シオの日記

2003年07月31日(木) 夏休み!

前期授業すべて終了でございます!
夏休みでございます!

明日から夏休みといえど、
8月中、空いている日は
1,8,9とお盆くらい。

アハ。


いや〜、4年生だしね。
まだ私なんてマシな方。
夏休みとは名ばかり。
卒研に費やされる日々を送る友人たちもいる。
その点、私はまだ夏休みなのかな^^;



やっぱり人間関係、苦手かな〜。
こじれる前に、気分を悪くする前に
何とか修正したいと思うのが私。
平和主義でいたいので。
しかし、ぶっちゃけトークが出来ない人もいるし、
その配慮ができなかった私にもかなり否がある。
99:1くらい。
ほとんど私が悪いということに尽きます。
が、
予感はしていたので、
ああ、やっぱり。ではあったかな。
人生、ノリと甘えは程ほどにってことで^^;
なんでも自分の世界が通用するとは
けして思っていなかったですが、
どこかでそうやって思っていた気持ちがあったのでしょう。
相手に対してとても申し訳ない気持ちと、
自分の不甲斐なさを痛感する今日この頃です。


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2003年07月30日(水) 医療従事者

医療従事者と言っても
実は幅が広く、連携していると言う意味では
どんどんその範囲は広がっていると思う。
その中で、ソーシャルワーカーもその一端であると思う。

現在受けている集中講義は
公開授業であり、他大学の学生が
聴講に来ている。
その中に、ソーシャルワーカーを目指す学生が一人。

外部の学生の意見は面白い。
ただ、時々悲しくなる。
彼女は看護師という職業を知らなかった。
Drが医療を行い、看護師はそれに従事しているだけ
だとでも思っていたのだろう。
しかし、看護師だって医療に携わっている人間で

医療の中で、看護師も医者も存在しているし、
従来は看護婦は医者に従事していて
なんの権限もないただの日常生活援助しかしていない
役職だとでも思われていた。
でも、看護師になるための勉強を続けてきて、
看護師の専門分野と医師の専門分野と
全く畑違いで、それぞれが医療の分担をしている。
そう感じるようになった。

少なくとも看護婦が看護師になったのも、
必至に認定看護師を作ろうとしているのも、
ようやくその専門性が認められてきたからだとは思う。

けれど、同じ医療従事者を目指す人間が
看護師はDrに従事しているだけ。
治療は医師が、救命も医師がやっていると思っていた様子。
いろんな矛盾を彼女は抱えていたとは思うが、
同じ医療従事者にさえ、理解されていない看護という
専門職を、では、全く医療と関係ない人が
理解しているか、と思ったとき、
理解しているという期待が全く持てない。

それが、少し悲しいと思う。

変な話、看護師ってそんな小さな存在なのかな
ドクターはそんなに偉くて、
ナースはそんなに何もできないなのかな?
知られる機会が少ないとか、ないとか、
先入観とか、イメージが強くて、
でも、ソレを否定できたり、ひっくり返せるほど
自分もナースという存在を提示することも出来ないでいる。

まだこれからどんどん開拓されるべき分野である。
他者に認められなければやれない仕事ではけしてないし、
それを望むわけではないけれど、
せめて、同じ医療従事者には
もう少し理解があってほしいなぁなんて思ったり。
その考え方はあまりにも極端だったので
驚きがあることとともに
それではソーシャルワーカーとしての
その人の学んできたことがよくわからないな、と。

人間性を否定してまで、仕事に従事しなければならないのは
ちょっと理解できないな、と
ちらりと反論を思ったりしたわけで。

偉そうなことを言えるほど他の職のことを知っている
わけではけしてないけれど、
やっぱり自分の目指すべきものを
否定されるのは気分がよくなかったかな。

ってことで、抗議でした^^;


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2003年07月29日(火) 一瞬でも思ったことの書留


書き留めなければ
きっと消えてしまう。
だから、醜い感情でも残しておこう。



話ができないのは自分の責任であって、
自分の話術のなさ、論理立てて話すことができない。
それで人に話をできない、相談できない
というのは、自己欺瞞と言えるのではないか。

