おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
知り合いのショップに来る人で、透析を勧められている人がいるという。
医者がそういうんだかなんだか分からないが、シャントを作ると気分が楽になると言われたそうだ。嘘である。なんでそんな嘘を言うのか分からないが……。 人生的に言って、透析なんてやらない方がいいに決まっている。だが、話しの様子では、周りに洗脳されて、もうそれ(透析)しかないと思いこんでしまっているようだ。本当に自分のことを思うなら……大切にするなら、そうではない方法――可能性が示されているのだから、そちらに真剣に取り組むべきで、周りの透析を勧める透析をしていない人々の――さらに言うなら、別にその人が透析を導入してどういうことになろうが知ったことではない人々の言うことにいちいち耳を傾ける必要などない。
ただ知り合いというだけで「Sさんがそちらの町にうかがいますから情報を教えてあげてくださいね!」といわれたときは、一瞬むかついた。
誰なんだそのSさんとゆーのは。 いきなりそんなことを言われても困ります、とメールしてやろうと思ったが、まあ、面白そうなので許した。(^^; 頑固にやらないように、と言われてもいるし。 某番組で医療ミスを取り上げていた。いろいろあるけれども、いくつか。 まず、当事者が医療ミスを他人事にしているため――マニュアル等あるはずだが、具体的にミスをしたときの自分を想像したことがなく、責任をとる覚悟もないまま働いているので、いざ自分がミスをしたとき、人がミスをしたのを知ったとき、保身のために、とりあえず隠し、正当化するのではないか、ということ。 それと、恐いと思ったのは健康な医者だね。冗談ではない。生まれてから風邪を引いたこともない、腹が痛くなったこともないという人間が、いくら人の体、症状、病気を勉強しても肝心なことはなにひとつ分からない。人間とはどういうものかという視点がすっぽり抜け落ちているため、患者を、こういう病気の、または症状を持った「肉のかたまり」としか見られなくなっているのではないか。局部麻酔などで覚醒したまま手術を受けたことがある人は、それは感じることがあるのではないかと思う。人間を物としてしか見ることができない人間が人間をいじりまわしている。 医者になるのだって何年もかかってそうなったのだし、お金もかかっているのは分かる。生活だってあるし、ちょっとしたミス(?)で積み上げてきたものをふいにしたくはなかろう。忙しいのも分かる。だが、人の命を扱っているということの責任と覚悟がないのなら、自分のためにも患者のためにもやめた方がいいね。結局、自分が何をしているのか分からないから、そういうことになるのだ。
散歩、インターネット、ホームページの作成に編集。
日常、なにをしているのか書き出してみても、これしかないんだよね。 外に出かける理由も決まっていて、その他は家の中にいるから、たまに変わったことがあると、びっくりして引いてしまう。 20代以降、ずっと病気と――そして自分を見つめる作業に時間を費やしてきた。もともと外向的とはいえない性格ということもあるし、積極的に外に出て、いろいろなところに出かけて、参加している人とは世界が違って当然だ。 そういうアクティブなエネルギーの流れと、自分のあまり変動のない静かなエネルギーの流れとの違いにはとまどってしまう。アクティブな人の生き方には憧れるが、いまの状態では難しそうだ。 がらっと環境が変わらないかぎり、いまの生活はそう変わらないだろう。外側がどうのこうのではなく、みずからの行動で変われるかもしれないとも思うが、問題は体力とお金なんだよね。(^^;
もっと現実的になろう……。<わし
入園式の時に、先生が前に出て話しをしているのに、みなざわざわと落ち着かない。
