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2003年03月30日(日) 口癖。

「ねえ やすくん」 私が言うと
「ん?」 って、やすくんが答える。


やすくんは次のコトバを待ってるみたいだけど
ごめん、次のコトバはないんだ。
何か話したいことがあった訳じゃないの。




ただ、呼びたかっただけ。








一人で生活しているとき、
そばにやすくんがいなかったときに
いつも、一人でつぶやいていたコトバ。

ねえ やすくん、今日こんなことがあったんだよ
ねえ やすくん、また失敗しちゃったよ
ねえ やすくん、私がんばってるよ
ねえ やすくん、一緒にここに来たかったねえ
ねえ やすくん、会いたいよ

その時々によって、いろんな意味が込められていたけど
「ねえ やすくん」って、小さく一言つぶやけば
口から外に出たコトバが、また耳から入って
なんとなく、やすくんがそばにいて聞いてくれてるような気がしたから

そして また少しだけ 頑張っていけそうな気がしたから


一緒にいられるようになってもまだ
私の口癖は抜けなくて
すぐ隣にいてくれても、つい呼びかけてしまう。
本物のやすくんは続きのない呼びかけに
どう反応して良いのか困ってるようなときもあるけど


「ん?」
って、いつもみたいに相づちだけ打ってくれればいいんです。
やすくんが一緒にいる今が夢じゃないんだって
それがわかれば、それだけでシアワセなんです。





ねえ やすくん、うれしいの
ねえ やすくん、わたしシアワセだよ




ねえ やすくん?
ねえ やすくんはシアワセですか?





2003年03月29日(土) 戸惑い。

やすくんは仕事でお泊まり。
一人で荷造りをしていくんだけど
なかなか進まない。気持ちがどうも乗らないんだよなあ。

本当だったら、もう荷造りは全部終わって
大掃除にかかっているはずだったのに、
まだ部屋には空き段ボールが散乱してる。
だめだなあ。



友人からメールが来た。
恐れてはいたけど、想像の範囲を超える内容。
ついに私の生活にも、あの戦争が土足で上がり込んできそうだ。
自衛隊員でもないのに、戦場へ行くかもしれない友人。
彼は怪我が耐えなくて、いつもはらはらしていたけど
私の心がだんだん麻痺してきたみたいで、最近は慣れっこになってきた。
そんな麻痺した私の心にも激震が走った。
「もしかして 死ぬかもしれない?」
そんなことが頭をよぎる。
メールのやりとりではいつもと同じ明るい雰囲気の友人だけど
その明るさで、かえって不安になる。


偶然にも、別の友人からもメールが来た。
年下の男友達。正確には、高校の後輩。
後輩と言うより男友達という方がぴったり来る彼は
年下のくせにいつも私をからかって、そして心配してくれていた。
ちょっと前に、突然入院するという内容のメールが送られてきて
それっきり音信不通になってしまった彼。
「退院したにはしたけど、もしかして一生このままかもしれない」
健康診断でひっかかって、検査入院していたらしい彼。
すごく活発的だった彼が、もしかして一生ベッドの上かもしれないなんて
想像しただけで、悲しくなるけど
やっぱり彼もいつもと変わらない明るいノリでメールをどんどん送ってきた。




偶然だとしたらあまりにも悲しすぎる
この2人の大切な友人達に起きた出来事。



更に。
私の中にわき起こっているこの気持ち。
「会いに行きたい」って。
何もできないけど、ただ自分の気持ちの安定のためだけかもしれないけど
ちゃんと顔を見て話をしたい、って言う想い。

いまはやすくんよりも
彼らの顔を見て、彼らのためにできる何かをしたいって
そう強く思っている自分がいる。
大切な友達のために。


でも一方で
「本当に、友達だから行きたいの?」っていう問いかけも
自分の心のどこかから聞こえてくる。

やすくんが一番大切だって言う気持ちに
ほんの少しの揺らぎもないのに
そんなことを考える自分の気持ちが分からない。




ナニカ 特別ナ オモイガ アルンジャ ナイ?
ヤスクンニモ 話セナイ ナニカ ガ アルカラ ジャナイ?



そうじゃない。
そうじゃないのに。
でも、そう考えてしまう自分がいるってコトは・・・?



 






今、自分が何を考えているか、わからない。

どうしていいんだろう。


2003年03月28日(金)  タカラモノ


今日から、やすくんはまたお泊まり。2泊。
今度帰ってくるときは、引っ越しの日なのでそれまでに
荷物をしっかりまとめて置かなきゃ、と思うけど
気ばかり焦ってぜんぜん手が動かない。

ここに来て一度も使わなかったモノとか、
着なかった服はこの際処分することに決定。
10ヶ月しか住んでいないのに、異様にモノが増えちゃってる。
貰い物がメインだけど、これは全部リサイクルに回そう。

クローゼットの奥から、黒いセカンドバックが出てきた。
確か、荷物を入れるときにやすくんが「これは大切だから」といって
わざわざ奥へ片づけていた物だったはず。
何気なく中をチェックすると、チラッと見える手紙らしきもの。




私からの手紙、それにはがき。



まだ別々に暮らしていた頃、私はよくやすくんに手紙を書いた。
と言っても、実際に投函したのは少なくて
私のアパートに遊びに来たやすくんに鍵を渡すための
ダミーの手紙が多い。
当時やすくんに合い鍵を渡していなかったので
遊びに来てくれるときは、鍵をおいて行かなきゃだめだった。
だけど、そのままおいておくのは怖いし、
かといって隠すところもないし、と、茶封筒で私宛の手紙を自作して
その中に鍵を入れておいておいた。
ま、プロからしたら大したことにない工作だったろうけど。
ただ鍵だけを入れるのもつまらないから
毎回ちょっとした手紙を入れていた。

   「この前何となく『来れないかも』と思って
    使い古しの封筒に鍵を入れておいたら
    やっぱり来れなくなってしまったから
    今日は、ちゃんと新しい封筒に入れておきます。
    これで、絶対会えるって、ちょっとしたおまじない」

台風が直撃して、やすくんが来れなかったコトがあった。
その次に遊びに来る時に書いた手紙。
私が間違いなく書いたものだけど、ちょっと恥ずかしい。
でも、思わず次から次へと開いて読んでしまう。

なかなか会えなかった頃の私は
やすくんに会える時間がとっても大切で
刻々と近づいてくるその瞬間を
ドキドキしながら待ち望んでいたんだなあって
改めて思った。
毎日顔を合わせるのが当たり前の今、
忘れかけていた気持ち。

