Stage Diary
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Yoshimi.Aが観た舞台の感想です。
レポートではなく感想だけを載せてたりすることが多いかも…。(^-^;


2003年07月30日(水) 『レ・ミゼラブル』

きっと、タイトルを見て、呆れた方も多いと思います。
一体、この人は何回観る気ですか?…って思ったあなたは、まだ理性がある方です。

しかし、絶対にこれは外せないんです!

しかも、今回は『最前列』ですよ!?

『最前列』!!


ああ、私の理性は焼き切れました。
公演中に鼻血(^ii^)ぷー吹いて死ぬかも…と思いました。

足を伸ばして観劇できる、座高の高い親父に邪魔されることなく観劇できる、観劇より、息子自慢と旦那の愚痴を優先させてるババァがいない…実に、いい席でした。

本当に、めっちゃええ席やん!

神様、こんないい席を取ってくださってありがとうございます。
私は無神論者ではありますが、神の存在を否定したりはしませんので、ありがたくそのご好意を受け取らせていただきたいと思います。ありがとうございました。

1回目の観劇より、2回目の観劇の方がよかったーと思えるのは、席が原因ではありません。
…だって、昨日だってB列ですよ!?1Fの!!
えへっ、いいでしょ。(*^^*)<それはさておき(笑)

でも、この日の朝のニュースで『71歳の女性が強盗容疑で逮捕される』というニュースが流れていました。その人は、消費者金融に借金があってどうしようもなくなって犯行に及んだのだと…。贅沢な暮しのツケによる借金ではなく、働けない夫との暮しを支える為に仕方なく借金をし、それでどうしようもないとわかっていながら、膨れ上がる借金を返すために強盗をするしかなかったのだと…。

それは、どうしても『1日の終り』を思い起こさせるニュースでした。
時代が変わっても、何も変わってないということを思い知らされるツライ事件でした。

そして、この日…私は漸く、気づきました。

主役はジャン・ヴァルジャンだけど、物語にぴしっと筋が通るのは『ジャベール』あってのことだと。(なんでそう思い至ったかについては言わずもがなですが…一応、内緒です(^^;)

今ジャベール…今ちゃんをはじめて認識したのは、アンサンブルでフイイを演じていたときだった。『共に飲もう』で最初に歌い出す…といえば、思い当たる方もいらっしゃることでしょう。ソフトで優しく、優しさで包れているような、そんな綺麗な歌を聴かせてくれた。『レ・ミ…』初心者だったその頃、幕間に『レ・ミ…』フリークを捕まえて役名から今ちゃんに辿りついた。そして、それ以来気になって仕方がない役者さんの一人であるのだが…今回はジャベールというのが問題だと思っていた。
今ちゃんの持ち味は低すぎず、高すぎもしない繊細なテノール。果たして、ジャベールという役柄に上手く声をマッチさせることができるのだろうか…と。
『ジャック・ブレル…』の公演のときにかなり激情を迸らせる声も、そして低い声域も聴いたので、概ね大丈夫だろうとは思っていたが、それでも一抹の不安は残っていた。
しかし、その考えを改めねばならない。
ただ、演技なんかはまだ手探り状態なところもあるように思った。舞台というものは、本当に毎日が繰り返しで終る人生じゃないからなぁ…。
でも、嬉しかったのはヴァルジャンとの対決シーンで、逃げようとするヴァルジャンを遮る反応が早かったこと。…やはり、村井さんもお元気なようでも、相当無理をしてらっしゃっていたのですね(;_;)…なんて思っちゃうほどにはスリリングな空気を感じました。でも、誠実そうなジャベール…それは今ちゃんの持ち味なんだろうけど、もっと苛烈さを出してもいいのではないだろうか。眼がちょっと優しくて、原作から感じたジャベールの原動力である怒りが今ひとつなのが残念。
『Stars』という…メロディは綺麗だけれど、歌う側にとっては厄介なナンバーがある以上、実力のある俳優さんがやってくれるのはとてもいいことだと思いました。
でも、叶うことならもう一度、あの『共に飲もう』が聴きたいです。
ジャベールを演じてくれることに不満があるわけじゃない。けれど、どうしても心に残っているあのメロディをもう一度聴きたい…ただ、それだけ。
『レ・ミゼラブル イン コンサート』があるらしいから、それでいいから歌ってくれないかな。<でも、かなり先の話。