話せばいいじゃないか。
友人には、話してよって言われても、
それでも話せない話は、
話すことによって相手が負担に感じるのじゃないか。
その程度のこと、なぜ自分で処理できないのか。
自分に矛先が向かってくる。
何が正しくて、何が間違っているのか。
答えも終わりもないことは
『生きていることは一日一日死に近づいていくことだ』と
けして絶望しているわけじゃない、悲観しているわけでもない

自分の安っぽいプライドのせいで
強い人間出あるために、昔、最も頼ってよいはずの親からの言葉で
『頼ることを許されない』と自分に課した。
自分で課した約束なのに、
それに逆に潰されそうになっているのかもしれない。


同性とか、異性とか、それ以前に、人間としての
自分を見て欲しい。
でも、それには難しい「話す」という過程がある。
その代わりにこの日記があったりもするのだけれど、
ここに話すことは私が話せること話せないこと
すべてが詰まっている。
ココを呼んで「こんな風に腹ん中では思っているンだ」と
理解してもらえたらそれはそれで嬉しい。
しかし、ココを読まなければ知りえることの出来なかった私を
ココで知ったからといって私のことを知ったとは思わないで欲しい。
逆に、そんな私を引き出すことの出来ないことのほうを
考えて欲しい。
・・・それこそ傲慢?横暴なのかもしれないが。



いつも、他者のよき理解者でありたいと思う反面、
不容易に他社の中に踏み込んではいけないと思う気持ちがある。
他人に対して遠慮しすぎているという認識のされ方もあるだろう。
慎重になりすぎていると言われたらそれまで。
そんなんじゃ相手を理解することはおろか、
相手を知ることすらできないと思うコトだってある。

人間に対して臆病になっている。
人間はやさしい面と恐ろしい面を両方もっている。
守る面と、攻撃し、傷つける面と。
どちらも自分を、他人を守るための力として利用しているとしても
例えそれが攻撃対象として与えた影響でないにしろ、
受け取る受容器としての個人がどのように捉えるかによって
かなり左右されるもの。



なんで、生年月日で性格が判断することができるのだろう?
占いは好きだけれど、例えば今日生まれた人はみんな
同じような性格になるなんて、何かがおかしい。
それでも占いやテストに縋って、
自分がわからない、
見えない、
理解できない、
曖昧、
不安があるのかな、って。
自分が見えないのかな、って。



・・・授業でこんな話を聞いた。
自分の息子を亡くした作家さんが言われたことに
『他の子が残っているのだから、
一人くらい子どもがいなくなっても(死んでも)
大丈夫なのではないか。慰めになるのでは?』と。
そんな言葉が掛けられたという。
でも、それは子どもを持たない私だっておかしいと思った。
子どもは一人一人全く違う。
ましてや、子どもが他の子どもの代用になんてならない。
・・・このことを妹も理解してくれたら、
きっと私ももう少しは救われるのだけれど
そして、これがわかっていないから
親が子どもの育児放棄をするのではないか。
育児放棄するなんて、犬と一緒じゃないかって。


集中講義は『死』をテーマに話される。
私は記憶にないひいじー様とひいばー様の死しか
体験したことがない。
知っているのは書面上の死のみ。
だから、死が不思議でしょうがないし、
興味をかきたてられるとか、
憧れるとかっていう世界になるのだろうか?


