Sun Set Days
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2001年12月31日(月) 2001年の収穫は?(本と映画とCD)

 個人的に年末恒例の、本と映画とCDの今年の収穫を考えてみる。

 まずは今年読んだ本ベスト10から。
 ただ順位は難しいので、良かったものを順不同で10冊。


『ザ・ゴール』
『ビューティフル・ボーイ』
『ロジカル・シンキング』
『プロフェッショナルの条件』
『身体の贈り物』
『ウエハースの椅子』
『ハードボイルド/ハードラック』
『アマゾン.ドット.コム』
『リクルートのナレッジマネジメント』
『パイロットの妻』
『ビリー・ジョーの大地』


 今年は実際に読んだ冊数もビジネス書系が多かったので、その結果こういう10冊に(昨年はビジネス書は2冊のみ)。
 慌しさにかまけてあんまり読めなかったので、来年はもっとたくさん読みたいなと思う。
 あとたぶん、Daysを書く時間で1日30分~1時間半くらいかかっているので、それも少しは(読書量減の)理由になっている。
 まあ、どちらも楽しいことなので、バランスをとってやっていこう。

 今年観た映画ベスト3。
 今年は本数を見ていないので、3作品で。


1位 『アメリ』
2位 『リトル・ダンサー』
3位 『JSA』


 今年買ったCDベスト5。
 順不同で5枚(CDは買ったのにDaysに書いていないものも結構あるので、実際にはかなりの枚数を購入している。来年はちゃんと記録しようかなと少しだけ思う)。


『All For You』Janet Jackson
『Cocco ベスト+裏ベスト+未発表曲集』Cocco
『Better Days』Joe
『exposed』Chante Moore
『Madrigal』Chara


 来年も、それがどんな種類のものであれよい作品に触れたいなと思う。


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 数時間前に、実家から電話があった。
 両親、妹、祖母、叔母のオールスターキャストがかわるがわる電話に出て来る。
 どうやら、向こうはかなり美味しい夕食を食べているみたいだ。
 よいお年をって、何度も何度も言われ、何度も何度も伝えた。

 それから、まあ年末だしと紅白をつけて、それを横目に今年最後の週報告書をメンバー分(6人分)取りまとめて上司に送信する(今日が期限だったのだ)。
 それからこうしてDaysを書いている。今年最後のDays。
 書きながら思うのは、今年ホームページを立ち上げて、まさかもう少しで5000ヒットになるくらい来ていただいているというのは嬉しい誤算だったのだけれど、ネットで知り合えた人にいい影響を受けたり、触発されることも多くて、そういうのはおもしろいよなあということ。
 ものすごく個人的なページですが、今年一年は本当にありがとうございました!
 そして、来年もよろしくお願いします。


2001年12月30日(日) 年末と映画と

 Pizzicate Fiveに「子供たちの子供たちの子供たちへ」という曲があるのだけれど、その歌詞のなかに、こういう部分がある。

 真夜中に何か
 食べたくて開けた
 冷蔵庫のドアから
 洩れる明かり

 真夜中にひとり
 小さな音で聴いた
 カセットテープから
 流れる歌

 真夜中に何か
 ぼくに話しかけた
 名前も忘れた
 古い友だち

 これは一部分を抜粋しているのだけれど、それぞれ子供時代に思い当たるようなことがある人が多いんじゃないかと思う。
 夜中に、怖い夢(や内容を覚えていないのだけれど妙に心細かったり不安だったりする夢)を見て、何かが必要だって思って、でもそれがよくわからないままただお腹が減ったような気がして、冷蔵庫を開けるときのつめたい安堵感や、布団をかぶったまま親に聞かれないように必要以上にボリュームを絞って耳を傾けた音楽(カセットテープばかりではなく、それがラジオだという人も多いと思う)。
 そして、『ボピーとディンガン』や『ショコラ』のカンガルー、あるいは僕にとってのくま吉のような幼かった頃の想像の友だち。
 子供向けの作品っていうのは、子供と、そういう子供時代を経てきている若者や大人が思い返し楽しむことができるわけだから、観客層は広いよなと思う。『千と千尋の神隠し』も『ハリー・ポッターと賢者の石』もその観客層の広さがそのまま動員実績を上げることに繋がっているのだろうし。

 どうしてこういう書き出しなのかというと、今日『スパイ・キッズ』という映画を観て来たのだ。かつて名うてのスパイだった両親が久しぶりの任務の途中に悪の組織に捕まってしまい、2人を助けるために立ち上がった子供たち――口が悪くてしっかり者の姉とぐずでドジな弟――の活躍を描いた映画。もちろん、子供はものすごく楽しめる映画なのだけれど、子供向けの作品というわけではなくて、やっぱり間口が広い。素直に笑えて、面白かった。

 映画の中では子供たちがSFXやCGの進歩の結果でもある魅力的なスパイ道具を活用していて、そういえば子供の頃こういうメカやグッズがものすごく好きだったよなとか思って、そしてピチカートの曲のことを思い出したのだ。
 子供の頃のある種の感覚って、もちろん随分と遠ざかっているのだけれど、確実に過去に体験しているものなので、そういうシーンを見たり音楽を聴いたりするとあっという間に思い出せてしまう。一瞬のうちに。
 ファミリーが多かった映画館の中でも、近くに座っていた子供がいちいち「おお!」とか「わあ!」って、小さな声を挙げていたのだけれど、同じ場面で僕も「おお!」とか「わあ!」って思っていたし。
 基本的には同じなのだ。
 もちろん、僕は大人なので口には出さなかったのだけれど。


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 今日は今月着任したばかりの新しい同僚と待ち合わせて買物に出かけ、それから遅い昼食を一緒に食べた。
 買物ではタワーレコードでCDを3枚とDVDを1枚購入する(カレンダーをもらった、年末っぽいと思う)。
 そして、同僚と別れた後でひとりで映画館に行って映画を観てきた。
 16時頃だったのだけれど、観たい映画がその時間帯にやっていなかったので、ちょうど着いたときにすぐはじまることになっていた『バンディッツ』を観る。ブルース・ウィルスが主演の銀行強盗たちのストーリー。最後の方にどんでん返しがある、いかにもハリウッド的な作品。
 そして、まさに気が向いたということなのだけれど、そのままレイトショーまで、合計で3作品観てきた。
 2作目が『スパイ・キッズ』。上で少しふれているけれど、面白かった。『スパイ・ゲーム』というロバート・レッドフォードとブラッド・ピットが共演している映画もあるのだけれど、それを間違って入ってしまう人っていないのだろうか? いないか。
 3作目が『ムーラン・ルージュ』。1900年のパリを舞台にした、めくるめく音楽の洪水で語られるラブ・ストーリー。
 1日で3作品も連続して映画を観たのは生まれて初めてなんじゃないかと思う(映画祭を除いては)。最後の方は結構疲労していたような気もするのだけれど、それでもどれも楽しかった。ちなみに、『シュレック』が観たかったのだけれど、ちょうどよい時間にはやっていなかったので、またの機会にする。
 そして、23時56分の電車に乗って部屋に帰ってきた。
 今日予定していた大掃除は明日のみに変更。


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 29日は日帰りの予定だったのに、結局30日の午前4時前に送ってもらって部屋に帰ってきたのだけれど、その途中、うとうとしながら見上げていた空には、ほとんど満月に近い月が見えていた。この数日は年末らしく連日帰りが遅く朝が早くてその結果として睡眠時間がかなり短いことになっていて、かなりかなり眠たかったのだけれど、年末がほぼ満月だということを見ることができたのは、意外とおもしろく思えることだった。
 逗子からの帰り道、有料道路を走っていて、時間のせいかまだ渋滞ははじまっていなくて、僕は助手席に乗っていたのだけれど、今年一年は早かったなと、この3日間で30回くらい思って5回くらい実際に口に出したことをやっぱりそのときにもぼんやりと思っていた。
 そうしたら運転していた人には申し訳ないけれどうとうととしてしまったようで、気がつくと車は僕の部屋のすぐ近くの坂道を下っているところだった。
 いつものようにコンビニの前で降ろしてもらって、「よいお年を」って挨拶を交わす。
 年末の一時期だけ、挨拶が「よいお年を」に変わるけれど、そういうのはいいなと思う。
 1年の終わりは、様々な角度から、たくさんのやり方でその地点を知らせてくる。
 それは街の装いであったり、仕事納めだったり、あるいは忘年会や、テレビからだったりする。
 そして、そういう押し寄せてくる既成事実を受け入れて、気持ちを年末に合わせていくのだ。
 個人的には、今年はばっちり年末に周波数を合わせていたりする。


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 お知らせ


 Text Sun Set【Days】は、31日にも更新します。


2001年12月27日(木) walk

 昨晩は飲み会(中ジョッキ+カクテル各1杯ずつ。頭痛かった……)。
 今日は持ち帰り仕事。
 明日は年内仕事納め+飲み会+大ボーリング大会。
 明後日は午前6時に迎えに来てもらって、日帰りで逗子まで遊びに行く。
 30日と31日は大掃除&買物(もしかしたら、掃除の合間を縫って一人で映画に行ってくるかもしれない。観たい映画があるのだ)。
 1日~3日は部屋でのんびり&読書&買物。
 4日、5日と仕事。
 6日は休日(を利用しての札幌移動)。
 7日と8日は札幌出張(8日の23時過ぎに帰ってくる予定)。
 9日から嵐のシーズンが本格的にはじまる……

 とりあえず、年末年始に決まっている予定は上記の通り。
 こうして書き出してみると、結構平和というか、穏やかな年末年始という感じがする。
 特に、30日と31日に大掃除をして年明けを迎えるのって健全といえば健全。
 他にも、毎年恒例の、今年読んだ本の個人的なベスト10だとかそういうのもやったりするのだ。
 最近は映画をほとんど観に行っていないので、映画のベスト10は出来ないなと残念に思う。


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 上の方で大ボーリング大会と書いて思い出したのだけれど、昔テレビでアイドルがたくさん出てくる水泳大会をやっていた。
 記憶では確か「ドキッ! 女だらけの水泳大会」とかそういうベタなサブタイトルがついていて。騎馬戦で必ず誰かの水着がとれたりするのが様式美になっているやつ。

 でも、そういうのって、他にもいろいろ出来そうな感じだ。


 たとえば……


 ウゲッ 男だらけの水泳大会


 という定番から、


 ウエッ 親父だらけの日焼け大会


 あるいは、


 ホゲッ じじいだらけの入れ歯飛ばし大会


 とか……


 一年も終わるのに、こんなことを書いている場合じゃないだろう……ねえ。


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 この間散歩をしていて、ふと1年前はこの町にいなくて、僕の人生にはこの道路なんてまったく関係がなかったのだと唐突に思った(最近では、散歩は週に2回くらいしている。近場が多いのだけれど、遠出もそれなりにある。ただ、日常にかなり組み込まれてしまっているのでいちいち書かないのだけれど。たとえば、この間は春になると桜が咲き乱れる大きな公園を散歩していた。木々は随分と寂しげな感じだった)。
 僕はいまの町に1月に引っ越してきたので、1年前の12月は千葉市で暮らしていた。
 ちょうど昨年のこのくらいの時期は、新しい部屋の契約を済ませたり、引越しのための準備をしていたり、ヨドバシカメラで家電を買ったりしていた。
 もうあれから1年が経つのだ、と思えるのは不思議な感じがする。
 そんなふうに時折、時間の流れを唐突に意識することの出来る瞬間があって、そういうときには少しは成長できているだろうかって思う。もちろん、新しい部署になったので新しい仕事を結構覚えた。新しい知り合いも出来た。いろいろと環境は変わったとも思う。でも、それと同時にまだまだ全然だとも思う。何か重要かつ決定的なものが欠けているような気がするのだ。それがなんなのかはよくわからないのだけれど。
 もちろん、そんな気はしても、何だかんだ言っても今年はいい一年だった。
 来年もいい一年になればいいと思う。
 頑張ろうとも思う。
 やりたいこともいくつかあるし。

 そして、12月27日の今日に思うのは、1年後のこの時期にも、またどこかの町で(これはいま住んでいるところかもしれないし、別のどこかかもしれない)散歩をしていられればいいなということ。
 どんな状況に置かれていたとしても、往復30分くらいの散歩はしていたいなと思うのだ。
 散歩って便利で都合がいいと昔からずっと思っている。
 たとえば、散歩は余裕があるときに行きたくなるし、余裕がないときにもやっぱり行きたくなる。
 同じ歩くという行動が、その正反対の心持の両方を繋いでくれるような気がするのだ。
 もしかしたらたぶん、景色はちゃんと見ていないのだろうし、どちらかというといろいろと考えながら歩いているばかりなのかもしれない。
 あるいは、何も考えていないのかもしれない。ただただ歩き続けているだけなのかもしれない。
 けれどそのどれもが散歩なのだ。
 歩くことによって、何かが得られるかもしれない。
 でも現実的には何も得られないことの方がきっと多い。
 それでも、それはある種の精神的なボディーブローのように、じわじわと効いてくるものであるような気がする。
 心と身体に。
 これは以前にもどこかで書いたことがあるのだけれど、僕が男に生まれてよかったと思うことのひとつは、何時に散歩をしても大丈夫だということだ。女の子なら、深夜の散歩はとてもじゃないけれどオススメできないし。たとえば、僕も浮かれて散歩をしていたら、ふとした空き地に恐ろしい感じの男たちが10人くらいたまっているのに遭遇したこともあるし。ああいうのって、ちょっとびっくりする。深夜0時過ぎに、そんな空き地で一体何をしているのやら、と思うし(まあ、そんな時間に散歩をしている方もしている方だけど)。
 でもまあとにかく散歩だ。
 もしこのDaysが1年後まで続いていて、そのときにどういう場所に運ばれてしまっているのかはよくわからないのだけれど(もしかしたらどこにも運ばれていないのかもしれない)、そのときにはちゃんと散歩をしているような日々であればいいなと思う。
 これは割合切実にそう思う。

 歩くこととチューニングを合わせることは似ている。


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 お知らせ

 さて、持ち帰り仕事をしよう。


2001年12月25日(火) ドラマ版『温かなお皿』

 ナイス藤村俊二。
 こんな書き出しではじめるのも何なのだけれど、江國香織クリスマスドラマスペシャル『温かなお皿』を見た。
 短編集『温かなお皿』に収録されている幾つかの短編を、パッチワークのように縫い合わせたドラマだ。
 見逃してしまうかもしれないと思ってGコード予約していたのだけれど、結局はリアルタイムで見ることができた。
 テレビドラマを見るのは久しぶりで(ここ数日、電車の中吊り広告で必ずといっていいほど見かけていて、密かに日時を覚えておいていたのだ)、いったいぜんたいどんなドラマに? と思っていたので結構楽しみだった。
 ついさっき見終わったのだけれど、具体的には、使われているエピソードは以下の通り(なんじゃないかと思う)。

『冬の日、防衛庁にて』~愛人に逢いに行く妻の話。メインのエピソード。
『藤島さんの来る日』~愛人の方のエピソード。料理が得意なのに、愛人が会いに来るときにはわざと料理ができないふりをしたり部屋を少し乱雑にしたりする。
『コスモスの咲く庭』~お父さんが作る海鮮焼きそばのエピソード。
『ラプンツェルたち』~女子寮ではないけれど、女の子たちが部屋のなかでパーティをする。
『とくべつな早朝』~コンビニでアルバイトしている林君のところに、好きな女の子が早朝に逢いに来てくれる(ドラマでは夜だったけれど)。
『ねぎを刻む』~愛人が、別れを決めた後「おまじない」としてねぎを刻むエピソードで。

 あと、狂言回しのような形でタクシードライバー(坂本さん。演じているのは坂口憲ニ)が登場するのだけれど、これはエッセイ『泣かない子供』に収録されている『海!』からきているのじゃないかなと思う。夜にふらりと稲毛海岸の海まで江國さんが行ったというエピソード。

 江國さんの小説を読んでいるので、関連するエピソードが出てくるたびに「おお!」とか思って楽しんでみることができたのだけれど、何も知らないでただのドラマとしてみたときにはそこまで楽しめなかったような気はした。
 ただ、それぞれの話を破綻なくまとめあげているし、ある種のハッピーエンド(娘と林君)もあったのでよかったのだけれど。
(もちろん、エンディングの曲の歌詞「新たな気持ちでまたやり直そうよ」っていうところに今井美樹(妻役)の映像をかぶせてそれで終わりなのかと思ったのも事実。でもまあ、白黒つけることが常に必要なわけでもないということなのだろうし。そういう意味では現実的かもしれない)

 テレビの前に椅子を引っ張ってきて、昨日食べきれなかった分のケーキを食べながらコーヒーを飲みながら見ていたのだけれど、なんだか覚えのあるエピソードのシーンになるたびに、一人で笑ってしまったのだった。
 後半部分で、不倫をやめることを決めた愛人がコンビニでネギを買うのだけれど、そのときには「出た!」ってほんと思ってしまったし。

 ネギだ!
 刻むんだ!
 本当に冷ややっこやおみそしるにどっさり入れてる!

