日記でもなく、手紙でもなく
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2002年12月31日(火) 宇治橋商店街の店に置かれていた抹茶アンパン

 少し遅めにホテルの朝食をとり、JRで宇治まで。よく晴れ上がった京都の大晦日。
 昔からの茶の卸店が目に付く(しかも、小売いたしますと書かれた看板のあるみせを見ながら)宇治橋商店街を平等院のほうへ行く途中、左手にラ・セールというパン屋があった。

 決して新しい店ではないので、以前来たときには見過ごしていたようだ。
 その店のガラス張りのウインドウに、<抹茶アンパン>と書かれていた。
 ホテルの朝食はバイキング形式だったので、かなりたっぷりと食べたのだが、このアンパンは、今回食べてみようという気になって店に入った。

 銀座木村屋のアンパンほど小ぶりではなく、大きさとしては、コンビニで売られているようなサイズ。しかし、その抹茶アンパンを持ち上げてみると、ずっしりと重い。これは、かなり餡の量が多いということだ。

 平等院の入り口を右に見過ごして、宇治川のほとりに縁台のようなベンチが置かれているので、そこで缶コーヒーとともに抹茶アンパンを食べてみる。
 抹茶の味がしっかりと感じられる餡が、これでもか、とばかりに入っている。
 一つ食べると、堪能する。

 宇治川に多くの水鳥が戯れている。
 朱に塗られた橋の欄干から、子供がパンの切れ端を投げると、そこをめがけて鳥たちが乱舞する。

 この宇治の風景も、嵐山とともに、ちょっとちまちまとしてはいるが、いかにも京都的な柔らかさを持った、そしてほかの場所では、あまり見られない美しい風景だ。
 陽だまりの中で、水鳥が飛び交うさまをぼんやりと見ていると、1時間という時間が、本当にゆっくりと流れていく。
 


2002年12月30日(月) ホテルフジタ京都


 昨日午後6時過ぎにチェックイン。鴨川にかかる二条の橋の西端に川沿いにある築30年のホテル。
 
 今朝起きて3Fにある部屋の窓を開けると、早朝の空気の冷たさと暖かい陽の光が、同時に室内に流れ込む。良く晴れ上がり、東山を背景にして、鴨川の流れが光を反射して美しい。
 川面に水鳥が遊び、白鷺も二羽すぐ目の前で餌を探していた。

 京都らしい朝を感じさせてくれる風景のあるこのホテル、少し古びてきてはいるものの、心にお土産を残してくれるという意味では、やはり一流のホテルなのかもしれない、そんなことを思わせる。


2002年12月29日(日) 雪の舞う兼六園

 初めて金沢に来たのは、会社に入って2年目の2月か3月初旬だった。
 時間を見つけて兼六園を見に来た記憶がある。
 梅園の梅のつぼみがかなりふくらんでいたのだが、晴れていたのに急に雲が出て、時々小雪がちらついてきた。

 富山から金沢までは特急で40分弱。10時過ぎには兼六園に着いたのだが、年末とはいえ、団体観光客もかなり多い。やはり金沢と<蟹>を味わうといった感じのツアーは、人気があるのだろうと一人合点してしまう。

 ぽつぽつと降っていた雨が、いつしか雪に変わると、ぐんと冷え込んでくる。これが北陸なのだという実感。

 以前来た時の記憶を頼りに園内を回っていると、当時気が付かなかった、年輪を重ね蛸の脚のように広がった松に目を見張ってしまう。
 しかし、さすがに寒い。

 園内にある抹茶とお菓子をいただける店の中に入ると、ストーブの暖かさでやっとこわばった顔がゆるんでくる。


2002年12月28日(土) 富山まで

 南関東はよく晴れた日で、新幹線の中は少し暑い感じも。私の隣の席には、幼稚園くらいの女の子とそのお母さん。座席前のパンフレットで、新潟までのコースを確認していました。

 熊谷を過ぎ、上越新幹線の長いトンネルを抜けたと思ったら、雪に覆われた越後湯沢の駅に到着します。ここまで約1時間ですから、乗ったという感覚は希薄です。
 ホームに出ると、さすがに晴れていても空気が一段冷たく感じられます。

