目口覚書



■目口覚書■
ごめんください
どちらさまですか
お入りください ありがとう

2002年01月31日(木) 知りたいことはまだまだいっぱい。

こないだは 東池袋のとあるセミナーへおでかけ。

「サイコシンセシス心理学」という心理学では新しい(といっても
日本で20年くらい前に紹介された)もの。
あの「マズローの欲求の」マズローさんもちょいかみしてる。
すんごく膨大な内容なんだが、交流分析とかNLPとコーチングとか
エニアグラムとか、今まで勉強したことが全部含まれてるそんな感じ。

例えば誰かが自分の悪口を言っているのを知って落ち込むのって
嫌われた=落ち込む でなくて
「皆に好かれねばならない」っていう自分の認知がその間に入っているから
落ち込ませるんだっていう気付きになる。

サイコシンセシスはその気付きの後 どうすんねんってことが大切。
そんでもって気付くことに気付く、落ち込む自分も自分として
でもそれは自分の一部であって全部でないことを認識する。

途中、ワークというかエクササイズをしたんだが
「子供のころ、一番楽しかった思い出を思い出す」ところで
すごく思い出しにくかった自分に苦戦。
ただじっくりやると、ほぼすべての人が自分の身体に
「温感」を感じることを発見。

中には泥んこ遊びの触覚や ママの焼くパンの匂いの嗅覚が
がぜん活躍したり。

だからなんやねんといわれると詰まるが、子供のころって
五感全部使って生きてたなーと。

ちょぼっとお給料が入るようになっても 自分の興味ある
勉強会やセミナーにでかけてしまったり、それに関する本を
どんと買ってしまう。あう。
服屋のくせに服なんざ買えねーぜ。芝居も映画も行ってないなー。

参加してる人は その道(どの道)で本書いてたり 訳してたり
講座もってる人達なので出会いも話しも相当面白かったりするんで
まぁよしとしましょか。

このセミナーの往復がちんちん電車だったのが自分的に超お気に。
帰りは白菜、ねぎの大包みと、買った書籍の重さにふらつきつつ
鍋仕度。うまいちゃんこでした。

 あ、皮膚科を変えたら2日で劇的によくなってる手の指先。
「真面目に家事してるのが原因。もっとさヴぉれ」とな。
まじめ?まさか。体質だーねとはおもうが、今までの薬は
何やってん。
あとは足や身体が治ればいうことなし。

毎日 打ち合わせや何やらで会社行ってますが 昨日千代田区で
飲み食いした帰り 夜道をちょっと迷ってたら 暗がりで
警官が立ってて ちょっとどき。
外相の自宅前にもいつもいますが そういう感じ。
寒い中 ごくろーさんだ。



2002年01月27日(日) 百貨店ミュージアム

「世界遺産」の写真展のチケットを職場の人がくれたので
新宿へでかける。
 
早めに起きれたら、いっこうによくならぬ症状を再鑑定
頂くため、今通っているのと違う病院にいくつもりだったが
洗濯して掃除してたら昼過ぎる時間だったので断念。

今私の右足親指は いつぽろんと落ちても不思議でないくらい
赤く腫れているし、左踵は靴をはいた瞬間から全体が靴ヅレしている感覚。
歩行困難なので 本当は大丸ミュージアムのローバート・キャパ展も
行きたかったが新宿のみだ。

 「世界遺産」はTVで放映しなかった映像なんぞもミニシアターで
観られるようになっていて、写真の数々も美しい。
たくさんの遺産を 空中から次々と撮影していて 胸が苦しかった。
きれいで。きっと息するの忘れてたんだと思う。

私は チベットとかイスラムとかバチカンの
宗教建物に興味が引かれる。天窓から差し込む日の光の筋に、
ロココな曲線や色合いに、修道院の静寂に。

ただですね、なぜかきまって若い女(20~30代)なんだが
人が写真観てる耳元ででかい声で
「あー なつかしー」
とか
「ここのステンドグラスは○○式っていってね、」
などど お連れの人に説明をしている奴が数人。

静かに閲覧しましょうよ。

 ダンナさんが帰りは一緒に落ち合って夕飯を食おうと言ってくれたので
東急ハンズとか本屋とかで時間をつぶす。
仕事帰りの彼は地下のパチンコ屋にいるから携帯が通じないので
適当な時間に電話するとのこと。

デパートに行くっていったんだから
普通7時や8時には連絡くれてもいーでしょー。

ところが9時になっても電話はない。
10時までやってる本屋の山本文緒コーナーの前で
えんえんと立ち読みにふける。

9時半になってやっと電話があって、負けを取り戻そうとして
時間がかかった。開口一番ずっと電話してたんだよー とのたもうた。

「ずっとって、いつからいつだよ。
あたしの携帯には着信歴ないよ。あ?いってみな?」
攻撃をかわそうとして言い訳するなんざ 許さねー。

おまけにパチンコは負けたので叱られてしゅんとしている奴と
赤羽の居酒屋へ。
会社の健康診断にむけて禁酒禁脂していたダンナさんは
胃が小さくなったと見えて驚くほど小食。
わたしたちのデート史初の低料金(1000円割引券を使って二千円代)
で店をでることに。

