日記でもなく、手紙でもなく
DiaryINDEXpastwill


2002年10月26日(土) 白金高輪

 朝から雨。今年の秋は雨が多い。

 王子で地下鉄南北線に乗り換え。JR王子駅で、地下鉄への乗り換えの出口を間違える。しかし、ここまではまだなんとかなった。
 乗った地下鉄は、白金高輪行き。
 これで十分と思って安心したのか、傘を網棚に置いたのが運の尽きだった。

 白金高輪駅の改札を出て、ちょうど外へ出る瞬間に、傘を置き忘れてきたのに気が付く。地下鉄の中で、ちょっと別のことを考えていたため、外も見えないので、全く雨のことを忘れ、傘も忘れてしまった。

 ま、コンビニくらいあるだろうと思ったのだが、これが全く見当たらないのだ。参った。クルマはそこそこ通るものの、人通りがまばらな感じ。えらいところで降りてしまった.....

 細かい粒の雨で、しょうがなく5分くらいてくてく歩いていたら、古くから地元にあるようなコンビニを発見。やれやれ。

 上着がかなり湿っぽくなったが、ずぶ濡れになるほどの雨ではなかったのだけが救いといえば救い。
 
 しかし、この付近、すこしましな食べ物屋も少ないし、それ以外の店も少ない感じがして、面白みのない場所だと、つくづく思ってしまう。
 


2002年10月25日(金) 殺害された民主党・石井紘基氏

 今朝、衆議院災害特別委員長や衆院決算行政監視委員会委員などを務める石井紘基議員が家を出る時に、刃渡り30cmの刃物で胸を刺され、すぐ近くの病院に運び込まれたが、その1時間半後に亡くなるという事件が起きた。
 犯人は逃走し、まだ捕まっていない。日本では死語に近くなろうとしていた<暗殺>というコトバが一番近いような事件になった。

 ところで、この石井紘基議員のサイトを見に行って、こんなものがあったのかと思ったのが、<リアルタイム財政赤字カウンター>がとりつけられていること。日本経済が破綻するまで動きつづけると表示されている。
 ちなみに、このカウンターによれば、(地方含む)日本全体の長期債務残高総額は30秒で約6800万円強増える様子がわかるようになっている。表示は1秒単位なので、放っておくと毎秒200万円強ずつ、財政赤字が増えているがわかる。これを見ているだけでも、空恐ろしくなるが、更に見続けているとそういう正常な感覚がどんどん失われてくるところもある。怖いのはむしろこちらのほうだ。
 なお、1時間で82億弱、1日で1966億円が増加赤字額となる。1年放置すれば、71兆円。

 日本全体で、それだけ資産が減っているという数字であり、それを国民が負担しているわけであるから、日本がいかに急激に貧しくなっているか、その状態を示す数字でもある。

 昨日、トヨタが空前の利益を上げているというという記事があったが、1年かかって生み出したものが、1週間もせずにすっ飛んでいくのである。


2002年10月24日(木) ハリー・ポッター第四巻の初版刷り部数

 本の初版刷り部数というのは、研究書などでは2〜3千というのもあるし(百単位というのもあると聞く)、そこそこ売れる小説のハードカバーで数万。初回で10万部以上というのは、よほど人気のある小説で、前宣伝もしっかりされているような本だろう。

 ところで、<ハリー・ポッターと炎のゴブレット>が今日店頭に並んだ。ハリー・ポッターシリーズの第四巻。旧来とは異なり、上・下巻に分かれている。それだけ、今までの物語より長い。
 シリーズ第三巻は初版刷り部数が80万冊だったが、今回第四巻の初版刷り部数は230万セット。今日の発売初日に向けて100万セットが店頭に並んだとも伝えられる。

 本が売れないと嘆いている出版社も多い中、初版で80万部という数字でもかなりのものだし、一般向けの超人気小説シリーズですら、このような刷り部数で出てきたものはほとんどないと思われる。僅かにマンガでいくつかあったとも聞く。
 初版230万部というのは、史上空前、凄まじい数だ。

 しかも、上下巻あるわけだから、冊数にするとその倍の460万冊である。
 書店も、早いところでは朝5時から、前日から並んでいる客のために、店を開けて販売したというところもある。本屋すら動かしてしまうこの力。
 それだけ、次の作品を心待ちにしている人が多いというのは、作家としても、日本でいえば翻訳者あるいは出版社としても、これほどありがたいことはないに違いない。本を読む面白さが体感できれば、また別の本にも手が伸びていく機会もあるから、出版業界全体にとっても悪い話ではない。

