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■ 永遠の愛
誰かがちょっと前の日記で永遠の愛について語っていた。私なりの結論からいっても、そんなものは存在しないんじゃないかと。第一、永遠ってなによ?
普通、今が一番大切なわけで、過去にすがってみたり、未来に夢を抱くことは、今の負担を軽くしようと試みているだけに過ぎないように思える。そうでもしないことには、どうしようもなく不安になるようなことが、世の中には多すぎるからだ。
第一、自分の考えさえもはっきりわからないというのに、ヒトの気持ちなどわかるはずがない。それでもどうにかしようと、言葉を駆使してみたところで、それが本当に自分の言いたいことなのか、相手にはどのように伝わっているのか、また余計もやもやした気分になってしまうことも多いもの。
小説や映画、ドラマはある意味気休め程度にはなるけれど、だから何?って感じ。それでも、そこに描かれる愛だの夢だの思想だのにあこがれみたり、自分を映し出してみたりする。それでいいと思う。
その日記にはさだまさしの「俺より先に逝くな死ぬな。……お前と一緒で良い人生だったと必ず言うから」っていう歌詞が引用されていた。多分、この歌が流行ったころは、男が甘いことばを囁くなんて、という社会的な背景があったのだろう。「今は恥ずかしくて言えないけど、心の中ではいつもそう思っているんだよ。」ってことなんだろう。そして世の男性の中には、自分の気持ちを代弁してくれていると思い込んで、好きな女の前で歌ったヒトも多いのだろう。私はどうもこの手の歌詞は泥臭くて苦手だから、もし誰かにこんな歌を歌われたら、それだけで背筋がゾッとしてしまいそうだけど、世の中にはジーンときてしまうヒトもいて、それで愛が成立するのなら、それはそれでいいと思う。
愛という言葉は陳腐なものだと思いこもうとしていたこともある。でも、愛されたいし愛していたいという気持ちが存在することを否定することはできない。そういう気持ちのバランスがとれている時は幸せな気分になり、バランスがくずれコントロール出来なくなった時に不幸な気分におちいるといったら、単純すぎるだろうか?
こんなことを考えているうちは、スピリチャルな愛というレベルには到底達することはできないのだろうか?いくつになっても、胸がキューンとするような愛を感じていたいと思ってはいるのだけど。
2001年08月05日(日)
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