 そう思って一人で浮かれていた。浮かれるなよ……
 もしかしたら、ねぎを刻むブームが到来するかもしれないとなんとなく思ったり。

 あとちょっとだけ気になったのはタクシーの名前が「江國タクシー」だったことと(それはちょっとやり過ぎのような……)、前半で妻(今井美樹)が考えをめぐらせているようなシーンのときに、「世にも奇妙な物語」に似た感じの曲が使用されていて、なんだか恐ろしげな雰囲気を醸し出していたこと。

 でもまあ、何だかんだで楽しく見ることができたのだけれど。


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 プリンターってすごい。
 なんだかしみじみしてしまうのだけれど、プリンターを買ってよかったと、心から実感中。
 昨晩だけで、かなりいろいろなものを印刷したし、午前4時までかかって『筆まめ』で年賀状も作り終えてしまった(無事25日に出すことができた。これで元旦に間に合う)。
 買物って、買うときに楽しくて使うときに満足できるのがとてもよいのはもちろんのことなのだけれど、現在のところかなり満足度が高い。
 しかも、僕はもちろんCanonの回し者でもなんでもないのだけれど、とにかくスピードが速いのだ。
 これからは興味深いホーム―ページも(意味もなく)どんどん印刷しよう。
 はたらきもののプリンターとしてがんばってもらおう。
 そんなわけのわからない決意を新たにしたり。


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 お知らせ

 小説の映像化って、やっぱりいろいろと複雑なものがありますね。


2001年12月24日(月) プリンター購入

 場合によっては今日の休日がなくなるかもしれなかった会議が無事に終わり、昨晩はそのまま同僚たちと遊ぶ。
 部屋に帰ってきたのは24日の午前4時と少し過ぎで、いつも訪れるコンビニは眠たそうな店員しかいなかった。
 冬の午前4時はまだまだ全然夜のなかにある。空気はぴんと張り詰めた糸のようにつめたくて、身体の芯から凍えてしまいそうなくらい。
 街灯はほとんど等間隔に遠くのほうまで続き、たまにしか車の通らない道路がぼんやりと淡い照明に照らされている。
 クリスマス・イブだ。
 ねむたい頭と気持ちで部屋に着いて、着替えてから、音楽をかけてあたたかい生茶を飲む。
 午前5時過ぎまで起きていて、そのままいつの間にか眠ってしまった。
 5時間後にはまたすぐに目が覚めてしまったのだけれど。


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 年明けに再び2泊3日で札幌に出張に行くことが決まり、一人旅をやめたあと、どうするか迷っていた年末年始の帰省も取りやめる(だって、帰省から関東に戻ってきて数日後にまた行くのでは交通費がもったいないし)。
 自分の部屋で、いろいろとやりたかったことをまとめてやってしまおうって思う。


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 感情で色が変わる指輪というやつが売られている。
 1800円。指輪の中に液状化水晶が入っていて、体温や汗に反応して7色に変化するのだそうだ。
 平静な状態ではライトグリーン。
 動揺し始めるとそれがオレンジになり、興奮すると黒っぽい色になる。
 リラックスしているときにはブルーになり、幸福な気持ちになっているときにはそれがピンクになる。
 その感情と色の変化の関連にどの程度の信憑性があるのかはよくわからないのだけれど、それでもそういうのってちょっと困ってしまうよなと思う。
 昔から、人の考えていることがわかるようになりたいっていう願望を持っている人はたぶんたくさんいて、誰だってある程度はそうで、たとえば恋人たちなんかは、相手が本当はどう思っているのかとか楽しいって思っていてくれているのだろうか? とか悩んでしまったりするのだろうし。
 でも、そういう色や形でそれがわかってしまうようなものだと、その色にひきずられて変に意識が過剰になってしまうような気もする。


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 今日は17時過ぎになってから買物に行ってきた。
 まずは自分へのクリスマス・プレゼントとして、まとまった時間ができたら読みたいと思っていた本をまとめて購入。7冊で12038円。ハードカバーは高いよと改めて思う。
『東京タワー』は新刊売場に平積みされていたし、『世界がもし100人の村だったら』は特設コーナーすらできていた。大型書店は探している本になかなか出会うことができなかったりあまりに大きすぎてふらふらになってしまったりするけれど、それでもその賑やかで静かなんだかうるさいのだかよくわからない雰囲気はかなり好きだ。
 その後はケーキを買う。クリスマス・ケーキ。僕は一人でもこういうイベントは自分なりに楽しみたいので、幾つかあるケーキ・ショップのなかで、一番人が多かった店で並んで買った。チョコやカラメルの入ったやつやレモンムースとか。
 その間にも、街や店のなかで、もう何人かのサンタクロースを見かける。サンタクロースの衣装って、たとえば夏に事務所の更衣室とかで見つけてしまったら変な感じがするものなのかもしれない。ちゃんとクリーニングがかけられた一年に一ヶ月くらいしか出番のない衣装。
 なんだか、秘密を暴いてしまったような決まりの悪さにおそわれるかもしれない。

 その後は、ヨドバシカメラへ。
 今日の買物のメインであるプリンターを買うためだ。
 必要条件は、A3が印刷できるもの。希望条件は印刷スピードが早くてランニングコストがそんなに高くないもの。
 結構持ち帰り仕事の際に使うことが多いので、それは必須条件。
 僕はいままで出張生活中に購入したCanonのBJ M40というモバイル・プリンタを酷使していたのだけれど、A4までしか印刷できないし、さすがにそれではちょっと辛くなってきていたのだ。たとえば、最近なら小説を印刷して推敲しようと思っても、数十枚を一枚一枚給紙していたわけだし。はたから見るとちょっと滑稽だ。
 いろいろ雑誌で検討してほぼ決めてはいたのだけれど、それでも広い店内のなかでやっぱりいろいろと比較してみる。
 そして、結局CanonのBJ F9000というやつにした。シルバーの、男の子っぽいデザインのやつだ。
 59800円。
 USBケーブルをサービスでつけてもらって、予備のインクと紙を買う。これで今度からは放っておいても何十枚の印刷ができるようになる。
 かなり嬉しかったし、それが何であれ、デジタルグッズを選ぶときには無性に心躍ってしまう。今回だって、かなり雑誌を見比べていたし。
 そしてヨドバシのポイントがまたたまったのだけれど、一体いままでヨドバシでいくら使っているのだろう?

 ただ、モバイル・プリンタには、正直な話本当に数え切れないくらい助けられてきた。たとえば前回の名古屋から福岡への出張の際にも携帯していったのだけれど、急遽印刷しなければならない書類等を、夜にホテルの部屋で印刷できるというのはかなり便利だった。段取りさえちゃんとしていれば必要ないはずなのだけれど、なにかとイレギュラーが発生するのも事実だし。

 ということで、Canonに決めたのは、M40への恩義を感じてだったりもして(もちろんこれからも併用するのだけれど)。


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 お知らせ

 クリスマス・イブということで、Novelを一気に3章アップしました。


2001年12月22日(土) 影絵のような街

 今日、16時過ぎに、仕事で移動しなければならなくて、ゆりかもめに乗っていた。新橋から有明まで、お台場をぐるっと回る路線だ。
 エスカレーターに乗っているときも、切符を買っているときにも、あれ? と思っていたのだけれど、とにかくやたらとカップルが多かった。
 そうか、と思う。今日は土曜日だししかも3連休だし、さらにクリスマス前だし、イルミネーションだし。極めつけは、夕暮れ時だし。もうカップルを引き寄せるパワーのようなものがあれば限りなくMAXに近いということができる。
 ということで、狭いゆりかもめの車両の中は、カップル率が50%を超えるくらいに。

 それはともかく、窓からの景色はかなり美しかった。
 夕暮れ時で、街に近いほうの空がオレンジ色に染まり、その上空は夜の青い闇。その境目がものすごく淡くて、微妙に溶け合っているように見えるのだ。林立する高層ビル群は、暗い影の部分と明かりがついている部分のコントラストが鮮やかで、その合間には夕方の東京タワーが見えている。もちろん、いま時期夕方から夜の東京タワーを見てしまうと『東京タワー』のことを思い出してしまうのはお約束だ。あの小説を読んだ人で東京近郊にいる人は、東京タワーを見るたびにあの恋人たちのことを思い返してしまうのだろう。
 ゆりかもめはゆっくりとカーブを繰り返し、最初左側の窓に見えていた景色が、いつの間にかぐるっと右側の景色に変わったりしている。そのたびに夕方は夜に近付いていて、あの大観覧車にも近付き、フジテレビもレインボーブリッジも見える。途中に今年オープンした科学館みたいな建物があって、そこにはぜひ一度行ってみたいなと思ってみたり。

 そして、ふと気がつくと、遠くに見えるビル群がまるで巨大な影絵のように見えるのだ。

 船の科学館(『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』を思い出す)駅からは、ちょうど遠くに観覧車が横から見えた。大きな円を描く観覧車も、横から見ると当たり前だけれど一本の鮮やかな線になる。
 ゆりかもめの車内で写真を撮っている人がいたけれど、それにも納得。クリスマスのお台場は、本当に見所がたくさんあるところなのだろうなと思う。
 そして、夕方はやっぱり美しいよなと思う。それが都会でも地方でもどこでもだ。変わり目の時間の持つわずかな時間であることとか、すぐに消えてしまうということが、それをまたより引き立てているのかもしれない。

 駅から降りると、とても寒かった。臨海地域だから、潮風がそのまま吹きつけてくるのだ。
 そしてそのときには、夕方はもう本当にごくわずかなところを残して、終わろうとしていたのだけれど。

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 お知らせ

 いまの時期のお台場は、一人では遊びに行くにはちょっと気合が必要ですね(まあ、今日は仕事で、でしたが)。


2001年12月21日(金) 『世界がもし100人の村だったら』

 少し読み進めて、やばいかもしれないって思う文章がある。
 それは大抵の場合、抑制が効いていることが多い。
 丁寧な文章であったり、形式をちゃんともっている文章なのだけれど、その背後では、いまにも圧倒的な何か(たとえば祈り)が溢れ出ようとしているような、そんな文章。
 あっさりとはじまり、淡々と進むように思えるのに、それを読んでいる自分の側に、確実にざわざわした何かがたまり始める。
 そして、たまりはじめたそれは、ざわざわと――あるいはたぷんたぷんと――揺れる。
 溢れ出してしまうかもしれないって思い、耐えることができたかもしれないという一瞬を越えて、気がつくと一気にやられてしまう。

 そういう文章がある。

 それは、たとえばこういう文章だ。

 中学校に通う長女の担任は
 生徒たちに、毎日メールで
 学級通信を送ってくださる
 すてきな先生です。
 そのなかに、とても
 感動したメールがあったので
 みなさんにも送ります。
 少し長くてごめんなさい。

 今朝、目が覚めたとき
 あなたは今日という日にわくわくしましたか?
 今夜、眠るとき
 あなたは今日という日にとっくりと
 満足できそうですか?
 今いるところが、こよなく大切だと思いますか?

 すぐに「はい、もちろん」と
 いえなかったあなたに
 このメールを贈ります。
 これを読んだら
 まわりがすこし違って見えるかもしれません。

(最初の2ページを引用)

 これは、『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子 再話 C.ダグラス・ラミス 対訳、マガジンハウス)という薄い本の書き出しだ。
 この後、本書はこう続いていく。

 世界には63億人の
 人がいますが
 もしもそれを
 100人の村に縮めると
 どうなるのでしょう。
 100人のうち

 52人が女性です
 48人が男性です

 30人が子どもで
 70人が大人です
 そのうち7人がお年寄りです

(その後の3ページを引用)

 そして、こんな調子で異性愛者と同性愛者や人種の違い、あるいは住んでいる地域、信教、言語、貧困、紛争などについて、100人のうちの割合を人数で示しながらこの本は続いていく。世界を100人の村に縮めてしまう試みは、そのわかりやすさと、直裁的なメッセージ性において、非常に強いインパクトを持っている。
 とりわけ貧困や紛争について、具体的に示される数には驚かされる。そういう現状や状況を事実として見聞きしていても、数字で示される現実感はやはり大きい。
 最後には、そういった数字が繰り返された後の最後に3ページに書かれている文章の、ある種の重みや祈りのようなものが、どうしようもないくらいに響いてくる。
 とりわけ、最後から3ページ目にやられてしまった。
 ここには記さないけれど、こういう文章を書くことができる――つまり、そういうことを考えている人というのは、本当に尊敬してしまう。
 メッセージを伝える手法にはいろいろあって、比喩やたとえはそういうときにきっと大きな力を発揮することが多い。
 世界を――地球を、ひとつの小さな村にたとえる。
 そうしてみることで、デフォルメされることで見えてくることもきっとあるのだと思わされた。

 この短い物語は、元々がインターネットの世界を駆け巡った差出人不明のEメールだったそうだ。
 それを読んで感動した人が、何かを付け加えたり、削除したりしながら、メールは形を変えてネットの海を漂い続けた。
 また、巻末には、この「インターネット・フォークロア”ネット・ロア”は、グロバール時代の民話である」とし、その民話の出所や変遷について解説している文章が掲載されている。
 もちろん、そういうものも興味深くはあるけれど、個人的にはやっぱりこの内容自体に関心を持ってしまう。
 願いや祈りのようなものが込められている文章の力は強いと、当たり前のことなのかもしれないけれど、改めて思わされた。


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 お知らせ

 本当に薄い本なのに、ちからづよいのです。


2001年12月20日(木) Sweet Melodies

 先週購入した『Sweet Melodies』は、Burt Bacharachの珠玉の名曲が全部で50曲も収められている魅力的な企画アルバムだ(2枚組)。
 そこには、大好きなアレサ・フランクリンの「I SAY A LITTLE PRAYER(邦題:小さな願い)」にカーペンターズの「(THEY LONG TO BE)CLOSE TO YOU(遥かなる影)」、それからクリストファー・クロスの「ARTHUR'S THEME(THE BEST YOU CAN DO)(ニューヨーク・シティ・セレナーデ)」も収録されている。こうして名前を並べてみるだけでも聴いたことのある曲ばかりの人が多いと思うのだけれど、それだけにバート・バカラックの幅の広さ、懐の深さのようなものを感じてしまう。
 トム・ジョーンズの「WHAT'S NEW PUSSYCAT?(何かいいことないか仔猫チャン?)」だってそうだし、プリテンダーズの「THE WINDOW OF THE WORLD(世界の窓と窓)」もそう。

 解説文に書いてある文章を引用すると、

 複雑でめまぐるしく変化する現代社会に生きる若いハートや傷つきやすいソウル、そのあこがれ、ときめき、笑い、涙、夢、勇気…を見事に表現したサウンドである。(3ページ)

 ということになる。
 本当に甘く、ロマンティックな感じの曲が多くて、人はいわゆる傷つきやすい年頃にこういう曲を聴いていくのがまっとうな育ち方なのかもしれない……とか思ってしまう。
 こういうポップスって、最近は随分と少なくなってしまったような気がする。
 もちろん、時代と共に歌は移り変わっていくから、それが悪いとかそういうことじゃないのだけれど(それがなんにせよあんまり悪いとか絶対とか決め付けることはしたくないし)、ただバカラックの曲を聴いていると、これは確かにエバーグリーン……って思えてしまうし、これはもしかしたら世代に関係なく胸のなかのどこか柔らかい場所に触れられるような音楽なのかもしれない……とも思えてしまう。
 そして、ほとんどの歌は愛の歌なのだ、不思議なことに、まあ、不思議でもなんでもないのかもしれないけど。

 昔の曲だからいまと違って結構邦題がついているのだけれど、歌詞カードから曲のタイトルに恋とか愛ってついている曲を抜き出すだけでも、これだけある。

 恋のとまどい
 恋よ、さようなら
 恋するメキシカン
 恋するハート
 愛の痛手
 恋の面影
 恋のウェイト・リフティング
 世界は愛を求めている
 素晴らしき恋人たち
 愛のおとずれ
 愛のハーモニー

 と以上、11曲もタイトルに愛や恋が使われているのだ。
 これは、かつてすべてのPOPソングが愛のことをうたっていると言った某アーティストの台詞にも頷けるほどの多さということができる。
 とまどったり、さようならをしたり、メキシカンだったり、ウェイト・リフティングだったり、いずれにしてもみんな愛とか恋を求めているということなのだろう。
 もちろん、恋のウェイト・リフティングってなんなのかよくわからないのだけれど。

 ということで、ちょっと細かくみてみる。

 邦題「恋のウェイト・リフティング」。
 サンディー・ショウの歌うこの曲は、原題が「(THERE'S)ALWAYS SOMETHING THERE TO REMIND ME」、対訳に書かれている訳を引用すると、「まわり中あなたを思い出させるものばかり」。
 この原題がどうして「恋のウェイト・リフティング」になるのかがまったくわからない。
 あ、でもこれは歌詞に関係があるんだ! と思い直して、歌詞カードについている対訳を全部読んでみる。

「町の通りを歩く……(うんうん)……一歩進むごとに思い出すわ……あなたを愛するために生まれてきたのよ……いったいどうしたら忘れられるの……(うんうん)……あなたを思い出させるものばかりあふれてるのに」

 出てないー!!

 一度もウェイト・リフティングっていう単語出てきてないんですけどっ!!
 昔の邦題って、かなりアバウトなところがあるよなあと、あらためて思う。

 ちょっと想像してみる。
 ぽわぽわぽわ……(←最近これ使いすぎですか?)