 電車の中で、このハリー・ポッターを読んでいる人を見かけたりすることもよくあるのだが、最近原書で読んでる人も時々見かけたりして、いろいろな意味で良い影響を及ぼしてくれているのではないだろうか。

 今までの国内でのハリー・ポッターの販売冊数は、1〜3巻合計で1234万部。4巻の初版を入れれば1464万部。
 現在世界中で売れた部数は、1億6千万部と言われている。

 この本こそ、本離れの子供(&大人?)を、呼び戻したという功績は、決して小さくないと見れば、ノーベル賞とは言わないまでも、文化功労賞くらいには値するか、などと本気で思ったりもしている。


2002年10月20日(日) 2003年ダイアリー

 池袋で用事を済ませた後、渋谷まで行って、タワーブックスを覗いておこうと思いたつ。
 そろそろ、来年の輸入カレンダーとダイアリー(アジェンダ)が入荷しているはずだ。

 7Fのフロアまで上がると、カレンダーとダイアリーが今年はほぼ同じところに置かれている。以前だと、ダイアリーは別の平台に置かれていたり、場合により少し分散しておかれていたりしたものの、去年あたりからかなり接近し、今年はほぼ同じ場所になった。
 カレンダーの<ART>系で、あまり見かけたことのない画家の作品を使ったものはないか、少し探してみたが、特にこれというものはなかった。タワーの場合、比較的売れ筋に絞り込んでいるようで、ダリやクリムト、印象派などがやはり目に付いた。(たぶん、六本木のABCのほうが、ART系では少し変わったものがありそうだ。イエナがなくなってしまったのは、本当に残念でもある。)
 ただ、1940年代前後のパルプ・フィクション系ペーパーバックの、いかにもというような怪しい表紙を、ビジュアルとして用いたカレンダーが置かれていたのが面白い。

 ダイアリーでは、話題になったハリーポッターやスターウォーズの映画を受けた体裁の、少し値段の高いものが平積みされていた。

 TASCHENのものは日本国内でも販路が広いようで(大型一般書店でも見かけることがある)、価格も若干低く設定されている。40年代前後のセクシーな女性イラスト・ピンナップのカレンダーや日めくりが良く売れるようで、ここ数年毎年登場している。

 このようなカレンダーやダイアリーの類というのは、売り切り型商品のようで、人気のあるものはすぐなくなり、再入荷しない場合も多い、という表示もある。同時に、売れ残りは年明け半額以下でセールにもなる。このセールで欲しいものを見つけられれば、本当はそれにこしたことはないが、やはりこの手のものの売れ残りというのは、売れ残った理由があるようなものが多い。

 ここ何年か、店頭を見ていて、比較的早く売り切れてしまうのが、映画(俳優)の写真を使ったダイアリー。それだけ映画ファンというのは(特定画家や写真家のファンより)その底辺が広いのも事実。
 今年も映画俳優のモノクロ・ポートレート写真を使ったダイアリーがまだ残っていたので、プレゼント用に少し余分に買っておくことにする。

 毎年10月、こういうカレンダーとかダイアリー/アジェンダが並んでいるのを見ると、一年が終わっていく気配を急に強く感じてしまう。


2002年10月17日(木) ローズマリー・クルーニーの追悼コンサート

 今年6月29日に亡くなった、ローズマリー・クルーニーの追悼イベントが、12月10日に開催されるようだ。
 既に、トニー・ベネット、ダイアナ・クラール、デビー・ブーン、リンダ・ロンシュタットというビッグ・ネーム歌手の出演も決まっているとのこと。どこかの局で、ビデオ収録して放送されるなら、やはり見てみたい気もする。
 ビング・クロスビーの遺族、故人の甥で俳優としても比較的知られているジョージ・クルーニーなども登場し、故人の人となりが伝えられそうな感じ。

 やはり、アメリカを代表する女性歌手の一人だったことがよく伝わってきた記事。


2002年10月16日(水) 深夜の雷雨

 昨日夜のこと。
 上野の怪しき店でうだうだしていた時、スペインから日本に来ているお姉さんと知り合うことになってしまった。
 ヴェラスケスが今上野で見られるし、ピカソ展もやっている、という話をしたら、どちらも初耳とばかり、ちょっとびっくりしたような表情をした。

 彼女は、御徒町にある美術館に行ったことがあるという。
 ええ?そんなもんあったんかい???
 今度はこっちがどぎまぎしてしまう。
 
 (実はこれ、今日ネットで調べてみたら、きもの美術館のこと。こんなものがあったとは、露ぞ知らなかった。鈴乃屋の7Fにある美術館。)