順番が逆になったと思わないでもないけど、ヴァルジャン…昨日よりは今日の方が声の調子がよさそうだった。
観るたびに『演っている』ではなく、『ヴァルジャンになっている』と思う。
最初は、ラストの白髪の格好でも『金髪に見える』と言われていたくらい若々しいヴァルジャンだった。でも、今やそういう人はいないのではないだろうか。それはきっと、今回、別所さんや石井さんがヴァルジャンだから…という理由ではないはずだ。ましてや、祐一郎さんもトシだから…という理由でもない。(^^;
仮出獄をしたヴァルジャンが世間に背かれ、絶望の中で司教様と出会うシーンのほんの僅かばかり前、ヴァルジャンと眼があったような気がした…と思った瞬間、涙が出た。
それは、ヴァルジャンの眼があまりに深かったからだ。今までとは違う…でも、久しぶりにずっと見失っていたものと出会ったからだ。
私は、初めて『レ・ミ…』を観たときに逆戻りしていた。
そして、心が震えて、熱くて…どうしようもなかった。
前日の日記では、勝手なことばかり言っているが、その眼を見た瞬間に、そんなものはどこかへ消え去ってしまった。
それでも変わらず、『私はもうちょっとここで一緒に歌いたかった〜!』と思う場面はあるにはあるが…。

一生懸命にやっている人間の瞳を見ても文句を並べ立てることができるほど、私は愚鈍にはなりたくない。ただ、そこに『在る』こと…それが総てなのだと思う。
あれこれ冷静な部分を残して心の中で突込みを入れてるより、全身で音に浸ってる方がいい…。
それでも、あれこれ言っちゃうのが人の常というものなんですけどね(笑)。

高橋ファンテーヌは『コゼットの間違いじゃないの?』って思うほどにイメージが湧いてこなかった。思い出すものといえば、『アニーよ、銃を取れ』とか『Mozart!』のお姉さん。
こう、イマイチ…子供を預けて働く女性というイメージには程遠いような気がしていた。でも、まあ…思ったほどには違和感はなかったけれど、可愛いファンテーヌだった。一生懸命ではあるが、ぜんぜん報われない…そういう人っているよね、と思わせるのはいいが、少々、歌は物足りない気がした。

そして、この日も駒田テナルディエと峰マダム、この人たちは…おいしいナンバーがあるにもかかわらず、今ひとつ盛り上がりに欠けるのは客席をおいて、盛り上がろうとしているからかもしれない。やはり、テナルディエとマダムには有無を言わさず強引に引き込んでくれるインパクトが必要不可欠だと思う。峰さん…もう少し美人だってことを忘れてほしい。この人は、今までのマダム達と違って役を楽しんでないような気がした。役をこなすよりも、マダム・テナルディエは役で遊んでほしいと思う。
それにしても、『屋根の上のヴァイオリン弾き』のチラシももらってきたのだが、私は人に指摘されるまで駒田さんがわからなかった。
…いや、だって、あまりにも顔が違いすぎ。
何ですか、チラシのそのすっきりとした顔立ちは。…テナルディエとぜんぜん違うからわからなかったじゃないですか。本当に、整形でもしてるのかしら、と思うほどには別人にしか見えませんでした。舞台やってる人って、その役柄によって顔立ちがまったく変わっちゃうときがあるけれど、ここまで変貌が激しいのってどうなんでしょう。女優さんの変貌はもう、大分驚かなくなったんですけど、男の人でここまで違うのは珍しいのでは……。(^^;;;

