日記でもなく、手紙でもなく
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3月末の土曜日、上野公園の桜の花はかなり散り、既に葉桜。 それでも、僅かに残った桜の木の下では、とりわけ暖かい日ということもあり、宴たけなわ。5〜6名の小グループから、沖縄の蛇皮線6丁を含む陽気なグループ、あるいは男6人でドラ声を張り上げながら歌い踊るグループまで、まさに千差万別、いろいろな人生の楽しみがそこに展開している。
ふと見ると、女性ばかりの12名ほどのグループ。 なにか少し雰囲気が違う。化粧が濃いのだが、よくよく見ると、ニュー・ハーフのお姉さま方のグループだった。当然だが、比較的若い人が多いので、遠目にはかなり散って数も減り、情けなくなった桜の花などよりも、数段華やいで見えたりもする。 春はまさに演出するものである、か。
いつものように買い物に行くと、途中の小学校の校庭の桜は既に満開。既に道路には、花びらがかなり散って積もっています。
少し離れたところにある幼稚園の桜の木は、小学校よりも本数は少ないのですが、それぞれ広げた枝ぶりが見事で、花が咲くと一層その存在感を増します。普段だとそれを横目に通り過ぎるのですが、今日はその花の下の道を通ってみることにしました。 ちょうどその花の下の道半分ほどのところで、花びらではなく、ひとつの花全体が枝からこぼれ落ち、ぐるぐると回転しながら、私の前にゆっくりと着地しました。僅かながら、不思議な春の時間。
夕方から雨。昨日までの暖かさが、どこかへ消し飛んでいってしまった休みの日にはさまれた金曜日の夜。
霞町交差点の北東のコーナー、ずいぶん以前からそこにあったような蔵のような建物が、いつの間にか居酒屋としてオープンしている。少し見ないうちに、新しい店ができたり、以前開店間もないレストランがあっという間にラーメンの店に変わったりしてしまう。3日見ぬ間の桜ならぬ、飲食店。 ライブもやっているらしい、イタリア料理店<C>に行く。
地下への階段を下りていくと、どうも雰囲気が怪しい。 パーティの真っ最中だった。しかもフロアのほとんどを占拠していて、70〜80名(ひょっとしたらそれ以上の人数)のパーティ。
ちょっと、これは勘弁してほしい、とは思ったものの、予約を入れておいたのだから席はあるのかだけでも確認しようとする。が、なかなか店員がつかまらない。 ブラウン管ではよくお目にかかる<おすぎ>が、慌てて中から外へ出て行く。 待つこと7分――。「予約したものですが.....」
一番奥の<Reserved>の席へ。しかし、こんなパーティやるのなら、最初から言っておいてしかるべきだろうと、普通なら結構頭にくるところだが、小降りながら雨も降っているし、他の店へ行く気もおこらず、そこでオーダーをする。
どうも、某局の年度末番組スタッフとプロダクション含む打ち上げ会、らしい。7時くらいからやっているらしく、9時すぎまでは大騒ぎで、8時過ぎ入ったこちらは、うるさくてゆっくり話もできなかった。 一般の客は、我々以外に、横に座っていた若い女性2人連れのみ。 ちょっとどうかと思ってしまう。
ピザの味だけは合格。前菜はまあ、こんなものか。 きしめん状パスタは茹で方が硬すぎた。慌てたらしい。 メイン(帆立貝と穴子の湯葉巻き)は、お奨めメニューのひとつらしく、値段の割に悪くなかったし、若い人なら満足度は高そう。しかし、ちょっと私にはバターの味が強すぎた。エスプレッソは本当に情けない味、落第。 単品の値段は、比較的抑え目にしてあるようだが、決して安い店でもない。 店の前のコースメニューをお願いしようとしたら、今日はパーティをやっているので、できればアラカルトでお願いできれば、などと言う。かなりひどいこと夥しい。
50人くらいのパーティをやるのなら、それで飲み放題である程度の金額に収めてくれるようなら、いいかもしれない、とは思う。2人で行くのなら、やはり他の店だろう。がっかり、選択ミス。
一昨日だったか、既に横浜では桜が咲いたという話をきいていました。 そろそろ、私の住んでいるエリアでも、咲くのではないかという予感はありました。
いつもの日曜日の買い物の折、小学校の横の道路を通っていくのですが、ここの桜がまだか、楽しみでした。 校庭の一番端の桜の枝は、蕾が大きくふくらんでいて、もうすぐ咲きそうです。2本置いた桜の木の枝に、ありました、7〜8つほど花が咲いています。校舎に近いところに植えられた木の一本の枝は、かなり花をつけていました。
例年より2〜3週間ほど早い開花。 桜が咲くと、春盛りという感じもします。
久しぶりに、昼間の時間帯に、中距離電車(停車駅が少ない)ではなく、各駅停車のJRに乗った。 一つ一つの駅の、ホームの横に設置されている看板の、<赤いほうがいいじゃないか!>という大きい文字だけの広告が、停車するたびに目につく。真っ赤な大型ボードだけに、始末が悪い。
