「オペ室に外科用の縫合セットがあったやろ、あれ持って来て。それと血圧計も持って来て」 上司はそう看護師に指示した。
血圧計はすでに看護師が持参していたのがあったので、それを上司は受け取ると、彼女の上腕にマンシェットを巻き付けて勢いよくポンプから空気を送り出した。
腕に巻いたものにその人の血圧より大きな圧をかけると血管は完全に閉塞する。そして、血圧計の圧表示が150を超えたところで、彼女の腕は血の気を失い完全に真っ白になった。
腕が真っ白になったことを確認して、てめえはゆっくりと破裂した血管から指を離した。血流は完全に途絶されており、そこからは一滴の血液も出てこなかった。ちょうどそのときに、手術室から外科用の縫合セットが病室に届いた。
「長時間このままだと腕ごと壊死するから、さっさと勝負をつけようか」
そう言って、上司はてめえに外科手術用の手袋を渡した。
「こういうの、得意やろ? 俺はもう歳でうまくやれる自信はない。今のうちにとっとと縫ってくれ」
そこまで言われればやるしかなく、てめえは手術着に着替えて外科用の手袋を嵌めた。そして縫合セットから出来るだけ細い糸を選び、針の先に装着した。
そして慎重に、裂けた血管に針を通す。一方の血管壁に糸を通し、もう一方の血管壁にも慎重に糸を通した。
後は縫うだけだ。
ゆっくりと結び目を作り、血管壁と壁を合わせようとしたが、残念なことに縫合した糸は血管壁を容易に裂いた。
できるだけ丈夫そうな部位を選んでも同じだった。長年の宿痾を抱えていた彼女の血管は、すでにぼろぼろだったのだ。
タイムリミットは近付いている。いったん血圧計の圧を解除し、血流を回復してから再度圧をかけるという方法もない訳ではないが、結果は見えている。
血管を修復するのは不可能だった。しばらく考えて、てめえは血管の周りにある皮膚を寄せて、裂けた血管を覆うように強く縫い込んだ。
縫い込んだ状態で、いったん血圧計の圧を解除する。縫った部位から血が吹き出るようなことがあればやり直しだが、傷口から滲む程度で出血はほとんどなかった。
念のために、団子状にしたガーゼで圧迫し、弾性包帯をぐるぐるに巻き付けた。
「…あとは祈るだけや」
と上司は言った。てめえも全く同じ気持ちだった。その頃には輸血も届いていたので輸血を開始し、血圧などが安定していることを確認して家族を呼んだ。
「なんとか止血は出来ましたが、状態は非常に厳しいです。おそらく今日明日あたりが山でしょう。呼べる家族はみんな呼んでください」
とてめえは説明したが、目の前で動脈の破裂を見た家族は未だ放心状態だった。
その間にまるっと放置していた他の患者の処置や投薬の指示を終え、結局その日の仕事が終わったのは午後9時を過ぎていた。一通りの仕事を終えたてめえは、彼女の病室に向かった。
病室には溢れるくらいの人がいた。彼女は静かに眠っているようだった。人をかき分けかき分け彼女のそばに立った。裂けた動脈は、しっかり止血されているようで弾性包帯には血が滲むこともなかった。
親指の付け根にある橈骨動脈をそっと触れてると、しっかりとした拍動を感じる。動脈を完全に閉塞しているのではなく、血流もちゃんと通っている、ということだ。病室に置かれたモニターを見ても、血圧も脈拍も安定していた。今のところは安定しているようだ。よかった。
「今は、安定しているようですね」
と、てめえは振り絞るように言った。
一通りの診察を終えて病室を出ると、キーパーソンの娘さんも一緒に病室から出て来た。
「さっきは動転してしまったけど、ちょっと時間も経ってやっと落ち着きました。ここまでしていただけて、皆様にはとても感謝しています。でも、母もよくがんばった。もし次に何かあれば、もうそのままにしていただけませんか。勝手なことを言いますが、これが私たち家族の総意です」
そうだろうな。とてめえは思った。このご家族さんは、非常によく母のことを理解されておられた。だから最期は、という意思は、痛いほどに理解できた。
わかりました、とてめえは言った。そう、よくがんばった。
そう思い、もう一度病室の中を見た。多くの家族に囲まれて静かに眠る彼女の寝顔は、苦しみなどもうすでにどこにもないような穏やかな顔をしていた。
それから彼女はひたすら眠り続けた。家族の希望で、週3回の透析も中止した。「母は誇り高い人であり、もし意識があったらこの状態で透析を続けることに同意するとは思えない」との娘さんの意見を汲んだのだ。
それからきっかり1週間後、家族に見守られながら彼女は息を引き取った。ちょうど、桜が満開の季節だった。
それからしばらく経ったある日、娘さんが病院を訪れた。娘さんはとても穏やかな表情だったので、てめえも安心した。
「あの亡くなった日ね。病院を出て、鴨川沿いに母を乗せた車を走らせたら、桜がきれいでね…。お母さんはこれを見るために、血管が破裂してから1週間がんばったんだと気が付いたんです。なんせ、桜がとても好きな人だったから。このタイミングで病院を出たかったんだねって、みんなで帰り道に笑って…。変でしょ、亡くなったばかりなのに。でもなんだか可笑しくてね」
と娘さんは笑った。
しばらくはとりとめもなく彼女の思い出話をした。
そうそう、今日は先生にお礼を持って来たの。と、娘さんはタッパーを取り出した。タッパーをあけてみると、その中には「ぜいたく煮」が入っていた。
母の得意料理でね、母の味を再現してあるからぜひ食べてね、これを先生に食べてもらうのが母の想いだと思ったの。それとタッパーは返却不要なので適当に有効利用してね、と娘さんは笑った。