とても健康的でいいのだが、彼の検診結果の体重測定は
1年で4キロ増という悲しい結果だった。本当に悲しい。
最近、彼の腹回りはマーク・ハントそっくりだ。

シャワー後、パソコン中のダンナさんの横で身体の手当て。
足に消毒剤や薬を塗って、ガーゼを切り貼りして貼る。
ずいぶんと痒み範囲が狭くなってきた腹、腕、背中、肩に
ステロイドを伸ばしたり。なんじゃかんじゃで小1時間。

たまたま彼が私のほうを向いたとき
至近距離で私は大あくび中で、驚いて「うぉおっ」と叫んでいた。
「あー びっくりしたぁ。。吸いこまれるかと思ったぁ・・・
しゃくーんと顔半分食われるかともおもっ」バスッ ボガッ。



2002年01月25日(金) まだまだぼりぼり

4日間ほど家を出ておりまして
いや家出でなく仕事なんですが
「さぁ帰るぞ」って日に「悪いけど明日も(会社に)来れる?」
と聞かれて断れない そんなわたしです。

なので昼過ぎに大阪駅桜橋口からでる「昼特急」という
8時間かけて東京へ帰る 何が特急やねんっていうバス、
キャンセルせねばなりませんでした。

真昼間 ポカポカ日溜りのバスから阪神高速をビール500MLを道連れに
楽しむつもりでしたが、まぁ仕方ありません。

で、神戸のみどりの窓口に払い戻し&新幹線の指定席予約に行ったのです。
新幹線はすぐとれたのですが、バス券は
「ここはJR西日本なのでJR東日本で買ったチケットは返金できひん」
といわれました。なぜならクレジットカードで買ったから。

ふーん。さいですか。
だから東京に帰ってから窓口に行かねばなりませんでした。

でも、思ったのです。
出張先でJRのチケットをカードで買うこと、よくあることです。
例えば東京の営業マンが博多へ行った帰り、来週もまた来る予定だったので
帰りのチケットと次回来る用のチケット合計2枚カードで買ったとしましょう。
帰りは使用したけど、翌週急遽博多出張がなくなったので
最寄のみど窓に払い戻しへ行きました。
「これは九州のJRで買われたので 東京で払い戻しできないのさ」

おまけにしばらく九州に行く予定がないとしたら・・・。
きっと今までにこういう事例で怒った人はいるんじゃないか。
ちなみに払い戻しは1年間有効だそうです。
そんなに長期間有効というもの 過去クレームがあったからでしょうな。

ま、出張経費をバスなんぞで節約しようというあたしがあさましいんでしょうか。
そしてこっちに帰ってきて払い戻しに行ったら
居眠りしそうなくらい待たされて
それでも手持ち無沙汰だから窓口カウンターにあった
JALとANAの時刻表を見比べて 超割 得割 いろいろ勉強できました。
やっと手続き完了したら「手数料100円」とられてました。

教訓 
急な仕事は受けない





2002年01月23日(水) 夢の謎

年明け わたしは不思議な夢を見た。
どこかの学生である私は 放課後きまって「謎の中国人」に
命を狙われるのである。

なぜ「謎の中国人」かというと、
わたしを狙う彼のいでたちが、上半身はだか。
下半身は黒のカンフーパンツ 手には黒い吹き矢。
なんでかわからへんけど 吹き矢。
なんでヌンチャクでなく吹き矢なのかは わからねど
どうみたって謎の中国人だろう。

そんな男が私の命を狙って
授業終了のチャイムと共に 現われるのだ。
じっと見据えておもむろに吹き矢を構える。
今思い出しても身震いがする。

結構真剣にわたしも「さっ」と上体を曲げてかわすのだが、
運動神経マイナス9の私にもいとも簡単に毎回避けられた吹き矢。

最終的にそれを助けてくれたのは同級生のTOKIOの松岡君だった。
「逃げろ!」と叫んで私をはじきとばし、吹き矢男と闘ってくれていた。

それがわたしの初夢(T_T)


そんな話を笑ってダンナさんに聞かせたある日。

「ちょっとあんたー。はよ起きやー」と寝床を覗いた私に
両の手を広げて「はにー。はにー。たいへんだよー。ちょっときてー」
と助けを求める声。
「何や?どないしたんや?ゆーてみー。ほれほれ」
とまだ寝ぼけているよなダンナさんを急かすと、やはり夢の話だった。

「あのね、俺、女装して香港の路地に隠れてるの。
で、ブラが落ちてくるんで『あら おっぱいが・・』とかいって
何度も胸の位置気にしてるんだよね。
で、俺 ブルース・リーをおとり捜査してるんだよ。
だからその格好で、路地に隠れて「りーさん、りーさん」って
引き込もうとしてるの」

