++ワタシノココロ++
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2005年08月30日(火) |
記憶の カケハシ(小旅行 追記) |
あーもんどとの小旅行(神々がおはします処) は
あーもんどの車で行った。
まだ新車の香りがする、赤い車。
初の高速道路で、初ETCだったんだって。
帰りはちょっと運転させてもらった。
なかなかいい感じ。
車の中では、二人が好きなマッキーの曲が流れてた。
私は学生時代からずっと聴き倒してきたから
久しぶりの曲を聞くと、なんだかその時の色々が
目の前に広がるような感じだった。
よく歩いた道、学食の匂い、好きだった人の顔とか。
とっくの昔に忘れてた、図書館前のベンチから見た風景とか。
最初に住んでいたおんぼろアパートのこととか。
何を考え、何を感じていたかとか。とにかくいろいろ。
あーもんどは、わりと最近マッキーを聞き始めたとかで
そんな思い出話をする私のことを楽しそうに見ていた。
「私も、いつかこの曲を聞いた時に今の生活を思い出すのかな」
って言ってた。
今日。遅れて実家にやってきたやすくんと一緒に
車で出かけた。
CDをマッキーにチェンジして、通いなれた道を走る。
あーもんどの車の中で聞いたのと同じCD。
曲の順番をたどるごとに
この前の小旅行のことを思い出した。
それこそ、高速の坂道のカーブとか、
諏訪大社の側の民家に干してあった洗濯物がゆれていたこととか
そういう細かいことも。
このCDを聞くとこれからはあーもんどのことを思い出すようになるんだろうな。
旅の思い出と一緒にね。
友人あーもんどと旅をした一日(神々がおはします処)
ひかるは私の母と一緒に過ごした。
出かけるときに少しでも寂しさを感じないように、と
あーもんどと待ち合わせをした場所で
一緒に遊んだりしながら過ごしたり
別れる時もなるべくさらっと、何も無かったように別れたりして。
帰りは夕食を食べてからだった。
朝待ち合わせをしたところで、母とひかるとが
朝と同じ所に車を止めて待っていた。
ひかるはなんだか少し大人になったような表情をしていたように見えた。
車での帰り道。
「今日一日、とってもおりこうにしてたよ。
一緒に出かけてポニーを見てきたんだけど、
自分で階段を上がろうとしたり、ポニーにえさをあげようとしたり なんだかこっちがびっくりしちゃって」
そんなひかるの様子をとっても新鮮な気持ちで聞いてた。
「だけどね」
母が言葉を続ける。
「家に帰ってきてからもずっとご機嫌だったんだけど
時々、玄関やベランダの方にかけていって
小さな声で『おっかぁ』ってつぶやいてたよ。
昨日、あんたが外で鉢の植え替えしてたの覚えてて
探しにいったみたいだね。」
そんな言葉が胸をきゅんと締め付ける。
「ひかるは朝別れてから一度も泣かなかったけど
車に乗ってから時々小さな声で『おっかぁ』ってつぶやいてた。
こんなに小さいのに、ちゃんとわかってんだよね」
ひかるは、私が一日側にいないことを
敏感に感じ取って、しかもきっと
「1人でも頑張らなきゃ」って
小さいながらに思ったところがあったんだって
そのことに驚きながら
私は、私がずっと「守り続けてきた」と信じてきたひかるにも
実は支えられて、この1日を過ごしてきたんだなあって
凄く感動した。
「ひかるはひかるなりに、お母さんにお休みをあげたい、って
思ってたんじゃない?」
母の言葉を聞きながら
ひかるの顔を見た。
満足そうな顔で眠るひかる。
大きな大きなありがとうの気持ちが
またひとつ
わたしのココロにあったかい何かを
流し込んでくれた。
2005年08月28日(日) |
神々がおはします処。 |
あーもんどと久々の再会。
いろいろ行き先を迷ってしまったけど、結局決まったのは
諏訪湖一周ツアー。
諏訪湖を一周するのが目的なのではなくて、諏訪湖を取り囲むようにある
