目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2002年09月30日(月) 囲碁っち

さっきコンビニで マグネット式の囲碁買ってしまいました。





今週末 披露宴司会をするカップルの新郎さまの趣味が囲碁だっちゅうので
ちょっと調べようと思ったら インタラクティブな囲碁教室にはまってしまいましてね。
はは。なにやってんだか。あたし。

***********
昨日大変心強いメールを頂きまして、
「夫婦っていうのは究極の他人だから」って、エールなんですが
この言葉って今までネガチブに受取ってたんだけど
違うんだなって 思ったの。

そこらへん歩いてる赤の他人じゃなくて
究極の他人だからこそ 思いやりも正直さもあえて隠すことも
いろいろいるんだなぁって 思ったの。

んでもって わたしの人生課題は「自己主張」だったっしょ?
「よし、私こそイジイジ思ってないで不愉快なことは言おう!」
そう 思ったの。

で、絶対感情的にならないように気をつけて言いました。
なぜなら 人は攻撃には攻撃か逃げで対応するし、
怒りには怒りが返ってくるから。

ゆっくりと落ち着いて
「ねぇ?最近 ずーっと 暗いやん?
ゆうてもわたしら他人やん?(フレーズをすぐ使いたがり^^;)
他人やからさ、もうちと 普通に気を使ったほうがええんとちゃうやろか?」

心の中は 「おんどりゃ いつまでひねくれとんじゃ ワレ」ですが ね。

そしたら「めぐっちに、悪くて・・・」とぬかしおった。
(なんやと 悪いおもてんのかい。ほな なんでー!!)
とどつきわましたいところを ぐっと押さえ 笑顔で
「そうかぁ 悪いって思てるのね。
わたしは 普通に挨拶とか会話とか できたら 嬉しいねんけどなぁ
どう思う?」

私に吉永小百合が憑依したように、穏やかに言いました。
素直にこっくんと肯いた彼、その2分後にはいつもの女とコンタクト。

ほんまにこいつは、











ボケナスじゃ!



***********

ええ加減ダンナさんネタも飽きてきました。
ってゆうか、「ネタ」って言えてる自分がビバです。
えらいぞ。
えらいといえば、




と思いました。

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2002年09月29日(日) うああったまぁ きとわぁーーー!!!

おい こらダンナ。

てめぇええ加減にせんかい。
なんやねん。
毎日毎日黙りこくって よ。おら。
おめーの口は飯食うためだけにあるんかい。
旨いとか美味しいとか最高とか 言わんかい。このタコ。

こっちがてめぇの実家のためにパソコンで値札作ったり
不燃物ゴミから出した発泡スチロール切って立て札に加工したりしてんのに
世話かけるねぇの一言くらい言われへんのんかい。このイカ。
ハナ肇でも 床に伏せって双子のピーナッツに謝ってるぞ。
そうすりゃこっちも
「なんだい おとっつあん水臭い。んなこたぁ言いっこなしだよ」
とかなんとかゆーたろっちゅうもんやないけ。

ぶすっと黙りこくってるわりには
実家では兄ちゃんと楽しそうに
「カリオストロはいい。」とか「フランダースの犬は泣ける」とか
笑いもって喋っとるやんけ。

あのTV観とったんかい。
おもろかったんかい。ほな一言くらい喋れ ヴォケ!。

友達が店に来て座ってても なーんも紹介もしてくれんと。
お客さんや思て 水注ぎ足したやんか。
ほんでずーっとオマエは友達と喋りっぱなしで私の居場所はあらへんで
お義兄さんが気をつこて 「こいつのお嫁さん」って私を紹介してくれたやん。
友達 びっくりしてたやん。
ただのパートのおばさんがなんで一緒に座ってるんやろ思われてたやん。

それでもオマエは無視かえ。
そんなに私が嫁やっていうこと隠したいんかい。ダボ!

三食きちんきちんと食事が出て、
パンツもYシャツもきちんと洗濯したのがあって、
お弁当もお茶も時間になったら出来あがってて、
感謝の気持ちのひとつも表現できひんのかい!
たわしコロッケ食わすぞ オラ!


お義母さんが わたしに気ぃつこて、
店の手伝い賃くれようとして断ったら
「いらん いらん」って オマエがゆうな!
あたしがゆうんじゃ!皮ジャンGジャンカジュアルじゃん!


なーんの反応もないオマエに ふっつーに接してる私を
何やとおもてんねん!
意地はっとんか!自分に塞込んでんのんかい!甘えとるんかい!
ええ年して ええ加減にせんかい!河豚!いや高いから河馬!


もう顔も足も蕁麻疹でぼろぼろじゃ。
血ぃ出まくって痛いの押して 靴下2枚履きで表で弁当売ってんねん。
雨降ったら めっちゃ寒いんねん。
心をこめて 労いの言葉くらい かけんかい!この風大左ヱ門!
にゃんこ先生にいいつけるぞ。アホ!でもケロンパのほうが強いはずや!


もうわたしは女とちゃうやと?!
あほヌカセ。
まだまだええ仕事するわい!
オマエが知ろうとせんだけじゃ!隅田川に落ちろ!このカーネルサンダース!
さすがに今日は帰りながら傘で顔隠して泣けたわ。
ええ加減にせんとドたまかちわってストローで脳みそちゅーちゅーするぞ!




・・・・・・・・・






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2002年09月28日(土) 不燃物との戦い

負けた。

土曜日。
なぜ土曜日なんだ。
平日だったらまだ可能性はあったかもしれない。
それに土曜日は週に一回だけではないか。
不燃物ゴミ回収。

いや、たとえ平日だったとしても
水曜の資源ゴミとの戦いにも毎週負けているので同じか。

なら週2回にしないか?
だってわたし主婦になって初めて知ったのだが
生ゴミより不燃物の量は半端じゃない。
肉を買えば発泡スチロールとラップは必須。さんまも同様。
かつおぶしは1パック使いきりで いちいち空きビニール袋発生。
お刺身についてる大葉もどきも ビニールとくりゃぁ。おりゃぁ。

ハイハイ、ちゃんとそれぞれ分別してスーパーに持ってけばいいんですよね。
はいはい。

ということで 2週連続で不燃物捨てに惨敗。
これで3週目突入!いえい!

