解放区

2014年03月22日(土) 3日目

さて、実はここまでで、予め考えていた「行きたいところ」をあらかた行ってしまったのだ。どうする? と弟に尋ねてみたが、何もプランはないとのこと。

じゃあ午前中はぶらぶら街歩きして、昼から淡水にでも行こうかということになった。

そんなわけで、午前中はぶらぶら街歩き。なんとなくお寺にでも行こうかということになり、龍山寺へ。てめえはベタに世界平和を祈った。

お守り売り場はお土産にするのかお守りを求める日本人の日本語が飛び交っており、売り場の人も日本語で応対していた。逆に線香売り場は台湾人ばかりだったのが印象に残った。


そこからぶらぶらとひたすら歩いた。実はお目当てのお茶屋があったのだがなぜか閉まっていた。特にお茶に執着していたわけではないので、またさらにぶらぶらと歩いた。

昼前になりさすがに腹が減って来たので、牛肉麺の店に入る。弟はあっさりスープを、てめえはピリ辛スープを選んだが、いずれも意外とあっさりしていた。うーむ、日本のラーメンスープは意外と複雑な味なんだなあと思いを馳せてみたぜ。

牛肉麺屋で料理を待っている間に、kindleに入れてあったガイドブックを見ていると「猫空」なる場所を発見した。なんでもロープウエーに乗っていくところで、そこには茶畑とお茶屋があるらしい。お茶屋さんは、自分の畑でとれたお茶を出すらしい。

朝にお茶屋さんにふられていることもあり、ちょっと興味を持った。弟も「淡水は前にも行ったから、そっちの方が興味ある」とのこと。というわけで、予定変更。

その後また周辺をぶらぶら。アニメイトに行きたいと弟が言うのでアニメイトに行ったが、日本から輸入したものばかりで全然面白くなかったそうだ。

その後牛肉麺に続いて発見した麺屋で連食。笑 なんせ、凄い行列だったのだ。整然とした行列にてめえもよく並んだ。その店「阿宗麺線」の麺は、カツオ出汁がぷんと効いてとても旨かった。これはなかなか面白く当たりだった。


それからMRTに乗って、「猫空」を目指した。MRTに乗って終点の「動物園」まで行き、そこからロープウエーに乗る。このロープウエーが3kmくらいあり、のんびりと台北の空旅? を楽しむことができた。

さてこの猫空に行くまでだったが、ものすごい人だった。それも観光客らしき人はほとんどおらず、おそらく皆台北の人だったと思われる。そう、猫空は、地元の台北っ子が週末を楽しむために行くところなのだ。

ロープウエーの旅を楽しみ、猫空駅に着く。空からは下に臨む茶畑が見えたが、駅から降りたらたくさんのお茶屋さんがあった。それぞれの店は結構離れているので、駅からバスも出ていた。

しかし我々は特に行き先も決めていないので、適当にぶらぶら歩くことにした。

駅からは道路が3方向に分かれていたので、適当に道を選び歩き始めた。山の上の空気は澄んでいてとても気持ち良く、のんびりした雰囲気もとても良い。これはなかなかいいところに来たかもしれない。

しばらく歩くと、お茶を飲ませる店やレストランなどがぽつぽつ道端に並ぶ。

てめえらも適当な店に入り、お茶にすることにした。ここ猫空は鉄観音が有名らしいので鉄観音を注文しようとしたのだが、てめえらが入ったお店は英語も日本語も通じなかった。店の人が紙とペンを持ってきてくれたので何とか注文は通ったのだが、よく考えてみればそれが外国旅行としては当たり前なんだよな。

そんなわけでしばしお茶を楽しむ。お店の人は、7煎目まで楽しめると言った(様な気がした)。

1煎目。香りは強いが旨みはいまいち。
2煎目。香りも旨みも強い。
3煎目。香りは落ち着き、旨みがより強い。てめえはこの3煎目が一番好きだった。
4煎目。また違う旨みがあり、しっかり旨い。しかし弟は「もうおなかたぷんたぷんや」と早くもリタイア。笑
5煎目。二人分頂きました。笑
6煎目。まだ旨み十分だったが、てめえもリタイア。笑



その後台北市内に戻る。鉄観音を山盛り飲んだので、尿意が半端ない。笑

そのあと市内をぶらぶら。気が付くと夜になっていたので、レストランを探したが、てめえがあらかじめリストしていた店はどこも予約でいっぱいだった。土曜日の夜だから当たり前と言えば当たり前ですね。いろいろ行きたい店はあったが、これは今度の宿題にしましょうね。


そんなわけで、弟のリクエストで初日とは別の夜市へ。ここは以前に訪れた通りの昔ながらの夜市で、お酒もなく猥雑な雰囲気が残っていた。

仕方がないので近くのコンビニでビールを購入し夜市を歩いた。しかし人も多く、ゆっくりできないのがどうにも落ち着かない。お酒もないし、なんだか盛り上がらず。弟は弟で好きなものを食べていた。しかし彼は台湾に来てからよく食べる。

夜市を堪能し、ぶらぶらと街中を歩いた。


とある土産物屋さんの前に、大きなバスが止まった。バスの中から日本人観光客がどっと吐き出され、土産物屋の中に消えていく。外から見てもあまり面白そうな店ではなく、その観光客団体以外の客はいなかったことから、おそらくツアーで強制的に連れて行かれる土産物屋だろうと思った。

安いツアーではえてしてこういうことがある。客は安くで旅ができる代わりに、ツアー主催者と結託しているお店に連れて行かれる。そこで買い物をしなくても全くいいのだが、何か買ってしまうのが観光客の性というものか。

てめえ的にはそういった店には全く欲しいものもなく値段も観光客値段のことが多く、したがって単なる時間の無駄なので、そういった土産物屋のおまけが付いてくるツアーはよほどの理由がない限り避けるようにしている。まあそもそもツアーで旅行しないけどな。


ぶらぶら歩いていると、「牛肉料理の店」を発見した。てめえは夜市であまり食事していなかったし、弟も小腹がすいていたようだったのでここで食事することにした。今回の旅行でほぼ唯一「適当に入った店」となったが、意外とここが当たりだった。というか、台北では食に関してはほとんど外れがないかもしれない。


ここでいろいろ牛肉料理を頂いた。もちろんビールもあり、ゆっくり食事できたのが良かった。やっぱり食事にはお酒がないとさみしいね。



2014年03月21日(金) 二日目。

朝。自然と7時前には目が覚めた。今回泊まった宿はスイートルームタイプなので、ベッドルームとは別にリビングがある。そんなわけでシャワーを浴びて8時くらいまでリビングのソファーで本を読みながらごろごろし、それに飽きたら全く起きてくる気配のない弟を叩き起して雙連の朝市に向かった。

ここはほぼ地元民御用達といった風情で、肉や野菜や魚などを売る店が軒を並べる。食べ物を提供しているところはなかったが、これはこれで面白い。一通り見て回った後、近くの「天祥蚵仔麺線」という店で麺を食べた。くたくたに煮た麺に、具は牡蛎と肉団子とモツ。汁はエビのスープが利いていて、これが香菜の風味とよく合いとても旨い。地元の方もたくさんいて、もちろん誰も「麺固め」などと無粋なことをいう輩はいない。

大が50元、小が40元で、機会があればもっといろいろと食べたいと思っていたので弟と二人とも「小」にしたのだが、これでも結構ボリュームがあった。豆板醤のようなものと胡椒が置いてあり、後半はちょっと味変してみようと思い豆板醤を投入したが、辛さだけではなくさらにうま味も加わりこれまた旨かった。


さらにぶらぶら歩く。弟は「潤餅」の屋台を見つけて「これも旨そう! ねえ買っても良い?」と尋ねた。これは要は台湾風のクレープというか、小麦粉を薄く伸ばして皮を焼き、そこにいろいろな具を乗せて巻いて食べるもののようだ。

おう注文してみ、と言うと、にっこり笑って得意(?)の英語で注文を始めた。のだが、これが全く通じない。弟の英語が下手糞なのではなく、英語自体がダメのようで、English, no. と言ったきり、台湾語で「誰か! 英語わかる人!」といった勢いで人を呼びに行こうとしている。なんだかめんどくさいことになりそうだったので、なんとか中国語を思い出し「要一个」と注文した。


無事買うことができ、焼きたてを頬張る弟。一口もらったが野菜がたっぷりでナッツも入っており、味付けは意外に甘めであった。これもまた旨かった。

食欲旺盛な弟はさらにもち米の炊き込みご飯を購入。さすがに途中で腹いっぱいになったようで残りはありがたく頂いたが、台湾風ちまきの中身みたいなものでこれもまた旨かった。何食っても旨いぞ台湾。



