解放区

2013年10月25日(金) クソのような出来事。

この日は朝から救急当番だった。正直救急当番は大嫌い。「救急医療」自体は嫌いではなくむしろ好きで、それなりの技量をもっている自負はあるが、問題はそれ以外の部分なわけだ。そしてこの日は「それ以外の部分」が顕著に出た。

朝から救急室や病棟からのコールを受けて忙しく働いていたのだが、ちょうど救急車が入って診察を終えた瞬間にてめえのPHSが鳴った。

「病棟で急変した患者がいて、当院では対応できず他院での処置が必要。受け入れ先は見つけたが他にもいろいろあり手が離せないので、搬送だけ行って欲しい」とのこと。救急患者の対応中であることを説明したのだが、他に人手がいないと。搬送中に代わりに救急をする人は確保したとまで言われたので、ホイホイと引き受けてしまった。

同乗するだけならサルでも出来るので、検査の指示を出してすぐに病室に向かった。カルテはあらかじめ読んで行ったのだが、聞いていたよりも状況はひどかった。

「こりゃあうちでは無理だな」

できれば一刻も早く手術する必要がある。というわけで、出来るだけ早く搬送できるようにいろいろ手配した。その間もPHSは断続的に鳴り続けたが「重症がいて搬送に行くので無理、手があいているDrを呼んで」と断る。

すぐに搬送の準備が出来て、車に乗った。サイレンを鳴らし搬送先に向かう。搬送の時はよくわかるのだが、車は意外と協力的なのだが、歩行者や自転車は全く協力的でない人がいる。そのたびに急ブレーキで、患者さんの体が揺れる。


搬送先に滑り込む。出てきたDrはいきなり名乗りもせず「状況は?」と。「○○歳女性で、本日の午前2時に来院され…」と型通りのプレゼンテーションを始めたが「は? 2時間前からの症状と聞いたけど。話が違う! お前は電話してきた者か?」といきなり喧嘩腰になった。

ええか、2時間前からと聞いたから受けた。2時からやったら緊急手術が必要や! こっちの都合もあるんや! と正直理不尽としか思えない罵りを受けるが、こちらは「手術が必要なので転院」と聞いているのでこっちも話が合わない。「なんで転院が必要なのか」ということを、このおっさんはどう理解して話を受けたのだろうか?


その後もずっと針のむしろ状態。忙しそうに手術室に電話され、その合間にも絶え間なく罵る。搬送してきた救急隊員までが「このDrはついてきただけで、何もそこまで言う必要ないんちゃいます?」と言ってくれたが変わりなし。彼の怒りは収まらず、てめえはただ病院を代表して謝った。


こういう事があるから嫌。正直、なんでもできる病院でなければ救急はしてはならないと思う。それを無理しているから「たらいまわし」になるのだ。「なんでも受ける病院」と「救急をしてはならない病院」を明確に分けた方が良い。少なくとも沖縄はそうだったよ。



2013年10月21日(月) いろいろありましたけどなぁ。

・沖縄に友人の結婚式へ

沖縄時代の友人が結婚するという事で、弾丸沖縄ツアーを敢行した。タイトなスケジュールだったが、どーんと沖縄に行って宴に参加し、翌朝帰るというまあ最低なスケジュール。

しかし、おかげで懐かしい人にたくさん会う事が出来た。最後はあまりに名残惜しくて。今にでも沖縄に飛んで帰りたい自分がいることに気が付いた。沖縄で一緒に働いた戦友達よ(あえて戦友と呼ばせて頂きます)。てめえはあなた方全員を心の底から愛しています。本当に愛している。

・親父入院

そんな沖縄行きも、親父をショートステイに預けたから可能になったのだ。しかし沖縄から帰る那覇空港で、フライトを待つてめえのもとに「親父が発熱してぐったりしているので、これ以上ショートステイは無理」との連絡が入った。なんてこった。すぐにほうぼう手配して、なんとか病院を受診できるようにして、タイムアップになり機内の人へ。

伊丹に着いてすぐに連絡を取ったら、なんと受診するなり入院となったということ。なんだかほっとする一面、どういう事なのかという事も気になり、そのまま病院へ。本人はぐったりしていたが、入院しているので安心して帰宅した。

まあいろいろあって、なんとか元気になり今日退院した。元気になった親父は「また仕事がしたい」だの「料理も作ってみたい」だの好き放題言っていたが、申し訳ありませんが無理です。てめえは早めに仕事を切り上げて(その分あり得ない激務だったが)退院手続きをしたが、本当に今日は疲れました。これだけ困憊したのはほんまに久しぶり。


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