東行庵の軒下で

2001年08月27日(月) 一人宝塚

昨日の、たかみざーサンの衣装、すごかった・・・
バラを背負ったオスカルか、ロシエルか。あんなにまでしてこだわるってことは・・衣装のことで,評論家みたいな人種から何か言われたか、書かれたか・・。

アコースティックだった彼らに,ある評論家が「アルフィーは室内向きだね」と言ったことで、ブチ切れた。
野外やってやろうじゃん!!

チケットが手に入らない・・
来たいやつ、見たいやつみんな来れる野外イベントやってやるぅ〜!!

コンサートの3時間じゃ物足りない・・
飽きるまで聞かせてやろうじゃん!

否定と肯定の積み重ねで、夏のイベントは20年続き、アルフィー自体は、27回目の誕生日を向かえ、私は人生の半分をアルフィーの音楽と過ごしている。

27年続けようと思ったわけじゃなく、気がついたらそうだった・・と、よくインタビューで答えてるけど、そんなことでイイのかしら・・ツアーが終わって、その時やれなかったことを、また次のツアーで・・って感じだったのかなぁ。

私たちも、「あ、頭良いな〜あの格好だとラクだよね〜、次はあんなふうにし〜よ〜お!!」とか、まだライブが始まってないのに、「次」のこと考えたりするしなぁ・・・
衣装担当のときは、それが顕著に表れたもんだ。

そういえば、ワタシたちも、服装のことで「年を考えたら?」とか言われたことあった。信じられないことに、コンサートに来ている人から、その言葉を頂戴したのだ。

その人は、自分の年齢を十分加味したうえで、アルフィーのコンサートにきた人なんだろう。年齢に応じた格好で、年齢を気にしながら、ノッていたのだろう・・

当の本人は、こんな派手なファンが、会場にいるのをどう思っているのだろう・・

一抹の不安は、彼の、この発言により吹っ飛んだ。
「どんどんやればいいのだ」(写真集シンクロメッシュより)
ステージ上の僕らと、同じような格好をすることで一体感を感じるのなら、それでもいい。
・・・落涙しちゃいそうだったよ。

「歳にごまかされたり、歳でごまかしたり、しないでほしい」
一時期、高見沢さんがよく口にしていた言葉。

彼は今、生き様でそれを語っている。








2001年08月26日(日) 致命的な忘れ物

東京に来たというのに・・

複雑怪奇な路線図が、迷子へのわなを仕掛けて待ち構えてるというのに・・

切符の自販機の路線ボタンが、この田舎者に金縛りの術をかけるというに!・・・

家にわすれてしまったのだ。「ガイドブック」様を。

どうりで、荷物が軽いと思ったんだ〜。本って結構おもいもんなぁ〜。

おかげで、駅の路線案内をみて、その場で何に乗るか決めることとなった。決めた電車に乗ってるのに、電車の中の路線図で、また考えを変えちゃう・・・そのミラクル甘〜い考えが、目的地を遠くに追いやっちゃうのだ。

竹ノ塚のセッションには、奇跡的にたどりつけた。
スーパーアリーナへは、途中、阿波踊りの一行の妨害に遭いながら、やっとたどりつけた。

自分のシートへは、係員さんと身をかがめながら、こそこそとたどり着いた。相方のNチャンは、私がたどり着いたのを知ると、そっと清涼飲料のペットボトルを差し出してくれた。(なんてイイ女なんだろう!!)

久しぶりに見るアルフィー。ぜんぜん変わってない・・はずなのに、やたら坂崎さんが男らしくなった!と思った。若返りの坂崎、のはずが。
最近、和ガラスの本や、猫の本とか立て続けに出してるから疲労してるんだろうケド、それでもアルフィーとして手を抜かずに出来ちゃうところに凄さをかんじた。

多趣味で、しかもそれぞれセミプロ並みの知識や、技量を持ってる彼を見ていて、とことんやっちゃうよ!っていう気持ち、思い出した。

・・・で、とことん東京を極めるには、路線案内の本が必要・・振り出しに戻ったじゃないか!












