニアックな部屋だという話になったことがあって、それで見てみたいと言われていたのだ。 送別会の後、そのままの流れで6人が一緒に来たのだけれど、「部屋って性格出るねー」と言われる。 それでもまあ、希望が叶えられたようでよかったかなと思ってみたり。
My Favoriteの「インテリア」のところを更新。 部屋の写真を撮ってコメントを入れる。 ふと、転勤が多く、これからもいくつかの部屋に住むだろうから、その記録でも残しておこうかなと思ったのだ。 基本的に部屋の中にいることが多く、またそれが好きなので、その部屋は自分のお気に入りであればいいなとは昔からずっと思っていて、少しずつ雑貨を買ったり、お金を貯めて家具を買ったりしていた。お金は全然ないのだけれど、他の人が洋服とかにかけるようなお金を部屋の中のほうに使っていたというような感じなのだろうなと思う。
いまの部屋はリビングで本を読んだり、ベッドで寝転んで雑誌を見たり、歌ったり踊ったり(?)と、のんびり過しやすいのでお気に入り。
―――――――――
お知らせ
マックチョイスがはじまったのに、ハンバーガーとポテトとコールドドリンクばかりを頼んでしまいます……。
2002年10月15日(火) |
はじめてのAmazon.co.jp |
いまさらながらという感じもするのだけれど、13日にようやくはじめてAmazon.co.jpを利用した。 昨年の9月13日付けのDaysで『アマゾン.ドット.コム』(ロバート・スペクター著。日経BP社)を読了して、そのときに「今度利用してみようかなと思う」とか書いておいて、1年以上も利用していなかったことになる(やれやれ)。
そして、今回も利用するつもりが最初からあったわけではなかったのだけれど、「お気に入り」の中にずっと入っていたアマゾンのページを久しぶりに覗いてみて、ちょっと買ってみよう! と思ってしまったのだ。ちょうど、大好きなシリーズでもある『ザ・ゴール』の第3弾である『チェンジ・ザ・ルール!』が発売していたことも手伝って、どうせ購入する本なのだから、だったらちょっと試してみようと思ったのだ。
登録自体はずっと前にしていたので、パスワードを入れてサインインする。はじめての購入なので、好きなジャンルを選んだりして、マイページ(マイストア)が作られる。買っていけば自然と傾向が把握されるようになるのだろうと思って結構さくさくと入力をしていたら、なぜかマーヴィン・ゲイをやたらと薦められるページになってしまった……なぜ?
けれども、気を取り直して、検索をしつつ本を3冊購入する。1500円以上の注文は配送料が無料というのはかなり得した気分になる(1500円なら、ハードカバー1冊で超えてしまうことだって少なくないし)。
注文を終えてみると、マイページ(マイストア)のお勧めの内容が早速変わっていたりする(さよならマーヴィン……)。他にも、自分が注文した本を買った人は他にはこんなものを買っているのですよという情報も表示されていて、たいていの場合趣味が近い人というのは関連する部分だって重なってくることが多いようで、結構なるほどねと思って参考にしてしまったりする。『海辺のカフカ』が紹介されていたりもして、ちょっと嬉しくなったり。
これはもちろん効率的なプログラムの成せる技なのだよなと感心してしまう。世の中にたくさんある本の海の中から、自分が好きになりそうな本をお勧めしてくれるなんて。 これはたとえば、大きな書店のない地域に住んでいる読書好きの中高生にはたまらない機能なのかもしれないと思う。駅前に小さな本屋しかないような小さな町は、世の中にそれこそコカコーラの自動販売機くらいたくさんあるのだ。そういう町に住んでいる中高生は、普段は品揃えのあまりよくない本屋で同じ文庫本の背表紙を繰り返し見つめていたり、近くの(きっと小さな)図書館に行ったりするのだ。
そしてきっと、そういう中高生はたまに親が連れて行ってくれる近くの地方都市の地方百貨店の中にある書店を、パラダイスのように思ってうっとりとしてしまうのだ。何時間だってここにいることができる! と熱く宣言したりして。
ただし、地方都市にはそう頻繁に連れて行ってもらえるわけではない。 けれども、ネットさえあれば(ネットは少しずつどこにでもあるようになっている)、そんな中高生でも部屋にいながらにして、存在がわからないから気がつくことさえできなかった本を、たとえば東京や大阪で暮らしている同じような趣味をしている誰かが買った本を画面上で紹介されたりすることで、知ることができるようになるのだ。 そういうのってかなりすごい。
そういうことが、もしかしたらつぼみのまま枯れてしまった花のように閉じられてしまったいくつもの可能性のようなものを、押し開いていくのかもしれないのだ。ある種の日差しに、ある種の慈雨にさえなることができるのかもしれない。
ソリューションビジネスという言葉が独り歩きしている昨今だけれど、そういう無意識下の願望のようなものを叶える仕組みを創り上げることこそ、そういうことなのだと思う。ある種のギャップが生じている部分を、システムや仕組みによって改善していくこと。本が好きなのにきっと好きになることのできる本と出会える環境になくて、けれども心の底ではそんな本と出会いたいと思っている人に、この仕組みは(コストはかかるけれども)大きく貢献するだろう。
ビジネスなので利益は必要だし、それは悪いことじゃない。そして、そのやり方が、誰かに(何らかの形で)貢献することができるのであれば、それはやっぱりとてもよいことなのだろう。 そんなことを思った。
もちろん、まだ使いはじめたばかりなので、個人的な印象としてはかゆいところに手が届いていないような、セーターの上からかゆいところをかいているようなもどかしさがあるのも事実だ。けれども、利用し続けて、購入した作品を評価し続けていくことによって、マイページ(マイストア)のおすすめはより収斂されてくるのだと思うし、そうなったら面白いだろうなと想像してしまう。
けれども、一番面白かったのは、今日帰宅したときにポストに入っていた「ご不在連絡票」に、
「10月15日16時00分頃アマゾン様からのお荷物をお届けに参りましたが、ご不在のため、次のようにさせて頂きました。」
と書かれていたことだったりするのだけれど。 わかってはいても、「アマゾン様」ってところがおかしくて、「ご不在連絡票」を手に一人部屋でにやにやしてしまった。 「そんな知り合いいないって!」とか思って。「アマゾン様からの荷物って……ピラニア?」とかちゃかしてとぼけてみたり。それにしても、そんなことくらいで嬉しくなれてしまうのだから、まだまだ年相応の渋さのようなものは獲得できないらしいよ……
(その後、夜遅い便でもう一度届けにきて荷物は無事受け取ることができた)
まだ一度しか利用していないし、細かな点はきっとこれからおいおいと気がついていくのだろうけれど、ファースト・インプレッションはやっぱり便利だよなと、結構気に入ってしまったのだ。
もちろん、そんなふうに思い入れたっぷりじゃなくても、アマゾンのシステムは効率的かつ合理的だと思う。 そして、ジェフ・ベゾスが最初に本を選んだのも、正しい選択だったのだろうなとあらためて思った。