 在来線特急に乗り換えて、次の十日町まで白銀の世界。考えてみると、このようなコースで北陸まで行くのは初めてのことです。
 仕事で以前富山へ行った時は、1回は往復とも空路でしたし、もう一度は復路列車で戻ってきたものの、新幹線がまだ開通していなかった頃でした。夏の頃だったと思います。ずいぶん時間をかけて乗り、大宮へやっと着いた、という感覚があったようです。

 車窓右手に日本海が見え隠れし始めると、空模様が怪しくなり始めました。冬の日本海側で、よく見られるようなどんよりとした光景。
 2時間で富山着。
 私には、富山駅前の記憶がほとんどなかったことを再確認しました。


2002年12月27日(金) オンステージ・ヤマノ3月に開店

 池袋パルコ内の山野楽器が1月末で閉店してしまうのだが、前にも書いた通り、もともとオンステージ・ヤマノと、国内盤をメインに扱っていた山野楽器がいっしょになったような店だった。
 今日池袋山野に寄ると、確かに山野楽器は閉店してしまうのだが、3月初旬にオンステージ・ヤマノがリニューアル・オープンするという表示も出ていた。昔の話からすると、結局山野楽器が撤退して、オンステージ・ヤマノだけが残る、という構図になる。

 やれやれ。

 確かに池袋山野で、国内盤を買うこともなくはなかったが、大半は輸入盤だった。オンステージ・ヤマノのほうだけなくなってしまうのなら、探して見つけるという楽しみそのものがなくなり、ガックリしてしまうが、オンステージが生き延びるのであれば、その楽しみの大半は残される。

 ***

 明日から、年末年始休暇で9連休。
 考えてみれば、9日連続して休みを取るというのは、会社に入って以来初めてのこと。もちろん、海外出張で26日ほど会社に行かなかったことはあるが、土・日なども移動で動いていたり、打ち合わせなどで時間が取られていたことを考えると、一番長い休みになる。
 ちょっとさびしい気もするが。


2002年12月25日(水) 池袋山野楽器閉店?

 某オールディーズ・ファンの掲示板に、池袋パルコにある山野楽器が閉店になるという投稿が出て、さらにそれについて、残念!というようなレスが付けられていた。
 毎週一度は覗いてみているCD店だけに、しかも、先週行った折にも、閉店などという表示も見なかったし...

 この店のポピュラー系輸入盤の品揃えというのは、大型外資系CD店と比べても、一味も二味も違うところがあって、なかなか面白かったのに、閉店の話が事実だとすると本当に残念だ。
 ちなみに、山野楽器のサイトを見に行ったら、福岡イムズ店が2003年1月19日をもって閉店するということは出ているが、まだ池袋パルコ店閉店の案内は掲出されていなかった。
 12/26から閉店セールを行う、という話も当然まだ出ていなかった。

 急に決まった話なのだろうか?

 もともと、池袋の輸入盤の品揃えの面白さというのは、オン・ステージ・ヤマノという、輸入盤だけを扱っていた店の面白さがベースになっている。パルコの中の僅かなスペースに、かなりの点数を押し込み、独自の分類がなされていたことを、今でも記憶している。
 LPの時代からCDになって、このオン・ステージ・ヤマノを、1〜2ヶ月に1回は覗いて見ることになった。
 それだけ、小さいスペースでアイテム数が置けるようになったということがある。

 当時、パルコ内に国内盤を扱う山野楽器が別にあり、その後、クラシック輸入盤の別の店などもできたと思っていたら、大改装後これら3店が一緒になって、現在の池袋山野楽器になっている。

 たぶん、大きく広くなってしまって、スペース効率が悪くなってしまったところもあるのだろう。しかし、だからと言って昔のような小店舗に一部戻したとしても、CDを買う人も減っていたり、あるいはネット販売のほうに客が流れていたりして、なかなか売上も上がらないようになってきた感じがしないでもない。

 品揃えの特徴として、輸入の60年〜70年代を中心にしたヒット曲のコーナーや、イージーリスニング、セット/Box商品、ラウンジ系、かつてのエレキギターによるインストもの、ソフト・ロック系ヴォーカル・グループなど、独自のカテゴリー設定と、そのセレクションがされていて、見ているだけでも面白かった。
 こういう店が本当に今少なくなってきているだけに、閉店してしまうとなると、本当に惜しい気がしてくる。