よくわからないけれど、
記録は残さなければ、書かなければ残らない。
だから、一瞬でも思ったことを
できるだけたくさん。
書き留めておきたいと思う今日この頃。

『死』について考える授業だから、
自分が死んだ後に、残るものは
ココくらいしか思いつかないからかもしれない。


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2003年07月28日(月) 一段落、夏到来

今年から大学で助産課程ができ、
その授業の詰め込みのため
夏休みは8/1〜から;
集中講義開始のシオです^-^

いやはや、実習が終わって、
前期最後の集中講義ですが、
なんといいますか、授業って楽ですね。
実習を知って初めて言えるセリフです(苦笑)

さて、一段落したはいいが、
3年後期から約1年。
各方面にご無沙汰しております。
ホント、申し訳ないです。
結局自分のHPもかなり放置プレイ状態だった;
表も裏も本業の妨げにならない程度は
ガンガン更新していきたい。
ぶっちゃけて言ってしまえば、
本業より、やりたいことはこっちだし!(苦笑)

気がつけば、周りは二転三転していて
自分の知らないところでことが進んでいたり、
また浦島太郎になりそうだけれども、
これからは積極的に情報も取り入れられるし、
取り入れていかなければならないと思う。

「実習中だから」というのは
一種の言い訳、隠れ蓑だった。
けれど、これからはそれは使えない!
ってことで、心意気だけはずいぶん前向きな感じ。

それに、やっぱりね。
一年の実習をやり遂げた!って達成感がある。
実習レポは全部出したしね♪
4年の実習は3年の実習より気持ち楽だったが、
大変さはやっぱり大変だったかな。


だから、今の自分もやれないことはない。って意気込みで。
大学生活最後を飾る新しいバイトを始めようと物色したり、
活動的な自分が期待できるかなvと
ちょっと無謀なことも考えてみたり。
ストッパーになってくれるものが
何もなくなってしまったので
どこかで歯止めをかけないと
ぶっ倒れた時、立ち上がるのが大変になるからね。
その辺はボチボチ様子をみながら;

やりたいこととやらなきゃいけないことと
実習を理由に後回しにし続けたことが
この夏、始まる・・・!(映画の宣伝風に;)

夏休みはもうちょっと先だけれど、
やっと夏到来!
もう後回しにできないし、立ち止まってはいられないと思う。
どこかで休憩することも計画の中に入れながら
大学生を満喫したい♪^^;

さて、今日片付けることに移りましょ。


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2003年07月25日(金) お疲れ様でした。






お疲れ様でした!


3年後期から続いてた
一年間の実習生活、ついに終了です!

もう一本レポ書いて
実習関連は終了!

そして7月いっぱいまで続く
授業が終われば夏休み!

頑張った!お疲れ!


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2003年07月13日(日) 証明問題

昔から自分の突拍子もなさはよくわかっていたつもりだけれど
それを人に理解できるとも思ってはいなかったけれど
自分の中でそれは全部自己完結されているものなので
けして自分の中では突拍子もないなんてことはなくて
むしろずっと追っていけばつじつまも合うのだけれど

昔から数学の証明問題が苦手だったかもしれない
数学もかなり途中式をすっ飛ばしていたほうだ。
いつぞやかさすがに先生に
「答えは合ってるけど、途中式も書いてね」と。

あは、ごめんね。
途中式消しちゃったv

わざわざね。

途中式って汚いんだもん。
くちゃくちゃって
小さく書いちゃって。
思考の過程なんて
なんにしろキレイなものではないような気がする。


そんな風に途中式をすっ飛ばして答えだけを答える
そんな付き合い方をしていると
一緒にいる人はびっくりするね。
そして、今でも途中式は可能な限りすっ飛ばしている(笑)
だから、説明しろって言われたってわかんないv(おい;)

直感は大切だよ。
激情に流されてしまう時もあるけれど。
それも時には大切だけれど。
それを大切にしながらも、ちゃんと振り返って
自分の思いに沿っているか、
自分の思いに反していないか、
そこにたどり着いた直感と言いつつも、
結局は自分にとっての正しいと証明しなければならないのだから、
証明問題になるのだけれど。

そうだな。
今やってる看護でも同じなのかもしれない。
やらなきゃいけないこと、
アレとコレとソレとがあって、
それを行う理由と根拠があって、
行った結果それぞれこんなことが起こって、
だから、やっぱりアレとコレとソレが必要なんだ。

ほら、証明問題♪

苦手苦手と思っている証明問題も、
意外や意外、こんなところで出逢うなんて。

直感といったソレが、
ひらめきだと思ったソレも、
証明できる、自分の思考の過程の延長上に
あるモノなのである。

だから、それらの直感も、ひらめきも、あるときは激情も
大切に暖めてあげることも必要じゃない?