そこで、みんなの前に出て人差し指を立てて、「しーっ!しーっ!」と言ってまわっていたんだそーだ。(爆)<わし みんなと一緒にしゃべっているのが普通の園児だと思うのだよ。自分はどうも権威に弱いところがあるようだから、過去に権威に逆らってひどいことをされて、それで今度はおとなしく従っておこう、という方にまわったのではないか、なんて考えていた。 そういうことではなく――何の教育もされていない園児であるから、魂の形が分かりやすく出やすい。魂が古いから、こんな有象無象と一緒にやってられるかと、その場の中心に従ってみんなを統一しようとした。リーダー的にやっていた。 それがいつのことか、ひどく怒られるかして、大人しくしていればいいという理解になって十何年過ごし、病気になってしまった。 そーか、俺はできていたのか。 だとすると、この三十何年で、そうとうなゴミを付けてしまったことになる。坦々と磨いていくべし。
なんだか、着々と戦争準備を整えていますね。<日本
うまく言えないんだけど、いざというときのために、と用意しておくと、その用意が役立つ現象が起こるということがあります。 そのうち、某国にアメリカと一緒になって、なんだかんだと理由を付け、すわ有事!なんて攻め込んだりして……。 洒落になりませんな。 そういえば、透析を導入したときに、もし、有事なんて事態になったら生きていけくなる、と思ったことがある。ダイアライザーの準備など物的な理由、国の財政的な理由、透析患者など養っている余裕などない、という社会的な雰囲気など――戦争というと、イコール、太平洋戦争時の焼け野原、というイメージがあるから、あんな状態で透析などしていられるわけがないと思ってしまうのかもしれない。 ほとんどあり得ないような状況を考えて、そうなったらおれは生きていくことができない……と導入期の不安な時期は真剣に考えて、おかしくなりそうだったときもある。そこから、どうやって抜け出すかは、なかなか難しい。ずっと抜け出せない人もいるし、最初からストレスなく、すーっといく人もいる。まあ、いかに早く自分の状態を受け入れられるかにかかっていると思うけどね。 いや、思わぬお話しになりました。
きょーはもう、なんだか知らないが、頭の中で「いーじゃん、すっごいじゃん、さかいじゃーーーん」とずうっと、ぐるぐるしていた。(笑)
……以上!(爆)
10年前の自分にどういったら楽になっただろう、と考えてみた。
前提として、実はそれが自分にとって(周りの人にも)ベストだということがある。 どんなに不都合に思えても、ベストなのである。 だから「そのこと」をとやかく思うこともなければ、自分や周りの人の都合に合うよう、無理に矯正(?)することもない。 そのままでいいのである。 罰ではない。 なぜ、それでいいのか――そうなったのか、そのように生まれてきたのか、一生かけて理解していけばいい。焦ることはない。 まずは、自分にとって快適なことをしていくこと。それで道が見えてくる。頭で考えることをやめ、生まれながらに持っている自然な感覚に任せたい。大事なのは、自由であるかどうか、快適であるかどうか、だけだ。もし、不自由なら――つらくて身動きがとれないようなら、それは頭でやろうとしている。 さまざまな想念がでてくるだろうが、想念を追いつづけても何も意味はないし、何も解決しない。想念は過去の遺物――ゴミである。ゴミは捨てるのがよい。具体的には、相手にしない。でてくるものはでてくるに任せておけばいいのだ。 つらい思いをしなくては何も成せないという思いこみ。 それは違う。さまざまな情報を受け入れてしまったことにより頭脳で作り出してしまった「つらさ」にとらわれている。 もともと、人間は快適にしていくこと――きれいな部屋にいて、からだをきれいにして、きもちのいい服を着て、うまいメシを食い、よく出し、やりたいと感じること(頭で計算して導き出した、こうしていけばうまくいくだろうという考えではない)をしていくことで、うまくいくようにできている。 だが、普段から感じるということをしていないと、自分のしたいと感じること、といわれてもわからない。感じようとして、つい頭を使ってしまう。