解放区

2011年10月31日(月) 友人その後/糖尿病性脳症

自殺未遂をした友人だが、内科の予約日だった日に予約通り受診してきた。こういったところは律儀なんだろう。

受診してくると、すぐに「病院を変えたい」と言ってきた。こちらももともとそのつもりで、本人にもそのように話していたのでまあそれはいいのだが、だが普通は、これほどの問題を起こした直後に紹介状を書いて転院させるのは仁義に反するのでしない。ので、この日は紹介しないつもりだったが、実際に診察室で本人と向き合って、なんだかどうでもよくなり紹介状を書くことにした。

「(今までの治療履歴の詳細および、自殺未遂事件の詳細の後に)上記患者様ですが、私の20年来の友人でもあり、今回治療関係と友人関係を別にした方がよいと考えました。紹介するには最悪のタイミングと愚考しています。大変申し訳ありませんが、御高配のほど何卒宜しくお願いします」と、馬鹿丁寧な紹介状を書いた。

さて、この友人の主病名は「糖尿病」である。てめえも一時期、糖尿病を多く扱う外来をしていたこともあったが、今はさらに専門特化した先生がおられるので、自分で糖尿病を治療する機会はほとんどなくなってしまった。この友人が唯一の例外で、それ以外の方は、診断した時点で専門外来に紹介する。

彼を専門外来に送らなかった理由は二つで、一つ目は、あまりにひどい糖尿病だったこと。初診の段階で即入院が必要な状態だった。専門外来の先生は大学からの派遣なので、入院は見ない。ので、初めの段階では、入院もしてもらいある程度コントロールが付いた段階で専門外来に紹介するつもりだった。

二つ目の理由は、彼自身が希望したからだ。まあそんな希望ははねつけてもよかったのだが、正直忙しい外来の中に彼が混じっていると、ほっと一息つけるというのもあった。

一つ目の理由については、ある程度コントロールできて来ていたので解決済み。二つ目については、ある程度コントロールできるようになった時点で彼に持ちかけていたのだが、彼は転医することを嫌がった。受診時間や湿布の処方などわがままが言えなくなるからだろう。しかし今回彼から言い出したので、これにて終了と相成ったわけだ。


「糖尿病ってのはね、代謝の病気ではなくって脳症なんだよ」と、以前指導医だった医師はてめえに言った。「つまり、血糖値が高くなるのは、頭がおかしいからだ。頭がおかしいから、インスリンが出なくなるまで暴飲暴食をするし、血糖値が高くなっても治療する気がないんだよ」と。まあそう言いたくなるような人も多いのは事実だがねぇ。

さて、これにて治療関係はおしまい。友人関係は、向こうはまだあると思っているのだろうがこっち的にはとっくに破綻しているので、これもおしまい。まあどこかで元気にやってくださいな。



2011年10月25日(火) MCハマーが検索エンジンを開発!

「MCハマーが検索エンジンを開発」

久しぶりに、よくわからないニュースを見てしまった。なんだこの意味不明な組み合わせは。「MCハマー」と「検索エンジン」が全くつながらないのだが。

たまたま遊びに来ていた妹に「つまりどういうこと?」と聞かれた。どういうことか、てめえも知りたいわ。
「まあ、例えて言うなら『TMレボリューションがiPhoneに代わる新しいスマートフォンを開発した』ようなものかな」と適当なことを言った。
「なるほど、要は意味が分からんということやな」と妹は理解したようだ。

気長に続報を待つことにした。ホンマにgoogle超えたら面白いな。



2011年10月24日(月) 自殺未遂した友人のその後

先週末に、自殺未遂した友人が入院している病院から「病状も安定し、そろそろ退院になりますので、貴院での外来受診の予定をお願いします」みたいな手紙が届いた。自殺企図として精神科の病院に投げるわけではなく、自宅に帰してももう大丈夫との判断でそのまま退院となるようだ。ケースバイケースだがまあそれもありだろうと思い、こちらからも「大変ご迷惑をおかけしました。御加療ありがとうございました」みたいな返書を書いて送った。その話がそのまま進めば、彼はめでたく退院し、今週にでもてめえの病院を受診する運びになっていたはずだった。