諏訪大社の四つの宮を全部制覇しようって言うツアー。
諏訪湖へ向かう道すがらは、とにかく話しまくり。
ほんと、BGMが全く聞こえないほどの勢いで。
でもさ、久々に会ったのに何の違和感も無くとりとめの無い話が出来たことが
ものすごく嬉しかった。
四つの宮はそれぞれが全く違う雰囲気で
参拝客が大勢いて一見観光地化されてるところや、
街の雰囲気に溶け込んでいながら、なお荘厳な空気を感じさせるところがあって
私には霊感とか、目に見えないものを感じ取る力は少ないと思うけど
それでも、不思議と「神様」のお側に寄せていただいたというか
「神様」の存在を身近に感じられたような気がした。
あーもんどとは、とにかくたくさん話した。
仕事のこととか、ちょっぴり恋愛感の話とか。
実は知ってるようなつもりでも、あーもんどのことあまり知らなかったんだって
なんかものすごく新鮮な気分になった。
私もたくさん話をしたけど、もっともっとあーもんどの話を聞きたいと思った。
その後、大学時代の友達宮本っちゃんとこちらも数年ぶりに再会。
宮本っちゃんとあーもんどは初対面だったけど
この二人をそれぞれに紹介したかったからよかった。
大切な友達に出会えて、なにか神聖なものを感じられて、
自分をちょっぴり見つめなおした本当にいい1日になった。
そんな気分になれたのも、太古の昔から神様が守る
諏訪の地でいい「気」をたくさん吸収できたからかもしれないな。
ありがとね。
2005年08月26日(金) |
わくわく で どきどき |
明後日、友人あーもんどに会う。
久しぶりだなあ、会うの。
ん?ひかるがおなかにいる時にあった以来かも。
たまたまメールで話していたことがきっかけで
久々の再会が小旅行になることに決定。
小旅行、といっても日帰りドライブだけどね。
行き先はまだ未定。
メールで相談中。
今回の小旅行には、ひかるを連れて行かない。
初めてのこと。
まるまる1日別の時間を過ごすなんて、生まれてから1度も無かった。
それこそ、私が風邪で寝込んじゃったときですら
半日預けただけだもんなあ。
ひかるには本当に悪いけど
1人で出かけられると考えただけで
体が軽くなったような気がする。
妙にワクワクするというか。
ひかるがいるとつまらないとか、大変だと思ったことは1度も無いけど
どこに行っても、どうしても「おかあさん」になっちゃって
なんとなく、「私」が置いてけぼりになってるような瞬間はある。
今回の小旅行は、100%私の時間だもんね。
楽しみ楽しみ!
だけど、このままであーもんどに会っても大丈夫かな?
急にそわそわしちゃって、
なんとなく、気になってた髪を突然切りにいったりして(笑)
…いえ、この休み中にきるつもりだったんだけどね。もともと(言い訳)
今日は実家に帰るといつもいく、整体へ。
母の兄、つまり私の伯父がやっているところ。
もともとは、やすくんの腰痛を見てもらおうと帰省のついでに
いつも見てもらっていたんだけど、
肩こりなんてなったことない!なんて小さな自慢をしていた私も
実は、腰や肩甲骨のあたりに疲れがたまりやすいと言うことがわかってからは
必ず、伯父さんに体を整えてもらう。
「疲れ、というか、今回は体全体がこわばってるな」
関節やそれらと繋がっている筋が
柔軟性とは別に、硬くこわばっているそうだ。
確かに、いつもとは違う変な感覚が腕をまわしたりするとあった。
「同じ姿勢で仕事をしていると、 どうしても筋肉や関節が同じ状態で長くいるから
こわばってきちゃうんだぞ。 たまには、ほぐしてやらないと」
伯父さんが腕を上げ下ろししたり、膝の曲げ伸ばしをしたり
一つ一つの関節をジンワリ伸ばしていくと
終わるころには、痛みも違和感も無く体がポカポカしているのがわかる。
「こわばってたところに血液が流れ出してるから、そう感じるんだ」
気持ちも一緒かもしれない。