―――――――――
お知らせ
同じ日の夜に、DVDも1枚注文していてそれも届いていました(それは別便で届いたのですが、受領印がいらないタイプの、ただ投函だけしてくれるタイプのものでした。うまくそういうサイズに収まるようにすれば、留守にすることを考えなくてもいいので便利)。
2002年10月14日(月) |
クリーニング+アドバイス |
今日は(も?)クリーニング屋のおばさんと話し込む。閉店間際でその間他のお客さんが来なかったこともあってか、気がつくと30分以上長話をしていた。最近はクリーニング屋さんの家族のことにどんどん詳しくなっていく自分がいるのだけれど、そういうのってなんだか不思議な感じがする。 そのおばさんは結構苦労しているのだけれど、そういうところを全然見せない明るい人で、話しているとこういうおばさんは力強くていいよなあと思う。やっぱり苦労は誰だってしていて、それを出さない人は強いのだとあらためて思わされる。そしてそういう強さは、家族のためだとか、子供のために発揮されることが多いのだということもなるほど、と思う。 奥さんにしたいなと思う人がいたら、自分の母親とか、おばあちゃんとかとどういう関係をつくっているのかをちゃんと見なきゃだめよとアドバイスされる。そういうのはちゃんと見ていればわかるんだからねとも。自分の家族を大事にしていない人は絶対にだめだと。昔荒れていようがなんだろうが、家族の大切さを実感したことのないような人はだめなのだと。 なるほど。 前もちょっと書いたけれど、そのおばさんと話していると、実家のことをいつもちょっとだけ思い出してしまう。 ある種の安定した強さのようなものについて考えさせられてしまう。
―――――――――
お知らせ
いまさらという感じなのかもしれませんが、携帯電話(P504i)に最初から入っているiアプリの「テトリス」にはまっています。いまのところのハイスコアは404,282点の451ライン。やっぱり、中毒性ありますよね、これ。
今日は部屋から歩いて5分ほどのところにある神社で、秋祭りが行われる日だった。 午前中から祭囃子が聴こえていて、10時過ぎに買い物に行くために駅前を通ったときには、子供みこしが駅前のロータリーをぐるぐる回っていた。 立て看板から、午後6時にメインのみこしが神社に戻ってくるというのがわかったので、ちょうどその時間に合わせて見に行くことにした。部屋から外に出てマンションの前の通りに出ると、ちょうどその道路をみこしが通り過ぎていくところで、かなりの人手だった。この辺にこんなにたくさんの人がいたのだろうかと思うくらいに。 その中を勇ましい掛け声とともにみこしが通り過ぎていく。僕もそのたくさんの見物客たちに混ざって神社の方に向かう。結構急な坂道を上ると、そこには夜店がたくさん出ていた。夜の闇に、照明の色がまぶしく浮かび上がっている。 みこしは坂道とは別の石段をみこしをかついだままのぼり、ちょうどそれに合わせてはじまった太鼓の音もどんどん大きくなる。みこしは、太鼓の音に導かれて戻ってくるということになっているみたいだった。 しばらくその太鼓とみこしを見物する。たくさんのお父さんが子供を肩車していて、たくさんの子供たちが叫んだり手を上下に動かしたり、あるいは黙ったりしながらみこしを見つめていた。「手を離したら迷子になるから、ほら」とか言われている子供もいる。 そして、さっきも思ったことではあったのだけれど、この辺りにこんなにたくさんの人がいたのかと驚いてしまうくらいの人手だった。 確かに、最寄り駅は急行も停まるし、マンションだってたくさんあるのでかなりの人が住んでいるのだということはわかる。けれども、普段は町でなかなかそれだけの人は見ないのだ。それだけになんだか新鮮な感じがした。 ある程度古い街で歴史があり、新しい住人たちもきっと多い。そういう街でもこういうお祭りが行われるのだなと思うと、なんとなく安心できるような気がした。
夜店では、久しぶりのお祭りだということに浮かれていろいろと食べ物を買ってしまう。 「サッポロ名物ジャガバター」(←あやしい……)と「たこ焼き」と「お好み焼き」と「たい焼(アンコ)」。いくらなんでも買い過ぎ。浮かれすぎだ。 それを少しずつ食べながら部屋でアジア大会のサッカーを見ていた。イランに1−2で敗れ、惜しくも銀メダル。 けれども、谷間の世代とか言われながら、本当に健闘していたと思う。
―――――――――
お知らせ
夜店にはしゃぐ子供たちを見ていると、やっぱりいまの子供でも祭りは楽しいのだなと安心してみたり。
今日は前からの予定通りJリーグを観に行く。「清水エスパルス対東京ヴェルディ1969」戦。調布の近くにある東京スタジアムで午後2時キックオフ。 今日は前回の敵でもあった清水の応援をする。特にひいきのチームがあるわけではないので、常にどちらかというと好きな方を応援するのだ。18000人強の観客が入っていて、ホームなのにヴェルディのサポーターよりも清水のサポーターの方が多いように見えた。 応援していた清水はあんまりいいところがなく0ー2で負けてしまった。残念。
試合を見ながらビールを飲んでいたのだけれど、そのせいで頭が痛くなったのだと思い込んでいたのだけれど、さっき部屋に帰ってみてもまだ頭痛がひかないので熱を測ってみたら37度3分あった。平熱が高い方ではないので、それでなのだと思う。大事をとってもう眠ることにする。
―――――――――
お知らせ
試合が終わった後、スパイダーマンのDVDの販促活動なのか、マンオブザマッチの選手に、スパイダーマンの着ぐるみを着た人が商品(スパイダーマンのDVD)を手渡していました……
2002年10月10日(木) |
冬を越す支度がいらない街で+『雨天炎天』+レシート |
たとえば昔、冬が訪れる前には、いくつかの準備が必要だった。 暖炉に使う薪を用意してはきちんと積み重ねておかなければならなかったし、日持ちのする食料をしまいこんでおかなければならなかった。あるいは地域によっては、冬になると何ヶ月も外界と遮断されることだってあっただろうし、そうであれば秋のうちに、近くの街まで出ていろいろな用事を終わらせておかなければならなかったかもしれない。季節に寄り添う(あるいは立ち向かう)ためには、やらなくてはいけないことがいくつもあったのだ。
けれども、いまはたぶんあまりそうじゃない。もちろん、防寒着は用意しなければならない(けれどもそれは実用性ばかりでなくデザイン性も求められていることが少なくない)。厚着だってしなければならないだろう。けれども、薪はきっといらないし、食料は毎日のように様々な店舗で、ともすれば季節にこだわらないような品揃えでさえ手に入れることができる。冬になると外界と遮断されるような町は、(もしかしたらまだあるのかもしれないけれど)日本にはほとんどないんじゃないかと思う。
たとえばそういう冬を迎えるための準備をやらなくてもよくなっていくことで、冬についての嗅覚のようなものは少しずつ弱められたり損なわれたりするのだろうか? 冬をただ冬としてリアルに体感することが、少しずつ難しいものになってしまっているのだろうか?