少し前の話だが、上司に「病状的に難しい患者さんがいるので、自分の代わりに診てほしいのだが」とお願いされた患者さんがいた。上司が長いこと診ていた人だったので、なぜてめえに投げたのかよくわからなかったし、今もわからない。上司の手に余ると判断したのか、てめえの手腕を試そうとしたのか。前者の訳がないので、おそらく後者だろうとは思う。
80歳くらいの女性で、腎機能は既に廃絶しており、週3回の透析が必要な方だった。人工透析も長いこと受けておられた。それだけではなく、肝機能も悪く常に腹水が貯まっていた。いわば難病をいくつも抱えている悲惨な人生だったが、ご本人はとてもポジティブな方で、透析をしていない日は積極的に人生を楽しまれていた。友人と遊びに行ったり料理教室もされたり、その他多趣味な方だった。
もちろんてめえが受け持った時はそんな多趣味であることなどは知らず、度重なる入院生活で話を聞く中で知ったことだった。患者生活も長い彼女は、若いてめえに最初こそ警戒心を隠さなかったが、治療計画などを説明するうちにどんどんと打ち解けて行った。
ご本人が最も悩まれているのは腹水だったので、まずはこれをどうするか相談した。お腹がぱんぱんで、遊びにも行けないの、と彼女はこぼした。80超えてたらもうええんちゃうの、とはてめえは言わない。こういう人にはとことん遊んでほしい。
まずは腹水の性状を確かめさせてほしい、とてめえは言った。さっそく彼女のお腹に太めの針を刺し、腹水を摂った。
その腹水を検査に出し、分析する。肝臓が原因の腹水なので悪性ではないことはわかっていたが、意外と栄養成分が多かった。
栄養成分がなければ、単純に貯まれば抜くという方針でいいのだが、栄養成分がリッチなのであれば、腹水を抜けば抜くほど痩せていく。
そんなわけで、治療方針は決まった。出来るだけ腹水を抜いて、純粋な水分だけを取り去って、栄養成分だけを点滴で彼女の体内に戻す。
いったん体外に出た成分を戻すのは、自分の一部だったとしてもそれなりの危険を伴うのだが、彼女はこの方針に賛成された。
月に1回入院して、1泊で腹水を抜いて栄養成分だけを戻すという治療を行うこととした。1泊するのは、副作用が出ないかどうか確認するためだ。そして副作用がないことを確認して、ついでに透析も受けて家に帰る。
そしてしばらくはこの治療は著効した。体内に栄養成分を戻すことで腹水も出来にくくなった。不安気味だった彼女が、笑顔を取り戻すのにさほど時間はかからなかった。
毎月ルーチンワークのように入院するというのに、彼女はいつも笑顔だった。 「入院して治療を受けると、いつも元気になるの。ありがとうね」 と彼女はいつも言った。
腹水治療のための入院中に彼女から色んな話を聞いた。てめえは治療と関係ない話が好きで、治療に関係ない話が多いほど、治療関係としては成功していると思っている。治療に関係ない話をしない医師も多いが、それだとてめえは仕事を続ける自信がない。
しかしあらかじめ予想していた通り、腹水は増えて行った。月一回では間に合わなくなり、彼女は月2回の治療を希望した。それはもちろん受け入れられる範囲だったのだが、この治療は保険上、月2回までしか出来ないのだ。
だから2回まではできるのでは、と思う医師と、2回以上必要になればどうしようか、と思う医師に分かれると思う。てめえは後者で、今後のために次の治療を考えませんか、とてめえは彼女に言った。
それまでの入院治療で副作用が全く生じず、回診のときにも医療と関係ない話題で盛り上がっていたてめえを、彼女はとても信頼してくれていた。
今まで通り、保険で出来る範囲の治療を続けるか、あるいはリスクはあるが別の治療法を試すか。どうしますか。
「私は今まであなたを信頼して治療を受けて、その結果にとても満足している。この数ヶ月、本当に充実した人生だった。だから、あなたの選んだ方針であれば、それを受け入れます。」
と、彼女は言った。
人の人生を受け入れるのは非常に困難である。今まで通りの治療を続ければ、緩やかに悪化はして行くが今まで通りの人生は難しい。別の治療法を選択すれば、リスクはあるが今まで通りの人生を続けられるかもしれない。
そして、てめえは後者を選択した。
後者の治療には手術が必要だった。内科医であるてめえは手術を出来ないので、最も信頼している医師に手術を依頼した。手術の段取りだけを決めて、彼女はいったん退院した。
ここからは娘さんに聞いた話。いつも遊びに行く時のように、彼女は手術のための入院日に「じゃあ、行ってきます」と軽快に歩いて家を出たそうだ。
そしててめえの勤務しない別の病院に入院し、手術は成功した。
手術は成功したが、術後に様々な合併症が出た。先方の病院も手を尽くしてくれたが、意識状態が戻らないままてめえの病院に転院となった。
転院されて来たとき、引き継いだてめえは彼女のあまりの変わりように驚いてしまった。難病をいくつも抱えていたにもかかわらず元気に過ごしていた彼女。しかし手術の合併症で、彼女は意思疎通も出来ず寝たきりになっていた。いわゆる、予想できた中では最低の結果。
最終決断をしたのはてめえなので、てめえは家族に心から詫びた。もちろん、そんな筋はないが、本当に申し訳ないと思ったのだ。家族はてめえを責めることはなく、治療の選択は母も納得していたので仕方がなかったと思っていると言われた。
なんとか病状が好転することはないだろうかと、てめえは出来る限りのことをしたが、日に日に病状は悪化する一方だった。
