気が付けば、明日は東京優駿、いわゆる「日本ダービー」であった。
てめえが競馬を始めたのは、小学生の頃だった。小学生は馬券を購入することができないので、いつも友人のお父さんに電話投票してもらっていた。ちなみにそのお父さんはJRAではなく「ヤのつく職業の人」から電話で買っていたのは秘密の話。
てめえの両親は非常にまじめな人間だったので、ギャンブルもタバコもせず、楽しみと言えばたまに晩酌するくらいの人たちだった。母親なんて律儀すぎて5人も子供を産んだ。そんなわけでてめえは結構厳格にしつけられたと思うが、昭和の家庭というのはそんなものだったのではないだろうか。
主に注意されたのは、「コーラ」と「テレビ番組」だった。なぜか両親はその両方をあからさまに敵視していた。前者は「体に悪い」という理屈だったと思う。後者は毎朝見る番組を決めさせられ、それが両親の気に食わないものであれば却下された。たとえば「ひょうきん族」は完全にアウト。
コーラは隠れて飲むほどの興味はなかったので、初めてコーラを口にしたのはずっとあとのことだった。まあ、今でもそんなに興味はない。むしろ健康について学んでからは全く興味がない。ただしラムとの相性は最高なので、飲む機会があるとすればラムコークくらいか。
しかし「酒」「タバコ」「ギャンブル」については注意されることなかった。まあ当たり前で、むしろ小学生に上記を注意する親がいればそれこそまずいだろう。
注意されなかったから、というわけででもないが、この三つにはブリブリにハマった。
お酒は小学校の時から嗜み、母が追い出された中学生以降は毎晩浴びるように飲むようになった。そんなわけで、てめえの飲酒歴はもう30年近い。酒を飲むことは生活の一つであり、アルコール臭はてめえの体臭の一つでもある。よほどのことがない限り今後もやめることはない。幸い肝機能を壊すこともなく膵臓もぴんぴんである。きっと良い飲み方をしているのだろう。
タバコはもう止めた。これはお酒とは違い、百害あって一利無しである。人に煙害を与えないように主にてめえ一人の時だけ吸っていたので、てめえが喫煙者であること言うことは意外に知られていなかった。これは止められてよかったと思う。
ギャンブルというか、競馬についてはもう仕方がない。そういう街で育ってしまったからだ。てめえのかつての実家は京都競馬場からほど近く、したがって週末に競馬を楽しむのは当たり前であった。てめえの親はさすがに競馬には全く興味がなかったが、競馬場に併設されている公園にはよく遊びに行ったものだ。広々としたその公園は、週末に限らず親子で遊ぶには最適だった。その公園をそっと抜け出して、てめえはターフを疾走する競走馬を見ては一人興奮した。柵の向こう側を駆け抜ける、500kgを超える馬体が地響きとともに駆け抜けて行く姿がとてもかっこ良かった。
競馬の思い出は尽きないので一気に端折ってしまう。そして明日は東京優駿。人生ならぬ馬生で、3歳のときにしか出走できない、最も重要なレースの一つである。3歳のサラブレッドは山盛りいるが、その中で最も優秀な馬の中から選ばれた18頭の優駿が、明日同期の中で最強であることを競うのだ。
日本ダービーは、馬券を買うか否かは別として、可能な限り観戦することにしている。そんなわけで出走表を見ていたのだけど、今年は結構面白そうだと思ったので馬券でも参加することになりそうだ。
さて、同期の中で最優秀馬を決めるレースなので、単勝に関してはさほど難しくない。なぜならば、こういったレースで優勝する馬は比較的限られているからだ。人間でも同様で、例えばオリンピックや世界選手権などで一番を決める競争は、だいたい結果を裏切らない。こういったレースで一番になるものは決まっているからだ。たまに「番狂わせ」もないこともないが、9割以上の確率でその資格のあるものが勝つ。
東京優駿でいえば、最近は2010年のエイシンフラッシュ以外はだいたい予想通りの面子が勝っている。この年のレースも超スローペースになったからの番狂わせであって、エイシンフラッシュ自体はその後も天皇賞を勝った以外はたいした成績を残していない。
そんなわけで、予想に移る。今回はよほどのことがない限り、以下の3頭のいずれかが勝つだろう。皐月賞を2番人気で勝ったイスラボニータ、皐月賞は1番人気であったにも関らず2着に敗れたトウザワールド、そして牝馬なのに出走してきたレッドリヴェールである。
イスラボニータはまず消す。ここでダービーを獲って二冠に輝く可能性はロマンとしては面白いが、そこまでの器だろうか? 父のフジキセキ産駒はほとんどマイラーであり、2400mのレースに耐えられるのか。そして、もしも彼が例えば10番人気であれば買うかもしれないが、おそらく一番人気に推されるだろう。そこまでの期待値があるのか。そんな訳で、馬券的な旨味はいっさいないので買わない。
トウザワールド。皐月賞は1番人気であったにも関らず敗れ去ってしまったこともあり、その雪辱を果たす気持ちは最も強いだろう。馬券的な旨味もあり、今回最も興味がある。
そして面白いのがレッドリヴェール。日本ダービーは基本的に牡馬のみのレースなのだが、牝馬として今回出走してきた。これは7年前のウオッカと同じパターンである。人間と同じで男女差はあるので、牝馬は牝馬だけのレースが存在するのだが、そこをあえて出走してきた。陣営にも勝算がなければそういった博打は打たないだろうし、なによりそこには大きなロマンがある。てめえとしても、ぜひ勝ってほしいと思うのだが、さてどうなるだろうか。
人間も同じと言ったら怒られるかもしれないが、女性はレースごとの出来不出来が激しい。牝馬も同じで、鉄板だと思ったレースで絶対勝つと思った馬が突然崩れることがある。そういった大穴が生まれ得ることがあるので牝馬戦は面白いのだが、そういった不調が出ないだろうか。
そんなわけで、てめえは買うとしたらトウザワールド。加えてロマン目的でレッドリヴェールも少し買うかもしれない。ただし最終的に買うか買わないかは当日のオッズを見てからだな。
2014年05月28日(水) |
母と実家に行き、祖母を見舞った。 |
書き物はまあぼちぼち。最近進行具合がぐっと落ちたが、実家のことや祖母のことなどに忙殺されているからだろう。時間はないわけではないが、集中できない。でも原稿用紙換算で90枚超えたぜ。ワイルドだろ。
今日は、一日仕事が休みという母に予定を合わせ、昼から休みをもらって母と一緒に実家に帰った。母の私物の最終確認と探し物、そして庭の樹を見るためである。
母が着の身着のまま突然実家を追い出されたのは、ちょうど27年前の春だった。準備をして出て行った訳ではなく、本当に昼まで普通に生活していたところを夕方に突然放り出されたので、今でも母の私物が少し残っている。もちろん、本当に大切なものは追い出されてから早い時期に持ち出した。
そんなわけで、最後に必要なものがないかの確認。まあ、予想通りなかった。
探し物も出なかった。まあ、これも予想通り。
最後に、庭の樹の確認。この家の庭の樹は、母が植えて育てたものである。そのあとも、てめえが時を見つけては剪定していたが、今回家を潰すにあたり、庭木も処分しなければならない。あまりに大きな樹は、もう仕方がないので植木屋に処分してもらうが、小さなものは母の家に持ち帰りたいという。
持ち帰る樹を選んでもらい、実家をあとにした。もう、来ることはないかもしれない。あと何度かは来るかもしれない。てめえが小学校2年生の時から、断続的に高校3年生まで過ごしたこの家には、正直よい思い出がほとんどない。
祖父母と同居しなければ、両親がそれまでのように住み続けていただろう。そのうち子供が独立し、母があの家の台所に立ち、父は好きなことをしていたかもしれない。そして独立した子供たちの帰ってくる場所になっていただろう。
しかし今は祖父も亡くなり、祖母も叔母の家に移り、父も呆けててめえと同居し、この家には誰も住まなくなってしまった。
「家は生き物」だと言う。人が住まなくなった家はあっという間に朽ち果てるが、てめえの実家も朽ち果ててはいないがもう死んだようになっている。たまに空気を通しに行っていたが、それももう不要になった。もう、誰も帰ってこない家になってしまった。
新築してから30年ちょっとなので、リフォームしたらまだまだ住めるだろう。しかしそういった点も含めてもうしかるべき人に依頼したので、あの家がどうなるのかはもうてめえの手を離れた。
母も淡々としたものだった。滞在時間はさほど長くなく、やるべきことを終えたらさっさとあとにした。
帰り道。祖母の話をしていて、母が突然「やっぱりお見舞い行っておいた方が良いやろか」と言い出した。今までは、やせ衰えた祖母をみたら申し訳なさすぎて鬱になる、などと言っていたのだが、久しぶりに実家に行って何か思うところがあったのだろうか。
「せや、今行っとかんと後悔するで」と、てめえは今までと同じことを言った。
そんな訳で、帰り道の途中に寄り道をして祖母の病院に行った。母と祖母が会うのは一体何年ぶりだろうか。おそらく、あの実家を追い出された27年前の春の日以来ではないだろうか。
祖母の病室に入って、母が祖母の側に行った。それはとても自然だった。そしてどこから出るのかわからないくらいの優しい声で母が「おばあちゃん」と呼びかけた。涙なんて一滴もない、むしろあらゆる悩みから解放されたような笑顔をそのときに母は見せた。
それまで眠っていた祖母はわずかに目を開けて、小さく肯いた。祖母には母の姿が見えているのだろうか? いつもはてめえが見舞った時も、呼びかけたときには目を開けることがあったが、すぐに目を瞑っていた。しかし今日は違った。祖母はずっと、母の方を見ていた。そして母が何か話しかけるごとに、小さく肯いていた。祖母は、母だと認識したのだろうか、あるいは看護婦さんなどと思ったのだろうか。
おばあちゃん、痩せたね、と、母は笑いながらいつまでも祖母の髪を優しく撫でていた。母が見舞うのはおそらくこれが最初で最後だろうが、二人の間にあった27年間のあれこれはすべてこの瞬間に解決したのではないだろうかと思った。
2014年05月27日(火) |
Airmac time capsuleが届いた! |
仕事から帰宅したらなんともう届いていたので、さっそく色々とセッティング。接続は早くなったし、DELL機からのデータ移行もスムーズだったが、いままでのapple製品と違って「神」ぶりがいまいち伝わってこない。もう少し使い方についていろいろと調べてみようかな。まあ、自動バックアップしてくれるというだけで十分「神」かもしれん。
多分問題は、time capsuleに入れたデータをiPhoneやappleTVですぐに利用できないと言うところにあるのだろうと思う。なんかいい方法はないか考え中。
最近、残念な人を見ている。そして残念なことに、男性では一般的に見られるタイプの残念さ。