「○○さぁーん。サンディー・ショウのこの曲の邦題どうしますぅ?」
「ああ。あの曲ね。いい曲だよね。それに相応しいタイトルをつけないとね。なんかこう、胸にぐっとくるやつ」
「そうですよねえ」
「歌詞を読むとふむふむ……町の通りを歩いていても、彼のことを思い出すわけだ……せつないねえ。くるしそうだねえ」
「くるしそうですよねえ」
「苦しそうな表情が目に浮かぶね」
「そうそう。苦しそうって言えば、この間テレビでウェイト・リフティングの大会見たんですよー。すっごい重いやつをみんなすごーく苦しそうにして持ち上げるんですよー」
「へえ。ウェイトリフティングか……苦しそう…………それだ!!」
「え!?」
「ウェイトリフティングだよ! 恋の……そう、恋のウェイト・リフティングだ! ウェイト・リフティングをするときの苦しそうな表情と、彼のことを想うときの表情、まさに同じ!!」
「さすが○○さん! 大ヒット間違いなしですね!!」
「フッ、いつものことだよ……」

(※この会話はフィクションです)


 やれやれ。


 でも邦題はどうであれ、本当に、よい曲を聴くと、音楽のない人生は信じられないって、心から思う。
 そして、その音楽がほとんど愛のことを歌っているということは、たくさんのモノゴトのなかで、愛については感情移入しやすいということなのかもしれない。

―――――――――

 お知らせ

 一人でクリスマスを過ごす方々に朗報です(?)。
 Text Sun Set は、24日も25日も連続更新の予定です。


2001年12月19日(水) 世界の果て

 地球は丸いわけだから、厳密な意味で言えば世界の果ては存在しないということになる。
 たとえば、途方もないくらいの燃料を積んだ飛行機で地球をある方向に向かって進んだとしたら、いつか同じ場所に戻ってくるわけだし。

 それでも、「世界の果て」について、誰もがある種のイメージを持っているように思う。
 僕も個人的に、世界の果てについてのいくつかのイメージを持っているし。

 たとえばそこは明るい日差しに包まれているような場所なのだろうかとか、
 荒涼とした冷たい風の吹きすさぶ場所なのだろうかとか、
 そういうことをたまに考えたりもする。

 いまのTop写真を撮った場所も、偶然から見つけた個人的な「世界の果て」のひとつだ。
 デジタルカメラの小さな四角の中と、実際に目の前に広がっている同じ光景を見ながら、こういう光景が世界の果てなのかもしれないって思っていたことをいまでもよく覚えている。
 実際には、写真の右の方には、海を挟んで小さな島が見えていたから、そこが果てというわけではなくてさらに先はあったのだけれど。
 それでも、その風がやけに強かった午後、その砂浜は世界の果てのように見えた。

 その砂浜に着いたとき、車を停める場所がなくて、砂浜に下りるための坂道の脇に車を停めてもらった。
 なだらかな坂道の行き着いたところ――砂浜の入り口――には自動販売機があって、ただそれは壊れていてもう使うことのできないものだった。
 喉が渇いていたのに、小銭まで用意したのに、まるでその自動販売機は一生を俗世間から離れて生きた芸術家の作り出した奇怪なオブジェのように、ただ砂嵐のような風に吹かれていた。あるいは、すでに動けなくなってしまったおじいさんのようでもあった。このまま何年かしたら、完全に砂にまみれて埋もれてしまうのかもしれないって思えた。
 
 砂浜に降りると、砂はどこまでも白く、海は随分と透明だった。
 僕は手にしていたデジタルカメラで何枚も写真を撮っていたから、一緒にいた人はもしかしたら呆れていたのかもしれない。

 砂浜って、不思議なところだ。
 足跡が緩やかに残るのに、しばらくするとその足跡は風でかき消されてしまう。
 それは何もかも受け入れているようにも見えるし、何もかも拒絶しているようにも見える。
 そしてどう見られようときっと構わないのだという感じがする。
 繰り返し寄せては返す波。
 砂の混じった風に時折目をつむりながら、いつか死ぬときにはこういう場所でむかえたいよなと、なんとなく思う。
 そして死ぬ前だなんて縁起でもないかなと慌てて打ち消す。
 でも一度抱いてしまったそういう一瞬のイメージは、いつまでも長く残る。
 それはたぶんどうしようもない。

 写真を撮り終わった後一度海に近づいて、片手を入れてみた。
 冷たいような生ぬるいような。
 ふと顔をあげると、不穏な感じのする雲は、随分と重く低く垂れ込めていた。

 数十分後にその小さな島を離れた後には(大きな橋を渡ると島から出ることができた)、ちゃんとコンビニでジュースを買った。
 喉の渇きは癒さなくてはいけないし、休日が終わったら働かなくてはいけない(その日は休日だった。翌日には仕事が待っていた)。

 それでも、車がその長い橋を渡っている間、助手席の窓から遠ざかる島を見つめながら、ほんの少しだけ、あのままあの場所に、世界の果てのようなあの場所に、ずっといることができたらと思っていた。

 毎日、砂浜に小さな椅子を置いて、ぼんやりと向こう側の小さな島を見つめながら暮らすのだ。
 一瞬、そういう毎日を想像してしまった。
 写真を撮ってもいいし、絵を描いてもいい。
 長い長い物語を綴ってもいい。

 あの場所で暮らすこと。
 冷たい風と、流れる砂と、繰り返す波と一緒に人生を送ること。
 叶わない憧れはときに随分と甘く、手に入らないものはそれだけに魅力的に映る。

 まあ、でも、と思う。
 僕は自分が選んでいる場所で、自分が選んだように生きているわけだし、それはそれでやっぱり魅力的だ。
 自分のいる場所から逃れたいと思っている人は不幸だというようなことを、クンデラもどこかで書いていたし。

 ……もちろん、これはただの言葉かもしれないけれど、「逃れる」ことと「歩き出す」こととは同じ場所から離れることでも、随分と意味合いが違う。
 同じことを示すためにも、何種類もの言葉があるのってまっとうなことだと、よく思う。
 自分が選んだ場所にいて、そこからさらに選んだ場所に向かって歩き出すことができるのがいい。

 そういうふうにしていくのがいい。


―――――――――

 あの砂浜の入り口にあった自動販売機は、いまこの時間も冷たい夜風に吹かれているのだろうか?
 朝も昼も夜も、春も夏も秋も冬も、ずっと同じ場所でただ砂を浴び続けているのだろうか?
 壊れてしまった自動販売機には、風の音は、異国の言葉のように響くのだろうか?

 僕はよく物を擬人化する。
 すべてのものの中に霊が宿るということを素直に信じているわけではないけれど、それがありえないことだとは思えないのだ。
 だったら、と思う。

 あの、おじいさんのような自動販売機が、ある日突然、ブルンって音とともにふたたび動き出すこともあるのかもしれない。むしろそういう瞬間があって欲しい。
 あかるくて乾いた午後の奇跡が起こってほしい。
 でも僕が訪れたときには、その自動販売機はまだただの役目を終えた箱のように見えるだけだった。
 その瞬間を迎えるためには、まだ随分と長い――永遠とも見まがうような――時間が必要なのかもしれない。

 もしそこがほんとうに世界の果てなら、そんな不思議なことが起こっても、決しておかしなことではないのだ。


2001年12月18日(火) 森の動物たち③  さる江の恋の一部始終

 衝撃の第3話


 クリスマス特別企画


――森の動物たちシリーズ③  さる江の恋の一部始終――


(年末の2時間ドラマスペシャルのような雰囲気で)


――――――――

 さる江のアイドルはブービーです。
 ブービー。
 そう、別名パーマン2号。
 猿の世界のアイドルです。
 旗包みなんかをかましてしまうワイルドなプロゴルファーと人気を二分しているのですが、彼はまあ自称サルなので、本当の意味でのさるNo.1はやっぱりブービーなのです。

 さる江はブービーファンクラブに入っていて、次々と発売される初回特典つきのプロマイドやらイメージビデオやらポスターやらカレンダーやらマウスパットやらを通信販売で買っています。
 そしてブービーの写真を見ては、はあといつもため息をついているのです。
 そう、それはまさしく恋わずらいです。

 くま吉とモグたんとSun Setさんは、そんなさる江を見て心配していました。
 何だかんだ言ってもブービーはさるの世界のアイドル。
 住む世界が違うのです。
 いくらさる江が想いをつのらせても、それは届くことはないのです。


 そんなある日――。


「決めたわ」
 ある日森の広場でいつものようにくま吉とモグたんとSun SetさんがUNOをしていると、さる江がやってきてそう言います。

「決めたって、何をだい?」
 いつも落ち着いているくま吉が優しく問いかけます。
 Sun SetさんはDraw Fourをやられてしまったショックで放心状態のため、さる江に気がついていません。

「ワタシ、ブービーに会いにいくわ」
 そういうさる江の瞳は希望に輝いています。肩には木の枝をしょっていて、その先には風呂敷に包まれた荷物がぶらさがっています。
 旅に出るときの定番スタイルです。

「……さる江」
 くま吉は呟きます。モグたんも心配そうにさる江を見つめています。
 Sun Setさんは、壊れたロボットのような覇気のない手つきで、口惜しそうにDraw Fourのカードを山から取っています。まださる江に気がついていません。

「いままでお世話になったわね。そのうち、ブービーの婚約者ってことで、ワイドショーに登場することになると思うワ」
 さる江はそう言うと、踵を返して森の外の方に向かって歩き出していきます。

「待っていてねブービー。いまからワタシが逢いに行くワ」
 さる江の心のなかでは、彼女はヒロインです。そう、誰もが自分が主人公の映画のヒロインなのです。

 ただし、森の動物たちはさる江のことが心配です。
 特に、人生経験豊富で若い頃には夜の世界でも活躍していたくま吉は、さる江がどうなるのかがなんとなく予想できます(くま吉の過去は謎に包まれているのです)。

「こりゃあ……ワタシたちが一肌脱ぐ必要があるな」
 くま吉はそう呟きます。頼もしい発言です。

 さっそく、くま吉の合図で森の動物たちが集まってきます。
 リス衛門にうさ子にケロポン(カエル)、そしてワッシー(ワシ)にウルフィー(狼)たちがぞくぞく登場です。
 みんなSun Setさんの友達です。

「かくかくしかじか……」
 くま吉はみんなに事の次第と計画を説明します(かくかくしかじかってこういうとき便利ですね)。

「なるほど。そりゃあなんとかしなくっちゃな」
 リス衛門はリスなのになぜか江戸っ子気質です。さる江をなんとかしてやりたいって熱く思っています。

「さる江ちゃんの気持ちもわかるわ……切ないわね」
 ロマンティストなうさ子さんの口はいつも×印です(ミッフィーを意識しているのです)。

「がんばるケロ」
 ケロポンは舌を伸ばします。その長い舌でさくらんぼを結ぶことができます。忘年会の時期には引っ張りだこです。

「ふうむ。さる江には世の中の厳しさを味わってもらった方がいいのではないかと思うのだがな……」
 ワッシーは結構クールです。

「ま、いいんじゃない。まだ小さいんだから」
 姉御肌のウルフィーは、そう言ってガルルと小さく鳴きます。


 一方、その頃さる江は――


 都会に出てきたさる江は、たくさんの人や動物や自動車に目が回りそうでした。
「ね、ねえ、ブービーにはどこに行けば逢えるの?」
 道行く人にそう聞くのですが、誰も取り合ってくれません。
 危うく車に轢かれそうになったり、小さな子供たちに石を投げられたりします。

「ブービー……」
 夕方、空き地のドラム缶の上に腰かけ、ブービーのプロマイドを見つめてさる江は呟きます。
 都会にさえ出てくれば、すぐにブービーに会えるものだと思っていたのに……。
 森の仲間たちの姿が思い浮かびます。
 お父さんのようなくま吉。
 勉強家のモグたん。
 きっぷのいいリス衛門に、おしゃまなうさ子。
 口うるさいけど本当は優しいワッシーに、ケロケロうるさいケロポン。
 大人の女のようで憧れているウルフィー……
 なんだか、もうみんなのことが懐かしいのです。

(……ねえ、Sun Setさんのことは?)

「だめだめ、弱気になっちゃだめ。ブービーに逢うまでは帰れないわ。ちょっとうまくいかないからって弱気になっちゃだめよさる江」
 さる江は自分で自分のことを励まします。

 翌日、あんまりよく眠れなかったさる江はブービーに逢うためにテレビ局にまで行きます。
 そこには、ブービーの出待ちのファンのさるたちがたくさんいます。
 都会のさるたちはみんなオシャレな洋服を着ています。
 さる江は、この日のために一番気に入っているだんご三兄弟のTシャツを着ているのですが、周りでは誰もそんなTシャツは着ていません。さる江は自分が田舎もののような気がして物怖じしています。
 それでも、さる江は勇気を振り絞って、ブービーが出てくるのを待ちます。

「きゃあぁあぁあ!!」
「ウキッウキッウキキキッ!!」

 突然、周囲のさるたちがいっせいに騒ぎ出します。カメラのフラッシュが周囲を眩しく照らし出します。

 ブービーです。

 さる界のアイドルブービーは、「パーマン」の収録を終えテレビ局から出てくるところだったのでした。
「ぶ、ぶ、ブービー!! わ、わ、ワタシ……」
 さる江は必死に前に出ようとします。
「あっ!!」
 でも、隣の大猿に押されて、背後に弾き飛ばされてしまいます。
「い、いたいっ!」
 さる江は必死にの集団のなかに分け入ろうとしますが、ぎゅうぎゅうのためにどうしても入ることができません。
 結局、ブービーはさる江に気がつくことなく、出口に待たせてあるおかかえ運転手付きのベンツに乗って去っていきます。

「きゃあぁあぁあ!!」
「ウキッウキッウキキキッ!!」

 去っていくブービーに向かって、ファンたちは手を必死に振りつづけ、それから一匹、また一匹と去っていきます。
 そして地面に座ったままのさる江だけが一匹残されます。
 冬の北風が通りを吹き抜けていきます。
 地面に落ちている落ち葉が一際強い風に舞い上げられます。
 さる江の頬を光るものが一筋伝います。

(やっぱり、住む世界が違ったんだわ……こんなことなら、ずっとTVで見ているだけのほうがよかった……どうしよう……あんなことを言ってでてきた手前、もう森にも帰れない……)



 そのときでした。
 さる江のもとに一枚のハンカチがゆらゆらと降りてきたのです。

「……?」

 さる江は上を見上げます。
 するとそこでは、一羽の鷲がゆっくりと旋回しています。
 ハンカチは、その鷲が落としてくれたもののようです。

「ワッシーさん……」

 さる江はそのハンカチを使って涙を拭います。けれども、涙は次から次へと溢れて止まりません。
 ふと顔をあげると、ビルとビルの合間に、まるで家政婦は見たのように見慣れた顔が並んでいます。

「みんな……」

 仲間たちはビルの陰から照れたように出てくると、道路を渡ってさる江の方に向かって歩いてきます。
 途中、Sun Setさんだけ車に轢かれますが、みんな気がついていません。

「さあ、迎えにきたよ。一緒に帰ろう」
 くま吉がさる江の頭を撫でながら優しく言います。
「明日は忘年会だぜ!」
 リス衛門が軽快に飛び跳ねています。
「さる江にはもっといい猿がいるわよ。私ほどじゃないけど、あなたも可愛いんだから」
「うさ子……」
「ま、お嬢ちゃんにはいい勉強になったってことね」
 ウルフィーがそう言ってさる江の肩を叩きます。
「ウルフィーさん……」

 そして、森の仲間たちは、一緒に森に帰っていきました。
 一人、Sun Setさんを残して……

 ……ゴフゥ!

 車に轢かれたSun Setさんは、アスファルトの上で吐血しています。
 身体全体が痺れているのがわかります。

「だ、だれか……たすけ、て……」

 冬の寒い寒い夜。
 さる江は仲間の優しさを、Sun Setさんはこの世界の厳しさを、それぞれ深く実感していたのでした……


―――――――――

 お知らせ

 クリスマス前にもっとやることがあるのでは? というつっこみはやめてください。
(森の動物たちシリーズは、とりあえず一段落です)


2001年12月17日(月) 森の動物たち② くま吉との出会い

 まさかの2夜連続登場。


―――――――――

 Sun Setさんの空想のお友だち森の動物たちのなかでも、くま吉はみんなのお父さんのような存在だということができます。
 口数は少なくて、柔らかい毛をしていて、優しそうな目をしています。
 春になると冬眠から抜け出してきてたくさんの鮭を取ってくれるし、森の広場で焚火を起こして焼いた鮭を、みんなに分けてくれます。
 それにそれに、くま吉は魚を3枚におろすこともできるのです(手先の器用なくまなのです)。

 Sun Setさんとくま吉の出会いは7年前にさかのぼります。
 20歳の記念に、山登りをしようと思い立ったSun Setさんは、たいした装備もなく山に入り込み、そして蛇口をひねるみたいにあっさりと遭難してしまいました。
 前向きなのがとりえのSun Setさんも、空腹には耐えられず、リュックに入っていたチョコレートを少しずつ齧りながら飢えをしのいでいました。
 しかも、冷たい雨が降り出して、自然の洞窟のようなところに逃げ込んだSun Setさんは心細くなっていました。

 おうちに帰りたいよう……暖かいハウスクリームシチューが食べたいよう……(やけに具体的です)

 そして、そのとき洞窟の入り口に大きな暗い影が、

(く、く、く、くまだ!!)

 Sun Setさんは口から心臓が飛び出るんじゃないかっていうくらいに驚いて、そのまますぐに死んだふりをしました。
 くまに出会ったときには、死んだふりをしろって「山のぼりの友」3月号にも書いてあるのです(Sun Setさんは「山のぼりの友」を定期購読しています)。

 死んだふりをしているSun Setさんは、くまが自分に近づいてくるのがわかりました。

(た、た、た、たべられるー!)