エポニーヌは昨日よりはいい感じ。だって、Copy Catじゃない、演技と声だったから。
ちょっと小さ目のエポニーヌでしたが、それだけにマリウスに妹扱いしかされてない感じが出てて◎。結構、好きかもしれません。エポニーヌが死んでしまう場面ではもう、涙がとまらなくって、とまらなくって………涙で舞台が見えなくなる………ということはなく(苦笑)、最近では泣きながらも舞台をしっかり見る技を身につけてしまいました。
あまり、ハンカチでこすっちゃうと赤くなって、劇場を出てからが恥ずかしいので。
また、山本君が巧いからこの場面はすごい引き込まれるんですよね。

そして、この日の問題は…マリウス!
昨日も同じ配役で観たけれど、ごくごく間近…というか、すぐ目の前で観るとまた違ってきます。砦の場面、『僕が死んだならコゼット、泣いてくれるか〜♪』って歌うところなんか本当に近くて、ヴァルジャンと同じような気持ちで見守っちゃった(笑)。今まで、マリウスはあまり重要視してなかったんですが、うっかり、『カフェ・ソング』で泣いてしまったのは山本君が初めてです。
ここは今まで、仲間たちが現れるのはマリウスの心象風景のような感じだと思っていたのですが、今回のは、仲間達の魂はそこにいるのにマリウスだけが見えていないという感じがして、切なかったです。
そういう解釈もありなんですね。目からうろこ状態でした。

カーテンコールの時にお花を投げてくれるのが恒例になってますが、マリウスが『お花欲しい?』ってカンジで狙いをつけていたので、思いきり手を伸ばしたのですが、お花はお隣の方に行ってしまいました…残念。
嗚呼〜、もう少し早く気づいてたら…(><)
これでお花を貰ってたら、恋に落ちてたかもしれないですが、お花は隣の方にいってしまいましたので。

で、その時、多分…ものすごく悲愴な顔をしてたと思うのですが、そしたらすかさず誰かがお花をくれました。…マリウスのお花ばかり見てたので、どなたがくださったのかがわからないというのがお馬鹿ですが。(^^;;;
これも、最前列ならではの旨みでしょうね。

そして、ごめんなさい!2度目の観劇で昨日の今日であるにもかかわらず、またしても坂元君を探してしまいました。
ああ〜、なんだかな。(><)

○本日のキャスト○ ※キャスト・スケジュール掲載分だけ
山口ヴァルジャン、今ジャベール、新妻エポニーヌ、高橋ファンテーヌ、剱持コゼット、山本マリウス、駒田テナルディエ、峰マダム、坂元アンジョルラス



2003年07月29日(火) 『レ・ミゼラブル』

心のミュージカル、『レ・ミゼラブル』へ行ってきました。
今シーズン、初めての観劇でした。
その上、いろいろな賛否両論な噂を聞いていたので、すっごく心配でしたが…なんだかんだ言っても、祐一郎さんが好きだ〜っ!と再認識して帰ってきました。                         おわり

って、これが全てではありますが、そんなもんで済ますつもりのはどうかと思うんで、やはり、これだけは真っ先に叫んでおきたい気分です。

『これを観て泣けない奴は人間じゃない!!』

やはり、これに尽きるでしょう。(●^o^●)
今回も泣いてきました。

今までと比べてカットされた場があるだとか、『なんだかこの人勘違いしてるよ…』だとか、そういう意味合いでも泣かされましたが、純粋に泣けます。
自分にもまだこういうピュアな部分(笑)があったのね〜。…と、認識を新たに。(^^;

しかし、この殺伐とした世の中には、それは非常に大切なことです。
だから、ついチケット取りの倍率が…と思いながらも、人にお勧めしてしまうわけですが。

で、本題…今回の『レ・ミ…』は削られた部分が多かったです。
『私、この場面で一緒に歌いたいのに…』って思っても、無情に削られている。
『ああ無情』だから…?(゚.゚)
今まで、歌詞が所々変わったりというのはあったけど、ここまで変貌してると思ったのは初めてでした。変化が激しいと言われた10周年の公演でもここまで変更はなかったのではないでしょうか。(あの時はあの時で、常連さん達には不満や意見もあったでしょうけど…出演者にもあったらしいから!(笑))