ただ、季節を感じるために必要な条件は何なのだろうと考えたときに、それはたぶんひとつじゃないのだろうなと思う。たとえば、気温、これはわかりやすい指標のひとつだけれど、それひとつで季節を感じることはできない。あるいは天気、それだってもちろん季節特有の特徴のようなものを有している。けれども、それだけではやっぱり何かが足りない。あるいは、季節の行事のようなもの、これはかなりわかりやすいと言える。けれどもやっぱりそれだけじゃない。雪が降る中の七夕の笹を見ても、季節を感じることはできないだろうし。 つまり、季節をちゃんと感じるためには、いくつもの状況が重なることが必要なんじゃないかと思うのだ。気温と天気と行事、あるいは着ているものや、使っているもの、夜の星座、夜明けの時間の変化、そういったたくさんのものがゆっくりと(けれども確実に)季節の存在や変化を感じさせていくのだと思う。
それは楽団の奏でる音楽に似ているのかもしれない。ヴァイオリンだけでも旋律を追うことはできるかもしれないけれど、何かが足りないような気がする。けれどもそこにヴィオラやチェロ、コントラバス、そしてオーボエなどが加わっていくことによって、深みのある楽曲を堪能することができる。それと同じように、季節もそれを構成する様々な要素がそれぞれの形でたち現れてくることによって、その微細な変化を感じ取ることができるようになり、体感することができるようになるのだ。
けれども、だからこそ、冬を感じるために必要な要素のひとつである「冬を迎える準備」が少しずつ(けれども確実に)失われていくことは、ヴィオラの欠けた交響楽団のようなものなのかもしれないのだ。あるいはコントラバスのいない楽団のような。傍目にはよくわからなくて、けれどもしっかりと集中したらその変化に気付かないわけにはいかない変化は確かにあるのかもしれない。
もちろん、便利になることは決して悪いことではないし、むしろその恩恵にあずかっていることのほうが少なくない。僕らの強みは多くのことを受け容れる柔軟性や混沌とした曖昧さのなかにあることも紛れもない現実だし、現実は現実としてまず尊重しなければならないことも理解しなくちゃいけない。そして、いつだって失われつつあるものはよりはかなく、よりよいものに感じられるわけでもあるし。
だから、こういうことを考え出すときりがなくなってしまう。現代的な生活と、そこから失われつつある行動や感覚や規範のようなもの。もちろん、どちらがよくてどちらが悪いというものでは全然ないのだけれど、それでも欠けてしまおうとする何かを想像力で補うためにも、とっかかりになるある種の実体験は確実に必要なのだよなと思う。
五感を信じることと、想像力を駆使すること。 その2つは難しくて、けれどもどちらもものすごく大切なことなのだろうなと当たり前だよと言われるかもしれないけれど、あらためて思う。
―――――――――
『雨天炎天』読了。再読。村上春樹。新潮文庫版。 これは、村上春樹が「「女」と名のつくものはたとえ動物であろうと入れない、ギリシャ正教の聖地アトス」とトルコを一周する旅の様子を綴った紀行紀のようなものだ。僕の持っている文庫本は平成9年9月15日の15刷だから、社会人になってから読んだものと思われる。高校生のときからの熱心な読者ではあるのだけれど、読んでない本が数冊あるにはあって、そういう1冊だったのだろう。 そして、再読。相変わらずの村上春樹の視線をいいなと思う。本書では、書かれた時期のせいなのかちょっと懐疑的なユーモアがところどころに顔を出していて、それもまた味が出ている。 いくつかの部分を引用。
「つまり我々はあなたがたとは違う時間性の中で生活しています。これはずっと昔から続いている時間性で、『ビザンティン・タイム』と呼ばれています。この『ビザンティン・タイム』では一日は真夜中の十二時にではなく、日没に始まります。だからあなたがたの真夜中は我々の午前四時になるわけですね」(46−47ページ)
子供はジャッキー・チェンのファンなんだと言う。ギリシャにおけるジャッキー・チェンの人気というのは、これはもう圧倒的である。ロバート・デ・ニーロとトム・クルーズとハリソン・フォードが束になってもかなわないんじゃないかという気がする。この人たちの通う映画館にはたぶんフィルム代の安い香港映画くらいしか来ないのだろう。(56ページ)
彼らはどこにでもいる普通の田舎の青年たちなのだ。かつて日本の旧軍隊を支えたのと同じ層の青年たちなのだ。無知で素朴で貧しく、苦痛に耐えることに慣れている。上官に何かをたたきこまれれば簡単に信じてしまうだろう。彼らはそういう場合がくれば、粗野にも残虐にもなるかもしれない。あらゆる国のあらゆる軍隊の兵隊と同じように。でも今こうして大きなNATO小銃をかかえて美味そうにマルボロを吸っている彼らは粗野でも残虐でもない。ただの子供だ。(97ページ)
それからここには美しい灯台があった。風が強く、浜辺の草がかすかな音を立てて揺れていた。冬を越す支度をしているらしく、灯台のちかくには薪にする黒い木材が積んであった。(130ページ) ※今日のDaysの最初は、この部分を読んだときに「冬を越す支度……」と思ったことがきっかけで書きはじめた。
一階にはシャワー室がある(信じられない話だが、ここのシャワーは赤いコックが水で、青いコックがお湯である。(180ページ)
―――――――――
『雨天炎天』を読んでいるときに、あるページにレシートが挟まっていた。ひょいと取り上げてみると、それはあるCDショップのもので、印字されている日付は「98年2月2日17:02」。思わずまじまじと見てしまった。この本を最初に読んだときに挟んだ(あるいは挟まっていた)ものだと思うのだけれど、レシートって日付や時刻が刻まれているためになまなましく感じられる。 そのときに購入したCD1枚(2548円)のタイトルまでは記入されていないので何を買ったのかはよくわからないのだけれど、それでも買った店とそのときのことは記憶の隅にぼんやりと残っている。と言うのも、それは本厚木で買っていたのだけれど、その年、本厚木にはそのとき一度しか行っていないはずだったからだ。本厚木のなかに見てみたい店があって、それで電車に乗っていったときだったと思う。寒くて(そりゃあそうだ)、小田急の駅から少し歩いたところにある小さな店が密集しているような路地にそのCDショップはあった。時間帯のせいなのか、高校生くらいの学生たちの姿がものすごく多かった。 社会人になってもう少しで丸1年という頃だった。そう、その日プレゼントを買ったのだ。 もうだいたい5年前になるそのときのことは、今ではもう随分と淡い記憶だ。けれども、たぶんあのときのことだろうと一致はする記憶としてはまだ残っている。割合いろんなことを覚えている。そしてその時期には手書きの日記をつけていたと思って、いまそれをクロゼットの棚の置くから取り出してきた。
そして、開いてみてびっくりする。
1998年2月2日の日記の部分には、やっぱり違うレシートが貼られていたからだ。それは、本厚木のMYLORDの中にあった「Pier 1」のレシート。そして、日記にはこう書いてある。
それにしても、このように日記めいたものに貼るレシートというのは後で考えてみると結構不思議な感じがするのではないだろうか。たとえば1年後に読み返したときも「1998-02-02 04:20」の文字ははっきり残っている。少なくとも、1年前のこの時間にはPier1で買い物をしていたのだということが明確な事実としてわかるということになる。記憶というのは本当に曖昧で事実をいい方悪い方(えてしていい方)にゆがめてしまうものだが、レシートの存在によってどうあがいてもくつがえすことのできない事実が認識され得るのである。それはちょっと考えてみるとすごいことだ。この世に確かなものなんて何もないというのは違って、確かな事実というのは結構たくさん存在している。
