おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
●パラディン
ウルティマオンライン。 ネクロマンシーとパラディンのスキルを両方持ったキャラが流行り(?)らしい。が、作るなら、わし的にはどちらかにしたい。 悩んだあげく、新たにパラディンを作ってみました。スキル構成は、ソード、解剖学、タクティクス、騎士道、フォーカス、ハイド、治療。いまだに治療か盾か迷っているんですけどねぇ。いままでメイジばかりだったので、魔法を使わない(=秘薬がいらない)というのは、ちょっと変な感じがします。 ヘイブンの西で、うっしゃー君と遊んでいるところ。 ●すーっとする。あるいは捨てるということ 世の中、誰もが得よう得ようと蠢いているけれども、持つにも許容量というものがある。たぶん、どんなに何も持っていないと思っても、すでに持ちすぎているのだ。物質ということもあるけれども、精神的なものの話しである。 持ちすぎているのだから捨てたほうが楽である。吐きだしつくしたところではじめて新しいものが入ってくるんで――もう肺が空気でいっぱいなのにさらに吸おうとしたら苦しく、行き詰まる(息詰まる)のは当たり前なんだよね。 こういう話し自体は別に聞くに珍しくもない人生訓のようなものだが、しかしポイントはその後、「自動的に入ってくる」というところだ。得ようとしなくても向こうからやってくるのである。しかも、デタラメにやってくるのではなく――そのときは、こんなものと思えるようなつまらないこと、都合が悪いと思えることでも、あとから考えると確かにそれでよかったと分かるのである。 であれば、すべき事は捨てるということにつきる。 思い通りに物事を動かそうと力めば力むほど、おかしく、苦しくなっていくように思われる。 ――ニャンコを飼っているんですけどね。ときどき夜遅くまで帰ってこなくて心配して外に出ると、庭でうろうろしているのを見つける。そこで何とか連れ戻そうとすると逃げてしまう。すばしっこいからねぇ。どうにもつかまらないし、運良くつかまえても、ヤツは本気で噛みついてくるのだ。 最近、コツを覚えたのだが、いるのを見つけたら、ああ、いたのか、というようにさりげなーく近づき、首筋でも撫でてやって、なんでもないように抱えてそのまますーっと家の中に入ると何のストレスもなくつかまえられるのである。 そのとき、ほんの少しでもつかまえてやろうという気持ちがあると、ネコはそれを敏感に感じとって即座に警戒する。 だからつまり、プラスでもマイナスでもない、ゼロ――力むわけでもなく引くわけでもない、すーっとしているのがいいのですよ。この感覚が分からないとダメだね。 ネコと人間とを同じには扱えないけれども、これと同じ事はいろいろな場面で共通するものがあるように感ぜられる。 押せば引かれ、引けば押してくるという、思い通りにしようと動くことがかえって、まったくその逆の結果を招いて不自由する。 素ーっと(すーっと)していればいいものを、分かってない人は、たとえばネコをつかまえようとしたら、ネコの力以上の力を出して無理矢理つかまえるのだな。そんなやり方ではお互いストレスになるし、気分が悪い。 では、すーっとしていたら思い通りになるのかというとそうではなく、思惑に関係なく、なるようになっていくのだな。例えば人間関係なら、くっつくものはくっつくし、分かれるものは分かれていく。それぞれの自然な道を歩んでいくようになる、とも言い換えられるかもしれない。本当はそれでいいのに、自分の思い通りにしようと力むからうまくいかず――自分がそのような態度をとっているから、次から次へと不幸を招くのだ。力ずくでやろうとしたり、逆に力んで固まってしまい、素直に動けないということもあるね。 なるようにしかならないんだから、諦めて、力みを捨てていく。しかし、「それが当たり前として生きてきた、生き方」があるから、急に捨てたら? なんていわれても意味が分からないというやっかいさはあるけど。 人生、自分の思い通りにはいかない。であるなら、なるようになる人生に任せておけばいいのですよ。
●免許証の更新