そんなある日、病棟で仕事をしていたてめえのPHSが鳴った。 「血管が破裂したんです、今すぐ来てください!」
呼ばれた病室は彼女の病室だった。血管が破裂? って良く意味が分からんが、と思いつつ、てめえは全速力で病室に向かった。
病室では看護師が必死に腕を圧迫していた。てめえは使い捨ての手袋を両手に嵌めると、看護師が押さえている部位をそっと外した。
たちまち血が噴き出した。上腕の動脈が何らかの原因で破裂したのだ。てめえは両手で動脈を圧迫した。吹き出す血は押さえられたが、彼女の顔色はどす黒くなっていた。普段は起きないことが起きるということ自体、もう終わりが近いということを示している。
とりあえず、そばにいた看護師に輸血の準備をするように指示した。「輸血はわかりますけど、この血管はどうするんですか?」と看護師は小声でてめえに囁いた。ふと周りを見上げると、たくさんの家族の方がいた。「とりあえず、圧迫するしかないやろ」と、てめえは言った。
先ほど一瞬だけ見た血管は完全に裂けており、縫合で何とかなるレベルではない。人工血管を置く? それはこの状態では無理だろう。とすると、止血するまで押さえ続けるしかない。しかし避けた動脈が止血するなんて、医学の常識としてはあり得ない。
そうでなくても彼女の生命は長くないだろう、とてめえは考えた。呼吸は今にも止まりそうで、これ以上侵襲を与えることなんて考えられない。
てめえは腹を据えた。息をのんでいた家族に状況を説明して、てめえは出血が止まるまで押さえ続けると言った。
そう話している最中に、病室に飛び込んできた人間がいた。てめえにこの患者さんを丸投げした上司であった。
彼は、居並ぶ家族を確認するとにっこり笑い「少し席を外してもらえますかな」と言った。
患者とてめえと上司の3人になった病室で、彼は先程の笑顔を消した。
「で、どうするつもりや?」 「血管は完全に裂けていてどうしようもありません。正直、時間の問題やと思うので、それまで私は止血を試みます」と、てめえは言った。
「なるほどそれも道理やけど、これが3日続いたらどうする? さっきオーダーした輸血が届いたらしばらくはもつ。君は3日間押さえ続けるつもりか」 「その覚悟でしたが」 「アホか! その間、お前の患者は誰が診るんや? 家にも帰らずひたすら血管を押さえ続けるのか。それは建設的じゃない」 「じゃあどうするのですか」 「俺に考えがある」
と、上司は看護師を呼んだ。
つづく。と思う。笑
2014年07月25日(金) |
コウノドリの5巻が配信されたわけさ。 |
コウノドリの5巻が今日kindleに配信された。4巻までそろえていたてめえは、密かに前から予約していたのだ。そんなわけで、発売日の今日の朝、てめえが起きたらすでにkindleに入ってた。まあ便利な時代になったものだ。
仕事が終わっていろいろやることを終えてから早速読んでみた。このマンガは結構リアリティがあるだけではなく、てめえが産婦人科研修をしていたときのこともリアルに思い出す。
てめえは2ヶ月だけ、なんちゃって産婦人科医をした。「何も知らない研修医」の身分を利用して色々勉強させてもらった。
産科領域に関しては、予測できないことも多くてほぼ毎日病院に泊まり込んだ。てめえのいた病院の方針は「できるだけ実践させる」というものだったので、数例正常出産を見た後は、ほぼ自分が赤ちゃんをとり上げた。
分娩介助をするためには、陣痛が始まったところからずっと妊婦に付き添わなくてはならない。もちろんその前にある程度の人間関係を作っておかないと、妊婦の側から分娩介助に入らせてもらえない。そりゃあそうで、自分の大切な子供は信頼できる人じゃないととり上げてほしくないのだ。てめえは幸いなことに、一例も拒否されなかった。
そんなわけで、正常分娩で約20人の赤ちゃんをこの手でとり上げた。この経験があるので、今でも多分、例えば道端で緊急の正常分娩に出会っても赤ちゃんをとり上げることは出来ると思う。
死産に出会ったことは以前に書いた。産婦人科研修では、それ以外にもう一人印象的な妊婦さんがいた。
奥さんが外国の人だった。ご主人は日本人で、どうやって出会ったのだろうかは全く知らない。妊婦検診の時から良く知っていた方だった。
奥さんは黒人で20代だったと思う。夫は40代の日本人だった。妊婦検診は順調だった。とうとう予定日近くになって、陣痛が起きて夫婦は病院に来院し、入院となった。
奥さんは初産だったので、なかなか子宮口が開かなかった。定期的にやってくる陣痛に、彼女は呻いた。ご主人はずっと付き添っておられたが、途中でリタイア。年のため? かどうか知らんが、最もしんどい妻を横目にさっさとリタイアってなんだろうか。人間はしんどいときに本領を発揮するとは良く言ったものだと思う。
まあ、医療側から見れば正直夫とはそんなものだ。ていうか男ってそんなもので、覚悟が出来ない子供なのだ。
そんなわけで、リタイアした夫の代わりに業務上てめえがその女性に付き添い、ずっと腰をさすり続けた。
陣痛が来るたびに、彼女は躊躇わず痛みに顔を歪め、てめえにさする腰の部位を指示した。俺はあんたの夫じゃないぜ、なんて言いませんよ。
それが何時間続いただろうか。てめえは腰をさすりながら、痛みが引いた時をみて内診をした。子宮口はそれでも開いていない。上級医にも見てもらったが同じ意見だった。これはまだまだ時間がかかりそうだ。
度重なる陣痛の痛みに堪え兼ねて、とうとう彼女は叫んだ。
“kill me! please!”