曲のテンポが所々すこ〜しづつ早くなっている…ところがある…気がする。
って…多分、気のせいじゃないし!
そのくせ、主要キャストのソロだけはしっかりとくどいくらいに音を伸ばさせる。…しかし、それに対応できるだけの実力がない人が主要キャストにいると言うのも残念な話です。(…何のためのオーディションなのでしょうか。有名なタレントより、知名度は低くても実力のある俳優さんに演じてほしいです)
それに、全体的にメロディに歌詞を乗っけるのが精一杯で、感情面、情緒面が置き去りにされていたような感がありました。
もう、開幕してから1ヶ月近く経つんですよね。いくら、トリプルどころかクワドラプル・キャストだからといっても、これまでの期間、何をしていたのでしょうか。馬鹿高いチケット代を取るのなら、もう少し、役者の自惚れよりも役者としてのプライドを優先させてほしいと思います。
まあ、それによってやりやすくなったと感じる役者さんもいるとは思いますが…それでも、あえて私は言いたい!
だって、感情や情緒を出さないでいいのなら、ミュージカルである必要性はない!
演劇界の流れでは、ロマンはいらないのかもしれないけど、私の心にはロマンという糧がとっても必要なんです!!!

嗚呼、私の『レ・ミ…』を返してください。

…って言いたい部分もありました。(´∩`;

でも、やっぱり…私はこの作品が好きです。

祐一郎さんの『彼を帰して』は最高です。それに、10周年の時よりも、前回やった時よりも、『ヴァルジャン』になっていたのがとても嬉しい。
しかし、今回のヴァルジャンは紳士じゃないところもあり、驚きましたが…そんなところもかっこよかったです。<や〜、もうどうせ目には『祐一郎さん素敵フィルタSpecial』が標準装備されてますから(笑)。

山本君も、見るたびに多少、額が広くなっているような気がするのは気になりますが(…というより、とても心配なんですけど…非常に失礼かも)、なんか素朴なマリウスで、ほんわかとした雰囲気がいいかも…。
今まで観てきて(『RENT』と『シラノ・ザ・ミュージカル』くらいでしょうか)、あまり好きじゃないけど、やはり雰囲気作りは巧いな…と思います。

いつも、驚かされるんですが…子役の子供達、とても上手なんで、下手すると大人達の方が喰われてるかもしれません。…山本君も元はガブローシュだったし、今日観た子達も10年先くらいには、別のキャストで再開する日がやってくるのでしょうか。

アンジョルラスの坂元さん…以前にシンバ@ライオンキングで観ていたにもかかわらず、登場の場面でわからなくて…舞台上を探してしまいました。ABCカフェの場面でも…『どこ行った!?』って思って探しました。(><)…『ライオンキング』の時はそんなに気にならなかったのに、あまり身長が高くはなかったんですね。
スケールの大きな伸びやかなお声でしたが(というより、声がそうだから、身長も大きく感じてました)、アンジョルラスを探したのは初めてでした。
初登場から赤いベストを着ていてくれると、とてもよくわかるのに…なんて思ってたことは内緒です。(。_。;

エポニーヌも頑張ってはいましたが…島田さんを意識しすぎずに、もっと自分の持ち味を出してほしい…と、思わずにはいられない。(><)
声も透明度の高い声で、素質はいいものを持っていると思うのに、だからこそCopyCat(映画であったように、犯罪をなぞってるわけじゃないけど…なんとなくまねっこをしてるっぽい人のことをこう呼んでいます…私の近辺(笑)では)の域を出てないのがもったいない気がするのです。
ブレス位置が『島田さんだったら、ここでこのくらいのタイミングでくる』…って思うときに、ほぼ同じタイミングってのは…数ヶ所だったら偶然でも片付けられるでしょうけど、何曲分もまるまる同じだと、いくらなんでもツライ。(;_;)
『プロだから…』とか言う方もいらっしゃることと思いますが、きっと違う。
今度は島田さんもどきじゃなくて、真綾エポニーヌを観たいです。