朝市を堪能した後は、弟が行きたいと言っていた書店へ。本だけではなく雑貨もあったので結構楽しんだ。この店で面白かったのは、雑貨も「メイド・イン・台湾」のものが多かったこと。どこにでもあるような高級ブランドあるいは外国製の雑貨を置いているような店とは一線を画している。弟も欲しかった本が買えたようで大満足している。

その後、きわめてベタだが歩いて101へ。この時点でちょうど12時くらいになっており、飲食店街は混雑を極めていた。

展望台で時間をつぶそうかと思ったが、こちらも凄い混雑で、ありえないくらいの行列。てめえも弟もすでに経験済みなので展望台に行くのは断念した。ランチを予定していた「鼎泰豐」も凄い行列。まあ時間が時間だし仕方がないわな。

「鼎泰豐」はそもそも本店に行くつもりだったのだが、鼎泰豐経験者からは「本店はやめておけ、101店が良い」とのアドバイスを受けたのでこちらに変更した。

なんでも本店の方は行列のオペレーションがあまりよくないこと、101店の方が箱も大きいこと、そして実際に両方で食べてみて、あまり味に変化を感じなかったからとの理由だった。「行くのなら本店」をモットーにしているてめえとしてはそれでも本店に行こうかと思ったが、鼎泰豐経験者が口をそろえて同じことを言うので今回は言うことを聞いてみることにした。

まあ朝から腹いっぱいいろんなものも食べたし、全く腹も減っていなかったのでもう少しぶらぶらすることにした。


というわけで、今回てめえがぜひ行きたかったほぼ唯一の場所である「四四南村」に行くことにした。101から徒歩で5分くらいの場所で、元々は国民党軍の軍人が住んでいた村だったところを保存してあるのだ。その一角は雑貨屋+カフェになっており、べーグルが旨いらしい。


今回もGoogle mapで移動する。これほんまに便利で、迷うことなく到着できた。

さてこの四四南村はなかなか風情のある一角が残されており、大都会の真ん中にこのような戦後そのままの古い村が突然出現する様はまるでタイムスリップしたような気分にさえなる。

この一角にある雑貨屋+カフェの「好、丘」に入る。手前半分が雑貨スペースになっており、ここも「メイド・イン・台湾」の雑貨しか置いていない。この店は、こだわってあえてそうしているようだ。

台湾の調味料など大変面白そうなものがあったので、いろいろと買いこんだ。結論から言うと、今回の旅行で買い物したのはほぼここだけになってしまった。

カフェはまた今度の機会ということにして、101に戻る。鼎泰豐に向かうとさすがにさっきよりも入店待ちの人数は減っているが、それでも凄い人。店先には「45分待ち」と表示されている。

さっき通りかかったときにシステムを確認しておけばよかったが、どうやら整理券を発行しているようだ。順番が来ると電光掲示板に番号が示される。げげっ、これなら四四南村に行く前に整理券だけとっておけばよかった。

うーむ、これならほかの店にしようか。てめえはそう言って、第二候補に考えていた「欣葉」に向かった。101の85階に位置するこのレストランは台湾料理の名店だそうだ。


しかし、店を選ぶ客観的な評価というのはとても難しいと思う。そういう意味では「ミシュランガイド」は一つの基準を示してくれているので、ある意味便利ではあるなと思う。


というわけで85階に向かおうとしたが、何と専用のエレベーターがあり、入口近くには受付があって予約のある人しか乗れないらしい。えー予約なんてしてねえよ、と思いつつ、予約がなければ入店できないのか? と尋ねた。いえ、少々お待ちいただければ…との回答だったので、同じ待つのなら初志を貫徹しようと踵を返した。


戻ると待ち時間が40分に減っていた。さっそく整理券をもらう。整理券と同時に「注文票」のようなものを渡された。予めここに注文する品を書き込むらしい。これはこの店独特の方法ではなく、台湾ではほかの店も同じシステムをとっているところが多かった。

さっそく弟と二人でメニューとにらめっこ。看板メニューの「小籠包」はもちろん注文。あと「トリュフ小籠包」にも興味があり注文。それに加えて「小菜(台湾おつまみ)」「鶏肉の紹興酒漬け」「紅油炒手(ピリ辛ワンタン)」「炒飯」を注文。もちろん台湾ビールも。昼から飲めるのは旅行の醍醐味ですね。

そうこうしている間にあっという間に順番が来た。どうやら整理券だけゲットしてほかの店に流れた人もいたみたいで、結構すぐに席に案内していただいた。


「小菜」

春雨ともやしと昆布などを和えたもの。つまみとしては良かった。

「鶏肉の紹興酒漬け」

てめえチョイスに見えるだろうが実は弟チョイス。もちろん酒の肴としてはばっちり。

「小籠包」

さて、今回の本命メニュー。さっそくそのままで頂いたが、正直なところ「あれ? こんなもん?」。それなりにうまかったが、驚きの旨さではなかった。これは魏飯夷堂とあまり変わりない印象。期待が大きすぎた?

「トリュフ小籠包」

これも同じ。5個入りを始め注文したのだが、「二人なので2個でも可能ですよ」といわれ、その通りにした。それでよかったと思う。

「紅油炒手」

結論から言うとこれが一番旨かった。ワンタンの皮もぷりっとしており何よりタレが秀逸。弟は「このタレだけでご飯が食べたい!」と、こっそり後で出てきた炒飯にかけて食べていた。またこれが旨かった。弟は、この皿を最後まで下げられないように守ってましたよ。

「炒飯」

これも旨かった。上記のタレとまた良く合った。



ビールも2本頂き、大満足。サービスも素晴らしかった。今度はぜひ本店を攻めようかな。


食事を終えて、弟の希望で「九份」へ向かった。行きはバスで行ったが、またこれがすごい人だったのと、九份に向かう客のほとんどが日本人だったのにうんざり。

着いてからまたすごい人だかり。しかもほとんど日本人で、人ごみの大嫌いなてめえは人に酔いました。正直もうごちそうさまです。街は悪くなかったのだけどね。今度行くときは宿泊して、人気のない夜と朝を楽しむのが良いだろうと思った。


帰りの台北直通バスはこれまたすげえ行列だったので、近くの瑞芳駅までバスに乗り、そこから鉄道に乗って台北に帰ることにした。

これがまたのんびりとした鉄道で、各駅停車の上に一つ一つの駅での停車時間が長い。正直とんでもない時間がかかってしまった。

台北に戻ったらもうぐったり。復路だけで2時間くらいかかったのでは。そんなわけで目当てのレストランももう閉まりそうな時間になっていたので、とにかく急いだ。

目指したのは「長白小館」。酸菜白肉火鍋で有名な店で、酸味の効いた白菜の鍋。デフォルトで豚肉が1人前付いており、さらに豚・牛・羊の3種から2種類の肉をチョイスできる。もちろん豚二つみたいな注文もできるようだ。

正直、外国で頂く牛肉は外れが多いので、ためらわずに豚と羊を選んだ。


まずは鍋に火の通っていない豚バラ肉が乗った状態で、鍋が運ばれてきた。火が通ると食べごろで、自分で作ったタレにつけていただく。

タレは基本は芝麻醤に豆腐乳、韮泥(おろしにんにく)、韮菜花醤(ペーストにした韮)だが、てめえはここにさらに自家製と思われるラー油とおろしにんにく、そして欠かせない香菜を山盛りっ! 