「俺は仕事ができる」「俺は人間関係も広い」と本気で思っている人は多い。実際にそうなのだろうが、その多くは、「看板」だけで勝負している。つまり、顧客や「友人」と信じている人は、彼ではなく、彼の背負う看板とつきあっているのだ。これは悲しい話だが、よくある話だ。
どうえもいいが、てめえは仕事ができるとも思っていないし人間関係も狭い。広げるつもりは毛頭なく、付き合いで飲みに行くくらいなら数少ない気の置けない人と飲みに行った方がよっぽど楽しい。仕事関係の飲み会はよほどじゃないと行かないので付き合いが悪いやつだと思われているが、それでいい。その方がどうでもいい誘いもない。くだらない付き合いで飲むくらいなら家で一人晩酌のほうがよほどいい。大局的に意味がないことはわかっている。
てめえはいつも「もうすぐ死ぬとしたら、どうするだろうか」という視点で考える癖がある。そういう人生を送ってしまったせいもあるだろうが、でもそれだけではないだろう。明日死ぬとしたら、この飲み会に参加するか? だいたいはしないという結論になる。それがとても大切な人との食事だったら、万難を排して参加する。だって、明日死ぬかもしれないんだぜ。そんなことはないけど。
話は戻るが、仕事関係の交遊を大事にする人は、概して勘違いすることがある。そうでなく、全く割り切っている人もいるのだが、勘違いしている場合はちょっと悲しいことになる。
「俺は仕事ができる」「俺は人間関係も広い」と本気で勘違いした行き着く先は看板からの「独立」だ。自分一人でもやっていける、顧客もついてくる。バックアップしてくれる友人もいる。
しかし、そうではない。多くの人はその人の看板しか見ていないし、看板を下ろした彼と心中する人もいない。
思いが外れた彼は、仕事がうまく行かないだけではなく家族からの非難にも晒される。仕事中心で家族を顧みなかったからだ。仕事がうまく行っていたからこそつながっていた家族関係が崩れるのはある意味必然である。仕事にも参加させてもらえず家族からも見放される。
仮に「天使」のような家族がいて、彼の代わりに家計を助けようとしても、多くの場合破綻する。なぜならば、そういった男性はプライドが高すぎてそういう事実を受け入れられないからだ。受け入れられる人はそもそも家族より仕事を優先しない。
明日死ぬのなら、どうするだろうか。てめえは間違いなく仕事はしない。状況にもよるけど。切羽詰まっていたら、仕事をきっちりして死ぬだろう。そうでなければ、愛する人の作ったものを食べて笑って死にたい。そして、その場に娘がいてくれればもう思い残すことはないだろう。
2014年05月25日(日) |
AirMac time capsuleを買ってしまった! |
今日も見舞いに行ってきたが、祖母の病状は落ち着いていた。ただしかなり傾眠気味で、ちょっと回復は難しそうだ。そんなわけで、早めに実家を売っておきたい。もう話は進めているので、てめえとしてはあとは待つばかり。
今売れると、祖母の取り分はそのまま祖母の分になる。売れる前に祖母の寿命が尽きてしまうとややこしいことになるのは間違いない。法的にはその場合、父と叔母が折半することになるのだと思うが、最後までお世話したのは叔母なので祖母の分は叔母にで良いと思う。
家屋に全く価値はないので更地にして売るつもりだが、土地は立地もよいのでそれなりの値段で売れるだろう。そんなわけで、我が家に入った分は寄付と資産運用にまわす。てめえが払ってきた固定資産税などの維持費も今後は不要になる。
Macbook airを購入してから、本当にパソコン環境が激変した。こんなになるとは正直全く予想していなかった。ただ、一つのデバイスとして使うだけだと思っていたが、あまりに便利なので他のパソコンを全く利用しなくなった。のみならず、kindleも利用しなくなった。やりたいことはほぼ、このMacとiPhoneで完結する。
とすると、次に欲しくなるのはAirMac time capsuleでしょう。笑 いまのところデータ管理は音楽も自炊データも含めてすべてクラウドで管理しているが、さらにバックアップできると心強い。
しかし、もちろんそれだけではない。というよりも、むしろ他の目的がありまして。要は外付けHDDとして使うつもり。今はデスクトップのwindowsマシンに1TBの外付けHDDをつなげているのだが、そこに入れているデータをすべて管理する。
そして、これが一番の目的なのだが、そのHDDには山盛り動画が入っているのだ。これをtime capsuleを使用することで、家の中にあるすべてのデバイスで動画が見れる。これは凄い。てめえはApple TVもすでに導入しているので、テレビでも見ることができる。こうやってどんどんとアップルの罠にはまっていくのだね。しかしすげえ楽しいぞ。この「楽しさ」はwindowsでは全く感じない。ついでに「快適さ」もね。
そんなわけで欲しくなったのだ。いつものてめえなら、それなりに調べてから導入するか結構じっくりと検討するのだが、今回はもうしない。笑 なぜならアップルの製品に裏切られたことはなく、むしろ知らなかった喜びを必ず与えてくれるからだ。
とすると次はiPadか。笑 しかしタブレットの必要性を今はあまり感じないので、もう少し先になりそうだ。とか言ってすぐに買うかも。笑
自宅の茶葉がなくなりそうなので、一保堂でいつもの茶葉を買い足すついでに、新茶を購入してきた。さっそく頂いてみたが旨いっす。これでしばらくは楽しめそうだ。
「大辞林」によると
投資:利益を得る目的で,資金を証券事業などに投下すること。「新事業に―する」 投機:偶然の利益をねらって行う行為。
ということになる。そんなわけで、今日はお金の話。もう、物書きが行き詰まって逃避しているんです。
普通、人は賃金や年金、あるいは不労所得など、なにがしかのお金を得て生活している。得たお金と使ったお金に差額が生じた場合、多くはそれを銀行預金にまわすだろう。特に日本では、それが当たり前のように行われている。
しかし、それでいいのだろうか? 例えば、今の政権はインフレターゲットとして年2%の成長を目指している。これが実際に実現した場合、自分の持っているお金も1年あたり2%以上増えないと、相対的に資産が減っているということになる。つまり、今の雀の涙のような銀行預金の金利では、まったく話にならない。むしろ、資産運用としては最低の方法である。
では、どうしたら良いか。「お金を増やすにはどうしたら良いのか?」について考えてみる。
まずは、投機以下のものから。
「宝くじ」
なんと恐るべきことに、控除率は55%である。つまり、売り上げの55%はどこかに持っていかれ(多くは自治体に行くので、それをよしとする人は購入しても良いだろう)、残りの45%を購入者で分け合うというシステム。つまり、100円の宝くじは、購入した瞬間にその価値が45円しかない債券と一緒なのである。一攫千金を狙うのであればまあありかもしれないが、資産運用にはなり得ない。
「馬券」
馬券の控除率は、単勝と複勝は20%で、連勝は25%である。従って、前者は購入したとたんに100円の馬券が80円の価値しかない債券である。後者に至っては75円の価値しかない。
しかし、馬券に関しては上記のハンデがあるにも関らず、「勝つ」要素はあると思っている。それは「単勝」である。控除率も低いということ、なにより競争というものは、「1位」になるものというのはある程度決まっているのだ。2位には運の要素も働くことがあるが、1位に関してはほぼ「必然」である。これはどんなものでもそうで、会社の経営者しかり、将棋や囲碁しかり、あるいはサッカーや陸上しかり、トップに立てるものというのは限られている。
「株式やFXなどのデイトレード」
ここから、投機と投資の話。短時間で行われる取引というものは、基本的にほぼ「ゼロサム」である。つまり、勝っている人と負けた人の総量はゼロになる。勝った人がいるだけ負けた人がいるのだ。そこで「いかに勝つか」を考えることになるが、その取引の性質上、最終的にはイーブンになる、つまり勝負の期待値はイーブンに落ち着く。要は、リスクとリターンは同じということになる。簡単に結論つけると「博打」である。
この場合において、勝つための作戦を練るのはもはや全く意味がない。「あればとっくに開発されている」し、「ない以上最終的にイーブンになることしか期待できない」ということになる。
いつも思うのだが、これは錬金術に似ていると思う。錬金術からいろんなサイエンスが生まれたが、錬金術そのものは誰も成し得なかった。あり得ないことをしようとしたからいろんな理論が生まれた訳で、デイトレードに関しては本当に様々な理論がある。しかし残念なことに、「博打」同様優れた理論は存在しない。あるとすれば、博打同様「答えを知っている」インサイダーのみである。要は「投機」でしかあり得ないということである。
デイトレード(正確にはスイングトレード)で巨万の富をえたBNF氏がいるが、彼は「ファンダメンタルもテクニカルも知らない。ただ自分の中にある理論(というか勘だろうな)のみで勝負している」と公言している。しかし彼は例外中の例外だろう。
「株式や投資信託などを長期にわたり持つ」
基本的に、資本主義社会である限り、経済は成長していく。物価は基本的に上がり続けるし、給料も上がる。そして株価も上がり続ける。1社だけ見れば上下しているように見えるだろうが、全体としては上がり続けているのだ。
例えば。日本が2%の成長を続けることができた場合。この場合、10年では20%(正確には、複利が効くので約22%となる)も成長する。つまり、100円で買ったものは120円になっている。
今、多くの人が好きなように100万円分の株を買ったとしよう。誰も売り飛ばさなければ、10年後は平均して120万円になっている。中にはそれ以上に儲かっている人もいれば、損をしている人もいるだろうが、総和を考えると勝っている人の方が多くなる。これが「投資」である。
日本はバブルがあったので、一時的に株価が上がりすぎた時期があったが、アメリカのダウ平均などは基本的に上がりっ放しである。つまり、基本的には常に「史上最高値」を更新している。ちなみに、ダウ平均の最高値は2014年5月13日。その後少し調整したが、また近いうちに最高値を更新するだろう。
ということは。最初の問いに戻る。「経済が成長しているのに、ほとんど増えない銀行預金で資金をプールしているのは最低」と書いた。じゃあどうするのが一番良いのか。それは、てめえの資金をほぼ経済成長とリンクしている「インデックスファンド」で持つ、ということである。しかも、経済が成長するにつれて買い足していくのが最も効率が良いし、この方法だと絶対に経済成長率以上のリターンを得ることができる。「ローリスク・ハイリターン」である。
投機は、要は博打である。趣味で人に迷惑をかけない範囲で行うのであれば勝手にやれば良いと思うが、てめえの大切な資産を殖やす目的であれば、全くお勧めされないどころか意味がないと考えている。
2014年05月23日(金) |
