祖母がてめえの病院に転院して来た。正直、ほぼ老衰でもう人生としては終わったのかと思ったが、驚異の生命力で生き延びて来た。
前の病院も初めは自然に看取ろうとしていたのがよくわかったが、状況が落ち着くにつれて次の栄養の手段を考えだした。正直、点滴だけしていたら栄養不足で死ぬからだ。
通常は、まず行うのは「経鼻栄養」だ。鼻から胃に管を通して、流動食を胃に直接流し込む。一時的に弱っている場合は、この経鼻栄養で栄養状態が改善することで、自力で食事をとれるところまで回復することがある。ただし老衰の場合は全く期待が出来ないし、そもそも「一時的に弱っている」のか「老衰」なのかはてめえらプロでもよくわからんことがある。
祖母に経鼻チューブが留置されようとしたが、全く入らなかったらしい。これは解剖学的な問題で、そういう人がたまにいる。
前の病院は、胃カメラを使用して経鼻チューブを胃に入れたそうだ。そういう方法があるということは初めて知った。というのは、通常はそう言う場合は下記の理由もあり、そこまでの方法をとらずに栄養自体をあきらめるからだ。
しかし考えてみると、チューブを留置するためだけに胃カメラをするのはかなり苦痛を伴う。多くの病院は1週間ごとにチューブの交換を行うので、それだと毎週胃カメラをする必要があるが、てめえなら毎週胃カメラを飲むなんて死んでもイヤだ。死んだ方がマシだ。いくら意識状態がはっきりしない祖母とはいえ、これは一種の虐待ではないか。
もちろん「やらないと命に関わるだろ」という意見は理解するが、老衰に対してそこまでするか?
まあともかく、経鼻チューブを留置したことで祖母の容態は安定した。人間としての尊厳は置いといて、とりあえず命はつながった。
しかしその代償もある。意識状態がはっきりしないとはいえ、祖母は無意識のうちにだろう、その大切なチューブを手で引き抜いた。
結果として、チューブを抜かないように両手が拘束されることとなった。そして、再度チューブを入れるために胃カメラ。しつこいが、てめえなら死んだ方がマシな仕打ちである。
そこで次に考慮されるのが「胃瘻」である。老衰に対する胃瘻にもともと懐疑的であったてめえは胃瘻造設には反対だった。
かといって、経鼻チューブをこのまま続けるのか。経鼻チューブを抜いたら、遅かれ早かれ祖母は死ぬ。残酷に聞こえるかもしれないが、てめえは正直それが一番自然だと思ったが、叔母は違った。「実の親である以上、明らかに死に至る処置は許容できない」のだ。てめえは実の親でも自然のままが良いけど。
しかし残念なことに、腹部CTでは胃と腹壁の間に肝臓と腸管が横たわっており、これまた解剖学的に胃瘻が作れない体だということがわかった。
とすると、残酷だが抜けるたびに胃カメラで経鼻チューブを入れ続けなくてはならない。
そしてこれが一番大切なことだが、「経鼻チューブを留置したままの患者」は、基本的にどこも受け入れてくれないのだ。
経鼻チューブを留置したまま、そして両手を拘束されたまま、祖母の容態は安定した。安定しただけで、昔のように歩き回る訳でもなく食事がとれるようになった訳でもない。
そうして3ヶ月が過ぎた。
よく知られていることだが、入院して3ヶ月を過ぎると病院に入る報酬がぐっと少なくなるため、病院側としては経営上困るのだ。「3ヶ月以上入院していれば退院か転院しなくてはならない」のは、法律でそう決まっている訳ではなくて病院側の収入の問題である。
そんなわけで、病院側としてはなんとしても退院あるいは転院させようとする。
しかし、祖母の場合は自宅退院は無理。転院も、経鼻チューブであるうちは基本的に無理。病院側が経鼻チューブの患者に早めに胃瘻を作ろうとするのは、基本的にこう言った事情がある。
そんなわけで、てめえの病院で引き取ることにした。「公私混同」と思われるかも知れないが、てめえの病院は職員の家族であることに関わらず、こう言ったややこしい複雑な事情を抱えた患者の面倒を見ることが得意なのだ。
まあ残念なことに、転院してすぐに重度の肺炎を来しててめえが病院に張り付き状態になり、叔母から「何のために転院させたのか?」と言われたり。まあいろいろあったけど、肺炎もなんとか治り、明日胃瘻造設予定。そう、てめえの病院で再検査した結果「胃瘻できるんじゃね?」となったのだ。ほんまに出来るのかどうかは明日を待たないといけないが。
家族に胃瘻なんて作りたくなかったけどな。でも、拘束も解かれるし(実はてめえの病院に転院してからは拘束していない)、なにより胃カメラからの呪縛から解かれるのが一番の救い。まあ、人生いろいろありすぎてもうお腹いっぱい。ちょっとゆっくり癒されたいわ。
2014年09月17日(水) |
ファイナンシャルな話。 |
妹2号と3号が揃って8月から無事職に就いた。このご時世にありがたいことですわほんまに。
そんなわけで、初めての給料をゲットした妹3号から相談があった。将来のためを考えてお金を貯めようと思うのだけど、どうするのが良いのか?