わずか数年前の自分の手紙なのに
なんだか、そのころの私をすごくかわいいと思った。



最後の1通。
私が初めてやすくんの住んでいた街へ行くとき
東京駅で、電車を待ってるときに書いたもの。
つき合うことになって初めて会う、その直前に書いたもの。


   「これから、そっちに行こうとしている自分が
    なんだか信じられないよ。何が、ってきかれるとそれはそれで困るんだけど
    自分がここにいることが、楽しみなような不安な感じです。
    これから何が待ってるかわかりませんが、とにかく楽しんできたいなあ」

自分がそのときに置かれてる状況が自分自身信じられなくて
やすくんのことも自分の気持ちも、
まだよくわかっていなかった頃の正直なコトバ。








やすくんから電話がかかってきた。
引っ越しのいろいろについての連絡だった。
「あのさ、なんか変な物見つけた」
自分からの手紙、なんて照れくさくて言えなくて
そんな風にやすくんに言う。

「なになに?」ちょっと焦った風にやすくんが聞く。

「手紙。黒いセカンドバッグに入ってたやつ。これ、どうする?」
照れ隠しでついぶっきらぼうに聞いてしまう。

ほんの少し、電話の向こうで沈黙があって
その次に
「それは、僕の宝物なので、捨てないで大切にとっておいてください」
と、ちょっと照れた様子でやすくんが言った。


恥ずかしいけど、捨てられないよ。これは。
私にとってもタカラモノだから。
不安ととまどいと、それにちょっぴりの希望がつまった
私の大切なきもちだからさ。










ふふ。じゃ、やすくんに内緒で
私がもらった手紙も、ここに入れておこうかな。



2003年03月27日(木) マーガレット。

送別会の話を昨日書いたけれど
実は私も、今月で今の仕事を辞める。
パートタイムのちょっと変わった仕事だったのだけど
なかなかおもしろかった。

送別会も開いてもらっちゃって
おまけに花束なんかももらっちゃって
なんだか、本当に申し訳ない感じでいる。


もうすぐ、この部屋を引っ越す。
やすくんの転勤先のアパートは車で1時間くらいのところだから
ぼちぼち荷物を運ぶ予定でいるんだけど
そのせいなのか、なかなか荷造りの手が進まない。
段ボールの箱は散乱しているけど、なかなか中にモノが詰められない。

段ボールだらけの殺風景な部屋に
送別会でもらった花束は華やかすぎる。
しかも、私の持ってる花瓶(がわりの瓶)には
収まりきらなくて、いくつかに分けて部屋に飾ることにした。
リビングとダイニング。それにトイレと寝室。
こんなに花を飾ったのは、この部屋では初めてだ。

花束を分けるときに花束に入っていた
2本のマーガレットだけは別にした。
マーガレットは私が好きな花の1つ。
鮮やかな色のほかの花と一緒にしてしまうと
どうしても「引き立て役」になってしまうから
それだけでグラスに差した。


色とりどりのバラやカーネーションを差した瓶の横に
マーガレットのグラスを置くと、やっぱりちょっと地味だけど
私はそれを寝室においた。


やすくんは花のことには興味がない。
こんなに飾っても、きっと気づかないんじゃないかな。



「ねえ、このマーガレット、どうしたの?」
珍しく早く仕事が終わり帰ってきたやすくんが
寝室から着替えて出てきたときにそういった。

「ん?この前の送別会でもらったんだよ」
何気なくそういうと、
「これって、ききの好きな花だよね」
って、笑っていってくれた。

ふふ。
玄関入ってすぐのところにも、
帰ってきて真っ先に入ったトイレにも、
ダイニングのテーブルの上にも
きれいな花はたくさんおいていたのに

真っ先にマーガレットに気づいてくれるなんてさ。







嬉しいじゃないの。



2003年03月26日(水) ただいま。


疲れて帰ってきたやすくん。

昨日はお泊まり送別会。話好きなボスに捕まって
朝までずっと語られていたらしい。
おまけに、朝までつき合った人たちはみんな休みだったのに
やすくんは仕事。

「忙しくなかったけど、疲れちゃったよ」

帰ってきた途端に大きなあくびを繰り返す。

ご飯を食べずに、お風呂に入って寝た方がいいと思ったんだけど
どうしてもご飯が食べたい、っていうから
お風呂を沸かしてやすくんが入っている間に
急いで夕御飯を作った。

お風呂から出てきてさっぱりしたやすくんが
「やっぱりうちはいいなあ」って言った。
そして、私の顔をのぞき込んで
「ただいま」と言った。


あり合わせで作った夕御飯は
お世辞にも豪華なモノとは言えないモノだったけど
やすくんの眠そうな笑顔と
「ただいま」の一言で
すばらしく素敵な食事になった。






2003年03月25日(火) 体は正直。

昨日、あんなコトがあって
やすくんを一人送別会に送り出したけど
せいせいしたって言う気分にはなれなかった。

やすくんのコトを腹立たしく思ってる一方で
意固地になってる自分にもイライラしたりして。
今頃やすくんは何を考えてるんだろうなって
あんなイヤな気持ちのままで大丈夫だっただろうか、なんて
考え始めちゃったら、ご飯を食べる気にもなれず
結局夕食は抜き。

やすくんが送別会から帰ってきた後も
なんとなく、気まずかった。
やすくんの顔を見れば、やっぱりあの瞬間を思い出して
イライラせずにはいられなかったんだけど
この状態をきっとやすくんも早く抜け出したいんだろうな
なんて思うと、いつまでも腹を立ててる自分がイヤになったり。

いつまでもこの悶々とした気持ちは晴れず
同じ部屋で一緒にいられなくて、一人先に布団に潜り込む。



・・・・・・・・・・絶対、私からは話しかけないんだから。



どうしてもあの言葉だけは、と思うと
結局、こういうコトになってしまう。
気持ちのゴチャゴチャの原因も元をたどれば
やすくんのせいだって、そう思いながら
眠りについた。














いつの間にか、朝が来ていた。
やすくんも、私が知らない間に布団に潜り込んだようで
隣から、寝息が聞こえた。


目を開いてみると
寝る前は、近づくのもイヤだと
やすくんの布団から一番離れたところに枕をおいて
やすくんに背を向けるようにして眠ったはずだったのに
いつも通り、やすくんの布団のすぐそばで
やすくんの方を向いて寝ている自分がいた。

