++ワタシノココロ++
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1年前の今頃
やすくんと二人で
小さな電球だけともった暗い病室で
初めて体験する痛みを感じてた。
時々うつらうつらと眠ることはあったけど
不意に襲われる強い陣痛に
私はどうしていいのか分からず
顎をやすくんの肩にのせてしがみついてた。 っていうか腕を握りしめてた。
やすくんはそんな私を抱きかかえるように座りながら
腰を擦ってくれたり
痛みを逃す呼吸法を私に伝えるようにずっと続けてくれてた。
明け方に生まれるだろうっていう
担当の助産師さんの言葉を信じて
夜が早く開けないかって
そればかり考えてた。
ドラマみたいに
お腹が痛くなったと思ったら
次のシーンでは分娩台に乗ってて
2〜3回いきんだらすぐ赤ちゃんがないて
次のシーンは病室でにっこり微笑んでる、なんて
絶対ありえない。
もっと生々しいというか動物的なもの。
自然の摂理、動物的本能に身を任せるしかない
そんな感じだったと思う。
とにかく、1年前の今頃が
今までで一番長い夜明け前だった。
1年後の今。
珍しくなかなか眠れずにいたひかるは
私の胸の上で眠ってる。
私の鼓動を聞くように 片耳を胸にくっつけて。
まるで1年前の今頃を思い出すように。
やすくんからメールが届いた。
「1年前の事を思い出しました。 早いね」って。
ひかるが生まれて1年。
特別なあの夜から1年。
2005年02月17日(木) |
幸せを願ってくれる人たち。 |
ひかるを連れて、知人…恩師かな、の家に遊びに行った。 働いている時にたまたまデスクが隣だったその人は、 私の両親より年上で、頑固でマイペースな人。 職場でも独特な雰囲気があって、なんか近づきがたいタイプだった。
でも、いくつかの仕事を一緒にやったりする中で 同僚とか先輩後輩とかそういう枠を超えて なんだろう、親戚以上親未満(笑)くらいな所までになった。 私が2年目に入るときに定年退職しちゃったけど、 仕事が終わってから自宅に遊びに行ったり、奥様の美味しい手料理をご馳走になったり たまに昼寝させてもらったり。 そんな関係。
仕事をやめるときも、結婚する時も、そしてひかるがおなかにいるとわかったときも、 家族の次に報告して、家族の次くらいに喜んでくれた人。
ひかるはもともと人見知りや場所見知りなんかはしない方だけど 多少どこへ行っても誰に会っても最初だけは緊張した表情を見せるけど その知人の家に入ったとたん上機嫌で、自由気ままに動き回ってた。
2人はそんなひかるを見て顔をほころばせて、いつまでも一緒に遊んでくれてた。
きっとこのくらいの子供たちはみんなそうなんだろうけど 「ひかるはみんなに愛されているなあ」って しみじみ思った。
そして、ちょっと恥ずかしいけど そう思われてるひかるの親である私も きっと自分が考えてるよりもつよく 周りの人たちから幸せを願ってもらってるんだろうなあと思った。
ちゃんと最後まで書いたはずだったのに、なんだか途中で切れてました。 再更新。 **************************
友人が2人で遊びにきた。
この前会ったのは…そうか、ひかるがまだお座りもできなかった夏。 体も心も成長したひかるに驚き、そして喜んでくれた。
「いつまでも見飽きないねえ」
そういって、ひかるを見てくれたのが嬉しかった。 他の誰に言われるよりも。
ひかるの話が一段落して、近況報告やその他諸々。 話のネタは尽きなかった。
2人とも、昔の私の同業者でもあるので なかなか他では話せないだろう深い話も聞いたし 私も他では、やすくんの前でさえ吐き出せない話をした。
正直、話の内容はかなり重かった(苦笑)
でも、 話してしまったことで自己嫌悪に陥ったり 2人の話を聞いて「私はまだ頑張りが足らないな」と自分を責めたり 今自分の置かれてる状況と、彼女達の状況との違いを嘆いたりすることは 全然無かった。
むしろ、あんなに重くドロドロした話をしたとは思えないほど 私たちは大笑いしながら別れた。 彼女達は半年前より更に痩せた私のことをちょっと心配したみたいだけど 「ひかるに栄養を吸い取られてるせいだよ」といったら すぐに笑って「じゃ、あんたもダイエット仲間に入る??」なんて言って。
パソコンの前に座って、日記を書こうと想った。 前みたいに、悲観的にならなくても済みそうだと思った。
あんなに危うかった自分のココロが 今は穏やかにうまくバランスをとっているのがわかる。
遅ればせながらのお正月休みで実家にきて ほとんど何もしないでもうすぐ終わりを迎えるけど
新鮮な気持ちでまたやっていけそうだ。
充電完了。
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