井料ファンテーヌは一体、どこを見てるんでしょうか。(ーー;
どうして、この人は視線がちぐはぐなところにいってる印象をぬぐえないのでしょうか。
いつでも、自分だけの世界にイッちゃってて、共演者も観客もどこかへ置き去りにしてるかのようなマイペースさ…四季じゃなくなっても、こういうところ変わってないんですね。『レ・ミ…』に出演してる間くらいは『あたし』より、『皆と一緒』ということを考えて欲しいんだけどな。

しかし、何回も観てると『好き』と言いながら辛口になってきますが、それでも、はじめて観た時の衝撃はいまだに忘れてはいません。
そして、それがあるからこそ…私は今でも帝劇に通い続けているのです。
(嘘、『通う』と言えるほど観てるわけでもないです…多分(^^;;;)

○本日のキャスト○ ※キャスト・スケジュール掲載分だけ
山口ヴァルジャン、高嶋ジャベール、真綾エポニーヌ、井料ファンテーヌ、剱持コゼット、山本マリウス、駒田テナルディエ、峰マダム、坂元アンジョルラス



2003年07月20日(日) 『ハムレット』

すっごく久しぶりに三軒茶屋に足を踏み入れました。
そんな状態なので、世田谷パブリックシアターは初めて。
そんなに広くなく、駅からも近く(駅から地下道で繋がっている)、雰囲気も結構いいカンジな劇場でした……あともう少しトイレが多ければね。

既成のハムレットとは大きく異なる、新たなるハムレット像を見ることができたと思う。
それは、萬斎氏の本職が狂言師であるということは関係がない。
(本職がどうであれ、演じるからには皆、役者としてしか括らない。ただ、本人の資質という点では別問題だから、心の中ではいろいろな括りがあるが…)
いくら、下敷きにした訳が従来のQ版でなく、F版だからといってもこうまで積極的に物事をかき回すハムレットというのは初めてだ。
四季版では、芥川、下村、石丸の3人のハムレットを観た。
蜷川版では市村ハムレットだった。
しかし、そのどれもが『自分が望まないながら、運命に翻弄され、悩み、葛藤しながら道を往く…』そんな人物像を思い描かせたものだ。
しかし、萬斎ハムレットは一味もふた味も違った。
積極的に流れに巻き込まれ、なおかつひっかき回すという…今までのハムレット像からは程遠いバイタリティを感じさせてくれた(笑)。
どうかすると、その流れに巻き込まれた感のあるクローディアスの方が気の毒に思える場もあった。

…贔屓と言うなかれ!

萬斎ハムレットはそういう破天荒なキャラクターを前面に押し出していたように思うのだ。
そして、クローディアスは悪役を演るにはちと毒気が足りないせいで、ハムレットが一人で場を引きずり回しているような感が拭えない。
今回のハムレットは…思い悩むということをしないハムレットだった。
悩むより前に行動に起こしていたようなアクティブさが印象に残る。

ジョナサン………本当にそれでいいんですか?
そんな元気いっぱいなハムレットを創りだしたかったんですか?

…私は、もっと繊細なハムレットが見たかったようにも思う。
しかも、パセティック…(^^;;;

地がハイパーアクティブでバイタリティのある人だからしょうがないのかもしれないけど…もうちょっと物静かなハムレットであってもよかったのではないだろうか。
有名な「尼寺に行けー!」の台詞では、思いきり芝のぶちゃんを舞台に叩きつけて
ました。女の人じゃないからこそ遠慮はないのかもしれないけど、こう…びたんびたん、とものすごい音がするくらい叩きつけることはないんじゃないかと…思わずにはいられない。
実際にはそんなに力を入れてなくても、思い切りやっているように見えるというのは演技力の問題になるが…あの音は絶対に違う!!
その場でも、もう少し前後に『静』の部分があれば、その激昂する様子との対比が巧く醸しだせたのではないだろうか。
そういったことをもう少し練っていただきたいものである。