そんなわけで土日の勤務がなく週が明けて出勤したてめえに、業務メールが来ていた。
「友人の入院している病院から連絡があり、上記の友人が21日未明に無断外出され、そのまま戻っていないらしい。本人や家族にも連絡がつかず、このままだと22日に強制退院となる」
との内容だった。なんだその展開は。月曜日の朝からこれほど脱力するメールもないだろう。あわてて先方の病院に連絡したが、やはりその後本人とは連絡が付かず、22日にめでたく強制退院となったらしい。それから丸二日、何も知らないてめえのところには本人からも含めてプライベートなルートでの連絡は全くなかった。

通常であれば、自殺企図の患者が入院中に無断外出したら、おそらく未遂に終わった思いをどこかでひっそりと遂げるのだろうか、と思うものだが、てめえにはそうではないだろうというどこから湧いてきたのかもよくわからない確信があった。本気でやり遂げる人は、overdoseしたときに友人に連絡を取らないものだ。


とりあえず本人に電話をかけてみた。呼び出し音は鳴るが、出ない。電波の届かないところにいるわけでもなく電源が入っていないわけでもない。ということは、てめえからの電話だと感じて電話を取らないのだな、と思った。まあ、ある意味予想通りの展開。

しばらく呼び出し音を鳴らしたが、何の反応もないために諦め、overdoseしたときに友人が連絡を取った友人(ややこしいので以下Kとする)に連絡してみた。

「おう、お疲れ! 彼は退院したらしいな!」
と、電話を取ったKは言った。なんだ? てめえはまだ何も言っていないのに、なぜ彼は退院の話を知っているのだ? いったいKはどこまで知っているのだろうか。
「昨日彼のお母さんから電話があって、『無事退院しました。どうもありがとうございました』って言われたで。本人から? 直接連絡はないけど、お母さんがまた連絡させるって言ってたわ」

てめえはKに、彼は病院を無断で脱走したこと、病院と連絡とれずに強制退院となったことなどを簡単に説明した。ここでてめえがKに隠すことは何もない。「なんやて。彼のお母さんは普通の退院と思うてはるで。親に嘘つきよったなあいつ・・・。まあ親には言えんこともあるわな。入院理由も、自殺企図という内容は隠しているみたいや。そら最近モバゲーで出会った女の子にふられたからなんて理由、親には言えんわなぁ」

…なんとそんな理由だったのか3日間眠れなかったのじゃなかったのか。と、てめえは茫然とした。と同時に、もう何でも良くなってきた。どーでもええわ。

またなんかあったら連絡をおくれとKに話し、電話を切った。overdoseした挙句、友人に連絡。呼ばれて運ばれ命を助けてくれた病院から脱走。もともとの原因はモバゲーの出会い系? ということなのだが、彼は生活保護を受けていることを忘れてはいけない。生保でモバゲーで出会い系で失恋で絶望してoverdoseして夜中に友人をたたき起してICUに入って医療費を浪費し脱走(生保なので取っぱぐれのない病院は深追いしないと)。こんな支離滅裂は久しぶりに経験した。

しばし呆然とし、院内をふらふら歩いていると、精神科のDrから声をかけられた。
「友人さん、そろそろ退院だって?」
いやそれがですね、とてめえは脱走のことをかいつまんで説明した。
「あれ、さっきご本人から電話があって、退院したので外来の予約を取ってほしいというので、自分の外来を予約したよ」なんと。内科は連絡ありませんがなにか? 「さすがにばつが悪いんじゃないの?」と精神科Drはかばってくれたが、いやあもう知らん。どーでもいいわ。後は好きに生きてくれ。



2011年10月23日(日) America

"Let us be lovers we'll marry our fortunes together"
"I've got some real estate here in my bag"
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies
And walked off to look for America

「僕たち恋人になろう、そしていつの日か結婚しよう」
「バッグの中に、ちょっとした財産を詰め込んできたわ」
そして僕らは煙草とミセスワグナーのパイを買い
アメリカを探す旅に歩き出た


"Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
"Michigan seems like a dream to me now"
It took me four days to hitchhike from Saginaw
I've gone to look for America

「キャシー」ピッツバーグでグレイハウンドのバスに乗り込み、僕は言った
「ミシガンにいたのがもうずっと昔のことのようだね」
ミシガン州サギノーからここまでヒッチハイクして、もう4日が経っていた
アメリカを探すために、ここまでやって来たんだ