わたしは随分と勝手な女なので、
ダンナさんのその夢は私の命を狙った謎の中国人を
ブルース・リーに見立てた彼の復讐劇だと信じている。

ありがとう。
そんなに私を愛してくれて。
私もあなたを愛してる。

その後 その夢の話をした時 まるでぼけ老人のように
自分の見た夢のことはきれいさっぱり忘れていたけれど
それでもいいよ。

こんなのんびりと思えるのも 昨夜の深夜バスが無事着いたからだね。
ゆとりって 人間の心に影響するものなんだね。

かゆかゆも かゆ度は劣って来ませんが、襲撃回数が減少している
ような気がします。
ただ風呂上がりの裸体は リンダブレア(エクソシストでブリッジ階段落ち
したヤスもびっくりな蒲田行進曲な女)かリーインカーネーション。

もし明日交通事故で病院に運び込まれたら きっと夫がDVで
事情聴取されるでしょう。
それでもわたしは笑ってかきむしるだけさ。



2002年01月21日(月) ぼり・・・・

内科でもらった塗り薬。
副作用欄「かゆみ、発疹」やて。んなアホな。



2002年01月20日(日) ぐったり

全身のかゆかゆは、ある時は腕の内側だったり
太ももの付け根だったり、昨夜はひとしきり右手の甲が
これでもかってほどかゆくて。

そうそう、お尻のほっぺたが )( こう重なってる間とか
もう場所によっては掻く姿がとってもアブナイといいましょうか
なに昼間から自慰ですか?って感じです。とほほ・・。

で、アレルギー検査と肝臓の検査はシロでした。
もしハウスダウストとかダニとかに反応したとして
そんなのある日突然になるんですかねー。

サイトでいろいろ探していたら 皮膚っていうのは内臓の鏡で
悪いところのサインを皮膚が表すのだそうで。
ストレスちっくな時代は 下っ腹が不明のぶつぶつかゆかゆに
なったこともあって そういやその痒みに似てるかな。
それにしては広範囲だし。そんなに悪いところ多いのか あたし。

ただ今は言いきれるんだが「ストレスはない!」のだ。
もしあったとしたら普通にお勤めや子育てしてる人に
申し訳ないったらありゃしない。

かゆかゆのまま こないだ麹町で久しぶりの仕事したんですが
抵抗勢力軍団がわたしの仕事を見学するってんで
唯一それがプレッシャーだったかもしれないが
見学されること知る前から痒かったし。

仕事終わって彼らと話してみると
抵抗勢力とはこちらがそう思ってるからそうなだけで
「いちいち天邪鬼に意見はいうけれど 本当な仲良くしたいのよ、ただ
自分が納得できないと我慢できないのよ勢力」だったことがわかって
なーんだ じゃぁ根回しができてないこっちの問題もあるぢゃん
とか思えるくらいだから かゆかゆは収まってもよさそうなもんだ。

でも ぜーんぜん皮膚の悲鳴は納まらず むちゃきたないあたくし。

あ、
そういや こないだからダンナさんが 韓国製のネット対戦ゲームに
はまっていて 夜更かしばっかなもんだからあきれてるんだが。

でも別にやりたきゃやればいーんだし それがストレスってことも
ないしなー。
昨夜なんか 身体ぼりぼり掻きながらダンナさんににじりよってみると
パソ画面に笑みまでもらしながらゲームに興じている。
アホかこいつは と思ったので あぐら組んでる足のかたっぽに
無理やり頭つっこんで ちょっとの隙間をぐりぐり侵食した。

重いよぉ~とか言われながら 猫の気分を味わった。
このままでは きちんとたたんだ洗濯物の上にのぼってわざわざ惰眠を
むさぼりそうだ。

朝 お水で顔を洗うのは冷たいので 手につばつけて顔洗うかも。
あぁそれが天気を言い当ててしまうようになったらわたしもホンマモンやな。
トイレのあと、前足で空を掻いてしまったらどうしよう。
身体掻くのとどっちが人間らしいかな。
うふふ。

来週からまたしばらく神戸出張だ。



2002年01月17日(木) 黙祷

「揺れの大きさよりも あなたの身体の重みの方が
深く記憶にある」

咄嗟に横に眠る妻に覆い被さって 落ちてくるものから
庇った旦那様を思った一言。
今日図書館でめくった「日本一短い愛の手紙」にあった一言。

当時 代替えバスを降りて住吉駅へ向かう途中に 
2階部分が完全に押しつぶされたマンションの前を通っていました。
添えられた花が痛く 何よりそれが日常だったことが痛く。

********
突然3日ほど前から 発疹に襲われています。
頭の中から手の甲、背中、足 もうぜんしーん。
何?これ。

今までの人生一切のアレルギー、乾燥掻痒もなくきたので
わけがわかりませんの。
痒くて目が覚めるのよ。
もう顔面もぼろぼろですわ。
 それ以前から副作用に肝臓負担あるかもって薬を飲んでいたので
自己判断でストップして とにかくアレルゲン調査の血液調査を
しました。
結果待ちですたい。

あーん、明日も仕事なのにー。



2002年01月14日(月) 埼京線最終早すぎっ(*_*)