手書きで、黒のサインペンか何かで、上手じゃない文字でそう書いてある。そして、その文章の右側にはPier1のレシート。すごい偶然! と一人部屋でびっくりしてしまった。たまたま再読した文庫本の中にレシートが入っていて、懐かしいなと思い、たまたまその時期の日記を読み返したらその前に訪れている店のレシートが貼られていたなんて! 面白いと思って、そのCDのレシートは捨てずに、そのもうひとつのレシートと一緒にしておく。1998年2月2日の僕は、どうやらPier1で買い物をして、その後CDを買いに行ったみたいだ(時間の経過として)。なんだか、ある石碑が見つかったら歴史上の事実に肉付けがされることに少し似ているのかもしれない。記録があるからこそ、もう過ぎてしまった過去について具体的に考えていくことができる。
でも本当に、日記をつけているせいかもしれないけれど、その日のことは(ある種の雰囲気的なものだったとしても)覚えている。 いろんなことを忘れてしまうから、(できる限りは)記録を残すことは決して無駄なことじゃないのだなとあらためて思った。 だって、その日Pier1に行ったことまでは僕は覚えてはいなかったのだ。上に書いてあるように、細い路地を歩いていて、そこに学生が多かったことは覚えている。けれども、Pier1にそのときに行ったことはすっかり忘れてしまっていたのだ。それを、当時の日記を読み返していまはある程度クリアに思い浮かべることができている。記録が2つあることは2つの記憶を呼び返すことではなく、それ以上の記憶を呼び起こす。2つの事実の間にはある種の含みのようなものがあって、それが反響でもするかのように広がるのだ。
昔の自分の行動であるとか、記憶を思い出すことって、もちろんものすごく個人的なことだ。そして、個人的には、そういう記憶を思い返すことは、決して意味のないことだとは思わない。少なくとも、そういういろんな記憶がなくなってしまうのなら、それはやっぱりひどく哀しいことだ。自分を構成している要素の大きな部分を、過去の行動や考えや出来事が占めているものでもあるし。 だから、そういう記憶を思い返すことができるのはとても大切なことだと思う。 もちろん、それがなくても日々を過していくことはできる。けれど、そういうものがあることがときどきちょっとした励みにさえなるのかもしれない。
―――――――――
10日の夜は、仕事が終わった後に7人で焼肉を食べに行く。 後輩が見つけた普段は行かない駅の前にあるおいしいと評判の店。焼肉専門誌でも紹介されていると店先にも書いてあった(世の中には本当にたくさんの専門誌がある。世界は限りなくディープだと思う瞬間でもある)。 そこは、店名のほかに「〜道場」という文字ものれんには書かれていて、そのせいなのか結構きっぷのよいおばちゃん(あるいはおばあちゃん)が元気よく働いているところだった。 僕はいつものように1杯目を中ジョッキ、2杯目をウーロン茶というローテーションにしていたのだけれど、2杯目を頼むとおばちゃん(あるいはおばあちゃん)に「はい、この坊ちゃんにウーロン茶ね!」と大きな声で言われてしまう(他の人も言われていたけれど)。なんだか、そういうのって元気がよくて思わず笑ってしまう。 肉はやっぱり評判になるだけあってとても美味しかった。店は随分と古い作りではあったのだけれど、こういうところの当たりは本当にかなりヒットなのだよなと思ってみたり(外れは限りなく外れ)。 お腹いっぱい。くるしい……
―――――――――
お知らせ
今日は昨日書きかけで力尽きた分と今日の分を一緒にしてあるので、長めなのです。
あるところに、5人のお父さんがいました。 5人のお父さんにはかけがえのないたった1人の息子がいて、それはとてもとても心優しいこどもでした。 5人のお父さんたちは、息子が眠っている夜の深まる時間に、息子の教育方針について議論をします。 それは毎日のお約束であり、習慣であり、恒例行事です。 ぺなんとれーす中にあなたのお父さんがぷろ野球にゅーすを見ないと1日が終わったような気がしないのと同じように、5人のお父さんたちは息子の教育方針について言葉を交わさないと1日が終わったような気がしないのです。もう何年も――息子は5歳でしたが――まだ息子が言葉もわからず、よちよち歩きしかできなかった頃から、ずっとそうしてきたのでした。
5人のお父さんたちのなかでは、息子はわるい竜を倒す英雄であり、わーるどくらすのさっかー選手であり、またあるときには偉大なる発明をする研究者で、さらに別の夜には誰もが心を掴まれてしまうような美しい映像を撮る映画監督になります。また、別の夜にはたいした出世はしないけれど家族思いの優しい父親になり、世界中の子供たちを喜ばせる絵を描く画家になり、1代で世界中に支社を持つような会社を興す事業家にもなります。5人のお父さんたちのなかでは、5歳の子供には本当にたくさんの可能性があるのです。たとえば、あなたが散歩に出て選ぶことのできる路地が無数にあるように。
学者肌のお父さんは、「かわいい息子には早い内から勉強をさせなくてはいけないよ」と諭します。 運動神経抜群のお父さんは、「いとしい息子に体を鍛えることの大切さを教え込まないといけない」と主張します。 自在にぴあのを弾くことのできるお父さんは、「きような息子に音楽の素晴らしさを伝えていくべきだね」と歌います。 いつも女の人に囲まれているお父さんは、「りりしい息子に恋に身を焦がすことを覚えさせるべきだよ」と囁きます。 やさしいお父さんは、「他のお父さんたちの言うことももっともなことだ」と納得します。
それから、また喧々諤々の議論がはじまります。 議論は深夜まで及び、お月様が眠たくなってゆっくりと中空から降りはじめる頃まで続きます。
「そうだねえ」としばらくするとやさしいお父さんが言います。それはいつもやさしいお父さんの役目です。やさしいお父さんは他の4人のお父さんが自分の主張を繰り返すのに疲れてきたのを見て、いつもそう話をまとめるのです。
「今日はもうこれくらいにして、私たちのかわいい息子の寝顔でも見に行こうじゃないか」
「そうだそうだ」と4人のお父さんたちも賛成します。息子の将来を案ずるのは父親の役目であり義務だけれど、今夜はもう随分と遅い。だから息子の寝顔を見て今日はひとまず眠りにつこう。5人のお父さんたちはそういう心持になっています。
5人のお父さんは息子の部屋の扉をそうっと、しゃぼん玉を割らずに息で吹くみたいに柔らかくあけると、ゆっくりと小さなベッドに眠っている小さな息子を覗き込みます。5人のお父さんの影は、シーツの上にでこぼこの塀のように映っています。
(かわいいねえ) (最高だよ) (ああ、今日もいい一日だった) (そうだねえ、本当にいい一日だった) (明日も、間違いなくいい一日になるに違いないよ)
5人のお父さんは小声でそう囁きます。森の小人にしか聞き取ることのできないくらい小さな声で。
子供は、ゆっくりと微かな寝息を立てています。 森の動物たちと遊ぶ夢でも見ているのかもしれません。 鮭と一緒に大海を大冒険して生まれた川に戻ってくる夢を見ているのかもしれません。 合体ロボットを操縦して、悪い敵と戦っている夢を見ているのかもしれません。 眠っている息子は、そよかぜに揺れている小さなつぼみのように、口をすうすうすぼめています。
5人のお父さんたちは、後ろ髪を引かれる気持ちを抱きながら、小さな息子の部屋から外に出ます。それから、羽毛も揺れないくらいゆっくりと扉を閉めます。息子の部屋に伸びていた一筋の明かりの線がゆっくりと細く途切れていきます。
廊下を歩いていく5人のお父さんの影は、進むにつれてひとつにまとまっていきます。
5人のお父さんは、そうして眠りにつくのです。
―――――――――
次回、「5人のお父さん、ピクニックに行くの巻」はいつになることやら。
―――――――――
