らんこのホンネ
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2002年05月12日(日) 母の日

今日は母の日。
感謝って中々言葉にできないけど・・・


昨日、母親から電話があった。
赤いカーネーションが届いたみたい。
親元を離れてから毎年送っている。
離れてみて初めてわかる親のあたたかさ。
多分一緒にいるときは思わなかった。
一度も。
共働きの家庭で、姉とは年が離れている私は、
いわゆる「鍵っ子」だった。
(今では言わない言葉だけど)
小学校のとき真っ直ぐ家に帰っても誰もいなかった。
いつも外で遊んでいたから関係無かったのかもしれないが、
それでも土曜日の集団下校のときは誰のいない家に
帰らなければならなくて淋しかった。
夕飯の時間には家族全員で食べていたけど、
積極的な姉がいつも話していて
私は一人もくもくと箸を動かしていた。
物心ついてからはそんな淋しさも感じなくなり、
バイトにあけくれていた。
そして、話下手な私はいつも自分の気持ちを
上手く伝えることができなくて怒られてばかりだった。
「私は絶対お母さんみたいな母親にはならない」
厳しいことばかり言われていたから、
そんな言葉を姉に言ったこともある。
そんなとき姉は
「そんなことお母さんには言うんじゃないよ。お母さん泣くよ」
と思いきり言われ、
自分の気持ちをわかってもらえないもどかしさと
そんなことを思ってしまう自分に腹を立てていた。
高校を卒業するときに
「東京へ行きたい」
と両親に話したが反対され、しぶしぶ地元の専門学校へ進学。
二十歳になり、もう一度交渉。
念願の上京を果たした。

あれからもう数年。
今では帰省のたびに母の相談相手になっている。
そして、尊敬するひとは?と聞かれれば迷わずに
「両親です(特に母)」
と答えるだろう。

数え切れないくらい心配をかけたし、
数え切れないくらい迷惑もかけた。
それでも「早く幸せになるんだよ」
と言ってくれ、泣きながら話す私を勇気つけてくれる。
弱気になった私に背中を押してくれる。

今までたった一度だけ母が私の前で泣いたことがある。
それは、母が営んでいた美容院を閉める時。
その日私は仕事のあと、駅から公衆電話で実家に連絡をいれた。
「お母さん、お疲れさま。」
その一言が言いたくて・・・
電話越しに母が泣いていて私も人目を気にせず泣いていた。

いつかは私も母親になる時がくる。
その時になってやっと母の気持ちが理解できるのかもしれない。


いつまでも心配ばかりかけていてゴメン。
そしてありがとう。
私はお母さんの娘に生まれて幸せです。



2002年05月03日(金) またメール書いちゃった

返信がきたのが嬉しくてまたメール送ってしまった。
今度こそ返信はないだろう…

今に満足していないから過去がいい想い出になり美しく輝いているのだろう。
そう分かっているのに未だに引きずっている私。
なさけない…やっぱりダメダメだわ……



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