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2003年07月12日(土) 子育て

今、また子どもが事件を起こしたり、
胸が痛むことがあります。

私は、子どもが好きです。
構うのも、構われるのも、
ぽてぽてした、予想外の行動ばかり起こす
彼らが大好き。

でも、自分は子どもを産むかと言ったら、
絶対産まない。
結婚したら変わるとか言うけれど、
確かにそれは思うけれど、
自分の親をみて、
自分の生きてきた道をみて、
自分の妹をみて。

絶対子どもは産まない。

と思うわけです。


困った仔猫ちゃんが家には居ります。
自分を卑下しまくることで、
他者からの肯定的な評価も踏みにじり、
劣等感に浸っているのかもしれないが、
ある意味、そうやって自分の世界を守っているのだろうけれど、
それにも限度がある。

自分の世界を守るのは大切だ。
自分の世界で好きに生きたらいい。
けれど、
そのために傷つけた人を
ちらりと振り返りもせず、
なんの後悔もせず、
なんの後ろめたさもなく、
そうやって生きていけることが、
非常に納得がいかなくて。

私だって自分の世界を守るために、
犠牲は厭わないと思ってきた。
けれど、その犠牲は最小限に。
少なくとも、他者を傷つけることは
アナタにとってそれほど軽い事象なのか。
自分のせいで何かが起こることを
アレほどまでに神経質にしていたアナタが
なぜに、身内なら平気で致命傷を負わせても構わないと思うのか。

まあ、私には私の否があるのかもしれない。
アナタにとっては私が先に生まれてきたこと自体が
思い通りにならないすべての始まりだったのかもしれない。
そのくらい卑屈に生きてきているでしょう?
どちらも同じように望まれて生まれてきたのに、
その後の生き方で性格も待遇もすべて変わってくる。

妹は自分を持っていていいなー、
ちゃんとしてて偉いなーって思ったこともある。
でもそれは彼女が意固地になっているだけの結果だとしたら?


今は、家族が大事。
それは私が家族と過ごす時間に限りが見えてきたからだ。
そう、親にも言われた。
確かに、それもあるだろう。
けれど、私はココまで生きてきた中で、
親なくしては生きてこられなかった自分を知っている。
散々甘えてきたこともわかっているつもりだ。

それを当然と思って受け入れてきてくれた親に
感謝しているし、その気持ちはきっと
どこかで伝わってくれているだろうと思う。
伝わっていなくても、きっといつかは伝わるだろうと思う。
こんなにも遠い関係ってどうなんだろうね。

別に自分の考えを押し付けるつもりはないが、
そんなに簡単に必要ないものとして見限ることができるならば、
本当に家を出て行けばいい。
お金が〜とか、無理〜とか甘ったれたこと言ってないで
無理しているって偉そうにしているくらいなら
本当に出て行けばいい。
私は真剣にそう思う。
そして、途方にくれたときに、
やっと思い出したように帰ってきたらいい。
そして受け入れてくれる親の懐の深さを知ればいい。
なぜ、それがわからないのか。それがわからない。


私も親なんていなくていいと思う時期があった。
それでも、自分の中の法と、常識があった。
そう、アナタには所謂常識が欠如している。
いつぞやか、アナタは私に言ったね。
常識がない。って。

それをそっくりそのまま返してやる。
アナタにこそ常識がない。と。

別に私はアナタを育てた覚えはないし、
正しい意見も、正しい考え方もない時代だから余計に。
アナタはアナタの道を進めばいい。
アナタらしく人に振り回されないように
自分の意見をもって進めばいい。