バイクって、危ないから乗るんだよ。 |
てめえが中型二輪の免許を取ったのは、だいたい20歳くらいの頃だったと思う。普通は免許証を見ればいつ取得したのかすぐにわかるのだが、てめえは残念なことに「うっかり失効」を1回やらかしているので正確な取得日はわからない。まあ、だいたい20歳くらいの時。
沖縄での激務から解放されて、京都に帰ってきたときに、わずかな余裕を利用して念願だった大型二輪の免許も取得した。そんなわけで、てめえは二輪に関してはすべての車両を運転することができる。ハーレーにも乗れる。いつか乗ってやる。
「で、クルマの免許はなんで持ってないの?」
とよく聞かれるのだ。確かに、世の中には二輪の免許を持ちつつクルマの免許も持っている人が多いし、あるいはまったく運転免許の類いを持っていない人も多い。しかし、クルマの免許を持たずに二輪の免許だけ(しかも大型まで)持っている人は、てめえくらいの年齢になるとほとんどいないと思う。
なぜか。クルマは安全で便利だからだ。若いうちはバイクばかり乗っていても、大人になると必要に応じてクルマに乗るようになる。クルマに乗ることができた方が仕事の幅も広がるし、荷物を運ぶのも便利だ。何より、天気に左右されない。そして多くの人は、バイクに乗らなくなる。あるいは、レジャーでのみバイクを楽しむ。
バイクに乗っていてつらいのは、天気だ。雨のときに備えてレインコートは常に常備しているし、それでも急な雨の場合は全身びしょ濡れになることもある。ここでも書いたが、沖縄で研修していた時。わずかな時間ができたので北谷にラーメンを食べにいこうと思ったら、途中で雨でびしょ濡れになって、結局食べられないまま帰ってきたのだ。
どうでも良いが、名護から北谷は結構遠い。まじめに距離を調べてみたら、なんと50kmもあった。つまり、京都市から豊中市までの距離に相当する。これは凄い。よくバイクでラーメンを食べにいこうと思ったな。しかも何も食べずによく帰ってきたなと思うわ。何と言っても往復で100kmやで。
まあ、天気に関して言うと雨なんてかわいいもので、雪で凍結した路面とかはほんまに危ない。決してこけることのないクルマの比ではない。
そう、クルマはこけないのだ。二輪は用意に転ける。従って、居眠り運転や飲酒運転はあり得ないのだ。
多くの若者はバイクに憧れて免許を取る。二輪は運転していても楽しい。しかし、とても危ないのだ。体はむき出しだし、何かあれば大怪我をする。天気にも左右される。しかし本当に危ないのはそんなことではない。本当の二輪の敵はクルマである。
二輪を敵視するような幅寄せをするクルマがいる。そしてウィンカーも出さずに左折する多くのクルマ。この場合、巻き込まれて死ぬのはバイク乗りである。二輪にずっと乗っていると、明らかな殺意のあるクルマに出会うことはよくあることだ。殺意がなくても、何気ないクルマの操作が二輪の運転者を殺すことはよくある。同じ衝撃がバイクとクルマに与えられれば、どういう結果になるのかはアホでもわかる。逆に言うと、クルマに悪意があればバイク乗りの命は簡単に左右できる。もちろんその逆はあり得ない。
そう、バイクに乗り続けるということは危ないのだ。賢明な人間はあるときにそのことに気がついて、クルマに乗り換える。
「お前もあっち側に行くのか?」と中二病なことは言わないが、バイクは危ないから乗るのだ。危ないから、安全に乗ろうとする。それはクルマ乗りの比ではない。事故を起こしても、よっぽどのことがないとクルマ乗りはまず命に関わらないが、体が剥き出しであるバイク乗りはあっさりと死ぬ。だから、安全に乗るのだ。
ウィンカーもしっかり出すし、一時停止もしっかり止まる。前後左右の確認は生命線である。何かあれば、死ぬのは自分。安全に走ることのできないバイク乗りは自然淘汰されるのだ。
そのかわり、バイクはいろんな喜びを与えてくれる。
季節が変わるとバイクでの風景も匂いも体感温度も変わる。ツーリングしていて、山に入ると空気と温度と匂いが変わったことがすぐにわかる。海に近づくと、潮の香りをふわっと感じる。
暑い夏はひたすら向かいから熱風を浴び、寒い冬は完全防寒して凍結し得る路面に恐怖しながら、部屋や人のぬくもりを求めて走る。ほんまになんでこんなことをしているのだろうとたまに思うが、これが「バイク乗り」なのだろう。
そんなわけで、長年無事故でほぼ毎日二輪に乗り続けていることは、てめえの密かな誇りである。そして長年戦い続けてきたクルマの免許を取ることはないだろう。てめえは死ぬまでバイク乗りでいたいと思う。
2014年05月21日(水) |
祖父の人生と家族について/チェインギャング |
祖母は病状が落ち着きつつあり、個室から大部屋に戻ったらしい。自分の病状悪化をきっかけに、自分の血を分けた、しかし今までいろんなわだかまりのあった家族が密に連絡を取り合うようになったことについて、彼女は密かに喜んでいるだろうと思う。
今日は仕事が終わってから実家に戻り、色々と片付けをした。今まで散々片付けはしていて、てめえの小さなときのアルバムなどいるものはすべて持ってきたつもりだった。いらないものを処分してから家を解体して更地にして売る算段だったが、解体屋からは「どうせぶっ壊すので、家の中のいらないものはそのままで良い」と言われたのでそのままにしてある。
今日は実家に探し物もあったのだ。今まで散々必要なものを持ち出したと思っていたのだが、今日はとんでもない書類を発見してしまった。これをそのままにして、家もろとも破壊されなくて本当に良かった。
その書類は、最後まで帰化しなかった祖父の「帰化申請の手続き」だった。分厚く封筒の中にしまわれていたその中には、我が家の秘密が山盛り入っていた。
祖父と祖母の戸籍謄本。祖父のものは、もちろん中華民国のものである。戸籍の中に「阿片吸引」と「纏足」という項目があったのはさすがに戦前の中華民国だと思った。そして帰化申請書から初めて知った、彼の軌跡。
彼は国民学校を卒業して、しばらくは台北で働いていたらしい。そして台北で働いていた会社を退職し、一旗揚げようと日本に向かう。海路で尼崎から日本に入り、大阪の西淀川区でしばらく働いていたようだ。
終戦時に、彼は京都に移動する。日本国籍を喪失したそのタイミングで京都に移動した理由はなんだろうか。
そして、料理好きだった彼は四条高倉で中華料理店を開業する。多分、一緒に店をやろうと誘った友人がいたのだろうと想像するが、もちろん想像の域を出ない。住居は途中で左京区に引っ越した。そしてそこで祖母と出会っている。
5年でその店を閉じ、今度は錦小路東洞院で製パンを開業したらしい。この頃祖母と一緒になり、翌年に父が生まれた。
その後の話はてめえもよく知っている。
書類の中には、中華民国に対する「国籍離脱申請書」みたいなのもあった。
しかし、結局彼は帰化しなかった。
昭和20年8月。終戦に伴って日本国籍を突然喪失したのは、台湾・朝鮮・樺太の人々であった。世界中に華僑ネットワークを張り巡らせている中国人は、基本的にその住んでいる国に帰化することを躊躇わない。そして日本国籍を喪失した台湾人の多くは祖国に帰るか、あるいは日本に帰化することを選択した。
現在、日本国籍を喪失したにもかかわらず祖国にも戻らず、日本に帰化もしていない「特別永住者」はその99%が朝鮮半島出身者である。
実家から帰ってきて、てめえは惚けた親父に尋ねた。なぜ祖父は帰化しなかったのか? もちろんきちんとした回答は期待していなかった。
のだが、惚けた父はその瞬間真顔に戻り、「全然わからん。いったん申請書まで書いているにもかかわらず最後まで帰化しなかった理由は、彼自身の中にしかないと思う」と言った。てめえはだいたいその理由がわかる気がする。そして父は死ぬまでわからないだろう。
「しかし、なぜ生活が破綻するとわかっていて、祖父は母と同居したのだろ?」
それは時代だったからとしか言いようがないと思う。今ではいろんな選択肢があるが、昭和の時代はリタイアした老夫婦は長男と同居するのが当たり前だった。当時は介護保険もなかったし、老健などの施設もなかった。同居に関しては、母も全く反対せず、そういうものだと受け入れていた節があった。
そして予想通り水と油の祖父と母の同居生活は破綻した。
もし、祖父母が同居しなかったらてめえの人生はどうなっていただろうか。
おそらく普通に平和に育ち、うまくいけばそこそこの私大に進学して、教えるのが好きだったので教師にでもなっていただろうと思う。
どっちが良かったのだろうか? 祖父に追い出されてどん底の生活を送り。
中学から高校生活を過ごした公営住宅は、小さな台所に六畳二間で風呂場には浴槽もなく、一つの部屋をリビング扱いにしてもう一つの六畳の部屋に薄い布団を三枚引いて家族5人で寝ていた。寝室扱いしていた部屋に勉強机も置いていたので、足は机の下に突っ込んで寝た。寝返りもうてない状態だったし、時に体を這う気配で夜中に起きると、台所からやってきたゴキブリがてめえの体を這っていた。
高校生になってしばらくたった時。夕食時に、てめえは風の噂で聞いた話を何気なく母にした。
「医者かパイロットになったら、死ぬまで金に困らないってほんまか?」
本当に何気なく聞いたつもりだったのに、母は顔を真っ赤にして怒った。
「あのな、金のことを考えて仕事を選んだら、あんた最低やで。ええか、うちは確かに貧乏や。でもお金があったからと言って幸せかというとそうではない。お金があると、不幸ではないことが多いけど、幸せはお金では買えないんや。今うちは貧乏やけど、家族がそろってなんとかご飯は食べているし、ひしめきあってはいるけど夜寝る布団もある。しかもみんな元気や。おじいちゃんに追い出されたときのことを思い出してごらん、あのときと比べると私は、今の状態はこれ以上ないくらい幸せや。だからあんたも、お金のことなど考えずに好きな道を選んだらええ。」
母の気持ちはわからないでもなかったが、若いてめえは卑屈さの固まりだった。そのパワーがあったからあり得ないくらいのガリ勉にも耐えたし、皮肉なことに今の自分があるのだ。そして今の立場になって初めて、自分が卑屈であったということに気付いたのはこれまた大いなる皮肉だろうと思う。
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チェインギャング:囚人や奴隷が鎖で繋がれて強制労働させられていた。その繋がれていた人々のことを言う。
僕の話を聞いてくれ 笑いとばしてもいいから ブルースにとりつかれたら チェインギャングは歌いだす 仮面をつけて生きるのは 息苦しくてしょうがない どこでもいつも誰とでも 笑顔でなんかいられない
人をだましたりするのは とってもいけないことです モノを盗んだりするのは とってもいけないことです それでも僕はだましたり モノを盗んだりしてきた 世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない
過ぎていく時間の中で ピーターパンにもなれずに 一人ぼっちがこわいから ハンパに 成長してきた なんだかとても苦しいよ 一人ぼっちでかまわない キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ
生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない 死んでしまうという事は とってもみじめなものだろう
だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し 人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ
だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ
一人ぼっちがこわいから ハンパに 成長してきた 一人ぼっちがこわいから ハンパに 成長してきた
2014年05月20日(火) |
腹を括ったことについて。 |
祖母のことについて、どんどん話が進んでいる。
もしも亡くなった場合のことについては、ほぼ話がついた。てめえの家の近くの寺で祖父共々永代供養していらうことになった。
仏壇は小さなものを買い直し、てめえの家に移す。
その後、てめえの実家を売り飛ばす。実家の名義は、父と叔母と祖母である。父と母に確認したら、おそらくそれぞれ1/3ではないかとのこと。実際にローンを細々と払っていたのは父なのだが、金銭的な問題で揉めるつもりはないので、売れたらその配分に従おうと思う。
いろんな人から、金銭的なことはちゃんとしておいた方がよいと散々言われた。でもてめえはもうどうでもよい。お金にこだわる人生はもう送りたくない。
今までの人生で悟ったこと。お金で解決する問題は、正直なんとでもなるのだ。本当に大切なことはお金では解決しない。
そう、解決しないのだ。子供の親権も解決しないし、愛する人の心もお金では買えない。そういう意味では、お金で解決することというのはどうでも良いことのことが多く、解決できるのであれば解決した方がよいのだ。わずかな取り分を争うことに意味があるとは思えない。
今日は母に色々と相談した。母は祖母に色んな思いがあるらしく、途中から話にならなかった。
ただ「あの家に植えた木の一つに思い入れがあるので、それだけは植え替えたい」と言った。
母は祖父との確執があったが、祖母とはなかった。途中から話にならなかったのは「祖母に申し訳ない」という気持ちかららしい。
「じゃあ一度一緒に見舞いにいこうや」とてめえは母を誘ったが、それは拒否された。生きているうちに会っておかないと、その後に後悔するかもしらんよ、とてめえは言ったが、どの面下げて会えるのか、しかも痩せ細った祖母に、申し訳なくて会えないと母は言った。
2014年05月19日(月) |
今日こそMacbook airの話を。 |
などと書きつつ、別の話から。
ここのところ叔母と頻繁にやり取りしていて、今まで放置されていた問題が一つ一つ解決されそうな感じ。急速にいろんな話が進んでいくのが正直怖いが、放置していた責任の一端はてめえにもあるのでこの流れに乗ってしまうことにした。
祖母は意識状態もはっきりしないが、こうして最後に、自分の血を分けた人々をまとめようとしている。考え過ぎかもしれないがそういう意思を感じる。
そんなわけで、長年の懸念であったてめえの実家がようやく売りに出せそうだ。さよなら故郷。家を売ったらもう、帰ることもないでしょう。
目指していた道は現在停滞中。6月までに一本仕上げて、というのはもはや不可能になってしまった。「書く」のと「読む」のは本当に大違いで、以前のてめえなら「あかん、才能がないわこれは」とさっさとあきらめていたと思う。しかし今回は違うぜ。とことんあがいてやる。
ようやくMacの話。正直これは神マシンだ。もう、windowsを使う気が全くしない。ただしwinでしかできないこともあるので、PCはそのまま持っておくけどね。
いろんな電子機器を購入し使用してきたが、これは3回目の感動であった。
1回目。iPhoneである。
正直な話、スマホに全く興味がなく、携帯電話はたまに電話と主にメールができればよいやと思っていた。本当に全く興味がなかった。その一方でiPodは愛用していたのだからすげえ矛盾している。当初はiPhoneはSoftbankしか扱っていなかったということもあるだろう。どうでもいいがてめえは「関西セルラー」時代からのau愛用者で、ezwebのサービス開始にも立ち会っている。そんなわけで、てめえのメールアドレス(しかし、これも今後意味をなさなくなるだろう)はとてもシンプルである。今では絶対無理なくらいシンプル。携帯の会社を変えるなんてまったくあり得ない話だった。
そうこうしているうちに、てめえの携帯電話がアホになりそうになったのだ。そして、タイミングをわざわざあわせてもらったとは全く思えないがなんとauがiPhoneを扱うことになる。何かの縁かもと感じたてめえは本当に何も考えずに機種変更をした。
相次ぐ機種変更にうんざりしていたのだろう、auショップの店員は気怠そうに「なにか問題が起きても、うちでは見ないことになってますのでアップルのショップに行ってね」と言った。
ところがこれが素晴らしい出会いだったのだ。驚くべき操作性。そしててめえの認識不足を恥じるばかりだが音楽が山盛り入ったのだ。用は「電話もネットにもつなげることのできるiPod」であった。電子機器にこれほど感動したことはなかった。
2回目。Apple TVである。
よくわからんまま「なんだか面白そう」という直感だけで購入したのだが、これもまたすごかった。iPhoneの中身をテレビのモニターで見ることができる。youtubeも、大きなテレビモニターで再生できる。それくらいの認識で導入したが、それだけではなかった。使用頻度から言うとHuluと契約したことが大きいが、今はそれ以上にiTunes matchの恩恵を受けている。そう、なんとてめえの音楽ライブラリーがテレビで再生できるのだ。これも凄い上に、再生履歴もすべて同期される。
つまり、リビングで作業するときは、パソコンのiTunesを使用せずにテレビで音楽が聴ける。その分メモリも使わない。やっほー。
3回目。このMac book airである。
いやあ凄い。凄すぎて言葉にならんわ。トラックバッドも神だし、操作性の素晴らしさ。他のデバイスとの同期。もう、ヤバすぎ。あかん、今日は力つきたのでこの辺で。
2014年05月18日(日) |
Macbook airが到着! の話はまた今度。 |
祖母の容態は落ち着いてきたが、入院してからずっと傾眠傾向が続く。発熱も落ち着いたし、ずっと投与されていた酸素も外れた。しかし呼びかけても反応は鈍く、ずっと眠ったままである。もともと脳梗塞も患っており、ほぼ寝たきり状態ではあった。まあ"natural course"というやつですね。言い換えると「老衰」ですね。
これで食事がとれれば、退院も可能だろう。しかしこれだけ眠り姫状態が続いていれば、その望みは非常に厳しそうだ。てめえは同様の患者さんを山盛り診てきた。
この後だが、状態が落ち着けば、ST(言語聴覚士)の嚥下評価から、必要あれば嚥下造影検査を行い、嚥下機能に問題がなければ食事が開始となる。しかしこれだけ覚醒が鈍ければ食事どころではないだろう。
嚥下の問題、あるいは覚醒の問題で食事がとれない場合はどうなるか。選択肢は3つである。
1.胃瘻造設を行う。
食べられないから胃に穴をあけて栄養を注ぎ込もうという作戦である。これは有効な場合もあるが、多くは有効どころか悲惨な結末を迎えることが多い。
有効な場合というのは限られている。てめえの考える胃瘻の適応は、しっかり覚醒していて自分の意志で胃瘻を希望されており、かつ自分で栄養を注入できる人である。
てめえの医師人生の中で、この適応に合致する人はたった一人だった。若い女性で、喉の癌があった。摘出術ではなく放射線治療を希望された結果、その副作用として嚥下障害が生じ、食物を飲み込めなくなったために胃瘻を作った。
と書くと非常に簡単なようだが、そこに至るまでにいろんなドラマがあった。飲み込めないということを受け入れられない彼女。ほかの方法もいろいろ試したがだめだった。この方は他にも問題が山積していて、その全てを解決するのに2年の入院を要した。
胃瘻も作り、自分で注入する練習も行い、他の問題も一つ一つ解決して退院の日を迎えた。2年入院を許可したというのは非常に異例のことであった。通常は3ヶ月を超えると病院に入る収入が激減するように制度が設計されているため、3ヶ月を超える入院は通常許可されず、3ヶ月を超える場合は他院への転院をお願いすることになる。しかしこの方は病状的に問題が多く、とても他の病院に依頼できる状態ではなかった。
2年の入院を経て、無事退院となった。退院前に、本当に自宅でやっていけるのか、試験外泊も行った。「家に帰るまでの間に何かあれば怖い」という、彼女と彼女の家族の希望で、てめえも家まで付き添った。外泊時に家まで付き添ったのは今のところ、これがただ一例である。
退院時にも付き添った。もしかすると、すぐに病状が悪化して再入院になるかもしれない。「もし何かあったら、優先的に受け入れするのですぐに連絡を下さいね」とてめえは言い残して病院に戻った。できることはすべてやったという自負はあった。
どんどんと話がずれるが続ける。それから数年、彼女が再入院することはなかった。自宅で元気にされているとの話を聞いた。おしゃれ好きな彼女は、退院して真っ先に美容院に行ったそうだ。生活を楽しまれている様を聞いて、胃瘻を作ってもよかったと思った。
あまり詳細は書かないが、そんな彼女も別の問題が生じて入院となり、残念なことにその問題を解決することなく他院で亡くなられたそうだ。今年のGW中の出来事だった。
話を戻すが、そうでない人に胃瘻を山盛り作ってきた。結果は悲惨なものだった。悲惨なことになるのはよく知っているので自分からは全くお勧めしなかったが、ご家族が強く希望されることが多かった。欧米ではむしろ、宗教的な観点から胃瘻には否定的である。これは文化の違いとしか言いようがないが、そういう意味では宗教はいい役割を果たしていると思う。
覚醒もできず、自分で嚥下できないかたに胃瘻を作ると、ほぼ全員が栄養剤を胃から食道に逆流され、誤嚥性肺炎を繰り返された。その度に、つらい思いをされただろうと思う。そんなわけで、自分には絶対に胃瘻造設はさせない。
2.中心静脈栄養を行う
医学的には選択肢としてあり得ないのだが、「胃瘻はイヤ」だが「そのまま見捨てたくない」というご家族の希望を汲んで選択することもある。しかしこれも悲惨な結末を迎えることが多い、というよりは悲惨な結末しかないので全く選択したくない。「胃瘻」にはしぶしぶてめえも同意してきたが、中心静脈は絶対に選ばない。
3.そのまま看取る。