これには落ち込んだ。
落ち込みすぎて ダンナさんが口きいてくれない状態なのを忘れてた。
寝てる彼の隣に倒れこみ
「ふうぇぇえん・・・えらいこっちゃあぁ・・・・」
「燃えへんゴミ 捨てられへんかったぁ・・・・・」
「おちこむわあぁ・・・なぁ、よしよししてぇぇぇ」

と可愛くいじけてみた。
すると、すくっと立ちあがりトイレに入っていきやがった(-_-メ)

今日はわたしもしつこい。
「なんで?!なんで?!なんでよしよししてくれへんねん!」
鬱男にくってかかるわたし

「こんなことでよしよししたら、これからよしよししてほしさに
わざとゴミ捨てなかったら困るから」
トイレの中からわけのわからんこと ゆうてはる。

ぷ。

「そんなことするかいな!あほちゃうか!」と叫んだら
「今日出かけるんだろ?ならゴミ持って行けよ」と彼。

お。
お。
おおおおお。

冗談ゆうた。
彼が 何十日ぶりに冗談ゆわはった。
「なんでキレイなかっこして両手にゴミ袋下げナあかんねん!」
そういいつつ小鼻ふくらみまくり。

トイレの前で小躍りもしてまう。
すっかり上機嫌なので まだ手も洗ってないダンナさんの懐に
思いきってどんとぶつかってみた。(ごっつい勇気だっせ)
だめもとで
「ほな 背中トントンしてえなぁ」(慰めての意)

すでに自分の懐に入られた彼は まえみつをとることも出来ず
仕方なく まるで埃を落とすが如くトントンした。


お。
お。
おお 神様 ありがとう。

こんなちっぽけなこと、
こんな当り前に前はしていたこと、
わたしへの陽性反応が 事切れたこの4週間、
辛かった。

この「トントン」でまた生き長らえよう。
その「トントン」が排尿後手を洗ってなかったとしても。


で 思ったんですけどね、
わたしも腫れ物触るみたいな対応でなくって
いつもどおりの対応をもっとさりげなくしていいんだなって。
でないと 距離はずんずんあくばっかりですもんね。






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2002年09月27日(金) 義理なる姉兄

イライラが募っていた時、私は義母に相談しようと何度も思った。
けど、どこかで「してはいけない」と引っ張るものがあった。

 義母が話しを聞いたら 烈火の如くダンナさん(mY夫)を
叱り飛ばすに違いない。
そうすることでダンナさんに婉曲に復讐したかった私がいたと思う。
でもそうなったら彼の性格上 責められたことで返って事態が悪化する。

それに、今商売が忙しい義母に余計な心配をかけたくないのもある。
あと、義母の心酔する教義があって(宗教上ね)それを私に押し付けてくるのでは
という懸念もあったりして、かなーり素直でない、あたし(笑)。


こないだの連休にダンナ一族郎党で法事旅行へ行った話しをしたが
実はこの夜、ダンナ姉兄と私とで夜中までいろいろ語り合った。
そこで わたしはこないだからの一連の話しをした。

この時すでに気持ちは落ち着いていたので 兄弟に知らせることで
彼をなんとかしてもらおうとかなんて まったくなかった。
義母には言えなくても 内に秘めておくのは だんだん
水臭い気もしてきて、聞いてほしいのもあったろうが、
わたしの弱いところも知ってほしかったのかもしれない。
彼らにとってわたしは 何考えてるのかよくわからん存在だったろうから。

彼の様子がおかしいとは気付いてた兄もいたみたいだけど
詳細を聞いて とにかく言葉をなくすくらい彼らは驚いていた。

そらそうや。
うちのダンナさんは 兄弟から見てもそういうことから一番遠い存在だったから。

わたしは 彼の身内に喋ることで ひとつだけ心配してたことがある。
いくら彼に非があったとしても所詮身内。
やっぱり自分の弟がかわいいし、彼の味方になるに違いないから
そういうふうにさせた私にも責任がある くらいのことは言われるかなー
とか思ってた。
もしわたしの弟の嫁に同じこと聞かされたら やっぱ弟の肩持つやろな。


でも違ってた。
驚いてたけど、とにかく弟(mY夫)が悪いというスタンスで
わたしの話しをきいてくれたし、「めぐっちさんが大人でよかったよ」
としみじみ言ってくれた。

いえいえ 大人なのは年齢だけで ぎゃーぎゃー騒いでましたよ。

余談ですが、ダンナさんは末っ子ですが その姉兄嫁婿誰をとっても
私よりはるかに年下なんです^^;。
故に年上の義妹をたててくれたのかもしれませぬ。

姉婿などはカッカきて 今すぐに彼をここに連れてきてとっちめる!
と言い出したのを押えた。
 彼はすぐそこの部屋で 叔父たちとおいちょに興じていたのですがね(笑)

夜中2時くらいから男性陣はおいちょ組も終了したのでお風呂に行くことになり
「くれぐれもダンナさんを責めないでね」と釘をさした。

義姉がロビーにジュースを買いに行くからつきあってって言われて
そのまま2人ロビーで話しこんだ。

いろんな話しをした。
アドバイスも含め ちゃんとわたしの幸せを見据えた上の意見をくれた。
義母にはやはり知らせないほうがいいだろうという共通の認識に至った。

ありがたいなぁって思う。
皆 見守ってくれる。
本当に周囲に恵まれてるよ、あたし。
こういうことの重なりで、どんどんこのファミリーの仲間になっていけるのかな。

かなり感情のぶつかりあいの激しいファミリーなのだが、
私に対しては感情をぶつけず、尊重してくれる。

それがある面 他人行儀で、他人なんだけど入りこめない
いや わたしが他人の線をひいて入れこんでないんだろうな。

血は繋がっていないけれど
籍が入ったことで繋がった縁だもの。
きっと大きな縁があるに違いない。

 実は9月のあたまから ダンナ実家の店を毎昼手伝っている。
丁度 このトラブルが勃発した時とリンクしている。
これも何か意味があるのかもしれない。

心の状態は 店の手伝いするにはつらく泣きはらした顔で出勤していたが
もしあの時期 こういう時間がなかったらヒッキーになってもっと
ひどい精神状態だったと思う。

 店にいる義母や義兄や義嫁たちとうまくやれるか不安で、
はじめは手伝いがイヤだったけど これがあったから家族旅行もぐんと
楽しくなった。人間万事塞翁が馬。


さて、この話しもおしまい。
いつもの目口モードで これからは参りまっほー。

ぶるん ぶるん






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 お後がよろしいようで。

おーい 山田くーん。1枚とってくれー。



2002年09月26日(木) オッパイのぞかれたヨー

昨日胸の開いたカットソー着てたんですが、
甥っこ(2歳♂)を抱っこしてたら
母親とは違う大きさのものに反応したんでしょうか(嫌味?)
びろーんと広げてのぞきこんできました。

で、彼 ずーっと覗き続けてて 嬉しそうに手を入れてきました。
アノ こういう場合そっとしておくべきですか?
ひとまず身体をくねったり のけぞったりしたんですけど。
世のお母様たち おせーて、ねぇ おせーて(小松の親分風)

では昨日からの続きです。

************
子供の頃負った 性的なキズが発端となって見つかった
わたしの課題は自分を許すこと。
「許す」というニュアンスは、堪忍してやる 無罪放免してやるという意味よりも
その存在を認めてあげる というか 無視ぜず労ってあげる という感じ。


よく よく考えたあとに私は自分に話しかけた。

「今まで、アンタ30年近くも 恨みにこりかたまってきたんだね。
苦しかったね、つらかったね。30年・・・・すごい。
もう いいよ、もう解放されようよ。
もうアンタ 十分苦しんだよ。云々・・・・」