Laughing on the bus
Playing games with the faces
She said the man in the gabardine suit was a spy
I said "Be careful his bowtie is really a camera"

バスの中で笑い合い
顔を寄せ合いゲームをした
ギャバジンスーツを着ている男はスパイだと彼女は言った
「気をつけろ、そいつの蝶ネクタイは実はカメラなんだ」と僕は言った


"Toss me a cigarette, I think there's one in my raincoat"
"We smoked the last one an hour ago"
So I looked at the scenery, she read her magazine
And the moon rose over an open field

「煙草をこっちに投げてくれ。レインコートの中に入っているはずだ」
「1時間前に最後の一本を吸ったわよ」
しかたなく、ぼくは外の風景を眺め、彼女は雑誌に目を落とした
どこまでも続く平野に月がのぼっていた


"Kathy, I'm lost," I said, though I knew she was sleeping
I'm empty and aching and I don't know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
They've all gone to look for America
All gone to look for America
All gone to look for America

「キャシー、僕は分からなくなったよ」そう呟いた。
彼女が眠っているのは知っていたけど
僕は虚しくて心が痛くて、なぜなのか分からなかった
ニュージャージーのターンパイクを走る車の数を数えていた
みんなアメリカを探しにきたんだ
みんなアメリカを探しにきたんだ
みんなアメリカを探しにきたんだ

"America"  Words by Paul Simon



2011年10月22日(土) 東京の街に出てきました。相変わらずわけのわからないことを言ってます。

友人に年に一回の再会をするため、今年も出かけることにした。

京都に帰ってきたころには、近くなったので年に数回は再会しに行こうと思っていたのに、南の島に住んでいたころと同じく年に1回しか足を運べていない。大変申し訳ない。

今年は予算も厳しくなってきたので、夜行バスで出かけた。誰にも気兼ねなくリクライニングしてやろうと最後列の席を予約したのだが、てめえの思いとは逆に最後列はほとんどリクライニングしなかった。おかげで少しまどろんだところでケツの痛みに覚醒し、を繰り返し、結局東京に着くまでほとんど眠れなかった。


東京は雨だった。傘をさしながら、東京駅から銀座を経て築地へと歩く。途中、銀座の街中を歩きながら登校する銀座中学校の生徒を見た。この子たちはどんな所に住んでいるのだろうか、とふと思った。

築地は人大杉で、ちとうんざり。土曜日に訪れるのは間違っているということのようだ。

早々に引き揚げたため、時間が出来てしまった。どうしようか、と、歩き疲れていたこともあり、今度は公共交通機関を使って移動しようと思い、とりあえず地下鉄の駅へと向かった。路線図をぼーっと見ていたら「南千住」という駅名が目に入ってきた。

東京に来る前の日に、どこでそうなったのかまったく記憶にないのだが、ネットサーフィンする間に気が付けば「ジプシーロッテ」に夢中になっていたことを思い出した。ロッテの悲しい歴史を紐解いている間に、わずか10年ほどしか使用されなかった、東京の下町に忽然と現れ消えていった「東京スタジアム」に心奪われいろいろ調べていたことをたちまち思い出し、跡地に記念碑でもねえだろうかと思い、てめえは地下鉄に乗り南千住の駅を目指した。

結果から言うと、東京スタジアムの跡地には何も記念碑はなかった。ただ荒川総合スポーツセンターとなっているだけで、東京スタジアムができる前にあった千住製絨所の碑が何故か残っていた。まるで東京スタジアムだけ、なかったことにされているような印象を受けた。

周りはまだ下町風情が残っており、遠くの方に高層マンションが見えた。おそらく、この周りは球場があったころとさほど激変していないのだろうと勝手に想像した。

「光の球場」「ナイター終了後に照明が消えると夜蛾が一斉に周辺の民家になだれ込んだため、一種の公害にもなっていた」風景を、瞼の裏に思い浮かべてみた。ふと、球場の中から、空を切り裂く球音と共に、少し遅れて大きな歓声が聞こえてきたような気がした。


その後は近くに走っていた都電荒川線に乗車。何も考えずに王子駅で下車。JRに乗り換えると、駅の構内から「さくら新道」という怪しげな飲み屋街が見えた。今度ここを訪れたときに攻めてみようか。