これが最も自然だろうと思う。数年前まではこの選択肢しかなかったし、これからもそれで良いと思う。そしててめえはこれを選びたい。
父が倒れてから、代わって祖母をみてきた叔母とも今日話をしてきた。上記の話をしたが、まったく同じ考えだったので安心した。
さて、問題は「その後」である。叔母は良い言い方をすると「楽観的な人」で、父に喪主をしてほしい、いろいろ仕切ってほしいと考えているようだが、現実的には能力的に不可能である。というわけで、てめえは実の娘である叔母がそういった準備をするものだと勝手に思っていた。
ところが、どうも要領を得ない。そして、どうやら叔母はてめえに仕切ってもらいたいようなのだ。そのことに、今日初めて気が付いた。なんか違和感があったが、そういうことだったのか。孫が喪主って実際にほとんど聞いたことないけど。
よくわからんが、長男の長男としててめえは腹を括ることにしました。葬儀から納骨まで、わからんことばっかり。金銭的なことも含めてまあなんとかしよう。金銭的な点については、既に腹を括っていたけど。
しかし、生まれた順番だけで規定されるのはちょっとどうかと思うぞ。しかも現代では長男であるメリットはほとんどなく、デメリットしかない気がする。まあええわ。最後のばあちゃん孝行になるやろうか。て、まだ生きているのにそんな話をするのはちょっとやめておこうと思う。
そんなわけで、macbook airが届いたことと、実際に使ってみたその押し寄せるような感動についてがっつり書こうかと思っていたが、祖母の話で力尽きてしまった。残念だ。ちなみにこの文章は、もちろんmacからである。やっほー。
2014年05月17日(土) |
iTunes match/Jealous guy |
iTunes matchに申し込みをした。申し込み? って言うていいんかどうかわからんけど、契約をした。
てめえのiTunesに入っていた曲は約5000曲だった。そのうち約半分がマッチして、残り半分がクラウドに入った。
正直、このサービスは神である。さっそくてめえのiTunesを入れていないPCにiTunesを入れたら、すぐにてめえの5000曲に及ぶライブラリーが空から降って来た。
おそらく、最も威力を発揮するのはappleが開発したMac book airだと思う。明日届くとのことで、届いたらしばらくセッティングでほかのことが全く手に付かなくなるだろう。
I was dreamin' of the past And my heart was beating fast I began to lose control I began to lose control
昔のことを考えていたんだ 胸の高まりが止まらなかった もうどうにでもなれって気持ちになったのさ いろんなことがどうでもよくなったんだ
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
あなたを傷つけるつもりじゃなかった 泣かせるつもりはなかったんだ あなたを傷つけるつもりじゃなかったんだ てめえはただ、嫉妬深いだけなんだ
I was feeling insecure You might not love me anymore I was shivering inside I was shivering inside
てめえは不安定だったんだ もう愛されていないんじゃないかって ただ怯えて震えていた ただ怯えて震えていた
Oh, I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
I was trying to catch your eyes Thought that you was trying to hide I was swallowing my pain I was swallowing my pain
あなたの気を引きたかった あなたを失ってしまいそうだったから しんどさを我慢していたんだ しんどさを我慢していたんだ
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy, watch out I'm just a jealous guy, look out, babe I'm just a jealous guy
2014年05月16日(金) |
Mac book air/有機農法 |
前から欲しかったMac book airを衝動買いした。
前からずっと欲しかったのだが、夜中にネットサーフィンしててすげえ欲しくなり、おもわずぽちっとしてしまった。もちろん、全く後悔していないぜ。やっほー。
てめえは自宅にデスクトップが1台、ノートが1台、職場にノートが1台と計3台のPCを所有している。加えてタブレットも1台あり、iPhoneもあるので、ネット環境に関しては正直やりたい放題。ちなみにPCは全てDELLである。
昔はデータを共有できなかったので、デスクトップ1台で色々と管理していたのだが、今はクラウドサービスもあり、どの端末で作業していても、別の端末で続きができる。すげえ時代になったものだと思う。
さて。Mac book airを買った。使い道としては主に仕事で、と言うことになると職場に置きっぱなしにしてあるDELLが不要になるわけだ。
そんなわけで、このPCを妹にあげることにした。妹もDELLのPCを愛用していたのだが、残念なことにクラッシュしてしまったのだ。
そんなわけで、PCに入っているあらゆる個人データを消去し、妹には明らかに不要な医学系のプログラムをアンインストールした。OSはVistaだがまだよく動くし、いらないプログラムを消したことで動きも軽くなったので、まだ働いてくれるだろう。
先日後輩を指導していた時のこと。「結局、医学って健康指導に尽きる」と言うことを彼が言いだしたので、結構盛り上がってしまった。
「それでね、さんざん考えたのですが、健康のためにはやっぱ有機野菜かと思って。大○を守る会というところと契約したんですよ」と、彼は言った。
そうか。やっぱりそう思うんだよな。有機栽培が良いというのは誰にでもわかりやすいのだけど、それが健康と結び付くのだろうか。
というのは、有機栽培に関するてめえの二つの疑問があるからである。これが解決されれば、てめえは喜んで有機栽培された野菜を買うだろう。
一つ目。飼料の問題。そもそもその飼料はどこから来たのか? それが動物の糞尿であれば、大きな問題がある。というのは、飼われている多くの動物には、病気を予防するためにあらかじめ抗生物質が投与されていることがあるからだ。
抗生物質は、本来「予防」ではなく「治療」に使われる。例えば、我々は感染症予防のために毎日抗生物質を内服するか? しないわな。仮にしたらどうなるか? 副作用が出る危険性はもちろんある以上に、体内で耐性菌を育てるということになりはしないか。もちろんなるだろう。抗生剤の効かない細菌を体内で育ててしまう以上に、毎日糞便に代謝され損ねた抗生剤が多量に含まれる。
耐性菌と、抗生剤を含んだ「有機肥料」で育った野菜、食べたいですか。
二つ目。「永田農法」というものがある。トマトが有名だが、要は原産地に近い環境で育てると最も栄養価が高くなる、というものである。
トマトの原産地はアンデスである。アンデスは高地にあり、雨もほとんど降らない。結構厳しい環境である。
そこで、永田はアンデスと同じような環境でトマトを育ててみた。日本は高温多湿なので、水分を絶つためにビニールハウスでトマトを栽培した。土壌は敢えて痩せさせて、萎れてきたら少しだけの化学肥料を与えた。
その結果出来たトマトは、非常に旨く、かつ栄養価が非常に高かった。つまり栄養としての効果を求めるだけであれば、化学肥料を少量だけ使った永田農法の方が良かったのだ。しかも抗生剤の問題も全くない。
そんなわけで、てめえは「有機栽培」と聞くとむしろ上記の問題を考えてしまうのだ。まあ後輩にはそんなことは言わなかったけど。そして、世の中には耳触りのいい言葉を並べて人を騙す人もたくさんいる。
そんなことを言うと、結局自分で作らないとあかんようになるんやけどな。
なので、てめえとしては、どこまで本当なのかどうか怪しいものよりは、より確実なものを選びたい。つまり、ホンマに健康的なのかどうかわからん有機栽培よりは、明らかに健康に効果のあるω3系とか。
そんなわけで、後輩には「有機栽培もええけど、もしかするとさらに健康に関連するかもしれない脂質に目を向けてみてはどうだろうか」とω3系について熱く語った。彼は「蒙が啓いた。嫁と相談して、エゴマ油買います」と言った。
2014年05月14日(水) |
沖縄に癒される。その2 |
本搾りのライムを箱買いした。笑
南風原(はえばる)で仕事をしていた時の話。出張の予定があり、その日のうちには飛行機で東京に向かわなければなかったのだが、仕事が一向に終わらなかったのだ。
なんとか仕事を終えて、職場の前でタクシーを拾った。空港まで、お願いしましょうね、と言ったてめえに、タクシーの運転手は親しげに話しかけてきた。
ゆっくりと運転しながら会話を楽しむ運転手に少しいらいらしながら、でもここは沖縄だしな、などとてめえはあきらめた。幸い渋滞はなかったので、ゆっくり運転してもまだ時間に余裕があるように思えた。
のんびりと話しかけてきていた運転手は、突然「お客さん、やんばる(沖縄北部)の人ね?」と言った。イントネーションがやんばるやっさー、と彼は言った。
5年間沖縄に住んで、なんとてめえは喋り方までやんばるの人になったのだ、そもそもやんばる面(じらー)やいびーん、と深い感慨を覚えたのを思い出した。
というわけで(でもないが)、最近「じゅん選手」にがっぽりはまってしまった。この人面白過ぎだが、沖縄の人以外には全く理解されないだろうと思う。
方言講座と言いながら、沖縄の言葉を少しでも理解していない人には全く分からないと思われる。しかしてめえのように少しでも齧っている人は爆笑必至。
方言講座その2。
このコントは正直深い。「戦争が終わったことを知らなかったのか?」と言う問いは正直唐突だが、「(戦争が終わったのに)なんでアメリカのヘリが(沖縄の空を)飛んでるのか?」という言葉は正直心に突き刺さった。
南の島で働き始めた、その年だったと思う。近くの島から急病での緊急搬送が入った。幸い日中だったので、フェリーで搬送するとのこと。これが夜間だと自衛隊のヘリコプターを依頼することになる。
てめえも自衛隊のヘリコプターに乗り込んだことがあるが、なかなか酷い体験だった。よく映画などで、ベトナム戦争などのヘリコプターシーンを見ることがある。とんでもない爆音と振動で会話などは到底無理、しかしスピードは素晴らしい。そりゃあそうで、基本的には患者搬送のための乗り物ではなく、屈強な兵士を乗せて戦場に向かうための乗り物なのだから。
ヘリに乗せた患者の体はぶるぶると振動し、気が付くと点滴の針が血管から外れていた。てめえはヘリの中で血管内再留置を試みたが、あれは絶対に無理。