こう心で呟いただけなのですが、なんでしょね、
その時は静かな気持ちで その後々「わ、軽っ」という気持ちが継続してます。


以下は、相談者に送った私のメールの一部です。

『そう考えると 次々に色々な考えが沸いて来ました。
例えば、過去に女性問題で別れた男性達(実は私の意識に操作された?協力者たち)は、
ある人は 罪悪感を抱いているかもしれません。

ある人は わたしが渡したお金の返済に苦労し いやがおうでも毎月嫌悪感を
抱いているはずです。
(私は末期癌で入院している彼の父親の入院代と葬儀費用を代替し、
そのすぐ後に、例のわたしのスリッパを他の女にはかせた件の事件発生。
ちなみに、わたしも病院に行ったので父親の事は嘘ではありません)

ある人は、不倫の精算に奥さんにすべて私によってばらされ 私への罪の意識と恨みを
抱いているかもしれません。

つまりわたしは 多くの男性の嫌悪感を一身に集めて生きていたんだ!
と思えて ぞっとしました。
彼らへの恨みは わたしへの恨みとなって 跳ねかえっている と感じたんです。

それらの男性たちを 解放しよう。
いや むしろ、私の協力者として感謝しよう。少なくとも 私はもう彼らを恨まない。
正しくは 彼らへの拘りをかかえ続けている私を 解放しよう、です。

そして 最後に気付いたのは、
今私を苦しめている元凶だと思っていた主人こそ、
わたしのこの不幸の鎖を気付かせるきっかけを 身をもってつくってくれた
男性なのではないか ということです。

そう思うと、やはり主人は 大いなる犠牲を払ってくれた大切な人、感謝です。』


この考えに辿りついた翌日から 驚くべきことが次々起きている。

一言も自ら話しかけなかった夫が、ほんの少しだが笑顔を見せたり、
声が明るくなったり、あと実は今彼の女性問題もあるのだが、
毎晩毎晩数時間 私がいる同じ部屋でその女性とコンタクトとっているのだが
その時間が 6時間くらいだったのが2時間になったり(笑)。

考えてみれば この女性も わたしに気付きを与えてくれる協力者だったといえる。
だから わたしは彼女に祈る。
ありがとう。
あなたもきっと苦しかったでしょう。
もう 解放されていいですよ。あなたはあなたの行きたい場所へ行くべきですよ。
あなたもきっと幸せになりますように。
だって、わたしの悪い人生のクセを明らかにさせてくれたあなたなのだから。

家出した夫が帰ってきた時、ただただ彼の無事を感謝した。
この家に帰ってきれくれたことを天に感謝した。
生きててありがとう だ。
そんな感謝は ほんの1ヶ月前は考えることすらなかった。
感謝のもとは いっぱいいっぱいあるのだ。


でも人間は 弱く浅はか。
喉もと過ぎれば やはり女とちちくりあってる夫への嫉妬に狂ったり
夫に殴りかかったり 包丁を持ったり どのネクタイで吊ってやろうか と思ったり。

しかし すべてがわかった途端に この平成な気持ちはなんだろう。
事態は何かがすごく変わったわけでない。
相変わらず 夫は背中を向け 喋らず笑わない。
わたしは 穏やかだ。
完璧とはいわないが つい先日の狂人の夜が嘘のような穏やかな気持ちだ。
もちろん時には いつまでもふさぎ込んでいる彼に気持ちがいらつくこともあるが
彼がこんな風になるまで1年半かけてしまったのだから
おなじく1年半はかけてじっくり溶かしていこう。

焦るな 諦めるな>私(^^)


ここまで読んで どう思われたでしょうか。
私は以前から仕事で社員の潜在能力の開発ということに取り組んできました。
今回のことはまさしく「潜在意識」が動いた結果です。
自我 超自我 エス(イド)、 心理学の講義でフロイト理論は知ってましたが
わたしの理解はまったくもって浅かったです。
心の奥底が動くと すごい です。
考え方ひとつで痛みが感謝にかわる ということですわ。
あ、わたし無宗教派を貫いていますし、精神世界の領域かもしれませんが
あなたに押し付けるつもりはありませんから、ね。

あーぁ、
めぐっちはとうとうあっちへいっちゃったよ とか
さむっ と即ブックマーク消しの刑にあってるかもしれませんが、
1人でもいいです。振りかえってみてください。

 あなたが経験している理由のわからない不幸の鎖があれば、
それはあなた自身が(無意識に)望んでいることがあります。
怒り 恨み 悲しみが いびつな形をもって 違う形で現れているかもしれません。


これから わたしたち夫婦がどうなるか 事象はわかりません。
ただ、離婚するとかしないとかそんなことにはもう心が患わされていないのです。
わたしが望むのは「わたしが幸せになること」です。
わたしが幸せになることの協力者が彼ならば 一緒にいるでしょう。
彼でないのであれば いずれは離れるでしょう。
それはただの事象なんです。

ただ 彼が健康で 今もこの部屋にいること。
彼が存在していることに わたしは感謝します。

「もし自分にとって苦しい出来事に出会ったときは
自分が気づかない間に潜在意識に刻み付けられている
ネガティブな意識があることを知らせるために起こってきます
もっとも必要な選択をしなおすために自分の中の潜在意識が引き起こしたものなのです」


最後に。
わたしがのた打ち回っているときにも
たくさんの気遣いや心配を頂きました。
その力に感謝した時 「守られている」のに気付きました。
わたしは また 助けられました。


だから 誰かを助けたいです。
あえて自分のことをさらしました。
これが何かの意味をなしたら 嬉しいです。
また なさなくても 読んで何かを感じていただければ嬉しいです。

読んで下って感謝します。






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実は この件は 早く書き終えて目次の中に仕舞いたいのは
ダンナさんの目に触れさせたくないからもあります。
いまゆとりのない彼がこれを見たら あまりポジティブに感じてはくれない
ような気がするのです。(弱虫?)
ほとんどわたしのHPを見ない彼なので、過去日記になると
なおさら目にする可能性は低いかなと。

あ、んで、彼を知っててここも見ているお友達の皆様へ。
気をまわして彼を元気つけようとしてくださる気持ちはすごく有難いのですが
どうか 今はそっとしておいていただけないでしょうか。
彼が知らぬところで妻がこんな日記を書いておいて そっともくそもないのは
承知していますが、今は どうぞ、お願いします。お願いします。



2002年09月25日(水) 性的虎馬 

昨日からの続きです。
++++++++++

小学生の頃。

両親と同じ寝室で寝ていた。
明るかった気がするから、夜が明けかけていたんだろう。

何かを感じて 目がさめた。
うすぼんやりした意識が、自分の下半身の違和感をとらえる。

パンツの中に 何かが。
しばらくしてそれが 手とわかった。
実の父親の手。


この話しは、墓まで持っていくはずでした。
ではなぜ書くか。
断じて自虐ではありません。また復讐でもありません。

この話しを是非読んでほしい人がいる気がするからです。
誰 というわけではありません。
わたしと同じように苦しんだ人が いる気がするからです。
そして これらの文章で もし思い当たるところがあれば
一緒に 解放されようね って言いたいからなんです。
直感的な 使命感なんです。
 