てめえは「あなたの子供は今この世に出ようとしていてがんばっているんだ、あんたががんばらないとどうするんだ! 生まれて来た子供になんて言うんだ? あなたは愛する子供に会いたくないのか?」と、精一杯の片言英語で言った。残念なことに、最も愛する人であるはずの夫はその場にいなかった。
その後、彼女は泣き言を言わなくなった。夫は気絶したままだった。
それから数時間後、無事彼女の子をとり上げた。元気な男の子だった。生まれた子供を抱きしめ頭を撫でながら、彼女は生まれたばかりの息子に”I love you"と言い続けた。
数ヶ月後、ベビーカーにその子を乗せて、一家は挨拶に来た。気絶していた夫もこの日は付き添っていた。
加賀棒茶があまりに旨かったので、再度手に入れようと考えたのだが、これがまた面倒くさかった。ので、近場で代用できないかと、てめえが愛してやまない一保堂で「くきほうじ茶」と購入して飲んでみた。
これはこれで旨かったのだが、似て非なるものだったのだ。そんなわけで、なんとかネットで購入した。ううむ、やっぱり旨い。今年の夏は加賀棒茶で乗り切るぜ。
日本の国歌は地味すぎることや、ドイツ人の作曲によるもの(別に日本人でなくても良いのだが、国歌の作曲はやはりその国の人の方がよくない?)などからあまり好きではなかったのだが、この歌声にはしびれたというか泣けた。今後世俗に塗れて神の声が失われないことを祈る。
国歌と言えば「ドイツ国歌」。今回ドイツがワールドカップを制してドイツ国歌を聴く機会があったと思うが、実は今歌われているのは3番だけらしい。
1番がまずいのは置いといて、2番が凄い。「ドイツの女性! ドイツのワイン!」て。笑 国歌の尊厳がまるでないし。ドイツの女性ってまず浮かんだのがメルケルやけど。てめえ的には「ドイツのビール!」があればもっとよかったぜ。
しかし歌詞は置いといて、ハイドンの作曲になる曲自体は素晴らしいね。えっ「ハイドンはオーストリア人では?」って?
2014年07月13日(日) |
タミフルとかワールドカップとか。 |
こんな論文を発見。
成人と小児のインフルエンザ患者を対象とした無作為化プラセボ対照試験43件の報告書と規制情報を基に、オセルタミビル(タミフル)の効果をシステマティックレビューで検討。症状緩和までの時間短縮は成人で16.8時間(P<0 .001)。喘息小児では効果はなく、健常児では平均29時間短縮(P=0.001)した。また、肺炎などの重篤な合併症の減少効果も確認できず、服用中または服用後の精神的異常行動、治療中の頭痛、腎機能異常、服用中の悪心のリスクが増加した。
文献:Tom J,et al.Oseltamivir for influenza in adults and children: systematic review of clinical study reports and summary of regulatory comments.BMJ 2014;348:g2545.
