昨日のパーティの請求書を待っていますが、今のところファーストフード屋さんからのは来ました。
1875Rs。(約4690円)
エッグロール100個、チャオメン20皿、チキン15皿、フライドライス15皿と出張料理経費(たぶん300Rs、700円)を込みでこのお値段です。
この他には飲み物ビール60本(40*60=2400Rs)、ジュース48本(15*48=720Rs)、ウイスキー2本(430*2=860Rs)で3980Rs(9950円)ですね。
他に会場設営として椅子50脚、グラス40個を借りて、ペーパープレート、プラスチックフォーク、ポテトチップなどのお菓子類、ミネラルウォーターを用意しました。これらは予想としてトータル1000Rs以内ではないかな。
とすると総トータル6855Rs(約17200円)ほどで40人近くを招いて2時間のパーティができた事になります。35人としても一人頭500円もかかっていませんよ。まあ単価が安いのは確かにそうですが、やはりお酒の経費が少ないのが大きな理由でしょうね。
ビバ、インド(笑)。
今朝、見にいったら子うさぎは死んでました。外傷は無かったのでストレスが原因なんでしょうか。うーん、野生の動物は難しいですね。
今晩はパーティでした。 私の担当工種のUpper Dam部分のほとんど完了を記念してという事で、地元のファーストフード屋を出張してもらったのですが概ね好評でしたか。
料理はチャオメン(焼きソバの麺がビーフンに似ている)、エッグロール(クレープに似た皮で甘くない具を入れて丸めたもの)、チキン(酢豚に似たソースで絡めている)、フライドライス(チャーハンに大変似たでも違う感じ)を用意しました。
今回はホストだったので、料理や飲み物の発注や会場の設営、パーティが始まれば飲み物や食べ物の具合を見て回り、とやっぱり大変でした。でもみんな喜んでくれたようなのでホストとしては嬉しい限りです。
しかし、お酒を飲まない習慣というのは日本人には慣れないものです。今回参加したインド人の半分以上はお酒を飲まず、コーラなどで料理を食べておりました。もちろん私はビールとコーラを両手に持って勧めてまわるのですが、コーラはそうガブガブ飲めるものではないですしね。
さあ明日は請求書がやってきます。エライさんから寄付を募らないとね。
子うさぎがやって来ました。
山の中でドライバーが見つけて連れてきたそうです。いやぁめんこい。
耳をピタッとつけてあまり動きませんが、鼻をピクピクさせて水のコップの取っ手のにおいを嗅いだりしているみたいです。
餌はニンジンを入れていますが、少し齧った跡があるだけで周りの草をモグモグ食べております。ニンジンよりも青い物がいいかと思って冷蔵庫を見たらカリフラワーがあったので葉っぱをあげたのですが見向きもしませんわ。
でも誰かが入れた青いトマトよりはいいと思うぞ。
抱き上げたいのですが、いきなりだと怯えると思ったので今日は少し体をなぜただけです。フワフワで気持ちええわぁ。
今回の目の腫れはどうもモノモライのようでして、前に貰って残っていた軟膏をすぐに塗りこんだ効果があったのでしょうか、痛みから痒みになりほぼ治りました。
早く治ったのは机に置いてあるニャンコ日めくりカレンダー効果もあったのではないかと密かに思っていたりして。昨日のあくびをしている子ネコの写真は思わず舌の先をつまみたくなってしまいます。
デジカメのメモリーを整理していたら、昔撮ったノラニャンコの写真があったので。