この心構えは素晴らしい。詳しく話を聞くと、給料から生活費やその他の必要経費をさっ引いても、少なくとも3−4万は余るらしい。それを資産運用したいとのこと。
早速てめえなりに提案をさせていただいた。
前にも書いたような気がするが、日本ではファイナンシャルな話は御法度に近い扱いになっており学校でも勉強しない。一切経済学的な勉強をしないのに大学の進路として「経済学部」があるのはほとんどギャグじゃないかと思うレベル。
そんなわけで、妹に時間を作ってもらって簡単なレクチャーをした。全くわけもわからんままにてめえの言う通りに資産運用してもまあ間違いなく成功するが、理屈をわかっているとそのうち自分で応用できるようになるし、その方が長期的に彼女のためになるのだ。
まず前提として、経済成長以上のリターンがないと、資産運用としては意味がないということ。
例えば、経済成長が年3%だったとする。とすると、物価も平均して3%は上昇するはずなので、資産運用としては3%以上のリターンをしないと意味がない。
最悪なのはタンス預金で、減りもしないが増えない。なので、3%成長している中で全く増えないのは相対的に財産を減らしているのと同じである。
銀行預金も同じで、利率が3%以上ないと預ける意味がない。
3%以上のリターンを期待するのならば、やっぱり株式だろう。てめえの愛してやまないキヤノンであれば、配当だけで3%はある。
しかし全財産をキヤノンに突っ込むのはあまりにリスクが高い。この優良企業もある日突然倒産するかもしれない(当分はないと思うが)。
とすると、リスクを軽減するために資産を分散させる必要がある。そのために個別株を選ぶのも楽しいのだが、これでリターンを得るのは正直趣味の世界になる。
そんなわけで投資信託の出番になる訳だ。これは究極の分散投資になるし、結論だけ言うと「ローリスク・ハイリターン」である。
例えばてめえは今、何も考えずにeMAXISの「先進国インデックス」と「新興国インデックス」に何も考えずに毎月一定額の積み立てを行っているが、現在の成績としては、前者が29.35%、後者が18.21%のプラスとなっている。これは今月までの積み立てを入れての成績である。当然経済成長率を上回っている。
以前はこれに加えて先進国REITとアクティブファンドも積み立てていた。いったんこれらは、母親に家を買うときの資金にするために全て解約したのだが、解約しなければもっとすごいリターンになっていたことは間違いない。
倒産のリスクもなく、今後経済成長が続く限りさらにリターンが増えることが期待されるので、てめえは次の大きな買い物がない限りは解約することなく淡々と積み立てて行く。
と言うことを妹に簡単にレクチャーした。例えば銀行に毎月3万円を入れても1年で36万、3年で108万にしかならないが、投信積み立てだと1年で40万、3年で150万くらいは少なくとも期待できるだろう。この差は年々大きくなる。数十年経ったらものすごい差になっている。
別件でとある人から、まとまったお金が入るのでどう運用すれば良いかという相談が入った。まとまったお金とはまあ数百万円くらい。
人の金なので好き放題言うことが出来るが、金の恨みは恐ろしいのでてめえは極めて客観的な意見を言った。
正直、今は経済はとても良好で、新たな投資を始めるのには全く向いていない時期。経済には波があるので、冷えるのを待つのが良い。
どうしても運用したいのであれば、半分をMRFに入れて、残りを日本国債の購入に充てるのが良い。そして株価が落ちたときにこれらを解約して、投信なり好きな株購入に充てるなりするのが良いでしょうとお話した。もちろんてめえに数百万が入っても同じことをするわ。
妹の話に戻るが、妹は証券会社の口座を持っていないので、まずは口座を開設するところから始める必要がある。とするとネット証券一択であり、てめえが最も素晴らしいと考えている証券会社を紹介した。今後野村とか窓口で買うのはアホだけになるだろう。