ロス在住の 14年来の友人が仕事で東京入り。
青い目のねーちゃん2人連れてやってきた。
ねーちゃん達の勤めるメーカーの商品の展示会と
ジャパンリサーチのため。

友人はアメリカで 貿易や商取引の仕事をしているので
今回は通訳と営業を兼ねて彼女たちのお守役。

久しぶりにあう友人は ぜ~んぜん変わってなくて
相変わらずパワフルで 小1と幼稚園の怪獣2匹を旦那さんに託し
単身東京さやってきたべさ。

彼女もすごいが2週間も子供の面倒を1人で見て 子供の弁当
(チンするピザらしいが(^^))も毎日作る旦那さんもすごい。
会社と自宅が兼用だから出来ることも多かろうが。

昨夜の話では この青い目ねーちゃんがとてつもなくわがままらしい。
ハチ公前で とりあえずのハジメマシテご挨拶を交わし
なぜか私と青い目’Sとが一塊になって歩く。

「いつ こっちに着いたの?」
昨日来たのは知っていたがとりあえずわたしが英語で聞ける質問を
一発ぶちこむ。
「昨日の夜よ。」
「あ、そ。今日はどんなところ行ったの?」
「MEIJI St。ラフォーレも行ったわ」

ラフォーレって森ビルが経営してて 「森」だからForestもじって
フランス語っぽく仕立てた。La forestを英語読みしたら
ラフォーレってならないんでなかろーか とか思ったが
そんな個人的所感を彼女らにゆーてもしゃーないか。あ いや
言葉がわかんねーや。

「いっぱい歩いたでしょう?疲れたんじゃ?」
「そうなのよ~。めっちゃ腹すいてますねん」
青い目’Sは 初対面の私に空腹感を目に溜めて訴えた。

友達曰く 昨夜泊のホテルを今朝から出発してリサーチに行くのに
いくらホテルの部屋に電話しても出てこない。
結局「眠い。疲れた」といって活動開始は昼も過ぎた3時。

ロスは基本的に車で移動する街なので とにかく歩く東京諜報活動に
すぐに音をあげる。

店に飛びこみで入って バイヤーと話しをつけようとしている友人の横で
一生懸命品選びをするねーちゃんたち。
「気になる商品があった?」の質問に
「うん。彼氏へのプレゼント」
「・・・・・・(~_~メ)(リサーチちゃうんけ?!)」

終始こんな具合らしくって 本人達を目の前にして
日本語で批判しまくりでおかしかった。
お客さんだと思うから我慢もできるっつーもんか。

西海岸のストリートファッションのメーカーである彼女たちには
原宿や裏じゅく(っていうのね^^; 原宿の裏ってことすか?)を
主に見せたらしいのだが、
最も驚いていたこと。

ストリート系、パンク系、アメカジ系の店に混ざってPINK HOUSE系のお洋服が
存在する ということ。そしてアメリカではお人形さんが着るような
フリフリをいったいどんな人が着るのか ということ。

日本では メジャーでないにしろ市民権はあるんでなかろーか甘い
あま~いお洋服。
わたしは過去宝塚歌劇大劇場でいっぱいみたぞ。

いったいどんな人が?っていっている最中にPINK HOUSEしている親子が
入店してきた。
青い目’S は 鳩がポン菓子の音くらった顔で目で追ってたそうだ。
アメリカには ないんですかね。あーいうテースト。
なら ニッチ層に もしくはロリコスプレ層にうけるのでは。
ビジネスチャンスだ!

10年遅れで米国を真似しているといわれる倭國であるが
オリジナリティ(?)健在なり。

楽しい夜をすごして ホテルまで送りホームへ12時半ごろついたら
最終電車は1時間前にでていた。
なんやのん。埼京線!
おかげで池袋からタクシーさ。

ところで昨日あたりから 関節近辺がカユカユ。
なにさ。これ。
両足は銭湯でウツサレタ白癬菌のおかげで出血大負傷
歩行困難だし。
もう健康状態わるわる。

最近ネット対戦ゲームにはまってるダンナさんは
朝起きたら「開店と同時にいったほうが何かと得なので
行って来ます」とわけのわからん置き手紙して いなくなってるし。
わたしがれんちゃんで夜出かけるもんだから 腹いせか。

大殺界率45%



2002年01月12日(土) 実はHPをもっていたダンナさん

本年度最初の不燃物出し、成功いたしました。
だって寝ないで(正しくは寝床に入らないで)いたんだも~ん。

こないだの健康診断といい、「早起きせなアカン日」は
最近寝ずに(正しくは寝床に入らないで)迎えます。
すんごく気合入ってます。
正しくは「こたつで過ごす」なのですがね。