広島の原爆ドームの床下にいました。通気窓からひょいと出てきて観光客(私も含む)に愛想を振りまいていました。呼んだら私の膝の上に平気で乗ってきて寛いでいる姿です。
思わず自分の車まで戻ってお菓子をあげてしまいましたよ。こんだけ人懐っこいからエサをくれる人がいっぱいいて丸々としているのでしょうね。 こっちの現場のノラ犬は、前にソーセージをあげたのも忘れて私が近寄っても逃げてしまいます。(インドの犬は虐げられているからなぁ)
ああ、肉球プニプニしたい。
2004年02月24日(火) |
ストライキやら目が痛いやら |
昨日の体調不良は腹痛などの方は良くなったのですが、目の方の腫れがひどくなりまして、周囲からサル熱の再発かと噂(いや指摘か)されています。 前回の右目の症状とは明らかに違うのですが、傍から見てれば同じ事のようでしょうから。
まあ偶々今日もストライキで現場が封鎖されて、一日事務所で仕事をしていますので埃やその他からの防護という意味では目の休養になりました。 でも様子を見て腫れが引かなければまた病院行きですね。 しかしほんとにサル熱以来、体がどうにも変ですわ。 水が合わないって事で強制送還にならないかいな。
しかし、今日のストライキは少しハード。 前回のは午後からとか朝の9時過ぎとか始まり、現場の一部しか止めないなど何かのんびりしていた雰囲気だったけど、今日のは昨晩から準備が始まり、現場が全て止められ早朝から事務所を一歩も出られませんでしたから。
ジタバタしてもどうしようもないですが早く解決して欲しいものです。
昨日からお腹の調子が良くない所に、今日は左目の下が腫れてきました。 風邪の初期症状にも似てるし、そうではないような気もするし。
目の腫れは前回の右目とは全く違った腫れで(目というより下まぶたの外の部分が腫れる)、たまに風邪の時に腫れるのと同じような症状ですが、やはり慎重に対処しないと、ね。
ちゅうことで今日は仕事を早く切り上げて休みます。
ストライキのおかげで日頃は通らない裏山の道を走っていた時に一緒に乗っていたインド人エンジニアとの話ですが。
「ここの山はトラが出ます」
「トラって、あのベンガルドラ?」
「そうです」
「んー、あれはえーと全て死んだ(絶滅)のではないの?」
「いえ、たまに出るという話です」
「でも村人はそこら辺を歩いてるじゃない」
「日が暮れたら歩きません」
「象も出るし、トラも出るなんて危ないな」
「もっと怖い動物もでますよ」
「もっと怖い?」
「ヒョウです」
「トラの方が強いのではないの」
「ヒョウは木の上でも自由自在だから逃げられないのです」
「あ、そうか。追いかけられた時逃げ場所が無いわけか」
「だから車が故障しても夜は車から出てはいけません」
「誰が出るかい」
噂は尾ひれが付くし、蛇を見たら全てコブラだというような土地柄なのでそのまま鵜呑みにするのはアレですが、話半分としても夜道を走っていてヒョウなんかにゃ会いたくないですな。ネコならうれしいですが。
結局、昨日の午後から今日の午前中までストライキが続きました。 どのように決着がついたのかはよくわかりませんが、今日の午後から大丈夫だという話が来て作業再開です。
道路が封鎖されたので初めて裏道を通ったのですが、途中に小さな展望台があり写真を撮ってきました。
少し曇っているのですが、山の向こうに平野が広がっています。栃木のダムで仕事をしていた時に、ダムから関東平野を見た景色を思い出しましたよ。
まあストライキのおかげでこのような景色を見れたと思えば、たまには変わった事もいいかもしれませんね。