まあそんなことはどうでもよい。
しばらくして、島の医者の紹介状と共に患者が到着した。紹介状の最後には「この方はウチナーグチ(沖縄言葉)しかしゃべれません。大変申し訳ありませんが、何卒宜しくお願いします」と書いてあった。
さすがにそれは言い過ぎやろ。この平成の世の中で、標準語が理解できない人が日本にいるはずがない。そう思ったてめえは甘かった。そう、理解できない人が日本にいたのだ。
その患者さんにはいくら病状を尋ねてもまったく埒が明かず、てめえはベテランの看護婦さんに通訳をお願いした。いつもてめえとは全く違和感のない標準語で話をしていたその看護婦さんは、少し恥ずかしそうに、しかしとても美しい沖縄の言葉で患者さんと会話をした。
沖縄の言葉を聞くと、その言葉しか話せず京都で死んだ祖母と、驚いたり怒ったときに言語が変わる母を思い出す。そして、そのイントネーションを聞くとまるで母の胎内にいたときのように安堵するのだ。
日本人が作って沖縄人が応えた名曲。夏川りみの歌声はどこまでも美しいと思う。
元の歌。この歌詞をしっかり読み砕いて、てめえはまた涙が止まらなかった。
今日はだらだら書く。
「沖縄戦」はよく知られている通り悲惨だった。今でも沖縄には、戦争の爪跡がたくさん残っている。しかしそこに住む人々は、それを全て忘れたかのように日々笑って暮らす。
しかし、忘れているわけではないのだ。ただどうしようもなかった。そして、加害者は明らかにアメリカである。日本ではない。そして戦争が終わった後も、加害者であるアメリカに占領され凌辱され続けた。沖縄が日本に戻ったのは1972年のことである。
明治維新以降、日本は三つの国と地域を日本に編入した(これはよく誤解されているが、植民地ではなく編入である)。
1879年(明治12年)、琉球王国は沖縄県として日本に編入された。 1895年(明治28年)、清は日清戦争に負けたことにより、台湾を日本に割譲した。 1910年(明治43年)、大韓帝国は日本との併合を選んだ。日本が戦争で無理やり植民地にしたわけではなく(日本は韓国と戦争したことはない)、韓国の首相自ら併合に調印した。
この三地域は、第二次世界大戦後に対照的な「その後」を歩む。ちなみにこの中で、形式的にでも望んで日本になったのは「大韓帝国」のみである。
戦争中に被害を受けた地域は、この中では沖縄だけである。朝鮮も台湾も戦禍に巻き込まれることはなかった。しかも両国とも戦争が終わる直前まで徴兵制はなかった。つまり、戦争が終わるまで両国とも平和だったのだ。日本が空襲を受けているその時も、両国ともに平和だった。
沖縄はそうではなく、むしろ戦争の最も悲惨な被害を受けた。沖縄戦によって、その人口の1/3は戦死した。てめえも彼の地で働いていたときに、家族歴に「戦死」が多かったことを忘れない。しつこいが、台湾と朝鮮はその地で戦死した人はほとんどいない。
戦争が終わり、三地域は対照的な「その後」を歩んだ。
「沖縄」は、アメリカ占領下になった。アメリカは、インフラ整備を行い教育制度を整えた日本とは異なり、沖縄に何もしなかった。というより、ほぼ略奪しかせず、本当の「植民地」扱いをした。なので、今でも沖縄人はアメリカが大嫌いであり、占領時代に最も反米であった沖縄大衆党や共産党が未だに強い。アメリカは、沖縄を「琉球」として独立させるつもりだったという話もある。しかし沖縄の人々は日本に戻ることを選択した。日本が祖国だという選択をしたのだ。
「朝鮮」は、日本ではなくなった。ただし元の国はない(てめえが望んで日本と合併した)のでほぼ無政府状態になり、結果として南北に分かれた。てめえから望んで日本に加えてもらい、日本にインフラ整備をしてもらい、戦争の時に徴兵もされず戦禍に巻き込まれることもなかったこの国が、日本を嫌う理由が一つも理解できない。理解できない理由がわからない人は沖縄を参照しなさい。沖縄戦のような悲惨な戦場が彼の地にあったのか? むしろてめえは、この三地域の中で唯一反日である理由が知りたいと思う。(てめえが思うに、単にプライドが高かっただけなのだろう)
「台湾」は中華民国に戻った。ただしその「中華民国」はすぐに共産党との内戦に敗れ、南京にあった政府が台北に逃げた。国民党政府は、日本が整備したインフラを破壊し教育をズタズタにした。結果として、元から台湾に住んでいる人々は、中国人が嫌いで日本人が好きである。至極まっとうな思考回路である。
沖縄には、今も悲惨な戦跡がたくさん残っている。しかしそんな戦跡は朝鮮や台湾にはない。もっとも悲惨な歴史を刻んだ沖縄が日本に残り、そうでない二国は反日国家と親日国家に分かれた。いろんな事情があるとは思うが、歴史がその後を証明してくれるだろうと思う。
休日は、天気が良くててめえの体調が良かったら時間を見つけて親父と散歩に出る。しかしこれが意外と厄介事なのだ。
もともと呆ける前から「健康病」の患者だった親父は、とにかく時間のある限り体を動かさないと気が済まない。彼が最も好むのは走ることだが、さすがに走って心臓を止めた経歴があるのでドクターストップがかかっている。
そんなわけで、彼と散歩する。もともとマラソンが好きな人なので結構な距離を歩くのだが、それはまあ仕方がない。
問題は、彼そのものにある。呆けてしまいエロくなった彼は、道端ですれ違う女性にまで手を出そうとする。
それも、とてもさりげないのだ。すれ違う瞬間にさわっと触る。触られた女性は、あまりにさりげないので一瞬振り返った後、首を傾げる。振り返ったところにいる男性は明らかに老齢で、振り返ることもなく真っ直ぐ歩き続けているからだ。
そして彼女は思うだろう。「たまたま散歩中の男性の手が当たっただけ」だと。そして自分を納得させ、その後そういった出来事があったこと自体を忘れるだろう。
はじめはてめえも「たまたま」なんだろうと思っていたが、たび重なるうちにこれはたまたまではないということに気が付いた。
もちろん、本人を問い詰めても意味がなかった。「覚えていない」のだ。自分のしたことを。
これ以降、てめえは親父と散歩に行くということ、と言うよりは、この人を外出されるということ自体に否定的になった。これは、明らかに往来を堂々と歩いてはいけない人だと。
なぜ自分がそう思うか、それも含めててめえは滔々と親父に説明した。「だから、散歩には一緒に行きたくない」と。親父はうなだれて聞いていたが、この人は短期記憶が障害されていたのだ。
30分後には「おい、散歩行こうぜ」と親父の大きな声が響いた。なぜ散歩に行けないのか、と言うことをもう忘れたのだ。てめえは絶望した。この人は命が助かって、果たして良かったのだろうか?
今日も彼と散歩に行った。あれから、いろいろ考えてできるだけ人とすれ違わないルートを開発した。それでも無人の街を歩くわけではないので、こっちも色々と気を使う。例えば、女性が前から歩いてきたら、手を伸ばしても絶対に届かないルートを選ぶとか、彼の気を逸らす話題を振るとか。ずっと気が張ったままなので、散歩の後はぐったりと疲れる。体力的にではなく、精神的に。
そうして彼と延々と歩く。空には雲ひとつなく、今日は散歩日和であった。「えっと、今の仕事は学校の先生だっけ?」などと見当違いのことを言ってくるが、適当にかわす。
「もう桜は咲いたやろか?」 「こないだ見に行ったような気がするが」 と五月とは思えないような会話をするが、彼は楽しそうなのでまあいいだろうと思う。
こうなってしまったのも、彼が突然心停止したからだ。彼が心停止しなかったら、てめえは今でも南の島で激務に苦しんでいただろう。
事実、親父が倒れた翌年の人事もすべて決まっていたし、てめえは南の島を離れる気は全くなかった。親父が倒れることがなかったら、てめえは今京都にいないだろうと思う。
今まで生きていて、生きていると逆らうことのできない「大きな流れ」があると実感する。自分の選択とは無関係な、いわば避けることのできない大きな出来事。
てめえが南の島に行ったのは、明らかに自分の選択だった。しかし京都に帰ることになったのは、この「大きな流れ」があったのだと思う。
もちろん、それを避けることもできただろう。親父が倒れたにもかかわらず、仕事の多忙や職場の事情を言い訳にして、南の島に残ることも不可能ではなかった。
しかし、てめえはこれは「京都に帰れ」ということなのだろうと思った。そして、そういう「天命」というか、大きな流れには逆らわない方が良いと思った。
呆けた親父と散歩していて、京都に帰って来た時のことを思い出した。
人生にはいろんな出来事があって、出会いも別れもあって、その中にはおそらく必然的なものがあるのだろうと思う。てめえが今京都にいることも含めて。そして京都に帰ってくることで、新たな友人もできたしありえないような出会いもあった。
そういった、人生の「流れ」みたいなものがあるのだろうと思うが、てめえはそれに逆らうのではなく自然に受け入れるよう生きていきたいと思う。それがてめえの「性」だとおもうのだ。
渡辺淳一氏が亡くなったそうだ。医師出身の作家として、ある意味尊敬していただけに残念なニュースだった。どうでもよいが、医師出身で直木賞を取った作家は彼だけだったはずだ。
初めて出会った彼の作品は「花埋み」だった。日本で初めて女医となった荻野吟子の伝記である。10代の時に見合いで結婚した相手から淋病を伝染され、それが原因となり離縁されたことをきっかけに、彼女は医師を志した。詳細はwikipediaに詳しいのでここには書かない。
高校生の時。同じクラスに、ちょっと仲のいい女性がいた。てめえとはウマが合うようで、休み時間などにいろいろ話することがあった。とても頭のいい人だった。てめえのいた高校では1、2を争うレベルだった。
何の話からそうなったのかは全く覚えていないが、ある日彼女は「花埋み」をてめえに貸してくれた。とてもいい本だから読んでほしい、そして感想を聞かせてほしいと。
アホに囲まれて育ったてめえは人から本を貸されるような経験はなかったので、自分なりにまじめに、そして、とても興味深く読んだ。その時は文章の素晴らしさとか全く分かっておらず、その内容に感動したことを語った。
てめえの話を聞いていた彼女は、聞き終わると真面目な顔になり「この本を読んで、決めた。私は医師になる」と言った。医師なんて病院に行ってしか会えない存在で、目指している人すら出会ったことのないてめえは非常に驚いたことをよく覚えている。
それは、ぜひ頑張ってね、てめえが病気になったら診てね、などとてめえは適当なことを言った。彼女はにっこりと笑って、ありがとう頑張るわ、ところで君は、いつも飲み物を飲むときには小指を立ててるね。と小さく笑って踵を返した。
てめえも若かった。小指を立てている意識はなかった。小指なんか立ててるか? などと不思議に思い、家に帰って母に聞いた。今日クラスの友達に、飲み物を飲むときに小指立ててるって言われたけど。昔からそうだっけ?