やすくんも
私の布団のすぐそばで
いつもみたいに左腕を私の布団の方に伸ばして
まるで私を守ってくれるようにこっちを向いて寝ていた。





頭ではどんなにイライラしていても
やすくんのことを信じられない、と思っていても
もう私の体は知ってしまっていた。
やすくんのそばが一番安心できるんだってコトを。
落ち着く場所なんだってコトを。






表面はその時々に大波が立ったり揺れ動いたり
沈み込んだりはじけそうになったり
大きく変化があるけど
私の体の奥深くにある心の根っこは
ちょっとやそっとじゃ揺れ動かないらしい。







2003年03月24日(月) あなたにとってはたいしたことないコトバでも

今日が仕事の最終日。
今の仕事は、昨年度までの5年間続けてきた仕事と関係のあるものだった。
自分なりに一生懸命やってきた仕事。
他の人には負けないっていう自信もほんの少しある。
でも、これから先、私がこの仕事に携わることはないと思う。

これからは、やすくんの仕事の手伝いをするって決めたから。
全く分野が違う仕事だから、
これまでのノウハウも経験もほとんど役に立たないだろうと思う。
去年の今頃、仕事を辞める時は後悔はないって思った。
その気持ちは今も変わらない。
でも、どこに行ってもある程度見通しがもてていたこれまでを思えば、
正直、将来に対しては希望より不安の方が多い。
慣れない仕事への不安。

それに、ほぼ同時にスタートする
やすくんの両親との同居に対する不安。



昨日の夜、やすくんに
「明日がいよいよ最後の出勤なの。明日は絶対一緒に朝御飯食べようね」
と、言った。
後悔はないとはいっても、やっぱりこれで最後、と思えば
一抹の寂しさはある。卒業式の前の日みたいな気持ちかな。
後ろを振り返りたくないからこそ、きっぱりけじめを付けたいってのもあった。
「うん・・・起きれたらね」
やすくんがテレビから視線を逸らさないまま答えた。
「明日が、最後だから。最後だから一緒に食べたいんだよ」
やすくんの答えがあまりにも素っ気なくて、思わず念を押した。
そしたら

「もし、また今の仕事にもどりたくなったらそれでもいいんだから」

と、相変わらず視線をテレビに向けたままやすくんが言った。
やすくんからしたら、他愛のないやりとりだったかもしれない。
なんとなくセンチメンタルになってる私に対する、
優しさからのコトバだったのかもしれない。
とにかく、やすくんにとっては
さらっと流されるだろうコトバだったんだろうと思う。


でも、違った。
私にとっては。
心にグサリと突き刺さった。


5年間働いてきた自分に誇りがあるからこそ。
そこから飛び出して、やすくんについていこうと思ったからこそ。
「もし戻りたければ」
なんて話をしてほしくなかった。
やめる決心をしたことに後悔がないのは、
やすくんと一緒に仕事をしていくことに対する気持ちが強かったから。
腹をくくったというか、とにかく強い決意があったんだ。
やすくんが私を必要としていると信じているから。



なのに、そんな曖昧なことを言わないでよ。

私の決意を揺るがすようなことを言わないでよ。



戻りたくなったら、なんて考えてもいなかった私に

迷わせるようなことを言わないでよ。



やすくんは私を必要としてないのかな、なんて

不安になるようなことを言わないでよ。







私自身も気づいてなかった心の地雷を
どうも踏まれてしまったようだ。

今、やすくんが信じられない。

これからどうしていいのかもわからない。

歩み寄れる自信がない。



*******************

ほんの少し前、やすくんが帰ってきた。
今日は、やすくんの職場の送別会で
実はそれ、私もなぜか出ることになっていたのだけど
私は、行かなかった。

気の合う仲間だけの送別会だし
今のこの状態で作り笑いなんかできないよ。

やすくんはいつもと同じ。
昨日自分が何をしたかがわからないまま
「ごめん」っていうだけ。



ゴメンデ スンダラ ケイサツ イラナイン ダッテバ













+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

実は別のところで書いていた日記があったのですが、
今回1つにまとめることにしました。
12月の後半部分からこれまで書いた日記の間に
向こうで書いてたのを加えています。

お時間ありましたら、そちらもご覧ください。

ちょっと文体が違うかも。へへ。

***2002年12月15日分***←コチラから
***2002年12月17日分から***から月末まで


2003年03月23日(日) 本当の シアワセ。


春の選抜高校野球が始まった。
季節の移り変わりを感じるなあ。
やすくんと私は、高校野球が縁で知り合った。
毎回繰り広げられる熱戦を楽しみにしている。




けど。




今回は、どうも野球を楽しめる状態にない。
チャンネルを変えると映し出される、戦争の様子。
独裁政権のリーダーをピンポイントにねらった爆撃だと言うけど
多くの犠牲者が出ているのは簡単に想像できる。

人を殺して得られる平和は、本当の平和じゃない。
世界の脅威になり得るから排除する、っていうのだって
それって、正義の名の下に人殺しを容認するっていうこと。
たとえばハイジャック犯を捕まえるために、
飛行機ごと爆破してもいいなんて誰も思わないのに
たった一人のために多少の犠牲が出ても仕方がないって言うのは
どう考えたっておかしいじゃない。
なくなる命の一つ一つには
大切な家族が必ずいる。悲しむ人が必ずいる。
大きなビルが破壊されたときに、あんなに悲しんだ人たちがいるのに。
そんな簡単なことがわからないの?