でもストライキなんてしても何の改善もないそうです。仕事をよこせと騒いでいる人たちは、ほとんど文字を書けず言葉(方言レベルではなくてローカル同士で通訳が必要)も違うそうです。そんな人たちに役所は仕事など与えたりしません。どちらかというと政党(?)のアピールの手先として動かされているらしいですね。
今日の午後から現場の一部がストライキ?(ロックアウト?)で仕事が止まりました。「?」ばかり付いているのは私の感覚ではストライキではないからです。
ストライキというのは労働者が雇用者に労働条件や環境の改善を求めて仕事を止める事ですね。今回の騒ぎは地元の人達が雇用を求めて、どこかの政党(?)の指導の下で現場の道路を封鎖し、仕事をしている人達に無理矢理仕事を止めさせているだけですから。
バリケードで封鎖している所まで行ってみたかったのですが、ドライバーから車を壊されるかもしれないから行きたくないと断られてしまいました。下手をすると殴られたり拉致されたりするので、無理はしないほうがいです。 結局、裏道からこっそり現場に入ってみましたが、重機などが仕事をしかけた状態で動きが止まっており、静かなのも相まって不思議な世界へ行ったようでした。
そんな事ばかり言ってもいられないので、現場に残ったエンジニアを集めて打ち合わせをしたりしましたが、明日はどうなることでしょうね。
この州は土地柄としてストライキが起こりやすいそうです。色々な政党が跋扈しているようで、町の建物の壁には政党のマークがいっぱい描かれていますよ。名前は知らないのですが、マークで見ると「タイガー党」「ハンド党」「鍬鎌党」が優勢みたいです。
彼らにすれば地元に十分な物を与えていないのに、外国から人を呼んで高い施設を作っているだけなんでしょうね。
定礎を記念してインド人慰労のパーティが開かれました。
音楽、花火、料理、お酒。 家族を連れて色々な人が来ていますが、娯楽の少ない村のことですからみんな楽しそうです。
私はどちらかというと楽しく話すのが好きなのですが、音楽がやかましく話し続けるのが疲れるのです。だからインドの屋外のパーティだと一通りの挨拶が終わると料理ばっかり食べてますよ。しかもインドのパーティは料理の出るペースが遅いので、最初のつまみっぽい豆やから揚げばかり食べていると、それだけでお腹がいっぱいになってしまいます。
でもパーティの音楽はインドの民族歌謡ではなくて、西洋的なディスコ音楽がほとんどなのは面白いですね。それだったら車の音楽もそうして欲しいのに車の音楽は民族歌謡。それはそれでそれなりの味はありますけどね。
現場の打ち合わせなどで使っているのが、このコンテナハウスです。
カッコよくSite officeなんて呼ぶ人もいますが、コンテナハウスと呼ぶのがしっくりきますよ。
改造を施し、ドアや窓、扇風機やクーラーを取り付けて過ごしやすくしています。
私の好みで床はござを敷き詰め、土足禁止にして清潔さを保とうとしています。(掃除は私の毎朝の日課)
写真に写っているのはもちろんウシです。他にはヤギなどが群れでやってきます。せっかくコンテナハウスの前に花壇を作り花を植えたのに全部食べられてしまいましたよ。
昨日は少し発破のミスがあり、このコンテナハウスまで石が飛んできました。バチバチとハウスに当たりましたが(窓から一個飛び込んできたが)、打ち合わせでハウスの中にいたのでびっくりしただけで済みました。 表にいた人はもっと驚き逃げ惑ったそうです。
いやうっかり背中は向けられないですな。
定礎式のビデオが事務所内に出回りまして、例の礎石運搬をした人達の中から犯人探しが始まりました。
何の犯人かって?