BMJという、医師であれば誰でも知っている世界的に有名な大雑誌に上記の記事が載っていた。まあてめえが書き続けてきたことからすると当然の帰結で、こういう記事を日本のマスコミはとり上げてほしいわ。
要は「熱は早く下げるが合併症は減らず、副作用のリスクはある」ということ。もっとぶっちゃけて言うと「クソみたいな薬」ということ。何度も書くが、自分は飲まないし家族にも処方しない。
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今朝も早起きしてサッカー観戦。寝不足の日々ももうすぐ終わると思うと、一抹の寂しさが残る。
ブラジルは、主将のチアゴ・シウヴァが戻って本来の力を発揮するかと思いきや、この3位決定戦も全くダメだった。こんなにダメダメなブラジル代表は見たことがない。3-0という点差以上に内容を圧倒されていた。
ということは、ネイマールの存在がそれほど大きかったということ。彼が負傷しなければ、と思うと残念でならない。
明日の決勝は、きっとアルゼンチンが勝つだろう。戦前の評価は圧倒的にドイツだが、アルゼンチンの万全の守備の前になす術もなく。そしてメッシが今度こそ決めるだろうと思う。そうすればメッシがMVPかな。
しかしアルゼンチン対オランダは凄いゲームだった。両チームともがっつり守って隙を見せない。あれほどの攻撃力を誇るオランダが0点だったんだぜ。結果だけを見ると0対0のPK戦という地味な結果だったが、内容はそれ以上だった。もしアルゼンチンが負けるとしたら、この激闘による疲労のせいとしか考えられない。
そしてオランダのロッベンのパフォーマンスは凄かった。まさに切れることのないスタミナを見せつけられたわけで、無敗(PK戦は、記録上は引き分け)で終わったオランダはアルゼンチンに勝っていれば優勝もあり得ただろうと思う。
ブラジル代表の柱だったネイマールと、アルゼンチン代表の柱であるメッシは良く知られているようにバルセロナという同じチームに属している。そんなこと言ったら、ブラジル代表のいぶし銀ダニエウ・アウヴェスも、アルゼンチン代表で、オランダ戦で攻撃に守備にと大活躍したマスチェラーノも皆バルセロナ所属。どれだけやりたい放題やってんねん、バルセロナ。
このバルセロナというチームについてはてめえも大好きなチームなので、いつか詳しく書きたいと思う。
そんなわけで、明日は決勝。
最近毎日Appleの公式サイトにアクセスするのが日課になっている。なんか面白そうなデバイスは出ていないだろうか、と。まるで恋に落ちた中学生が恋い焦がれる彼女のサイトにアクセスするかのように、毎日Appleのサイトにアクセスしている。
そしてある夜、思わずスピーカーを衝動買いしてしまった。前から存在は知っていたし、「今すぐに買わなくてもいいんじゃないか」と理性を働かせて堪えていたのだが、夜というのはどうやら悪魔が降りてくるようだ。気が付いたらぽちっとな。なんか最近こういうのが多いな。笑
そんなスピーカーは、何と二日後にてめえの家に届いた。さっそく試してみたが、これが素晴らしすぎた。もう時代が進みすぎてよくわからんレベル。
まずとても小さい。手のひらサイズ。しかし重みは結構あり、手のひらに載せると意外とずしっと来る。
そして音質が凄い。小さいくせにすげえパワーがある。低温域がしっかりのびている。しかもボリュームを上げても全く割れない。何よりも持ち運び可能で、bluetoothでiphoneたちと繋ぐことが出来る。
つまり、iPhoneに入っている音楽を、屋内屋外に関わらずいつでもどこでも最高の音質で再現できる、ということ。なんと言う時代になったのだろうと思う。
ウィンドウズとはWin95からの付き合いで、それなりに長い付き合いなのだが、今回初めてMacを購入してからその関わりが激変した。本当に、全くWindows機を使用しなくなってしまった。これまで20年近い付き合いだというのに正直もう触りたくもない。家にあるノートパソコンはOSも7だしまだまだ使えるが、使う機会を想像できない。ので、てめえの個人データをきれいに消して、ノートパソコンは弟にあげようと思う。
しかし、よく考えてみれば全く意外なことではなかった。もともと音楽データはiTunesで管理していたし、iPodも初期から愛用していた。そんなてめえがiPhoneやMacに興味を持たなかったのは、よくわからない不安感だったのだろうと今になって思う。未知なるものに対する不安感。そう、今まで通りの携帯電話に、windowsを搭載したパソコンを使っていれば、大きな変化はない。
そんなてめえの転機は言うまでもなくiPhoneであった。本当に興味がなかった。iPhoneに対してというより、スマホに対して興味がなかった。それは単に無知であったことの裏返しにすぎない。
たまたま携帯電話をiPhoneに代えて、正直人生が変わった。まあ、その利点をよく知らなかっただけなのだ。
しかし、このiPhoneの便利さとAppleの製品とは、また別だと考えていた。新しいもの好きではあるが、また一から違うOSでやり直すことを考えると正直うんざりした。
そんな折に、これまたなぜだったのかよく覚えていないがAppleTVを購入した。これがまた便利だったのだ。iPhoneの映像や音楽を、テレビモニターで見ることが出来るということが衝撃的に便利だった。
しかしまだ、この便利さとAppleの製品とは、全く別だと考えていた。
今回、仕事でパソコンに自炊データを入れて持ち運ぼうと思い至った。もちろんその前にタブレットに入れることを検討した結果、amazonのkindlefireを購入したのだが、これがまた思ったより不便であった。この不便さは、マウス操作やキーボード入力の不便さを反映しているだけなのだろうと思ったてめえは、kindleは仕事に使わずに、専ら軽い読書に使うようになったし、その意味では今でも便利に使用している。
さて持ち運ぶパソコンの話。持ち運ぶには軽い方が良いし、バッテリーが良く持った方が良い。そんなわけで、いろんなパソコンを検討した。もちろんはじめはwindows機で検討したのだが、途中でふと気が付いた。appleのありなんじゃないの?
そんなわけで、早速Appleの公式サイトへと飛んだ。持ち運ぶだけなのでDVDなどの再生機能はいらない。そんなわけで、はじめからMacBook Air狙いだったのだが、なんと重さも1.35kg! バッテリー駆動も12時間で、なんとフラッシュストレージ! なんだそれは?
