おおみち礼治のてくてく日記
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2015年11月19日(木) 障害児の出産「茨城では減らせる方向に」 教育委員発言


 茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で、県教育委員が障害児らが通う特別支援学校を視察した経験を話すなかで、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」と発言した。

 発言したのは、今年4月に教育委員に就任した東京・銀座の日動画廊副社長、長谷川智恵子氏(71)。発言を受け、橋本昌知事は会議で「医療が発達してきている。ただ、堕胎がいいかは倫理の問題」と述べた。長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。

 会議後の取材に、長谷川氏は出生前診断の是非などについて「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい」などと話した。

 橋本知事は取材に「事実を知って産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」とし、長谷川氏の発言に「問題はない」と話した。(酒本友紀子)

引用元:朝日デジタル


障害者を抱えられないような貧弱な国だとするなら、お前(その国の大人たち)がろくな仕事をしていないからだ。大変(苦労)は悪いことなのか。結果を出している人は、苦労もせず遊んでいたのか。あらゆる努力と苦労をしながら、いまがあるのではないか。大変な思いをしてこそ、学ぶのではないのか。なんの苦労もリスクもなく成したものに価値があると思うのか。その家庭にそのような子が産まれてくる意味がある。その子もそのような体で産まれてくる意味がある。それを理解すべく注力することこそ尊い。ただ楽しく遊んで暮らしていくのがいいというなら、この世に生まれた意味などない。進歩もない。ずっと馬鹿のままだ。とっとと死んでしまえ。登ろうと思えば苦がつきまとうのは当たり前。苦に苦を求めてこその人生だ。人間も、人生も、この世の意味も知らず、金(コスト)計算しかできぬものが何故そこにいる。命をなんだと思っているのか。意志決定する場にいるべき人間ではない。


2015年11月17日(火) トリコロール

Facebookでプロフィール写真をトリコロールにしている人たちと、それに批判的というか、疑問を呈する人がいる。極端な場合、トリコロールにしている人を友だちから外すと宣言する人もいる。こうでなくてはならないという概念を持つと、そうでないものは悪、あるいは間違っている、劣っているということになり、争いや断絶の原因となる。

日本人の曖昧さ――そんなようなそうでないようなというスタンスは外国から見るとわかりにくいが、旗色を鮮明にしないという意味で優れている。大事なのは争わないことであって、態度が明快かどうかではない。戦争したくないんですよね? したくないといって人を指さし罵って(争って)いるよくわからない人もいるが、それはともかく。明快にしないといけないときもあるけど、その先に争いがひかえているのがわかれば曖昧もアリだと思う。
安倍総理はハッキリしてしまいましたけどね。それもしかし、背景があってのことで、曖昧にはしておけなかったんだろう。ノリでそう言ってしまったのではないと思うよ。

フランス側から見たらトリコロールにしたくもなろうし、シリアやIS側から見たらそれに批判的にもなるだろう。どんなに相手が狂っているように見えても、絶対的な正義などない以上、どちら側から見ているのかということでしかない。しかし、どちらに立っても、立場が強固になればなるほど争いの種を育てることになる。

ワタクシ的には、「死は死だ」というしかない。人間は毎日山ほど死んでいる。どのように死のうが死は死だ。あえて聞かれれば弔意を示すが、そうでなければスルー。むろん、トリコロールにしようがしまいがその人の自由であって、私がそれに口を挟む所以はない。

テロ事件の犠牲者は、犯人に殺害された人だけではない。自爆した人、治安部隊に殺害された犯人、背景となっている空爆による犠牲者も含まれる。そんな風にならざるを得なかった、左右の関係者すべてに弔意を示すのなら、国旗は不適当だと思うけど。フランス側に立つことになり、じゃあ空爆による犠牲者はどうでもいいのかと思う人もいる。

するのもされるのも、双方に原因がある。偶然や運というものがあると思っている人には通用しない話だろうが、縁もゆかりもなく、突然そうなることは有り得ない。オレが悪いのか、というのではなく、ただの原因。
意識のベクトルを外に向けている以上、何ら解決しないし、収束することもない。力ずくで抑え込まれて収束したように見えることはあるけどね。しかし、それは不快きわまりなく、特にされた方はくすぶったままであり、そのくすぶりは、また何年か何十年後かに表面化して(同じ相手、あるいは相手を変えて)同じ事を繰り返す。

個人から国家レベルにいたるまで、自分(たち)の原因に目を向けない限り、一切の進歩はない。反省せよとはいっていない。良い悪いではない。相手がどうのこうのでもない。それを招いた自分の原因とは何かを理解すべきということだ。

追記:
Aさんが亡くなったのとBさんが亡くなったのは別問題、という人もいたけど、この場合は関連性がある。テロで亡くなったのはフランスの方々。空爆はフランス(だけじゃないけど)がしていて、その空爆で亡くなっている人がいる。あなたもしているのに、なぜ一方だけ? という違和感があるのだと思う。


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