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先日、霊能者の宜保愛子さんが亡くなられた。 私は彼女の信奉者でも無いし、ファンでも無いが数少ない心ある霊能者がひとり居なくなってしまった…と考えている。 また、霊能力というものが実存するのか?という事も判断は出来かねる。 しかしながら、突然であるが私は大槻教授が大嫌いである。 彼は色々な心霊現象と言われているものを物理学を用いて否定している。 例えば以前、人魂を実際に作って見せた。 しかしそんな事に何の意味があるのであろうか。 そういった不思議な現象から日本人は先祖を敬う心や亡くなった方を悼む心、また道徳心、自然への畏敬の念を育んできたのではないだろうか。 現代社会に於いて、そういった心が薄れてきた。しかしその反面人々は癒しを求め、「黄泉がえり」などの映画が広く受け入れられている。 私はこれは良い兆しだと思っている。 こういった傾向のスタートはもしかしたらアトピーなどの化学物質アレルギーから自然素材が見直されたり、消費社会から自然保護運動が生まれた結果、自然をより深く見つめ直す事に繋がり、それが精神面まで拡がってスピリチュアルな日本文化への回帰へと繋がってきているのではないだろうか。 「霊など存在しない!」と声高に叫んでいる大槻教授は墓参りには行かないのであろうか? 彼は「立証出来ない事柄で人心を惑わす事は許せない」と言っている。 確かに金儲けの為に悪意に満ちた不安を与えるインチキ霊能者も少なからず居るであろう。 そういった一部の悪人を懲らしめる事が目的であるならもっと違うやり方があるハズである。 私が思うに彼は単に物理学者の探究心で自然現象を解明しようとしているのである。それはそれで良いのだが、だからと言ってその結果を携え、不可思議な現象を片っ端から否定するのはいささか度が過ぎると私は考える。
随分長い間、散文を更新しなかった。 その間には世界中で様々な問題も起っていた。 特にアメリカによるイラクへの侵略と殺戮は決して許される問題では無い。 しかしながらこの侵略について私は書かなかった。 様々なる問題提起が自分自身の中で渦を巻いていたのは確かである。 私の心はそれらをリアルタイムにここに書く事を拒んだのである。 怒り、悲しみ、憎しみ。そういった感情がキーを叩くという行為を拒んだとも言えるかもしれない。 その時期の私はブッシュと刺し違えても良いと思っていた。 我が愛刀を二振り携え、ブッシュと仕合いたいと心から思っていた。 私の感情は反戦や非戦では留まらなくなっていたのである。 ある意味テロリストの感情に近かったとも言えるであろう。 また、アメリカ大使館へ斬り込む事も考えた。 そんな事をしたところですぐに取り押さえられるのは勿論理解しているが、これは亡国の宰相、小泉純一郎へ対しての怒りの抗議行動としてである。 家族の存在が私を冷静にさせた…というのは確かであるが、その存在が仮に無かったとして、必ず実行に移していたかといえばハッキリ言えないというのが実際である。只、その時期の私は確かに激昂していた。 時が経過し、冷静になったつもりの私ではあるがやはり今現在でも言える事は、真のならず者国家はアメリカであるという事である。
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