2001年08月25日(土) 日比谷の夜、薩摩の風

初めて聞いた、キヨシローさんの声。
もっとトゲトゲしているかと思ったら、ぜんぜん違った。黒猫の毛並みのような、ふわっとした柔らかさを感じた。
びっくりしたのが、ギター弾きながら歌っている時の、ふとした動作。
チャボさんを思い出させる。
それは、どっちが似てるとかじゃなくて、長年、少しずつすこーしずつ、お互いを侵食してきたからなのかも・・と、ちょっと思った。

今回、キヨシローさんは自転車で、東京から鹿児島の妙見温泉まで行っちゃうのだ。目的地は「忘れの里・雅叙苑」
すごい。よく泊まる京町温泉郷からだと、40Kmくらいの距離なのに、誰も「行ってみよう!」と言わないよ〜。

ステージで、とても良い味をだしておられた「雅叙苑」の主人のイントネーション、今朝まで九州にいたっていうのにメチャクチャうれしかったし、すごくホッとした。

私の、今回の旅団員は4名。
今日は「スーパーアリーナ」で、アルフィーの27回目のバースディーを祝っている。そのうち二人は鹿児島からである。
彼女たちに、鹿児島のパンフレットをお土産にしてあげようと思った。きっと、懐かしがるに違いない。




2001年08月24日(金) 日記なのに・・

いったい、どうしたというのだろう。
幕末の事とあまり関連しない、などと書いたっていうのに、今の私は思いっきり幕末長州じゃん!

東行庵〜桜山神社〜高杉晋作終焉の地、と巡り、次はもっと徹底的に効率よく巡る!とばかりに、用意をしているのさ・・・

この意気込みが学生時代にあったなら、「歴史」はいい成績を残せただろうに・・。



2001年08月20日(月) 吉田!その弐

前にもチラッと書いたケド、ずいぶんと昔に、東行庵に来たことがあったのさ。当時は、明治維新はおろか、高杉晋作サマがどういった人物だったのか、しかもここに墓があることすら知らなかったのだ。

たしか、ここのあとに萩まで足を伸ばしたのだが・・・。知識のないものにとってはただの観光でしかなかった。というか、逢引き・・というか・・。知ったヒトのいない土地で、やっと二人並んで歩けた、そんな旅。当時、あのヒトがどういった思いで、晋作の愛人であった「おうの」が晋作の菩提を弔ったこの場所につれてきたのか、今となっては知るよしもないけど。


パンフレットを見ていたら、「おうの」こと、初代庵主・梅処尼の、お墓のまわりに咲く花「あしび」の花言葉が載っていた。

「二人で旅をしましょう」



2001年08月19日(日) 吉田!

思い立ったが吉日!時刻表や地図を調べて、行ってきました、東行庵。
小月駅から「秋芳洞」行きのバスの時刻を調べた。30分ほど暇をつぶす。ようやくバスがやってきた。

東行庵(とうぎょうあん)入り口で降りて、炎天下を歩く。だいたい、バス停の「〜前」「〜入り口」なんてものほど当てにならないものはナイ。ここのどこが入り口なんだ!東行庵の「と」の字も見えないジャンか。でもまぁ、時間にすると10分ぐらいなのだが。と〜に〜か〜く〜暑いの何の!こんな道端で立ち止まったら干物になる〜と心配しながら、ただただ砂漠をさまようように歩く。

また、帰りのバス停を必ずチェックするということが、ここでは生死を分ける。まじっす。降りたバス停の道路をはさんで反対側にある・・なんて安易な発想は、ここでは通じない。事実、反対側の道路にバス停は存在しなかった。
東行庵がみえてきた。道路をはさんで土産物屋もみえ、なんとそこにバス停が!庵に行くより先にバス停に走り寄る。晋作殿、スマヌ・・・

小月駅行きは、今から5時間後・・・
あちゃ〜、駅まで帰ることが出来るんだろうか・・一生ここから帰れんのかも・・そしたら、骸はそのままこの東行庵の地に・・などと大それたことを考える。


高杉晋作の墓に手をあわせ、続いて初代庵主「梅処尼」こと「おうの」サンの墓に手を合わせた。東行庵を垣根越しに観て、資料館へ。ここにはアレがあるはず。

「組み立て式の三味線」
実物を見たかったのだ。
この組み立て式の三味線は、十数個に分解できる凄いモノ。

高杉サンは、維新の志士であるとともに、いわゆる風流人でもあった。「詩」「漢詩」「和歌」「都々逸」「俳句」・・酒席で三味線を爪弾き歌う・・。
酒を入れたヒョウタンと、組み立て式の三味線をたずさえて、西へ東へ飛び回っていた・・なんて、なんだかバンドマンみたい。なんという粋な人なんでしょう!!。(つづく)



2001年08月18日(土) 吉田・・・

題名の東行庵は、山口県下関市にある。若くして病に倒れた幕末の風雲児、高杉晋作の菩提を、愛人「おうの」が弔った庵。前に一度、訪ねているはずなのだが、その当時は、あまり興味がなかったし、まさか将来、ネット上に自分の日記を乗せることになって、日記の題名に使っちゃう・・なんて思いもしなかったから、あまり覚えてない。もったいないことであります、ハイ。
なんでもそうなんだよな〜。自分が通り過ぎといて、後からシマッタ!と追いかける、苦労するんだよね〜。