煮詰まって身動きがとれないときは、なにもかも放って、歩くのがいい。とにかく、自分のために歩くのだ。 血流が良くなって、内蔵の働きが活発になり、骨に適度な刺激が加わって丈夫になる。さらには自分のバイブレーション――波長が調うので、自分というものがしっかりとして、ちょっとしたことに影響されなくなる。 歩くことによる刺激はかかとから仙骨、背骨を伝わり蝶頸骨に達する。すると、蝶頸骨に乗っている脳下垂体からエンドルフィンやドーパミンといった快楽物質が放出されるので気分も優れ、自然治癒力が100%発揮される。気分がいい、楽になる、自由な感じ、というのは、それが(短期的だけでなく長期的にも)正しいことであると示している。 家に閉じこもっている人が、いきなり1万歩歩けといわれてもできない。肝心なのは「続けること」であって、時間や質ではない。5分でよい。最初は5分でいいから歩く。できないときはできないでもいい。歩くのだ、という意識を切らなければ休む日があってもいい。それは仕方がない。 いきなり良くはならない。悪くなるのに時間がかかったように、良くなるのも時間がかかる。何もしなかったら、これまでと同様の日々がずっと続くが、歩くというだけで違ってくる。良くなった、と実感できるまで3ヶ月かかるか半年かかるか、それとも3年かかるかそれはわからない。 どのようなことも、自分にとって必要なことであり、それがあるから良くなることができる、良くしようとして、その現象があったのだとわかるまではつらいこともあるし、わかったってつらいものはつらいのだが、わかってからのつらさと、わかる前のつらさとではぜんぜん違う。そうであること、そうなったことの自分の必然的な意味を理解していく。(たとえば)顔の整形をして異性にちやほやされるようになるのが救いではない。理解がなかったら、ただ生まれました、生きました、死にました、で終わりだ。何の進歩もない。 焦らなくてよい。 坦々と生きていくことだ。
←ここを通りたくば、我が質問に答えるがいい……。 へへー。m(__)m パソコン間のやりとりのために、コンパクトフラッシュのリーダライタを買った。 1980円。 メディアは、デジカメのコンパクトフラッシュの予備を使用。 簡単便利でよい。
透析の時は、まあ、体調にもよるけど、穿針してからだんだん気分が悪くなってきて、1時間くらい続くかな。それを越えると楽になる。で、針を抜くと今度は動悸がし始める。これは30分くらいで収まるが、疲労感と頭痛は次の日まで残る。
そういう状態なので、頭脳労働はできないと思っていたのだが、ものは試しと思って、この間オークションで落札したノートパソコンを持っていってみた。……専用のバックがないので、ぶつけないように気を付けて。 最初の1時間を過ぎて落ち着いたところで、電源を入れる。ASPのおべんきょとか。意外と大丈夫だ。 家だと誘惑が多いので、なかなか進まなかったりするのだが、透析中は他にすることがないので集中できる。シャントのある方の腕が使えないのがハンデだが……いや、やりようによっては使えるかな。 ともかく、けっこう良かった。これから体調のいい日は持っていってみよう。
最近の目標というか、テーマは「良くなるということをする」。
良くなりたい良くなりたいと唱えていても、やることをやらなければ変わらない。なにげなく、まぁいいや、と適当にしていることが、客観的に見ると、明らかにそれがダメなんじゃん! ということがある。 これが、意外とできない。 だって〜めんどくさいし〜、それくらいいいじゃーんとか(^^;、甘えてしまうんですね。自分のしていること、したことに対して完璧に満足することは、なかなかない。完璧さを求めることはない、とも思いますが。 なんにせよ、まじめすぎるんだよ。<自分 荒らし対策のホームページをいろいろ見ていて、みんな苦労しているんだなぁ、と思って少し安心した。どこの誰なのかも分からない人に、言いたい放題、理不尽なことを言われて、泣き寝入りするしかないのか、と思っていただけに。 iモードのページだけど、「荒らしを血祭りにしたいですか?」(http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6319/saku/1_1.html)なんてページもあった。(笑) もちろん、「はい」をとっても強くクリック。(爆) 警察への相談の仕方を解説したページなんだけど。 まあ、そこまでするつもりはない。野次馬に過ぎない、と納得してしまったのでこの話しはおしまい。