さてこれが結構旨かった。肉と白菜などほかの具を順に頂いたが、結構な量で。しかも高野豆腐のようなものや椎茸やカニなど山盛り。カニは正直いらんかったかな。

肉と白菜だけでも結構な量があったので、男二人で腹いっぱい頂きました。もちろんビールと共に。笑 肉は豚も羊も旨かった。


弟と宿に戻る。帰りに飲み物を買おうと宿近くのセブンイレブンに寄った。「歓迎光臨!」と店員さんの声が響く。なんかこの辺も日本的だなあと思う。

白酒と台湾ビール、そして焼いた腸詰と、茶葉蛋(茶葉ゆで卵:お茶と八角などの香辛料で茹でた茹で卵)をつまみとして思わず購入。


レジで支払いを済ませ、店を出ると、何と店員さんが追いかけてくる。なんだ? お金は払ったけど、と思ったのは全くの杞憂で、なんとてめえはレジでぴったりお金を払ったつもりが、1元と5元を間違えて払っていたために4元のお釣りが生じていた、と店員さん。これにはこちらの方が恐縮してしまった。正直、4元くらいいいのにと思ったし、4元のお釣りのために外まで客を追いかける国民性は日本と台湾くらいなものじゃないのかと思った夜だった。


ちなみに茶葉蛋はとても旨かった。弟も「旨い! 旨い!」と食べていた。腸詰はやっぱりコンビニクオリティーでいまいちだったぜ。



2014年03月20日(木) 初日。日本精神(リップンチェンシン)に出会う。

台湾の桃園国際空港へと向かうピーチ航空のピンク色の飛行機は、ときおり機体を揺らせながら厚い雲の中へとゆっくり沈んで行った。ベルト着用のサインはとっくに点灯しており、客室乗務員含めてすでにみな着席している。

細かい揺れが続いたかと思うと、ときおりジェットコースターに乗っているときのように大きく揺れる。厚い雲の中を通過しているので、ある程度は仕方がないと頭では理解しているが、飛行機経験値の少ない弟は隣で一人青ざめていた。

「いま、むっちゃ降下したで。大丈夫なん?」
「大丈夫、雲の中やったらこれくらい揺れるわ」

しかしまあビビるのも仕方ないよな、と思うくらいの激しい揺れもあった。

しばらく雲の中の飛行が続くと少し退屈してきたので、持ち込んだ本を読むことにした。


今回の旅行では、カラー写真がたくさん掲載されている台湾の食に関する本のみ紙媒体として持ち込み、他の旅行用ガイドブックなどは全てkindleで調達した。ので、「書籍」として持ち込んだのはこの二つのみである。そして着陸態勢に入ると、すべての電子機器の利用は禁止されるのでkindleは読むことができない。

揺れる機体の中で本を読んでいると、本を読む私を見ている人の方が気持ち悪くなるらしい。私は船の中でも読書を楽しめる「鉄の三半規管」を持っており、したがって乗り物酔いをしたことがない。

しばらく読書をしていると揺れも小さくなってきた。そろそろ雲の中から出る頃だろうか、などと考えながら、心地よい揺れとともに私は短い時間だけ眠りに落ちた。



不意に訪れた着陸の衝撃で眼が覚めた。何とか無事着いたことを、隣の席の弟が喜んでいる。まあよく揺れたからね、と私は答えた。


飛行機を出る瞬間は、いつもその国独特の匂いがして、ようやく外国に来たのだと言う期待が高まる。

桃園国際空港の中では、ほんのりと漢方と中華スパイスとお香と独特の湿気を含んだ空気が私を包んだ。ああ台湾に来たのだなあと思う一瞬。

空港内を歩く。ぶらぶらと歩いていると免税店のお姉さんと目が合った。にっこり笑いかけられたのだが、この人の脳内は中国語で思考しているのだよな、などと妙なことを考えた。


そういえば、関西国際空港から飛行機に乗り込み、台湾に到着するまで、周りで聞こえる会話はほとんど日本語だった。なのでてっきり乗客のほとんどは日本人なのだろうと勝手に考えていたが、入国審査では台湾人の方が多かったのには驚いた。日本人と中国人が同数いれば中国語ばかりが聴こえてくるのだが、日本人と台湾人がほぼ同数いれば日本語の方が聴こえてくるのだ。つまり、日本人の方が声が大きく、台湾人の方がおとなしいのだ。この事実は私をひどく驚かせた。


入国審査は一瞬で終わった。日本人以外の外国籍の方は質問攻めにあっているのと比べ、日本人の審査のなんと早いことか。ほぼ最低限しかチェックしていないのは、日本人という集団に対する信頼の表れだろうと思う。


空港を出て、台北市内に向かうリムジンバスを探す。これもまた一瞬で見つかった。非常に分かりやすい動線になっている。

チケット売り場に並ぶ。自分の番になり、とっさに出たのは英語だった。"To Taipei Station, two ticket, please"

チケット売り場のお姉さんは、クソ面白くなさそうな顔をして

「台北駅行き、二枚ですね。二枚で250元ですありがとございましたー」

と流暢な日本語で返した。



バスは少し古かった。時間になり動き出すと、車内の電気は落とされた。ようやく愛用のiPhoneの、wifiをオンにする。桃園では電話は拾えないようだ。

仕方がないので車窓の風景を眺めた。もう真っ暗になった台湾の街並みはどこか懐かしく、「異国に来た」というよりは何ともほっとする感じがするのは父祖の地だからだろうか。あるいは今回で4回目の訪問だからだろうか。おそらくどちらもあるのだろうな、と私はぼんやりと考えた。


バスは台北市内に入ると高速道路を降りた。二つ目のバス停で下車する。さて、簡単な地図はあるのだが、まずはどっちが右か左かもわからない。

さっそくiPhoneを使ってみる。まず、台北市内に入っており、動くバスの中では電波がほとんど拾えなかったが、道端でじっとしているとWifiを拾うことができた。

さっそくGoogle mapを起動すると、たちまち自分のいる位置がわかる。なんか、とんでもない時代になったもんだと思う。あとは宿の位置を確定して、mapの通りに歩いた。意外と宿は近かった。


フロントには同年代くらいのお姉さんが一人で退屈そうに西瓜の種を噛み破っていた。とりあえず英語で、と思い英語で会話を試みた

「We have a reservation...」
「あ、どーぞー。どぞー。はいここ座って、どーぞー、で、まずはパスポート見せてください」

とまた日本語で返ってきた。以前に来た時は、それでも10年前になるが、老人は日本語を話す人がまだたくさんいたが若い人はさっぱりだったのに、なんだかそういう点でも驚きを隠せない。


宿に荷物を置いて、弟のリクエストで夜市に行くことにした。


宿を出て、ぶらぶらと夜の街中を歩く。空港からバスに乗って移動している時よりも、こうして自分の足で歩いているときの方が異国に来たという実感を強く感じる。

途中でセブンイレブンに入る。以前に訪れた時にはお酒を置いている店が皆無だったので、お酒が欲しい場合は自分で購入するしかなかったからだ。コンビニではそんなに多くの種類のお酒を置いているわけもなく、仕方なくというわけではないがとりあえず台湾ビールを1本だけ購入した。


10年ぶりに訪れた士林夜市はがらりとその様相を変えていた。10年前はそれでもまだ屋台が並んでいたのだが、今は市場と一体化して地下の食堂街に成り果てていた。

情緒は全くなくなったが、飲兵衛にはありがたいことに食堂ごとにビールを置いているところが多かった。これは以前にはなかったので驚いた。予めビールを購入していたというのに、嬉しい悲鳴といっていいのかどうか。

さっそく一つの店に腰を落ち着ける。もちろんビール含めていろいろ注文したのだが、意外だったのが、弟が臭豆腐を「旨い! 旨い!」ともりもり食べたこと。そうかそれは良かったね、と一皿のほとんどを一人で平らげる弟を見ながら、台北初日の夜は更けていった。



以下備忘録



往路

出発は関空第2ターミナル。「第2ターミナル」ってなんじゃ? と思ったが、要はLCC専用ターミナルとして建てたようで、今までの関空そのものが「第1ターミナル」になっていた。

そんな第2ターミナルは今のところピーチ航空のみが独占的に使用している。第2ターミナルへの連絡バスの位置がわからなかったので案内所で尋ねたら「ピーチですか?」「ピーチですよね?」としつこく確認された。なんでこんなにしつこく聞くのだろうと思っていたら、第2ターミナル自体がピーチオンリーだった。笑

第2ターミナル自体はプレハブみたいな作りでチープだったが、だからと言ってびゅーびゅー風が入ってくるわけでもなく。カフェもレストランもありそれなりに快適だった。

出国した後もロビーは比較的ゆったりしていた。免税店もあるのだが興味なし。しかし普通の売店(免税? 笑)があり、そこでビールとつまみで出発時間までゆっくりできた。次回第2ターミナルと使うときは、早めに出国してロビーでまったりしたい。席によっては電源もあり、スマホを充電しながら時間をつぶせそう。もちろん無料wifiも飛んでいるので、パソコン持っていってもよいだろう。




通信について。

あまり深く考えていなかったので、まともに調べたのが出発前日。正直これほどのことになっているとは夢にも思わなかった。というのも海外旅行自体が数年ぶりで、今までは海外で携帯を使用することなんて全く考えていなかったのだ。以下てめえの愛するiPhoneについて書き遺しておく。