自分の大切な人を殺されたからって
その殺人者を自分が殺していいっていうわけじゃない。
今度はその殺人者の家族と自分の立場が逆転するだけ。



ちっぽけな私になにができるかわからないけど
何にも言わないのは、賛成してることと同じだと思うから
ここではっきりしておきます。


私は

戦争に反対します。





高校野球、楽しみたかったなあ。


2003年03月20日(木) ひとりで おでかけ。

今朝早く、というより 深夜
やすくんが家を出た。
趣味のために、わざわざ平塚まで出かけるため。
私はどうしても抜けられない仕事があるから、今回は見送り。

「明日は早いから、ききは寝てていいよ」

なんて、昨日の夜やすくんは言っていたけど
起きたらやすくんがいない、なんて想像しただけで悲しくなるから
やすくんに起こしてもらうことにした。


私もそうだけど、好きなことをするときはどうしても早く目が覚めるらしくて
私が起こされたときに、すでにやすくんは着替えを終え
すぐに出かけられるような状態だった。
時計を見たら、まだ起きる予定の時間より10分以上早い。
「すぐ出かけるの?コーヒー飲んで行きなよ」
寝ぼけた頭のままやすくんを見送りたくなかったから
私の目を覚ますために、一緒にコーヒーを飲んだ。
すでにそわそわ落ち着かないやすくん。
ちょっぴりジェラシー。

でも
「コーヒーうまかったよ」
ってのと
「ききと行ければよかったのになあ」
ってので
ちょっぴり元気をもらう。

一人で出かけるやすくんを見送るときは
いつもちょっと心配になるけど
帰ってきたときの「ただいま」の顔を楽しみに
私も笑顔で見送った。


結局出かけていった後も寝られなくて
今になってものすごく眠くて困っているんだけどさ。


2003年03月19日(水) 幸福の木。

我が家の「幸福の木」の
葉っぱが茶色くなってきている。
全部じゃないんだけど、茶色の葉っぱがちらほら。

この幸福の木は、去年の夏、だんだん暑くなってきて
ちょうど新しい生活に慣れた頃。
やすくん母から「うちじゃ育てられないから」ともらったもの。
きれいな葉が広がって、部屋の雰囲気がぐっと変わった。
水をあげたり、たまに肥料をあげたりしたせいか
本当にすくすく育ってくれた。


・・・お正月までは。
帰省中は部屋がぐっと寒くなるから、と思って
いろいろしておいたんだけど、
帰ってきてみたら、なんだか元気がなくて
と言うより瀕死状態で。

一応、葉水をあげたりできるだけ暖かい部屋におくようにしたら
ちょっと元気になったんだけど、
この前のお天気の日に久々に外へ出して
数時間おいておいたら


知らないうちに倒れていた(汗)

倒れた方の葉っぱが一気に茶褐色になってしまったけど
ほかの葉っぱは一応グリーンを保っている。
このまま暖かくなるまで持ってくれたらいいんだけど。


「幸福の木」なだけに、枯れたら困るんだよ(涙)


2003年03月18日(火) 力 愛 不 二

四字熟語になるのかな。
「りきあいふに」と読みます。
子どもの頃から、父に言われ続けていたコトバ。


「力と愛って言うのは正反対のように思えるんだけど
 本当は一緒なんだぞ。
 腕っぷしが強いだけだったら、ただの暴れん坊だし
 優しい心だけだったら、そういう暴れん坊には勝てないだろう?
 男とか女とか関係なく
 大切な人を守るためには力も必要だし、
 優しい心も大切なんだ」


ほかにも難しい話はたくさんしてもらったけど
その中でも特にこの言葉は今も私を支えている。
おかげで困っている人がいたら、黙っちゃいられない性分だし
ある程度腕に自信があるから(苦笑)
どんな人にも平気で向かっていってしまう。
じつは高校時代、同じクラスの優しい男の子が
ほかのクラスのチャラ男にいちゃもんつけられたとき
1番に飛び出して言った経験もあったりする。(恥)




とにかく。





これから世界が直面する大きな「力」には
それを包み込めるほどの大きな「愛」が
果たしてあるのだろうか。

大きな単位での「正義」の裏には
いろんな「欲望」がうごめいている。
どっちが「脅威」なのか、それだって
本当のところはよくわからない。



これからもしかして大切な人を失う誰かを
他人事だからと見過ごしていっていいんだろうか。


失われていく命をただテレビの画面で
のんびり眺めているしかないんだろうか。


自分の大切なモノだけを
必死で守るしかないのだろうか。



力を力で押さえようとしても
そこから愛は生まれない。
これから私たちは
最悪の泥沼に
足をつっこんでいくしかないのだろうか。








2003年03月17日(月) 記念日たち。

実は、今日




結納からちょうど1年




の日です。

たまたま、1年前の日記を見たら、
同じように「実は」っていう書き出しだった。
ふと気になって私の中で「記念日」と思っている日の日記を
探してみたら




ほとんど、書いていない。




結婚式の日のこととか、数日間に分けてでも書けそうなモノなのに
いっさい書いていない。
あ、でも新婚旅行のことは書いてたナ。

さて、改めて結納の日の日記を読んだら
あのとき感じた、ものすごい照れくさかったことや
やすくんのスーツ姿がまぶしかったことが
ものすごくリアルによみがえった。

今やすくんは隣でごろんと横になってうとうとしてる。
ものすごくリラックスした寝顔を見ながら
1年前の今日のちょっと緊張した表情を思い出したり
にこにこ笑いながら話している両方の両親の顔を見ながら
二人で過ごした時間が瞬間瞬間よみがえって
何とも感慨深かったことを思い出した。


あの日から、本格的に結婚へ向けての準備がスタートして
めまぐるしい毎日を送った。
引っ越し、入籍、結婚式、そうやって考えるとこれからが
1周年記念日のラッシュだとも言えるなあ。
こうやって振り返ると、一つ一つがきらきらした思い出になっている。

もともと私は、そういう記念日を覚えていて
綿密に計画を練ってその日を演出する、というのは
そんなに好きな方ではない。
どちらかというと、カード1枚くらいであっさり終わりたい。

やすくんの思い出の1日である今日、
私たちは朝起きて、お互いに「おめでとう」といいあった。
記念日を二人で過ごし、祝えることこそ
私にとって一番の演出。






なんてね。






とにかく。


おめでとう、やすくん。


2003年03月14日(金) 君が いないと。

昨日あんな日記を書いていたのに、
やすくんが帰ってきてからは 気持ちが空回りして、
それにタイミングがずれちゃったみたいで
気づいたら、交わした言葉がほとんどないまま
布団に入っていた。
別にギスギスした雰囲気じゃないんだけど
何となく声をかけづらかった。
話すタイミングを探っていたら、
隣から寝息が聞こえてきて。私も眠くなって。


・・・そのまま寝ちゃいました。





朝。



寝坊したと思って、ビクッとして起きた。
時計を見たら、まだ6時前。
ホッとして、また横になったら
後ろからグイッと引き寄せられた。
「どうした?」
と、やすくん。
「ちょっと、寝坊したと思っただけ」と私。
昨日なにもなかったとはいえ、何となくよそよそしくなってしまった。