さて、巷では三連休というのに仕事明けの本日のダンナさんは
指の運動に行くのだそうです。

ったくコンチクショぅなので ダンナさんが大昔作ったテキストを
はりつけてやります。ほほほ。←クリック
はりつけの刑。

もう何年も更新してなくて、こないだ「更新の仕方忘れた・・・」と画面の前で
呆然としてやがりました。







2002年01月11日(金) 健康診断

はじめていくところは、西新井の総合保険センターって館。

そこで検診を受けたんだが、あらためて自分の生活を振り返えさせられる。
保健婦さんとの問答
保「1日の食事回数は?」
私「うーん。2回・・・ですかねー」
保「朝食の時間は?」
私「午後・・・12時」
保 淡々と「次の食事は?」
私「(あ~23時とかいうのめんどーかも)・・・夜8時・・・くらい・・・」

保「晩酌は、ビールですか?量は350mlですか?」
私「(ち、500だよ)あ、はーい」

まぁこんなのらくらした調子でたっぷり2時間。
当日までに2日分の検便をもっていかなきゃだったので
朝8時 痔になるんでねーかというくらい頑張りました。
しかも注意書きに「洋式便所は通常と反対向きに座って」
便をキャッチするように だって。
んなもん座れるくわっ!

保険婦さんって 前からどんなことしてる仕事だろうと思って
たんだが、あんなにたくさん若いのそうでないのが
こういうところで忙しくしてらさったのね。

一番のヒットは 建物自体教室のようになってて
その一角でやってた「体操」。
平均年齢65歳くらいのおばちゃん、おばーちゃんたち一斉に
音楽に合わせて踊ります。

バックミュージックは島倉千代子「人生いろいろ」♪

♪死んでしまおうなーんて♪(右に4歩)
♪悩んだぁりぃしーたわ♪(左に4歩)
♪自分ばかりを責ーめて泣いて♪(ハイ 手拍子パンパン!)
♪くーらーしーたーわー♪(同じく パンパン!)

ハァハァいいながら やってらっさります。
たのしそです。
部屋扉全開なとこなんか 自信マンマンかもしれません。

本年度最高の強烈なダンサーたちでした。



2002年01月10日(木) 関西お好み道を目指す!

Meets2月号「お好み焼き特集」を眺めていると
ものの5秒もしないうちに唾液があふれてきて
ひもじい牛のようになるんすけど。

こういう雑誌には、まかり間違っても
「ぼてじゅう」とか「千房」とか
すっかりチェーン化してしまった「風月」など絶対でてこない。

街のすみっこの地元のおっちゃんおばちゃんが焼くお好み焼き。
関西3歳児の初の外食は98%がお好み焼きかどうかは統計が定かでないが
少なくとも私は毎週 自宅前の紺色ののれんのお好み焼き屋に通った。

考えてみれば、幼稚園児も、中学生も、コギャルも、おっさんも
おばあちゃんも、皆同じように入って来れる店って
すごくなかろーか。

あぁ作りたくなってきた。
あごスジをコンニャクと甘辛く炊こう。
天かすもいっぱいいれよう。
(でも「天かす下さい」と言っても誰もくれやしねぇ。揚げ玉だと。)
ねぎは万能ネギどっさり。
(味噌汁にも豆腐にも京ねぎ入れるのはやめてくれ。)
山芋は入れ過ぎないように。
豚玉は王道だけど、貝焼き(大貝)にしたら驚くほど旨いのよ。

じゅっじゅじゅぅううう。
仕上げはもちろん「ばらソース(^^)」
辛好き用のどろソースもお忘れなく。

青海苔と鰹粉はあなどってはいけない。
やたらマヨネーズとかからしとかトッピングするのは邪道だ。


これから のせ焼やたこ焼も極めたい所存です。
いつか焼き焼きパーティでもしましょうか。



2002年01月06日(日) 夜行バス珍道中(その4)

朝焼けの東京の街を眺めながら
いつのまにかうとうとしていた私達。

ふと、目をあけるとそこは銀世界。

というようなきれいな情景からはどうやら離れた「ごっつい吹雪」
雪は横から下から吹きあがってるし。

確か夢の超特急ひかり号はスーパーエクスプレスのはずなんだが
体感時速4キロ 正々堂々としてローカルラインな様子を呈している。
名古屋は屋根のあるホームの上も何十㎝も雪積もって。
山の中は水墨画のようで 見たいわ眠いわ眠いわ見たいわで
いつも以上にぼーっとしてました。

のろのろ運転ながらも完全にSTOPすることもなく
神戸の実家には昼過ぎに到着。

思い起こせば昨夜10時に自宅を出てから なんと長い旅だったでしょう。
ハプニングは後になれば笑えるもので、へろへろな珍道中を
母親に一生懸命説明する2人。
その話しを笑いながら聞く母。

母は、私達の為に神戸牛やら蟹やら用意してくれ
庶民派な我我にヒットしたのは神戸名物そばめしを
スジコン入りお好み焼き。

関西には京阪神Lマガジン社から出版されている「Meets」という
情報誌があるのだが、今月号は「関西お好み焼き」特集。即買い。

翌日は、バスで明石大橋渡って淡路島に行ったり
明石焼(ふわふわたこ焼きをダシで食べる)いっぱい食べたり
最後の日は 寒くて遠いので行き渋る私をダンナさんが父の墓参りに
ひっぱって行きました。