今日は、昨日とは逆に早く部屋に帰ってくる。 クリーニング屋がぎりぎりまだ開いている時間で、急いでクリーニングに出したいものを持っていく。僕の住んでいるマンションの向かいにはチェーンのクリーニング屋があって、僕はそこによく行っているのだ。 そこのクリーニング屋は、多くのクリーニング屋がそうであるように夫婦でやっているのだけれど、僕は結構常連でいろいろと話す。 今日も気がつくと、おばさんと15分くらい話していた。閉店間際で、お客さんが他に来なかったということもあるのだけれど、そのおばさんの娘たちや孫たちの話をいろいろと聞いていたのだ(その娘さんがいまの旦那さんと出会ったときのエピソードはおもしろかった!)。 一人暮らしをしていると、いわゆる家族的なものというか、ある種の安定した暮らしや歳月を感じさせる話(いまの大人がまだ小さかったり若かったりする頃の)を耳にする機会がぐっと減ってしまう。正直な話、会社とコンビニやスーパーと部屋を往復して数日が終わってしまったということだってありえない話ではないわけだし。 だから、そういう日々の中で、そういう「家族」のようなものが介入してくるようなときというのは、新鮮でいいよなと思えてしまったりするときでもある。自分にもこういう家族が(遠い距離はあるにしても)いて、自分の昔のことを覚えてくれていたりするのだよなと。 もちろん、それは家族であることが多いけれど、誰かが、自分の昔のことを覚えていてくれるのってただ単純に嬉しいことだ。確かに、過去の記憶なんてものはそれが過去というだけあって都合の悪いことは忘れていたりヴェールをかけていたりするものではあるのだけれど、それでもそういったものでも、実際にかつて同じ場所にいて、そのときの記憶を共有することができているというのは安心できるというか、穏やかな気持ちになろうと思えばなることができる。
いいこともあんまりそうではないことも、たくさんの時間を過してきた相手との間には、ねじれてからまってそして強くなったロープのような安定感のようなものがあるのだろうなと、最近はわりとそういうことを思う。
―――――――――
お知らせ
『マイノリティ・リポート』はかなり楽しみなのです。
2002年10月07日(月) |
ジャック・ダニエル+『いい仕事をする人の奇跡の10倍整理術・時間活用術』 |
「日経トレンディ」11月号を見ていたら、ジャック・ダニエルの広告があって、そのコピーにこう書かれていた。
人口361人。信号がたったひとつしかない、小さな街。テネシー州リンチバーグ。 135カ国で愛されているジャック・ダニエルはここでしか生まれない。
そのページは上下2段に分かれているのだけれど、上段がジャック・ダニエルのバスト・ショット(そういう言い方は変?)で、下段がそのたったひとつだけの信号と薄灰色の空。 渋いなあと思って電車の中でつい見入ってしまった。お酒はほとんど飲めないのでジャック・ダニエルの味もわからないのだけれど、それでもこういうのって、男心をくすぐるよなあと思ってみたり。ハードボイルドな感じだ。
―――――――――
『いい仕事をする人の奇跡の10倍整理術・時間活用術』読了。ジェフリー・J・メイヤー著。黒川康正訳。三笠書房。 すごいタイトル。 ときどきまるで定点観測のようにこういう類の本を読んでいる。大体において、こういう本は題名に「奇跡の」とか銘打っておきながら、いざ読みはじめてみると「ここに書かれていることは奇跡でもなんでもなく当たり前のことを当たり前にこなすことだけなのである。」とか書いていて「おいおい」と(心の中で)突っ込んでみたりしてしまうのだけれど、一つや二つくらい印象に残って日々の仕事に採り入れる事柄があったりする。 たとえば、人によっては、こういう本を読む暇があったら実際に机の整理なり無駄な時間の削減なり、実際に何かをやり始める方がずっと能率的だと言う。確かに読みっぱなしであるのならそうなのだろう。それでも、ただ漫然と整理をしたりしてみても体系的なノウハウはなかなかに生み出すことはできないだろうし、よしんばできたとしてもその構築には結構な時間がかかるだろう。ということで、それが便利な方法であるのなら、さっさとそれを採り入れた方がいいとは思う。そして、好きな作家とあんまりそうではない作家がいるように、こういう本の書き手にも好きな書き手とあんまりそうではない書き手がいることも事実だから、何冊か読んでみて、結構うまくはまる人を見つけるのも大切なことだ。ある大多数の人に当てはまるノウハウが、そのまま自分にもしっくりくるとは限らないし、あるいはそれがどんなものであれカスタマイズしなければうまくははまらないということなのかもしれないし。いずれにしても、こういうのもある程度最初は量で合う合わないを探してみることは必要なんじゃないかといまは思っている。 ということで、たまにこういう本を読んで、なるほどと思うところを一つか二つ(場合によっては我流にアレンジしながら)日々の仕事の中に取り込む。全部はとても無理だ。1冊で1つか2つでいい。そしてそういうものをうまくアレンジしていくことで、自分なりのやりやすいやり方というものが生まれてくるのだろうし。まずは形から入るのもときにとても大切なことなのかもしれないし。
いま仕事の方が来期の計画も佳境に入ってきたところで、様々な資料や部署の予算の作成、その他来期から新しく導入する仕組みについてどの取引先のものにするかの選定業務などなど(今日も業者3社と打ち合わせをしていた)、やるべきことはそれなりにはある。それで、その参考になるところがあればいいなと本書を読んでみたのがきっかけだった。結果としては、参考になるところはあったと思う。本書で言うと、「マスターファイル」の存在がそれに当たる。
「マスターファイル」というのは、簡単に言うと「未完了の仕事すべてについての索引」であり、体裁などは気にせずに、罫線の入ったルーズリーフに、日付と、内容を行をあけずにびっちりと書き込んでいくというものだ。アポイントメントでも作成しなければならない資料のことでも、ミーティングの予定でもいい、とにかくルーズリーフにびっちり未完了の仕事を書き込んでいく。たいていの人は長期と中期と短期、そして雑務まで入れると結構な仕事を抱えているから、そのリストは数ページに及ぶ場合もある。けれども気にせずにそういうものだと思ってどんどん書き込む。そして、その仕事が完了したら線を引いてリストからその項目を消し去る。ある程度大きな仕事の場合は、同時に関連する何本ものリストを消し去ることができるからそれはそれで気持ちがよくもある(とのことだ)。 そして、そのリストの1ページの半分が線で引かれたら、残り半分はリストの一番新しい行に付け加えて書いていく。一番最初に書いたときの日付ももちろん忘れずに(そうすることで、いつから未完了のままの仕事なのかということが意識される)。そして、残り半分を書き写したら、その古いページはすべて線を引いて、捨てるかファイルにしてしまう。 そうして出来上がったリストは仕事中もすぐに取り出せるところに置いておいて、随時見ていくのだ。リストを確認するのに大して時間はかからない。けれども、見返すことで常に記憶と意識がブラッシュアップされるような効果があるというのだ。もちろん、そのリストの項目についてさらに細かく計画を記載していかなければならないことも当然少なくないけれど、大切なのは大本にそういうリストがあって、それを常に見返して、未完了の仕事を明確に意識するということだ。そうすることによって受動よりは能動の仕事をすることができるようになるし、効率的に成果を挙げることができるようになってくる(さらに本書では「マスターファイル」というものについても説明しているのだけれど、まずは「マスターリスト」)。
生産性を上げるために会社から配布されている分厚いシステム手帳にも「マスターリスト」的なページはついているのだけれど、どうもチェックリスト的な記入するべき項目が多かったりして使い勝手があまりよくはないので、ちょっとこれを試してみようと思う。必要なのは、さしあたり日付と内容だけであるし、そして半分リストが消された段階で新しい部分に書き写していくという考えが新鮮でもあるし。
もちろん、それだけで250ページ近い本が埋まるわけではないから、本書には他にも様々なことが書いてある(主に”デスクワークの生産性”向上のための様々な方法が取り上げられている)。ただ、「マスターファイル」ひとつでも参考になったのだろうなとは思うし、それで充分だとも思う。 折ったページのいくつか引用。