父親の手だとわかった瞬間
身体も息も何もかも止まった気がする。

相談者に その話しを打ち明けながら、自分は今 まさか
あるとは思わなかった秘密の扉を見つけたようだった。


「あの時、声を発することなんてできなかった。
私が気付いているというのを気付かせちゃいけない気がした。
父に恥をかかせると思ったからなのか、 わたしが気付いていることを
お互いが知っていたら気まずいと思ったからなのか わからない。
あの時イヤっていえなかった。
でも もしあの時 やめてくれって自己主張できてたらわたしの人生は
もっと変わっていたんだなって いま こうして書きながら(相談はメール)
やっとわかった。」

そして!
わたしは ずっとずっと理由がわからないでいた自分の行為、
(自己主張できない とか SEXに関する行為)
不思議で仕方がなかった自分の足跡のわけが ここで見えたんです。

相談者が言う。
「自分は幸せになりたいと思っても、過去の経験から
「不道徳な男性をやっつけたい」と心の奥底で思ってると、
それが幸せになることを妨げている可能性がある。」

わたしの課題のひとつが「自己主張」だったとは・・・。うーん。


わたしの性体験の話しになります。

はじめての性体験もそれ以降も
好きで好きで惚れた人なんていなかった。
ただ拒めなかった。
高校の制服のままホテルの駐車場に車が入っていっても
見ず知らずの男の子の舌が入ってきても
傷ついて頬を張り倒した男から また会いたいと連絡が入っても
わたしは なぜか抵抗できなかった。
好きになって自分からパンツを脱ぐ事はないのに
脱がされることには抵抗あってもそれを表明することはない。
その数は多すぎて もう途中で数えるのはやめた。

 わたしは「させ子か?」と思ったが いや実際させ子だったのだが、
性行為が気持ちいいとは一度も思わなかった。
わたしの10代は 悲惨だった。 
何か大切なことを 感じないように生きていた。

20代になった途端にデエトした男とは6年間真面目にお付き合いをした。
やっと落ち着く場所を見つけ、いらぬ誘惑もなかった。
お互いの親にも紹介しあって 親同士 2人は結婚するものと思っていた。

26になる年、突然
「おまえを本当に好きだったかどうか わからない」と言われ 彼は去っていった。

 はぁっ?  
理不尽ト-クのはじまりはこのころからだったのかな。
名古屋駅のロータリーで 思いきり車のドアを閉めた音はまだ覚えている。
その後すぐ 彼は結婚したと聞いた。

まぁ いちいちその後の遍歴は言わないが いずれも似たりよったり。


「不道徳な男性をやっつけたい」と心の奥底で思ってると、
それが幸せになることを妨げている可能性がある」

・・・・・・・一瞬にして 全身に寒気が走った。


私の人生プログラムが 父親の一件から
あえて つきあった男性を 不道徳な方向へ導き 結果的に
こてんぱんに痛めつけるという 無意識の報復へと繋がっていた。としたら。

その時 男は「なぜ こんなことになったのかわからない」とか
「自分はなんであんなことをしたのか 自分でもわからない」とか
言われることが すごく多かった。
 わたしが そうなるように 不道徳な行為をするように 
仕向けていたのだから。
もちろん私自身 そんなことをしている意識など ない。

わたしが心の奥底で「不道徳な男」をやっつけたかったなんて
私自身知らなかった。
簡単に言うと 父親への復讐をしていたのだ。

そう考えると 今までの自分の人生の不思議が 全部一度に辻褄があったのだ。

+++++++++++

私が今コーチングの勉強をしているクラスメートは、
医療関係のお仕事をしていて 心理学も学んでいるのだけど
この話しをかいつまんでした時、
「どう? この話し気持ち悪くない?」とおずおず聞いてみた。
すごくよくわかるよと彼女は言ってくれたうえで

「性に結び付けて結論づける理論に、フロイトの心理分析があるけれど・・。
解決したいのに問題を性という本質にもっていかれると
もう、自分はコントロールできない、という気がするので、もし
めぐっちがそういう結論付けならやだな思う。」
と率直に言ってくれました。


この考えもよくわかります。
わたしの場合 自分で感じたこの「原因」というか自分を作っていた
ルーツのようなもいのを嗅ぎ取ったとき、己ではどうしようもない
絶望感などまったくありませんでした。

すごく自然に ざーーーっと繋がった、そう「繋がった」ゆえに感じる
開放感だったんです。
そしてわたしはその次の問題へ入ります。


++++++++++

わたしは 自分の抱える性格的な問題は 全部 対母親との関係だと
今の今まで思っていた。
(よろしければ HPの「Who r u?」をご覧頂ください。)

ところが ここにきて父親が出てきたことにアタフタする。
本当にしまいこんでいたので 傷の自覚すらしていなかったのだ。


じっくりむきあってみる。
私は 父親を許さねばならないんだろうか。
行為は 決して許していない。
でも 父は12年前に脳出血で脳死状態で1ヶ月 
チューブでながらえて 亡くなった。

入院中、私を含め家族は常に手を握りしめ、側で見守り 最期も看取った。
今も毎年お墓参りを欠かさない。
 この行ないは 許していないんだろうか。

否。
大人になった私は 時間を経て許す許さないではなく
「父親」としての尊厳を認めて供養している。これは許しているのである。

すると、
わたしが許す相手は誰なのか。


・・・・・。






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2002年09月24日(火) セックスレスと離婚とそして。

「レス」がわかったのは結婚して間もなく。
それでも それを差し引いても十分幸せを感じられたのは
奥底で母になることに拘っていなかったからかもしれない。


9月はじめの日 友人一家と遊んで帰宅した夜
結婚して1年半が明けた途端 怒涛の告白大会は幕を切った。

おもいっきり生電話の人生相談にでてくる悩みの代表選手全員集合のようだった。
ここには書けないが。
天地がひっくり返るってこういうことだったのね。

まさにひっくり返り 私は顔面神経痛で顔の左が引き攣れ、
まっすぐ歩けなくなった。
彼も 明らかに鬱状態で、喋らず笑わず たまに出た言葉も何を言っているか
聞き取れない。大きな声がうるさいくらいの人だったのに。
2人とも睡眠障害、彼の食欲が見る見る無くなるのもわかった。



苦しみモガイテ最後に溺れるものは藁をも、の藁をわたしはつかんだ。
ある人に意見を求めた。
 医師でもなく、宗教家でも思想家でも占い師でもない ただの人。
でも 私には藁な人で、何回かメールのやり取りをした。
その間にも、ひどい事態はさらに続き、夫は家出したりした。

わたしは彼から離婚してくれといわれていたが、
事態を考えたら そっちから(離婚を)言うのはおかしいやろ 
私から言うのが普通ちゃうのん!
というくらい もうめちゃくちゃな話しばかりで、
いったいこの人 どないしたんやろ
もしかしたら 何かにとりつかれてて悪魔が彼の身体を借りて
私を試しているんじゃなかろーかなくらい 理不尽なことを言われた。