駅前から墓苑行きのバスは最終が朝10時 という信じられない
タイムテーブル。
仕方なくタクシーに乗ると その個人タクシーの運転手さんが
たまたま昔手伝ってた飲み屋のお客さんで
タクシー代500円まけてもらったりして。

いやーひさしぶりに墓参りするとそんな縁のめぐりあわせがあるのね。
とーちゃんも喜んでたのかしらね。

 

実は2月に関西で結婚式の司会をすることになってて
その打ち合わせを帰省にあわせてしたもんだから
ダンナさんとは2日遅れて東京へ帰宅。

すっかり怠けさせてもらいましてねー。
いやー、もうウチで家事するの やですねー。
そうこうしてるうちに 自分の仕事もまた忙しくなるんだねー。
あー、勉強も全然してないや。

そんなこんなで2002年のエンジンがかかりだすわけでした。



2002年01月05日(土) 夜行バス珍道中(その3)

真夜中の甲府ICで、これから東京に引き返すことを
運転手から申し渡されたその瞬間、
薄い室内灯の中で ガバと向き合い見つめあう2人。

以下目だけで喋る。
(と、とーきょー帰るって ゆーたよな?)
(うん。言った、言った)
時計を見せて
(今 1時やろー・・ほな東京に着くノン3時・・・)
指を3本立てて眉間にシワを寄せる。

そこで運転手の再なるアナウンス。
「今から戻りましても、電車がございませんので
ドライブインなどで待機しながら戻りまして、えー
始発まで車内で待機していただきます」

「あー、なおー、払い戻しをみどりの窓口で致しますが
本日のバスはすべて東京駅に戻りましてー えー
お急ぎのお客様は払い戻しは後日にされたほうが 
よ、よろしいかと・・・・」

運転手 もうしどろもどろ。

ということで、やはり戻ること決定は覆えりそうにないので
もそもそと鞄の底から こんなこともあろうかと用意しておいた
森永のダイジェスティブクラッカーを食べる。

ボリボリボリボリ・・・
ボリボリボリボリ・・・・・
あぁ 旨い。
マクビティも旨いが どうしてこう胚芽入りビスケットって
歯ごたえがサクサクで 旨くって・・・

いや 今はそれどこぢゃなかった。

かくして、甲府で1時間待機、談合坂で1時間待機 という無駄な時間を
過ごしてバスは2時間かけてきた道を4時間かけて帰った。
そうすることで東京駅前で長時間待機することを避けたと思われる。

バスの中の人は誰もごねたりしない。
日本人って 従順なのか 正月早々の不運に言葉を失っているのか
睡魔に襲われていて事の重大さに気づいていないのか。
その最後の例がぴったりあてはまるダンナさんはすっかりいびきタイムだ。
他の人達に迷惑がかからぬように、その度に鼻をつまむ私。

会社勤めの時から必携の「新幹線時刻表ポケットサイズ」を広げる。
始発は6時丁度ののぞみ。ひかりの始発は6時11分・・・その次は・・・
果たして正月3日の東京発の指定席なんてとれるのか。
最悪ダンナさんは家に帰ってもらって私だけ自由席で立って行こう。

いろいろな場合を想定し頭の中でシュミレーションしてみる。
そんなこんなで午前5時。
まだ真っ暗な東京八重洲口のバス降車場が見えてきた。

おおお!

前の晩 同じ場所から出発した「大阪行き」「京都行き」「和歌山行き」
などなどの大型バスが1号車、2号車・・・と続々と停車している。

やばい!
これだけの人間が一斉にみどりの窓口に並ぶのだ。
それ意外にも一般にチケットを取る人だっているだろう。

眠そうなダンナさんをせかして
バスの横腹に積み込んだ荷物をひっさげて走る。

同じような人々が八重洲口に溢れかえる。
ただ、その様子はひどく不思議だ。

これがスキーバスなら エアティックジャケットとかスキーウエアな若者一色
しかし、帰省客 観光客 観光済み客 
各種取り揃えておりますなバスからは
「ミッキーマウスの耳をつけている子供」
「東京ディズニーランドのあの青くでかいビニール製ショッピングバックを
両手に2つづつ持たされているお父さん」
「その袋を持つのに 顔の2倍はありそうなミッキーの手袋をつけているお母さん」
「訳あって夜中に都会を発った60代半ばのおっさん」
「着膨れているのかただのデブなのかわからない夫婦(私達)
「なぜだかやたらといる大学生風の外人」

そんな不思議な集団が 八重洲のあちこちに溢れかえっている。
さしづめ年末の活気を呈した黒門か築地市場 はたまたアメ横のようだ。

「とにかくみどりの窓口へ行こうぜ!」私はダンナさんを引っ張った。


中央口、すでに数百人は並んでいる。つか最後尾、どこ!?
あまりの人数に口が「あ」のまま戻らへん。

あかん、こんなん並んでたら明日になってもチケット買われへん。
口を「う」にして北口へ走る。
みどりの窓口はまだあいていないというのにここも人の列。
南口も同じ。

へろへろなダンナさんはおとなしく列に並んだほうがいいのでわ?と
提言してくるが、そんな効率の悪い方法 いやよっ!
と、わたしの身体が拒否する。

何の為に 私はずっと出張生活をしていたというのっ!
そう こんな時のために知識を持つためじゃなかったのっ!
諦めちゃだめ!だめよアナタっ!