結局まあ、野次馬なんだよ。<荒らしくん
まだ言ってますが。(^^; どこの誰なのかわかりもしない人が何を言っても――正論だろうが、どんなにするどい意見であろうが、相手にされなくて当たり前ですね。 相手にきちんと自分の話しを聞いてもらい、なんらかの返事をもとめるのであれば、自己紹介して私はこれこれこういうものです、と挨拶してからでなくては。 メールアドレスさえ、明らかにできない奴の言葉など、何の力もない。それこそ、そういう掲示板にすっこんでいればいいのだ。
とにかく、身元を明かしたくないらしいね。<荒らしくん
言いたいことがあるならメールにしなさい、といって入室禁止にした。めちゃくちゃ言ってくるかも……とちょっと身構えていたんだが、それっきりなしのつぶてなのだ。メールアドレスさえ教えたくないようだ。 自分がどのような人間なのか、なにひとつ明らかにせぬまま、いきなり人を馬鹿だアホだダメだという態度は、まるで通り魔のようだ。 一生、他人のことをとやかく言い続ける人生ってどうよ? と聞いてみたい気もしたが、まあ、まともに答えないだろうね。 10年前を思い出した。 仕事がうまくいかず、ストレスで気が変になりそうな時期だった。そのころを考えると、荒らしくんの心理が少し分かるような気がした。 目の前の現実にうまく対応することができず、周囲から孤立し、下に見られていると感じていた。そのストレスをうまく発散する方法も分からなかった。現実では、いい子ぶって、上司に反抗するどころか意見すら言えず、思うようにできない自分の未熟さや無能力に対する怒り、わかってくれない他人や何もしてくれない現実への恨みを抑え込むことしかできなかった。そういう状態が長く続くと、ちょっとしたことが自分への侮辱のように感じられるようになるのだよね。 利害関係のある上司や同僚だと何もできないのだが、それが全くの他人(それに、甘えられる人。家族など)となると話は別になる。ちょっとでも気に入らないところ(多分、コンプレックスを刺激するようなことだ)を見つけると、ここぞとばかりに反撃――って、自分に害を及ぼしてきたわけでもなんでもないのだから、反撃ではないのだが、ともかく、日頃のうっぷんを晴らそうと攻撃する。 恨みが基本になっているから遠慮がない。自分のことは棚において、怒りをぶちまける。そんなことをしても何ら解決するわけはなく、むしろ破滅に近づくのだが、そうせざるを得ない心理状態なのだ。誰かをめちゃくちゃに殴り飛ばし、血を流して横たわったところに、ざまーみろ! とツバを吐きかけたいのである。 よく抜け出せたな、と思う。 当時、パソコン通信があったが、唯一正直な自分をやれる場所で問題を起こしたいとは思わなかった。自分で言うのも変だけど、もともと悪い人間ではなかったのだ。 パソ通ではIDという証拠が残るが、インターネットではIPを記録されなければ、まず身元は分からない。身元がばれず(ということは、責任を問われることなく好き勝手ができる)、赤の他人がうじゃうじゃいるネットという場。 ストレスMAXな、暴れたい人にとっては、まさに理想の場だろう。殴り飛ばしても(言葉でだけど)現実には何の影響もない。相手は自分を罵るかもしれないが、やはり現実には何の影響もないし、逆に相手を嘲笑したり論破する愉しみがある――と考えるのかもしれない。 現実では我慢して、仮面をかぶり、自分を作っているのかもしれない。その現実に、(ネットでしているような)本性をむき出しにした自分の姿をさらけ出すのは、もっとも避けたいことなのかもしれない。だから、ひたすら身元を隠す。 推測ばかりになってしまいましたが。