ただし、出した答えに、
自分の正しさを主張することは許されない。

友人に許されていること=常識じゃない。
友人はいいことも悪いことも、けして忠告しない輩が多い。
いいことも悪いことも私の一部として受け入れてしまうだけ。

頼むから、親を泣かせるなよ。いまさら。

私が家を出る前には、それに気づいてくれることを、
切に願っている。







どうせ、裏切られる相手なら、
最初から作らなければいい。
どうせ、分かり合えない相手なら、
最初から作らなければいい。
自分の精いっぱいの愛を与えつづけた結果が、
悪夢しか生まないのならば
最初から作らなければいい。
精いっぱいの愛を向けた先が、
悪意の対象として矛を向けるのならば
最初から作らなければいい。
そんな世界はいらない。
そんな世界はいらない。

醜い世界の中で、せめて美しいものを信じさせて欲しいと思う気持ちも
ずたずたに打ち砕かれたって、
理想を追うことしか知らないのだから、
次の理想なんてないんだから。

自分も回りもすべての世界を偽ってでも
虚偽のキレイな世界を見ていたいと。
自分の想いを守ることに精いっぱいなだけ。

誰もが幸せな世界なんてない。


ふと、思った。
妹の自己卑下と
母の自己責任追及は
意外にも似ているような気がした。


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2003年07月07日(月) 七夕

今日は七夕ですね。
今日から最大、最強の病院実習開始ですね。
ロマンもへったくれもないですね。


はい。シオです。


なんと言いますか、
ただいま大学。
今日は学内実習だったのですが、
時間が10時40分だったことをすっかり忘れていて、
一人(+同じ間違え者^皿^)パソしつで日記♪

あ〜、なんか久々にゆっくりネットができる〜♪

結局数少ない休みの日には」
友人のライブが立て続けに入って
体力続くか心配でしたが、
案の定、ヤヴァイですv

ねむい〜〜
疲れた〜〜

土日がしっかり睡眠取れる唯一の日々なのに
両日とも4時間未満の睡眠…
…実習より少しマシなだけじゃないか(泣)

テンションの高くなる車の中も
引きずるように上がりきらないテンション。
先日友人に心配されてしまったが、
けして無理しているわけじゃない。
少なくとも今は。
むしろ辛いのはこの後だし・・・;

しかししかし。

何事も前向きに考えることが素敵に楽しいということを
今回の実習で思いました(苦笑)
一緒に実習を行っている仲間の内3人くらいかな?
かなり前向き。かなりプラス思考。
それを見習わなければ。

・・・今から実習後の打ち上げの話をしてるしね(^^;



思えば。
実習はかなりメンバーの入れ替えというか、
実習場所の振り分けが細かくて
同じクールの子でもなかなか会えなかったりして。
その実習で初めてよく知った友人もできた。
その子との再開はあるかな。
七夕から3週間遅れた再開となるが。

わずらわしい世界の中で
再会を実は望まない人もいたりして
それでも、また会いたいと。
そう思う人がいることは
とても素敵なことなのではないかなと。

実は、前回の発行時に参加させていただいた
フリーペーパーのサークルで
「出会い」をテーマに何かを持ち寄ろうという。
やってないんだけど(滝汗)
つか、また参加できるのか?

七夕も出会いの一つの最終形なのかな。
なんてつれづれと思ってみたり。

そんなこんなで、授業の用意しますか。


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2003年07月06日(日) 友人のライブその2

同じ看護学生で、すでに一児の母で、
今年は就職する気がなく、音楽でプロを目指しているらしく、
28歳までは音楽を続けるというつわものの友人がいる。

今日は彼女のライブだった。
「ベース・ボーカル」
「キーボード・コーラス」
「ドラム・コーラス」
の三人編成というちょっと変わったバンド。

彼女を含む彼らはその3人でしかできない
音楽を探しているとのこと。
今しかできないことをやれ、みたいなところは
面白いと思った。

MCがちょっと長すぎだけどね(笑)
でも、面白かった。
拍手の練習とかさせたのに
『あ、すみません。今日はこの曲やりません』とか。
それぞれ似てるタレントと自己紹介ってのがあって、
全員(私の女友達含め)似てるタレントを
『キムタク』と言ったとことか