担ぎ手12人中、一番楽をしているのは誰だ? という犯人探しでございました。
同じ法被を着たスタイルなので顔の判別が難しく、左右列と前からの順番で探したのですが、みんな一致して「右側の一番後ろのヤツだ!」。
私です…。
まだビデオを見ていなかったのでなぜそう決め付けるのかわからなかったのですが、みんなが口々に言うのは「肩から柱が浮いてるぞ」「どこの場面でも平気そうな顔をして歩いてる」「力を入れているようには見えない」。
そうです、肩から浮いた記憶はございます。 左回転をした時と、定礎石を置く少し低い場所に入った時でした。 それは言われて思い出しましたが、やってる時は一生懸命ですから一瞬浮いたという程度でしか意識していません…。
この原因はいくつかあるのですが、大きな理由は肩の高さのアンバランス。 左前のメンバーが一番肩が低かったのが悲劇(?)の原因。どうしても低い所へ微妙に傾ぐので、ややもすると私の肩にかかる力が抜けるのです。まっすぐ歩いている時はそうでもないのですが、回転したり、低い場所へ入る時などそうなってしまうのですね。
確かにそういう状況があったのは認めますが…。 でも真っ直ぐ歩いてる時に平気そうだったとかは濡れ衣です〜。そりゃ必死で歯を食いしばって歩いている人に比べれば平気そうに見えますが、一生懸命担いで重みも肩にかかりまだ腫れていますよ。
うーーん、もう一つ目立った原因は、ビデオの撮るポイント。左回りなので右側が外に向きます。だからどうしても広い外側から撮るので正面と右側からの場面が多かったのも目立ったのではないかと。
だんだんとあら捜しもエスカレートしてきて「肩から浮いた時にぶら下がって更に重みをかけてるぞ」って。あの、肩で柱を抱えるように担いでいるから浮いたからって簡単に持ち変えられませんよ。見た目はぶら下がっているように見えるけどそんな事するわけないじゃないですか〜。
まあでも一番楽だったように見えたのは事実ですし、実際にも楽だったのでしょう。私より苦労をしたみなさん、お疲れ様でした。
さていよいよ本番の日がやってきました。
ダム堤体の下流左岸から上流の副ダムを写しました。
広いので見えづらいでしょうが、遠くに45tダンプが4台並び、その周りにインド人レイバー達がいて、手前がVIP用のテントです。 この茶色の地面がコア(粘土)ゾーンでこれが90mほど盛り立てられ、ここでダムの水を堰き止めます。
左岸から下流を写しました。
30tダンプ、ブルドーザー、バックホー、タンピングローラーなどの何種類もの重機が並んでいます。
茶色のコアゾーンの外側はロックゾーンが広がり、コアを支えて水圧に耐えるダム本体を形作ります。
インド人エンジニアに定礎石を試しに担いでもらい、ロープの張り具合などを確かめています。
急遽調整をしたので人数も少なく彼らの背の高さもまちまちだったので、彼らも重い重いと言いながらふらついていました。
本番では手前に写っている柱の側の一番後ろが私の定位置でした。
本番では写真を撮るわけにはいかなかったので、他の人から写真が貰えればアップできるかと思います。
本番が始まり礎石の搬入を行いましたが、いや大変でした…。 昨日やった事務所前の予行演習は、コンクリートのテニスコートだったので床はフラットで歩きやすかったのですが、本番はコアの上。遠目にはフラットなのですが、実際は微妙なうねりや傾きがあるのですよ。そのちょっとしたギャップや粘土なので重みで多少沈む事などで傾きを与え、肩の荷が軽くなったと思えばいきなりドカッと重くなる時がありました。
思わずウッと声を漏らす人もいましたが、やはり本番なのでみんな必死で抱え無事に礎石の搬入は終わりました。いやぁ正に肩の荷を降ろしたという感じでしたね。肩にタオルを挟んでいたのですが、やはり腫れていますよ。
その後は来賓が砂をかけ、重ダンプとブルとローラーで締め固めて定礎式のメインは終了。その後くす球割りと花火で締めくくりました。
ただこれで終わらないのがインドの式典。 出席したレイバー全員にスイートとジュースを用意して終了後に渡したのですが、案の定押すな押すなの大騒ぎ。数は十分あると言っているのに我勝ちに押し掛けてきて収拾がつかないようになりました。