それから吉祥寺に移動し、いせやでタカダワタル的。よく飲んだが、飲み足りずに山梨への列車の中でも泡盛を飲んだ。


東京では、街並みをいろいろと見ようといろいろ歩いたが、正直見るものはなかった。新しい街に取り残された古い家や町並みなどが残っているかと思ったが、今回のルートでは見当たらず。スクラップ&ビルトが進んでいるというよりは、おそらく先の大戦での空襲にて、古い家は軒並み焼けてしまい、町全体として生まれ変わったのだろうかと思った。そこが京都との違いなのだろうと思う。まあまた今度、東京にある別の街を歩いてみよう。



2011年10月21日(金) 診療所にて。カダフィー死亡。

今日の診療所勤務は暇だった。来院したのはなんと、たったの5人で、あまりの閑古鳥ぶりに思わず診察室で孤独死するかと思った。まあしゃあねえな。スタッフともまだ親しくなる以前の状態で、現在は思いっきりアウェイ気分だが、そのうち徐々にホームになるのだろう。なんにせよてめえらが暇だということは、世界は十分に平和だということだ。


カダフィーが亡くなったとのニュースがあった。独裁者が倒されたとのニュースで一色だが、いったい彼は国民にどれだけの理不尽を働いたのだろうか? てめえが無知なせいだろうか? 実のところよくわからない。wikipediaやニュースやその他いろいろ調べたが、要は彼は「変な人」「アメリカにケンカを売り続けた人」以上のことはわからないぞ。

罪もなき国民を次々と粛清したわけでもなく、個人蓄財をしたわけでもない。国民があれだけ盛り上がっている理由もわからない。リビアが産油国でなければ、こんな騒動は起きえただろうか?

独裁国家といえばもっととんでもない国があるではないか。隣国の民間飛行機を爆破したり(これはリビアもしたな)、別の国を訪問中の隣国の大統領をその国の重要な場所ごと吹き飛ばす殺害未遂を起こしたり、我が国や隣国の善良な市民を拉致したり、あろうことか国家ぐるみで偽ドル札を刷ったり覚醒剤を製造したりしているとんでもない無法国があるではないか。その国は経済政策を失敗させた閣僚を公開処刑していたが、どんだけ前時代やねん。これ、我が国に適応したら、閣僚は総辞職どころか総処刑になるぞ。おそらく極東の地にありアメリカがあまり興味がないのと、産油国ではないから生きながらえているのだろうな。






2011年10月20日(木) 二郎系を食す

諸事情により削除しました。



2011年10月19日(水) ビッグダディとか友人のその後とか

先日自殺未遂した友人は、昨日ICUから一般病室に移ったらしい。本人からメールが来たわけなのだが、そもそも院内でメールしていいのか。ICU入室中からメールがあったぞ。いちいちこうして連絡してくるあたりがかまってちゃん臭がする。共におっさんにもなっているというのになんとも悲しいぞ。君はそれでいいのか。そういう意味での「今後どうするのか」だったのだが、この年齢になると、もう人格が出来上がってしまっているので、相当強い意志がないと人間変わるのは難しいのだな。

病院間の連絡はまだ来ないので、もしかするとそのままおちつけば軽快退院となるのかもしれない。普通は自殺企図だと精神科へとつなげることが多いのだが、それはしないのか、もしくは直接精神科で入院できる病院に連絡を取っているのか。よくわからんが、てめえの職場では環境的な問題にて診ることが難しいので、こっちに来ないことはいいことかもしれない。てっきり、「かかりつけのそちらで入院できる精神病院を探してください」といったんは投げられるものだと思っていた。普通はそうなるのだが、治療までしていただいた上に転院先まで探していただいているのだとすれば大変申し訳ない。


ビッグダディ。ほぼ初めのころから追っている。もともとはたくさんの子を抱えるシングルファーザーが、生活と子供のために岩手から奄美に移住するというほのぼの話だったが、元妻がやってきたあたりから清濁入り混じったヒューマンドラマになり、とうとう今回の放映では新しい妻も現れ大爆発した。10/1の放映分はまったく先の読めない展開となり、まさしく「事実は小説よりも奇なり」だった。どれだけ優秀なシナリオライターでもあの展開は書けまい。奇しくも台本がないとの証明になったのでは。