平日だったこともあって、あっという間にできました。 警察署に行ったんだけど、駐車場が狭いんだよね。端の方に置いてしまったので、出る時に何度も切り返してやっと出ようとしたら、駐車していたマーチがむりむりむり……と出てきて、後ろの車にガツガツぶつかりはじめた。(^^; 大丈夫かよ……と見ていたら、そこにちょうど来た親父さんがやはり見かねたのだろう、その車の所に行き手で合図をした。やっとマーチが出ていけたときに、親父さんは待っていたわしを見て苦笑したので会釈を返したのだけれど……わしもねぇ、ぼーっと見てないで、危ないと思ったんだから、すぐに車を降りて見てあげれば良かったのに、そういうことができないんだな。 予想外のことが起きるとどうしていいのかわからなくなってしまう。で、自己中心的な判断をして人に迷惑をかけてしまうことがある。ぱっとその時の感覚で動けないのだ。反省……。 でも、ぶつかってたマーチの女の子は、ぶつかった箇所を確認しもせず、そのまま行ってしまったんですけどいいんでしょうか。警察署の駐車場ですぜ。 まあ、車はちょっと見ただけでは凹んでないし、傷にもなっていないくらいだったから、ぶつけられた車の人も気が付かないかも知れないけど……。
●マトリックス・レボリューション
見てきました。 筋はシンプルだった、と思う。いや、わしの脳フィルターがシンプルに見せているだけかも知れないが(笑)――アクション(緊張)シーンが長すぎて、途中、頭が痛くなってしまったのが難か。世界観は完璧に表現できていると思う。 予言者を守っているセラフ(だっけ?)が、もう少しストーリーに関わってくるかと期待していたんだけど、そうでもなかったのが残念。最後の戦闘シーンは、ドラゴンボールであった。あと、わし的にはあのラストにするなら、もうひとつ何かがあってもよかったというか、何かが欠けていたかもしれないとも感じた。 主人公のセリフじゃないけれども、あの展開はリローデットでトリニティを選んだネオの必然だったかもしれない。そういう意味では、よくできている。 どのような映画にも必要な、愛というもの。レボリューションに到って気が付いたわしはボケているかもしれないが(^^;、アクション以外にも見るべきところはあったように思う。 ●産廃以下 どういう議論があるのか知らないが、一般市民の感情を代弁しているとは思う。でも、それだけだよね。決して褒められる発言ではない。 ゴミだの犬のウンコ以下だの言われたら反省どころではない。反抗心や絶望から、じゃあもっと暴れてやろうじゃないかという気持ちにもなる。感情をぶちまけるだけでは多くの場合状況は悪化するのである。――言わなくてはならない時もあることは承知している。 一般市民としては、いまさらどのような感想を述べたところで審判には関係ないから、感情としてはそうだ、と主張するのは問題ないかも知れない。が、審判官が審判の場で個人的な感想を述べるのは不適切に思える。問題があるとすればそこであろう。 まず、子どもを暴走族にする――こういう言い方が許されるのであれば、追いやってしまった親というものがある。家よりも、そっちのほうがいいんだからね。 もちろん、親(家庭環境)が悪いといったからといって、本人その他の要素が免罪されるわけでもなく、原因は多々あるに違いない。また、親にも様々な事情というものがある。だが、なにかのせいにした途端、泥沼化する。 毎回、同じようなことを書いているけれども、それを招いた事件の当事者とその関係者が、それぞれ自分の原因を理解することが最重要であって、他のことは本来どうでもいいのだ。 もうひとつ。発言や事件とは何の関係もないのだけれども。 何を感じていて、どういう気持ちで、何をしているのかを知ろうともせず、何の配慮もなく、一方的に命令したり注意したり、うだうだ言われたら、わしなら、いっぺん刺したろか、と思うだろうということだ。 以前、本当にそれをした子がいたよね。刺し殺したことを善悪に分けるならば、もちろん悪い。だが、その子にそういう行動をさせた――せざるを得ないところに追い込んだのは誰だったんだろう。 ●実感ちう ハタチだと思っていた事務の女の子は、まだ19だという。 わしは、透析をはじめて9年になる。そのことを言ったら、「ということは、あたしが小学校5年生の時に透析をはじめたんですね」と、いわれて、いかに自分が歳をとったのか、じっくり実感ちう。(^^;
おおみち礼治
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