妹に勧めるのは「先進国インデックス」「日本株インデックス」に加えて、「外国債券インデックス(為替ヘッジなし)」あるいは「外国REITインデックス」。どれを選ぶのかも含めて、自分で考える部分を作ろうと思う。言いなりになるのは簡単だけど応用できないしね。なぜてめえの買っている「新興国インデックス」が入ってないかって? いい質問ですがその答えを書くにはこの余白は狭すぎるわ(by フェルマー)。
2014年09月16日(火) |
いやあ今日はほんまに腹が立ったわ。 |
あまりネガティブなことは書きたくないのだけど、こういう場で愚痴らせてほしいわ。
専門的な治療が必要で、ご本人のたってのご希望でてめえの出身じゃない大学に紹介した患者さんがいる。もともとこの大学の色んな科にかかっていた方で、てめえの専門領域だけてめえのところに縁があって転医して来た方だった。
その専門科の治療中に、投与している薬の副作用と思われる症状が出現したので、てめえは薬物の血中濃度まで測定して過剰であることを示した上で、その薬を中止した。次回の受診までその薬を続けるのは患者にとって不利益でしかないと判断したからだ。
その経過や検査結果などを添えた紹介状を渡して患者さんを受診させたのだが、その返書が常軌を逸していた。まあ、簡単に要約すると「頼まれて診てやっているのに勝手に薬を中止するなゴルア!」であった。
しかも診察室で、患者さん本人にてめえの施設とてめえと、こんな紹介状をのうのうと持ってきた患者さん自身を「その面下げてこんな手紙を持って来たんや」と口汚く罵ったらしい。患者さん自身はあまり多くを語らなかったが、奥さんは「いつもちゃんと診てもらっている医師と病院をぼろかすに言われて、悔しくて眠れない」と泣いた。
しかし残念なことに、これは珍しいことではない。あの大学に紹介して、もう頭がおかしいとしか思えないような対応をされたことはよくあるのだ。だから、正直なところてめえは関わりたくないし、今後も患者自身の希望がない限り積極的に紹介する気はない。てめえに命を預けてくれる、物好きではあるけれど大切な人たちの命を預ける気はない。
転医した方が良いだろうか、と患者さん自身からも相談を受けたが、同じ大学の他の科にかかっていることや、患者さん自身の自宅からのアクセスの良さもあり今しばらく続けた方が良いのではと考えた。単にてめえがそう考えただけではなくって、長年その病院を受診している患者さん自身から「そう言ってほしい」オーラがあったのだ。そんなわけで、てめえからは「大変申し訳ありませんでした、今後ともよろしくお願いします」という手紙を送っておくから、と提案した。まあ理不尽には違いないが、そうするのが一番丸く収まると判断した。
「権威」を勘違いする人間というのはどこにでもいるものだ。そう言う人間は、顧客が次々とやってくることを「てめえの腕」と勘違いしがちである。実際には、大学(あるいは一般社会で言うと会社)の看板にやって来ているにも関らず。そして本当に素晴らしい人はどんな場所にいても権威的にはならないものだ。そう、本物の「選良」とはそういうものだと思う。
その後しばらくは平穏な日々が続いたが、新たに投与された薬で今度は患者さんが食事をとれなくなった。副作用に「食思不振」と書いてあったこと、患者さん自身が内服を続けることを拒否したため、再度中止した上で早めに受診することにして予約を取り直した。これが先週の話。
…そして今日。再度「何度も勝手に薬を止めるのなら、どうぞそちらでご勝手に好きなように治療をすれば」と言う内容の紹介状を持って、患者さんの奥さんがやって来た。とうとうこの方は、専門家であるという誇りも捨てたらしい。