母は笑って言った。それ言うたん女の子やろ。その子、あんたのこと好きなんやで。
適当なことを言うなや、小指を立ててるのかどうか聞いたんや、てめえも相手もそんな気持ちはないで、とてめえは顔を真っ赤にして足掻いた。いやそんなことないで、女はな、好きな男の仕草が気になってしゃあないもんや、どうでもいい男の仕草なんてどうでもいいんや、と母は言った。
てめえは若かった。そんな女心を全く理解できずにてめえの青春は終わった。
ちなみに彼女は医学部を受験して、残念なことに玉砕したそうだ。女は浪人させないという家庭の事情もあり、彼女は別の進路を選んだそうだ。そして、現在どうしているのかは残念ながら全く知らない。
そしてそんな気の全くなかったてめえは、紆余曲折を経てどういう縁かてめえの高校の卒業生としては初めての医師になった。「花埋み」が縁になったのか? そんなことはないと思うけど、渡辺氏の逝去のニュースを聞いて少し感傷的になった。
追加。母の言うとおり、確かに、物好きなことにてめえのことを愛してくれる人は仕草を指摘するのです。小指を立てるとか、てめえが傾いているとか。笑
指を立てるのも傾いているのも全く自分では気が付かないんですね。まあ、男ってそんなもんだよな。しかしそう言われることで愛を感じるくらいには成長したと思うし、今後はその想いに応えられたらいいなと思う。
祖母が入院したという知らせが入った。叔母がずっと在宅で診ていたのだが、ここ数日はまったく食事も摂れず、休日だからととりあえずの応急処置をかかりつけに求めたらそのまま入院になったそうだ。
祖母の本籍地は、現在てめえが住んでいるあたりである。しかしこのあたりにてめえの血族は全くおらず、この本籍の意味するところは全く分からない。呆けた後の親父に聞いてみたことがあるが「知らん」と一言で片づけられた。世の中にはいろんな闇がある。
てめえが知っている祖母のことは、学校を卒業して、当時の京福電車であった叡電の出町柳駅で、駅員として働いていたということ。もちろん当時の京福は京阪電鉄とは連携しておらず、京都の洛北の極めてローカルな電車だった。
台湾から職を求めて日本に出てきていた祖父は、出町柳駅近くのアパートに住んでいた。台湾人や朝鮮人などの外国人はこの地域にしか住めなかったのだが、それはまた別の機会に語ることにしよう。アパートの窓の外はすぐに線路であり、朝は始発電車の駆ける音で目が覚めた。
そのアパートからは出町柳駅もすぐに見える。そこで駅員として働く祖母に、祖父は惚れたらしい。駅員として働いていた祖母にアパートの窓から手を振ったり、その他いろいろ。そして猛烈に口説いたそうだ。当時は戦争も終わってすぐで、台湾人に対する偏見と言うか差別が強かった。祖父と付き合い「この人と一緒になりたい」と思った祖母は、離縁覚悟で結婚を決めた。「台湾人と結婚するなんて、てめえはうちの娘じゃねえ!」と、一族郎党から離縁を言い渡された祖母は、少しだけ身の回りのものを持って祖父の住む出町柳駅そばのアパートに逃げた。
二人は誰にも祝福されずひっそりと入籍した。祖父が30歳、祖母は20歳だった。日本人として生まれた(1945年以前に生まれた台湾人及び朝鮮人は、生まれた時は日本国籍である。そして国籍消失後も特別永住者としての資格を得ることができたがその話はまた別)二人は数年前なら普通の結婚となったのだが、戦争を経た結果二人は国際結婚となった。そして、祖母は祖父の名字を選択しなかった。てめえの名字は、そんなわけで祖母の名字のままである。
出町柳駅近くの風呂も便所も共用のアパートで、二人の新婚生活は始まった。ガスだけは部屋に引き、コンロ一つでの生活が始まった。
祖父はまず、パン屋で働いたそうだ。朝から晩までパンを焼き、寝る時間を惜しんで働いた。寝ないように「ヒロポン」も使った。そして、仕事の合間には大好きなラーメンを食べた。祖母の話では、祖父はお金があれば3杯4杯とお代わりしたそうだ。
そのうち、「おや、もしやてめえがラーメンを作ればみんな幸せになるのでは」と思った祖父は、パン屋を辞めて自作の屋台を引いた。たった一つだけ引いたガスコンロで豚骨を炊いた。ラーメンは初めは全く売れなかったが、次第に評判を呼んだ。
祖母は本当に、自己主張しない人だった。いつも祖父の横で微笑んでいた。夫婦喧嘩の類も全く知らない。
彼女は親兄弟すべてから離縁されたため、てめえは祖母のルーツをそれ以上に知らない。てめえと同じ名字の親戚の付き合いが全くない。「台湾人だから」と離縁するような親戚に全く興味はないし、今後も追及することはないだろう。
そんな祖母は、祖父にひたすら殉じた。日本女性とはこういうものかとてめえは思うくらいであった。祖父がてめえの母を追い出した時も、全く自己主張をしなかった。
古い日本人だった。確かに、昔の祖父は良い男だったんだろうなと思う。当時としては180cm以上あり身長も高く、ルックスも悪くなかった。ユーモアもあり、食事量も凄かった。食糧難の時代に、なんでももりもり美味しく食べる祖父が、祖母は好きだったのだろうと思う。
祖父が死んで、祖母は一気に老けた。祖父だけの人生だった。友人もおらず、親戚付き合いも全くなかった、というより離縁されていた。時代は流れていたにもかかわらず、差別意識は変わらなかった。そして残された息子(てめえの父)と二人の生活で一気に呆けた。
ずっとてめえの親父が一緒に暮らしていたのだが、親父が呆けたので叔母が面倒を診ることになった。
今はもうご飯も食べれないそうだ。咀嚼ができないという意味なのであれば、生物としてはもうおしまいなのでこれ以上の処置は不要だろうと思う。
本人を診てみてから判断したいと思うが、この高齢で快復をもとめるのはありえないだろうな。だったら、苦しまずにあれだけ最後まで愛した祖父の下に行ってもらった方が良いだろうと思う。
2014年05月05日(月) |
iTunes match/クーポンブック |
知らん間に「iTunes match」のサービスが日本でも始まっていたらしい。正直言って、このサービスはすごい。なにがすごいか箇条書きしてみる。
1.てめえがiTunesに入れている曲を、全てクラウド管理してくれる。
iTunes storeで購入した曲だけではなく、てめえがCDなどから取り込んだ曲もすべて管理できる。しかも、てめえの持つデバイスにいつでもダウンロードできる。
要は、てめえのパソコンが突然クラッシュしても、新しく買いなおしたパソコンに何事もなかったかのようにiTunesの曲を再構成できる。クラッシュしなくても、新たに買ったパソコンとかiPodとかiPadとかiPhoneとかにもダウンロードできる。
25000曲までクラウド管理が可能と言うことだが、てめえのiTunesには一万曲もないので全然大丈夫。
2.手持ちの曲がiTunes storeで配信している曲なら、アップロードされずに高音質の音源に置き換えられる。
これはすごい。mp3とかも置き換えられるらしい。権利とか大丈夫なのか? と思うところだが、使用料にはそこらへんも含まれているらしい。
正直、ずっと待っていたサービスなので速攻申し込もうかと思ったが、同じことを考えている人がたくさんいるようで、現在繋がりにくい状態らしい。なので、もう少し待ってサービスを使おうと思う。とにかく凄い世の中になったものだと思う。
いま、「クーポンブック」なるものが売り出されているらしい。一冊1000円くらいで売られており、中には100店くらいの店のクーポンが含まれている。例えば800円のランチがそのクーポンを使うと500円で食べられる、といった具合である。この本を買った人にしてみると300円得したわけで、他の店も同様であれば4店で1200円得するわけで、クーポンを使用するだけで元が取れる。それ以上は使えば使うほど得になる。
一見店側は損しているだけのような気がする。しかしこのシステムは、単に「損して得取れ」だけではない巧妙なものなのだ。
てめえは接客業をいろいろしてきたのでわかるのだが、店側が喉から手が出るほど欲しいのは「常連客」である。常連客が多くなればなるほど商売が計算できるようになる。どうでもよいが、現在のてめえの稼業だけは常連客はいない方が良い。
常連客をどうしてゲットするか。それには、まず店に来てもらわないと話にならない。
そのために昔よく採用された(今もたまに見かけるが)方法は、オープンして数日、たとえば3日だけとか、赤字覚悟の安売りをすることである。そのためには店頭で告知するだけではなく、それなりに広告を打つ必要がある(今はネットもあるが、そもそもの知名度がないと誰もホームページは見ない)。
派手に広告を打っても、その効果は安売りする数日だけ。しかも基本的にはその地域だけの広告になるので、嗜好の合う、つまり今後常連になる可能性のある人というよりは、もの好きな近所の人で、しかも安売りに敏感な人だけがやって来る可能性が高い。
しかし、クーポンブックはこの辺の事情をすべてクリアする。ランチを800円から500円にすると、客としてはすげえ得した気分になるが、店側としては300円の負担。例え1000人がクーポンを使用して食事をしたとしても30万円。これは、広告費と考えたらありえない値段ではない。
しかも、広告費として投入したと考えればすげえ効率が良い。なんせ30万円の広告費で1000人が来店したわけだ。しかも、この人たちは、クーポンブックを買うと言うことで食べ歩きの好きな人たちであるというセレクションがかかっているし、しかも数ある店の中で自分の店に興味を持ってくれた人たち。
これは常連になる可能性がある客ということになる。非常に効率が良い。
てめえはそこに思い当って、この「クーポンブック」というのはなかなか頭の良いやり方だなと感心した。いやあ世の中にはまだまだ頭のいい人がいるなぁ。
2014年05月02日(金) |
卑屈である、ということについて。 |
卑屈であるということについて。
てめえは卑屈さが大嫌いである。好きな人もあまりいないとは思うが、ここまで徹底して嫌いなのは、てめえがかつてそうだったからだと思う。そう、てめえはかつては極めて卑屈な人間だった。だから、ほとんど同族嫌悪に似たところはあると思う。
てめえの人生は、両親に翻弄され続けた人生だったと思う。
小学校の時、何を思ったか突然父親が仕事を辞めて選挙に立候補した。おそらく親父なりに社会を憂いていたのだろうと思う。てめえはまったくそのあたりの事情は知らないが、母は最後まで選挙に出ることには反対していた。そりゃあそうだろうと思う。男のロマンと女の事情が戦った結果、母の父への愛が勝って親父は選挙に出馬し、そしてみごとに上位で当選した。
しかし子供にとってはそこから地獄のような日々が待っていた。
選挙は終わった。しかし、若くて上位当選した親父はたちまち地域で話題となった。