 くまはSun Setさんの身体を触ります。
 それは安否を気遣うような触り方なのですが、混乱しているSun Setさんにはそれはわかりません。まるでえなりかずきがシャツをズボンから出してブラウン管に映っているくらい混乱しているのです。

 このままじゃ食べられる!
 Sun Setさんは焦っています。
 ここは、持ち前の機転でなんとか切り抜けなければなりません。
 そこで、Sun Setさんは考えました。
 この危機的状況をなんとか切り抜けることのできる方法を。

 





 

「し、しんでるよー」








 くまに聞こえるかどうかわからないくらいの小さな声で、Sun Setさんはそう呟きました。
 くまは不思議そうに首をかしげます。
 もう少しだ! 何を勘違いしたのか、Sun Setさんはもう一度「しんでるよー」と呟きます。







「おいしくないよー」







 くまはこの人間は心の病をわずらっていると、心底同情してくれます。心の優しいくまなのです。
 そして、くまは自分が採って調理した鮭のムニエルとくるみの蜂蜜漬けを持ってきてくれます。
 その料理でSun Setさんは飢えをしのぐことができたのです。


 おいしい料理はときに人とくまとの友情を育みます。


「お前っていいやつだね……」

 食べ物と贈り物と甘い言葉に弱いSun Setさんは、おいしい食べ物でくまのことを信頼してしまいました。
 すぐに相手を信頼することができるのはSun Setさんの得難い長所であり、決定的な短所でもあります。

「ほら、そんなに慌ててがっつくことはない」

 くまはむせて咳き込んでしまったSun Setさんの背中を優しく叩きながらそう言います。脱サラして夫婦でペンションを作ってしまった山オヤジのような優しい声をしています。
 Sun Setさんはあまりに嬉しくて泣きながら食べるので、しょっぱいのが鮭の塩なのか自分の涙なのかわからなくなります。

「いったいぜんたいどうしたんだい? こんな雨の日に」
 食べ終わったあと、洞窟の壁に並んでもたれかかって座り、不思議そうにくまがたずねます。
「遭難したんだ。もう3日もさまよっている」
「えっ☆□△○?」
 くまは本気で驚きます。
「そうさ、遭難したんだよ。ここは、いったいどれくらい山奥なのか判断もつかないくらいさ」
「な、なあきみ」
「なんだい……親友」
 Sun Setさんのなかでくまはもう親友です。
 くまはポケットのなかから(毛皮のなかにポケットがついているのです)、最新式のPDAを取り出すと、GPSソフトを立ち上げて、現在の位置を確認します(最近のくまの間ではこれくらい常識です。くまネットは7年前から無線LANでした)。
「……ほら、この洞窟の裏が散歩道だよ」
「えっ○△□☆?」
 今度はSun Setさんが驚く番です。自分は大変な山奥に迷い込んでいるつもりでいたのに、実は小学生~中学生向けの遊歩道のすぐ裏にいたのです。
「そんな……」
 Sun Setさんは落ち込みます。この生死を彷徨った3日間はいったい……

「でもまあいいじゃないか」
 くまは言います。
「ほら君は無事だったわけだしさ」
「……そうだね」
 Sun Setさんはくまを見ます。優しそうな目をしています。額に肉って書いています。
「ねえ、君の名前は?」
「くま吉だよ。K・U・M・A・K・I・C・H・I☆」
「くま吉かぁ。いい名前だね。僕はSun Set。夕方に生まれたからSun Setって言うんだ」

 そしてSun Setさんとくま吉は仲良くなります。
 Sun Setさんは翌日に助けてもらったお礼に両手いっぱいのフルーツをくま吉に届けて、2人の友情がはじまったのです。

 そして、それをきっかけに、Sun Setさんは他の森の動物たちともどんどん仲良くなっていくのでした。


 ……つづく?


―――――――――

 お知らせ

 絵本風にまとめてみました。
 くま吉って名前は、もちろん『蜂蜜パイ』の影響なのです。


2001年12月16日(日) 森の動物たち

 ○最近の気になるニュース


――Sun Setさん、一人暮らし9年目にしてついにNHK受信料を払う。――


 全日本一人暮らし列伝には、様々な猛者たちとNHK集金人との戦いが多数掲載されているけれど(テレビありません。あるじゃないですか。あれはオブジェです。オブジェ? ええ、私の芸術の集大成です。テーマは「孤独」です。とかそういうの)、ついにSun Setさんも集金人の前に屈するときがきた。
 それは15日の夕方のこと、久しぶりにHPを更新しようとパソコンに向かって作業をしているSun Setさんの部屋のインターホンが鳴らされた。
(なんだろ? また新聞の勧誘かな?)
 程度にしか思わず、素直で純真無垢で空想好きのSun Setさんは扉を開ける。
 そこには人のよさそうなやたらと華奢なおじいちゃん。風が吹いたら飛ばされそうなくらい痩せている。
「あ、あのー、NHKのものですがー」
「え? あ? ええ!?」とSun Setさんはなぜかしどろもどろになってしまう。
 NHKの集金なんて、自分の人生には無関係なものだと思っていたのだ。
 突然、現実に引き戻されたような気がして、驚いてしまう。さっきまで森の動物たちと一緒に楽しいパーティをしていたような気がするのに、いまではくま吉もさる江もモグラのモグたんもみんなどこかに霧散してしまった。
 そのかわりに、悪い魔法使いのような鉤鼻のおじいちゃんが立っている。

 不思議なことに、Sun Setさんは一人暮らしをはじめてもう9年になろうというのに、いままで一度もNHKの受信料を払ったことがなかったのだ。基本的にあんまり部屋にいない生活を送っていたので、いつもニアミスを繰り返してきたのだろう。
 そして、あえて電話をかけてNHKの人にきてもらうのも何なのでそのままにしていたのだ。

 ここで余談になるが、Sun Setさんは本当にテレビをほとんど見ない。
 NHKは、大袈裟にではなく、まったく見ていない。
 たとえば、この1ヶ月の間に見たテレビ番組を挙げると、

「ガキの使いやあらへんで!」
「進ぬ! 電波少年」
「おしゃれ関係」
「カウントダウンTV」

 くらいだ。しかも毎週このラインナップを見ているわけでもなく、2度くらいだ。
 つまり、冷静に考えてみるとこの1ヶ月は4時間ほどしかテレビを見ていないことになる(ニュースは主に新聞とネットから)。
 ちょっと書いていて情けなくなるようなラインナップ。
 そこにNHKの文字はない。
 それでも、テレビがある限り、チャンネルを合わせればNHKが映る限り受信料は払わなければならないものらしい。しかも、いかにも人のよさそうな、そういうおじいちゃんを勧誘員にしたてあげるなんて日本放送協会もなかなかの知能犯だ。
 結局、支払うことになった。
 今度からは口座振替になるそうだ(この初支払から口座振替に繋げる2連コンボも見事というほかはない)。
 やれやれ。

 そして、NHKのおじいちゃんが帰っていった後、傷心のSun Setさんの肩を叩く手が。
 振り返ると、そこにはくま吉がいて無言でSun Setさんに向かって頷いている。

(ワタシはすべてわかっているよ。辛かったろう。ああ、辛かったろう……)

 無言のくま吉がそう言っているような気がしてSun Setさんは目頭が熱くなるのを感じる。

「くま吉っ!!」

 ひしと抱き合う一人と一匹。
 くま吉はお父さんの匂いがする。

 すると、さる江もモグたんも、

「Sun Setさん!」
「Sun Setくん!」

 と足元にひしと抱きついてくれる。

「さる江……モグたん……みんな……」

 森の動物たちの友情に必死に涙をこらえるSun Setさん。
 NHKへの支払はすることにはなってしまったけれど、何物にも変え難い友情を再確認することができたのでした……。


―――――――――

 ……って、今日はじめてDaysを読んだ人は、かなりひきますか? コレ。


―――――――――

 一応心配なので補足。

・僕は基本的にはまっとうに働いています。
・マジメですよ、マジメ(強調)。


―――――――――

 お知らせ

 宇多田ヒカルの「Traveling」のビデオクリップ、すごくいい感じですね。
 個人的には、かなり好きな感じなのです。

 ↑
 普通っぷりを強調しておこう。「Traveling」のビデオクリップが好きなのは本当だけど。


2001年12月15日(土) 祭りのあと

 僕はお祭りが大好きな子供だった。
 中学生くらいまでは、近くでお祭りがあると必ずといっていいほど出かけていたし、いつの間にか行かなくなってしまったけれど、たとえばいまでも電車の窓から神社や公園でお祭りが開催されているのを見たりすると、胸の奥のほうがざわざわする。
 そこが見知らぬ駅であっても降りていって、わたあめのひとつでも食べてみたなる。
 あの原色の赤い明かりのなかに身を置きたくなる。

 僕にとってのお祭りは祖母の住んでいる町のものと等しい。
 小学校に入学する以前から、高校3年生のときにいたるまで、僕は毎年欠かすことなく祖母の住んでいる町で開催されるお祭りに参加していた。
 お祭りは毎年6月中旬の土日にかけて開催され、駅の近くにある神社と路地とに、出店が立ち並んだ。
 毎年、5月くらいになると祖母から家に電話がかかってきて、その年の開催日を知らされる。カレンダーにしるしをつけて、その週末は祖母の家に泊まりに行く段取りになる。
 その土曜日が訪れると、学校が終わるやいなやすぐに列車に乗って、1時間もかからないところにある祖母の家まで向かうのだ。
 そして週末を過ごすのだ。
 子供の頃、その2日間の持つ魅力のようなものは、御し難いほど大きなもので、今年は何を買おう、どんなくじをやろうって、そういうことばっかりよく考えていた。もともと授業中上の空でいることが多かったのだけれど、だからその半日授業の土曜日なんかは、ろくに先生の話は聞いていなかった。
 あの出店の建ち並ぶ様、たくさんの人手、わたあめやお面やプラモデル、そういったものはあからさまに非日常で、そういうハレの日なのだということは子供心にも感じていた。
 いよいよお祭りがはじまるのだ。
 そう考えると、胸が躍った。
 
 駅から徒歩10分ほどのところにある祖母の家に着くと、まずは祖父の仏壇の前で手を合わせる。
 僕が生まれたばかりの頃に亡くなった祖父のことを、正直な話覚えてはいないのだけれど、それでも聞かされたたくさんの話と写真から、どういう人物だったのかということは想像することができる。そして、人はそういう想像力の結果の人物像に、親愛の情を持つことさえできるのだということをいまでは知っている。
 それから少し遅い昼食。
 祖母は料理がとても上手で、いつも孫たち(僕と妹だ)の来襲のために腕によりをかけた料理を作ってくれていた。
 僕らはそれを食べて腹ごしらえをしてから、いよいよ最初のお祭り(土曜日の午後バージョン)に出かけるのだ。

 ご飯は美味しくて、僕はそれだけでこの週末が素晴らしいものになるんじゃないかっていう期待に胸を膨らませる。

 午後2時か3時になると、祖母に連れられ僕と妹はお祭りの一角まで歩いていく。
 大体歩いて15分くらいで出店が見えはじめる。
 毎年、その瞬間――お祭りのエリアを目にする瞬間――は、そこまで駆けていきたい衝動にかられた。
 まるでそれは砂漠に見えるオアシスの蜃気楼のように、魅力的なものに見えたのだ。
 そして、お祭りは蜃気楼じゃないから、近づいてもなくならないわけだし。
 もちろん、その衝動はあくまでも一瞬のことだ。けれど、その瞬間の興奮や陶酔感のようなものは、何年もずっと魅力的なものであり続けた。
 それでも、その時間の出店はまだ完全に出揃っているわけではなくて、準備をしているところなんかも多くて、どこかまだ閑散と、間隔が広く空いているような感じがした。
 まずは出店を通り抜けて、神社の境内に入り、賽銭箱のところまで行ってくる。お賽銭を入れて、手を合わせる。
 それからおみくじを引く。
 仮設のおみくじ売場には、巫女さんのような服装の女の人がいて、他にもお守りなんかも販売している。
 大吉から末吉まで、不思議と記憶では凶を引いたことがないのだけれど、それはもしかしたら記憶を改竄してしまっているのかもしれない。それからおみくじを近くの木の枝やぴんと張られた紐にくくりつけて、いよいよ出店めぐりをはじめるのだ。

 子供の頃は、お祭り=出店だった。
 実際、当時の僕の目には、出店で売られているものはほとんどすべてが魅力的に映った。
 金魚すくいにヨーヨー、ファミコンやプラモデルなどのたくさんのくじ引きに、スマートボール、それからチョコバナナにフラッペ、そしていか焼。
 そういうすべてが特別なもので、年に一度だけこの週末のためにわざわざどこからかやってきているのだ。
 とりわけ、僕は出店をやっている人たちが全国各地のお祭りをめぐっていると頑なに信じていたから、この出店の人たちは九州も、四国も、それぞれの神社の前で毎週お祭りをやっているんだと思っていた。
 もちろん、実際にはそれはたぶん違う。

 土曜日の午後バージョンはそれでもいわば下見のようなものだから、まだ特別にもらったおこづかい(そんなに多くはない)もその時点では使わない。いくら特別でもしょせんは小学生の持っているお金なので、いろいろ出店で買物をしたらすぐになくなってしまうから、それを最初のうちに使い切るわけにはいかないのだ。
 それから、お祭りを一周してから、一反祖母の家に帰る。
 祖母の家の居間にあるテーブルで、今回は何をしようかって、いま見てきたばかりの出店を思い出しながら紙に書いてシュミレーションをしたりした。妹とあーだこーだ他愛もないことを喋ったりする。あのくじは外せないねとか。普段は結構喧嘩とかもしているのに、お祭りの時には仲がよくなるのだ。2人とも単純だから。

 そして、僕らはメインでもある土曜日の夜バージョンを待つ。
 やっぱり祖母が腕によりをふるってくれた夕食を食べると(そこでもお腹いっぱい食べてお祭りでも食べ物を買うのだから、まったくやれやれだと思う)、いよいよ出発だ。そのときには母親や叔母たちも祖母の家にやってきていたりするので、誰と行くのかは毎年異なっている。

 夜のお祭りって、どうしてあんなに心震えるのだろうと思う。
 もちろん、それはまだ子供だったからということはできる。子供の頃って、そういうのが本当にどうしようもないくらいに、身体の芯から「うおーっ」って叫びだしたくなるくらいに嬉しかったのは事実だし。でも、数時間前と同じ道路を歩いて、視界にお祭りのエリアが見えたときの感動は、やっぱりなかなかに大きなものだったのだ。毎年、かならず。
 僕らは今度は長い道のりの果てに町を見つけたキャラバンのように、嬉々としてお祭りのエリアに入る。
 そこでは、日常は遠ざかり、赤とオレンジと黄色の暖色が周囲を淡く激しく照り染上げている。祭囃子がどこからか聴こえ、たくさんの笑い声とときたまの叫び声。とても日中と同じ場所とは思えないくらいに雰囲気が変わっている。
 浴衣姿の女の子に、地元の同じ年くらいの男の子たちのグループ。年配の人たちから、赤ん坊まで。
 たくさんの人で、狭い路地はぎゅうぎゅうになっていた。
 僕はそこは地元ではなかったから、知り合いはいなかった。
 それでも、親しいいつものお祭りだった。
 僕は大体おこづかいの半分くらいを、毎年その夜に使った。
 くじ引きをやって(いい商品が当たったことって一度もない)、わたあめを食べて、スマートボールをやった。
 ヨーヨーをすくって、金魚もすくった。
 3度ほど、ボヨンボヨンってやっているうちにヨーヨーが手元のゴムから外れて、そのままアスファルトに撃沈したことがある。
「ええっ!?」って、毎回驚いた。そんなに強くやっていたのかい……って。
 金魚すくいは、巾着のような透明なビニールが好きだった。金魚にとって見れば踏んだり蹴ったりだろうけど、あの口の部分がきゅっとしめられた透明なビニールの中に金魚が一匹入っていて、そのビニールの中の水ごと淡く明かりに照らされているのを見たりすると、お祭り感が(個人的には)かなり高まった。
 わたあめは中に入っているのは全部同じ味なのに、袋に描かれている絵に真剣に悩むのだ。別に袋をとっておくわけでもないのに。
 ガンダムじゃなきゃだめだとか。

 そして1時間から2時間弱で、引率の大人が疲れてくるので帰ることになる。
 そのときは何度も後ろ髪を引かれた。
 何度も何度も振り返っては、明るい場所が遠ざかっていくのを見ていた。
 それでも、手元にある戦利品の数々(よく考えるとたいしたものはないのだけれど)を見ると、どうにも嬉しさがこみ上げてくるのだった。

 祖母の家に戻ってからは、その日手に入れた物で遊んだり、金魚を玄関にある丸い水槽に入れたりした。
 興奮はなかなか冷めやらなかった。
 そしていつもはしゃぎすぎたのか、結構早い時間に眠ってしまった。

 翌日の日曜日には、2度ほどお祭りに行った。そして週末が終わるのだった。
 祖母の家から帰るときには、来年まであと1年もあるのかって毎年思った。
 1年後は、当時の僕にとってはあまりにも遠い未来のように感じられた。


―――――――――

 中学生になってからは、その町が僕らの住んでいる場所から1時間くらいで行くことができるところだったこともあって、友人たちと出かけるようになっていた。友人は夕方に列車で帰っていくのだけれど、僕はそのまま祖母の家に行った。夜になると、今度は祖母たちとでかけた。
 あんまりにも興がのった年には、友人は日曜日にもまた列車に乗ってやってきたりした。ある年の友人は、自転車でやってきた。あらためて考えるとすごい。たぶん2時間以上かかったはずだ。
 その町のお祭りは当時なぜか僕らの地元のそれうよりも規模が大きかったから(町としては小さいのに)、友人にとっても面白かったのかもしれない。
 ある年には針金細工の輪ゴム鉄砲の出店のお兄ちゃんと仲良くなって、店番をまかせてもらったりした。
 友人と一緒に格好いい輪ゴム鉄砲を買ってうかれていたことをよく覚えている(それはかなり手の込んだ代物だった。けれども、その輪ゴム鉄砲の出店は、その年1年しか訪れなかった。翌年姿が見えなくて、がっかりした記憶がある)。