なのに。
いろいろあってもなぜか彼に愛想を尽かすことなかった。
彼も苦しんでいるのを知っていたから。
はじめての話し合いの時
「そんなこと 思ってたの?。
つらかったやろな。知らんかった。わからへんかった。
ごめんな。しんどかったやろな」
心からそう言ったし、言葉にした。

---------

相談者に思いのたけを言う。
「離婚はしたいと思えない(云々)。
過去 私は 悉く男性に裏切られてきた。
それも全部相手の女性問題など向こうの理由なんです」

考えたくなくとも離婚が目の前にちらついた。
イヤだ、イヤだ、離婚したいくない! 苦しんだ。
(そこで頭に浮かんだのは、彼と離れたくないという考えと共に
親に心配を掛けたくない、親戚に会わせる顔がない そんな内容)

相談者はこう言う。
「問題は、そこ・・・。
まず、離婚が「悪い事」だと思ってるあなたの道徳観念がある」


頭にハンマーがヒット。
確かに自分の中には離婚 不倫
これらは私にはネガティブにインプットされている。
一夫多妻制の国に不倫の観念はあるのかね。ようは「考え方」だ。
「離婚=悪いこと」 という自分の認識があるから 苦しむ。

たとえば 「離婚=できれば避けたいがそうなっても仕方がないこともある」
という許容があれば、受取る気持ちはまた違っていただろう。
友人の離婚に対しては 大変だったねって労えても 自分のこととなったら
頭でわかっていても心が猛反発していた。勝手なものだ。



そして相談者は続ける。
「もしかして、男性に対する トラウマ ない?
例えば、小さい頃に性的な事件とかなかった?
時間をかけていいから 思い出してみて。
意識は忘れていても 潜在意識がそれを覚えてて
今回のご主人のことも それが原因じゃないかな」


何を言っているんだろう この人。
そんな事と夫のことは関係ないのに。

(ここで ちょっと注釈。相談者の意見はかなりはしょってますので、
文面だけみたら 気持ち悪いかもしれません。
かなり長いやりとりでここまできました。 
そこのところを汲取って頂けたらさいわい)

・・・・・・・・。
時間をかけるまでもなく 小さい頃受けた性的な事件。
あれしかない。
ずっと堪忍箱にしまって 絶対開けないでいたのに。
なぜ思い出させる。






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私信
以前から目口覚書を読んでくれているあなたへ
 凹んだり凸したり 新丸子で笑ったり 指切り魔チャッキーに
なったりと「こいつ不安定やなー」と心配させたかと思います。

今 書いていることは結果報告です。
この内容の覚書はもう少し続きますが、どうぞご安心ください。
わたしは だいびょうびだよ。いや まじで。

笑ろたる 笑ろたる♪



2002年09月23日(月) さふぁらい むんらいむんらい

こういう時期にこういうイベントがあったのも意味がありあり。

ダンナさんの祖父7回忌で 彼岸の連休中
総勢11名で 冨士山の麓&伊東温泉に旅行してきました。
もちろんダンナさんもいました。

伊東といえば あの歌。
「イトーに行くなら ハットヤ!
で・ん・わ・は ヨイフロ!」

このCM、関西圏にも大昔ばんばん流れてたのだね。すごい。

この旅行でね、いっろーんなことがありました。
ま、暗い話しはさておき 何がびっくりってあーた。

その①
義母が 元サーファーだったと知ったこと。
伊東海岸でいっぱいいたサーファーを見て
かつて夢中になった波乗り話を聞かされました。
50代半ばですよ、この人。
「ゆうじろうは いいね~」とか普段言ってるのに。

その②
大浴場で、義姉に背中を流してもらっている義母の姿をぼんやり
温泉に浸かりながら見てました。
すると!
義母の背中一面にお尻にまでかけて
青黒く墨が入っているのが見えるではありませんか!

うわ 
うわ 
うわ

見てはイケナイものを見てしまった気がして 目をそらしました。
そうか、だから義母はだみ声なのか(意味不明)


すごく動揺しましたが、そんな大掛かりなもの
いったいどんな絵柄なのか見てみたい・・・好奇心にかられて
そらした目をまた 義母の背中にやりました。

湯気のむこに浮かぶ「昇り龍」もしくは「観音菩薩」と思ったものは
お湯をかけられた途端に流れて溶けていっています。
へ?

入れ墨と思ったものは温泉に置いてあった「炭塩せっけん」で洗った泡でした。
やはりわたしは疲れていたんですね。

その③
温泉と言ったら何ですか?え?そうですね。卓球です。
義母 義母弟(ダンナさんの叔父さんね) ダンナ兄 姉 姉ダンナ
ダンナさん、そして私はお風呂上りの卓球挑戦的武装衣装(浴衣)で身を固め
闘志漲る中 対戦致しました。

誰が一番上手いか。
普段 腰が痛い 頭が痛い 歯が痛い 足が痛い 膝が痛いと
真夏でもホカロンが離せない 義母。

サーブ スマッシュ ピシピシ決めてます。
ハイカットはこうするのよ!とか 息子達に指南しています。
息なんて乱れません。
わたしは浴衣乱れまくりで いっぱいご迷惑なものを見せてしまってます。

「オカアサン うまい~」って誉めたら
「あたし?あたしね、体育高校で卓球部だったの」
若い息子達より誰より 義母最強でした。息子たちハァハァ言ってます。



帰りは小田原あたりまですごい渋滞で、18時には帰宅予定でしたが
3時間以上も過ぎてしまいました。その時間も含めて行ってよかった旅行でした。

この旅行が ダンナさんにとっても何がしかの心の変化を起こすのでは
と期待していました。
そしてそれは形になってでてきました。

では 腰をすえてここに記し 目的を果したいと思っています。
かなりきっつい日記になります。






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2002年09月21日(土) じゃあなぜ受胎したのか

私は遅い結婚だったので、意欲的にコヅクリ宣言。
排卵検査薬 婦人体温計 毎朝体温をデータ入力
正確なカーブに頷き 唾液で排卵日を検査するチェッカーは
見事なシダ模様を描く。

はじめは 「レス」だとは気付かなかった。
そして確かめたら そうだった。
わからない人には わからないだろうが、
子供が欲しい人間にとって「レス」は 打撃だ。
これが能力の問題なら医学で解決も可能だが、
完全に精神のことだった。 ヤラレタ。


彼は「いい夫」を演じすぎていた。
わたしは全く見抜けなかった。
「レス」でなぜ妊娠できたのか。
ベツレヘムの馬小屋で分娩台に乗れる聖母率は 皆無。
わたしのコヅクリ意欲に彼がつきあってくれてたのだ。

性欲がないのではなく「私は家族になってしまったので
女ではない」という言い訳に涙が止まらなかった。
理由にならない理由。
ただ、それは私が鬼のように問いただして搾り出した応えで、
本人も「なぜそうなったのか よくわからない」と言った。