いったん充電すると、12時間使いっぱなしに出来るということは、充電器を持ち歩く必要はないということ。しかも電源をつけっぱなしにしていることはないので、数日は持つ計算になる。なんとiPhoneよりも持ちがいいやん。笑
そんなわけで、感動のあまり衝動買いしてしまった。その感動は以前に書いた通り。
今日は長いがまだ書くぞ。笑 いつもiPhoneと繋げてネットに接続しているが、その間ずっとiPhoneを充電してくれるので、使っているとあっという間に減って行くiPhoneのバッテリーを気にすることがなくなった。これは意外な副産物で、とても助かっている。と言うのは、今まで仕事でもiPhoneを使うことが多かったのだが、バッテリーが半日も持たず。充電器を常に持ち歩く必要があったからだ。
そんなわけで、今後はMac中心で生きて行くわ。もうwindowsには戻れないわほんまに。弟に差し上げるために、今まで愛用していたノートパソコンの整理をしているが、立ち上がりやレスポンスの遅さなどなどに本当にイラっとする。使っている時はわからなかったのだが、一度Macの便利さを知ってしまうと本当に戻れないな。
例えば。
windowsの場合は、不要なプログラムを消去するためには「コントロールパネル」から「プログラムのアンインストール」を選んで、その中のプログラムを選びアンインストールしていた。これが当たり前だと思っていたのだが、Macだと「ゴミ箱」にポイで終了。何だこの便利さは。
ワープロソフトも勝手にバックアップしてくれるので、windowsのように途中でパソコンが固まってしまって、保存していなかったデータが飛んでしまい泣くこともない。何だこの便利さは。
急に用事が入って、パソコンのカレンダーに予定を書き込むと、あっという間にiPhoneのカレンダーに反映される。しかも予定直前にはiPhone上で知らせてくれる。何だこの便利さは。
パソコンでiTunesで曲を購入したら、その瞬間にその曲が自動的にiPhoneに入っている。何だこの便利さは。
パソコンのSafariで開いていたウェブページの続きを、iPhoneで読むことが出来る。そう、iPhoneのSafariに反映される。何だこの便利さは。
まさか自分がMac使いになるなんて夢にも思っていなかったので、自分が一番驚いているぜ。やっほー。
2014年07月09日(水) |
沖縄の人たちは、大丈夫。ブラジル歴史的大敗。 |
沖縄の人たちは、大丈夫。
ものすごい台風が沖縄を通り過ぎて行った。強風で特別警報が出て、いったん解除されたにも関らず、その次には50年に一度という大雨で、なんと二度目の特別警報がその日のうちに出た。
てめえも職場では「沖縄が大変なことになっていますね」とか「沖縄の友人さんとか大丈夫?」と聞かれたりしたが、沖縄の人は大丈夫。てめえはそのことを良く知っているので、実は全く心配していない。
沖縄の人はある意味「緩い」し、「テーゲー(適当)」である。南国らしく深く考えず、その緩さがこれまた何とも言えない良い空気を作っているのだが、この人々はこと「台風」となると全く別人のようになる。
台風が来る数日前から食料を買い貯め、家に不安があればあらかじめ直しておく。そして一度台風がやってきたら、絶対に家から出ない。絶対に。田んぼも見に行かないし船が流されようが見に行かない。そんなことをすれば、たちまち命に関わるということを知っているからだ。
船は流されても最悪また買えば良いが、命は戻ってこない。停電しても、たとえ食料が尽きても(そんなことはまずないが)絶対に家から出ない。これは沖縄人のDNAに深く刻み込まれているのだ。
今回避難勧告が大々的に出ていたが、ほとんどの人は避難しなかった。多良間のようにあえて避難勧告を出さなかった自治体もある。そう、「台風の時は家から出てはいけない」のだ。そもそも沖縄では台風に耐えられない家は建てないし、仮に建てたとしても台風が来ると淘汰される。無機質にすら見える沖縄のコンクリート建築は、実は台風に備えた「要塞」なのだ。
具合が悪くなっても救急車も呼ばない。呼べば救急車自体が危険に晒されるし、その車に乗って行く自分も危険に晒される。そんな危険な賭けは誰もしない。救急車の中で死ぬのなら、自宅で死んだ方が良い。
もちろんコンビニも閉まる。県内は全て出勤禁止である。例外は医療機関と警察くらい。
医療機関も「出勤」しない。台風番を決めて、あらかじめ泊まり込む。看護婦さんも3交代分泊まり込むので、臨時の「ナース宿泊所」が院内に作られる。そして台風が行ってしまうまで誰も病院に出入りしない。
てめえの同期は、台風の時に非番だったのだが、病院の様子が気になってなんとか出勤しようとした。彼の家から病院まで、直線で100メートルもなかった。
まず彼は沖縄以外で見るように、傘をさして外に出ようとしたが、傘は全く役に立たないばかりか、傘を閉じても暴風のため立つこともままならない。
合羽を着込んで匍匐前進でなんとか前進しようとしたが、暴風だけではなく雨も凄く、視界を遮られていったいどこを進んでいるのかもわからない。
ガレージまで行けばクルマに乗って出勤できるかもと思ったが、そもそもほんのわずかの距離しかないガレージまでたどり着けなかった。