1.そのまま使う。

なんとこれが可能。何も考えずに渡航先で電波をつなぐことも可能だが、下手をするとパケット代がすべて請求されて数十万円も請求された例もあるらしい。というわけで調べたら、海外でのパケット使い放題もあったのだが、一日約3000円。3泊4日で12000円。うーむ、もうこれでもいいかとも思ったのだが、殆ど電話を使用しない(自分からかけることはまずなく、かかってくるのは悲しいことにほとんど仕事関係)ことを考えるとアホくさくなったので却下。

2.Wifiレンタルを使う

結論から言うとこれが一番良かったと思う。ただし出発前日では申し込みが締め切られていた。電話で問い合わせしたところ、当日に関空の窓口まで行って、在庫を確認しないとわからんと。そんなわけで実際に窓口に行ってみたがやはり在庫はなかった。涙。今後は早めに申し込んでおこうと思った。

3.台湾で無料Wifiを使い倒す

ということで、出発前に台北市の無料Wifiを登録。弟の分も登録したが、結論から言うとこれがとても役にたった。登録もすげえ簡単。


そんなわけで、出発前にiPhoneを「機内モード」にして、台湾到着後にWifiのみOnにした。桃園空港は台北ではないので電波は飛んでいなかったが、台北市に入るとぎゅんぎゅん通じた。



追記

上記のぎゅんぎゅんはちょっと言い過ぎで、じっとしていればWifiの電波は拾うのだが、動くとすぐに切れる。だから日本での動きながらスマホを期待するとそれほどでもないが、しかしほぼ市内全域でWifiが拾えるのには驚いた。ちょっと困ったことがあったら立ち止まって調べ物が可能。ただし結構差はあり、駅やバス停の周辺ではかなり使い物になったがそうでなければいまいちだった。




復路

往路で使用した空港バスが、復路もそのまま使えると思っていたのだが、これが間違いだった。

往路では空港から台北市内への高速バスがあり、空港から高速道路を走って、市内に入ると高速から降りてバス停ごとに乗客を降ろしていく。復路はこの逆をしているのかと思っていたのだが、なんということか復路は台北駅からの直行しかないらしい。このことを知ったのが帰国当日で、ホテルでチェックアウトするときに軽い気持ちで「空港バスの時間は何時やろ?」と尋ねたことがきっかけだった。

往路で降りたバス停は、ホテルから歩いてすぐなので、そこから空港行きのバスに乗ろうと思っていたのだ。

ところが帰ってきた答えは「空港行きのバスなんてない。Go straight to Taipei Station」だった。いやバス停あるやん、行きしに使ったで、とてめえは関西弁をなんとか英語に訳して言った。それは往路だけや、復路はバス停では拾わへんねん、とホテルのフロントのお姉さんは言った。


そんなわけで台北駅に向かった。ちょっと余裕をぶっこいていたのだが、台北駅について驚いた。なんと空港行きのバスには見たこともないくらいの長蛇の列。これは下手すると間に合わないのでは。

詳細はまた今度ということにするが、ちょっと今後は別の方法を考えたい。だってすげえ列にすげえ時間並んでしまい無駄な労力を使ってしまったから。そういえば台北駅から直通のMRTができるとか→調べたら2015年開通予定だって。やっほー。



2014年03月19日(水) 消費税増税とか。

消費税が上がる。それ自体は正直しょうがないと思っている。そして予想された駆け込み需要。

「なんか、買いました?」

とてめえは後輩に唐突に聞かれた。初めは何の事だかよくわからんかったが、要は増税前の買い物のことらしい。

いや、まったく気にしてなかったけど、とてめえは答えたが、本は買わないのですかと彼は続けて尋ねた。そうか、本は買っておいた方がいいかもな、とおもいつつ、欲しい本はあらかた買ってしまったので、もう買ってしまったとてめえは答えた。

「そうですか、私はこの機会に高価な医学書を買い占めましたよ」

と、彼は口元だけで笑った。


本はともかく、家具などについては、むしろ増税後の需要冷え込みに対するバーゲンセールがあると思われるので今は買う必要がないと思う。




なんかいろいろ考えた。言語化すると陳腐になるのですね。でも自分の言葉で精いっぱい紡いでみたいと思う。



2014年03月16日(日) 東西の違いとか。

東にある大学(はっきり言うと東大ですが)に研修に行ったことがある。まあとても楽しい経験だったし、出会った方々は素晴らしい人ばかりだったのだが、ここでは東西の違いをいやというほど感じることになってしまった。

このときの研修だけではない。子供と一緒に旅行した時も同じ感想を得たので、これはある程度普遍的なのかもしれないと思った。そして、なぜ東大が優れた研究結果を残さないのかもわかった気がする。今回の早稲田がクソだった件も含め。


簡単に言うと、関東は「ダメ出し文化」で、関西は「面白がる文化」ということだ。とにかく関東にいくと、あれがダメだこれがダメだと怒られる。

子供と一緒に旅行した時の話。ペンダントを作ることのできるコーナーがあったので、「あれがしたい」という娘に従ってペンダント作りに参加した。

自分で材料を選んでデザインを考えて、と娘は楽しそうにしていたのだが、付いていたインストラクターが「この色はダメ! このデザインもダメ!」みたいにひたすら小学生にダメ出ししたのだ。子供の旅の思い出にそこまで言うか? というくらい。娘は素直に一緒に色を選びなおしたりして結局満足のいくものが出来たみたいなのだが、ちょっとそれでいいのかという疑問が残った。というか、関西ではありえない(子供の作るものなんてどうでもよい、適当にほめようというのが関西的だと思います。そんで、それでいいとてめえは思う)ので非常に驚いた。

最初の違和感はそこだったような気がする。その後も同様の違和感があり、てめえは上記のように確信した。

関東では、ひたすらダメ出しする。細かいところまで。完璧を目指しているのかもしれないが、その結果は? しつこいが東大は科学の発展に何を残しているの?

ダメ出しを恐れ、学生はレポート段階から自分の言葉を否定されることを恐れ、ひたすら優れたレポートのコピーを試みるようになる。早稲田よ、それでいいのか。

関西ではひたすら面白がる。それ、面白いやん。ちょっと適当でもいいので、まずはやってみたら? 的な。ストレスを与えたら万能化する? 何それ面白いやん!

面白い面白いと言われた関東出身の研究者は、ダメ出しを恐れてコピーに走った。というか、彼女は本当にコピーがダメだとは思わなかったのだろう。そういう文化で育ってしまったから。かの論文のほとんどは共著者の方が書いたといわれているが、本文そのものには盗用は全くない。盗用・剽窃が言われているのは実験データおよび画像である。

関西出身のエリートである共著者は、まさかデータや画像を捏造するなど夢にも思わなかったのだろう。そういう人も周りにはいなかった。想像すら付かなかったのだろう。彼が書いたとされる本文はそれなりに誇り高い。ただし、もとになる画像などは盗用だった。


今回の論文問題については、早稲田がクソである。さっそくネット上でも、早稲田が与えた博士論文の検証が始まった。今後まともな方向に行けば、この大学の存在意義はなくなるだろう。教育の間違いは一刻も早くただした方がよいと思う。第二の小保方を生み出さないためにも。正直、彼女はむしろ腐った教育の被害者ですらあると思う。



2014年03月15日(土) 梅うどんの思い出

思えば自分の育った環境はいろいろと異常だった。詳細は書けないが小学校から中学に上がるころが最も異常な状態で、もうすぐ小学校を卒業する小さな頭で必死に考えた結果、自分の身は自分で守らないとだめだろうという結論に達し、中学校に入るとてめえは柔道部に入った。そうでなければ好きな野球の出来る野球部に入部していただろうと思う。

中学に入学してすぐのある祝日、財布だけをもった状態で母と子は突然家を追い出された。本当に「着の身着のまま」であった。その数日後、結果的にてめえだけが家に帰ることになった。

なかなか仕事の見つからない母のために、てめえは年齢を偽って働いた。朝の新聞配達から始まり、夜のラーメン屋の仕事を終えるのはいつも午後10時ごろだった。

ラーメン屋の仕事が終わった後も、本当は家に帰りたくなかった。母と妹のいる、トイレもない狭いアパートの部屋に帰りたかった。

母に会うことは固く禁止されていたので、いつも仕事の合間夕方などにちらりと立ち寄るくらいだったが、家具も何もない部屋にぽつんとかけられたカレンダーに、見えないくらいの細かい字で母は日記を書いていた。「今日も職安に行ったが仕事は見つからなかった。生活保護の相談も役所にしたが、正式に離婚もせずに別居しているだけでは血税は出せないと言われた。今日も具のない棒ラーメンを食べた。ああ以前のように息子と一緒に暮らしたい…」