唐突にやすくんが

背中越しに

「俺が、ききのことどう思っているかわかる?」

と聞いてきた。
本当はわかってるけど、でも言えなくて
「さあ?」
ってぶっきらぼうに答えた。続けて
「じゃあ、私がやすくんのことどう思ってるかわかる?」
と聞いた。

「わかるさ」

ほんのわずかな沈黙の後

「ききは、俺がいなくちゃダメだと思ってる」

・・・正直こうやって文字にしてしまうと、ものすごく臭い台詞なんだけど
そのときは、やすくんがそういったのを聞いてドキドキした。

「どうしてそう思うの?」
「俺がそう思っているから。
 なーんて、いつもききそう言ってるじゃん。
 『一人はイヤだ』とか。そういうのいつも耳に残ってるからさ」











なあんだ。


聞いてないみたいで
ちゃんと聞いてるんじゃん。

私の気持ちも
きちんと届いてるんじゃん。







私もね

やすくんのコトバも気持ちも
全部受け止めていくよ。

もっともっとたくさんの気持ちを
私に届けてください。

そして、これからもずっと
受け止めてください。









2003年03月13日(木) インプット。

今日はやすくんが帰ってくる。

遠距離恋愛中ならきっと
「そんな大げさな」って思ってただろう
たった1日のお泊まりだったけど
離ればなれはやっぱりとっても寂しいし、
帰ってくると思うと、ほかとは比べられないほど嬉しい。
きっとこれは
離ればなれの間に無意識に学習されていたモノ。
一緒にいようが、離れていようが
「やすくんに会える」ことが嬉しくて幸せなこととして
インプットされちゃったんだと思う。

ところで、今日久々に髪を切った。
もう何年もショートヘアの私だけど
今回はいろんな事が重なって切りそびれていたから
ボザボサ頭が一気にすっきりした。
おまけに、いつもどこか「うーん・・・」と思うところがあるんだけど
今回はかなりのお気に入り。
やすくんと会う前にいい感じになってよかった、なんて嬉しくなる。

家に帰ってきて、改めて鏡を見てみる。
すっきりした頭は、一足早く春のイメージ。
なんか急にメイクがしたくなって、鏡の前に座り込む。
普段は軽くメイクするだけの私だから
ちょっと色を差すだけでかなり雰囲気が変わった。

電話がかかってきた。
やすくんだ。
「もうすぐうちにつくよ」

雰囲気が変わった私を見て、
やすくんはどんな反応をするかな。
久々に(じゃないけど、気分的にね)会うドキドキが
どんどん大きくなってくる。

早く、帰ってこい。


2003年03月12日(水) 秘密のコトバ

今日、やすくんはお泊まりでいない。
3月付けで転勤になったところの、歓迎会。
本当は、引っ越しもしなきゃ行けないのにしてない私たち。
私の仕事が一段落してからかな。


子どもの時、あることをきっかけにして学んだことがある。
それは、
「直接自分が見たこと、聞いたこと以外は簡単に信用しない」
っていうこと。
うわさ話や想像や憶測でモノを言うことで
良いことなんて一つもないと思うから。

もともと想像力豊かな私は、
ちょっとでも不安なことについて考え始めると
悪い方へ悪い方へ想像が膨らんでしまい、
もう一人じゃどうにもならなくなってしまうことが多い。
変なうわさ話を聞いたりしたら、もう最悪。
頭の中でどんどん話を展開させて、
気づけば挨拶すら交わしたことのない人の人格を勝手に作ってしまい
「私のことも、きっとこんな風に思ってるんだ」とか
ものすごく悲しくなったりしてしまう時がある。

だから、
たまに勝手に想像を膨らませて悲しくなってしまったり
よくないうわさを聞いて悲しくなってしまったりしても
「ま、でも実際に見た訳じゃないんだし」って
何度も心の中で唱えれば落ち込まなくても済む。


そうそうそれに、夜はあまり悪いことは考えないようにしている。
夜は、一度考え始めちゃうとどんどん悪い方へ転がっちゃって
とどまることがないらしいから。

今でもこうして一人で夜を迎えていると
「あるコトないコト」じゃなくて
「ないコトないコト」ばかりを考えて不安になりそうになる。
そういうときは、
やすくんが私に言ってくれたいろんなコトバや
楽しい出来事をたくさん思い出して
「不安なこと考えたって、実際そうだって言うわけじゃないし」
「やすくんが言ってくれたことが真実だから」って
思えば、一人で眠るのも怖くない。





おやすみなさい。


2003年03月11日(火) 「好き」の力。

二人で「あい○り」を見ていたら、

「頭の先から足の裏まで大好き。たとえ足が臭くても平気」

って告白している女の子がいた。


そしたらやすくんが

「俺ももしききの足が臭くても、変わらず好きでいられると思うな」

って笑いながらいった。

「私はちょっと考えるかも」って言ったら

「なんだよそれ〜!あい○りだったら、俺は一人で帰国だな」

なんて大げさに肩を落としたりなんかする。




本当はちょっとドキドキした。


私の足が本当に臭い・・・わけではなく

不意に「好き」だなんて言われたから。


普段は私が言わないと「好き」だなんて言ってくれないやすくん。

この前、「たまには自分から言ってよ」って言ったら

「そんなことは言わなくてもわかってると思うからさ」

なんて答えたやすくん。






わかってるけど



やっぱり言ってほしいんです。



たった二文字の言葉だけど

やすくんにいわれると、心の一番奥から

どんどん力が出て来るんです。

時々ひょっこり顔を出す、いろんなことへの不安や心配が

期待と希望へと一気に変わるくらい

そのくらいのものすごく大きな力。

















・・・・できれば時々言ってくれると嬉しいな。

一緒にギュッてしてくれると、もっと嬉しいデス。


2003年03月10日(月) 一期一会。

みっふぃさんの日記(- snow*flakes -)←コチラ
私の日記を紹介してくださいました。
本当は昨日の日記で紹介してたんだけど
リンク張っていなかったから、ここに載せておきます。

みっふぃさんありがとうございます。リンクしてなくてゴメンナサイ。

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離ればなれの時は願ってやまなかった
やすくんと一緒に過ごす日々なのに
時に、やすくんのことを腹立たしく思ったり
離ればなれの時の方がよかったなんて
口にしてしまいそうになったりすることもある。

一緒に生活していれば
お互いがこれまで見せなかった姿を見せたり
思いもかけないようなことが起きたりして
ぶつかったり、すれ違ったりすることがある。
当たり前と言えば当たり前のこと。
喧嘩して、涙することだってある。
別々の部屋で眠ったこともあった。
そういうときって、やっぱりやすくんのことを
よくは思えないし、悪いところばかり考えてイライラする。

でも。
次の瞬間よぎることがある。

・・・・・・このまま喧嘩したままで、もしどちらかが急に逝ってしまったら?