まあ、私の今回最大の楽しみは、出演者全員が男性であるということだった。
ガートルード王妃は言うに及ばず、あの可憐なオフィーリアも男性が演じるということに興味を隠せなかった。私がこよなく気に入っていたのは、野村玲子さんのそれはそれは可憐なオフィーリアだった。
篠原涼子ちゃんのオフィーリアはちょい落ちだったので、ここではなかったものとしたい。
しかし、あの可憐でいて、相応の実力がないと非常につらい役どころを男の人が違和感なくやれるだろうか…ということも疑問だった。
まあ、それも芝のぶちゃんの姿を一目見た瞬間から、杞憂だったと考えを改めることになるのだが…。
確かに、素の状態でも可愛いのだし、歌舞伎でも女を演じることは慣れているのだから、違和感があるなどとは失礼だったのかもしれない。
しかし、舞台で見るにはメリハリの乏しい顔立ちだからとか、いくら可愛くても所詮は男の人なんだから声までは…とか、いろいろなことでどうなんだろうかと思ったことも事実だった。
だが、舞台上にいたのは紛れもなく可憐なオフィーリアだった。
バレンタインの歌まであの声をキープできるのか興味深々だったが、本当に、最後まであの声をキープしていた。
地声も男の人にしては高めとはいえ、プロというものはこういうものなのだと教えられる。
素顔を損なうことのないメーキャップで、ごく自然にオフィーリアとして存在していた。
その姿を見、そして声を聞き、あまりの違和感のなさに出演者は本当に男ばかりだったのかと確かめた人も多いと聞く。

ガートルード王妃も同様だ。
篠井さんの場合は、常々、男の格好をしているときの方がなんとなく違和感を感じていただけに、ごく自然に王妃として受け入れていた。
ただ、絶対に胸は作ってるんだろうと思っていたのに、なかった(笑)。
それは芝のぶちゃんも同様だった。それが残念といえば残念ではある。
男の人でも、集めれば○カップくらいにはなるのだそうだ。
何で、そんなことを知っているのかとか、誰に聞いたんだとかの突っ込みはよしてもらいたいものであるが。

あと、女形として忘れられないのが、劇中劇の王妃を演じていた植本潤氏である。
彼は芝のぶちゃんとも篠井さんとも違って、坊主頭に楕円形の眼鏡の…人のよさげな小父さんといったイメージしかなかったものだから…ある意味、女形の中で一番驚いたかもしれない。
自分が観に行く前に得た予備知識では、誰もが芝のぶちゃんと篠井さんのことを上げていたが、私としては植本さんに注目したいと思う。
どの個性も稀有なものであることに違いはないが、一番変貌が激しかったのだから。
小柄な体が女形としての資質に有利であるとは思ってはいたが、よもや…あんな変貌を遂げるものだとは思ってもみなかった。
劇中劇の中で彼が披露した歌声のなんと美しかったことか。
その声が本当に植本氏から発せられているとは到底信じられず、我が耳を疑った。
音域が高いのはもとより、非常に広い!ときに高く、ときに低く…津嘉山さんの声に被っても邪魔になることなどはなく、むしろ、妖しくも美しいハーモニーを奏でていた。
セイレーンの声は想像するには難くないというが、それはこういう声だったのではないだろうか…私にはそう思えて仕方がない。
芝のぶちゃんの声も綺麗だったが、『艶』という点に於いては植本さんのほうが上だろうと思う。
その植本氏は、来年2月の再演時にオフィーリア役に決まっているという。
再演時にはきっと、誰もが成長を遂げていることだと思うが、ハムレットよりも、むしろオフィーリアの方が見物かもしれないと思わずにはいられないのだ。
…とはいえ、この時点では『次』も観に行くかどうかなんてことはわかりませ〜ん!
(自分の首を絞めるのはいやだが、『行きません』と言っておいたくせに行くことになったら、それはそれで自分の首を絞めるんだろうな…)