 そんなことで、さらにうだうだしてしまったのだが、ちょうど午後11時前くらいに稲光。雨の音まで聞こえ始めてくる。

 店を出ると、滝のような雨。これは参った。
 近いコンビニまでは、70-80mの距離。さほどの距離ではないものの、本当に長かった。


2002年10月14日(月) 夏日が戻ってきたような日

 土曜日も日曜日も、昼間は晴れてかなり温度が上がったものの、夜になると急に温度が下がるような日だった。
 さすがに10月中旬ともなると、温度の高低差が大きくなるものだ、と変に感心していたのだが、今日は昼間も暑かったし、夜になっても温度が下がらなかった。

 昨日の夜、高校時代の知人Kさんが大阪から上京するというので、その同期が5人で集まる機会があった。
 忙しいという割によく顔を出しているOが、不眠症らしい。なかなかほかの人には理解してもらえないということを言うわりには、まだ医者に行っていないと言うので、これはすぐ診てもらうべきだという話になる。

 そういえば、横になるといろいろ考えて、なかなか眠れないと言っている人がもう一人いたことを思い出してしまい、今日思いついて電話を入れてみた。
 二日酔いで頭が痛い、寝かせていて欲しそうな雰囲気。
 こちらのほうは、まだ大丈夫らしい。


2002年10月13日(日) 二子玉川

 静嘉堂文庫美術館へ行くのに、東急・二子玉川線で、二子玉川まで初めて乗る。用賀の駅までは、というよりもこの二子玉川線に初めて乗って、用賀から渋谷へ出たのが、今年8月。
 それほど自分には(今まで)あまり縁のない路線の一つだった。

 用賀から渋谷へ出たときは、ずっと地下を電車が走っており、景色も見えないつまらない路線だという印象が強かった。
 どこまでも地下を行くわけはないだろうと思っていたら、用賀を出たところで外の風景が見える。用賀の次の駅がこの二子玉川になる。

 長い名前なので、フタタマという人も多いが、駅名のアナウンスを聞いていたら<ふたこたまがわ>と<こ>が濁らないというのを初めて知る。
 ターミナル駅らしく、私鉄にしては、駅前はそれなりの賑わいもある街だ。

 駅のホームから、下方に見える多摩川で、川の中にまで入って、釣り糸を垂れている人の姿も多く目にできる。
 釣り人の姿を見たのも、本当に久しぶりだ。どうも、そういう場所に来ることが少ないのに違いない。

 太陽はかなり西に傾いて、釣り人を見るのも眩しい、よく晴れた秋の日。


2002年10月10日(木) ノーベル賞

 今年は、二人の日本人がノーベル賞を獲得、史上初めてのダブル受賞ということで、日本の中をちょっと湧かせていたりする。
 これはこれで、教育の見直しにつながればこれにこしたことはない。

 ところで、ノーベル賞の経済学のほうでは、プリンストン大学のカーネマン教授がその受賞者の一人。
 トゥヴァースキー&カーネマンという二人のコンビによる実験経済心理学の論文というのは山ほどあって、どれもなかなか実験計画の着眼点が優れているのと、人間の経済行動というのが、合理性だけで動いているわけではないこと、しかも経済的選択行動の中に、非論理的な法則を見出した人として、この二人の名前は忘れることはできない人も多いだろう。

 トゥヴァースキー氏のほうは、残念ながら既に1996年に他界しているという。カーネマン氏にしてみれば、お互い刺激し合うことで論文を生み出していったに違いなく、その意味ではもう少し早くノーベル賞を貰えていたら、という思いもあったのではないかと、そんな風にも考えてしまう。

 どん底まで、どんどん落ち込んでいきそうな世界経済が見えているにもかかわらず、どういうわけか、経済合理性を錦の御旗にしてまだまだ経済政策が語られ、採用されていく。米国だけではなく、日本においても全く同じことである。しかし、それをやっていても、どうも経済はこれ以上良くなる気配もない。
 非合理性の要素が見落とされている、のかもしれない。

 とすれば、カーネマン氏のノーベル賞受賞が、少なくとももう5年ほど早ければ、本当は(特に日本にとって)良かったのかも−−という思いも、もう一方では残されてしまうのだ。


2002年10月09日(水) うつした風邪

 会社の近くの席でも、風邪の咳をしている人がいて、私がうつしてしまったか、などと思う。
 会社の帰り道、Jさんに金曜日の件で携帯に電話を入れてみたら、昨日から風邪で家で休んでいるとのこと。これは、どう考えても私のせいだという。さほど、へたばってはいない感じなので、明日1日くらいで起きられるに違いない。