 高校生になってからは、また別の仲の良い友人と出かけた。
 よく考えると、高校生になってからも行っていたのなんて、本当に個人的にお祭りが好きだったのだと、刷り込まれてしまっていたのだなと思う。
 高校生の時には、なぜか同じ高校の女の子2人もそのお祭りに来ていて、そこでばったりあって、一緒に見て回ったりした。
 4人でお祭りの写真も撮ったのだけれど(なぜか)、いつの間にかそれもどこかへなくなってしまった。

 お祭りのことを思い出すと、たぶんいま思い返すよりももっとずっと興奮していただろう当時の自分のことを考えてしまう。
 年齢と共に、お祭りに対する情熱のようなものは、ゆっくりと(でも確実に)形を変えてしまった。
 いまでももちろんお祭りを見ると、心のどこかが騒ぐ。
 けれども、それはどこか感傷的な意味合いを持っているのだ。
 かりに楽しむことができたとしても(もちろん楽しむことはできる)、それは当時の爆発的なそれとはたぶん異なってしまっている。
 もちろん、そんなことは当たり前のことかもしれない。
 たとえば感受性のようなものは、年齢を重ねる度に、あるいは精神的に影響度の高い出来事を経るたびに、少しずつ磨耗していく。
 そうしなければあまりにも傷ついてしまうから。それは人間の自衛手段のひとつだと思うし。
 でも、ときどき思う。
 忘れてしまうことのなかに、あるいは忘れてしまいつつあるもののなかに、もしかしたらこれからの自分の人生にとって非常に大切なものが含まれているんじゃないかって。
 子供の心を失わないとかそういう意味ではなくて、楽しいことや悲しいことをそのままの重さで感じることができたことを、頭で考えるよりも早く感情で受け取っていたようなことを忘れないことは、むしろこれからの30代や40代に根本的に必要なものなのかもしれないと思うのだ。
 うまく言えない。
 いつまでも子供のままでいるのはずるいと思うけれど(大人が子供のままなら本当の子供が不幸になってしまうと思うし)、感情はもっとずっとシンプルであるべきだっていうことは、忘れないようにしようとは思う。
 それこそ、昔お祭りを心待ちにしていたようなときの気持ちを。


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 お知らせ

 お祭りによくあるカタヌキって、一度も最後まで成功したことがない。
 悔しくて失敗したやつを食べても、おいしくないし。


2001年12月14日(金) 2001年ヒット商品番付(日経MJ)+Segway HT

 スターバックスのもうひとつの新しいメニュー。
 ジンジャーブレッドラテのほうは好みの味。
 シナモンが効いている飲み物は好きなのだ。


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 12月13日付けの日経MJは、「2001年ヒット商品番付」だった。
 これは毎年恒例の企画。
 僕はMJが日経流通新聞だった時代から、個人的には大学3年生の頃から購読していたので、毎年こういう特集が組まれると1年が終わるのだなと思う(出張期間中だけは購読ストップしていたけれど)。
 日経MJは、時流的なこともよくわかるし、カラーだし、週に3回しか出ないし、かなり面白く読むことができると思うのだけれど。
 ちなみに、キオスクでも販売しています。
 一度、ぜひ手にとって見ては?
 火、木、土の週3回発行で、土曜日版は薄いので、キオスクで買うのなら火か木のものがオススメです。

 話がずれてしまった。
 この企画は番付と言うだけあって、東西の横綱からはじまって前頭までがちゃんとある。
 それぞれ、今年1年を振り返ってヒット商品(やサービス)を並べているのだ。
 ちなみに、東の横綱は「メード・イン・チャイナ」。
 これは特定の商品名ではなく、現象名だ。
 デフレを進行させているとも揶揄されている、中国製品の流入のこと。コメントを読むと、

 衣料品、電気製品、メガネ、農産物。低価格・高品質の中国製品が大量流入を開始。日本の物価、産業構造への影響大。

 と書かれている。
 納得。たとえば、メガネではZOFF(ゾフ)という価格破壊の会社が現れて、もうどんなものでもあり得てしまうのだなと驚いたりもしたし。
 これを今年の東の横綱に持ってきたのはいかにもMJっぽいということができる。

 一方、西の横綱は「イチロー」。同じく理由は、

 野球選手。米マリナーズで活躍し新人王。MVPも受賞。今後の日本が目指すべき「ソフト輸出」の嚆矢(こうし)。

 となっている。これもなるほど、というところ。
 今年は、仕事で様々な駅(JRや地下鉄や私鉄)を乗り降りしていたのだけれど、夕方になるときまってイチローや新庄の見出しがキオスクを飾っていたし。それだけに個人的にもかなり印象深い。ちなみに、新庄も前頭11番目くらいに入っている。

 他にも、「200円台牛丼」や「千と千尋の神隠し」、「USJ」に「フィット」、「チーズはどこへ消えた?」から「ADSL」まで、今年の流行を飾った様々な商品やサービスが載っている。
 こういうものを見ると、たとえば「チーズはどこへ消えた?」なんてもうずっと以前の話だと思っていたのに、実は今年の流行だったんだってすでに懐かしく思えたりする。流行のサイクルはどんどん早くなっているみたいだ。
 
 ちなみに、そういった番付表から集約されるキーワードと言うのが、「安 本 単(あんぽんたん)」になるらしい。
 これは、

 安=安さ/安全

 本=本物志向

 単=単純明快

 とのことだ。
 なるほど。よく考えるなあ。

 また、番付とは別に「残念賞」というものも設定されていて、それには2つ記載されている。
 
「映画ファイナルファンタジー」と、「Lモード」

 残念賞……確かに、スクウェアはこの映画の特損でSCEに近づかざるをえなくなってしまった。もう映画事業から手を引いてしまう決断を速攻で決めてしまうくらいだったから、確かに残念な結果だったのだろう。
 また、「Lモード」なんて、ものすごいメンバーで計画されているのではと推測できるのに、計画段階で売れないんじゃないかっていう話にならなかったのだろうかと結構不思議に思う。
 うーん。
 でも、こういう年末特有の番付やランキングが様々なところで行われて、また一年が終わっていくのだ。
 個人的には、西の前頭九枚目に「えなりかずき」が入っているのは、ちょっと気になるところだけれど。


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 いま一番欲しいものは新しいパソコンや冬物のコートじゃなく、「Ginger」。もう間違いなく「Ginger」。
 かなり惹かれている。
 実物が動くところをぜひこの目で見てみたい。
 実際に自分でも乗ってみたい。
 いいなあ。

「Ginger」というのは、先日アメリカで正式にお披露目されたまったく新しい乗り物だ。
 結構前から噂に上っていて、でたらめな噂(空を自在に飛ぶとか)もたくさん出ていたようなのだけれど、ふたを開けてみると、健康器具のような形状をした新しい乗り物だった。
 正式名称は「Segway Human Transporter(HT)」で、3種類が発表されている。
 高速タイプと、パワータイプ(重い荷物を運ぶ業務用)、そして市街地タイプだ。
 詳しい写真は下のURLから見てもらいたいのだけれど、タイヤが2輪ついた踏み台から細いハンドルが伸びていて、その台の部分にDynamic Stabilizationというバランス保持技術が用いられているとのことだ。ユーザーは、その技術(ジャイロスコープと傾斜センサーが毎秒100回の頻度で乗っている人物のバランスを計測し、調節してくれている)によって、その台の上で落ちたりすることなく安定して立っていることができるのだ。
 しかも、その台の上で体重を前に傾けるだけでSegwayは前進し、曲がるときにもひねりを加えるだけでいいそうなのだ(後ろに傾けるともちろんバックをするらしい)。
 そしてすぐに誰でも乗りこなせることができるとのことで(DSによって地面に立っているような感覚になるので)、実際にそのパフォーマンスの発表の際にチャレンジしたゲストも、簡単に乗りこなせるようになっていたとニュースでは紹介されていた。
 最大スピードは、約19キロで、まずは業務用から発売が開始されるとのこと。
 アメリカでの一般ユーザー向けの販売は2002年冬の予定で、価格は約3000ドル以下の模様。
 各地方自治体との歩道走行の許可などの調整があるようで、すぐに街並みにSegwayが見られるようにはならないようだけれど、Amazon.なんかも、業務用の採用を検討しているとネットのニュースには出ていた。
 僕は結構前からかなり気になっていて、発表を楽しみにしていたのだけれど、こういうのが好きな元上司からさっそくメールが送られてきて、それでSegwayが発表されたことを知ることができた。
 元上司は「世紀の大ニュース!」と、かなり興奮気味だった。
 もちろん僕もそう。
 下のほうにあるURLは(元上司からのメールで紹介されていた)Segwayの公式HPなのだけれど、そこにある写真を見ると、もうSFか何かのようで、未来の日常を垣間見せられているような気がしてしまう。
 これが日本でも法律をパスして発売されたら、ある程度年配の人たちにとっては非常に魅力的な乗り物となるんじゃないだろうか。
 いずれにしても、個人的にはかなり物欲を刺激されるアイテムであることには間違いない。
 
 SegwayのHP
 http://www.segway.com/consumer/home_flash.html

 かなりワクワクする。こういうのって。


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 お知らせ

 Ginger(Segway HT)は、アップルのスティーブ・ジョブズも世紀の発明と認めていたそうです。


2001年12月13日(木) 『ももこのトンデモ大冒険』+リトル・ニュース+Hey! DJ!

『ももこのトンデモ大冒険』(先週の金曜日に)読了。さくらももこ。徳間書店。
 さくらももこがいかにもうさんくさかったり、すごかったりする人たちに会いに行くという本。
 それはたとえばプレアデス星の科学を伝授されたベル博士に会いに行くというものであったり、中国の山奥に住む漢方薬の大先生に会いに行くという旅だったりする。また、本書をつくるきっかけとなった『アミ 小さな宇宙人』の作者であるエンリケ・バリオスにタスマニアにまで会いに行ったときのエピソードも収録されている。
 この本もいつものさくらももこ調で書かれているのだけれど、とりわけ最初の『ベル博士の謎』というのがしょうもない。
 書店で29、39、41ページをぱらぱらとめくっただけで、そのうさんくささがひしひしと感じられて、そういうのが好きな人にはたまらないだろうなと思う。それぞれ写真のページなのだけれど、いかにもインチキくさい手作りの模型(オブジェ)を示して、「このオブジェは、ものすごいパワーを持っています。人間のエネルギーを浄化することはもちろん……」とか言ってしまう人物が登場してくるのだ。
 しかも、41ページに載っているベル博士の写真なんて、頭に針金で作ったようなピラミッドをかぶっているのだ。
 通りで前から歩いてくるのを見かけたら、女性でなくても身の危険を感じて反対側の歩道に移動してしまうだろう。
 少なくとも、僕はそうする。

 また、結構いいなと思ったのが、タスマニアのことを記した部分で、少し引用すると、

 タスマニアはものすごく平和で事件がほとんど無いというので、じゃあ新聞にはどんな記事が載っているのかと尋ねたところ、例えば、いつも肉屋に買物に行くという有名な犬がいて、買物に行った先の肉屋で毎回ごほうびに肉をもらって喜んでいたのに、その肉屋が閉店することになったために犬はもうごほうびをもらえなくなったので、町の人々は犬がかわいそうだと嘆いている、という記事とか、(132ページ)

 これってかなりいいよなーと思う。
 そういう平和でのどかな町がいまこの瞬間にもゆっくりとした時間で存在し続けているのだ。
 タスマニアと言えば映画の『タスマニア物語』しか思い浮かばないけれど(しかも見ていないし)、行ってみたいよなとか思う。

 いつものごとくすぐにすらすらと読むことができて、おかしくて、好きな人はやっぱり手を取ってしまうのだろうなと思う。


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 このタスマニアのニュースの話で思ったのだけれど、いつか絵本を作るとしたら(もちろん実際に作るわけではないのだけれど)、『リトル・ニュース』というタイトルのものにしようとふと思った。
 山と海に挟まれた小さな架空の街の、小さなニュースを1ページごとに描いている絵本。

 たとえば、

 トムおじいさんが軒下で毎日やっていたチェスで通算5000勝目をあげました!

 黒猫のリリィをめぐって、3匹のネコが決闘をしました。街中の猫が、ギャラリーとしてみにきました。

 毎年9月第1週目は、サーカスがやってくる週です!(サーカスのテントとピエロの絵)

 傷ついたカモメの世話をしていた小さな男の子がカモメを野生に返すことになりました。

 アマンダおばさんの作るシナモンアップルパイは、街で一番のおいしさです。

 とか、そういうささやかな小さな街のニュースばかりでできている絵本。
 最初の方のページには、その街のやけに詳細な地図が載っているのだ。

 もちろん、何度も何度も書くけれど、ドラえもんを描いただけで「お前、呪われてるぞ……」と言われる僕には絵は描くことが出来ないのできっと実現はしないのだけれど、ただそういう絵本があったら欲しいなとは思う。
 昔から、架空の小さな街だとか島だとか、そういうののなかで繰り広げられる話を考えるのって好きだったのだ。

 いいな、架空の街。
 ゆっくりと時間が流れているような、悪い人なんかいないんだって思えるような、小さな街。
 青い空と白い雲がよく似合うのだ、きっと。


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 ラジオの電源スイッチオン。
 ノイズを調整。
 周波数を合わせていくと、いつものテーマソングと、いつもの声が聴こえてくる。

 ……こんばんは! ミッドナイト・コールのムーンライト鈴木です。
 リスナーのみなさんのハガキとリクエストを中心にした1時間。今日もゆっくりと楽しんでくださいね。
 それでは、さっそく今日の最初のハガキを。
 品川区の鍋大好き! さんからですね。
 鍋は私も大好きですー。きりたんぽ鍋とかいいですよねえー。
 先日、私もこの冬はじめての鍋をしてきたんですよ。
 闇鍋。
 携帯の電池とか使用済みテレホンカードとか、ちょっと食べられないものもたくさん入っていてちょっとだけ辟易しちゃいました。
 じゃあ、さっそくハガキを読みましょう。

(ムーンライトさんこんばんは)

 こんにちは!

(私は焼き肉が大好きなのですが、最近の狂牛病騒ぎには胸を痛めています。そこで、ムーンライトさんならではの焼き肉屋を繁盛させるアイデアがあったら教えてください。いつも応援してます! 3ヶ月ぶりに聴きました! 頑張ってください!)

 いつも応援ありがとうございます! このミッドナイト・コールはみなさんのリクエストハガキと義援金でなりたっています。
 さて、さっそく依頼にあった焼き肉屋さんを繁盛させるアイデアですけど……あれ? この人のラジオネームは鍋大好きですよね?
 まあ、いいか。
 最近ちょっといろんなことがどうでもよくなってきているムーンライトです。
 そうそう。焼き肉屋ですよね。
 うーん、そうですねえ。
 とりあえず、リクエストの曲かけちゃいましょうか。

 1曲目かかる。

 宇多田ヒカル「トラヴェリング」

 1曲目終わる。

 ハイ! それでは、次のハガキです。
 さいたま市のサマー・サンタクロースさんから……


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 お知らせ

 ミッドナイト・コールの周波数は……


2001年12月12日(水) shop name ranking

「映画見た後ってさー、結構影響を受けたりすることってない?」
「影響って?」
「カンフー映画見た後に、思わず戦いたくなるとかさ」
「おー、あるある。ビシッとか、自分で効果音とか言ってな」
「レース物も結構ヤバイな」
「そうそう、思わずスピード出しちまうよなー」
「捕まるってくらいにな」
「任侠物の映画も、自分が極道になったような感じがして、すごみをきかせて街を歩いたりするよな」
「自分が漢っぽくなったような気がするんだよなあ」
「するする」
「あと、ほら、キョンシー映画見た後もそうだよね。思わずキョンシージャンプしちゃったりしてさ」

















「しないって」












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 将来自分のお店を持ちたい。
 そう考える人は多いだろう。お洒落なカフェ、自ら海外に買い付けに出かけるセレクトショップ、あるいは趣味と実益を兼ねたペットショップなどなど……そういう夢を持っている人は本当に多い。
 もちろん、そのためには様々な準備が必要だ。
 開店資金であるとか、オペレーション方法の確立、あるいはどのような人を雇うのか、いずれも理想通りの店を開くためには妥協のできないことばかりだ。けれども、そういった重要な要因に紛れて、もう一つ非常に重要な与件がある。これを間違ってしまうと、非常にデメリットばかりが大きくなってしまうというもの。


 店名。


 自分の名前が変わっていたために、からかわれた子供時代を過ごした人はきっと多いことだろう。
 その歴史を、長年の夢がかなった自分のお店で繰り返してしまうわけにはいかないのだ。
 店の前を歩いている小学生に、「うわっ、○○だって、変な名前ー」なんて言われるわけにはいかないのだ。
 また、当然のことながら名前によって愛着というものも当然異なってくる。
 自分の永年の夢だったお店に、自分が大好きな名前をつける。
 それってとても素敵なことだ。

 そこで、今回は日本が誇るText Sun Set調査隊に、店名についての考察を依頼することにした。
 以下は、様々な散歩とアンケートを踏まえた上での結果になる。
 こういう店名にしてはだめだというよい見本になることと思う。
 そしてそういうだめな店名の店には、やはりあまりよいサービスが見受けられないのも事実。
 今回は、だめな店名ベスト5とそれについての調査隊のコメントを発表する形になる。

 将来自分のお店を持ちたいという人には、ぜひ一読をおすすめします。



『第1回 チキチキ こんな店名にするのはNo! No! ベスト5 調査結果発表』(←いや、こういうときって「チキチキ」ってつけるものだと……ち、違うんですか?)