暇をみつけて、今度は自力で訪ねてみなくちゃ。



2001年08月15日(水) 月光ソナタ

鳥栖の小学校の体育館にあったピアノを、特攻隊員の2人が弾いた。
ベートーベンの月光ソナタ。

音楽の道を志していた人、家の後を継ぐはずだった人。
派手ではないけど、それぞれの人生があったはず。

争いは、自分の心の中でもう一人の自分(怠けたい、遊びたい、ラクしたい・・・自分)に対して起こすもの。

隊員たちが弾いたピアノと同じ型のピアノが、鹿児島県の知覧特攻基地・平和会館に展示されている。

終戦記念日。
一年に一度くらい「戦争」について考えるべきじゃない?




2001年08月11日(土) 青い青い海

あの日の思い出は、どうしてこんなに悲しいんだろう。

二人で大きな浮き輪につかまって、丸い海の底を覗き込んだ。
自分達の足の指が、ユラユラと見えて、すごく遠くにある気がした。
二人で覗き込んだ、浮き輪のなかの青いうみ。
これは地球の7割を占める広大な海の、一部分。
この時間は、二人がそれぞれ暮らしている日常の中の、ほんの一部分。
一瞬だけ手に入れることが出来る、そんな一部分。

互いの顔を見合わせたとき、確かに幸せなのに、泣きそうになって、笑顔と泣き顔がまざった、変な表情になってしまった。

やがて、それぞれの日常に戻らなければならなかったから。

あれから、時間は流れているのに、時間を流したはずなのに。
取り残された風景は、時間も一緒に海に貼り付けているみたい。

その風景を消してしまえる人は、いるんだろうか。






2001年08月09日(木) いっしょに帰ろう

この週は、熊本にきている。とにかく、商店街が素晴らしい!閉まる時間が少し早いかなぁ・・と思うけど、楽器屋や、本屋、画材屋、生地屋、中古本、CD屋が一堂に会していて、私にとってはヒジョーに楽しいところだったりする。

仕事が終わって、いそいそと商店街へ。途中、中古屋を「RCのビデオ、売ってないかなぁ〜・・」という期待を少し抱いて覗いていた。すると・・

チャボさんの「ハートオブソウル」のときのパンフレットが、戸棚に並んでいたのを発見。もちろん、持っていたので、別に良いや・・・と、立ち去ろうとしたのだが・・・
始まってしまったのだ。頭の中で、戦いが。
「我が偉大なる飼い主サマを、ここにおいて行く気か?」
「だって、もう持ってるもん、それに、まだチャボさんを知って間もないファンが、熊本にいるかもしれない。その人のために、ここにあったほうが・・・」
「そんな人たちは、ファンクラブで売ってるのを買うよ。シールもついてくるし。」
「あたしだって、シール付きのほうが良いよ・・っていうか、もう持ってるし」

持っている、という合理的な考えに対抗すべく
「・・このチャボさんって、かっこいいよね〜〜。今のチャボさんも好きだけど、この頃ってさ、若すぎず・・ッて感じで、なんといっても表情がたまらんね〜そう思わんね〜」
「・・・そうやねぇ〜でももう持ってるし」
「今回の出張、長いしさ〜。チャボサンの顔、だいぶん見てないしさ〜恋しいやろ?」
「・・・う〜ん」
「精神衛生上、良くないと思うよ・・・」
学説まで持ち出す、購入派に非買派は・・・


「何で買ってしまったんだぁ!!!!」
と叫ぶ、後悔派にとってかわられ、あれだけ言葉巧みな購入派は、あっというまに消えさっていたのである。





2001年08月01日(水) レノンの博物館

東京滞在中なので、少し足をのばして埼玉のジョンレノン・ミュージアムに行ってきた。アルフィーのイベントが、8月の下旬にスーパーアリーナであるのだが、そんな時に行くと、絶対混み合ってるはずだから、ちょっと抜け駆け。
人の一生を、展示紹介するのって、資料の多少にかかわらず難しいよね。バランスよく詳しく紹介すると、とてもあのスペースではムリだし。
一辺に、全部知りたい気持ちはあるけど、これから徐々に展示物は変わっていくだろうから、後々の楽しみとして・・・。

パソコンでは分からないけど、字ベタなわたし・・・。でも、ジョンもそんなに綺麗な字じゃなかったから、安心(?)した。


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