何とその混乱の最中、記念に用意した小さな定礎石のレプリカも全て持っていかれたそうです。ジュースと一緒に置いてあったのが悪いと言えば悪いのですが、一個1200Rsもする記念品。さあ誰が尻拭いをするのでしょうね。
どうなる事やらと思っていた定礎式の準備ですが、どうやら形になってきたようです。もっとも色々な不備もありますが、何とかなるレベルですね。
まず定礎石の運搬のトライアルをしてみました。 この紅白の棒の前後に2人づつの計8人で担ぎます。担ぐのは出来ました。そして号令と共に前に進みだしたら…。
前にまっすぐ進みません。俗にいう千鳥足。石の揺れに引っ張られるようです。
急遽また台を据えて石を降ろしたら、降ろすなり担ぎ手はみんな「重いぞー」「肩が痛てー」のオンパレード。なので人を前後3人づつに増やし、肩にはタオルなどの当て物をするようにして再度トライです。
当初の8人は元請さんの人だけでしたが、追加の人員は下請けの私やインド人エンジニアも加えて12人です。祭りの神輿並みの人員ですね。
今度は真っ直ぐ歩けるようになりました。そしてそのまま左回転の練習です。…が、曲がるタイミングが合わずに石がグラグラします。見守っていた人が「危ない!石がロープからずれてきている」と言ったので、その場で止まりまた台に降ろして曲がり方について協議です。
呼吸の合わせ方とか色々意見が出たのですが、そんなもの重さに喘いでいる人が簡単にできるわけがなく、その場で石を中心に回転してからまた真っ直ぐに進む「急がば回れ(止まれ?)」方式に落ち着きました。
次の練習では何とかうまくいくとわかった所で練習は早々に終了。明日のための体力を残しておかねばという切実な希望も出ていたようですので。 暑くなけりゃ、ね。誰だ35℃近い昼の1時から集合をかけたのは。
夜は元請さんの社長も到着。段々と本番の雰囲気が出てきました。 しかし、本来なら社長クラスなんて現場の宿舎に泊まる事なんてないのですけどね。まともなホテルは2時間離れたジャムシェドプールのホテル位なので、随行の役員や広報課長と一緒にゲストルームなどで分宿のようです。 ホテルでは味わえない海外勤務の苦労は少し味わってくれるでしょう。
さあ明日は本番。 写真を色々撮ろうと思っていたけど、担ぎ手では少し難しいかな。
メインの定礎石がやっと出来上がりました。 二日前に完成というインドらしい駆け込み納入でしたが。
完成した定礎石。
本当は一枚石で作りたかったそうですが、いい石が無くて薄い石を張り合わせて中身を詰めて完成させました。
それでも推定重量は120kg以上になり、試しに一人で持ち上げようとしましたが無理でした。
定礎石を運ぶ紅白のやぐら。
これがまた重い重い。 4寸角で4mほどの長さですが、妙に重い木質で1本60kgが2本。横棒も加えると定礎石より重くなりますよ。
これを8人で運ぶ予定ですが、一人頭30kg以上になるので明日の昼から試してみて人数を増やすのも検討中だそうです。
日本だったら担ぎ手候補は多いので肩の高さを合わせる事もできるのですが、この現場ではそれも無理でしょう。背の高い人は大変ですよ。
所長は私を横目で見ながら「担ぎ手は決まりだな」 駐車場整理係、写真係、花火係と言っていて、最後は担ぎ手ですかい。 まあ今の日本人メンバーを考えれば予想はしていましたが。
さあ明日の練習はどうなるでしょうか。
定礎式の準備が進んでいるのですが…。
不安だ。
紅白のロープが今日届いたのですが、紅白ではなくてくすんだベージュと色褪せたピンクのナイロンが混ざったような妙な材質のロープ。 一目見て祝い事には使えないと。
どうするのか見ていたら白のペンキを用意していましたよ。 白の部分に塗るのだとか。 そんなもんあんな材質に塗れるわけないだろ、と思って見ていたら案の定ギブアップ。結局そのロープに白と赤の布を巻きつけていました。
課長、ご苦労様。
まあそんな物は適当に間に合わせればいいので、そんなに心配していないのですが、やはり大きな問題は会場整理ではないかと思いますよ。 所長たちは簡単にレイバーを1000人以上集めるとか言っているのですが、イベントの素人だけでそんな人数が捌ききれるわけがなかろうが。 ましてや相手はインド人。更にはレイバーは英語も通じないのも多いぞ。