・「マスター・リスト」に書き入れる前に、保存と決定したデータをフォルダーの中に入れてはいけない。必ずリストに記入したあとでファイルすること。(72ページ)
作家のマーク・トウェーンは、次のような忠告を残している。 「あさってでもできるようなことを、明日まで延ばすような真似は絶対にするな」 いつでもできることなら、今すぐやってしまえということを、皮肉を込めて言ったものである。(120ページ)
実際に必要とする時点よりも早めにデッドラインを設定する。そうでもしないと、頼んでおいたものがあなたの手元に届くのは必ず遅れるだろう。(140ページ)
本来なら、自分がしなくてもいいようなたぐいの仕事を排除することによって、あなたは大幅に時間を節約することができるようになる。そのプロセスは「引き算による足し算」と呼ばれている。 つまり、あまりにも多く抱えすぎている仕事の中から、不要なものを減らして、その分をより重要な仕事に取り組むための生産的な時間に加えるのである。(145ページ)
以前、私は友人と一緒に長い列の後ろで順番を待ちながら、こう不平をもらしたことがある。 「まったく、この街には人が多すぎる」 すると友人はそれに反論して、こう言ったものである。 「人が多すぎるのが問題ではない。問題はただわれわれが同じ時間にみんなと同じことをしていることにある」(223ページ)
―――――――――
お知らせ
降りなれない地下鉄の駅で、やけに長いエスカレーターに乗ると、いつもこの瞬間だけ非日常みたいだとぼんやりと思います。とくに上りで、上から降りてくる人を見たりするようなときには。
2002年10月05日(土) |
防災施設点検/就業構造基本調査 |
今日は半年に一度の住んでいるマンションの防災施設点検の日で、部屋で順番が来るのを待っていた。 これは、事前に告知された日に管理会社の社員の立会いの下、業者が来て火災報知器や非難具がいざというときにしっかりと使うことができるのかどうかということを点検してくれるものだ。 そして、この日は基本的にそれが終わるまで外出できない。というのも、もし本人がその日不在でも、管理会社が勝手に鍵を開けて部屋に入ってくるからだ(もちろん、事前に配られていた案内書にはその旨はちゃんと書いてある。どうしても都合のつかない方は連絡を下さいとも)。ただ、自分がいないときに、他人が自分の部屋に入るのって正直な話ちょっとというかかなりいやなので、僕は点検の日には必ず部屋で待っていることにしている。もしそれが早く終わったらJリーグに行こうという話もしていたのだけれど、結論から言うと僕の部屋の点検時間は少し遅かったので、元々の計画通り来週に行くことになった。ちょっと残念だけれどまあ仕方がない。半年に一度のことだし。
点検の業者は、キッチンにある火災報知機をチェックし、それから非難梯子を確認する。半年前と同じ。そのときにも書いたけれど、点検は大切なことだと思うけれど、もし実際に火事になったら、間違いなく僕は非難梯子を使わずにベランダから飛び降りる(僕が住んでいるのは2階だし)。待っている時間が長い割に、実際の点検は5分とかからない。「お疲れ様でした」と送り出して、それで終わり。 今回の点検で、このマンションに住みはじめて、もう4回目ということになる。昨年の1月はじめに引っ越してきたから、もうすぐ2年になるのだ。そういうのって、なんだか不思議な感じがする。基本的には、転勤が多いので同じところにあんまり長くはいないことに慣れている。それがすごく新鮮で都合がいいなと思っているのだけれど、2年も同じところというのはちょっと長いかもしれないと思うのだ(いまの部屋自体は気に入っているのだけれど)。
いまDaysを書きながら、部屋の中を見回してみる。昨年の暮れくらいからずっと本棚が欲しいと言っていて、実際にいくつかの店を見て回っているのだけれど、なかなかイメージ通りのものが発売されていなくてまだ買っていない。一度買ったらどうしたって長く使い続けるものであるし、焦る必要もないかなと。けれども、さすがにちょっと本が溢れてきたので、そろそろ買わないとなと思う。そして、本棚を買ったらここに置こうというのは決めてはいるのだけれど。
ちなみに、昨日夏物冬物の模様替えをしていたら、思いがけないところから存在すら忘れていた3万円が出てきて思わずにやけてしまった。完全に忘れていたので(忘れるなよ)、そういうのってとても嬉しい。たとえば冬物のコートのポケットに飴玉を入れておくとか、お気に入りのポストカードを入れておくとかして、次のシーズンにそれを出すときに再会するとか、そういうのもありだよなと思ってみたり。すっかり忘れている楽しみというのは意外とインパクトがあると思う。お腹が空いて何気なく開けた冷蔵庫の中にアイスクリームが入っていたりすると嬉しいように。
―――――――――
そして、夕方には「平成十四年就業構造基本調査」の記入用紙を回収に係りの人が来た。 僕の住んでいるマンションが数多くの人が回答する今回の調査のサンプルの対象となっていて、事前に用紙を渡されていたのだ。配られたパンフレットによると、「就業構造基本調査」は5年に1度行われるもので、「ふだん何か収入になる仕事をしているかどうかや就業に関する希望などを明らかにする統計調査」とのこと。「この調査によって提供される「雇用に関する詳しい状況」のデータは、国や都道府県などの行政施策にはもちろん、学術研究などにも利用されます。」ともある。
結構パンフレットにはいろいろ書かれているのだけれど、たとえば、「調査世帯はどうやって選ばれるの?」というところでは、「標本調査では、統計理論に基づき全国からかたよりなく世帯を選ぶことによって、日本全体の様子を推計します。」とある。果たして、それがどんな統計理論なのかはよくわからないのだけれど、なるほどねえと思いながらマークシートを塗りつぶしていた。
また、「個人情報は保護されます」というところでは、統計を作る目的以外にしようされないことが説明された後、「集められた調査用は、1枚1枚厳重に管理され、統計を作成した後、溶解処分されます。」と書かれている。溶解処分って、なんだかやけに仰々しい。
ちなみに、今回の結果は総務所統計局・統計センターのホームページ(http://www.stat.go.jp/)に掲載されるとのこと。いつになるのかは書かれてはいないけれど。
用紙を係りの人に渡すと、お礼状と粗品をもらった。アルバイトの人がやっているのだろうけれど、○○様と名前を記入するところにはちゃんとボールペンで手書きで書いてある。また、粗品は小さなハンドタオル2つ。小さな紙が入っていて、「この製品は環境保全のため、ペットボトルから作られた繊維を使用しています。」とある。国の調査の粗品っぽい感じだ。
―――――――――
お知らせ
今日のDaysのタイトルは仰々しいですね。
その年、世間のニュースを賑わせていたのは「声どろぼう」のことだ。多くの新聞の紙面やテレビのニュース番組では、連日その話題を繰り広げ続け、その被害と対策について声高にアピールを繰り返していた。最初は、歌い手たちだった。たくさんの歌手のなかで、とりわけ本物と言われていた歌い手たちの声がまず盗まれた。それから、幾人かの音楽の教師たちが、カラオケを趣味にしている人たちが、歌のうまいクラスメイトたちの声が、どんどん盗まれていった。彼ら/彼女らは声を失い、ただただ途方にくれた。メモ帳とペンを手に、筆談でコミュニケーションをとるようになった。またある者は絶望し、姿を隠した。街や町や村からは、少しずつ、小さな島が寄せては返す波によって削られてしまうように少しずつ声が消えていった。
盗まれた声はドロップにされ、闇のルートで高値で売買された。もちろん、きれいな声であればあるほど透明できれいなドロップになった。ストロベリー味にレモン味、ハッカ味にチョコレート味。様々な声が、様々な味のドロップになった。そしてそれを嘗めたものはもとが美しい声であればあるほどこの世のものとは思えないほどの味を知ることとなった。