何が何だかわからんが とにかくあたしの勢いにダンナさんは押される。

脳内パソコンが「パターンA」「パターンB」をはじきだす。
そしてイチかバチかで走った先は「普通の券売機」。

そこで入場券2枚を買う。
わたしたちが持っているのは昨晩の日付けのバス乗車券のみ。
正月なので手持ちのひかり号ビジネスきっぷも新幹線回数券も使えない。
このバス券を新幹線きっぷに交換するのは今は諦めたほうがいい。
払い戻しはいつだってできる。


とにかく改札の「中」へ入ろう!新幹線中央口へ行こう!
中央口に「本日分指定席」のみを扱う窓口が並んでいる。
改札の外のみど窓は長蛇の列だが、人数は減りこそすれそこも同じだろう。

わたしは少しでも並びの少ないみど窓を探すつもりはなかった。
「誰よりも早く『指定席』を取る!」

かくしてわたしが立った場所は、新幹線中央改札脇のシャッターの前。
みど窓があくのは午前5時半。このシャッターも同じ時間のはず。

数分後シャッターがのろのろと開き、
そこに燦然と輝く「新幹線指定席自動販売機」があらわれる。

どの窓口もあんなに人がいたのに、不思議とここは誰もいない。
入場券2枚をつっこみ、表示に従って「新神戸行き」「大人2枚」
「乗車券+指定席券」席があればどーでもいいが一応「喫煙」で検索。
画面をピ ピ ピ と押す。

数秒後、あっけなく始発のひかり指定席2枚を手に入れた。
数㍍横の「人間対応」の窓口には ずっらぁ~と人が並んでいる。

あまりのあっけなさにしばしぼーっとしてから
ダンナさんが「す・・・すごいよ。今日のはに~はぶらぼーだよ。
俺達は人生の勝者だね!」

どんどん興奮してくるわたしたち

「そうよ!ういあーざういなぁよ! ういあーざチャンピオンよ!」
と改札前でクイーンを歌い出す始末。
2人のフレディ・マーキュリーが身体をくねらせる。

新幹線の時間までまだ30分ほどの余裕。
もしあのまま並んでいたら昼過ぎて自分の順番がきたときには
指定席どころか乗車率200%のデッキで
お腹を空かせてラッシュアワー3時間半を経験するはめになっていただろう。

しつこく「俺達は人生の勝者だよー!」と叫ぶ。

だいだい、夜11時に東京を出て朝5時に東京へ戻ること自体
すでに人生の敗者であることなど気付かないほど興奮していた。

お弁当を食べながら、品川あたりから見た朝焼けの
それはそれは綺麗なことったら。

頂上に雪をかぶった富士山の その美しさといったら。

しばし言葉を忘れ二人で見入っていた。
自分達が 「41年ぶり豪雪の名古屋」へ近づいていることなど
すっかり忘れていた。

(まだつづいていいですか?)



2002年01月04日(金) 夜行バス珍道中(その2)

夜行バス初体験のダンナさんは、狭い座席に体を折り曲げながら
出発後間もなく暗闇になる車内で、とっとと寝ればえーのに
車内灯をつけて雑誌を読みふけっている。

夜行バス経験豊富なわたしは、とにかく寝るべしと
テレサテンのカラオケが流れる車内ヘッドフォンを着けながら
目を閉じる。時の流れに身をまかせってんだ。

午前1時頃、きっとバスは中央道のどこかでトイレ休憩するだろう。
ニコチン切れのダンナさんをその時車外へ出してあげねば。
ところが、停車も休憩のアナウンスも全くないのが常である。
静かにバスは止まり、10分後静かに出発する。

寝ている人への配慮らしいが、ちゃんとアナウンスしてくれよ、と
いつも思う。
でなきゃ いつトイレにいけるのかと不安になるぢゃねーか。
わたしは、運転手の動きで「外に出ていい時」を察知する術を駆使する。

バスの中にもトイレはあるのだが、やはり狭い空間から解放されたい。
そして、休憩後、間もなく出発するはずのバスが




動かない。



あれ?
そう思っていたら、珍しく車内アナウンスが。



「関ヶ原付近、雪の為 高速道路すべて通行止めとなりました。
これから 東京に引き返します。」







え?