「しかも、勝手に予約取り直しやがって、こっちは忙しいんだ! 何を考えてるのか!」と怒鳴られたらしい。そして再度てめえの施設とてめえと患者さんを口汚く罵る彼に、さすがに今回は患者さんが切れたそうな。まあ詳細は書かないが、内容を聞いてててめえがすかっとしたわ。こうして、この大学は今日も善良な府民の支持を失ったというわけでした。
しかしこのお方、医師として以前に人間としてどうかと思う。が、実のところそう言う人は彼だけではないのだ。ほんまに変な人というか集団とは関わりたくないわ。そして変な人がいる(しかも複数)と言うのはだいたい集団の問題。今後も出来るだけ関わらずに生きて行くわ。
2014年09月12日(金) |
iPhone6とApple watchが発表されたぜ! |
とうとう待ちに待っていたappleの新製品が発表された。
iPhone6に関しては、正直あまり興味がない。理由はその大きさで、今の大きさがちょうど良いと思っているから。出来れば片手で操作したいのだ。まあ、実物が出回るようになれば実際に触ってみてから考えようかと思う。逆にバッテリーがさらに持つようになるというのはそれなりに魅力だが、今はほぼMacBook Airとのペアで使っているのでバッテリーで困ることは実はほとんどない。
さて問題はApple watchの方。ジョブスが亡くなってから初めての新製品でもあり、かなり楽しみにしていた。ただしプレゼンテーションを見る限りはまだ魅力がよくわからない。でもappleの製品だから思った以上に楽しいのだろうな、という期待はある。さて、どうしようかな。
てめえは腕時計が嫌い。靴下と同じくらい嫌いかもしれない。身につけているとどうも落ち着かず、気が付くと外してしまう。
そんなわけで、てめえは昔から懐中時計の愛用者だった。懐中時計の、てっぺんにあるボタンを押してぱかっと開いて時を確認する。これが好きだった。
時代は流れて、てめえも携帯電話を持つようになった。てめえの懐中に時計も電話もどちらも入れるのは結構かさばるので、気が付くと電話を時計代わりに使うようになった。
社会人になってから、アクセサリーだと割り切って腕時計を買ってみた。ていうか、仕事で使うのだ。脈拍數を測ったり、あるいは死亡宣告時に時間を確認したりするときに、携帯電話ではちょっとまずい。
でも、やっぱりダメだった。まあ、腕時計がなくても院内には至る所に時計が設置されているので実はさほど困らなかった。
そんなてめえがApple製とはいえ腕時計の購入を検討しているなんて、自分的には大事件だぜ。いやあ実際に発売される来年まで悩み倒してやる。
はい、朝日新聞終了。あまりの捏造とねじ曲げのオンパレードにもはや東スポの方が信頼できるレベル。お金をとって紙面に嘘を連ねるくらいなら宇宙人の話題でも書け。ていうか、国益を損ねていないだけ東スポの方がマシだろ。
朝日の従軍慰安婦問題は日本政府と国民(←ここ重要)に莫大な損害を与えた。今回の「吉田調書」はそこまでではないが、経過を見ているとこれは「報道機関としての根幹を揺るがす問題」としか思えない。
せめてもの良心があるのなら、全世界にてめえらの報道で起こした誤解をきっちり解いてから(これ必須)とっとと自主廃刊してほしい。未だに頭のおかしい連中は、世界中で慰安婦の像を建立し続けてるぞ。もはや根拠を失ったというのに。
きっちりと取材をしないまま嘘を紙面に垂れ流したことも問題だが、一番恥ずかしいのは、今回政府が「調書」を公表すると言って初めて記事の取り消しと謝罪を行ったこと。調書を公開しなければ、朝日はいつまでもてめえの過ちを認めなかっただろう。これがいかに恥ずかしいか自覚がないのだろうなとも思うわ。
「珊瑚礁KY事件」 「慰安婦捏造問題」 「吉田調書ねじ曲げ事件」
これら全部朝日やで。もう体質的なものとしか思えないわ。人間やったら、パパの精子とママの卵子が出会うところからやり直さないとダメなレベル。