 今週月曜日くらいから、さすがに夜だけはぐんと秋らしくなってきた。


2002年10月04日(金) 新編集長からの電話

 会社にいた私より若いメンバーが少し前に依願退職をした。
 その前から、別の勉強をしていたのだが、その勉強のほうをメインにするのだろうか、でもすぐ似たような会社に転職してしまうのではないか、それなら会社としてはもったいない話だし、惜しい人材だなぁ、と思っていた。

 ところがつい先日メールが入っていて、ある小さい雑誌の編集をやることになったという。雑誌は小さくても、責任大きい立場だから、大変だろうなと思って返信メールを入れておいたら、今日早速電話が入ってきた。
 しまった、余計なことを書かなければ良かった。

 どこかで会いたいというので、次の土曜日の夕方にでも、ということにしたのだが、その前の時間は学校のほうにいるそうなので、では当日新宿あたりに(私は)いるだろう(?)から、携帯で連絡を取り合って落ち合おうということになった。
 どんな顔をしているのだろうか。

 これとは別に、高田馬場の輸入CDを扱う店からも電話をもらう。フランス盤が入ってきたとのこと。こちらは、明日にでもすぐ行くことにする。


2002年10月03日(木) 深夜12時までの営業時間

 国内盤のBoxセットを買い損ねて、今やどこを探しても見当たらない。9月初めに店頭で出ているのを確認した時に、買っておけば良かったと悔やむことしきり。
 ただ、その時には、8月下旬に出たということもあり、まだ先でも大丈夫だろうと思っていた。しかし、これほど早くなくなってしまうとは、CDなど売れなくて困っているのに。
 ひょっとすると、そのうち追加プレスが出るかもしれない、などと密かに思っていたりもする。

 渋谷のタワーにこの2週間ほど行っていなかったので、ちょっと覗いておこうかと思い、会社の帰りに寄ってみる。

 いつものように5Fから見ると、オムニバス盤で、<CALL ME - The Songs of Tony Hatch>という2枚組で2000円を切る価格で置かれていて、一瞬ぎょっとする。かつての英PYEレーベルのプロデューサーで、作った曲も数多く、同時に編曲・指揮などを担当しているアルバムもかなり多いトニー・ハッチの作品集。

 ハッチが担当した歌手で一番有名になったのがペテュラ・クラークだが、この人のCDは今や山ほど手に入るし、20年以上全く聞けなかったようなハッチの奥さんのジャッキー・トレントの作品も編集盤で手に入るようになった。
 ハッチが手がけたイージー・リスニングのインストアルバムも、かなりCD化されたし、主なところはもう出たのかと思ったら、どっこいそうではなかった。

 10時半頃までタワーにいて、その後少し時間があると思ってHMVへ寄る。スペインのポップスのコーナーに、マリア・オスティスの盤があって、これまた驚いてしまう。1971年に出たアルバムが、そっくりCD化されているもので、編曲とバックを受け持っているのがワルド・デ・ロス・リオス。
 ちょうどこれを見つけたのが午後11時。そろそろ閉店だなぁ、それにしては閉店のアナウンスが流れないし、店員は客を追い出しにかからないし、営業時間が更に延びたのか.....と思って店を出たときに、全店深夜0時まで営業の表示。
 渋谷のCD店は、ますます宵っ張りになっていく。 


2002年10月02日(水) 晩夏に戻ったような日

 台風一過、空は青く晴れ上がり、朝のうちは本当に湿気の少ない気持ち良い日。
 昼過ぎからかなり温度が上がり、衣替えの季節というのに、かなり暑いくらいまでになる。

 昼食の折、本屋に寄る。
 買い損ねていたアドルフ・フィッシャーの「明治日本印象記」(副題に、<オーストリア人の見た百年前の日本>が付されている)と、ドナルド・キーンの「果てしなく美しい日本」、長田暁二「歌謡曲おもしろこぼれ話」の文庫本3冊を購入。


2002年10月01日(火) 台風

 東京へまっすぐに、しかも時速60km以上のスピードで向かってくる超大型台風。
 10月に日本を直撃する台風というのも、極めて稀らしい。

 会社を出る頃は、まだ雨とか風もさほどでもなく、つい銀座山野などに寄り道をして買い物をしてしまう。
 東北線・高崎線とも止まってしまうが、さほどのこともなく自宅に戻る。

 かなり風が吹いた、という話だけは家で聞く。
 ただ、家に戻ってからは、ほとんど風も雨も強くならず、かすめて通り抜けてしまったようだ。

 TVのニュースを見ていたら、確かに東北地方の雨・風の強さはなかなかのものだった。東北縦断コースを辿り、北海道へ抜ける台風も、比較的珍しい部類だろう、とも思ったりする。


riviera70fm |MAIL