舞台としてはとても楽しかった。
音楽でもMCでも楽しめた。
初めて聞く人でも入りやすい雰囲気。

やりたいことをやっている世界はカッコいい。
少なくとも抑圧の中で溺れかけている人間よりかはずっと。

だから、彼女たちの世界が、私の望んでいる世界に近いけれど、
望んでいる世界の不完全さを目の当たりにして。
少しだけ、不安になった。
何が不安って、自分が。

帰りに一緒に行った友人と食事して、
初めてじっくり話す友人だったのだけれど、
また話せる人を見つけてしまった。
ただ、やはり私は1:1じゃないとなかなか
話せないこともよくわかった。

押し付けているつもりはないけれど、
「『私は』こう考える」
という意見が多かったような。
最近、みんな隠して教えてくれないからね。
だったら、自分の意見くらいははっきりさせておこうかと思って。

そして、言いっぱなしは時々悲しくなる。
で、アナタの意見は?
私はこう思うけれど、そうじゃない意見があるでしょう?
質疑応答の時間です。

チャキチャキっと明確な答えが欲しかったりするので
曖昧でも構わないけれど、
目を覚ましてくれるような
そんな何かがあればと。
そう思う今日この頃なのです。

ま、実習中だから、受けても何もできないけどね;


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2003年07月05日(土) ライブ!〜創造するモノ〜

実習の1クールが1段落した今日
他大学のサークルでバンドを組んでいる
友人の最後のライブがありました。
実習を理由に音楽から、読書から、創作から
すべてから「今だけ休む」というつもりで
周りに甘えて手を引いていました。

しかし

自分の歌いたい欲がくすぐられつつあることや
作曲をしてみたくなってることや
久々にライブに行く決断をさせてもらって
爆音にさらされて、12バンド中3バンドを見たが、
彼らがライブを楽しそうに行っている姿をみて

自分もバンドやってた人間だったじゃないか!
あんな風に歌いたい。
何の無理もなく、ありのままの自分をぶつける。
ライブがやりたい!
音楽がやりたい!

などと。

やりたいやりたい!って気持ちだけが進行して
結局日記も書けず仕舞いの今日この頃(7月初の日記じゃないか?!)
そこから派生して、日記も書きたい。
一番やりたかった文字書きはどうなった?
すっかり手を抜いているじゃないか。
催促してくださるナイショさんすみません;


自分から動かなきゃ何にもできない
人任せじゃどどういう動きも見えない。
むしろ、今までは自分が見てなかっただけかもしれないが、
誰も引率して導いてくれる人なんていないし。


まず、始めたのは持っていたテープレコーダーに
思いついたフレーズを少しでもあれば
録音していくということ。
楽譜が読めないという面では当然楽譜も書けないわけで。
一応一人はテープから楽譜に起こす作業は
友人の協力を得て手伝ってくれるという。
自分の所属していたバンドのメンバーもいざとなったら
きっと助けてくれるだろうと思っているし、
音楽つながりの友人もいる。

結局、非常に自分が創造的に働きたいということをすごく感じた。
ライブを見て、楽しそうだ!と思ったのは確かだが、
それ以上に、舞台を作っているすべてがいいと思った。
照明も、セッティングに走る一年スタッフも、
司会進行も、全部合わさって一つの舞台が作られていて、
舞台に立っている人はそれに応えられるように
力をぶつけているという感じが、
結局ライブも創造するものだから。


最終ライブを行った友人はそのサークルの副部長であった。
女の子なのにドラムで、
MC振られて、バンドの一年を振り返って
部全体のことやプライベートでも山あり谷ありだったようで
途中泣いてしまったりして。

青春だな〜って(笑)

一生懸命にやるってすごく大切。
一途に頑張る気持ちはすごく強い。

私よりも小さな、小柄な友人。
昔からその傾向はあったけれど、
小さな身体の中にある力は本当に強くて。

やり遂げたね。
創り上げたカタチは満足行くものだったよね。
今度ゆっくり話せる時間を取って、のみましょv

お疲れ様。


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