てめえは明らかに左側の考え方の人間だが、イデオロギーで事実をねじ曲げるつもりはない。事実は事実だし、科学的に考えておかしいことはおかしいのだ。なので以前から慰安婦問題など存在しないと思っていたし、南京大虐殺もない。
だってそうでしょう。慰安婦(に限らないが)の強制連行が存在したのならば、現在の朝鮮半島の南側だけで存在したはずがない。そもそも同じ朝鮮総督府の管轄下にあった、しかもより貧しい朝鮮半島の北側からそう言う話が最近まで(ここ重要)全く出て来ていない時点でおかしくないか? そして同様に日本に併合されていた台湾からも出てこない。満州からもない。なぜ朝鮮半島の南側からしか出てこないのか? そしてその事実をそこに住んでいる人がなぜ疑問に思わないのだろうか。もはや自分で考える力というか習慣がないのだろう、としか思えない。
少なくとも、朝日は紙面に嘘を書いて、自分の頭で考えられない連中がそれに乗って騒いでいる。騒いでいるうちに科学的な検証もせずに本当のことだと思い込むようになった。朝日新聞はどうケツを拭くのか、世界中に建立された慰安婦像をどうするのか。まずはそこからじゃないかと思う。せめて慰安婦像の横に「この像はてめえのついた嘘で建てられてしまいました。sex slaveの根拠はございません」という土下座像でも作ってほしいわ。
2014年09月08日(月) |
今日もよく働いたぜ。 |
いやあ、今日もよく働いた。最近は「ご指名」が多いのは気のせいだろうか。プロとしてはとてもありがたいが、報酬には全く反映されないのが残念だ。
ようやく外来が終わったのが午後3時過ぎ。受付は11時半までなので、最後の人は少なくとも3時間以上は待った計算になる。
「すみませんお待たせして」とこちらは恐縮するが、先方も「いやそちらこそ大変ですね」と慰めていただける。まあ、こっちは朝一番に診察室に入って以降食事も水分も摂らずに仕事してるからね。トイレにも行ってないぜ。
やっと全ての診察を終えたと思うと、診察室の外では製薬会社の営業が山盛り待ち構えていた。
1件目は、担当の交代と院内勉強会をしたいという希望。朦朧とした頭で名刺交換をし、院内勉強会の日程調整を行う。
2件目。これも新薬の案内と、院内勉強会の日程調整。窓口になっているのでまあしゃあないけど、外来のあとはほんまに勘弁してほしい。
3件目。てめえの好きな製薬会社なのでほっとする。この会社は、本当に面白い薬を作るので好き。今回は、自社の薬を使っている患者さんの使用調査的な話。これもこの会社に特徴的で、自社の薬を使っている人を詳しくフォローする会社は他に知らない。他の製薬会社はほんまに見習ってほしいわ。使え使えとけしかけて、実際に使ってみても「どうでしたか」とは聞いてこないうえに、他の新薬をまた勧めてくる。そうじゃなくって、ちゃんと自社の薬を使っている患者さんをしっかりフォローせいと言いたいわ。
「うちの薬使っている患者さん、その後どうですか?」と聞いてくる会社は好き。てめえのところに来る会社は2社しか思い当たらないけど。patient-orientedじゃないと会社は長持ちしないぜ。
ナースから聞いていた3社の面談を終えて、やっと書類仕事にうつれると思ったその瞬間。診察室の扉をノックする音が。
いや、実は3社目を見送ったときに、待合室にスーツ姿がもう一人いるなと思ってたの。でも手続きも経てないし、そもそも製薬会社の営業ではないかもしれない。製薬会社なら、社会人なら常識はあるだろうと思ってさくっと無視した。
てめえ的には、さっさと書類を片付けて次の職場に行かないとまずいのだ。昼飯も食べていない状態で、午後からの研修医指導に急いで向かっても4時は過ぎる。そして勤務時間は5時まで。てめえを待つ可愛い研修医の顔が浮かぶ(ちょっと嘘)。
でもまあええわとあきらめるのがてめえなんだろうな、とおもった。何となく全部ひらがな。