2002年12月20日(金) クリスマス目前

 今年のクリスマスは、カレンダー上では決して曜日的には良くないようだ。3連休明けの火曜日がクリスマス・イヴというのは、どうも興ざめしてしまう。
 ただこの週末の金曜日は、人出が多いような気がしないでもない。デパートや商業ビルでは、例年のようにクリスマスの飾り付けや、凝ったライティングなどで、普段より明るく感じたりもする。

 銀座では、一丁目で現金輸送車が襲われ、7500万円が強奪されたというニュースが、午後ネットで流れていた。銀座というのは、この手のニュースが一番少なかったはずのエリアなのだが、まんまと裏をかかれたような感じもする。3連休前、人出の多い白昼、しかも銀座、というので、まさかそこで現金輸送車が襲われるという事態をどの程度予測していただろうか。

 夜8時少し前に、銀座四丁目交差点から数寄屋橋へ歩いていった。
 そんな現金強奪の話などはよそごとのように賑わっている。

 ちょうど交差点で東芝ビルのほうへ斜めに渡ろうと信号を待っている時、ソニー・ビルのコーナーに大きなクリスマス・ツリーが置かれていて、飾り付けのライトが人目を引いた。
 ツリーの左側壁面には、大きな<5>の文字。今年のトップ5ニュースとか、人気ベスト5の商品でも募集しているのか、などとあらぬことを考えてしまう。
 しかし、よくよく見たら、ツリーの一番上に2つの<C>をそれぞれ逆方向に重ねたロゴ・マークが輝いている。


2002年12月18日(水) 年賀状


 12月に入って、10日を過ぎる頃になると、さて今年の年賀状はどうしようか、といつも考えることになる。

 昨年は喪中ということもあって、形式的に何も考えることはなかったのだが、今年も、そろそろ年賀状を考えておかないと、間に合わない時期にさしかかってきた。一昨年とかその前の年は、ネットで発注する、というのをやってみたのだが、結構便利だった。
 ただ、発注して翌日アップというところまでは、なかなか難しいようで、少なくとも中3〜4日、一番最初の頃だと10日ほど見ておく必要があった。

 どこでもさほど値段的な違いがないのなら、できるだけ早く刷り上るようなところはないか探してみたら、発注して翌日アップするというところがあった。
 デザイン的にも、少し面白いのがあったし、文章はいくつかある文案を選んでもよいし、100字ほどで自由に書くこともできる。

 支払いも、店へ取りに行った時に払うという方法が用意されているので、迷わずそこにしてしまう。秋葉原にある店なので、食事時にでも行って帰ってくるというようなこともできる。

 実は月曜日に発注して、今日午後に取りに行きたいということを書き込んで発注していた。
 秋葉原駅から昭和通りのほうへ出て、少し歩いたところ。
 HPに記載されていた地図だと、3分くらいで行けそうな雰囲気だったが、地図が少し省略されていて、実際には7分はかかるところだった。

 それでも、年賀状が翌日印刷されてできあがる、というのは本当にありがたい。

 実際に宛名を書くのは、来週末にとりあえず20名ほど、後は1月に入ってから、というのがここ4〜5年のパターンになってきている。
 


2002年12月16日(月) ダニエル・ラドクリフ君

 映画ハリー・ポッターの主演である、13歳のダニエル・ラドクリフ君が15日に初来日。
 なんと、女子中・高生3000人近くが、成田の到着ロビーに詰めかけたという記事を今日読むことになった。

 ディカプリオの来日時でも500人だったということだから、いかに凄まじい雰囲気であったかが想像できる数だ。同時に、現代のアイドルになっているということだろう。
 やはり、これくらいの人数が、簡単に動員できる人物というのは、他にもいるのだろうか、などともふと思ったり。