自分の発言には当然、責任があるのだけれども、その責任が問われないところがあるよね。別に本名で発言しろとは言わないけれども、その都度デタラメなハンドルで勝手なことを――しかも、不愉快なことを言い逃げする人とか。
ルールが設けられた場で、そのようなことをされると脱力してしまう。こんなことを言われてまで場(掲示板)をやっている意味があるんだろうか、とさえ思う。もちろん、何年もエネルギーをかけてやってきたものを、一部の馬鹿の発言でダメにするつもりはないが。 本来、自由の裏には責任が張り付いているはずだが、自由と勝手放埒と勘違いしているらしい。成人式で暴れるガキと同じだ。当然だが、世の中というのは自分の都合でできているわけではないから、気に入らないものもたくさんある。その事実を受け入れられないのか、それとも分からないのかもしれない。 生きているのだから、それだけは尊重して、そっとしておけばいいと思うんだが――自分に何かしてきたわけでもないのに、あいつは気に入らないからという理由で邪魔をし、攻撃し、自分の思い通りになるように変えてやろうとし、また、つぶそうとする。もちろん、無責任に。 狂っている。 なんという、損な生き方をしているのだろう、とも思う。そんなことをしている暇があったら、自分のことをしたらどうか、と思うが……人の邪魔をすることで相手にしてもらおうとする、歪んだ対応で寂しさを紛らわしているのかもしれない。まあ、そういう人を相手にしても不愉快かつ無意味だから、気にしないようにしているけどね。電話の勧誘と同じで、来るなと言ってもくるから(笑)ほおっておくしかない。気にしない。流してしまう。世の中には、本当にいろいろな人がいる。
暴走じゃないけど、最近、音楽を大音量で鳴らして走っていく車もあるね。
しかも、夜中に。 アホ……? ネットにまったくつないでいない状態からYahoo!BBには申し込めないのですねぇ。仕方がないので、無料ISPのlivedoorあたりに登録してからBBに申し込むという手順を踏もうと思う。 あ、この前、ブロードバンド環境にしてくれい、と頼まれた件であります。 法人契約は受け付けていないみたいなので(<Yahoo!BB)、個人契約になるけど、大丈夫なのかな。<クライアント
ケータイに毎日のようにワンギリがある。
ろくに使っちゃいないんだけど(<ケータイ)どうやって番号を調べるんだかね〜。 真冬のさっむい時期のど夜中に暴走族が通ったときは、「おやおや、こんな寒い中、ご苦労様です。ぶるるるるっ」と思ったものだが、祖母が入退院してからは、ちょっとしゃれにならんぞ……と思うようになった。心臓だからね。爆音で発作を起こして取り返しのつかないことになったら誰に文句をいえばいいんだろう。 道の両側の電信柱にワイヤーでも結んで、事故らせてやろうかとか、でかい風呂敷を用意して全員その中に閉じこめ産廃と一緒に埋めたらどうかとか、捕まえて素っ裸にして逆さにつるして写真を撮り、そいつの近所に配り歩いてやろうかと思う(冗談だけど)。 あいつらは、それを卒業(?)して、何年かたって、後輩の暴走を見ながら、俺もやっていたことがあるんだよなぁ、などとへらへら笑っているんでしょうかね。自分が人様に何をしていたのか、本当にわかる時はくるのでしょうか。 あれもこれもとやることはたくさんある。 頭が悪いので、あれをしてからこれをやって……などと計算するとぜんぜん進まない。なので、とにかく思いついたことから片づけようとするんだが――細かいことなんだけど、意外と時間がかかって一日つぶれてしまったりする。こんなことに時間をとられて、いちばん進めたいことに手が届かないのは馬鹿げている……と思っても、やらないわけにはいかないんだよね。 まあ、その細かいことの積み重ねで次に進めるのだろうから、坦々とやっていくしかありません。一発逆転なんて幻想っすよ。
おおみち礼治
|MAIL
|