しかし長男であるてめえに、祖父母は執着した。昔の人だっただからだろう。そして、孫とはいえ女の子に全く興味がなかったようだ。今はどうだか知らないが、昔の台湾は男尊女卑がとても強かった。未だに結婚しても妻は夫の姓を名乗ることができず、死んだ後も墓には名前が書かれることはなく、死亡した日の下に「女」と書かれる。「男の子以外は興味ないわ」と、祖父ははっきりと言った。そして、その通りに長男の長男であるてめえに執着したのだ。

てめえが母を選択すると何をされるのかわからなかったので、追い出された後要求されるままにてめえだけしかたなく家に帰った。

いつもラーメン屋を後にすると、すぐに家に帰りたくなかったので、友人の家が経営するうどん屋に寄って帰った。晩御飯代わりでもあったのだが、いつも友人の両親は暖かく迎えてくれた。そして、いつもメニューにはない「梅うどん」を作ってくれた。といっても、梅干しとわかめとネギが乗っただけのうどんなのだが、これがいつも沁みるように旨かった。


そんな生活をしていたら生活のみならず精神的に荒れていくのも当たり前の話で、まず夜眠れなくなった。大人に相談するなどという知恵が全くなかったので、アルコールに手を出した。その時最も安かったのが芋焼酎だったので、お金のない中学生は毎晩芋焼酎を浴びるように飲んだ。今ではブームになった感もあるが、当時は本物の労働者御用達の飲み物だった。なので、今でも芋焼酎を飲むとあの時の空気を思い出し胸が苦しくなる(けど、もちろん飲む)。

憂さ晴らしにたばこにも手を出した。もちろん、最も安い「ハイライト」。これまた本物の労働者御用達タバコ。芋焼酎とハイライトはこれまたよく合うのだ。

そして暴力。といっても、怒りの向かい先は大人たちという尾崎豊病だったので、暴力は教師に向かった。


そんな日々を送っていると、もちろん学校に行かなくなる。さすがに年齢を偽っていても昼間のバイトはできない(たまにしてたけど)し、これだけ先の見えない状態でそもそも勉強するということに全く興味が持てなかった。毎日食べる梅うどんだけがささやかな楽しみだった。

そういう日々を送っていると、徐々に感情がなくなって来たのだ。とうとう中学2年の3学期、体育以外はすべて「1」という、ほぼ「オール1」という成績を頂いた。とうとう落ちるところまで落ちたなとてめえは思った。


中学3年への進級を控えた3月、いつものように何とか時間を作ってこっそりと母の家に行った。その時は住宅事情もあり、母はちょっと遠くの公営住宅に転居していたので、気軽に行けることもなかった。ので、てめえは数カ月ぶりに母の家に行ったのだ。訪問するには以前よりハードルが上がっていた。


数か月ぶりに母の家に行く。経済的な理由で電話を引けなかったので、前もって連絡することもできなかった。もちろん携帯電話のない時代の話。そんなわけで、どうでもいいが緊急の連絡は電報だった。笑 今の時代からは全く想像できないけれども。


公営住宅の階段を最上階まで登り、母の家に着いた。母と妹は喜んでてめえを迎えてくれた。もうその時は母も仕事を見つけており、てめえの稼ぎは必要ない状態だった。

家に入るとちょっとした違和感があった。久しぶりだからなんだろうか、と思ったが、その違和感の正体はすぐに判明した。なんと生まれたての赤ちゃんがいたのだ! 壁には「命名 ○○」という紙も貼ってある。母親が妊娠したという話は聞いていないし、誰かの子供を預かっているのか? としたら壁の張り紙はなんだ?

「知り合いがな、赤ちゃん産んでそのまま死んだんや。その子は天涯孤独で相手もわからん。そんなわけでうちで育てることにしてん」と母は言ったが、さすがに突っ込みどころ満載で正直それ以上聞く気が失せた。それ以上に目の前にいる、14歳離れた「妹」が可愛かったということもある。

それからは、少しでも時間ができると新しい妹に会いに出かけた。無垢な赤ん坊の世話をするだけで、てめえのガチガチに歪んだ心が少しずつ溶けていくような気がした。

学校にも少しずつ行くようになった。教師に暴力的になることもなくなった。しかしアルコールとタバコは止められなかった。梅うどんを食べに行く機会も徐々に減った。あの妹のためにも、中卒で学歴を止めることはやめた方がよいだろうなと漠然と考えた。勉強については、例えば英語はbe動詞からやり直し。

そして、柔らかくなった心で考えた結果、父の家を出ることにした。長男なんてクソくらえじゃ。んな都合てめえには知るか。ラーメン屋も継ぐつもりはないぜ! Yo、 ニガー(同朋)! ファックラーメン屋! 

ある日の朝、小さなボストンバッグに身の回りの物だけ入れ、父に「ばいばいてめえは母さんと一緒に生きていく」と一応のあいさつをして、自転車でてめえは父の家を出た。もう帰るつもりはなかった。


それから1年後、私学には落ちたがてめえはなんとか公立高校に合格することができた。



2014年03月14日(金) STAP細胞のある意味さらに衝撃

もうほとんど結論は出てしまったのでここに記す必要もないような気がするが、自分が何を考えていたのかだけは残しておこうと思う。


STAP細胞の一報が出た時の驚きは前に記した。やはり理系で医学系であるかぎり、興味はあるのだ。そしてこれが臨床応用される夢をてめえも見た。

しばらくして、画像が盗用? というか使いまわされているのではないかという疑惑が出てきた。サイエンスのことなど何も分からない妹に「どういうことなん?」と聞かれたが、「論文としての完成度とSTAP細胞の存在は別。前者に関してはあまり興味はなく、後者に関しては7:3の割合で信じている」と答えた。

さらに大学院の博士論文の問題なども出てきたが、正直どうでもよかった。STAP細胞が実存すれば。


さて、ここで一回問題を整理しておいた方がよいと思う。

1.論文が剽窃されているか?
2.STAP細胞は存在するか?

この二点を混同している人が多いと思う。正直な話、専門外の人間は前者を主に追求するだろう。そして専門が近い人間は、むしろ後者に興味があるのだと思う。

1.についてはこの時点でほぼ決着が付いてしまった。

2.に関しては、てめえはある程度信じていた。おそらく、発表を急いだあまり勇み足をしてしまったのではないか(勇み足どころではないのは現時点でははっきりしてしまったが)と考えていた。

これが完全に裏返ったのは、3/5の理研のプロトコール発表においてである。「T細胞受容体の再構成はなかった」! ということは、STAP細胞はT細胞由来ではないということ。つまり、STAP細胞自体が存在しないということを認めたのとほぼイコールである。

T細胞受容体の再構成については医学部レベルで習う知識である。免疫の基本で、これを発見したのが利根川さんであった。厳密にはB細胞でノーベル賞を取ったのであるが、ほぼ同じ話である。てめえも免疫については興味があったので、珍しく学生の時にまじめに勉強した分野でもある。


これがなかったということは、T細胞由来ではないということ。考えてみると、T細胞ってすげえ分化した細胞であり、そこから幹細胞ができるなんてありえないレベル。なので世界中が驚愕したのだ。


剽窃については散々取り上げられているのでここでは扱わないが、現時点での情報を総合すると、これは彼女の問題というよりは早稲田大学が抱える構造的な問題だと思う。

早稲田大学の理工系におけるコピペ文化について

たぶん彼女はまともな教育を受けて来なかったのだろう。博士論文がコピペばかりなのは驚愕するが、問題はそれを通した大学側にある。正直な話、これは早稲田の理工学部の存在意義にかかわる問題で、こんな大学潰した方がよい。

コピペで博士号をとれる環境で育ってしまった彼女。理研の共同研究者はまともな人が多いが、まさかnature論文をコピペで作るなんて予想もしなかったのだろう。性善説で生きてきた人、捏造なんて頭の片隅にもない人は特にそうだ。

ではなぜ、そんなことが起きたのか。この辺は徹底的に調べてほしいと思うが、政治的な理由で彼女だけが処分され終わりになる気がする。ただし今回の問題はネットがあったからこそ燃え上がったのだし、そういった理由で予想もしない方向に処分が流れる可能性はあるかと思う。