「おい○○の息子やろお前」と、知らないクソガキに突然頭を叩かれる。てめえが振り返ると「おい、やり返す気か? おれを殴ったらてめえの父ちゃんは仕事なくなるぞ」と言われ、無抵抗のまま殴られた。クソ田舎はまあこんなもんである。
議論するのなら。脳みそでの勝負ならば、負ける自信はなかった。もちろん殴り合いでも負ける気はしなかったが、その手段は封印され、てめえは結果的にただ殴られるだけになった。肉体的にも、精神的にも。
親父が議会で教育委員会の役職に就いたことで、教師の態度も腫れものに触れるようなものになった。
そんなクソみたいな、親父に起因するエピソードは、両親の突然の離婚にて終結した。それまで議員として成功していた親父は「嫁に逃げられた議員」というレッテルを貼られて公人としての進路を絶たれ、次の選挙の出馬を断念した。
そして、てめえ的には別の地獄の日々が始まった。詳細は省く(過去のどっかにあります)が、いろいろあって父側に残らざるを得なかったてめえは、最終的に親父を捨てた。
母との生活は、経済的には最低だったが精神的には最高だった。母は貧乏でも笑いを忘れず、家族での楽しみを優先した。土日になれば家族で近くにレクリエーションに出た。弁当を作り、御所とかその辺の川べりとか、とにかく金のかからないところに家族みんなで出かけた。笑いの絶えない貧乏レクリエーションはとても楽しかった。心を満たすのはお金ではないということを心の底から実感した。
しかしそんな生活をしていても、ないものはなかったのだ。てめえは知らなかったが、母はいろんなところからお金を借りまくっていた。しかも、それだけではなかった。詳細はさすがに書かない。
ある時、妹たちが寝静まってからてめえは母に相談された、実は贅沢を何もしていないが家計は火の車だったということ、ヤバい筋からも生きるためにお金を借りたこと。実は一家心中も考えていたということ。でもなんとか頑張って働いてお金を作ったので返しに行きたいが、正直一人で行くのは怖いということ。ので、てめえもついてきてほしいと。
そうか。てめえは一人で納得した。そしててめえは我が家に横たわる闇を悟った。さすがにその金をどうやって作ったのかは聞けなかった。
それはその数日前の夕方だった。母は、何気なく「ちょっと散歩に行こうか」と、てめえを誘いだしたのだ。その言葉とは裏腹に、母の表情は曇っていた。散歩に行く人のものでは少なくともなかった。
自転車に乗って川べりの道を二人で走った。先行する母は振り向きもせず、ただペダルを漕いでいた。
ひたすらペダルを漕ぐ母の背中には、いつしか殺気が漂っていた。ああ、てめえはおそらく、このまま人気のないところで道連れになるのだろうなと覚悟した。しかし恐怖はなかった。親に殺されれば、それはそれで一つの理屈だろう。てめえを産んだ人に殺されるのはある意味もっとも幸せなことではないだろうかと思った。
母はきっと途中で考えが変わったのだろうと思う。何も言わずに川に架かる橋を渡り、反対方向を走って家に帰った。その間いっさいてめえの方を見なかった。
それから数日後、母と二人で祇園近くの一軒家に行った。「ここから先は私一人で行く。30分たっても出て来なかったら警察に連絡してほしい」と母はてめえに告げて、その家に入って行った。
何かあればすぐに飛び込んでいくつもりだった。てめえはこう見えても柔道の心得もある。そう、何かあれば。数日前に、妄想かもしれないが母に殺されかけたてめえは、人を殺す覚悟ができていた。そして母が家に入ったその後の数分間をよく耐えた。ただ、数分後には殺人マシーンと化した自分が想像できた。
幸いなことに、母は数分で出てきた。よくわからんが、借金の返済はうまくいったようだ。その家から出てきて母はてめえを呼び、二人でその家の主に深く頭を下げた。
なんで、うちだけこんなことになるのだろ。世の中は腐っている。苦労してい ない人もたくさんいるし、こんなてめえのような世界を知らずに真っ直ぐに大人になっていく人がほとんどではないか。
てめえはそうして卑屈な人になっていった。努力は報われず、貧乏人の子は救われない。
家計を助けるために、ずっとアルバイト三昧だった。公立高校では禁止されていたアルバイトだったが、背に腹は代えられない。学校にばれたら学校を辞めるしかなかった。
高校一年のときの夏休みは、40日間休みなく倉庫のアルバイトをした。「おい、休み中は暇で死にそうやし、遊ぼうや」という同級生には殺意が湧いた。
40日間休みなく働き、20万円ほどの賃金を得た。当時の高校生にしてはとんでもない稼ぎだった。自分へのご褒美に安いギターを一台買って、残りは家計に入れた。
高校一年生の冬休みは、その後もお世話になる郵便局アルバイトをした。暖かい部屋の中で仕分け作業をする女性とは異なり、男性は寒い中かじかむ手をてめえの息で暖めながら、自転車を漕いでひたすら郵便物を配達をした。もちろん、得たお金は家計に消えた。
なんで、てめえだけこんなことになっているのだろ。同級生の連中は休みを満喫しているというのに。
そんなてめえはどんどん卑屈になっていった。残念なことに負の力を正に変えるほどの器は10代の人間にはなかったのだ。世の中はクソの塊で、苦労していないやつはクソして死ね。
そんなわけで自然とてめえはロックに走った。今思えば適切な鬱憤晴らし。卑屈さ満開のてめえ作の歌を、恥を忍んでさらしてみる。「ひと(親とか、その他)の金」がなかったてめえの妄想が爆発している。
「クソして死ね」words by てめえ music by 今祇園で歌ってる人。笑
ひとの金で着飾って 気取った大人が歩いてる ひとの金でメシ食って 女口説いてクソしてる
バイトもせずに コンパでナンパ 勉強せずに 理想は高く
お前らみんな クソして死ね お前らみんな クソして死ね
ひとの金で酒飲んで ゲロってアジって騒いでる ひとの金で部屋借りて 男連れ込みしゃぶってる ひとの金で免許取って 車の中で口説いてる ひとの金でエロ本買って ティッシュ片手に自家発電
その電気で パンでも焼こう コーヒー淹れて もう一発抜こう
お前らみんな 感電して死ね お前らみんな 感電して死ね
ひとの金でお茶飲んで ウンチク垂れていばってる ひとの金で学校行って 授業サボってクソしてる ひとの金で旅行して 一夜限りのmake love ひとの金でビデオ見て ティッシュ片手に自家発電
その電気で お風呂を沸かそう ○○○(自主規制)洗って もう一発抜こう
お前らみんな 感電して死ね お前らみんな 感電して死ね
お前らみんな クソして死ね お前らみんな クソして死ね
高校3年生の冬休み。てめえは毎年恒例となった郵便局バイトに応募し、漫画のようだが正月の一番くそ忙しい時に、道端に落ちていたバナナで転んだ。
高校2年、及び3年も同じ感じなので省略。学校に禁止されているアルバイトをせざるを得なかった高校生活。大学進学って何? それ美味しいの?
そんなてめえの卑屈さを癒してくれたのは、主に二つ。
一つ目。負のエネルギーを始めて正の方向に燃やし、てめえは奇跡的に大学受験に合格した。世の中の最底辺から、初めて表舞台に出ることができた。大学生活で出会った友人たちは本物のエリートで、卑屈さの欠片もない眩しい人たちだった。てめえは卑屈さを全く持っていない人たちに初めて会った。そして、卑屈さに囲まれたてめえの人生を初めて恥じた。
二つ目は、娘が生まれたこと。無垢な娘を見て、てめえが卑屈であったということの恥ずかしさと、娘にはこうなってほしくない、と言うことを強く感じた。
そしててめえは変わった。と思いたい。「今も卑屈さ全開やんけ!」と言われるかもしれないが、自分ではそうでないように気をつけているつもり。そして逆に、大人になっても卑屈であり続ける人には可哀想だと思わざるを得ないし、同族嫌悪的なものを感じる。ていうか、30超えたらさすがに克服しようや。出来ない人はそれまでだし、てめえもそうであった可能性は否定できない。
てめえの人生は、20歳くらいまではいくつも小説が書けるくらい悲惨だったが、その後は比較的ありがたい人生を送っている。そのせいか、たいがいのことは苦労とは思えず、自分としては平坦な人生を歩んだために20歳から全く齢を取っていない顔になった。「男の顔は履歴書である」と言うのとは裏腹に、てめえは残念なことに深みのない顔をしているらしい。逆に、20歳のころはすげえ老けてたぜ? ワイルドだろ?
前回の続き。
さて今日も疲れ果ててしまった。あまりに疲れすぎてドッグフードで晩酌してしまった前回を反省し、今日はどこか帰り道にある店で適当に食べて帰ろうか。
そう考えながらとぼとぼと歩いていると、ぽつりと営業している一軒の中華料理屋が目に入った。いかにも場末の店と言った風情で、疲れ果てた労働者が飲んだり食べたりするのがぴったりな店に思え、気が付くとてめえは吸い込まれるようにその店の暖簾をくぐっていた。
店の中は意外と込み合っており、思った通り客はほぼ労働者と思しき男性だった。てめえは僅かに空いたカウンターの椅子に座った。
テーブルでは家族連れも食事を楽しみながら寛いでいたりして、きっとご近所さんから愛されている店なのだろうなと思う。今まで全く気が付かなかったことがとても残念に思えてくるくらい、不思議とこの店のカウンターは落ち着く。
さっそく餃子とビールを注文する。すぐに運ばれてきたビールで、一人乾杯した。旨い! よく冷えたビールが五臓六腑に沁み渡り、てめえのたまった疲れを心地よくほぐしていく。
あっという間に餃子も焼き上がった。さっそく一口頬張ると、パリッと焼けた皮の中から肉汁がほとばしった。熱っ。慌ててビールで流し込むが、これがまた最高の組み合わせ。
餃子とビールという黄金の組み合わせで疲れがほぐれ、ようやく食欲が湧いてきた。追加で炒飯を注文する。あいよ、と注文を受けたご主人は、さっそくよく熱された中華鍋にごま油を垂らして調理を始めた。目の前のカウンターに、ごま油のよい香りが漂う。
目の前で、リズミカルにご飯が炒められていく。小刻みに鍋が降られていく様はまるでセックスしている時のようだ。
しかしそのセックスも早いこと。あっという間にぱらっと炒められた炒飯がカウンターに並んだ。さっそく一口頂くが、ぱらりと炒められており旨い。味は濃すぎず、よく噛みしめるごとに旨いのだ。てめえはセックスの余韻をゆっくりと楽しむかのように炒飯を咀嚼する。ああ、じんわりと旨いぞ。
なんだか炭水化物満点の食事になってしまったが、脳が糖分を欲していたのだろう。なんだか意味のわからん妄想が湧いてくる元気も出てきたことだし、帰って風呂入って寝て明日も頑張ろう、とてめえは満腹になった腹をさすりつつ帰路についた。
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