どこまでも律儀な日本人である彼は、仕方なくいったん仕切り直しをし、家に帰ってタクシーを呼んだ。ようやくつながった電話の向こうからは「本日は台風のため、業務を停止しております」という録音された声が流れてきて、ようやく彼は出勤をあきらめた。
このように、沖縄の人は台風に関しては本当に徹底している。だから、彼らは大丈夫。
数年前にも大きな台風がやってきた。沖縄では一人の死者も出さなかったが、そのあと上陸した九州では死者を出し、進路を変えて上がって行った朝鮮半島では100人以上の死者が出たらしい(北朝鮮国内での正確な死者数は不明)。
勢いが弱くなるにつれて被害者が増えるのは。これは本当に、備えに対する意識の違いだと思う。最も勢力の強い沖縄では誰も死なない。しかし、他のところでは「様子を見に行く余裕がある」だけ、犠牲者が出てしまうのだろうと思う。だって、沖縄の台風は本当に外出できないからね。
今日のブラジル戦は衝撃映像だった。ほんまに言葉を失ってしまった。
試合前に、ブラジル代表メンバーが、ネイマールのユニフォームを抱きしめ国歌を歌っていたところでは不覚にも泣いてしまったが、その後の試合展開でも涙が止まらなかった。ていうかなんだこの「悲惨な戦い」は。あまりにも酷いものを見てしまった。
途中で見るのを止めようかと思うほど、ブラジルにとっては惨めな戦いだった。しかし、てめえは最後まで観てよかったと思う。後半は少し希望が見えたし、それは3位決定戦に生きるだろうと思う。観客も悪態をつくだけではなく、あれだけ容赦なく叩きのめされたドイツ代表にもちゃんと敬意を払っていた。これを観ててめえはサッカーファンで良かったと心の底から思ったぜ。
なぎら健壱「悲惨な戦い」
2014年07月04日(金) |
ベトナム ホーチミン Nhu co bac hotrong ngay vui dai thang |
初めてベトナムに行った時のことは、どこかに詳しく書いたような気がする。とにかく毎日が楽しかった。
空港の免税店で、テレビや冷蔵庫などが主力で売られていたこともびっくりしたし、医薬品を税関に通すために賄賂を必要としたのも驚いた。全く別の世界に来たと思った。
空港を一歩出たら、じっとりと湿っぽい空気がてめえの体にまとわりついたこと、アジア特有のなんだか美味しそうなエスニックな香りにたちまち包まれたことを思い出す。
初日はサイゴンに宿を取って、夜の街に友人と繰り出した。適当に歩いていると、陽気な少年が「マッサー、マッサー」と纏わり付いてくる。"what do you mean マッサー?”と聞いたら、「マッサージだ」とのこと。このマッサージには二種類の意味があった。一つ目は性的なもの。てめえは全く興味がなかったが、同行した友人はそれなりに興味があったようだ。初めて行った国で、初日に女を買うほどてめえは冒険家ではない。ていうか、外国で女性を買う意味が分からない。
と言うことを同行した友人に語ったところ「まじで? 俺は外国旅行したら必ずその国の女性一人とは"する"ぜ。それが文化を知る一番の方法やろ」と言った。そんな彼はいつも、酒の席では国ごとの「異文化交流」について熱く語った。それがまったく嫌らしく聞こえなかったのは彼の人格の賜物だろうか(棒読み)。
話は飛んだが、二つ目のマッサージ。これはかなり本格的なもので、ごりごりと揉み解してくれるだけではなく、そのあとに「吸い玉」も付いてくる。
少年の「マッサー」は後者の意味だったので、てめえはさっそく青空マッサージを受けることにした。これが個室に連れ込まれると何をされるかわからないのだが、少年は「路上でいいで」と言ったのだ。
てめえは笑い転げる友人たちの前で、上半身裸になってマッサージを受け、吸い玉治療も受けた。ビジュアル的には結構な衝撃映像だったが、そんなことはどうでもよい。
翌日はサイゴンをあとにして、ダラートに向かった。ダラートで一泊し、そこでベトナム人の通訳と合流した。この人はチュオンという名前だったと記憶しているが、とても面白い人だった。ダラート出身で、いつも気の利いたことを言って皆を笑わせた。
チュオンはお酒が大好きで、夜になると皆で酔いつぶれた。「モッ、ハイ、バー、ヨー!(1、2、3、乾杯!)」と毎晩飲み明かした。
飲んだあとは、チュオンを中心にしてみんなで大合唱。最後に歌う曲はいつも、ベトナムホーチミン。
この曲に酔いしれたてめえは、帰りにサイゴンのCDショップでこの曲を買い求めた。歌ってみるとすぐに理解されたようで、「このCDに入ってるわ!」と言われるままにそのCDを購入した。相場よりも高かったことが気になったが、そんなことはどうでもよい。
日本に帰って早速聴いてみたら、全然違う曲が入っていた。ああ、やられた。クソサイゴンめ。まあ、ホーチミンにやられた元南ベトナムの首都であっただけあって、ホーチミンのことが嫌いなんだろうな、と言うことがよくわかったわ。まあ、皮肉にもサイゴン市は、革命後「ホーチミン市」になった。が、市民はみな旧名のサイゴン市を好んで使用している。
去年から往診の仕事をしている。今まで全くの未経験だったので、かなりビビったあげく引き受けたのだが、これが楽しいのだ。