いつも同じことを堂々巡りで考えて、
出口の無い袋小路に迷い込んで
そうすると、ゴワゴワこわばって硬く閉ざしたココロになっちゃうのかも。
そして、今の私はそのゴワゴワをちょっとずつ伸ばそうかなって、
そう思えるようになったのかもしれない。
伯父さんの整体からの帰り道。
やすくんから電話が入った。他愛の無い、仕事の話。
「きき、なんかいいことあった?」
突然やすくんがそんなことを言う。
「なんかさ、いつもより声が活き活きしているよ」
へへへ。なんだか、嬉しいな。
私のココロの隅々にも暖かいエネルギーが流れ出してきたのかもね。
ただいま、実家に帰省中。
先月も1週間いたから、なんだか久しぶりと言う感じがしないけど。
毎回、あれもしたいこれもしたいと思いながら
結局ほとんどできないまま、ジタバタして終わっちゃう実家での生活だけど
なんだか今回はゆったりしつつ、やりたいことをてきぱきこなしてる感じがする。
それに、随分色々なところに積極的に出て行ってるな。
目的を持って。
この、「目的を持って」っていうところが結構自分の中ではポイントが高い。
今までだって、帰省中は割と家にいないで外出してたんだけど
「とにかく家をでて動き回らなくちゃ」っていう
なんていうか、強迫観念みたいなものがあったみたい。
必然的に外食が増えちゃって、余計疲れたり。
今回は、予定をきっちり決めているわけではないのに
キャンプに行ったり、地元の床屋さんに挨拶に行ったり
ひかるのための手作りブロックの製作を進めてみたり、
それに、たまりにたまった母の雑誌のスクラップをやり遂げたり。
時間を有効に使っている。我ながら。
そして、今日。
友人あーもんどからのメールを読んで、無性に旅にでたくなった。
あーもんどは、つい先日の休みに1人京都に行ってきたらしい。
私が学生時代を過ごした街。
メールを読みながら、色々懐かしい景色や匂いが自分の中によみがえってきて
無性に出かけたくなった。
ふしぎだな。
向こうにいたって、休みの日にはやすくんとひかると一緒に出かけるのに。
なんだか今、私の中には「動かなきゃ」っていうものすごくパワーのある
それでいてとっても爽やかな風が吹いてる感じ。
そして、自分の中の「生命力」みたいなものが瑞々しさを取り戻してる。
28日にはあーもんどと久々に会う。
早く会いたいな。
お礼を言わなくちゃ。
ひかるの目の形は、私に似ていると思う。
鼻から口元にかけては、やすくんにそっくり。
美味しそうなものを前にしたときの嬉しそうな顔は…私かな。
この前、やすくんがひかるのその顔を見て笑ってたしね。
朝、起きたら。
隣で寝ていたひかるが頭を半分敷布団からはみ出させて横を向いてた。
…ふふ、やすくんそっくり。
顔かたちや、仕草や、もう少し大きくなったら言葉の言い回しとか
やっぱりどちらかに似てくるんだろうな。
当然、親子だし。
一番近くにある大人で、ひかるの見本になっちゃってるんだろうし。
良くも悪くも。
でも、今朝のひかるの
「頭半分はみだし寝」を見たとき
見ているわけでも、教えたわけでもないやすくんのくせを
ちゃんと受け継いじゃったんだなあって、
目に見えないDNAのチカラに驚いた。
私がこの世からいなくなっちゃっても、
私が生きていた証は、ひかるの体のどこかに必ず残っていて
将来ひかるが親になった時、子どもにもちゃんと受け継がれていくんだなって
そして、
今こうしてのんべんだらりと生活している私の体のどこかにも
私の両親やその又両親…ご先祖様の生きてきた証が
残ってるんだなあと思うと
なんとも感慨深かったり。
そして、今日もお昼寝中のひかるは
頭を半分はみださせて
大の字になってねむっているのでした。
今日、ほんのふとしたことに
自分でもビックリするほど「あぁ、そっか」って納得した。
でもその「あぁ、そっか」は、
今の私を、私のココロを支えてくれるほどの