ある青年の恋人が、声を盗まれてしまった。恋人は昼なお暗いカーテンを閉め切った部屋の中で、ただぼんやりと焦点の定まらぬ目を部屋の空気の粒子に向けていた。彼女は初夏のヒバリのようにとてもきれいな声をしていた。そして、青年は恋人の声を取り戻す旅に出ることにした。
旅は長く苦しく、恋人の声のドロップを見つけることは非常に難しかった。しかし青年は様々な情報を集め、少しずつ核心に近付いていった。 旅の途中で、青年は同じように愛する人の、あるいは家族の声を取り戻そうとしている人たちのグループと知り合った。そのグループは青年にいくつかの情報を与えてくれた。
・声どろぼうの隠れ家は虹色の鍾乳洞を越えた先にある深い森の中にあること。 ・声どろぼうたちは様々な形へと変化することができること(普段は人型だが、鳥になることも、狼になることもできる)。 ・本人がドロップを嘗めると、元の声を取り戻すことができること。他の人がそれを嘗めると、この世のものとは思えない味をあじわうことができること。
そのグループのメンバーは、世界中からやってきていて、叡智を結集していよいよ虹色の鍾乳洞の場所を見つけ出し、突入しようとしていた。青年は、そのグループと一緒に、その場所を目指した。
そのグループに、やはり愛する恋人の声を盗まれてしまった女性がいた。あるキャンプの夜に(道程は長く、何夜もキャンプをはることになったのだ)、その女性と言葉を交わす時間を持つことができた。
「アタシの恋人は、とてもうつくしいバリトンの声の持ち主だった」
「あの声が盗まれたなんて信じられない」
「恋人は、ショックからアタシに当たるようになったわ。以前とは別人のようになってしまった」
青年は、心を痛めて言った。
「ええ、よくわかります。私の恋人も声を盗まれて以来、部屋にこもったまま外に出ようともしません」
「それは辛いわね」
「ええ」
「けれど、本当にこわいのは」
その女性は言った。
「本当にこわいのは、声どろぼうが盗んでいくもうひとつのものなのよ」
「もうひとつのもの?」
「ええ、いい歌をうたうときの条件ってなんだと思う?」
「……ええと、感情をこめて歌うことですか」
「ビンゴ」その女性は静かにそう呟くと、周囲に聞かれてはいないことを確かめてから、小さな声で続けた。「じゃあ、歌声を盗まれてしまったときに、そのうたが美しければ美しいほど、感情もこめられていることになるわよね」
「ええ」
「それがどういうことかわかるでしょ。美しい声と美しい歌と感情とは切っても切り離せないものなのよ。だから、それは盗まれたときに一緒にドロップになってしまうの」
「……」
「いまはまだ大丈夫よ。記憶が感情をなんとか繋ぎとめてくれている。けれどそれは長くはもたないわ。声を取り戻さないと、やがて感情も一緒に失われてしまうのよ」
そして、青年はそのグループと一緒に七色の鍾乳洞を超え、声どろぼうの隠れ家に突入することに成功する。しかし、狡猾で抜け目のない声どろぼうたちはそのグループ全員を捕まえてしまう。
「サテト。コイツラノシマツヲドウツケヨウカナ?」
声どろぼうのリーダーがそういう。まるで暗い影のように、人の形をしているのだが、初冬の暗い雨雲が集まって人の形になっているように、後ろ側がすけて見える。
「ソウダ。イイコトヲオモイツイタ」
リーダーはそう言って、手錠やロープでしばりつけ身動きがとれない何人かを前に突き出す。
「オマエタチガトリモドシニキタドロップハココニアル」
そう言って、リーダーは小さな麻袋の中に入ったドロップをひとつ取り出すと、人差し指と親指でつまんでゆっくりと揺らしてみせる。
「コレヲアイスルヒトニナメサセレバスベテモトドオリ――」
「――デモ、コレヲオマエタチガナメタラドウナルダロウ?」
「……や、やめろっ。やめてくれ!」
しばられていた男の一人が、リーダーの意図を察してそう叫ぶ。
「いやぁっ!」
しばられていた女の一人もそう叫ぶ。
彼は、彼女は、愛する相手の声と感情でできたドロップを、身動きができない口のなかに入れられようとしていたのだった。
「アイテノキモチヲアジワウコトガデキルキカイナンテソウナイヨネ」
リーダーはそう言って不気味に冷徹に微笑むと、部下に指示して彼や彼女の口を開けさせ、そのドロップを放り投げた。
「うわあぁああ…………あぁ――」
男は、叫び、そしてドロップが溶け始めるや否やはちみつの池の中に落ちたくまのように、とろんとした目つきに変わる。女も同じだった。
「こんな――こんなにうまいものがこの世に存在するなんて」
男は、愛する恋人の感情を自分が嘗めていることを忘れてしまったかのように、この世のものとは思えない味を持つドロップを嘗めている。
青年は、それを見ていた。青年も自由がきかないよう縛られている。目の前では、今度はドロップに感情がこめられていることを教えてくれた女性が、バリトンの美しい声をした恋人の声のドロップ――ビターなチョコレート味――を嘗めている姿が映っている。最初は泣いていたその女性も、いまでは至福の表情へと変わっている。次は自分の番だった。声どろぼうのリーダーは、感情のほとんどこもっていないような目を自分たちに向けている。彼にとってはこのひどく残虐な試みも、まるで食事の後のちょっとした余興みたいにしか思っていないみたいだった。 薄暗い部屋の隅で、体育すわりのような格好でぼんやりとしている恋人の残像のようなイメージが浮んだ。恋人の笑顔がもう見ることができなくなることを、そしてそれが自分のせいになってしまうことを青年は哀しく思った。
「サアツギハ――」
リーダーが言った。青年は、ゆっくりと目を開けて、薄い青色に輝く恋人のドロップを見つめた。
―――――――――
お知らせ
これが映画なら、誰かがきっとやってくることでしょう。助けに。
2002年10月03日(木) |
木曜サスペンスワイド劇場 |
(夜道を2人の主婦が歩いている。楽しげに交わされる会話)
主婦A:もうまいっちゃうわよホントに。
主婦B:え? なに?
主婦A:いや、ね、うちの旦那がもう毎日お祭りみたいな人で困ってるって話。
主婦B:へぇー、そうなの。一見、落ち着いた感じの人のように見えるけど。たまにこの辺で見かけるけど、スーツにメガネで、真面目なサラリーマンって感じじゃない。
主婦A:まあ、外で会ったときはそうよ。でも、いざ家に帰ってきたら本当に毎日がお祭りみたいなの。
主婦B:へぇー、いいじゃない、家の中が賑やかで。圭太君もそんなだと喜んでるんじゃない? うちのなんて、もう帰ってきたらすぐソファーに横になってスポーツニュースばっかり見てるんだもの。たまに口を開くと思えば「おいメシ」とか「フロ」とか、私を家政婦かなんかだと勘違いしてるんじゃないかしらって思うときもあるのよ。
主婦A:あらあら。
主婦B:でも、本当に今日はいいのかしら。お夕飯にお招きにあずかっちゃって。
主婦A:あら、いいのよ。ご主人の出張とお嬢さんの修学旅行が重なるなんてめったにないことじゃない。それこそ、1人でのんびりしたかったのかしら?
主婦B:そんなこと、夜にお友達の家にいくなんて久しぶりでうきうきするわよ。
主婦A:ふふ。
主婦B:ふふふ。
(そして、主婦Aの家に着く。ガーデニングで溢れている小さいけれど小奇麗な感じのする一戸建てだ。3段ほどの階段をのぼり、玄関の扉を開ける)
圭太君:あっ、ママー、ただいまー。パパー、ママだよーっ。
主婦A:ほら、ただいまーじゃなくて、おかえりでしょ。
圭太君:あっ、そうだった。へへ。あっ、こんばんはっ。
主婦B:こんばんは(あらあら、かわいらしいじゃない。毎日がお祭りみたいと言っていたけれど、本当に楽しそうなご家庭なのね)。
(そして、奥の扉から、主婦Aの夫が姿を現す)
Aの夫:あぁ、Bさん。ようこそお越しくださいました。どうぞどうぞお上がりください。
主婦B:(はっぴ着てる……!!)
ナレーション:奥から現れた主婦Aの夫は、家の中なのに祭りに着るようなはっぴを着ていた。その姿を見たときに、主婦Bの胸にはめらめらと黒い殺意が湧き上がるのだった。こいつを生かしておくわけには行かない……あのはっぴを真紅の血で染め上げなければ……!! そして、彼女は修羅の道をただ1人往く……。
……なんで?