<135円>と、値段だけ赤字で書かれたボードもそこそこあるのだが、最初見たときよりも大人しく見えたりするから、内心笑ってしまう。
しかし、どちらも芸のない、もっといえば芸も技もない広告だ。
絶対、どちらも飲んでやるものか、しっかりと決意してしまう。 店の店員が、比べる部分が、比べられる部分がほとんどないから、「ねっ、赤いほうがかわいいでしょ」と、口八丁で囁くのと、ちょっとわけが違う。
どうして、こんなふうにしかできないのだろうか。たかだか発泡酒なのだから、もう少し気持ちよく騙されてみたい、そんなふうに思った日曜日の午後。
<幸せ>ということばを使うときに、どうしても照れくささみたいなものが先にたってしまったりする。 堂々と、もっと使ってもよさそうなものなのに。
幸せの青い鳥というお話があったりして、実は幸せというのは自分の心の中にあるものだ、そんな風に思わせられてきたところもあるから、なおさらである。 確かに、心の問題。それに尽きる。
けれども..... このままでは話が続かないので、ちょっと別のことを考えてみる。
心のもち方の問題とすれば、幸せか・幸せではないか、そのどちらかを選ばざるを得なくなったりする。ただ、やはりこの選択は結構辛かったりもするのではないか。 ところが、アンケートなどでは<あなたの幸福度>みたいに、「程度」の問題として捉えられる。程度で考えると、ちょっぴり幸せな感じ、あるいはそのような状態になることというのは、しょっちゅうということではないにせよ、時々はある。そんなとき、ラッキーとハッピーは、そっくりな表情をしてみせる。
心の状態ではなくて、一つの能力と考えてみると、その程度はもっと生き生きとしてきたりする。 それは、様々な環境や様々な状態に置かれている時に、喜びや楽しさを見つけられる能力、みたいに定義してしまうと、心の問題そのものよりも、心の対応力の問題になってくる。
これだったら、もっと堂々と「幸せ」と言えるのではないか。
かつてはその勢いが止まることを知らなかったコンビニエンス・ストアであるが、その既存店の売上が2年連続で前年を下回ったという統計が発表されていた。
店舗数は今なお伸びてはいるのだが、その見かけで判断してはあぶないという統計が、この既存店売上の統計。 客単価の前年割れは、3年続いているともいう。
なかなか、このデフレは根が深いことが、このへんからもわかる。
そういえば、3日(日)に買い物に行った折、先週までは確かに営業していた、我が家に近いところにあるファミリー・マートが、既にかつてファミリー・マートであったことすらわからない状態になっていた。看板も店のデザインも、ファミリー・マートの痕跡を全て消していたのだ。 すぐそばに、スーパーも、セブンイレブンも、ドラッグ系ディスカウントストアなども、目と鼻の先にあったエリア。 客の入り方も、今ひとつだったし、結局だめになってしまったようだ。
東銀座駅そばにある、シアトルズ・ベストコーヒーの店も、ここへきて閉店に追い込まれているし、栄華を誇っていてブランディングの優等生であったスターバックスも、既存店の売上が落ちてきている、というような記事を、ついこの前見かけた記憶もある。
なかなか辛い季節が続いている。
3日の日曜日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの累計入場者数が一千万人を突破した−−という記事が、今日の日経朝刊に掲載されていた。しかも、昨年3月31日の開業日以来338日間で、この数字を達成したこと、東京ディズニー・ランドの場合、一千万人達成のためには385日かかったこと、この記録は世界<最速>記録である、ということも。 浦安のディズニー・ランドというのは、当初は休日など、入場制限をしたりしていたことを考えると、このUSJの記録というのは、なかなか凄いものがあるようだ。
しかし、このようなアミューズメント空間というのは、純日本は太刀打ちできないのだろうか。 確かに、ゲーム機は世界を席巻しているのだが、まさに四畳半的遊戯空間で、狭くせこい感じもする。やはり、盆栽的世界がこのような側面でも出てきてしまうのだろうか。
ちょっとだけ、またそんなことを考えてしまった。
4月と思えるような暖かい空気。 神奈川県立近代美術館の展示会場に挟まれた空間に置かれたカフェテラス。
ベランダに置かれた3つのテーブルのうち、そのまん中の席に座り、のんびりと池を眺めたりしている時間の心地良さ。
少し太陽が傾き始めたお茶の時間。伝票を手にしてレジへ向かう時、ふとその席を振り返って見る。何も置き忘れているはずがないのに。
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