 12月にしては、夜も暖かい日になった。


2002年12月12日(木) 金沢通過

 金沢で会おうかと思っていた人がいたのだが、こちらが組んでいた日程だと、無理だということが判明。
 その日なら仕事で富山にいるという。

 で、金沢のホテル(繁華街の香林坊に近くて、結構安くで取れたと思ったのだが)をキャンセルして、富山駅に近いホテルを取り直す。ここも富山では定評のあるホテルらしいが、ネットでは大変お得な価格設定になっていた。京都で1泊する値段のほぼ半額。


2002年12月10日(火) 年末の旅行計画

 年末は金沢・京都へ行くことになりそうで、既に28日東京発の切符を何とか確保した。
 ホテルのほうは、インターネットで前からこの時期は比較的空いているのを確認済みで、昨日段階で予約を入れた。
 
 ただ、京都で2泊し、1泊ずつ違ったホテルを予約したのだが、考えてみれば一つのほうは、場所と2食込みというのにだけ惹かれて予約を入れていたことに後で気が付いた。
 ネットの良いところは、宿泊客の評価が書き込まれているところで、そこを読んで、ちょっと気が殺がれてしまった書き込みがいくつかあった。

 食事はついていないので少し割高にはなるが、場所的にはそこに近いところに変更。しかし、年末の京都のホテルは比較的良いところが結構安くで泊まれることを再度認識してしまう。
 もちろん、大晦日だけは毎年のことながら全く別。かなり埋まってしまうのも、また少し不思議なところ。


2002年12月09日(月) 雪の日


 昨日の夜、渋谷に少し遅くまでいて、近くの駅に着いたのが深夜12時を回っていた。帰り渋谷はかなり冷たい雨。
 駅からタクシーに乗って、フロントガラスの雨粒を見ていたら、どうも霙のようだ。寒いはずだ。
 深夜、雪に変わり始めていた。

 月曜の朝というのは、毎週の事ながら結構つらい。目覚ましのラジオの音でなんとか布団から這い出るが、ことのほか寒い。
 障子を開けて見ると、ガラス戸の外は、かなりの雪。
 ベランダにも、ベランダの手摺、屋根などにも、水気の多そうな雪がうずたかく積もって、時々バサッという音を立てて落ちてくる。
 4〜5センチの積雪。見ているだけでも寒いし、しかもかなりの勢いでまだ降り続いている。

 バスにはすぐ乗れたものの、駅まで通常の2倍近い時間がかかり、乗った電車は上野の手前で2回ほど停車してしまった。電車のほうも2倍強の時間がかかり、結局会社まで2時間10分もかかってしまう。
 東京から名古屋まで行ける時間よりも、少し余分にかかっている。
 疲れ果てる。

 東京の12月の積雪は、11年前にあったという。12月に積もるというのは、本当に珍しい。

 雪が残って、翌日凍りつくというのが一番タチが悪いのだが、家に戻る頃には、ほとんど溶けてしまった。
 深夜になっても、屋根などに残った雪が、徐々に解けている感じがする。


2002年12月07日(土) ジャクリーヌ・フランソワの3枚組CD登場

 フランス往年の歌手のCD化再発もかなり進行してはいるが、それでも1940年代から60年代にかけて活躍した人で、数多くの録音を特定のレーベルに残しているものの、そのレーベルからは、せいぜいベスト盤が一枚程度しか出ていないような人がまだ結構いる。男性歌手だと、マルセル・アモンなんかは、一曲だけ入っているというような編集盤はありそうなのだが、アモン一人のベスト盤一枚すらまだ店頭で見かけたことがない。
 女性歌手では、フィリップスにかなりの録音を残し、当時かなり人気のあった人でもあるジャクリーヌ・フランソワなどもその典型。ユニバーサルの前身であるPolyGramから、当時のフィリップスに残した20曲程度が入ったベスト盤が一枚出たきりだった。

 高田馬場にある、イタリア/フランス盤をコアに輸入販売をしている店のF氏と、フランソワがなかなか出てこない――というような話を、既に何度もしていたようなこともあった。フランソワの場合、録音された年代が40〜60年代あたり(最盛期が40〜50年代)で、グレコなどよりも、少し前に活躍した人だったと思うので、ひょっとしたら、デジタル化が結構難しい部分があるのだろうか、残っているテープの録音の質が低下して、リマスタリングに難儀しているのか、などという憶測などをとばしていたこともあった。