 第5位  「毛玉天国」(クリーニング店)

○コメント

 数日前のDaysにて紹介済み。
 クリーニングに出した洋服を、なぜか店員が着ていることで有名な店。

 最近、クリーニングを頼んだ洋服に、ケチャップの染みをつける「得々ケチャップキャンペーン♪」を実施中。


 第4位  「エンスト」(カー用品店)

○コメント

・「エンスト」オリジナルモデルのカーナビは、心霊スポットを教えてくれます。
・「エンスト」オリジナルモデルのオービスレーダーは、オービスよりも霊に反応します。
・「エンスト」オリジナルモデルのバックミラーには、もれなく霊が追いかけてくる姿が見えます。


 第3位  ラーメンショップ「のびのび」

○コメント

・のびちゃだめだよ。


 第2位  本格派カレーショップ「インドびっくり亭」

○コメント

・いくらなんでも……。


 いよいよ第1位の発表になる。
 ここまででも、店名というのがいかに重要なファクターになりえるかがよくわかってもらえたことと思う。


 第1位  切り過ぎ美容室「カット! カット! カット!」

○コメント

 お店に行くと、カリスマと呼ばれる美容師たちに、120パターンの髪型サンプルの写真を見せられる。
 お客はそのパターンの中から、自分の好きな、してもらいたい髪型を選ぶ。
 けれども、結局は全員スポーツ刈りにされる。


 ……さすが第1位をとるだけあり、かなりきてる店名及びサービスだということができるだろう。
 しかも、サンプルを選ぶのは、本当にただ選ぶだけ……

 そして、我々(というか一人だけど)調査隊は、この美容室の姉妹店をも発見することができたのだ。
 最後になるが、この姉妹店の方も紹介しよう。














 番外編   巻き過ぎ美容室「くる! くる! くる!」

 こちらの方は、カリスマと呼ばれる美容師たちに、65パターンのパーマのサンプルの写真を見せられる。
 お客はそのパターンの中から、自分の好きな、してもらいたいパーマを選ぶ。
 けれども、結局は全員ドレッドヘアにされる。


 やっぱり選ぶだけなんだ……
 いずれにしても、店名って、とっても大切だ。


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 about【Days】2

 12日夜には、おそらくDaysの更新ができそうもないので、先に更新をしておきます(現在12日AM3:40)。
 最近は変則的な間隔で更新を行っているのだけれど、「DiaryINDEX」をクリックすると、ここ1ヶ月間のDaysのタイトルを確認することができます。
 読みに来ていただいている方で、見逃したDaysがあるかどうか確認しておきたいという方は(ありがとうございます!)、ぜひそちらで。
 それから投票ボタンを押していただいた方も、ありがとうございます。
 読んでくれる人がいるだけでも嬉しいと思うのに、そこまで! って思います。

 現在、Daysでは幾つかのシリーズを連載中だったりします。
 かーなーりー不定期なので、もう忘れられているものもあるのだろうけど、もちろん僕はきちんと覚えています。
 一応、ここで再度確認を。

○ホリー・ガーデン……現在「2」まで。もちろんこれはゆっくりと大切に続けていきたいシリーズ。
○変換と僕……最近③をUP。心の扉をノックするような変換に出会ったときの不定期連載。
○カラオケボックス……現在③まで掲載。④「Boys be……」は忘れた頃に更新。
○パーソナルランキング……個人的なランキング。
○Today's Music……その日聴いている音楽について一言。音楽は毎日聴いているのだけれど、たまにしかUPされない。

 メールやBbsでのリクエストがあれば、優先的にUPされるかもしれません(お約束はできませんが)。


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 お知らせ

 昨日購入した『Sweet Melodies』なのですが、Dionne Warwickの声はやっぱりとても素敵なのです、ほんとうに。


2001年12月11日(火) 『東京タワー』

『東京タワー』読了。江國香織。マガジンハウス。

 帯にはこう書いてある。

「恋はするものじゃなく、おちるものだ。」

 それよりは小さな字で、こうも書かれてある。

「ふたりの少年と年上の恋人――恋の極みを描く待望の長篇恋愛小説」

 こういうキャッチコピーを見るといつも「むう……」とちょっとだけかなしくなる。
 恋はするものじゃなくておちるものだなんて、みんな思っていることでも言葉にするとその途端に下世話なものになってしまうし、それが前後の文脈の中で出てくることによってかろうじて違う意味合いを獲得できるような気がするのに、それだけを切り離して前面に持ち出されたら、やれやれって思うほかはない。

 第一、この帯を読んで、

「そうそう! 恋はするものじゃなくて、おちるものなのよね! さすが江國さん!」

 とか膝を打つようにいうのって、どうなのだろうとは思う(あくまで、個人的には、だけれど)。
 でもたぶん、こういう言葉を持ってくるほうが、本の売れ行きが良くなるのかもしれない。
 他の作家の本でも、そういうものは多いし。じゃなきゃ、つけないだろうし。

 江國さんの小説を読むときにいつもそうするように、この作品も一気に読んでしまった。
 そしておもしろかった。
 江國さんの作風の変化(のようなもの)については様々なところで言われているけれど、それは同時代の作家であるのだから当然のことだし、変わり続けていくのを見るというのも楽しいと言えばかなり楽しい。
 そして、その変わって行き方が自分の好きな方向と同じかかけ離れていくかということが問題なだけだ。
 ただ、個人的には、ちょっとずつかけ離れているのは事実。
 もちろん、読むたびにおもしろいなと思うのだけれど、それでも『ホリー・ガーデン』や『落下する夕方』のときのようなおもしろさではないということはすぐに自分でわかる。(今回もちょっと違う)と比較的最初の方で思うのだ。もちろん、相変わらず文章もうまいし、たぶんより自信を持って作品を作っているのだろうし、そういうものが伝わってくるような気がするのだけれど、たぶんそこの辺に個人的には摩擦のようなものがあるのだろうなと思う。
『冷静と情熱のあいだ』も『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』もおもしろいとは思ったのだけれど、やっぱりそういう微かな摩擦のようなものは感じていた。今回もそうだというだけのことだ(『ウエハースの椅子』は個人的にツボをつかれるものがあって、大切な作品になっているのだけれど)。

 個人的に思うところを簡単に書くと、「最近の江國さんの小説は、感情移入がしずらい登場人物が多くなってきている」ということに尽きるような気がする(あくまで個人的な感想だけれど)。

 読んでいる間は、耕ニが、僕の知っている先輩に見えて仕方がなくって、そういうのも不思議な感じではあったのだけれど。

 作品については、また後日別の形でふれるかもしれない。
 でも何だかんだ言って、大好きな作家なので過剰に考えてしまっているだけのことだし、期待のようなものがたぶん大き過ぎるのだ。
 おもしろいことには違いないし、久しぶりに触れることのできる江國さんの長篇ということもあって、とても待ち遠しかったのも事実だし。


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 今日は8日ぶりの休日だったのだけれど、午後から買物に出かけてきた。
 いろいろ見たのだけれど、結局CDを2枚買った。

『Sweet Melodies』(Burt Bacharach)と『sweet,bitter sweet』(松任谷由実)。
 前者はずっと欲しかったやつで、後者は半ば突発的に買ったもの。
 ユーミンって、もちろんいままで本当に様々な場所(やスキー場)で聴いてきたのだけれど、1枚も買ったことがなかった。
 そしてずっと買わないだろうなとも思っていた。もともとウェイトが洋楽に置かれているし(今月Joeのニューアルバムが出るのです!)。
 でも、買ってしまった。
 どうしてかよくわからないのだけれど、聴いてみてやっぱりすごいよなと思う。
 こういうのが圧倒的な才能なんだろうなって思う。
 感情についての才能。
 人間についての才能。
 まだ何回も聴いているわけではないのだけれど、ベスト盤ってそういうふうに、たぶんオリジナルアルバムを全部買わないだろうけど聴いておきたいアーティストについては、よりよい選択だなって改めて思った。人生は長くても、すべての音楽を聴くにはあまりにも短いのだから、もっとベスト盤も活用しないと! と少々検討外れの決意を新たにしたり。
 しかも、知らない曲も結構多くて、松任谷フリークには「う、嘘でしょ! この名曲も知らないの!」と言われてしまうかもしれないけれど、だからこそ新鮮だったりもして買って良かったと思ったりして。

 バート・バカラックについては、もう大好き! なメロディメイカーなので、聴いているだけで嬉しくなる。
 大好きな曲のひとつ「小さな願い(I say a little prayer)」もちゃんと収録されているし。

 偶然、どちらも2枚組で、お買い得感も大きい。
 でもなぜ、Yumingって「g」がつくのだろう?
 ちょっと謎だ。


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 スターバックスの新しいメニューに「キャラメルアップルサイダー」というものがあるのだけれど、個人的にはちょっとうーんという感じ。キャラメルもアップルも好きなのに、2つを混ぜてもうまくいかないのだなっていうのは、なかなかに興味深いことかもしれない。
 それは自分がそれぞれ仲の良い友人同士を会わせても、なんだかしっくりいかないことにもしかしたら似ているのかもしれない。それぞれはよい人なのに、一緒になるとうまくいかないんだよなーというような。


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 お知らせ

 変換と僕③

「ユー民」って出ました。
 遊牧民の短縮形ですか?


2001年12月10日(月) BLINK

 北海道では今夜も大雪だとネットのニュースでやっていた。
 今日は関東でも冷え込みがかなり厳しかった。
 子供の頃、身体のなかには一本の細くまっすぐな芯があって、それが寒さに負けると凍死してしまうのだっていう話をふざけて聞かされたことがある。
 それはもちろん本当のことではないけれど、あんまりにも寒い夜には、そういう芯のようなもの(ぼんやりとオレンジ色に光る)が確かに自分の身体の中にあるような気がする。その存在を想像してみるのは、結構楽しい。
 そして、大人の役割のひとつは、子供にそういういたずらめいた嘘のようなものを、どれだけたくさん伝えることができるかってことでもあると思う。
 子供の母親には怒られそうだけれど、想像力が大切だっていうことなら、理解は示してもらえるかもしれない。


―――――――――

 初めて関東で暮らすことになった社会人一年目の冬を、僕は神奈川県のある街でむかえることになった。
 そこは小田急沿線で、国道が走っていて、どちらかと言うとのどかであまり雑然とはしていないところだった。

 雪がほとんど降らない冬を知らないわけではなかったけれど、北国出身の僕にとっては、やっぱりそれは十分すぎるくらいに違和感のあることだった。
 転勤前に住んでいた函館市では、秋の初めに引っ越してしまったから体験することはできなかったけれど、かなりの雪が降ることは間違いのないことだったわけだし。
 雪の降らない冬は、羽ばたくことができなくなってしまった鳥のようでもあったし、いくら回っても汚れの落ちない洗濯機のようでもあった。
 本来あるべきなにかが足りないように感じられた。
 知り合いと思いがけない場所で出会って、しかも知らないふりを決め込まれたみたいに、どこかよそよそしい冬だった。

 当時、僕はちょっと小高い坂の途中に建てられている3階建てのアパートの一番端の部屋に住んでいて、小さなベランダからは木々と国道と街明かりとが見えた。アパートは僕が入居する3ヶ月ほど前に建てられた新築の物件で、その部屋の最初の住人は僕だった。大きな収納がひとつついていて、そこにいろいろなものをしまうことができた。ワンルームだったのだけれど、当時は荷物が少なかったから、それでも全然なんとかなったのだった。
 僕はその部屋のことがとても好きだったし、先輩や同僚と遊んだり、本を読んだり、窓を開けて音楽を聴いたり、部屋の角に置いた(いまではもう処分してしまった)平机に向かって、日記を書いたりしていた。
 いろいろなことがあって、うかれたりへこんだりした。
 社会人1年目でもあったので、覚えることもたくさんあった(これはまあ、いまでもそうなのだけれど)。

 いまだに当時のことは結構鮮明に、しかも他愛もないことまで、思い出すことができる。
 それはやっぱり、日記をつけていたせいかもしれない。
 当時の日記帳には一応タイトルをつけていて、それは「BLINK」というものだった。
「まばたき」という意味。
 これは、Charaの曲のタイトルからとってきたもので、まばたきのように当たり前の日常を切り取って書いていこうとか、ちょっと気負いのあるようなことを考えていたのだった。他にも、まばたきをするたびに姿を変える(かもしれない)世界と、そうやって過ごしていく日常のことを、ちゃんと記そうって思っていたような気がする(以前も書いたように日誌的なものではあったのだけれど)。
 無理矢理な意味付けではあったけれど、当時も、そして今も、物事や名前に自分なりにある種の意味をつけることはたぶん好きなのだ。
 それは普遍的なものなんかではないし、汎用性だってもちろんないわけだけれど、それでも個人的に意味があればそれでよかった。
『星の王子さま』の中で、バラやキツネがそうなったように、日記をつけることによって一日一日がただの一日とは違ったものであるということがわかればよかったのだ。
 まあもちろん、それはちょっと大袈裟ではあるのだけれど(基本的にオーバーなのだ)。

 当時の恋人とは長い時間電話をしていた(遠距離だったので、電話代がすごかった)。
 恋人は、何度か長い距離を新幹線を使って遊びに来てくれた。
 ものすごく華奢で細い女の子で、食べてもまったく太らないのだと言った。
「そういう体質なの」って、まるで秘密を語るみたいにクールに呟いた。
 とにかく、醒めていると言われてしまうくらいクールな女の子で(実際、よくそう言われると話していた)、そういうところにもとても惹かれていた。
 たまにしか会えなかったから、駅まで向かいに行って彼女が改札口から出てくるのを待つ間(いつもわざと早く駅に着いていた)、やたらと嬉しかったのを覚えている。それが女であれ男であれ待ち合わせは好きだったのだ。
 僕は子供っぽかったから、あんまり似合ってはいなかったような気がするけれど。

 いろいろあって、結局その子には別れを切り出して、いまではどうしているのかもわからなくなってしまっている(あれはひどくおかしな時期だった。いまでもその当時のことはかなり克明に思い返すことができるのだけれど、まったくもってどうしようもない)。
 同じ年だったから、いま頃結婚をして子供でもいるかもしれない。
 クールに子育てをしているのかもしれない。
 どうなのだろう?

 その街に住んでいるときに、一度大雪が降ったことがある。
 確か成人式の日だった。
 みぞれ混じりの激しい雪が、世界最後の日のように不穏な暗さの夜空を白く染上げていた。
 国道は市場に連れて行かれるのを嫌がる牛たちのようなたくさんの車たちで遅々として進まず、道端に諦めたように放置されている車も何台かあった。
 その日ちょうど駅に行く用事があったのだけれど、小田急も雪のためストップしていて、構内にはものすごいたくさんの人たちがいた。
 タクシー乗り場には長い列ができていたけれど、タクシーだって、どこまで使えるのかはよくわからなかった。

 もちろんそれは激しい雪だったけれど、それでそこまで道路や鉄道が機能しなくなるなんてうまく信じられなかった。
 北海道なら、こんな雪は当たり前のように何度も降るのに、そう思った。
 なんてやわな鉄道だろうって。
 そのときに、ああでもここは関東なんだなって、改めて思った。
 また随分と遠いところまで来てしまったと、その後形や場所を変えて何度も思うことになることを、そのときにもやっぱり思った。
 
 長い冬が終わり、遅い春が訪れる頃には、僕は千葉に転勤になってその街を離れることになった。
 正味、半年程度しか暮らしてはいなかった街。
 けれども、その密度が濃かったし、何かと忘れることができない時期だった(様々なエピソードがありすぎる半年間だった)。

 これからも、その街でのことはたまにやっぱり思い出してしまうことにはなると思うのだけれど、その当時の出来事や考えたことはいつまでもちゃんと忘れたくないとは思う。


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 お知らせ

 今冬の初雪はいつになることでしょう?