そのような話をして、しっかりしたプランが必要ですよと言ってはいるのですが、今一ピンと来てないのか具体的なプランはまだ出来ていません。
でもまあ本能的に危機回避能力の高いインド人ですから何とかなるかも。
今日は前任の所長(部長)が定礎式出席のために現場に来ました。 私がインドへ乗り込んだ時の所長で半年ほどお世話になった人です。
ただ少し口やかましいタイプの人で、この現場の人が休暇で日本に戻った時に自分へ挨拶へ来なかったと文句を言うような人なんですよ。 (普通は思っても口に出して言わんぞ) だから車の到着が遅れ、今の所長が食事時間になっても玄関先で出迎えようとウロウロしていたのには少し笑いが漏れました。 そういう挨拶話って意外と根に持つ人もいますからね。 結局、車の到着は1時間遅れでした。可哀想に。
その部長を囲んで食事会をしましたが、何か足りないなぁと。
そうお土産。 大体、お酒が一般的ですが、塩辛、明太子などの酒の肴も喜ばれます。 1時間ほど歓談していて誰かがひょいとその話題を振りました。
「上等の酒を持ってきたけど空港で落として割ってしまったんだ」
みんなから一斉に疑いのブーイングが出ました。 食い物(飲み物)もまた根に持つ人は多いですね。 みんな部長の評価を下げたと思いますよ。
だそうですが、こちらはもちろん関係なくお仕事でございます。 日本でも忙しく働いている人も多いでしょう、お互いご苦労様です。
特に今は来週月曜日に行われる定礎式の段取りも加わってきたので、その方でも時間が取られています。 今日は担ぎ棒に紅白の布を巻くお手伝いをしました。
定礎式のやり方は日本の方法をそのまま行うようです。 法被を着た男たちが木遣歌の中を定礎石を運ぶのは、インドの人たちにどのように映るのでしょうか。
式の最後に打ち上げる花火(音だけのヤツ)を事務所前で試射したのですが、離れて置いてあったダンボールが吹っ飛ばされるほどすごい衝撃波でしたよ。そんな花火なのに導火線が20cmしかありません。火を付けた人が走って10mほどしか逃げられなかったです。 これを最後に10発連続で打ち上げる予定。
試射を見ていた所長。
「花火係は衝撃波に吹き飛ばされそうにないおまえに決めた」
おいおい、ガードマンのバイトをしていたという話から駐車場の整理係と決めたのは所長じゃないかい。その前は写真とビデオを頼むとか言っていて、とうとう花火係まで拝命か。
どこまで本気なのかわかりませんが当日は忙しそうですな。
今日の夕方からまたネットの調子がおかしくなっていますが、何とか時々復活しております。今回の原因はなんだろう。
しばらく調子が良かったので少し安心していたのですが、何とか普通に戻って欲しいものです。
今日は村のお店で現場のコンテナハウス(カッコよく言うとSite office)で飲むコーヒーや紅茶などを買ってきました。
インスタントコーヒーは日本でもおなじみのネスカフェ。 200gの箱入りで190Rs(475円)。 紅茶のティーバッグ(100P入り)73Rsに比べてなんか割高と思いますね。 ミルク、砂糖各2袋、プラスチックカップ(200P)にドライバーへの心づけのクッキー1パック、自分用のミントガム(50P)など〆て718Rs、約1800円余りの買い物でした。
ガムの中にクジが一枚付いていて、最大賞金はなんと10万Rs(25万円)。 毎月総額50万Rsの賞金だと書かれていましたけど、1ボトル150円ほどの商品でそんなに賞金つけてええんかいなとも思いますよ。 それだけ売れているのかな。
クジを削ったら4Rsが当たっていました。賞金ランク11段階中8番目。 明日、ドライバーにあげましょう。
週に一度の休日でした。
元請の社員の人は大体二週に一度しか休まないのですが、出向社員は残業や休出が増えると白い目で見られるので仕方なく、ね。 担当の課長なんかは昨日の土曜に急遽月曜までの仕事が出て、二週に一度の休みすら取れないのかよ〜とか嘆いておられました。