 しかし、待っていた甲斐があって、とうとう3枚組CDセットが登場したという電話をもらったのが金曜日のこと。
 ジャクリーヌ・フランソワ、大歌手ピアフなどと比べると、かなり甘口の部類に入るといえば入る。しかし、彼女の歌の上手さ、声のやわらかさ、いわゆる<シャンソン>をオーソドックスに歌いこなし、それがどれも見事な人で、なかなかそういう人はいそうでいない。

 同じフィリップス・レーベルだと、シャンソン女性歌手だと、すぐ思いつくのはジュリエット・グレコで、この人の録音は(単発でも)かなり出たし、Boxセットも出た。ただこの人の場合は、以前にも書いたことがあるかもしれないが、スタジオ録音よりも圧倒的にライブが良いだけに、レコードやCDで聴く気にはなかなかなれないところもある。
 他には、比較的上手い人で、コラ・ヴォケールなども出ているが、ちょっと地味。ダリダはシャンソンというよりポップスという感じだし、バルバラも良いが、好き嫌い分かれるし、イヴェット・ジローも出てこない。
 リーヌ・ルノーあたりだと、確かにフランソワあたりと曲目が重なり、雰囲気もちょっと似たところはあるが、それでも声そのものの魅力は、フランソワには及ばない。

 嫌味がなくて、聴くほどに味もあり、シャンソンというカテゴリーだけではなく、女性ヴォーカル・ファンや、ポップス全般に関心のある人にも本当にお薦めできる――という人が、このジャクリーヌ・フランソワだ。特に、フランソワの曲で一番有名なのが<パリのお嬢さん>というパリ・ワルツの曲。聞けば知らない人は少ない曲の一つであるし、やはりシャンソンの名曲に入ると思う。アコルデオンの演奏だけでも、この曲からフランスやパリを思い浮かべてしまう人も多いのではないか。

 かつて米国でも、この人の盤はLP時代にかなり出ていた。そろそろ10年ほど前になるが、米国の50年代〜60年代のアルバムを扱っている中古店で、フランソワの盤を10種類くらい見た記憶がある。欲しかったものの、欲しい盤で傷の少ない盤は結構高かったし、ちょっと安いと思うと、結構傷が入っていて、買うのに逡巡してしまい、結局その店で1枚だけ米国盤のフランソワを買った記憶が残っている。

 日本では、ちょうどCDが登場してくる頃でも、LPのベスト盤が1枚だけ出ていたように思う。(なお、1958年、1967年、1971年、1980年に来日コンサートが開催されている。)
 それくらいの人であるにもかかわらず、ネットでこの歌手のことを検索しても、(CDに1〜2曲入っている盤のことは出てきても)、歌手本人についての情報が、極めて少ないことにも少し驚いてしまう。

 早速その3枚組を入手し、一番古い時代の録音が収められている盤を聴いてみる。
 実際に聞いてみると、音質が悪いというようなことはさらさらなく、この人の良さがよく伝わってくる。今まで時間をかけたか、技術レベルが上がるのを待って出してきただけあって、マスタリングのレベルもかなり良いのではないかと思われる。
 全部でCD3枚に70曲が入っており、とりあえずこれだけ聴けると、それなりに満足度も高くなってくる。今年出てきたCDの中でも、特にオススメできるベスト5に入りそうだ。


2002年12月06日(金) 都心再開発:六本木ヒルズ

 汐留地区の再開発は、居住エリアとオフィスが中心になり、それに店舗や四季劇場などが付加される感じではあるが、来年春に竣工する、森ビルによる六本木ヒルズの場合は、アミューズメント性がかなり強くなりそうだ。
 地上54階建て、店舗数が200強ということで、映画館としてヴァージン・シネマズJapanによる9つのスクリーンにレストランを併設したシネマ・コンプレックス(しかも、連日深夜営業を行うらしい)を核として、複数あるカフェなども、朝7時から翌早朝5時までは、どこかがオープンしている、ほとんど眠らない超高層ビルとなる――という記事が日経に出ていた。