「なぜそうなったのか よくわからない」
この言葉 過去にも他の男に言われたことがある。

********

そう 数年前。
彼(非 現ダンナ)の部屋を掃除し、ベッドのシーツも替え、
私専用のスリッパを買い私の匂いが彼の家に居付き出した頃。
その日は私の誕生日だった。でも数日前から連絡が取れなくなっていた。

部屋のドアをあけたら、黒いハイヒールが脱いであった。
午前9時。
台所には 得意のリゾットを作った後がある。
どどどどどど!
階段を駆け上がると、わたしのスリッパが脱いであった。
買ったばかりで値札もついたままだったのに、
まだ一度も履いてなかったのに。玄関先に置いていたのに。
わたしのスリッパは もうわたしのスリッパでなくなっていた。

前の週にわたしの替えたシーツはきっとシワシワになって
彼らの「跡」をつくっているのだろう。
徹底的に攻撃した。以来 二度とそいつとは会っていない。
 リゾットはすっかり冷めていた。

その男が 数週間後
「なぜ あんなことになったのか わからない」とメールで言っていた。
そのことが思い出された。

実はこのことも仕組まれたことだったと今になってわかった。
*********

夫婦として 日常感じる不幸はそれだけで あとは順風満帆といってもよかった。
それはわたしだけが感じていたのだけれど。








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2002年09月20日(金) 悪霊との対決!?

今までお城に住んでいると思ったら
実はそれは砂でできていた。一条ゆかりの世界。

前の夜までずっと腕枕してくれてた王子さまが突然悪魔に変身した。
唇からは時速50000キロの刃。 
次々でてくる信じられない言葉の数々。

あどけない少女が、「おまえのケツにつっこんでやろうか!」と
叫んで首を一周させるエクソシストを見るにも似ていて。
私のほうが、ブリッジで階段落ちしたいよ ったく。

悪霊にとりつかれてるんとちゃうやろか とまじ思った。
陰陽師でも宜母愛子でもつれてこい。

女として妻として人間として 尊厳も何もずたずたになった夜。


これは夢でなく現実で 
「なんで いっつもこうなるの?!」と泣いた。
そう、10代からこうなのだ。判で押したように。

信頼が頂点にきてあとは安定直線を描き出すその時
突然相手が裏切る。

これはただ「男運が悪い」という言葉で片付けられそうだが
実は運ではなかったのだ。そうなるよう仕組まれてたのだ。

それを仕組んだ犯人と原因がわかったとき私がとったある行為。
これからそこに至るまでの軌跡を残そうと思います。







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2002年09月19日(木) 躁鬱の狭間に正気のヒトトキ

道端に、でっかいハーレーが停まってる。
ここは狭いのにバス道になっている。
邪魔やなぁ 誰やねん。

停車地の真ん前にある時計屋で
おそらく電池交換をしてもらってるんだろう、
熊のようなでかい男が椅子に座っている。
なぜか「横浜銀蝿」の四文字熟語が浮かんだ。

わたしが横目でのぞいた時、
熊男は、上唇の皮をむいてるところだった。

いまくいけば薄皮がはがれ、
失敗すれば血が流れる勝負の時だ。
まさにひっぱりMAXで口がドナルドダックだった。

おのれの歩調をゆるめた自分が 少しかわいかった。


+++++++++

お肉屋さんの店先で コロッケを注文。
出来るまで パイプ椅子に座って待つ。
隣に 同じく注文待ちのおばあさんが座っていた。

おばあさんは、少し私と話したそうだったが
主婦特有?の[初対面のくせに旧知の友のように喋る特技]を
わたしは持ち合わせていない。
黙って肉の値段に目線をやるわたし。
近づきたいのに距離感が計れず、かえって邪険になるわたしって。
おばあさんも黙っている。

シュワ シュワ シュワ
コロッケの上がる音がつづいている。

カバンの中のハイチューを見つめる。
これ、1個 おばあさんにあげよかな。
手にとって もじもじする。
でも、子供ちゃうねんから、ハイチュー1個って失礼かな。
まだ もじもじする。

「コロッケあがりました」
声にせかされ ハイチューをしまう。

店を出るとき
「お先でした。ごめんください」と言っておばあさんに会釈した。
彼女もにこやかに会釈を返してくれた。

揚げたてのコロッケ 1個60円也
わたせなかったハイチュー わたしの素面

++++++++++++


 昨夜は、自分の中で気が狂ったみたいになりました。
私を無視してキーボードを叩くダンナさんに対して生まれたのは
異常な攻撃心。
「指 切り落としたろか」

今はすっかり打ち消した考えですが、
ピアノレッスン(カット フィンガーな映画)状態で怖かった。
そして なぜ 昨日と全くかわらない現状にもかかわらず、今少し落ち着いているか。





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これについて 記していこうと思います。



2002年09月17日(火) あんなんたんなぁらぁどぉおするぅ~

もし、
あなたの卵子と
彼の精子が
高確率で受精しない
と互いが知っているとして
自分以外なら 受精すると知っているとして

身をひきます か?


そんな選択肢を見つけてしまったら
今日やってた番町皿屋敷観ながら 滂沱。






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2002年09月16日(月) ええ~い やめじゃやめじゃ もうやめじゃ~!

それにしても暗いですね。
昨日の日記。


書いた通り、昨夜はパチンコ行って、車なら10分で帰ってこれる道を
1時間かけて電車で帰ってきましてね。
んで、23時55分 駅からとぼとぼ歩きつつ隅田川を渡っているときに
川に何か白いものが浮いてるの。

それがぼわぁっと浮かんで。
多分、発泡スチロールかコンビニの袋だと思うんだが、
それをじーっと見てると、自分がその白い物体みたいで、
ふと、身を投げたらあたしも間もなくスチロール。

あぁ やだやだ。何が嫌って水死が一番イヤ。
で、だんだんまっすぐ歩けてない自分、速度を上げようとしてるのに
速度じゃなくって角度が変わっていく自分に気がついて。

やば。
これ自律神経でしょうか。


急にアレなんですけど、私 小学生の時リストカッターでね、
父親が煙草をほぐして手首にぱらぱらしてくれたこと覚えてます。
小学校3年になるかならないかで 薬を集めて それはただの風邪薬
だったり頭痛薬だったりするんだけど、そのカプセルをほぐして
棗(ナツメ。茶道の抹茶入れ)にこっそり貯めこんで 来る日の為に
用意してたっつーか、来る日って何やねん(笑)
そんな 自分を痛めつける自分が ぐわーっとやってくる時があったんです。

今は もう そいつと対峙して一緒に生きてるから大丈夫ですよ。
ただずんどこになると浮かんできやがる。


はい、ここ底。


なんかね、朝起きて普通に炊事して、ふっと憑物がおちたような感じがして。
相変わらずダンナさんはろくに口もきかない。
事態は何も変わっていないし、知りたくなかった事ばかり出てきやがる。
でも。
昨日、無事に家に帰ってきたことに感謝して そんなささやかな感謝を
数えていたら、わたしにはいっぱいいっぱい感謝があって、
なんだろ、よくわかんないですが、鎖がね、鎖が ぱらって 取れました。