と見ている人を「?」のどん底に引き落とす「木曜サスペンスワイド劇場」。 この番組はご覧の提供でお送りしました。 次週は、「湯けむりOL24人旅殺人事件。多すぎるOLたちの派閥抗争。課長のカツラの秘密を知ってしまった新人OLユカリの運命は? 死の枕投げ。お茶くみだけじゃ終われない!」をお送りします。
―――――――――
お知らせ
いつもこんなことを考えているわけではないのだけれど……(信憑性は薄いようです)。
2002年10月02日(水) |
Just like a prayer |
今日は仕事終了後、以前に受けた某コンサルタントのセミナーに参加する他の部署の友人に、質問があると言われ一緒に食事に行った(セミナーの中で試験があるので、その事前勉強をしていたのだ)。テキストを広げながら、事前の勉強の中での不明点を訊かれながら、もうあれから半年以上経つのだと思ってみたり。 食事をおごってもらう。最近はおごられ運が好調みたいだ。 それで、部屋に帰ってきたのが23時半。 今日の音楽はマドンナの(初期の)ベストアルバム『The Immaculate Collection』。マドンナはさすがに名曲が多いなとあらためて思う。「Borderline」、「Crazy for You」、「Live to Tell」や「Papa Don't Preach」、そして「Cherish」など。特に、「Like a Prayer」はとてもツボ。パトリック・レナードプロデュースの曲は「I'll Remember」もそうだけれど、好きな傾向の曲が多いような気がする。Jody Watleyの「Most of all」も。
―――――――――
お知らせ
台風は、ほとんどいつの間にかという感じで遠ざかっていました。
2002年10月01日(火) |
『この命、何をあくせく』 |
『この命、何をあくせく』読了。城山三郎。講談社。
帯にはこう書かれている。
一回限りの人生、少しでもあくせくしないで過したい。 作家生活45年、人生の喜びと哀しみを知り尽くした珠玉のエッセイ36篇
本書は、企業家やビジネスマンを主人公とする小説を数多く書いている著者の「本」をテーマにしたエッセイ集で、様々な本を読んで感じたことを、過去の記憶や現在の日々に重ね合わせながら書いている。いままで何冊か読んだこの著者の小説やエッセイ、あるいは訳した本(たとえば、『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』など)がおもしろかったので、書店で手にとってみた。
基本的にはマイペースということを自分でよくわかっていて、そのスピードやスタンスに忠実に生きてきた人というように思えたし、そのスタンスはしっかりと自分の足で立っているというように感じられるものだ。そして、そのスタンスが好ましく感じられるので、読んでしまうのだと思う(以前手に取った理由もそうだったし)。エッセイって、結局はその人のまなざしのようなものがどこに向けられているのかに共感することができるかどうか、ということであるような気がするし(たとえ、それが専門性に富んだものであろうとそうなんじゃないかと思ったりもする。何かの専門家が、その対象についてどういう目線で見つめ、どういう距離で接しているのかということに惹かれるわけだし)。
この著者について抱いているのは、少し頑固で、ただ自分の考えがしっかりとあって、派手な集まりや表に立つことは苦手だけれど、かと言って人間嫌いかというとそうではなく、むしろ人間に対する深い興味を持っている――というようなイメージだ。もちろん、勝手なイメージなのだけれど(ただ、本人も本書の中でそのようなことを書いている)。でもこの、自分の目で世界をしっかりと見ているようなところに、漠然とではあるけれど惹かれていて読んでしまうのだろうなと思う。
読んでいて、印象深かったところをいくつか引用。
ところが、こうしたブームの奥には、実はオランダ政府の意図が働いていたことを、永渕氏は指摘する。 バリ島以外の島々には、オランダの利益になる作物を強制栽培させる一方、ある程度、欧米式の教育をひろめて文明化を計るのだが、それらと分離して、バリ島に対しては、それまでの王様中心に対して、村落社会を重視。(……)欧米式の文明化には消極的で、バリ全島に現地人のためのオランダ学校も二校しか置かず、(……)バリ人を「生きた博物館」に押しこめ、近代社会から遠ざけた。そうしたこの世的な思惑によって、「地球上の楽園」や「あちら側」はつくられた――と、いうのである。 (……)しかし、そうした政策が無ければ、バリ島も世界の他の地域同様に、俗化というか、アメリカ化し、ディズニーランド的になってしまい、今日の「楽園」は無かったであろう。(13ページ)
「閑」というのは門に木(かんぬき)をかけるというだけでなく、そのことによって、人は、「世間からとり戻した『自分の時間』のなかにいる。いまの己れの実在意識を『静かに』味わう心でいる」ようになる、という。 いずれにせよ、そんな風に、「閑」にしっかり腰を据えて居られるのは、著者が何より感じる人であり、考える人であり、私には無い芯の強さの持ち主であるからであろう。うらやましい話である。(47ページ)
「自分が考えもせずに、ひとの案を否定するとはナニゴトや。否定するなら、お前さんの案も出せ」(63ページ)
その駅前の眺めは、 <ひとつひとつのものには、ちゃんと色があるのに、全体の景色は、モノトーンの世界のようだ> と、巧みに描写されている。(138ページ)
三人の少年の中で、主人公として描かれているのは、小学校四年生のユータローだが、どこかへ出かけるときには、必らずメモとペンを持参するよう躾けられている。 「いつもメモができるようにね。気付いたことや、なぜ、って思ったことはメモするのよ」 と。それにいまひとつ、「自分で調べなさい」とも。(140ページ)
異性では気をつかうというので、彼女は暮らし相手として、友人である一人の女性を選ぶ。 その女性は、美しいのでも、可愛いのでもないが、「頭がよくて冷静で清潔」であったし、「彼女はいつでも地球のはじめての朝のようにさわやかだった」と。 いいことを言うと、私は大きくうなずいた。 それは、どこにでも居そうで、現実には意外に存在しないかも知れぬが、理想のホームの同居人としては、最高かつ必須の条件であることが、よくわかる。(145ページ)
ただ私は若いころから好きだった言葉通りの道を行きたい。 「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」と。(171ページ)
―――――――――
関東地方を直撃する戦後最大級の台風21号は、さっき外に出たときにはただ風だけが強い状態だった。台風の中心に近いのかもしれない。たぶん、夜に(というか夜中に)一度外まで出かけてしまうのだろうなと思う。コンビニまで(でもたぶんいつもより少し遠いコンビニに)出かけてくる予定。 不謹慎だけれど、台風にはどこかわくわくしているような気持ちも少しある。ただそれは、非日常に焦がれてしまう感覚と同じなのだろうとぼんやりと思うのだけれど。
昨日、今日と長電話が続いた。 昨日は遠くの友人と近くの友人と電話をしていたし(0時過ぎまで)、今日はまた違う人と。 ただし、今日の電話は会社を辞める後輩からの「お世話になりました」という電話だったので、話を聞いたりして最後に「頑張ってね」で終わるものではあったのだけれど。話しながら、義理堅いなと思うのと同時に、応援したいような寂しいような不思議な感覚があった。まあもちろん、これで縁が切れるわけではないのだろうけれど、それでもやっぱり基本的には接点はなくなってしまうだろうし。
「頑張る」という言葉は「頑なに張る」と書くのだよなと、むかしから印象深いときにこの言葉を発した後には考えてしまう。つまり、相手に対して「(自らの意思と行動で)頑なに張っていってね」と言っているのと同じなのだよなと思うと、これは確かに強い励ましだと思う反面、突き放している言葉でもあるのだろうなと考える。 でもまあ、結局は誰もが自分自身に対して「頑なに張る」ことを何かでは選んでいかなければならないと思うので、お互いが自分の道を行きながら他の道を歩いている人に「頑なに張ってね」とあるときはシリアスに、あるときは茶化すように伝え合いながら歩き続けるのでいいのだろうなとも思う。 問題は、自分にとって「頑なに張って」進んでいきたいものが何かということなのだろうし。
―――――――――
お知らせ
午後、ものすごい雨が降っていた時、雨のカーテンがかかっているみたいでした。
|