10/8の後半はやや落ち着きを取り戻し、ほのぼのと見ることができた。テレビ局の援助があることがよくわかる後半だった。

今回の放映内容はまさしく賛否両論が渦巻いたようで、ネットでもさまざまな意見が噴出していた。てめえの母までが「今まで楽しく見ていたが、今回のダディは最低。もう途中で消したわ!」と憤慨していた。が、てめえは楽しく今後も見るだろう。

なぜだろうか、とふと柄にもなく考えてみた。おそらく、大家族がうらやましいのだろう。また、父が中心だということもあるだろう。父親が、もっと正確にいえば男がクソな存在であるということはもともとからして明らかなことなので、その点で幻滅することはない(女性は逆だろうが)。注目すべきは、あれだけの子供たちが、みなぐれることもなくまっすぐに育っていることだろう。

それにしても隠岐のあのクソ公務員には腹が立った。てめえが嫌いな公務員そのものだった。公僕ならば小豆島の職員のように、きわめて事務的に対処すればいいと思うが、てめえが権力を持っているとでも勘違いしているのだろう。まったく公務員の横暴は何とかしてほしい。彼らの給料も減らしてくれ。彼らは日本経済まで破綻させるぞこのままだったら。だが、労組がバックについている民主党だと難しいな。


日本の将来は真っ暗にしか見えない。まじめに海外移住を考えているが、先立つものがないと難しいな。どこにって? もちろんカナダでしょう。



2011年10月18日(火) what's new?

同業の大先輩の話だが、海外で行われた学会に出席・発表した時の話。日本での研究成果をまとめ、慣れない英語で一生懸命プレゼンテーションされたらしい。発表が終わり、通常であればその後は会場フロアからの質問タイムになるはずなのだが、座長は「what's new?」と質問者に厳しくただし、フロアからの質問を受け付けてくれなかったそうだ。この話を聞いて、てめえはひどく感心してしまった。なるほど。もちろん、「what's new?」と聞いた座長にだ。

学問の成果に限らず、誰かの何かを焼きなおしたような内容であれば、わざわざ人の時間を浪費するものではないと。まったくそうなんだよな。

自分にとってどうでもいい「ミシュランガイド」だが、ただ一つだけその方針で感心したことがある。オリジナル料理のないレストランには星を与えないというものだ。まさしく「what's new?」だ。確かに三つ星を取ったレストランは、新たな味を生み出しているところも多く、京都でいえば瓢亭の瓢亭玉子(オリジナルか? という意見もありそうだが)や千花の塩昆布で食べる刺身などが思い浮かぶ。逆に言うと、そうでない料理は評価に値しないということができるだろう。代表的な料理はラーメンかと思う。これほど先人の作り方からはみ出ないジャンルも珍しいのではないか。というわけで、ラーメン屋がミシュランに掲載されることはないだろう。(そういう意味では、東京の三つ星に寿司屋がたくさんあるのは解せない。小野二郎氏はすごい職人だとは思うが、新しい寿司を生み出したか?)


急に話が変わるが、てめえの本棚を眺めるとほとんどがノンフィクションだ。小説はほとんどない。小説とは表現力と構成力だと思うがいまいち感心するものもなく、感情移入できぬまま途中で投げ出してしまう。実話のほうがよほど面白い。

その中で、面白く読んだ小説のひとつが「蒼穹の昴」だ。清朝末期のどろどろした時代が舞台になる壮大な話だが、浅田治郎の読みやすい文体と、一気に読ませる構成力に唸る。なかでも面白かったのは、西太后の描き方だ。これこそ「what's new!」だとおもうが、その乙女チックな西太后の描写に賛否両論が渦巻き、直木賞は取れなかった。世の中には了見の狭い輩が多いらしい。

先日ふと思い立ち、蒼穹の昴落選時の直木賞受賞作が気になったので購入して読んでみた。乃南アサの凍える牙だ。まあ面白く読んだが、やはり途中でうんざりしてきた。何故かと考えてみたが「what's new?」だな。女性の刑事というのが新しかったのだろうか? まあよくできた物語ではあったが、何となく腑に落ちなかった。