私も日本で現場を預かっていた時は休日らしい休日なんて無かった、というか休日でも気持ちが休まらないからついつい仕事をしてしまうのですね。 これが職住一致の寂しさというのでしょうか。 まあ休日の楽しさは朝早く起きなくていいという事だけでしょうね。
日本の現場でもずーっと現場宿舎でしたから、仕事とプライベートの境目がはっきりしなくて嫌でした。
ここでは日本みたいに自分の車でぶらりと走って気分転換もできませんから、結局本などを読んで休日は終わり。他の人は仕事をしているので事務所のPCにも触れず、メールもネットもできないので寂しいですわ。
この日記もみんながいなくなった頃を見計らってこっそり書いています。
2004年02月07日(土) |
Site visit余波 |
昨日のMeetingで却下された事により新たな仕事を急遽する必要が出て、朝から段取り替えでバタバタしました。でもいつもと違い、みんな協力的で素早い対応で当初考えていた予定より早く完了しそうです。 いや、やる気になればやれるもんだ。見直したぞ。
現場では昨日のMeetingの確認をしにきた役所のメンバーから質問攻め。 本音と建前の狭間の少し痛いところを突かれました。 やっぱりMeetingなどで話す公式見解と実際は多少の差異はありますよ。
日本であればそのような微妙なニュアンスをあの手この手で伝えるのですが、ここではやっぱり難しいですわ。 昨日の説明でも出だしから「私の考えでは」なんて言ってしまえばいかんのでしょう。やはりスタンダードを持ち出したりして納得させないと。
これも勉強。
2004年02月06日(金) |
Site visit 二日目 |
昨日はまだ現場で説明をしたのですが、今日は現場では説明をしませんでした。他の説明が長引いて私の仕事の部分は飛ばされたようです。
ただ夕方から始まった役所とのMeetingではしっかり説明させられました。 予め用意してあった図面はばっちりで、説明自体はまあ何とか伝わったみたいで役所のエライサンには「あなたの説明は理解した」と言われホッとしました。
でも結局私の推奨した案は通らなかったのですね。 その相手の返事がすぐに理解できなくて、隣の担当課長に小声で「どう言ってるんですか?」「ダメだって」と尋ねてわかったような状況。 情けない…。 まあ地質の専門家の意見に施工の専門家の意見はなかなか勝てないですわ。でも雰囲気的には少し満足かな。
月一回のSite visitは自分の勉強の場でもありますね。
2004年02月05日(木) |
今年初めてのSite visit |
がありまして、毎度の事ながらカルカッタから役所の人達がゾロゾロとやってきました。今回も資料を用意して待っていたのですが…。
嬉しい…いや残念な事に私の携わっている工種の目処が付いてきまして、役所の人達の興味は他の工種に移っているのですわ。いや元々ダム工事の仕事の中では私のしている工種はマイナーなんですけどね。 でも重要性はダム本体と変わりない仕事なのですが、目に見えない部分で仕事をするのが雰囲気的にマイナーな気分にさせやすいのでしょうが。
という状況なので今回は工程的な説明をさせてもらっただけであっさりと終わってしまいました。(いや明日も続くのですが多分同じ状況かと) 妙な質問が来ると戸惑いながら答えていたのですが、あっさり終わるとそれはそれで寂しいような気もしますね。
今日は簡単に済んだからってこんな事を言ってると明日の説明で失敗しそうなので気持ちを引き締めて明日に臨みますか。
昨日の車の故障は修理工場へ入院となったようで、今日も違う車が用意されました。その車の名前がSumoなのですよ。
インドでは車のメーカーがどのくらいあるかはわかりませんが、有名な国民車としてアンバサダーがあります。外観のデザインはずーっと(何年かは知らないが)変わらず、丸っこい姿でどこの町でもいっぱい走っていて今も製造されています。
上記のSumoはTATAという鉄鋼メーカーが自動車を製造していて、最初はSumoの意味がインドの何かから取っているのかなと思っていたのです。 去年の南インドを旅行した時に車の雑誌がありまして、メーカー別の車種が載っていたのですが、TATAのSumoの下にJudoという車種もありました。
Sumo? Judo?
