目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2005年09月03日(土) blogと重複ですが・・・。

この前編はblogをご覧あれ。
とても自分には大きな気付きなので 目口覚書にも載せたくて。

セッションで 無理男のシッポを捕まえる
と決めてから、内省が始まってた。

私のストレングスファインダー(米国ギャロップ社による強味調査)は
共感性、社交性、コミュニケーション、収集、そして内省。本領発揮やん。

とろこで、私はくよくよするタイプなのだが、くよくよは、悪いと思っていた。
 
けど、内省タイプだから、これはDNAのなせる技。
別の言い方すると物事を振り返る習性。ほれ、認めたら らっくらく♪
振り返ったときに、いいこともセットで見つけよう。

さて、前回、
「怒りは出してはいけない」というのがわかった。

ただここから先が 行き止まり。進めていなかった。


たまたま、
体験コーチングの機会があって、テーマ乗せてみた。
今更体験でもないやろ風味の、あまりに近い存在のコーチなので、雑談風に始まった。

まさか ここからシッポどころか奴の大きな体が見えようとは。

昨日の覚書に書いた、職場の中に、私が功名心の為に仕事をしていると
思う人がいる(と私が思っている)ことに対して
怒りを感じても出せない自分からスタート。

 怒りを出してはいけない そう思っている私が逡巡しはじめた。
同じ場所を ぐるぐる回るだけで 思考に入ってでてこれない。
肩に重みを感じる。
コーチが、さらに肩を両手で押さえて 重みを増幅する。
苦しい、苦しい、でも でも。
いつも 同じ場所に逃げ込んでいた。そこは安全な場所だった。逡巡が激しくなる。


コーチ空気がかわった。彼の言葉が 私の顔をあげさせた。
『怒るって 悪いことなの?』

私が 決して蓋をしてあけようとしなかった地下への入り口に
この言葉が立たせた。

恐る恐る階段をおりる私に、コーチはただ静かに沿っていてくれた。
そして そこからは 怒りと悲しみの泉まで 私が私の足で
降りていく。

 小学生時代の 私の黒点。泉の淵に立つ。
親として決してしてはいけないことをした 父親。
親から見離されたと 子である私に感じさせた 母親。

絶望。 激しい怒り。殴ってやりたいくらいの責め。
怒り 怒り 怒り!

でも、私は「親に怒りを抱いてはいけない。赦さねばならない」という
思いに 体全体をからめとられていた。
本当は 真っ赤な燃え滾るような怒りがあるのに、それを拳にのせることも
涙することも、悲しみを言葉に代えることも そう感じることも



すべて封印した。


私は ポーカーフェイスで まるで何事もなかったかのように生きた。
魂の壁面には、油がべったりなすりつけらたように 怒りがねっとりとあったのに。

封印と同時に
喜怒哀楽のうち、私は怒だけを 出せなくなっていた。
と同時に、仮面の下で 常に常に矛先を失った怒りから責められていた。
怒りの対象は 私になっていた。 ずっとずっと自分が自分を責めていた。


このコーチングで
私は
「怒っていいんだ」 というとてもシンプルなことを手にいれた。


その瞬間
本当に 私の肩が軽くなった。

私に 感情が帰ってきた。
フィフスエレメントならぬ、フォースフィーリングの4つ目が 漸く戻ってきた。

私は 怒っていいんだ(^^)
なんか 笑顔でいうのがおかしいが、とにかく 生々しい人間に戻った気がした。
神秘的な森の中に産み落とされた 地球の子が 成長して立ち上がった。

こういっちゃぁなんだが、
体験コーチングで ここまでこれるとは思わなかった。

それは 彼が優れたコーチであることと 相互に信頼があったことが大きい。
ありがとう。どういったらこの感謝を伝えられるのか。

私のテーマである 本当の自立が 今 見えているよ。ここまでこれたよ。
世界の中心で 大声で叫びたいっ!

んんがあああああああああああああああ! とうとう きたよおおおおおおおおおお!


さて、今から出張です。


今夜は 神戸の海の近くのホテルで 一人記念の祝杯でもあげますか。


以下は、blogには未掲載の文章。
ここに登場した 体験コーチングのコーチは かのひとである。

まぁ波乱万丈いろいろありました。もうだめだこりゃなときもありました。
でも とにかく 今は ここです。

このあと ふたりで寿司屋に言って 5時間も喋ってました。

へへへh・・・・


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