ここは山梨甲府IC。
時間は午前1時。



つづく







2002年01月03日(木) 夜行バス珍道中(その1)

さて、この間のこの日記「目口覚書」をしたためて
その夜22時、荷造りをして自宅を出発。

1時間後に新宿新南口からでる神戸行きの
ニュードリーム号に乗る為だ。

外は尋常でない寒さ。
その寒さで、正月2日の夜 名古屋地方が豪雪
40年以上ぶりの大豪雪などとは 大して問題にもせず
ぶるぶるふるえながらバスターミナルへ向ったのです。

その後 私達を待つ 悲惨な出来事などへ配慮もせず。

ただ、去年の1月 部屋探しの為 深夜バスで関西を発ったところ
大雪で朝になっても昼になっても まだ


「長野県」にいた。

その教訓があるので とりあえずバッグの中には
必要以上の飲み物と、クッキーとチョコはしのばせていたのです。

つづく



2002年01月02日(水) 正しい正月の過ごし方

わたしは食が遅い。
ダンナ実家での私は いつまでも黒豆とごまめを箸でいじくりながら
右目でTVを、左目でビールの位置を確認しつつ どったーんと座る。
・・・予定だった。

年末から
10人の大人と一匹の猫と
1歳半の快児が入り乱れるダンナ実家。
さながら通勤電車並みの混雑で茶の間は 3夜連続鉄火場と化す。
つまみ終わったお節料理はさっさと片付けられ
花札とトランプとダイヤモンドゲームと
100円玉と記録用紙が散らばる。

え?
もう食べないの?もう片付けちゃうの?
ばくちなんかしとーない!
せめてハムはわたしの前に!あぁ!ギブミーサラミ!
敗戦國日本の口惜しさよ。

食いかけのレンコンを口に押しこみ
飲みかけのビールをグラスごと流しへ捨てる(T_T)

「座ってていいのよ~」って言われても
はいそうですかという図太さはまだ発芽前。
常に着用しているエプロンの紐を閉め直し 
洗い場のおばちゃんへへーんしん!

寒さで腰は痛く、手はガサガサ、睡眠不足で目は真っ赤
元旦もそうして日付け変更線をまたいでゆくのです。

でもこれが主婦のあたり前の正月の姿なのだとしたら
私は生誕○十○年にして 
古式ゆかしい正しい日本の正月を過ごしているのやも。

寒寒の帰路では 博打三昧の正月にすっかりご機嫌のダンナさん。
その間三時間寒い台所にいた冷え性気味のすっかり不機嫌な奥さん。

足は痛い、腰は痛い、風邪治りかけで喉は痛い
荒れて手指は痛い
痛い痛い痛ーーーーーーーーーいの連発

すごい空腹に気付きセブンイレブンで肉まんとピザまん購入。
帰宅後フードファイトのスピードで一気食いするわたし。
「なんで正月にわたしはひもじいねん!」
「なんで好きなだけ酒のまれへんねん!」
「なんでポストは赤いねん!」

ほんまは口にすべきでない愚痴も
聴いてくれる相手のお陰で全部吐き出す。
そしてわたしの頑張りを(腹の中ではどう思ってるかは別としても)
よくやったと誉めてくれる。

そしてご機嫌モードに戻った私は
布団の中のダンナさんの左手に
すぽんと沈み込み正月初日を終えるのであった。


今朝、ダンナさんはまた実家へと赴き近所の銭湯へ初風呂出陣。
わたしは腰の痛みにダウン気味で
上はトレーナー、下はパジャマのずぼんのまま
洗濯、布団干し、帰省準備。

貰って帰ってきたお節をつまみ、
自分で好き勝手にお餅の磯辺焼を食べ
宝塚歌劇の「PUCK」のビデオを観る。

涼風真世、天海祐希、真織由希の歌声にうっとり。
あぁ ひとりの正月ってすばらしい。
好きにいきるってすばらしい。
いつでも横になれるってすばらしい。


今からのんびり荒川土手にお散歩へ行って来まーす(^^)



2002年01月01日(火) 新年あけましておめでとうございます。

年末宝くじ当選番号
1等二億 29組134687
2等一億 40組123558
     ・
     ・ 
     ・
     ・
7等300円 各組共通 2

お陰様で無事7等を当てることができました。
とても平穏に現実を受け止める所存です。

31日から、ダンナ実家の台所に立ちつつ、特にことれといって
たいしたことはできもしないのに、気ぃばっかつかってへろへろ。

年越しソバ食ってからは夜中の3時までひたすら飲みつづけ
新年二日酔い明け。おめでとう。

今朝は今朝とて午前中に起きて
ダンナ一族でタクシー2台分乗して初詣。
その後実家でお雑煮、お節の準備。

いやーダンナ姉が何でもできる人でよかったよー。
あたしの並べたお重の煮物、あとでこっそり並べ直してくれてたし。
ダンナ姉っってもあたしの弟と同い年で
むこうも言いつけにくいだろうしな。
オバ妹は頑張った割りに結果にでてませんでしたよ。はは。

今までのわたしの人生
「お節はすでに作ってあるものを食べる。片付けはしない」
「初詣なんて絶対に行かない。ひたすら食って寝る」
これでしたので 今後の正月人生が青天霹靂天地無用ノ如く
変化するであろうことをようやく飲みこめました。

いやー、田舎の里帰り家族を持つ長男の嫁って きっと
正月はストレスたまりまくりでしょうね。
皆さんお嫁さんはいたわりましょう。

そんなこんなで のんべんだらだら楽しい正月を過ごしましょう。


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