2001年12月09日(日) 『なんとかしてよ、店長さん!』

『なんとかしてよ、店長さん!』読了。高橋晋。かんき出版。

 この本はおもしろいです。
 サブタイトルにある通り、「ジャスコ店長とお客様との往復書簡集」で、ジャスコで「ご意見承りカード回答公開制度」を創設した店長の書いた本だ。
 まえがきのようなものに書いてある文章を引用すると、

 本書は、私の「ご意見承りカード公開制度」実践記録のなかから、とくに印象深い事例を選んで、32編に構成したものです。お客様からの「なんとかしてよ、店長さん!」というご要望、ご意見、苦情などに対して、店長として、また店としてどう受け止め、どう行動し、どのように回答したか、またその回答や対応は、お客様にどう評価されたか、ということを、エピソードや教訓をまじえてまとめてみました。(4ページ)

 となっている。
 著者は、秋田、宮城、青森、そして香港のそれぞれのジャスコの店舗で、累計6000枚を超えるお店に寄せられたお客様の声に、すべて自分で回答を行ってきたのだ。大型店の店長であるという、非常に多忙な身であるはずなのに。
 しかも、「カードには100回目を通す」というような姿勢で読まれ、回答も非常にユーモアあふれる、お客様にとってみれば信頼できるようなスタンスのようなものが多い。著者の試みの効果の高さから、ジャスコではいま全店にこの制度を導入しているようだけれど(確かに、ジャスコに買物に行くと、そういうカードが広場の近くで公開されているのを見たことがある)、おもしろいなと思う。

 それはこういう商品が欲しいという要望であったり、店員のサービスに対するクレームであったりする。またあるときは駐車場についての問題点の指摘であったり、フードコートのメニューのまずさへの意見、そしてバイトのかっこいい人を紹介してくださいというようなものだったりする。本当に様々な意見が投げかけられている。それを店長が自ら回答をし、しかも掲示するのだから、店舗と顧客との距離はゆっくりとではあるのだろうけれど、確かに少しずつ近づいていくのだろう。

 この店長のすごいところは、そのカードに回答をし続けることばかりではなく、そこにある意見に基づいて実際に改善するというところだ。つまり、カードへの回答をある種のポーズとして行っているのではなく、一つ一つの要望をちゃんとご意見として受け取り、真摯に行動に結び付けている。そこはさすがに、なかなか真似のできないところだ。

 たとえば、ある牛乳を置いてくださいという声に応える。またあるときは店舗の噴水がうるさいという声に応え噴水を止め、逆に憩いの場がなくなったという声にもさらに重ねて応えるために、透明なアクリル板を噴水の下において水を流していても音が出ないように工夫をしたりする。また、点字ブロックの上を自転車が占拠して目の不自由な人が歩きづらいという意見には、なぜ自転車が駐輪場ではないところに放置されるのかを確認し、さっそく駐輪場が目立つように看板をつけ、ラインを引いたりする。
 それらは、ある意味日常に近い、身近な(そして大切な)改善だ。
 けれども、もちろんそれだけではなくて、たとえば駐車券の1日限り有効を1ヶ月有効に変更するとか、開店時間を早めるとか、売場の改装にお客様たちからの意見を反映させるといった大掛かりなことまで、本当にちゃんと対応しているのだ。
 それらは日常的ではないかもしれなくても(やはり大切な)改善だ。
 だからこそ、そういう変化を見て取ったお客様は、この店やこの店長は意見を言ったらちゃんと受け止めてくれるということがわかり、よりカードの枚数も増えていくことになる。
「お客さまの声に耳をかたむける」ということがどういうものなのか、考えさせられる内容ばかり。

 印象深かったところをいくつか引用。

 お互いの作業をチェックする仕組みは大切ですが、私は何より、その作業に関わるスタッフに、目的と手段、方法の関係をきちんと理解させるほうが大切だと考えています。逆に、お客様の側から私たちの作業の仕組みや流れをチェックすると問題点が見えてくる、ということは実に多いのです。(87ページ)

 食品の苦情に対する私のお客様への対応は、
①不良品や不審な品質の連絡があったときは必ず(タクシーを使ってでも)飛んで行く
②代金を返す用意をしていく(レシートは不要)
③代わりの商品を持っていく
④後日、原因と対策を必ず報告する、
です。(……)
 このように、お客様には、お詫びをして、問題の商品をいただいて、さらにお詫びをして、お金を返して、代わりの商品を差し上げて、これくらいしてやっと納得していただけるのです。(116-117ページ)

 店長や上位職の人は「原則」を強調して部下を指導しがちです。しかし現実には、原則がそっくり当てはまるケースなどありません。いろいろなケースを体験してから、その後に「原則」が身につくのであって、「原則」を教えたから応用ができる、と考えるのは正しくないと思います。「お客さまは最良の先生である」と、カードをいただくたびに確信しています。(120ページ)

 また、アルバイト社員も厳しく教育します。彼らはアルバイトの目的に必ず「社会勉強のため」ということをいいます。「それはよい心がけですね。それでは協力しましょう。どれだけ社会が厳しいか、また、お金を稼ぐということがどれほど大変か体験してもらいましょう」(166ページ)

 子供からのカードももちろんたくさん届く、たとえばこういうの。

「そうせいじがぼくはとってもすきです。とくにあかのウインナ―がすきなんだけど、おかあさんが着色料があるからだめといわれた。着色料ってなんですか」

 店長の回答がまたふるっている。

「着色料には天然色素と合成色素の二種類があります。天然色素はシソの葉などを加工して食品の着色をします。合成着色料は人工的に色合いをだしたものです。ご質問の『赤ウインナ―』には『赤106号』『赤104号』『アトナー』と呼ばれる着色料が使用されています。これらの働きは、本当は<おいしい>のだけれどそのままでは<まずそう>に見える商品を、<おいしそう>に見せる技術です。たとえて言えば<お母さんのお化粧の技術>のようなものではないでしょうか? 安全であることを国が検査したものを使用しています。『無着色脳インナー』も販売しています。ぜひ味比べをしてください。これからも質問をして賢くなってください。回答が遅くなり、ごめんなさい」(192-193ページ)

 いつも部下から「なぜこんなにていねいに回答するのですか?」と聞かれます。そういうとき、私は「もしこれが実名で、社会人の大人からのカードだったらどうする? ちゃんと答えなくてはいけない、と思うだろう。でも、子どもだって表現能力が幼いだけで、考えていることは大人と一緒なんだ。逆に、大人が考えているから、子供がこうして意思表示をする。だから、すべてのお客様に対等に、誠心誠意、回答をしなくてはならないんだよ」と答えています。(194ページ)

 最後にはこう書かれている。

 店は、地域とお客さまのために存在します。店長はお客さまとともに地域づくりに責任があるので、お客さまのご意見やお知恵をお借りして行動しなくてはなりません。お客さまへの回答を書くときには、決して迎合するのではなく、自分がジャスコのトップであればどのように考え、判断するかという視点で結論を出せば、ほぼ間違いないと思います。
「お客さまに絶対に恥をかかせない」、これがこのカード公開システムの基本コンセプトの一つです。何が「恥」かはお客様によって違います。お客様一人ひとりの「心」を理解しようとしなければ、このことはわかりません。「苦情こそ宝の山」です。それを解決すれば、お客様はそれまで以上にジャスコファンになってくださるのです。(230-231ページ)

 こういう上司だったら素敵だよなと思えるような著者のキャラクターにも、かなり好感が持てる。
 いずれにしても、回答に思わず膝を叩いてしまうようなものも多いので、読み物としてもオススメです。


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 お知らせ

 あったら嫌なお店シリーズ①


 毛玉天国(クリーニング店)


 特徴

・クリーニングを頼むともれなく毛玉がついてくる。
・毛玉2倍セールがある。
・ボタンが必ず割れている。
・毛布は断られる。
・自分が出した洋服を、店員が着ている。


2001年12月08日(土) 出張【名古屋→大阪→博多】

 昨晩、0時過ぎ、3日ぶりに帰ってくる自分の部屋はやっぱり落ち着くと(ありふれたことだけれど)やっぱり思った。
 玄関に重い荷物を置いて、部屋の明かりをつけて、スーツを着替えてから、コンビニで買ったホットのペットボトルのお茶を飲む。
 昨日は福岡の天神にいたのだけれど、クリスマスを控えた見慣れない街は賑やかで、とても楽しそうに見えた。
 20時50分発羽田行きのJALで帰ってきた。
 窓際の席だったから、離着陸の間はずっと窓の外を眺めていた。
 子供みたいなのかもしれなくても、離陸のときや着陸のときの街明かりはやっぱり魅力的だった。
 とても。

 そして、博多空港で買った福砂屋の「手作り最中」(包装紙がとても好きな感じのデザインだった)を食べて、歯をみがいて、そのまま眠ってしまった。
 随分と疲れがたまっていたというのがひとつ。
 今日も仕事だったというのがひとつ。

「手作り最中」は丁寧な手作りの最中なんだと思って買ったのだけれど、箱を開けると、種と餡とへらが別々に入っていて、自分で作るという意味での「手作り」なんだということにちょっとおどろく。中に入っている紙にはこう書かれている。

 最中本来の香ばしさをそのまま生かした種(皮)に、北海で磨かれた粒よりの小豆をじっくりと炊きあげた餡を、お好みにより詰めてお召し上がりください。パリッとした舌ざわり、風味の良さはまた格別です。

 そして実際美味しい! のだけれど(もちろん一人で全部食べきれるはずがないので、昨晩残した分を今日も食べている)、これは自分で作るという過程を踏むせいもあるせいかもしれないなと思う。
 何かを自分の手で作るときには、多かれ少なかれ愉しみのようなものがあるし。
 けれども、箱の中を見るに、おそらく最中の種が先になくなり、餡だけが大量に残ってしまうことは間違いなし。
 餡だけも食べよう。

 それから昨夜、飛行機が博多を飛び立ってから少し経ったころに、窓の外には海と街明かりとが見えていて、あれは下関辺りなのだろうかとか、広島辺りかなとか考えるのは楽しかった。
 実際にはそれがどこなのかはわからないのだけれど、それでもそのそれぞれの明かりの下で、たくさんの日々が送られているのだということは、やっぱりいつも興味深いことだと思う。
 そして、趣味で小説を書いている身としては、そういうそれぞれの街や町で繰り広げられているはずの物語を考えたりするのもまた楽しくて。日本は広いって、いつも思う。
 そして、眼下のそれぞれの街や町での出来事を少しぼんやりと考えてから、いま書いている『N43゜』という物語のことを考えた。

 今回の出張中には、本は2冊読んだ。
『なんとかしてよ! 店長さん』と『ももこのトンデモ大冒険』の2冊。
 一番読書ができそうだった新大阪→博多間の新幹線は、半分以上打ち合わせのような感じになってしまったので読書はできず。
 結果として、持っていたもう1冊の小説は読みはじめることができなかった。
 読了した本に関しては、また後日。
 
 
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 一昨日は大阪、心斎橋のビジネスホテルに宿泊した。
 仕事が終わった後、上司や同僚たちと21時過ぎに道頓堀に行って、「がんこ寿司」というお店に入る。
 そこでお寿司とてっちりを食べる。
 てっちりは一人暮らしだとなかなか鍋ってしないので、個人的にはかなり感動。
 白菜とかすごくおいしくて。
 最後はご飯を入れて雑炊にして、そういうのがやたら嬉しかったり。
 夜のミナミははじめてだったのだけれど(前に、一度だけ夕方に来たことがある)、有名なグリコのネオンやくいだおれ人形を見たりして、ちょっと浮かれてしまった。
 帰りには憧れだった、「屋台のたこ焼きを買って手に持って道頓堀を歩きながら食べる」を実行し、満足度がさらに高まる。
 その先のアーケードにはナンパなのかホストなのか、そういう人たちがやたらとたくさんいて、道路に占める黒服率が65%以上で驚く。
 デジカメを持っていって、歩きながら周囲の景色をいろいろ撮っていたのだけれど、ほとんどはじめての街はいつもそうなのだけれど、やっぱりとても楽しかった。

 さらに付け加えると(なんだか食べ物の話ばかりなのだけれど)、一昨日の朝食は新幹線に乗る前に名古屋のタカシマヤ1Fにある「FLAGS CAFE」に入った。
 モーニングセットを注文したのだけれど、そのセットについてきたクロワッサンがとてもおいしくて。
 パンはおかわり自由だったのだけれど、思わず追加で頼んでしまったくらい。
 パンはとても好きで、よく食べるのだけれど、おいしいって思うクロワッサンは久しぶりだったので嬉しかったり。
 関東にも同じお店はあるので、今度から覚えておこうと思ってみたり。


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 お知らせ

 グリコのネオンを見て、すごいって思っていたら、その右側に「まぐまぐ」のキャラクターのネオンがあった。
 結構驚いた。
 まさかまぐまぐのネオンがあるなんて思ってもみなかったし。


2001年12月05日(水) 櫃まぶし

 今日のDaysは名古屋駅近くのビジネスホテルの部屋から。
 出張中なのだ。
 しかも、明日はそのまま大阪に行く予定で、金曜の夜まで部屋に帰ることができなかったり。
 まあ、今回の出張が終われば随分と楽になりそうな感じではあるので(もちろんそういう希望的観測は往々にして覆されるのだけれど。今週は土日も出勤だし)、まあ頑張りましょうといったところだ。

 名古屋にくるとすごいと思うのはやっぱりJR駅上にそびえるタワーズなのだけれど(ちなみに、今日の夜はタワーズで食べた。夜景がきれいだった、すごく)、暗くなると高島屋の窓のところがイルミネーションで彩られている。神戸のルミナリエをかなり意識したものということだ。個人的にはやっぱり札幌のホワイトイルミネーションが派手じゃなくても一番好きだと思ってしまうのだけれど、でもやっぱり名古屋もとてもきれいだった。神戸も見たことはないのだけれど、きれいなのだろうなとは思う。


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 お昼には「櫃まぶし」を食べた。
 名古屋名物。
 これを食べるには2度目だったのだけれど、やっぱり美味しかった。
 これは要はうな重なのだけれど、3度美味しい食べ物だったりする。

 つまり、うな重の重箱と別に小振りのお椀が用意されていて、小さなしゃもじでうな重をお椀に取り分けて食べるのだけれど、

 1杯目は普通のうな重として、
 2杯目は薬味(ネギとわさび)を混ぜたうな重として、
 3杯目は薬味を入れた後に一緒にあるお湯を入れてお茶漬けのようにして、

 食べるものなのだ。

 それがまた、それぞれ美味しいのだ。
 僕は個人的にうなぎがとても好きなので、それだけで好きになれる要素十分なのだけれど、お茶漬け風の3杯目なんか、風変わりな感じがしてとても新鮮だし。
 出張に行ったときに、その土地の名物を食べる機会があると、それだけでもう得したような気分になる。


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 お知らせ

 新幹線の中で読もうと思って買った「e+B」という雑誌が、今月号で休刊になっていた。10号目。
 創刊号を買って、それからしばらく買っていなくて、久しぶりに買ったらいきなり休刊……
 いまは本当にたくさんの雑誌が発行されているけれど、その背後でどんどん休刊に追い込まれているのも事実なんだろうなと思う。
 たとえば、最近は大人の余暇を楽しもう的な雑誌がたくさん創刊されたけれど(「日経おとなのOFF」とか「東京カレンダー」とかそういうやつ)1年後にはどれだけ残っているのだろう。
 僕は毎日コンビニに行くので、雑誌は結構よく見かけるのだ。


2001年12月04日(火) 宝くじ

 今日の夜、新宿駅西口で宝くじを買った(たまにしか来ないという割に、最近は結構来ているよ)。
 同僚と、後輩と。
 なんでも、過去7回も当たりを出したことのある売場だそうで、それは母体数が多いからだという話はさておき、そういう売場で買ったのははじめてなので(宝くじ自体、買ったのは2回目だし)、ちょっと期待してしまう。
 まあ、もちろん、当たるなんて思っていないし、欲しいものリストをノートにびっちり書き込んでたりなんかしないし、しかも欲しいものリストが100万円版と1億円版の2パターンに分かれたリなんかしていないし、神棚があれば飾ってるのにだなんて思っていないし、「宝くじは、買わないと当たらないからね」なんてうきうきしながら思ったりなんかもしていない。


 説得力ないけど。


 もし当たったら、サイト名を「Text Sun Set 300,000,000」に変更しよう。

 ぽわぽわぽわ……(←空想している音)

 2002年1月1日の、Text Sun SetのTOPページ。














 Text Sun Set 300









 ……なんだか屈辱的だ。
 10万円以下の当選の場合は、従来のままで変更しないことにしよう。

 1月1日をお楽しみに!
(って、元旦から更新するのか?)