今後まともな方向に話が進めば、小保方さんは解雇。その後どうなるのだろうか? 笹井さんも本来であれば主犯なので解雇レベルだが、政治的な力学が働き研究者としては残るだろう。というか、むしろ彼は政治的に生き残る道を力ずくでつくるだろう。ほかの研究はまともな人なので、この件で彼をつぶすのは適当ではないと考える人たちにおり生き残るだろう。噂によると笹井さんは小保方さんにぞっこんで、小保方さんはうんざりしていたということだが、その辺の力学がどのように今後に作用するのだろうか、まあどうでもいいわ。



2014年03月07日(金) 異国からの来客とかワクチンとか。

今日の仕事は、日本語も英語も話せない親子がやって来たところから始まった。

看護婦さんが身振り手振りで得た情報によると、連れてきた1歳の子供が鼻水が出るようになったとのこと。それ以上の情報は得られなかった。とりあえず院内で測定した体温は平熱だった。

さて、てめえが診察前に得た情報は、いつからかわからないけど鼻水で苦しんでいるということ、今現在発熱はないということ。そして、日本語も英語も通じないということ。

まあ、深く考えても仕方ないよね、言葉がわからんというだけ(!)で、あとは同じにんげんだもの。苦しんでいることに対する処置を求めて来られているわけなので、てめえはあまり深く考えずに一家を呼び入れた。


お母さんと、1歳児。子供は見るからに鼻水に塗れている。ああこれは可哀想だなあ。でも熱がなければ、診察で異常なければ風邪だろうね。などと考えながらてめえはお母さんに"What's wrong with him?"と聞いてみた。曖昧に笑う母。あきさみよー。


そこからは身振り手振りでてめえ劇場が開演した。鼻水のジェスチャーをする、イエス。咳き込むジェスチャー、イエス。吐くジェスチャー、イエス。下痢のジェスチャー(恥ずかしー)、ノー。おなか痛がる? ノー。ご飯食べてる? ちょっと。夜寝てる? ノー。鼻水が多くて…。と、徐々にコミュニケーションがとれるような心が通じるような気がしてきた。だってにんげんだもの。


不意に診察室の扉が開いた。ノックもなしに入って来た男性は、家族の表情や流れからすると父親だろう。てめえはあらためて挨拶をした。てめえはドクター○○です、この子のことについて教えていただけますか?

てめえの拙い英語を、彼は何とか理解してくれたようだ。堰を切るように片言の英語で彼はてめえに訴えた。月曜日から鼻水が酷いこと。昨日は嘔吐したが、どちらかというと咳き込んでもどしたということ。今まで大きな病気はしたことはなく、入院歴もなくアレルギーも喘息もないこと。日本に来たのは去年の末であることなど。


これだけの情報があれが十分で、てめえは診察を始めた。まずは胸部の聴診から入るが、心音は雑音もなく、肺の音もきれい。おなかも柔らかく、音も元気。

両耳を見る。大人と違って、子供の場合中耳炎が潜んでいることが多いのでルーチンで耳は診る。鼓膜は発赤しておらず、異常なし。喉も見たが腫れていなかった。頚部リンパ節は腫脹も圧痛もない。

これは風邪ですよ、怖い病気はありません、薬飲んで寝ていれば治りますよと拙い英語に笑顔を加えて説明すると、父親は安どの表情を浮かべて母国語で妻に説明した。


"Any question?"とてめえは診察を終えようとしたら、父親がカバンから書類を出してきて「これはこの子が母国で受けてきたワクチンの書類だ。今後のワクチンスケジュールについて教えてほしい」と尋ねてきた。


正直、非常に驚いた。貴重品を出すようにワクチンの接種記録を出す父親の姿は、日本では見たことがない。日本でワクチンの仕事をしていれば「副作用が云々」などのネガティブな質問ばかりで、中には「危ないワクチンは受けさせません!」とどや顔で訴える親もいるというのに。


結論から言うと、ワクチンは無条件で打った方がよい。ワクチンでどれだけの子供の命が救われてきたことか。自分としては、過激な言い方をするとワクチンを打たない親は児童虐待レベルだと思う。

ワクチンに関しては、医療従事者であれば皆知っている歴史がある。「百日咳」である。

百日咳ワクチンが含まれる「三種混合ワクチン」が、副作用が出るということでいったん中止されたことがあった。中止したとたん、百日咳患者が激増したのだ(のちにワクチン接種再開)。

その時に接種しなかった世代の人は、現在も百日咳に罹って苦しむ人がいる。その歴史から学ぶべきことは、ワクチンの副作用を恐れてワクチン接種をしないと、より悲惨なことになるということ。数万人に一人の副作用を恐れて数千人が命を落としたら全く意味がない。副作用の起こった一人はもちろんつらいことだが、副作用のない医療はない。


日本は非常に恵まれている。ワクチンも十分な量が準備されており、行政の案内するままにワクチンを打っていると、大きな病気にもなることはなく子供は育っていく。そんな中で小さな副作用が大きな記事になる。

そもそもワクチンが打てない子供が世界中にどれくらいたくさんいるかということを、君たちは知っているのかと叫びたくなる。ワクチンは人類の財産そのものなのに。


というわけで、父親から受け取った書類を基に今後のワクチンスケジュールを立てた。母国にはないワクチンもあるし、接種スケジュールの異なるものもあり、間違いがないように調べてスケジュールを組んだ。

「風邪が治ってからやで。そしたらワクチンを再開しようね」と、てめえは拙い英語で父親に説明した。彼はにっこり笑って「アリガト」と拙い日本語で応えて帰って行った。


気が付くと、この件だけで30分以上対応している。通常は一人に30分以上使うことはない。そうこうしているうちにも待合室はどんどんと込み合っており、看護婦さんは「いやあ疲れましたね」と苦笑いした。「ほんま、一日分のエネルギー使ってしまったわ」と、てめえは答えたが、疲労以上の充実感が勝った。



2014年03月06日(木) その2

案内された部屋は8畳くらいの大きさの和室で、先客の荷物は部屋の端の方に遠慮がちに置かれていた。一人旅にしては結構な量の荷物で、バックパックの横には無造作に使いこまれた寝袋が転がっていた。

部屋を一通り見渡す。入口のドアには鍵もなく、これだとセキュリティーはないに等しいな、それもまたある意味沖縄っぽいよな、ということは貴重品は持って歩かないとな、などと考えながら、私も小さな荷物を対側に置いた。

相部屋になるといわれて、宿泊を断ることもできたはずだが、なぜだか私には全く抵抗がなかった。海外でドミトリーに泊まる貧乏旅行を経験していたからなのかもしれないが、もしここが東京や京都であれば違和感があっただろうとふと思った。そう考えると、沖縄という土地は、日本というよりはよりアジア的なのかもしれない。



不意に屋根裏に生き物の気配がして、私は思わず天井を睨んだ。

「あきさみよー、昼間には珍しいね。やーるー(ヤモリ)が昼から運動会してるさぁね」

と、宿の主人はにっと笑った。



「じゃあ、一泊四千円のところを、半額の二千円で、先払いでお願いしましょうね。食事は付かないので、またあとで近くの食堂を教えようね」

「随分と安いですね。それじゃあ商売にならないんじゃないですか」

「あい、儲けなんて考えていたらこんな仕事しないよ。まあ、死なない程度に食べていけたらそれでいいわけ。お客さんが来なくなったら海に潜ればいいさぁね」




少し時間があるので、宿を出て外を歩く。

潮の香りに誘われるままに58号線を越えるとすぐにビーチが広がっていた。波打ち際で水と戯れる子供や、その近くでバーベキューを楽しむ大人たちがいる。やんばるの海は那覇で見た海よりもさらに青く透き通っている。

海を眺めていると、緊張がようやく解けたのか、はるばる南風原から原付を運転してきた疲れがどっと出て、私は砂浜に寝転んだ。シャツを通して感じる砂は日中に浴びた熱を発散している、その心地よい温度に、私はしばし微睡(まどろ)んだ。

もうすぐ夕方だというのに、沖縄の太陽はまだ高く私の身を焼いた。

気が付くともう夜だった。どれくらい眠ってしまったのだろうか、しかし時計で時間を確認する気にはならなかった。ゆっくりと起き上がって背中に付いた砂を叩き、私はここまで来た道を帰ることにした。



2014年03月05日(水) 投資について。

てめえが初めて投資をしようと考えたのは、ANAの株主になりたかったからだ。沖縄にいた時は、どこに行くにも飛行機だった。ので、安く移動するためにいつも株主優待券を買っていた。