考えすぎかもしれないけど
でも、絶対にそんなことはない、なんて誰にも言い切れない。
やっと一緒にいられるようになったのに
もう二度と会えなくなってしまったら?
そんなこと考えただけでも、胸がギュッと押しつぶされそうになるのに
喧嘩したままだったら、きっと一生後悔する。

瞬間瞬間で精一杯、やすくんと向き合っていきたい。
もちろんずっと仲良くできればいいのだろうけど
それだけではやっていけない。
ぶつかるときはやっぱり出てくる。
そういうときには無理をしないで、精一杯ぶつかっていく。
ぶつかり合った後は、どうしても気まずくなってしまうけど
いつまでも意地を張らないで、早くいつもみたいに笑いあいたい。

「一期一会」って難しい言葉を
いつだったか覚えたけど、
私の生活に当てはめれば、きっとこういうことだと思う。
大切な人と、大切な時間を
精一杯愛していこうと思う。

その「時」が来るまで。


2003年03月09日(日) 私を支えたモノ。

みっふぃさんの日記(- snow*flakes -)
私の日記を紹介してくださいました。

どうもありがとう。

お礼のメールを書いたら、みっふぃさんから更にお礼メールが届いた。
なんだか、エンピツをきっかけにしてつながりがまた一つできたようで嬉しい。


そのメールをきっかけに、
遠距離恋愛の人たちの書く日記をつらつら読んでいった。
お互いが住むところ、それに距離は様々だけど
会えないつらさとか、顔が見えない不安とかなんかそういうところで
すごく共感するところがあって
懐かしいというより、そのころの切ない思いがよみがえってきた。
今の自分があるのは、離ればなれの時間を乗り越えることができたから。
泣きたくて仕方ないときも、
やすくんのことを信じられなくなりそうだったときもあった。
我ながらよく頑張ったなあ、って振り返ってみるとそう思う。



やすくんが私に気持ちを伝えてくれたとき
正直、困った。
やすくんが私のことを好きだといってくれたのはすごく嬉しかったけど
だからって、「つきあおう」と言われたときには
「はい」ってすぐにいえなかった。
そんな私を「大丈夫だから」って何時間も説得してくれたやすくん。
あのときから、自分の中に決めたコトがある。
それは

やすくんの前では素直な自分でいること。

今までの私は、公私とも「強い女」だった。
それは本当に強かったんじゃなく「強がりな女」だったんだと思う。
悲しかったり、悔しかったり、辛かったりしても
全然平気だっていう顔をしていた。
顔だけじゃなくて、心の中も。
数少ないこれまでの恋愛経験の中でも、ううん一人の時ですら
自分の気持ちにも正直じゃなかった。
涙なんて流さなかった。

正直辛かった。
自分自身の気持ちにうそをつくことが。無理して笑うのが。

やすくんとは、そんなのはイヤだと思った。
大切な人だからこそ、カッコつけて、強がって、っていうのは
やすくんをだましているような気がしたから。
大切な人だからこそ、弱い自分もわかってほしかったから。
そして、弱いやすくんをわかりたかったから。

職場じゃ相変わらず強い女で居続けたけど
やすくんと電話やメールで話すときは、
自分の気持ちを素直に伝えようとしてたと思う。
もちろん、そうすぐに人間が変わる訳じゃなくて
時にはまた、強がりの鎧で身動きとれなくなりそうにもなったりしたけど
気づいたときにリセットしていった。

寂しいときには寂しいっていえるコトが
こんなに幸せだとは思わなかった。
私が強がらなくても、弱い自分でも
受け止めてくれるやすくんだってわかったから。



もう一つ決めたことがあった。
それは、「会いたい」とむやみに言わないこと。
次会える約束ができているときは
我慢しきれず言っちゃうコトがあったけど、
ものすごく先の約束だったり、
仕事の都合でなかなか会えないときは
どんなに寂しくても、一人が辛くても
「会いたい」って言えなかった。
会いたいからって、次の日の仕事をキャンセルして会いに行けるほど
私たちは、子どもじゃなかった。
周りが目に入らないほどじゃなかった言うか。
それをしてしまったら、いつかよくない結果が出てしまうことを
無意識にわかっていたんだと思う。

会えないのに、会いたいって言うのは
自分もやすくんも苦しめる。
会えないのは誰のせいでもないのに
言われた方の気持ちを責めてしまうと思ったから。
だったら、いつか会える日まで自分一人でがんばらなきゃと思った。
その方が、健康的だと思った。

まあ、とはいえやっぱり寂しいのは寂しいから
自分の気持ちは正直に伝えた。
会える時間も一生懸命探した。



今になって思えば、
あのとき素直な自分をさらけ出していたから、
やすくんは私のことを丸ごと受け止めてくれていたし
だからこそ大切にしてくれたんだと思う。
そして、今一緒にいられるんだと思う。



今私は、幸せです。



みなさんも、がんばれ。


2003年03月08日(土) 証、かな。

ネットサーフしてる途中に偶然入ったHP。
結婚前の女の子が作ってるらしくて、どこどこの結婚式場を見てきたとか、
ドレスはここの物がいいとか、指輪は絶対ここのじゃなきゃイヤとか
新婚生活に使う家具や食器も有名メーカーの物しか使いたくないとか
とにかくすごかった。

ブランド物ってすごいと思う。
安い物をいくつもいくつも使うよりは、
いい物を少し持っていて長い間使っていた方が結果としてお得だとおもう。

でも。
でもね。

経済的にものすごく恵まれた家庭ならともかく、
ごく普通に若干二十数年生きてきた旦那様と奥様が
最初から超一流の物をそろえる必要はないんじゃないかなって思った。

私は
ブランド品はいつか持ちたいなと思うけど
まだちょっと早すぎるような気がしている。
ま、それに買えない(笑)
自分の生活の中で余裕が出た分で買える範囲の物を
少しずつ集めていけたらいいと思っている。