この営業、営業としては最低だった。ノックで突入しててめえの仕事を妨げただけではなく、結局何をしに来たのかわからなかったからだ。
「今日はどういったご用件でしょうか」 「ええと、ずっと当社からの訪問が出来てませんで、ご挨拶をと思いまして」 「会社名をまだ伺っておりませんが?」 「すみません、○○と申します。貴院では●とか△といった薬をご採用頂いてございます」 「(前に訪問あったっけ?)そうですが…。今日はご挨拶頂くだけでしょうか?」 「いえ、実は当社から新薬が出ますので、一度勉強会をお願いしたいと思いまして」 「(なるほど、まあ良くある話ですね)じゃあ、いつがよろしいですか?」 「実は販売日がまだ未定で」 「(?)いつ頃承認されるのでしょうか」 「早くても来年ですね」 「(なんで今日来たのだろう? 承認されていない薬の勉強会をしても、誰も来ないぜ)ええと、じゃあ勉強会はどうしましょ?」 「また、時期が近付いたらご相談させてください」
はあ。今日はいったいあなたは何をしに来たのですか。てめえに御社の悪印象を付けるために来たのか。余計に疲れたわ。
全く準備されていない様を見るにつけ、無茶ぶりする上司に「最近放置していたあの病院に今日は突撃してこい」と言われたのかもな、と妄想を働かせつつ、それはさすがに優しすぎるわとか思いつつ。もうどうでもええわ。
午後の職場に着いたのは午後3時55分。4時からその職場で会議に参加しないといけないと知ったが無視してやったぜ。ワイルドだろ。
2014年09月07日(日) |
今日の一日/梅を干す |
今年は不思議な天気が続いた。梅雨のあとも、西日本にはひたすら雨が降り続けた。おかげで梅が全く干せなかった。
今日、ようやく天気の日を迎えたので、朝から梅を干した。干したところから一斉に梅のいい香りが広がった。
気分が良かったので、そのまま朝ラーメンでも食べようかと京都駅にバイクを走らせたが、早朝とは思えない大行列に心を折られてそのまま帰宅。まあ、並んで食っても良かったのだが、そうすると親父の朝食に間に合わない訳で。間に合わないとこれまた色々と面倒な訳で。
結局京都駅まで早朝のバイクドライブしただけに終わり。帰って親父の朝食を整え。
昼はケッカ風のスパゲッティと近所のパン。たまらずブルゴーニュワインを空けた。しかし今日のワインは外れだった。不味いピノノワールは結構悲惨やわ。まあ、これも勉強やな。
そんなわけで、体もぽかぽかになったので、近所にかき氷を食べに行った。これが意外に旨くてびっくり。量も多くて、最後の方は味がわからんかったわ。
今日は玄米を炊く日と決めていたので、玄米に梅酢を入れて炊いた。今日は弱火で30分+強火にしたら5分くらいで沸騰したので、へたれて再度弱火にして10分、それから20分蒸らした。
玄米を楽しみに食べたが、まあ普通に旨かった。と言うのは、梅酢を加えた意義があまり感じられなかった。今日は2合に塩分濃度15%で漬けた梅酢を大さじ1加えたが、梅の香りも塩気も感じなかった。
加える梅酢が少なかったのかもしれない。あるいは、てめえ的にはむしろ炊いたあとに梅酢を加えるべきだったような気がする。そんなわけで、今度は炊いたあとに混ぜ込んでみるわ。
サンマが安くなっていたので人数分の焼きサンマと、親父の大好きな焼き茄子。あとは近所の朝取りモロヘイヤ。
てめえの住んでいるあたりは、鷹峯や上賀茂から農家のおばちゃんが野菜をリアカーに積んで売りにくる。すぐきも漬けたものや中途で摘み取ったすぐき菜なども売ってくれる。
タイミングが合わないと買えないが、そういった文化のせいかてめえの住む地域の八百屋やスーパーでは京野菜を優先的に扱っていて助かる。
モロヘイヤもその一つで、もともとてめえは好きなのだが、地元のモロヘイヤはとても柔らかい。今まで買っていたものは茎が固いので一つ一つ葉を摘んでいたのだが、朝摂ったばかりのモロヘイヤは茎まで柔らかい。