いいです。
執着も癒着ももうしない。

いや実際はせずにおれないだろうけど、それを戒める。
ダンナさんは生きてるし、ここにいるし。
私は生きてるし、ここにいるし。

ウィーケストリンクで「ちびまるこの住んでるのは何市?」という問題に
「新丸子」って答えたふかわりょうに 声だして笑いました。
家で声出して笑ったの ひさしぶり。

え、おかしくない?あー じゃ やっぱやばいかも(笑)。

そうそう バーミヤンの穴倉で生活するおばあちゃんのTV番組観て泣きました。
自分以外のことで泣くのも どれぶりでしょう。
それだけ心が膠着してたのです な。






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今までのずんどこ日記 すんませんでした。
明日からはせめて ズン ズン ズンズン ズンドッコ日記にします。
きよしー。



2002年09月15日(日) お母さんお誕生日おめっと。

HPのトップから日記をはずしたのは、
ダンナさんの仕事関係の人々が訪れるから。

そんなことしても探そうと思えば簡単だろうけど、
会社の人達、決してダンナさんに問うたりせぬよう。切望。

++++++

9月に入るや否や訪れた恐ろしい日々を
心の整理の為に記す事も何度か考えた。

でも、文字にするとどうみても加害者と被害者の姿が浮かぶ。
ダンナさん自身も「100%俺が悪い」と認めている。
彼が最も憎んでいた「理不尽」に、今彼がどっぷりと身を置く。
その罪悪感に身悶えしながらも 自分の欲望を押し留められずにいる。

わたしは 被害者ではないし、彼は 加害者ではない。
わたしは 決して彼を憎まないし この現象にはへこたれさせられているが
その中にも 己の未熟さを思い知ることも出来、様々なことに気付かせられた。
気付かせてくれたきっかけに感謝しよう。
だから、わたしはここに書かないでいる。

++++++

去年の9月の日記には、結局は叶わなかった願いが書かれている。

あの時の命が、もし生き続けていれば 今頃は生後2,3ヶ月だ。
夜泣きの激しいその時期と、この現象がブッキングしたら
わたしの心はパリンと割れていたに違いない。

だから予防線を張っていなくなったのではない。それは確信。
もし生まれていれば、最初からこんな出来事も起きなかったかもしれない。
そんな不毛な「たら・れば」を言っている自分を自嘲。

++++++
おとといの晩、ダンナさんが家を出た。
その日は まるで一気に秋がやってきたような肌寒さ。
玄関を見ると、革靴もスニーカーもそのまま。あぁサンダルで出ていったんだ。
今は いくらでも夜を徹して過ごせる場所があるとはいえ
寒くはないだろうか。半袖で、風邪ひいてはいないだろうか。
 あぁ神様 どうかどうかあの人を温かい場所に

もう一生戻らないかもと思ったり、彼が決して見限れない身内(実家)が
いる限り絶対戻ってくると思ったり、もしかしたら実家に戻ったか、
いやそんなはずはない 今晩も戻らなかったら電話してみよう
思いだけがぐるぐると ただぐるぐると。

そして 夕方 帰ってきた。
手にはコンビニ袋。どうやら食欲もないわけではないみたい。

あぁ あぁ 神様 ありがとう。
わたしの望みをきいてくれてありがとう。元気なら それだけでいい
まじでそう思う。
「寒かったでしょう」そう一言だけ言って迎え入れ、
昨夜はどこに とも何も会話はしなかった。
入れ違いにわたしが出かける。

わたしがいたら気詰まりだろう。
少しでも同じ空気を吸わなくていいように、夜働く場所を探しに出た。
はじめてひとりでパチンコ屋で遊戯。
いつも彼が座ってた36番の隣の台で、二箱出す。しめて14500円。
あたし、何やってんだろ。

日付けがかわって帰宅しても 心配する人間はいない。
おととい あなたが言ったあの言葉は、刺さったまま抜けない。







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ルージュの伝言は、あの人のママに告げ口をしているが、
私は誰も心配も傷もつけたくないので 伝言すらできずうろうろうろつく。


充分学習したから いっぱい傷ついて傷つけて いっぱい泣いたから
最後だとおもったけど、神様 まだ足りてませんか。
わたしは、どんなことも許すことが 課題ですか。 



2002年09月14日(土) 覚え書き

話し合い。
縺れに縺れた糸は、切っちゃったら解決。
でも、もう繋げない。
と思うから 丁寧にほぐそうとする。
すればするほど 縺れる。
心にまたひびが入る。

途中、「地獄・・・ 地獄・・・」とフレェズが浮かぶ。
夢遊病者みたいに。






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2002年09月12日(木) 存在の耐えられない理由

台所で洗い物をしながら つい今し方のつらさに
地井武夫の5倍の太さの鼻水を垂らしながら泣いても
悲しさが 鳥肌をたたせるということをはじめて知っても

だからそれが何を解決するわけでもない。


すべては私の気持ちが「悲しい」と思うから悲しいのであって
自分の意思を操作できれば どんなことでも笑い飛ばせるんだろうが
頭でわかっていても心がぎしぎしいう。

 だから 気持ちの持ち方だから、さ とか言われて
むちゃくちゃ食ってかかりたくなる自分は余裕が ない。
そういやあたしも傷ついてる人に同じこと言ったな、と思い出す。

今の心境を比喩しようとしたら 
あまりのダークさに却下。

昨日は、病院へ行っていろいろ言われて
もう泣くのも嫌になったので 家に帰って普段着に着替えて
Tシャツの「上」にブラジャーつけて ふつーの顔して
炊事してみた。

ダンナさんが帰ってきたら ぷ って吹き出したらいいな
と思ってたら 帰ってこなかったので だんだんブラジャーがきつくなり
あほらしくなったので はずした。







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あなたの言葉、メッセージ、書き込み、メール、
留守電の声、そしてかわいい絵本。
すべてその時 一番しんどいときにタイムリーに私に届きました。
その時に必要なものを与えてくれて ありがとう。
感謝を通り越して お陰様です。
では この時間もわたしに必要、ということで。あふぅ。。



2002年09月05日(木) 毎日働いてます。

よくできたもんで、
気持ちがパンクすると、
仕事が忙しくなる。

少なくとも忙しい間は
余計なことを考えなくていいので
わたしは今まで何度仕事に助けられてきただろう。

そんなコンディションでする仕事のできはといえば
むしろ集中力を高めようとするので 結構いいような気がする。



青天の霹靂は、実は突然現れるのでなく
その温床は何日も何ヶ月も
いやもとを正せば、何十年もかけて
親や環境も手伝って形成された人格が
それを「青天の霹靂だ」と感じさせるから生じるのか。

わたしにとっての霹靂は、
実は1ヶ月半ほど前から姿が見えはじめていた。
それは窓の結露のように さっと拭けばいい程度だったのに
気がつけば窓枠には水溜りができ
カーテンはカビでびっしり汚れている。