大きなちからを持つと気づいて
ここに残しておかなくちゃって
パソコンに向かった。
そしたら。
なんとなく「あれ?」って思って
昔の日記を読み返してみたら
今私が感じてる「大切なこと」に
私が出会っていて
今の私みたいにココロがスッと軽くなった、って
書かれていた。
なんだ、とも思ったけど
昔と同じように感じられた私のココロを
ちょっぴり愛しく思った。
ひかるの毎日の劇的ともいえる成長は
あしあとを追うのに精一杯なほどだけど
最近足踏み状態だと思ってた自分も
ゆっくりじっくり足跡を残してると気付けて
また、少し嬉しくなった。
過去を振り返るのは良くないような気がしたけど
たまに振り返ってみるのもいいのかもしれないな。
暑い日が続いた。
ホームセンターでビニールプールを買った。
ひかるが喜んでくれるといいなあと思って。
やすくんがポンプでプールを作り、水を張ってくれた。
太陽が水を温めてくれるまで待ちきれなかったひかるが
服のまま、両手をプールに突っ込んでピチャピチャさせてた。
昼食を食べてしばらくしてから、いよいよ初プール。
水着は持ってないから、真っ裸のひかるを抱いてプールへ。
おそるおそる、プールの中で立つひかる。
私たちは、座らせようとか、水で元気に遊んでくれないかなとか
おもちゃもあるのに、とかそんなことを思っていたけど
私たちが思う以上に、ひかるにとっては大冒険だったようだ。
そろりそろりとプールの中を歩いては、こちらの方に少し不安げな顔を見せた。
数分後。
まだ、元気に声を上げてはしゃぐ、ってことはないけど
水をすくってみたり、よたよたと(笑)歩き回ったり、
おもちゃのアヒルで遊んだり出来るようになった。
やすくんはすぐそばでそんなひかるの写真を笑いながら撮ってた。
私も、笑いながら時々ひかるに水をかけたりしていた。
不意に、ひかるがプールの縁をまたいで外に出た。
それでコンクリートの通路をぺたぺた歩いた。
今日はじめてプールに入って
あんな不安げに、水の中に立っていたひかるが
ひょいって、いとも簡単にビニールの縁をまたげちゃったことに驚いた。
びっくりしてる私たちのほうを振り返ってひかるは
得意そうな顔で笑ってた。
こうして書いても、「何をそうおおげさな」って思うけど、
そんな些細なことでも、ひかるの成長をまた一つ見届けられたような気がして
すごく嬉しく感じた。
うーん、「親心」かも。
今日のことはきっと忘れない。
ひかるが、一人で泳げるようになっちゃってもずっと。
昨日、今日と偶然テレビで
最近気になってる全く別分野の二人を
全く違うジャンルの番組で
初めて、みた。
ちょっと幸せきぶん。
2005年08月06日(土) |
おかあさん のココロ |
「火垂るの墓」がテレビで放映されてた。
見る気はなかったんだけど
ひかるを眠らせながら、ううん、眠ってもずっと
結局最後まで見てしまった。
可愛そうだなあと思う。
戦争なんて二度とおきてほしくない、と思う。
でも、それ以上に
「この2人を残して逝ってしまったお母さんはどれほど辛かっただろう」
と、今まで思ったことのない気持ちで
ずっと胸を締め付けられていた。
この前、スカパーで
「誰も知らない」をやっていて、思わず見てしまったのだけど
そのときにも、同じように
今まで感じたことのないやりきれなさを感じた。
私は
私も知らないうちに
かなり「お母さん」になっていたみたいだ。
今日の「火垂るの墓」を見ていると
画面で動き回っている節子の一挙手一投足が
だんだんひかると重なってきて
悲しいシーンでは、いてもたってもいられず
何度も何度も、ひかるがちゃんと呼吸しているかをたしかめた。
おかあさん、ってのは
思っている以上に命がけで
子どもを思っているものなのかもしれない。
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