このモロヘイヤは、そのまま茹でて叩いて、鰹節と醤油で和えてもいいし。エジプト風にニンニクを利かしたスープにしても良い。前者は出汁も加えて濃い味にして、そのままご飯に乗せれば「モロヘイヤ丼」になる。後者は太秦時代によく作った。このときは近所に鶏専門店があり、安くでガラをわけてもらっていたのだ。
時間さえあれば、安くでもらったガラをコトコト煮れば良い出汁が出る。煮ている間に麺を作ったり、面倒くさければそのまま鍋にしたり。今考えたらいい時間を過ごしていたと思う。
今住んでいるところはガラは手に入りにくい。太秦まで買いに行く気にはならず、従ってどうしても和風になってしまう。
2014年09月06日(土) |
もう古い話になるが新さんま/コレステロールとか |
新さんまが出て来たので、新鮮なものを買ってなめろうにした。さんまが出て来ると秋が来るということを実感する。てめえはアル中なのでまずはなめろうにしたが、他の料理もしばらくは色々と楽しめそうだ。
と、言う文章を書いてから2週間くらい放置してしまった。上記の文章を書いたときは新鮮な新秋刀魚も400円くらいだったが、今日は100円に落ち着いていた。
今は文章を書くということに対するモチベーションが著しく低い。本業の仕事が急に増えたことや、親父が落ち着かないことや今にも危ない祖母のことや誰にも言っていないビンボー学生ないとこの件や処分しなければならない実家の件など他に考えなければならないことが山盛りあるからということはよくわかっている。
忙しいときは、決まって呼吸が浅くなっている。ゆったりと呼吸する余裕が体にも頭にもないからだろうなと思う。呼吸が浅いとどうしても体の末梢が低酸素状態になるので、体中がだるくなる。酸素が行き渡らないと末梢に乳酸も貯まる。ああ良くないなあと思う。
「コレステロールが高いですよ」 「血圧が」「尿酸が」
と、まあ色んな人が外来に訪れる。
大学では、なぜコレステロール値や尿酸値が高くなるのか、と言うことを生理学的に勉強した。コレステロールは体内で生産されるのが多くて、その合成経路はこうで、したがって合成経路を阻害する薬を投与しなさい。いわゆる「スタチン」と呼ばれる薬たちである。
この薬は本当に良く効く。「食事指導なんてする必要がないんちゃうか」と勘違いするレベルである。しかしそうではなく、この薬の効き目は「コレステロール摂取を制限するのではなく、体内合成を阻害することが効果的である」ということを教えてくれている。
尿酸もしかり、どうして尿酸が合成されるのか、と言うことを生理学的に学ぶ。そして合成を阻害する薬を投与しなさいと。
しかし、その材料を減らしましょう、というのは学ばないのだ。
コレステロールなんかは、その多くは体内で合成される。従って、コレステロールを多く含む食品を避けるということは、実はあまり意味がない。ものすごく高い人は意味があるかもしれないが、そうでない人にとってはあまり意味がない。
そもそもコレステロールを多く含む食品を摂取しても、腸管が一定以上は吸収しない。
そうではなくて、最も大切なのは原材料をとらないことである。飽和脂肪酸を避けること、炭水化物を、特に夜には摂らないこと。これだけで実はずいぶんと違ってくる。
と言う話を始めようと栄養の話に入ると、いつもてめえを遮るように言われる言葉がある「結局、肉を止めて野菜を摂ればいいんでしょう」と。みなさん判で押したかのように同じことを言う。なんでそうなるの、と思うくらい。
なんでそうなるの。
仮に「肉を止めて」を理解したとして、代償になるのは同じタンパク質でしょ。野菜のみでタンパク摂るとしたら大変な事になるで。じゃあ肉の代わりのタンパク質はどう考えるのか問いたいわ。
この辺りで猛烈に面倒くさくなって来たのでまた今度。
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