日記でもなく、手紙でもなく
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2006年11月17日(金) |
YouTubeとロシオ・フラード |
Broadcast Yourself、ビデオをアップロードし、それを不特定多数の人々に見てもらうサイトであり、またそのようなビデオを見るサイト、YouTube。
米国のケーブルTVには、その昔、自分を売り込むようなビデオを流せるTV局があったりもした。かなり怪しい映像が流れたこともあると聞く。 しかし、その放送日時にそれを見る、あるいはそれを録画してみることなど、なかなか考えにくかったところもあるし、あまり見られているとも思えなかった。
ところがデジタル化時代、ネットではキーワードを設定することにより、見たい人がそのビデオを見ることができる機会は一挙に増大する。YouTubeというのは、そういうものかと思っていたら、日本のTV局制作のビデオが、ここにアップロードされ、国内では大きな問題になったことは記憶に新しい。 自分が制作したものだけではなく、人さまが制作したビデオが結構アップロードされているのだ。
時間的に短いものでは数十秒から長いものでもせいぜい10分程度の内容。これが現存のTV局を脅かしているという記事なども登場する。 もう一方では、コンテンツの権利保有者が、YouTubeのメディアとしての力をを借りる、短いビデオ・クリップを意図的にアップロードする、などという使われ方も始まった。
しかし、いったいこのYouTube、何が面白いのか? 私自身、ごく最近まで全くそれがわからなかった。
米国同時多発テロで、マンハッタン南端にある世界貿易センタービルに(旧来とは別のアングルなどから)ジェットが飛び込むシーンを撮ったビデオ、ビルが崩壊するシーンのビデオなどが新たに追加され、それを見て凄いとは思ってみても、それ以上の感慨はあまりなかった。
それが、今何となく感じることが一つだけある。
たまたま、音楽関係の掲示板の管理をしていて、今までだと、国内ではあまり知られていない、しかし現地では有名な歌手などの場合は、現地語のHPのURLを紹介するようなこともした。そのようなページにアクセスするとバックグラウンドでその音楽が聴けたり、あるいはボタンをクリックすると、試聴ができるようにされていたりする場合も多い。 他にも、CD通販サイトの当該CDのリンク先のページを記載することなども、良く用いた方法の一つ。CDの一部の曲や全曲について、30秒程度試し聞きができるようになっている場合も多いため、それを試聴してもらうことで、その歌手や演奏の雰囲気をつかむこともできる。
それでも、ヨーロッパや中南米の歌手などについては、その程度の情報では、今ひとつつかみきれない恨みが残ったのも事実。英語圏のCD通販サイトでは、そのようなアーチストのCDが検索しても出てこなかったり、出てきたとしても試聴できないことも多かった。
ところが、YouTubeには、現地で有名な歌手などの場合は、そのアーチストの現地ファンなどが、ビデオをアップロードしていることも結構多くなってくる。 アーチスト名さえわかれば、検索してみるだけで、あるかないかはすぐわかる。特に、ラテン系歌手の場合、(ビデオが出てこない場合は、一つも出てこない場合もあるが)現役で活躍している人、既に他界した大御所歌手など、出てくること出てくること。 たまたま知り得て関心を持ったラテン系歌手や演奏者のビデオというのは、日本ではそれを見る(見られる)機会がほとんどないだけに、まさにありがたい限り。つい時間を忘れて見てしまっている自分がそこにいる。
そして、世界の音楽が、今まで以上に、また一層身近になった。そう、思う。
著作権については、現時点ではまだ付き纏う問題の一つだが、CDが全曲、あるコンサートが全部聴けるとかという話ではない。ある番組の中の数分間、一曲分がアップロードされているだけでも、圧倒的な情報量をもつのがビデオでもある。しかも、それはアーカイブにあたるビデオでもある。1年前とか2年前のものではなく、20年、30年前のものになってくると、そのアーチストの若い頃の映像と音までも、捉えることができる。
実は、このことを、先ごろ他界したスペインの大歌手ロシオ・フラードのビデオを見て、身に沁みて感じることができた。 スペインのポピュラー音楽界の中でも大御所の中の大御所。日本で言えば美空ひばりクラスの歌手といえばわかりやすいかもしれないが、実際には、スペイン語圏という空間的にはより広範囲のエリアで知られていたことを考えると、美空ひばりなどはその足元に及ばない。むしろ、(日本人には今ひとつピンとこないかもしれないが)中国語圏のテレサ・テンに近いかもしれない。 そのような歌手ではあっても、日本では本当に情報が少ない。バルセロナ・オリンピックの開会式に登場し歌を歌った人ではあるが、あのおばさん誰だろうと思った人はまだしも、そんなことすら気づかずにいた人も多いのではないか。
私自身がフラードのことを知ったのは80年代の後半。マニュエル・アレハンドロの作品を歌っている歌手として、しかもフラードしか出せない歌の雰囲気をもった歌手としてLPを探し、CDを探し出しては聞いていた。 若い時は、フラメンコを歌っていたことを知り、彼女の声/発声のベースは理解していたつもりだった。 しかし、YouTubeで彼女のずっと若い頃のビデオを見て、その踊りを含み、フラメンコがもっと彼女の体にしみこんでいることが、1本数分の映像を見るだけでわかってしまう。 よく考えてみれば、そんなことは当たり前のことかもしれないのだが、異なる文化圏の中にいて、音だけを聞いているだけでは、彼女の踊りのことまでは、ほとんど理解できていなかったと思う。
フラードがそうであれば、イサベル・パントーハだって、たぶんそうなのだろうな、歌手であっても、フラメンコくらいサラリと踊ってしまうのだろうな、と。
かつて、ブラジルの大歌手、晩年のエリゼッチ・カルドーゾの日本公演のステージを見たとき、本当にいい歳をしていても、ヒールの高い靴を履き、サンバのステップを踏んでいた彼女のことがふと思い出されてきた。
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