その一。患者さんにとってはホームで、てめえはアウェイ。病院外来とは全く反対の立場で、リラックスされている患者さんと話するのがとても楽しい。医療ってこうあるべきなんじゃないかとまで思うわ。
病を得て、あえて込み合う外来に出かけて行って、数時間待ってようやく診察を受けるより、こっちから出向いた方が良い。それを痛いほどに実感する。
その二。医療資源がない。つまり、てめえの診察で全てを判断しなければならない。それこそ「腕」を問われる訳で、検査に頼らない医療を実践してきたてめえ的には最適である。その結果はシビアに帰ってくるので緊張感は抜けないが、これこそ在宅医療の醍醐味だろうと思う。
というのは、検査が必要な場合は病院への受診が必要になるのだが、在宅医療をしている方々はそんなに簡単に受診できないから在宅医療を選択されているのだ。レントゲン一つとるにしても、介護タクシーを手配したりなんだかんだとハードルがある。
しかし、てめえの持論は「レントゲンなどの検査は、あくまでも結果の確認」である。つまり、レントゲンを撮って初めてわかるようでは医師として失格とまでは言わないが、とても恥ずかしいことなのだ。「肺炎」だと思ってレントゲンを撮って、その通りだということを確認する。検査というものはそう言うものだとてめえは思っているし、これは死ぬまで変わらないだろう。
その三。在宅医療を選択される方は変な人があまりいない。これが一番大きいかもしれないが、詳細は書きません。
今日の往診は、看護婦さんがサッカー好きな人なので、移動中はずっとサッカーの話ばかり。
「先生は、どこが残ると思いますか?」
と聞かれたので、戦前は普通にブラジル一択だったけど、今までの試合を見ているとそうでもない。勢いを感じるのはコロンビアとオランダで、コロンビアは次戦のブラジルに勝ったらそのまま行くのではないでしょうか、とお話した。
彼女も同じ考えのようで、むしろコロンビア一択らしい。笑
まあオーソドックスに、決勝戦がブラジル対アルゼンチンになるのもいいけどね。てめえ的には、メッシとネイマールの対決を観てみたいわ。
そして、この二人の天才を抱えるバルセロナというチームはほんまに頭がおかしいよな。笑 てめえはバルサ大好きだけど。またいつか、バルサについて書いてみたいと思う。そして、バルセロナでバルサの試合をこの目で観てみたいと思う。
てめえは20歳と少しで二輪免許を取って以降、ひたすら単車に乗り続けてきた。クルマの免許に興味がなかった訳ではないが、お金がなかった。四輪の免許を持っている人の多くは親に金を出してもらった人が多いだろうと思うが、学費すら出してくれなかったてめえの親が免許のお金を出す訳がない。
そんなわけで、てめえは自分で稼いだ金で二輪の免許を取った。それからは単車ばかりの人生。
二輪にとって、一番の面倒は雨。とにかく大変で、無防備で走っていていきなり雨に会うと悲惨としか言いようがない。
思い出すのは沖縄時代。休日もなく働いていたが、少しだけ時間が出来たので、単車でラーメンを食べに行った。てめえの住んでいた名護市にはろくなラーメン屋がなかったが、那覇の近くまで行けばそれなりに選択枝はあった。
自宅を出てひたすら南へとバイクを走らせる。心地よい風に包まれてバイクは走る。
名護から恩納村、読谷へと下っていったら、急に天候が怪しくなった。沖縄に住んでいる人ならわかると思うが、読谷って本当になんもない。サトウキビ畑の中に走る道路があるだけで、バス停もないので雨が降ったら逃げる場所がないのだ。
目指すラーメン屋まで雨が降らないことを祈りながら、てめえは南下した。まあそんな思いもむなしくスコールが襲来し、ぐっしょり濡れたてめえはラーメンを食べることもなく家に帰ったわけさ。涙
何が言いたいかというと。二輪の敵は雨である、ということと、それ以上にクルマであるということ。
クルマは危ない。彼らは歩行者や自転車には牙を剥かないが、単車に対しては容易に牙を剥く。ウィンカーも出さずに車線変更はするし、一番腹が立つのは幅寄せ。明らかに殺意があるだろ。そんなわけで、てめえはいつも殺されそうになりながら、健気に走っているのだぜ。
長いこと二輪で走っていたら、クルマに殺されそうになったことなど数知れない。よく生き残ってきたのは、てめえが必要以上に安全運転しているからだろう。クルマは適当に走っていて二輪と交錯してもまず死なないが、二輪はだいたい死ぬ。
てめえも月に一回は殺されかけると思うような体験をする。もう慣れたけどね。前にも書いたがウィンカーを出さずに車線変更したり。巻き込まれたら死ぬのはてめえだぜ。
そして最近はてめえを殺そうとするクルマの傾向が出てきたのだ。それは「プリウス」だ。プリウスを運転している連中は非常に危ない運転をする。てめえは何度プリウスに殺されかけたものか。
面白いことはてめえ的には全くないが、傾向としては他のトヨタ車にも他社のハイブリッド車にもみられない、プリウスにのみ観られる傾向。なんだろうねこれは。
そんなわけで、てめえはプリウスを観ると出来るだけ近付かないようにしている。こんなクルマに殺されたくないしね。
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