そして、『ハムレット』において私がひそかに気に入っている役どころはクローディアスだ。
今回、吉田さんが演じると聞いてどういう凄みを出してくれるのかと楽しみにしていたのだが…なんだか…どうもしっくりこない。
彼は、クローディアスを演じるには“善い人”過ぎるのではないだろうか。
こう、もっと悪役ならではの美学とか、誰も信じられないといった感の昏い眼差しだとか、隙のなさそうなきつさだとか、常に何かを企んでいるような悪そうな笑顔だとかがあってもよかったんではないだろうか。
…どちらかといえば、クローディアスよりもハムレットの方が悪そう。
腹の底で何を考えているか全然掴めない(笑)。
クローディアスは王位のためにガートルードを娶ったというよりは、ガートルードのために王位についたというような愛情の濃やかさが見え隠れしていたし、ハムレットに対しても、甥の時はそれなりに可愛かったけれど、息子になったら邪魔でしかなく、自分のために体面上の為だけに留学先へ戻りたいというハムレットを引き止めるのではなく、本当に息子として心配してるからこそ、ハムレットを引き止めていた…ように見えて仕方がない。

しかし、そんなクローディアスは失格!

吉田さんはむしろハムパパ@亡霊をやった方がよかったのではないだろうか。
そして、津嘉山さんがクローディアス。
…どう考えてもその方が凄みのあるクローディアスを見れたようにも思う。
もしくは、ホレイシオ。
いずれにせよ、彼は悪役向きではない。
悪役を演じるには彼の性質はまっすぐで、そして正直でありすぎたと思う。
それだけに、場を引張らねばならない役どころであるのに、今ひとつ牽引力がなく
ぱっとしないものになってしまったのではないか。
ハムレットに引っ掻き回された感が残るのはそういうことも要因になっているのだろう。

そして、忘れてはならないのがきぃ〜んしぃーんそぉ〜かん兄妹のレアティーズ!
…やはり、今回も非常に仲良しな兄妹でした。
芝のぶちゃんと2人で出てきた場面(レアティーズがフランスに帰る場面)なんて、2人してベッドから出てきたような…えもいわれぬ気だるさが混じったとっても親密な空気を醸しだしていた。
本当に彼等は何もなかったんでしょうか…?
しかし、とっても顔の怖いレアティーズでした。
あんなにきつい顔立ちの役者さんがレアティーズをやったのははじめて見ました。
(ハムレットのライバル的に描かれるから女受けのよさそうな役者さんが演じることが多かった役だ)

でも、まあ…それでもよかったんだけど、後半のハムレットとの決闘を過ぎて『時間がないから簡潔に許しあいましょう』的な展開はいただけないです。
あそこは物語としても後半としてもヤマなんだから、もうちょっと盛り上げていってくれー!!そんなにあっさりとされたんじゃあ…泣きそうなんですが。

また、彼に従いハムレットのお目付けにされるローゼンクランツとギルデンスターンは…この劇中で最も哀れな犠牲者に思えて仕方がない。
クローディアスに命じられたが故とはいえ、ハムレットに従い、『スポンジ君』と呼ばれてさえもその傍を離れようとしなかった。
そして、イギリスでハムレットの姦計によって処刑されてしまう。
一応、以前は友人であったはずなのに、ハムレットのその冷たい仕打ちはなんだろう。
しかも、彼等がクローディアスの命令を聞いたのがいけないとだけ詰って、後はなかったことにしている。
…本当にそれでいいのか?
そんなハムレットが国民に本当に人気があるのか!?
…どう考えたって、ハムレットのが悪役気質だし、ローゼンクランツとギルデンスターンは被害者に見えるのだが。

こんな、今までの『ハムレット』感が大きく覆されたのは初めてだ。
いい意味も悪い意味も含めたあらゆる意味で、今までのイメージが一新された。
なんて、恐ろしい才能があったのだろうか。
それは、ジョナサン・ケントの鬼才ぶりだけではなく、個性の激しい出演者たちがいてこその新イメージであるのだろう。

でも、ハムレットにヘラクレスのようになろうなんていうオソロシイ思考をもたせないでください。
たとえ、頭ががちがちだと罵られようと、私は正統派な悩む『ハムレット』が観たいです。
人生には、ロマンが必要不可欠なんです!


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