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 お知らせ

 いま発売中の「日経TRENDY」という雑誌(半端じゃない厚さの号)の255ページに、11/5のDaysで書いている次世代マクドナルドについての記事が出ています。
 もし興味を持っていた方がいらっしゃったら、コンビニでチェックしてみては?
 そのマクドナルド荏田西店の写真が何枚か出ています。


2001年12月03日(月) バナー+サブリミナル

 ○バナー

 世の中にはたくさんのホームページがあって、そのうちのいくつかは無料HPスペースを利用している。
 このText Sun Setもそうで、「フリーチケットシアター」という、27歳男子が使うにはちょっとファニーすぎる無料サービスを利用している。
 ためしにText Sun Setのアクセスカウンターをクリックしてみると、「フリーチケットシアター」のホームページに飛ぶことができるのだけれど、はじめて見る人は「え?」と目を疑うことだろう。

 けれども、かわいいイラストはともあれ、「フリーチケットシアター」はかなりよい感じのサービスだ。
 64Mのスペースだし、ポップアップするバナー広告は、時間が経てば勝手に消えるし(←これ重要)。
 無料のカウンターもつけることができる。
 デメリットは指定以外のCGIが使えないことくらいだ。

 そして、無料サービスの多くは、バナー広告が表示されるのがお約束になっている。
 当然のことだ。無料サービスの会社だってサービスでやっているわけではないのだから、なんらかの代償は必要ということになる。
 フリーチケットシアターでも、様々な広告が表示されている。

 当然のことながら、表示されるバナーをHP管理者は選ぶことはできない。
 そのときによって、企業がランダムに変わることが多いし、その内容だってそれこそ千差万別だ。
 無料のスペースを借りているのだから、つべこべ言わずにバナーを表示するほかはない。
 それが嫌なら、自分のISPのスペースでも借りればいいのだし。

 ということで、前置きが長くなってしまったけれど、だからこういうことが起こりえると思うのだ。


 ケース①

 サイト名:許されない愛

 内容:勤務先の上司(42歳)と不倫関係に陥り、泥沼にはまったOL(25歳)の日記告白サイト。奥さんにばらしてやるとか、クリスマスにあの人は家族で過ごすのねとか、そういう不倫をしている人っぽい日記のページ。

 バナー:伊藤法律事務所(困っていることがあったら、なんでも相談してくださいね♪ って、弁護士らしい人のイラスト付き)


 ケース②

 サイト名:育毛日記

 内容:家系全員ハゲという事実に悩む男子大学生が、結構真剣に取り組んでいる育毛サイト。

 バナー:某カツラメーカー(まずは気軽に電話シテネ♪)


 ケース③

 サイト名:禁煙と禁酒と禁コーヒーのぺえじ

 内容:ありとあらゆる身体に悪そうな物を断とうと頑張っている男性のサイト。その割にはプロフィールの写真は血色が悪そうでせつない感じいっぱい。

 バナー:ドリップ式コーヒー。1杯なんと20円とか。


 まあ、そういうのってちょっとしたことなのだけれど、サイトの内容とバナーとがある程度リンクしていると面白いと思う。
「へえ」とか思う。「ぐうぜんぐうぜん」って。


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 ○サブリミナル

 サブリミナル効果ってある。
 有名なところでは、映画のフィルムの何コマかおきにコカ・コーラの映像を差し込んでおくと、その映画を見ている観客たちは不思議とコカ・コーラが飲みたくなるというやつだ。結構禁じ手でもあるようで、集団洗脳のようなものに近いと言われている部分もあるみたいだ。
 さて、今日のDaysでは、このサブリミナル効果というやつを試してみたいと思う。

 テーマは「キテレツ大百科」で。

 今日これから書く文章を読んでいると、不思議と「キテレツ大百科」が見たくなるように作ってある。
 まさかそんなことなんてありえないよ、って思っているそこのアナタ! そう、そこのアナタ! 百聞は一見にしかず。
 ぜひ、このサブリミナル効果というやつを、体験してみよう。


 それではスタート。


「クリスマスの思い出」 1年D組 佐藤 ブタゴリラ 一郎

 先週、クリスマスプレゼントを買いにお母さんとデパートに行ってきました。トンガリー。デパートにはたくさんの人がいて、みんな嬉しそうだったナリヨ。僕はお母さんをオモチャ売場に引っ張っていって、前から頼んでおいたベイブレードを買ってもらいました。睡眠不足。そこには、欲しいオモチャをねだってじたばたと駄々をこねている小さな男の子がいて、「はずかしいよね、ああいうの」ってお母さんに言ったら、「あら、一郎だってこの間までそうだったんだから勉三さんまた受験失敗?」と言われてしまいました。
(えー、僕もあんなだったのかなあ?)と思ったのだけど、もしかしたらそうだったかもしれないなんて、ちょっとだけ懐かしく思ったのです。
 みよちゃんみよちゃん。


 ……


 ………


 …………や、や、あぶなくTSUTAYAに「キテレツ大百科」のビデオを借りに走るところでした。
 サブリミナル効果って、おそろしいよ。


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 お知らせ

 全日本あだな選手権【ちょっとそりゃあないだろう部門・優秀賞】


 ブタゴリラ。


2001年12月02日(日) my wrist watch+left-handed person

 腕時計って、どちらの手につけるものなのだろう?
 僕は左利きなのだけれど、腕時計も左手につけている。
 以前、それでやんわりと驚かれたことがある。
 左利きなのに左手に腕時計つけるんだ? って。
 その意見から推測すると、利き腕と反対の腕に時計をつけるということになる。

 つまり、

 右利きの人は左手に
 左利きの人は右手に

 つけるのが普通ということになるわけだ。

 いま自分の部屋でDaysを書いているので、他の人がどうかを確かめることはできないのだけれど、どうなんだろう。
 まあ、そういうのは人それぞれで、自分にとってしっくりくるほうで全然問題ないことなんだけれども。

 ちなみに、僕がいまよくつけている腕時計は1万円くらいのシルバーのやつ。
 ALBAの「WIRED」シリーズの初代(今度4代目がでる)。
 これは昨年の初夏、出張中に西鉄福岡の駅ビルで衝動買いしてしまったものなのだけれど、デジタルがとてもきれいなのだ。
 説明すると、普通のデジタル時計って「8」のパターンになっている。「8」のある部分が消えることによって、他の数字を表現するというわけだ。
 ただ、この時計は、どういう仕組みなのかはよくわからないのだけれど、デジタルがフォントになっていて、数字ごとに異なる場所にきれいなフォントであらわれてくるのだ。デジタル時計なんだけれども、文字がとてもきれい、なめらか。そこに一目ぼれして買ってしまった。
 それ以来気に入ってずっとつけている。

 腕時計はあと2つ持っている。高くないやつ。高いのはもちろん質がいいのだろうけど、なんだか気後れしてしまう(出せたとしてもいまの心境だと3~4万円くらい?)。
 デザインと実用性が気に入って価格がそれなりなら、それで満足してしまうのだ。
 しかも、一度買うと結構長く使うことができるし。それなので、あんまりころころ変えなくてもいい。
 ちなみに、ひとつは大学に入学するときに親が買ってくれたセイコーのやっぱり2万円くらいのやつ(これはアナログ。文字盤がとてもシンプル。シンプル推奨)。
 もう一つはやっぱり大学生のときに買ったアニエスの限定のデジタル時計。これはボタンを押すと、デジタルが赤いバックライトで照らされるのだ。ベルトと電池を何度も交換しながら、いまだにちゃんと使っている。これは確か2万5千円だった。
 あとは、スウォッチをいくつか持っていたのだけれど、いつの間にか壊れたりなくなったりしてしまった。
 時計ってたまにものすごく欲しくなるときがある。
 百貨店なんかの時計コーナーを見ていると、本当によくこんなの考えるよなっていうくらいたくさんの腕時計があってみているだけで楽しいし飽きない。
 これからもそんなハイペースではなくても、腕時計を買っていくのだろうけど、そのときもいま使っているやつも一緒に使っていきたいとは思う。


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 僕は何でも左の左利きなので、食事も、文字を書くのも、ボールを投げるのも左だ。
 小学生の頃には、一時期センセイに言われていわゆる矯正をさせられそうになったけれど、いつの間にかうやむやにしてしまった。
 はさみを使うときや他のもろもろのときに、ちょっとだけ不便かな? と感じるときはあるけれど、別にそれで生活に支障があるわけじゃない(書道だけは右でやったけれど)。それにいまでは、左利き専用グッズなんかもたとえば東急ハンズに行けば売っているし、通信販売のフェリシモでもそれなりにアイテムを扱っていると聞いたこともある。
 いずれにしろ、無理に右で何かしようとすると戸惑ってしまうことが多いので、左のままの方が気楽だ。
 でもまあ、現代に生まれていてよかったと思う。

 たとえば、ライアン・ワトソンの『アースワークス』(筑摩書房)にはこう書かれている。

 中世のヨーロッパでは、左手で食べたり書いたりすると、黒魔術か妖術使いの嫌疑をかけられるのに十分だったし、家とか神聖な社のまわりを逆時計方向、つまり右から左向きに歩いたりするだけでも大変なことだった。(239ページ)

 少なくとも、現代では黒魔術を使うなんていう疑いをかけられることはないし。左利きであることを理由に迫害されたりすることなんかはないわけだし。

 ちょっと想像してみる。
 中世ヨーロッパの石畳の街並み。
 その一角に住んでいる僕。両親と食事をしている。

 激しい音。
 ドアが突然開けられる。
 僕は左手にスプーンを持っている。

「隊長っ! 左利きを発見しましたっ!」
「すぐさまひっとらえろ!」
「はっ!」

 左利き狩りだ。

「早くっ! 逃げるのよSun Set」
「ワシたちのことは気にするな! 早く! 行け!」
 衛兵の前に立ちはだかってくれる両親、僕は彼らに取り押さえられる2人を尻目に裏口から逃げ出す。
 追っ手はすぐにやってくる。街の鐘楼が激しく鳴らされる。

「左利きが逃げたぞー」

 路地という路地を逃げ続けながら、いつしかへとへとに疲れ果てる僕。
 家と家の間の細い路地で立ち止まり、両手を両膝につけるようにして呼吸をととのえる。

「あっ、いたぞ! 左利きだ!」

 左側に衛兵が立ちはだかる。右に逃げようとすると、そこにも衛兵の姿が。両方を挟まれてしまった。逃げ場を探して天を仰ぐが、手摺りすらない。
 万事休す――。
 
 そして、はりつけにされている僕。
 どんな言い分も聞き入れてもらえずに、黒魔術を用いて人心を誑かそうとしたという嫌疑をかけられてしまう。
 そこは街の広場で、街の人たちが遠巻きにひそひそと囁きあっている。

 燃やされるか首をはねられるか。
 いずれにしてもハッピーエンドじゃない。
 そして、最後の瞬間。

「何か最後に申すことはないか。なんでも良いぞ」
 偉そうなおじいさんがそう言ってくる。
 沈黙。
 街中の人たちが見守っている。

「……わ」

「ん? なんじゃ? もっと大きな声で言わぬと聞こえぬぞ」

「……わたしは左利きじゃない、サウスポ……うわあーっ!」


 最後まで言わせてもくれない。


 ……って、いやだなあこういうのりやすい性格。

 
 冗談はさておき、昔から左利きや左的なものには、「不浄」の烙印のようなものが押されていたのは事実みたいだ。
 しかもそれがある特定の宗教だけのことではなく、キリスト教や古代中国の陰陽、あるいはイスラム教でもそうみたいだし。オールスターキャストかいって、思わずつっこみたくなる。どれでも、あんまり肯定的な意味で出てきてはいないみたいだし。
 うーん。
 そういうのって、ちょっとだけ困ってしまうけれど、まあ気にしなければいいやとも思う(実際全然気にしていないのだけれど)。
 みんな顔や髪型が違うように、利き腕が違うだけのことだし。


―――――――――

 昨日、ワールドカップの抽選日だと思って、インターネットTVガイドで抽選会のテレビでの放映時間を調べていたら、『トリュフォーの思春期』の文字が。

 えええっ!

 と反応する。19時から、テレビで放映することになっている。
 そのときは16時過ぎ。
 土曜日の19時なんていう時間にそんなおちゃめなことをするテレビ局はどこだっ! と見てみると


 MXテレビ


 の文字が。
 東京(とある程度の関東圏)でのみ見ることのできるテレビ局だ。
 すぐさま、僕の部屋のテレビでMXテレビを見ることができるかどうか確認する。

 OK。

 やったっ! といわんばかりに近くのコンビニに行ってビデオテープを買ってくる。
 普段テレビを見ないし(1週間に2時間くらい)、ビデオに撮る習慣もないので、必要ないのだ。
 でもでもこれはぜひ録画しなければっ! とやたらと無駄にテンションが高くなる。

(一応、今日のDaysではテンションの高さを表現するために、「!」を多用しています)

 そして録画開始。
 Gコード予約をしていたのだけれど、設定が間違っていたのかなぜか予約が始まらず、19時1分から慌てて手動で録画スタート。

 フランソワ・トリュフォーって、大好きな映画監督の一人だ。キェシロフスキとトリュフォーは間違いなく個人的なベスト5に入る。
 そのトリュフォーの作品の中でも、この『トリュフォーの思春期』はとりわけ大好きなものの一つだ。
 愛と優しさの映像作家とも呼ばれているトリュフォーの、まさにそういう側面が遺憾なく発揮され、なおかつ考えさせられる群像劇。
 フランスの夏休みの子供たちの様々なシーン、たくさんの微笑ましかったりおかしかったり切なかったりするエピソード。
 詳しくは時間ができたらMy favoriteに書こうと思うのだけれど、まだ録画したものは見ていないのだけれど、楽しみだ。
 来週はまた出張でいろいろと部屋を離れることが多くなるので、その後でゆっくりとみたいなと思う。

 楽しみが待っているのってやっぱりいいかもと思う。

 ちなみに、来週の同じ時間は、ベネックスの『ディーバ』を放映するそうです。
 よいラインナップかも。


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 お知らせ

 もういい年なんだから、あんまりふざけないようにしたいなとは思ってはいるのです。


2001年12月01日(土) Don't you worry 'bout a thing

 昨日までは11月で、今日からは12月になる。
 ときどき、もし1ヶ月とか1年間という区切りの呼び名がなくて、ただ日々が重ねられていくだけの世界だったらどうなるのだろうと思う。
 そういうある種のしるしがあるから、たとえば1年前の今日とか、5年前の11月といった思い出し方をすることができるし、それは記憶を掘り起こす際の灯台の明かりのような存在になるということができる。
 けれども、もしそういう区切りがなかったとしたら、人生はらせん階段のように1年1年上っていくものではなく、長くどこまでも続くハイウェイのようなものになるのかもしれない。
 その世界では、たとえば95日前にした約束だとか、28日後のお祭り、あるいは中学校に入学したのは1382日前のことだって言ってみたりするのだ。あるいは、3652日来の親友だとか。
 それぞれの日数が紛れもない事実であったとしても、そこからはどうしても現実感が失われてしまう。どこかシュールな感じになってしまうのだ。区切りの名前に付随するある種のイメージが切り取られてしまうような。

「5年前の雨の日」というのと、「1826日前の雨の日」というのとでは、立ち上がってくるイメージが随分と違う。
 というか、後者ではどこか途方もないようなイメージが浮かんでくるような気もするし。トリケラトプスとかイグアナドンとかの闊歩する太古の昔みたいだ。実際には5年くらい前のことなのに。

 もちろん、それはそういう区切り方の存在するこの世界の常識の枠組みから考えているから、もしそういうものがない世界から見てみると、「1826日」というのは、そんなに昔のことでもない、むしろ鮮明な感傷を呼び起こすようなイメージを喚起する数字なのかもしれないけれど。

 でも、1年12ヶ月というくくりや1週間7日というくくり、そういうものって、普段は取り立てて気にもとめないものだけれど、よく考えてみるとすごいよなと思う。
 合理的だ。

 そして、和洋を問わず、月日にはそれなりの意味やエピソードが織り込まれていて、そういうのを調べたりするのも面白い。
 たとえば、陰暦十月を神無月と呼ぶけれど、出雲地方だけは神有月と呼ぶとか(日本中の神様が出雲に集まるから)というのなんてとても興味深いエピソードだと思えるし。

 でも、もう少しで生まれてから1万日生きていることになるのだなと思うと、不思議な感じがするのは事実。


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 今日は、朝からスティービー・ワンダーのアルバムをかけているのだけれど、スティービー・ワンダーを聴いていると、どうしてか昔のことを思い出してしまう。
 それもある特定の時期というわけではなくて、まるで記憶の中のシャッフル・スイッチを柔らかく押されているような気がしてしまうくらい、ランダムに、とにかく過去の出来事が立ち上ってくる。ときには、それが自分のものではない誰かの記憶を見せられているような気がすることさえある。ある種の思い出を呼び起こす声や曲。
 だから、僕の中ではスティービー・ワンダーは現在から過去に向かってベクトルが伸びているアーティスト、ということになる。
 あくまでも個人的な印象だけれど、アーティストには、ベクトルを持った属性のようなものがあって、それは輝く光のように未来を指していたり、頑固で不器用な不良少年のように現在から離れたがらなかったり、あるいは晴れた午後の柔らかい影のように、過去に向かって伸びていたりする。いずれもそれぞれの味があって、音楽の効用を果たしてくれる。
 音楽はそこにあるだけで空気を変えるし、その変化は聴き手を揺さぶる。心を揺さぶるのってすごいことだと思う。
 考え付く限り、一番短い時間でそれをするのは音楽だ。
 物語ももちろんそれをより掘り下げて行うことはできるけれど、瞬時に、というとやっぱり音楽の二の次になってしまう。
 曲によっては、前奏だけで泣けるという人もいるほどだし(早すぎるよ)。

 とりわけ、何曲かでは、どうしてか真夏の夜の砂浜を想像してしまう。海岸道路の等間隔に続く電灯が煌々と灯っているような夏の夜。その砂浜を歩いているというイメージ。実際には、そういう砂浜にいなかったとしても、どうしてかそういう光景が思い浮かんでくる。それくらい、イメージを喚起してくる音楽だということができるのだろう。

 また他の曲では、逆に真冬の深夜を想像してしまう。しんしんと雪の降る道を、きゅっきゅっと踏み固めて歩いていく情景とか。

 いずれにしても、季節感が明確に現れるような記憶を思い浮かばせるのがスティービー流なのかもしれない。
 本当に、さすがスティービーだという気がする。よくこういう曲を作ることができるよな。

 ちなみに、好きな曲はたくさんあるのだけれど、「You are the sunshine of my life」に「Whereabouts」や「Overjoyed」そして「Don't you worry 'bout a thing」なんかは特に好きだ。
「Don't you worry 'bout a thing」はインコグニートがカバーしているバージョンもよかったのだけれど。


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 お知らせ.1

 心配だったので、トレンドマイクロのオンラインウィルスチェックをやってみました。
 感染はしていませんでした。

 http://www.trendmicro.co.jp/hcall/scan.htm


 お知らせ.2

 みなさんがいままであげたプレゼントで一番喜んでもらえたもの&もらって一番嬉しかったものってなんなんでしょう。
 そういうのって、すごく興味ありません?

 ちなみに、個人的には学生時代にアルバイトを頑張って外国製のジューサーをプレゼントしたのが、印象深いのですけど。
 個人的な基準としては、宝飾品なんかよりはインテリア・雑貨よりで、なおかつ「実用的」で(←コレがすごく大事)、ただ自分ではちょっと積極的に買わないようなものをプレゼントするのが好きなのです。
 だからたとえば、エスプレッソマシーンとかでもいいですよね。自分ではちょっと買うのもったいないと思っても、もらったら嬉しいような気がするし。


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