さて自分に振り返ってみて、新しいことを始めるとして、何か新しいこと、今までとは違うものを盛り込まないといけないわけだな。ここまで書いてしまうと。それはなかなか難しいことだが、模倣から始まってもいつかは新しいものを生み出せればいいなと思う今日この頃。



2011年10月17日(月) What I am

I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean
Philosophy is the talk on a cereal box
Religion is the smile on a dog
I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah

私は多くのことをわかっていないし
身の程はわきまえているつもり
哲学はシリアルボックスに書いてある言葉
宗教は犬の笑顔
私は多くのことをわかっていないし
身の程はわきまえているつもり

Choke me in the shallow waters
Before I get too deep

浅瀬で私の首を絞めて
深みにはまる前に

What I am is what I am
Are you what you are or what?
What I am is what I am
Are you what you are or

私は私でしかない
あなたもそうでは?

Oh, I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean
Philosophy is a walk on the slippery rocks
Religion is a light in the fog
I'm not aware of too many things
I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah

Choke me in the shallow water
Before I get too deep

What I am is what I am
Are you what you are or what?
What I am is what I am
Are you what you are or what?

What I am is what I am
Are you what you are or what?
What I am is what I am
Are you what you are or what you are and

What I am is what I am
Are you what you are or what?

Don't let me get too deep
Don't let me get too deep
Don't let me get too deep
Don't let me get too deep

Choke me in the shallow water
Before I get too deep
Choke me in the shallow water
Before I get too deep

Choke me in the shallow water
Before I get too deep
Choke me in the shallow water
Before I get too deep


source: http://www.lyricsondemand.com/onehitwonders/whatiamlyrics.html

動画はここ



2011年10月16日(日) 死ぬかもしれないということ

友人が自殺未遂をした。Drug overdoseなのだが、よくある精神科系の薬剤ではなく、内科の薬だった。しかもてめえが処方した薬だ。まさしく「なんということでしょう」というナレーションが聞こえてきそうだ。ばかすか薬物を大量内服されてしまう精神科の先生方の虚しさが少し理解できた気がした。

朝にこの友人の友人(ややこしいな)から突然電話がかかってきた。まさに晴天の霹靂だった。この人はてめえも高校時代の友人だったが、卒業後は全く音信がなかった。のでまあ驚いたし、電話がかかってきた瞬間には嫌な予感がした(誰かが死んだのだろうと思ったし、それくらい交流がなかった)が、だいたいあたっていたわけだ。

本人は意識も問題なく何の障害も起きずに済みそうだが、経過観察のためしばらくICUに入院となった。落ち着いたらてめえの病院への転院依頼が来ると思われるが、これは受けなければいかんだろうな。小さくため息が出る。

基本的に、友人を顧客にすることに関しては非常に抵抗があり、この人以外にはやっていない。友人関係と顧客関係は両立すると思えないからだ。この人に関しては、初めの状況があまりに悲惨だった(保険証すらもっていなかった)こと、家族も頼れないこと、まともな友人はてめえだけだったこと、持病の状態も最悪であり他の医師にお願いするのは憚られる状況だったことなどが重なった。今後生きていくために生活保護の申請を行い、入院させて治療を行い、てめえでは診れない合併症は他院に紹介してなんとか悲惨な場面は乗り切った(つもり)。以降、友人として馬鹿話をすることもなくなり、主治医としての発言しかしていない。これでまた友人を一人失ったわけだな。てめえの腕もあり、病状は落ち着きつつあったのでそろそろ他の病院に投げようと思っており本人にもそう伝えたばかりだった。

実は最近不眠が続いており、3日まるっと眠れなかった夜中に衝動は起きたらしいが、その後も体調に変化なく、なんだか不安になっててめえに電話してきている。この日はありえないくらいの爆睡だったので気付かなかった。そのまま黄泉に旅立たれていれば、この電話に出られなかったことをてめえは後悔しただろうか。

幸いというのが良いのかどうかわからないが、別の友人に電話したようで、救急車を呼ばれてそのままICU入室となった。「夜通し付き添いしてたんやけど、夜も明けてわしも仕事やし。とりあえず電話して伝えてくれと言われたので電話した」と言い、その友人は電話を切った。いや申し訳ない、どうもお疲れ様でしたとてめえは言った。