ブランドというと、必ず思い出すことがある。
新婚旅行に行く前に、母に
「ヴィトンの財布買ってきて」と言われた。
DFSのヴィトンのショップに足を踏み入れてビックリ。
本当に日本人ばかりだった。
アジア系の店員さんがやってきて
「なにをお探しですか」
と聞いてきたので
「母への財布を捜してるんです」と答えた。
母の好みのポイントがあったので、それを伝えると
いくつか出してくれた。
その中の2つがいいと思ったんだけど、
どちらにするか迷ってしまった。
やすくんと二人で悩みに悩んだ末、
その日は買わなかった。

次の日。
同じ店員さんが応対してくれた。
私たちの後ろを、若い日本人のカップルが大きな包みを持って出ていった。
「昨日の2つを出しましょうか?」と
2種類の財布を出してくれた。
そのとき私は、
「財布くらいで悩むなんて」と言う風に、店員さんが覚えていたのじゃないかって
ちょっと恥ずかしかった。
そこでもまた、2人で悩みに悩んでなかなか決められなかったけど
ようやく1つ選んで
「これにします」と店員さんに言った。
やすくんがカードを渡し、いろいろな手続きをしている間に
その店員さんが
「ほかに何か?」って聞いてきた。
私が首を横に振って
「まだ私は若すぎるから」と答えたら、
店員さんがニッコリ笑って頷いてくれた。

あのときの店員さんの笑顔が
なんだかすべてを語っているような感じで
目に焼き付いている。


そうそう、その人
私の英語が上手だってほめてくれたんです。
中学生英語しかできない私なのに(苦笑)


2003年03月07日(金) プロ野球。

スカパーで懐かしの阪神巨人戦を見た。
(あ、巨人阪神戦って書かないのは、私が星野さんのファンだからです)

熱烈な野球ファンではないけど、
小さい頃から夏になると半ば強制的にナイターを見させられてた私。
幼い頃見たことがある名選手が出ていた。
有名どころとしたら、阪神は掛布、バース、岡田。
巨人だったら、中畑、篠塚、それに原。

子どもの頃はあんまりおもしろいと思わなかった野球中継だけど、
改めてみるとかなりおもしろかった。

一つ気づいたこと。
昔のプレーヤーの方がスマートで動きが俊敏な感じがした。
やすくんは「それはユニフォームの違いだよ」っていってたけど、
今はなんかみんなのっそりしてる感じ。
まあ、もちろん並べて比べた訳じゃないけど。
それにしても、ゲーム自体がスピーディーと言うか。楽しめた。

偶然にも、新聞におもしろい記事を見つけた。
メジャーリーグで試合時間の短縮を検討してるらしい。
今の平均試合時間が2時間50分。目標は2時間45分だそうだ。
日本は?なんと3時間を超えてるらしい。
98年からの資料しか掲載されていなかったけど
昔はどうだったんだろうね。


2003年03月06日(木) お互いの家族。

やすくんと私が結婚して
それぞれに新しい家族が増えた。

・・・って、最近思えるようになってきた。
これまでは「やすくんの」「私の」家族、っていうかんじだったから。
なにがきっかけ、ということではないんだけど
そう思えてきた。

私の家には私んちの、やすくんの家にはやすくんちの
家族だけにわかる常識だったりルールだったりがある。
たとえば、私の家では絶対にない料理の組み合わせが
やすくんの家では当たり前だったりする。
この前は、お義母さんがシチューを作ってくれたんだけど
それがその日のがおかずでご飯とみそ汁がついた。
シチューにみそ汁ってつけるか?と思ったけど
やすくん宅では当たり前らしい。

はじめは違和感があったけど、それが消え始めた頃から
もしかして「家族」と思えるようになったのかもしれないなあ。

で。

お互いの実家でごく普通にされていて気づかない事にも
気づかされることがある。
昨日、私の実家に電話してからお互いの家族のことなんかを話していたら
やすくんが、以前実家に帰ったときに私の妹がしたことを
ひどく気にしていることがわかった。
口調は優しかったけど、「あれは絶対おかしいよ」って言われた。
私は言われるまで、そのことをおかしいと思ったこともなかったし
どうしてやすくんが気にしているのかもわからなかったけど
改めて客観的に見てみると、やすくんがいうことももっともだと思った。
私も時々、やすくんとやすくんの家族との関係について気になることを言ったりした。

お互いの家族への悪口だったら、
言うのも聞くのも気分のいい物ではないけど
今まで気づかなかった部分を教えてもらえると
なんだかすごく新鮮な気分になる。

新しい家族が増えたことで、それぞれの家族の関係にいい意味の変化が現れる事って
とってもすてきなことだと思う。

やすくんに指摘された事は
たまたま妹がしただけで、場面が変われば私もしそうなこと。
ちょっと恥ずかしくなった。
視点を変えていかなきゃな。

お互いの家族を今まで以上に大切にしていくためにも。


2003年03月04日(火) 男友達。

どんどん春めいてきていたのに、
朝起きたら、吹雪。
桜吹雪とかじゃなくて、ほんとの雪。
朝っぱらから一気にブルー。
ま、道路は凍結しなかったからよかったけど。


唐突だけど、数少ない私の大切な友人たちを思いだして
男女の割合を考えると、男の方が多い。

男女の友情というとどうしても、
色恋沙汰との境目みたいなところで
成立するかしないかみたいな話になることがあるけど
おかげさまでその誰とも恋人としてつきあうなんてこともなく
というかそもそもそんな風な目で見たこともなく
大切な一友人としておつきあいを続けさせていただいております。

異性としてみたことはない、というとそれは嘘になるけど
でもそれは、考え方がやっぱり男と女は違うなあと
話をしていて思ったり
普段は女扱いされない私が、重い物を運ぼうとしていると
さっと代わりに持ってくれたり、そんな時だけのこと。
女の子と話していてももちろん楽しいのだけど、
特に自分が悩んでいて、
どうにもこうにも抜け出せないときは
やっぱり男の子と話をする方が楽だ。
恋人対象にならなかったおかげで、
ものすごく格好の悪いところを見せても平気だし。
女の子だと、どんなに気心が知れていても同性のプライドみたいのが
じゃますることがあるから。(私だけ?)
そして、女ともだちはみんなかなり男前である。