一枚あれば、料金は半額。ネットオークションで落札すると高くても8000円だった。これで航空券が半額なのだから非常に助かるのだ。

そのうちに、「そうか! てめえが株主になればいいんじゃねえか!」と思い至った。さっそく証券会社に口座を開くためにいろんな証券会社から資料請求を行ったが、その時はあまりに忙しくて必要な書類を集めることができなかった。ちなみにその時のANA株は一株300円台で、1000株単位の取引だったため、株主になるためには最低でも30万円以上が必要だった。


京都に帰ってきて、再び投資をしようと思った。沖縄ほどの殺人的な忙しさはなかったため、書類も揃えてようやく口座を開いた。


さて、何の株を買おうか? その時のてめえはまったくfinancialな知識を持っていなかったため、どの株を買えばいいのか全く分からなかったのだ。

無理して株を買う必要もなかったのだが、とりあえず何も考えていなかったてめえは、株主優待に目が眩んで「イオン」株を買った。今なら絶対に買わない銘柄。

イオンの株主になると、イオンで買い物した額の一部がキャッシュバックされる。それだけではなく、大きな店舗に設置されている「ラウンジ」を無料で利用できる。

しかも時代は自民党政権の末期。次期政権は民主党になることは明白であり、したがって民主党銘柄とてめえが考えた「イオン」は株価自体も値上がりするだろう。

と、その時ド素人だったてめえは考え、そしてイオン株が安くなったと思った時に買った。その値、1株約700円。



実際に株を買う前にもそれなりに勉強したつもりだった。テクニカル分析とかファンダメンタルだとか、PBRとかPERとか。その他もろもろの勉強は、実際の購入に糞の役にも立たなかった。

人間はいろんなタイプがいるが、てめえは実際に経験してみないとわからないタイプの人である。その通りで、実際に経験したら疑問が湧きまくり、それ以前とは比べ物にならないほど勉強した。


次に手を出したのは立会外分売で、星光PMCを229円で、テラを1198円でそれぞれ買った。


ちなみに、本日現在星光PMCは1630円、テラは1903円である。ずいぶんと値上がりしましたよ。けどもう二つとも売りました。前者は業務内容が理解できなかったので、ストップ高になったときに売り飛ばしたが、その後も株価は上がり続けてしまった。涙。テラは医学的にはロマンだったが、これまたストップ高で売り飛ばした。こちらはもう買うことはないだろうと思う。



株取引をする目的は、大きく分けて2種類である。キャピタルゲインとインカムゲインである。このどちらを重視するのかで、取引のスタイルはずいぶんと変わる。

キャピタルゲインとは、売買で生じる利益である。例えば、100万で買った株を200万で売ると、100万円のキャピタルゲインが生じる。

これを重視するのであれば、狙った株をできるだけ安く買って、高いところで売る必要がある。つまり、常に相場を見ながらタイミングを見て売り買いをする必要がある。そんなわけで、基本的には場に張り付いている人が有利になる。そして、短期的な相場を読む必要がある。

この勝負は、より情報の多いものがより有利になる。また、売り買いすればするほど手数料も発生するし、税金も払わなければならない。



インカムゲインとは、配当など株を持っていることで生じる利益である。この場合、基本的には株を持っている限り、会社が赤字が出ない限りほぼ永続的に利益を得ることができる。

この場合重要なことは、できるだけ安くで買うというそれだけである。売ることは基本的には考えていない。株価が安くなれば買い足せばよいし、高くなれば含み益が増えるのでそれはそれで嬉しい。あまりに高くなれば、もともとの目的ではないがキャピタルゲインを得るために売り飛ばせばよい。

要は、赤を出す会社を選ばない限り問題はないのだ。そして、そのために会社を見る目が必要になる。


てめえはいろんな株に手を出して、痛い目にあったりして勉強した結果、インカムゲインを重視する方向になってきた。つまり、方針としては会社を選ぶということだ。



この場合、単に配当が多い会社を選んではならない。配当が多い会社はそれだけインカムゲインは多くなるが、その配当を保ち続けるとは限らない。多くの会社は、ほぼ瞬間最大風速の可能性がある。


例えば、今この瞬間の配当を調べてみる。東証1部の、中型以上の会社を調べる。


1.あおぞら銀行 4.62%
2.東燃ゼネラル石油 4.31%
3.キヤノン 4.13%
4.平和 4.01%

配当利回り4%以上はこの4社のみである。

まず、銀行や証券会社などのお金を扱う会社を選んではならない。てめえはこれでずいぶんと痛い目にあった。理由を書くときりがないので書かない。

東燃ゼネラル石油もなぜこんなに高いのかわからないが、為替に左右される業種であること、典型的な安売り(しないとだめな)業界であることから、まず買えない。逆に言うと、いつ暴落するかわからない。有利子負債もでかい。

平和もよく知られたパチンコメーカーである。有利子負債もでかいし、業種的にまず買えない。

そんな不安定な業種の中に、一つ聳えるキヤノン。有利子負債もほとんどなく、業種の不安定さもない。それで4%を超える配当。はっきり言って、いつ買うの? 今でしょ!



さてここに、100円の価値のある商品があるとする。その商品が、独創的であるがゆえに他に競争相手のいない場合と、誰にでもできる商品であるがゆえに競争相手のたくさんいる商品だったらどうだろう。

前者であれば、100円ではなく120円で売っても、あるいは150円で売っても飛ぶように売れるかもしれない。例えるのならiPhoneなんかがそうで、ほぼAppleの言い値で売られているが、他に代替品がないので飛ぶように売れる。

後者であれば、値下げ合戦が始まれば悲惨な結末が待っている。ほぼ同じ質のものであれば、安いほうが売れる。例えるのなら、ハンバーガーや牛丼がそうだろう。競合が行き過ぎて、お互い生きていけるかどうかというチキンレースになっている。


さて、あなたならどちらの会社の株を買う?


前者の株を買ってみよう。競合相手はいないので好きな値段で売れる結果、売り上げは上がり、株主への配当もがっつり期待できる。それでもお金が余る(内部留保)ので、銀行から資金を借りることなく新たな商品を開発することも可能だ。結果、有利子負債などなく自己資金で業績を広げることができる。


後者の株はどうか? もう結果は書くまでもないでしょう。どこにでもある商品がゆえに株主優待などで株主を集めることはできるが、長期的な成長は期待できない。


さて、賢明な方は気が付いたと思われるが、てめえが初めて買ったイオン、あるいはてめえが欲しくてたまらなかったANAは共に後者である。


ということは、独創的な商品を作る、借金のない会社を選んで、安くなった時を狙って買うのが良いということになるわけですね。


そんなわけで、いつか時間があればそんな会社を紹介しましょうね。まあ買った中ではキヤノンと大塚HDとごにょごにょ。買ってないのではマニーとかひそかに狙っているサントリーとかごにょごにょ。


でも、いろいろやってきて。個別株は最上級レベルというか、もはや趣味レベルだと思っている。初心者はあるいは確実に儲けたい人は、まずは何も考えずに積立投信でしょう。それも海外株インデックス(基本的には先進国)。これが最強。



2014年03月04日(火) R-1グランプリ2014

お笑いが大好き。昔はテレビでもよく見ていたが、最近はさすがにそれほど見なくなった。下らない内輪ノリのものではなく、それなりの「芸」が好き。

東京に行ったら、時間があれば演芸場に足を運ぶ。東京の笑いは嫌いではないが、独特の芸がありこれもまたおもしろいし、何より演芸場の観客の笑い方がすごいと感じる。もう、徹底的に笑いに来ている。「よーし今日は徹底的に笑うぞ!」みたいなノリで、何が面白いのか全然わからないネタでももう爆笑。てめえはむしろその観客の「笑い方」が好き。

学生の時も、学園祭では毎年欠かさず「落研」の発表を見に行っていた。レベルは高くもなんともないが、一生懸命な感じがとても好きだった。毎年見に行っていると、各個人がどれくらい成長したかがわかるのが面白い。ただし、学園祭以外の発表にまで足を運ぶまでコアではなかった。そういうスタンス。



そんなわけで、今年のR1の感想。

Aグループ:全般的に全然だめ。RGが勝ち残ったのは正直意味がわからん。


レイザーラモンRG:ジョブスの真似は、初めは面白いと思ったが、後半のあるあるネタが全然意味わからんかった。
ヒューマン中村:これまた全く笑えない。
TAIGA:この人、たぶんこの瞬間が人生最高の瞬間なのだと思う。
スギちゃん:Aグループの中では一番面白かったけど…。「ピークは九時」に爆笑したが、観客席は静まってしまった。やっぱり下ネタは受けないのだろうね。しかしこの人、勢いだけじゃなくて芸としては完成しつつあると思う。