どう考えてもやはりSumo=相撲、Judo=柔道ではないでしょうか。 ドライバーにもSumoの意味を聞いたのですが知らないとの事。
まあどちらでもいい話ですが、面白いなと思いましたので。
いつも乗っている車が走行中に故障しました。 どうもクラッチワイヤーがやられたようで、クラッチが切れなくなり現場の途中でストップしてしまいました。
残念ながら携帯電話などという便利な物がないので歩いて救援を頼みに行ったのですが、やはり簡単に直りそうも無く違う車で帰ってきました。 やっぱり未舗装の道路をバンバン走るのでこういうトラブルが起こりやすいようです。
インドで一番すぐに壊れる車のパーツは?と聞かれたら誰もがすぐにクラクションと答えるでしょうね。実際今日クラッチが故障した車はもう2回もクラクションを交換していますよ。日本の車に比べたらクラクションの稼働率は100倍くらいではないかと思えますから。
しかし故障したのがブレーキでなくて良かった。
今日はムスリムのお祭りで、一緒に働いているムスリムのインド人エンジニアは休みを取ってお祭りに行っております。
しかしほんまにお祭りが多いわ。 お祭りくらいしか楽しみがないので仕方がないですね。
でもお祭り時期になるとなぜか出てくるのが通行料(?)の徴収。 いや通行料なのか税金なのかよくわからないのですけどね。
これが領収書。 大体10Rsが相場で、ドライバーの交渉次第で増えたり減ったりするのがよくわからない所ですが。
10人以上(なぜか半数以上が子供)が道路にたむろっていて車が来ると止めて払えと言います。ドライバーも素直に払おうとはせずにベンガル語でわぁわぁと言い合います。
結局は渋々払うのですが、たまに10Rs札を出しても通してくれずに更に1〜2Rsのコインを加える事もあるようです。
これが先日は踏み切り事故で迂回路を通った時など途中数ヶ所でこの通行料の関門ができていましたよ。ドライバーは最初の関門では10Rsを払い、次の関門では半額に値切り、その次からはわぁわぁ言って払わずに通過していきましたが。
どういうシステムなのでしょうね。
安全大会と安全祈願がありました。
しかし日曜日に安全大会をやるかね。 交代で休みを取る日なんだから出席できる人は減っているのに。 そういう所がいかにも現場は二週間に一回しか休みはありませんよ、と決めつけている気がします。やはり今の休みの少ない体制は特別な体制として、仕事はしても日曜日はそんな行事を入れてはいけないと思いますね。
まあここでこんな事言っても仕方が無いですが。 日本の労働基準法なんて全く適用されませんから、ここは。
あ、私はちゃんと週に一回休みを取っていますよ。出向なもので残業や休出が多いと怒られますので…。私が一時間残業すればインド人エンジニアの一日分以上のお金を持っていくからですわ。
安全祈願は夕方に行い、そのまま飲み会へ。 今日から新しく赴任した人がいて、その人を交えてこちらの大変な話や、日本のダム現場の話に花を咲かせていました。 ダムの世界なんて狭いものですから、どこの現場の誰それなんて話をすればすぐにわかるというものです。日本の最近の様子を聞けるのはいいです。
早く日本に帰りたいですよ。
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