そんな友人たちのことで、今ちょっと悩んでいることがある。
世の中には、そういうのをごく自然にとらえられる人もいるけど
やっぱりそんなのあり得ない、と思う人たちもいるということ。
そして、やすくんがその1人だということ。
一緒にいるときに、たまに男ともだちからメールがあったりする。
相手が男だとちょっと反応が違うやすくんを見ると
何となく申し訳ないような気がするんだ。
だからといって変に隠すと、よけいに何かあるような誤解をされそうだし。
とはいえ、女ともだちからのメールの内容までいちいち報告しているわけでもないのに
男ともだちだからって報告するのもなんか変だし。

昨日は、友人G(男)が奥さんと喧嘩して
愚痴メールをどんどん送りつけてきたので
そのことを言ったら、ちょっぴり不機嫌だった。




男も女も関係ないんだなんて、
そう簡単にはわかってもらえないのかなあ。


2003年03月03日(月) 自動翻訳機。

私は結構話し好きな方だ。
人の話を聞くのも好きだし、自分の考えを聞いてもらうのも好き。
相手が触れた出来事とかなにを考えているのかとか
そういうのを聞くのが好き。
噂とかは嫌い。
自分の考えを相手に聞いてもらうのも好き。
なにを見て、聞いて感じたかを聞いてもらうのも好き。
ま、どちらかというと聞く方が好きかな。
相手の話を聞いて、自分の考えを投げ返すのが好き。


苦手なことがある。
それは、自分の考えをまとめて伝えること。
「端的に」っていうの。
私としてはそれなりにまとめて話しているつもりなのに
聞いてる方からすると???と思うこともあるらしい。
自分で話をしながら、
その話について思うことが頭の中にわいてきて
頭の中にわいてきた考えについて、また自分で思うことがあって。
話を聞いてくれてる相手は、私が話をしたことについて
何かリアクションをしてくれるんだけど
そのとき私の考えは全く関係のない方面に広がってたりする。

長いことつきあってる友達なんかは
そんな私の支離滅裂な話を聞いて
「つまり、ききはこういうことが言いたいんだよね」
なんて、実に「端的に」私の考えを表現してくれる。
それに甘えてるからダメなんだけど。

今日もそんな調子で、最近沸々わいてて
自分でもどうにでもならない思いを
吹き出したままにメールにして友人たちに送りつけた。

行間を読むんじゃなくて、文章全体で感じてください。
へへへ。自分勝手なお願い。


2003年03月02日(日) わたしの負け。

「惚れた方が負け 惚れさせた方の勝ち
 言わせた方は一生の勝ち」

以前、職場の先輩が言ってた。
恋愛関係においては、惚れさせた方が勝ちだし
結婚に至っては、プロポーズをさせた方が
夫婦関係が続いてる間は勝ちだっていうこと。

結婚については実際そうなのか、
そのときの私にはわからなかったし
気持ちの問題を簡単に勝った負けたで分けられるものじゃないって
思っていたけど、でも
恋愛については、どこかしらでずっとそう思っていた。

つきあってきた人がそんなに多い訳じゃないけど
それでもやっぱり、そんなことを考えていた。
自分から好きになった人だったら
どんなにつれない素振りでも我慢できたし
逆に向こうから好きになった人だったら
自分の気持ちがそんなに高まらなくて
大切にできなくても、仕方ないと思っていた。

やすくんと会ったときもそう。
今になって思えば、出会ってすぐの頃から
私の中に恋心は芽生えていたのだろうが
それに気づくことなく、否、そっちに目を向けようとせず
楽しい友情関係を続けていた。
均衡を破ったのはやすくん。
知らず知らず分厚い壁で塞がれてたやすくんへの気持ちに
小さな穴があき、それが徐々に大きくなって
どんどんあふれてくるようになったけど
心のどこかで「私の勝ち」と思うところがあった。
そして私たちは一緒にこれからの人生を歩むことになった。
先輩の言葉で言えば、
私は完全勝利をしたことになる。

けど。



最近、何かがきっかけになって
また先輩の言葉を思い出し、それについて考えることがあった。

勝ちとか負けとか、そうやってくくられるものではないことは
よくわかるんだけど、でも敢えてそうやって考えるとすれば。
もしかして、惚れたからとか惚れられた(若しくは惚れさせた)とか
そういうことじゃないんじゃないか、と思い始めた。
そういうことを考えれば考えるほど
一つの結論に向かっていった。
勝っていたはずの私が、実は負けていたんじゃないかって。


勝ち負けを考えてた方の負け。
自分の気持ちがまっすぐな方の勝ち。


勝ち負けを考える方は勝ってても負けてても
自分を優位に持っていこうと、
自分の気持ちをコントロールしようとする。
その時点で負け。
純粋な自分の気持ちをかっこいいとか悪いとか考えないで
正直に前に出せることは
なににも負けない。




私は、いろんなものを
ごてごて背負いすぎてしまった。


2003年03月01日(土) 家。

粗食の刑が決定していたやすくんだったけど
残念ながら、今日は知り合いの結婚式に1人出席と言うことで
収監されてすぐ仮釈放状態というところ。
私は今日も一人でお留守番。はあ。
しかも、送り迎えのおまけ付き。


結婚式は午後からだったので、
午前中2人でちょっと買い物に出た。
アパートのある丘の下が、最近宅地造成されたのだけど
ほんの1週間前は林だったところに、
もう家が建ち始めていた。
「もう、売れたんだね」なんて話しながら出かけて
数日分の食料を買ったり、やすくんのひげ剃りを買ったりした。
帰ってきたら、その家の1階の外壁がもうできあがっていた。

そのときはそんなにびっくりしなかったけど、
昼食をとってやすくんが着替えて、結婚式場に送るときには
2階の壁と屋根が半分できあがっていた。
その早さにびっくりした。

その家(もどき)を通り過ぎるとき、
地面で、屋根の一部らしきものを組み立てていた。
「この家積み木みたいだなあ」なんてやすくんはつぶやいてたけど
私も同じようなことをおもっていた。
「三びきのこぶた」の藁の家みたいだって。    

日本にも外国にも
伝統的な建築方法ってあると思うけど
これはきっとそのどれにも当てはまらないように思う。

家を持つことってすごいことだと思うけど
この家に住む人はなんかかわいそうだと思った。
それに、そんな家を造る人たちも。

リサイクルが今はもう常識になってるけど
作ってしまったものをリサイクルする前に
一つ一つを丁寧に作れば、リサイクルする以前に
何でも大切にできると思うのだけどな。

何でも簡単に作りすぎるから
何でも簡単に捨てられるんだ、って
何となく思った。


きき MAIL

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