Bグループ:全般的に「芸」を楽しめてとても満足。このグループが最もレベル高かったのでは。

小森園ひろし:リアリティはないけどネタとしてはとても面白かった。あんなラーメン屋まずないしね。でもネタとしてはありそう、というのが秀逸。〆だけが残念。
ミヤシタガク:こういうシュールネタは嫌いじゃないけど、暗さが強かったのと、何と言っても同じグループの他の方々が良すぎた。何気に「ギリヤーク尼ケ崎」さんに似ていると思ったのはてめえだけだろうか。そんなわけで今後ぜひ頑張ってほしいと思う。
やまもとまさみ:今回のネタの中では一番良かった。正直神レベル。「あれ、ほらあれ!」っていう、言葉が出てこないことって誰にも思い当たりがあり誰もが思いつきそうだけど、今まで見たことない。そこに目をつけたというのが秀逸だと思った。
中山女子短期大学:これも神レベル。シューベルトの「魔王」の替え歌だが、このネタで勝負しようと思ったことに感動した。元ネタが全く分からない人はたくさんいるだろう。

Cグループ:ここのグループも「芸」として素晴らしい。BKB以外は誰が上ってもおかしくないね。っていうか、Aグループの惨状は何?

バイク川崎バイク:この人も、この瞬間が人生最高の瞬間かと思ったけど、ネタ以外の部分で今後生き残るかもしれない。
馬と魚:上手い! とひたすら感心。今まで見たギター芸の中では最も秀逸と思った。
おぐ:ニコ動を思わせる演出が面白かったし、ハゲ芸の中では秀逸だった。本人のセリフが一つだけって、去年のアンドー君に次ぐ記録じゃないか。自分的にはこのグループの中で一番面白く見た。
じゅんいちダビッドソン:「ホンダ芸」面白いのか? という先入観とは裏腹に、とても面白かった。

ファイナルはさらに大惨事で、RGは相変わらずでやまもとまさみも前半の破壊力はなく、馬と魚に至っては痛くて見てられないレベル。

この時点で、おいおいRGを選ぶ出来レースかよ(吉本所属)となんだか腹が立ってテレビを消してしまった。結局やまもとまさみがグランプリをゲットしたと聞いて驚いた。初めての非吉本グランプリだはず。ファイナルネタがどれも評価できず、一本目の内容で選んだのであればとても理解できますぜ。





台湾旅行は娘が不参加。経緯を聞いた弟は「なにそれ! 意味わからんわ!」と「激おこぷんぷん丸」になっていたが、てめえはしばらく立ち直れなさそうだ。

まあここはひとつ気持ちを入れ替えて弟と「激旨ぷんぷん丸」的なグルメツアーしてやるぜぇ。ワイルドだろ?



2014年03月03日(月) その1

恩納村から国道58号線を北に進み、沖縄自動車道との合流点を過ぎ、かつては交通の難所として知られた名護の七曲を抜けると、こじんまりとした名護の市街地が出現する。

左手に広がる青い海と、右手に聳える崖の合間を縫うように走る58号線の向こう側に見える名護市街は、始めてみたときはまるで蜃気楼のようだった。

その蜃気楼に向かって、買ったばかりの原付を走らせた。南風原を発ってから約3時間の旅に、この中古の原付バイクはよく耐えた。割れたボディをガムテープで無理やり補強した、頼りのない見た目とは違って、このホンダのバイクのエンジンはすこぶる快調だった。一度も不調を訴えなかったこのエンジンに、おい、目的地はもう少しだからな、と私は心の中で呟いた。


目的とした民宿は、名護市役所のすぐそばにあった。前衛的な建築物である名護市庁舎は遠目にもすぐわかったので、民宿まではほとんど迷うことがなかった。

目的とする民宿の前で、原付のエンジンを止めた。民宿自体は道路から少し入りこんだ路地の奥にあったので、バイクを押して歩いていく。焼けるような沖縄の太陽が身に刺さり、海からの潮風が体を包む。バイクを押した距離はほんの10m程だったが、暑さと湿気でたちまち体中から汗が噴き出した。

民宿の前にバイクを止めようとすると、中から出てきた男と目が合った。おそらく宿の主人だろうと私は思った。

「すみません、今晩の宿を予約していたものですが…」

「あい、電話くれた人ね。兄さんごめんね、申し訳ないけど、予約の人がたくさんいてね。なので相部屋になるけどいいかな。その代わりと言ってはなんだけど、料金は半額でいいさぁ」

と、奥の方からのっそりと出てきた宿の主人は全く申し訳なさそうな素振りを見せずに言った。



2014年03月02日(日) 後輩と飲みに行くということ。弾丸福岡。

てめえが研修医を誘って飲みに行くことがほとんどないのは、自分が研修医だったときに飲みに誘われるのがとても嫌だったからだ。

研修医の朝は早い。完全に覚めていない瞼を擦り、まだ夜が明けて間もない時間に病棟に向かう。深夜帯の看護婦さんが予め病室ごとに準備してくれた採血用のスピッツを持って病室に向かう。この時間だとまだ寝ている患者さんもいるので、そういう場合はそっと起こして許可を得て、採血を行う。

朝7時半からはカンファレンスが始まるので、それまでに採血を終わらせなければならない。うまく仕事が進んで採血が早く終わると、短い朝食にありつける。カンファレンスに遅れると「おお、ええ身分になったな」と怒られるので急いで採血を済ませなければならない。


カンファレンスは貴重な勉強の場でもあるのだが、これがまた眠くて仕方がない。

カンファレンスが終わると、一日の仕事が始まる。上級医は外来に向かったり胃カメラなどの検査に向かう。研修医はひたすら病棟を走り回る。


夕方になれば、回診が始まる。上級医の外来が終わらないと回診は始まらないので、だいたい開始時間は午後7時ごろである。上級医の前で、担当している患者の状態を一人ずつプレゼンテーションする。そして今後の方針を議論し、検査や治療方針を決めていく。


プレゼンテーションが終われば患者さんのもとに回診。それがすべて終わるのが、だいたい9時くらい。それから決まった方針をカルテに記入する。

これらがすべて終わるのが、11時から遅い日は12時を超えることもある。

そこから飲みに行くのは苦痛以外の何物でもなかった。次の日はまた早くから採血がある。こっちは一刻も早く帰って寝たい。ていうか、仕事から解放されたい。けど、断ることはできない。そんなわけで、連日オリオンビールと泡盛を呷りながら、てめえが指導医になったら研修医を連れまわすことだけはやめようと心に決めた。








今日は朝から弾丸福岡出張。5時半に家を出て、京都駅から新幹線に乗る。早朝の京都市内は車も殆ど走っておらず、予定より早く京都駅に着いたので、思わずふらふらとたかばしに向かい、気がつくと第一旭の「肉なしネギ多め」を頂いていた。笑 6時過ぎだというのに行列ができていたのには驚いたが、店を出た時には行列がさらに長くなっていたのにはもっと驚いた。

そして福岡でせっせと仕事。仕事が終わった後に、自分へのご褒美として長浜ラーメンを頂いた。本当は、同行した研修医から博多での夕食を誘われていたのだが、丁重に断った。

決してラーメンを食べたかったからではなく、何となく憚られるのですよ。気を使う人は外して、仲間同士で楽しく食事してくださいね。彼らがてめえに気を使うのは目に見えている。また京都で、いつか仕事も早く終わったら飲みに行こうや。

爆臭豚骨を覚悟して向かったのだが、まったく獣臭なかったのには驚いた。本場は獣臭ないのだったら、あのくっさい店はどないやねんと心の中で突っ込みを入れる。獣臭がないとわかっただけでも今日は大きな収穫だった。


帰りの新幹線では、仕事終わりの晩酌をしたら終点の名古屋まで爆睡するのは目に見えていたので笑、コーヒーで我慢。その分たくさん本を読んだ。

新幹線の車内ニュースで、三重県の事件で高校生が逮捕されたことと、クリミア半島がロシアに占拠されたニュースを見る。どちらもとてもやりきれない気持ちになった。パラリンピックが控えているのに、開催国ロシアが決断したのは、なんだかとてもとんでもないことが待っているような気がしてならない。五輪の開催国が軍事侵攻(まあ少し違うような気もするが)するなんて前代未聞だが、人的被害がほとんど出ていないことがまた不気味だ。

そして今。疲れ過ぎて逆に眠れないので、アルコールを入れながらこんな駄文を書いている。


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い・よんひー [MAIL]

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