ICUにて、「今後どうすんねん」と聞いてみたが、彼にとって意味のある質問になったか? 「ごめんなさい」との発言は、本来産み育ててくれた両親にすべきだろうと思ったが、なぜか口から出なかった。そのご両親も病院にはいない。なんとも虚しい気持ちだけだな。なんとも整理がつかないな。


#内科系のくすりの大量内服は実にやばい。ほんまにやめてほしい。その悲惨さはパラコート中毒に比べることができるのではないか。パラコートの話も、この友人にしようかと思ったがやめた。降圧剤を大量内服して「原因不明の低血圧」として救急車で運ばれてきたが、あらゆる治療に抵抗し血圧が上がらないまま亡くなった人とか、糖尿病の薬を大量内服してこれまた治療抵抗性の低血糖を来たし、脳細胞が全部壊死したひととか。診てるほうも悲惨だ。鎮静剤はたいがいの量では死なないが、内科の薬は生き地獄を見ることができるところがパラコートに似ている気がする。あまりそういった、内科の薬を大量に、という人は診ないが、ほんまにやめてほしい。たぶん飛び降りたり飛び込んだりしたほうが楽。



2011年10月15日(土) 徒然と

もっと若いころから徐々に気がついてはいたが、年を重ねるごとに、新しい友人を得るということは困難になっていくわけだ。もちろん、付き合いのある人は社会経験を積めば積むほど増えていくが、「知り合い」以上になることはない。若いころのように熱い議論をすることもなく、無防備に自分の心をさらけ出したりすることもない。そうして、どうでもいい腹の探り合いだけの知り合いがどんどん増えていく。そんな中にも魅力的な人物はいるが、若いころのようにはいかない。もっと若い時に出会っていれば、また違ったのだろうが。

そういう意味でも、昔から変わることなく付き合いのある人たちというのはとても貴重だ。長い間会っていなくとも、一瞬で昔の時間に戻ることができ、普段しないような熱い議論もできる。ただ人間には寿命があるので今後はどんどん減っていくだけだろう。

今のどうしようもない状況を打破すべくひそかにいろんなことを進めており、うまくいけばうまくいくだろうが、その中で新たな知り合いもできることだろう。だが、今までの友人(少なくとも、大学を卒業するまでのまったくただの人間だったときの自分と出会うことができた友人)と同じような付き合いをできる友人には、まず今後は出会わないだろう。

先日、連続して予期せぬ友人との再会あり。個々の再開とは全く関係なかったが、その合間に何故か予期せぬ悟りを開いてしまった。というわけで、これからは今の仕事に見切りをつけて新しい方向に進んでいくことにした。色々あったが、いまは全く食べるためだけに仕事をしている。退職の意向も伝えた。うまくいくといいが、このご時世でもあり簡単には辞めさせてくれないわけだな。

おっさんになったら、若いころには見えなかったことがいろいろ見えてきて、なんだか悲しい。今後は穏やかに生きていきたいが、さてどうなることやら。



2011年10月14日(金) 診療所

今月から、週に1日だけ小さな診療所に勤めることとなった。忙しい病院とは異なり、薬を取りに来るだけの安定した人が多い。検査も限られており、血液検査は外注で結果は翌日になり、レントゲンは技師がいないので自分で撮らなければならない。診察は秒殺で終わるので、残りの時間は取り留めのない話をする。
週に1回くらいこんな日もいいもんや。



2011年10月13日(木) 何も変わらない

久しぶりにここの日記を読み返してみると、まだ若かった自分が必死にもがいている様子がよくわかる。ある程度は時間や経験が救ってくれるのだろうかなどと漠然と考えていたが、どうやらそれは甘い期待だったようだ。結局何も変わらず、もうそろそろ止めにしようかと考えている自分がいる。

医学の目的が救命なのであれば、我々は常に敗北の歴史の中にいる。もちろんそんなことを考えているのは途方もなく楽観的な同業者か、期待の大きい(ほとんどの方がそうだが)顧客なのだが、実際には苦しみを一部取り除く努力をしているにすぎない。医学とは、その努力が成功する確率を上げるだけの学問だが、もちろん100%になることはない。だが、最近は100%を求める方が多すぎないだろうか。

その落差に愕然として、そろそろ身を引こうとしている自分がいる。


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