 最近、昔と比べると六本木の街のパワーが落ちてきているような印象を受ける。むしろ溜池界隈とか、駅ができて休日の賑わいすら出てきた麻布十番などに、その重心が分散させられてしまったようなところもある。
 この六本木ヒルズによって、六本木の起死回生となるかどうか、ということだけではなく、このビル以外に周辺部の店が恩恵を受けるかどうか、回遊性がつくれるかどうかなど、いくつかチェックされるべきポイントがありそうだ。

 新たに進行する都心の再開発であるが、都心部のオフィスも、2003年中に東京ドーム48個分の227万平方メートル分が新たに供給されるという。この供給量、おそらく需要をかなり上回るものに違いない。それでなくても、古いビルの空きが、既にあちこちで目立っている。
 賃貸料が安くなれば、利益の出にくくなった企業にとっては、それはそれでありがたいことではあるが、やはりもっと考えなくてはならないのは、新しい顧客をどのように創造するか、ということに尽きる。
 カジノ作りは最後の切り札として残しておくとしても、核となるリピート性の高い装置を、都心にもってくるわけにはいかないのだろうか、などとついつい考えてしまう。

 毎年毎年、ある期間だけでも、世界から多くの人々が「更に」集まってくるような文化性の高いイベントの開発なども、もう少し本気になって考えられてもよさそうな気がしないでもない。
 世界都市と名乗る東京であるのなら、もう一度そのあたりのことをまともに考えておかないと、新たに再開発されたエリアに、以前は東京の別のところにいた客が流れていくだけで終わってしまい、決して東京のGDPを増加させるということにならない。客の取り合いというのは、東京の場合もっとグローバルな視点でやって欲しいものだ。
 そうでなければ、ヘタをすると上海や広州あたりにそのうち負けてしまうかもしれない。


2002年12月03日(火) イタリア風サンドウィッチ<ヴィア・クアドローノ>


 汐留の高層ビルもかなり立ち並び、既に電通ビルの飲食店を中心とした50店舗強の商業施設である<カレッタ汐留>も、12月1日にオープンしたばかりだ。

 このカレッタ汐留の中に、NYに店を構える手作りサンドウィッチ店である<ヴィア・クアドローノ>が初出店したという記事が、今朝の日経に出ていた。イタリア風サンドウィッチ「パニーニ」が食べられるということだが、生ハムを挟んだものが800円、カプレーゼ(モッツァレラ・チーズ+トマト&バジル)が900円。
 野菜は全て有機野菜を使っているそうだが、なかなかの値段である。

 サンドウィッチにも、ピン=キリがあって、かつてはクラブハウス・サンドなどがその頂点にいた時代も長かったように思われる。その昔、NYのデリで、厚さ7〜8cm近くあったクラブハウス・サンドを食べた時は、その厚さゆえ、一度に口に入れられず、分けて食べたら全く美味しくなく、なかなか残念に思った記憶がまだ残っている。

 このあたりに比べると、イタリア風サンドウィッチというのは、まだ可愛げがあって、しかもチーズ&トマトなどを挟んだものは、ぐっとヘルシーな感覚もある。
 しかし、本当のイタリア発ではなくて、NY発のイタリア風というところが、ちょっぴり国際的でもある。

 新聞記事の中には、イギリス発のホットサンド店である恵比寿ガーデンプレイス内に11月オープンした<ベヌーゴ>の店の紹介も出ていた。
 やはり今年の秋、日比谷にオープンした<プレタ・マンジェ>も英国発の店だったことを考えると、サンドウィッチはやはりイギリスか米国か、ということになるのだろうか。

 ただ、私などは、(よほどの場合を除いて)昼にサンドウィッチ、というのはどうも敬遠したくなるほうだ。少し時間をかけて、ゆっくり食事をしたいと思う時に、やはりサンドウィッチというのは似合わない。いくら手作りとはいえ、サンドウィッチの中でも特に美味しいものだと言われたとしても、サンドウィッチはサンドウィッチである(と思う)。千円近い値段だと、なおさらその店に入るのをためらってしまう。

 時間がなくて、仕事をしながら、コンビニのサンドウィッチを、飲み物で流し込む、というのが私のサンドウィッチのイメージに、一番ぴたりと合っているようだ。


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