これからカーテンを洗濯したり窓を掃除しても
結露自体がなくならなければ 根絶しない。
「悪い匂いは もとから絶たなきゃダメ」とCMも歌っているじゃないか。

ここを引っ越して1人になっても、生活がある限り結露は生まれる。
だから、わたしはもとを絶つことを選んだ。

失敗したらおそらくもっとえらいことになる。
「あの時 さっさと引っ越してればよかったよ。
もしくはその都度ぞうきんで拭けば取り合えずその場凌ぎできたんだ。」
後でそう悔やむかもしれない。
悔やんでも時間は取り戻せない。
それも覚悟したうえで、不可能に限りなく近い可能性にチャレンジする。



漠然とした言いまわしで、
読んだ方をいらつかせているかもと思います。
また、わたしのダメダメへたれぶりに
嫌な感じを抱かれた方もいるかもしれません。
いちいち大袈裟なんでよテメー、同情欲してんのかよナローと。
ごめんなさい。
ほんっと ダメダメへたれです。



わたしが(うまくいけばわたし達が)戦う結露とは、「病」です。
ここ数日間 ネットで調べたらこの病が完治した情報は見つかりません。
そして調査サンプルの40%が離婚した という余計な情報は知りました^^;

やってやろうじゃないの。戦ってやろうじゃないの。
ご存知かもしれませんが、仕事上の興味からメンタルストレスの
勉強をしはじめました。
そしてそれへの思いが嵩じて 生業にしようとしています。

その知識があったからこそ 今 立っていられると思います。
このことに戦えるだけの体力を作るために、今までの出会い、
(別れや裏切りなどダークな)出来事、勉強などなどがあったと
思えて仕方がありません。

人を助けたいと思って 実は自分が助けられています。
言葉は 時として刃(やいば)になります。
信じていた人からの刃の連続に、昔のままの私だったら
相手を刺すか 目の前で自分を刺していたと 物騒な話しですが思います。
それくらい、自己否定派だったんすよ、あたし。


今 すごく感謝していることがあるのですが、
ネットを媒介して知合った人々が
一度も会った事ないのに もしくはあっても数回なのに
わざわざ時間を使ってキーを打って 気遣って頂くことです。
無言でご心配頂いてる方もおられるかもしれません。

わたしはなんと幸せ者でしょうか。







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これからも よろしくお願いします。m(__)m





2002年09月02日(月) 神様からの贈り物

 「修羅場」などど書いたら、
大声でののりしあったり 泣きじゃくったり 皿や箸が飛んだり
そんなイメージかもしれませんが、

ここ2日間の話し合いは とても静かに流れました。

指輪だって相手に投げつけたのではなく 相手が仕事に出てから
襖に叩きつけたのが 精一杯の反抗でした。

もちろん人間ですから 精神的には山有り谷有り亀有でしたが、
自分でも不思議なくらい 話しを聞け頷き相手を否定せず
かえって拍子抜けされるくらいでした。


わたしの望みは、お金持ちになることでも 成功することでもなく
ただただ穏やかに 穏やかな笑顔を見ながら 穏やかな笑顔でいたい
本当にそれだけでした。

過去体験した様々なことは、それに耐えた私に対するご褒美
を与えるための試練だと思ってました。

だから今の生活は、ご褒美以外のなにものでもなかったです。

でも過去のことは 今から思えばめちゃくちゃちっぽけな気がします。
事実は小説より奇なり です。



神様は 私の人生のプログラムに
でっかいでっかい爆弾をそっと埋めていました。

これは悪戯や気紛れでなく わたしがそれにどう対処できるか
それが私への課題のようです。

そしてそれは最終兵器ではなく これからどんどんでてくるでしょう。
どこに埋められているかわからないけれど でももっと大きなものが
地中にあるはずです。



それがわかっていてもこの地にまだ立とうとしているのは
忍耐、許し、愛、プライド、意地、全部違うような当てはまるような
自分でもよくわかりません。


相手の不貞とか、家庭内暴力、借金、たはまたマザコンとか
仕事しないとか、世間の困った君の話しはいろいろ知っていますが、
そうそう ダンナが異常性癖で娘にひどいことをしたという知合いもいましたが
今の私の前には そういったたぐいの裏切りが横たわっているのではありません。

しつこいですが、想像だにしなかった神様から贈られたプログラムです。


さて

わたしは今自分が血を流しているのか 内臓が腹から飛び出ているのか
目が飛び出ているのか あ それは前からですが
よく自覚してないくらい じんじんしています。
出産時に チョキンって切られても痛みを感じないっていいますが、
痛みもラインを超えると 他の痛みなど屁でもないって 本当なのでしょうね。

 掲示板やメールに 今ひとつひとつ返信することができません。
でも どれもかしこも縋り付きたいくらいです。
どうか わたしを見ててください。勝手なこといってますが、
ご心配いただいたことで 光りの筋が差すというか なんでしょう
誰かがいる ということで立っていられるというか 変ですか。










2002年09月01日(日) お台場ドット混む。そして修羅場バンバ。

お台場に とある若い男と行った。
東京駅近くで彼と待ち合わせ。熱い抱擁を交わす。

ダイバまでは快速バスで一本。
デックス東京の香港街で中華を食べた。
中華飯屋なのに、壁にでっかいクラプトンのパネルが
飾ってあった。なんでだ。

フジテレビのフェアも最終日。
イモ洗いの展望台、カールおじさんや
笑う犬との記念撮影。
スタジオは「ものまね紅白歌合戦」の準備中。

さざえさんの町内ジオラマに興味。説明役のお兄さんは
淡々と話す。
「さざえさんのうちは約90坪あり、波平さんは高収入である
ということです」とか。年功序列時代でよかったね。

アクアシティのひろばで遊び、彼に寄り添いながらロイホで夕食。
彼ったら、お腹が空いていたのか手掴みでコーン食っていた。

夕焼けの海浜公園は マロンチックだった。
ライトアップされた自由の女神もステキだった。
今日は香港とアメリカへ行った気分よ。ダーリン。

暑さと人ごみで 想像通り彼もくたくたになってたけど
途中機嫌が悪くなって びえびえ言ってたけど
でも とっても楽しかったわ。
あと20年経てば あなたも大学生ね。
その頃はもっといい男になっているでしょう。
その時また遊びましょう。

あ、でもわたしも20年トシくってるのね。忘れてた。
今日はあなたのベビーカーを押し
20年後はわたしの車椅子を押してね。うふ。


楽しいデエトも終わり 年金と介護保険に心馳せながら
やっぱ子供はかわいーわーと楽しく帰宅した時には
数時間後 我家に修羅場がやってくるなど誰が知ろうか。

事態は思いの他深刻。信じられない言葉も聞く。
神様は、ここから何を学べといっているのだろうか。






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結婚生活をおくっていらさる方々は、
大なり小なり大変な修羅場をくぐっておらさるのだろう。
それをどうやって抜けてきたのだろう。
わたしには かすがいもいないし。
というか、それも今回の原因か。


 <あとっぽ  目次  さきっぽ >



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