おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
ううむ、あまりそういうことはないのだけれども、昨日の透析中の頭痛には参ってしまった。頭痛と吐き気。耐えたけど。帰ってきてからも治らないのですぐに横になったのだが……今日もダメ。
仕事がぜんぜん進まない。 困るよなぁ。 でも、こういうときに症状を拒否すると――懸命にヤダヤダと顔を背けて症状を向こうに押しやろうとしているのだけれど、身体と症状とはでかい輪ゴムで繋がれていて、決して離れないというイメージ――どんどん苦しくなるので、受け入れた方がいい。 このままだと、もっとひどくなってしまうのではないか……など考え始めると、もうパニックになってしまう。だから、細胞を信頼して任せるという意識で、すっと力を抜いて症状がおさまるまで大人しく楽にしているしかない。
中古CDを買ってみた。浜崎あゆみ、安室奈美恵、相川七瀬、椎名林檎、平井堅、aiko、Hysteric Blue……。ぜんぶで10枚。総額1160円。一昔前なのは仕方がないが、BGMにするには充分だ。
なんだか、いろいろ周りで動き始めた。 自分では一歩も動いていない。坦々と目の前のことをこなしていただけだ。的に矢を放つことで新しいことが始まるのではなく、矢が的に刺さってくる――向こうから新しい話がやってくるという現象が起き始めている。ホームページの話もそうだし。 おもしろい。
昨日、ひさびさに熱が8度まで上がった。頭痛のほか、仙骨の痛みと動悸がひどい。横になっていても眠れないし、起きていてもつらいだけで身の置き場がない。もともと冷え性なんだけど、足の先がしびれるくらいに冷えて、どうしようもないので、お湯に足をつけたりしたけどぜんぜん楽にならない。
動けなくなってきたので、しょうがない、親に手伝ってもらってベットに横になり、カイロを足下に置いて痛む仙骨部をさすってもらった。それで少し落ち着いたので厚着をして寝たのだけどね。それでもなかなか寝付けなくて、起きて汗をかくので水を飲んだりしてやっと眠りに落ちたのが4時過ぎかな。 薬は飲まない。経験的に飲まない方が早く治ることを知っているからだ。 昼まで寝ていて(いつものことだが)、起きたらすっとしていたので、熱が下がったことが分かった。案の定、36.8度。今日は透析日だったが、問題なくできた。 ま、そういうときもあります。
やっと、GOサインがもらえた。
気になるのは、トップページのデザインだ。ここだけのヒミツだが、一部、某サイトのパクリなんだよね(^^;。クライアントに参考に見せるために一週間で作ったのだけれど、正式にやることになると、その部分が納得いかない。 でも、あのデザインでOKをもらっているので、大幅な変更はできない。 難しいところだ。 やはり、スキャナーが必要になる。エプソンとキャノンだろうが……ちょっと調べてみたんだけど、やっぱりわたし的にはエプソンがいい。キャノンはいい製品を作っているが、極端な気がする。性能はキャノンの方がスペック的によいのだが値段が高い。エプソンは、それより若干機能は劣るけれども、値段が手頃でアイデアに優れた製品を出している。たまに、なんだこりゃ的な製品もあるけど。 スペックにこだわる人はキャノンの最上位機種を選択するかもしれない。しかし、ちょっとものが良くて手頃な値段の製品がいいと思う人はエプソンだ。とりあえず使えて安ければ何でもいいという人は、本当に何でもいいんだろうけど。
誰も見ていないような、ど夜中にNHKが自然環境のBGVを流しているでしょう。突然、そういうものが見たくなって、お店に行ってみた。あるある。ハワイにバリ島、屋久島、奄美、地球の大自然……。迷ったあげく、ジャケットの写真に引かれてタヒチのDVDを買うことにしました。
見た。 夜明け前、雨が降り注ぎ、ときおりカミナリが、どどんと音を立てて空を一瞬、明るく照らし出します。椰子の木に覆われた島々と、透き通ったような青い海と空。ラグーンの波の色とさざ波の音、教会に集う人々。ゆらゆらと揺れるボートから見た無人島群、そして海の彼方に沈む雄大なサンセット。 空から見たタヒチの美しさには、鳥肌が立ちました。 ……が、それだけなのですね。何かが足りない。DVDだから、画面はくっきりとしてとてもきれいなのだけれど、五感のうち刺激されるのは視覚と聴覚だけですから――その場の雰囲気、風が肌をなでていく感じや空気の香り、日の暖かさ、空間の広さ、その土地のバイブレーションといった「感覚」にうったえかけてくるものがない。そんなに簡単に自分の――というか人間の感覚は騙せないのだなぁ、と。 頭脳は情報ひとつで簡単に騙せるんだけどね。どっちが高級な機能か? というと云うまでもないのだけれど、普通は逆に思われているかもしれません。よく考えると人間の本来的な事に関わる重要なことと思います。
昨日は、朝の5時まで起きていた。
ちょっとねぇ、自分でも理由ははっきり分からないのだけれども――先生の言葉の何かが引っかかったのだろうが、なぜか悔しくて自棄徹夜(?)に近い状態になっていたらしい。 当然、体調は良くなくて、最低限しなくてはならないことだけして昼寝三昧だった。朝、眠くてもぱっと起きあがって、軽く食事をして、朝の空気をいっぱい吸い込み散歩して、昼は仕事をし、夕方遊んで夜は遅くとも0時には就寝する――というのが理想、とは以前書いたような気がするけれども、本当にそうなりたい。 そういう当たり前のことが出来なくて、栄養ドリンクとか1日数分の運動でどうにかなるものでもないことくらい分かるんだけど。
この前の日記を書き直してライティンに投稿してみた。
以下も、投稿するつもり。 学生らしい。池か湖か、とにかく水が張った地に真っ直ぐな道がある。両脇は水である。大理石かか何か分からないが、石畳が敷いてあり、木と藁(?)で作られた屋根が張ってある。その先にクラスの皆が集まっているのである。そのさらに向こう側には何かがあり、順番を待っているといった体である。友達が問うた。 「おれは卒業したら、○○をする。オマエは?」 答えられなかった。てきとうに返すには返したが、本心ではなかった。何をしてゆくのかなど、まるで分かっていなかった。 と、いう夢を見たのが16日。 17日は新月であった。目を覚ますと、まっすぐな雨が静かに地に降りそそいでいた。ぼんやりしつつ考えた。おれには何がある? 学校である。卒業式が終わり、てんでに帰ってゆく。下駄箱のどこに靴を置いたのか分からなくなってしまう。手の届かないほど高い下駄箱は所狭しと並べられ、何千足も納められるようだ。 探しに探すのだが、一向に見つからない。何度も、はだしで帰ろうかと考えるが諦めきれない。何十分も探し回ったあげく、はたして、ついに見つけるのである。しかも二足。 安心して学校を出ると、たいていの生徒は帰ってしまっていて人の姿はほとんどない。バス停に向かう。なぜか香取慎吾がいて、今度、発売になるVAIOのノートパソコンってどうよ? などと話をする。 17日に見た夢がこれである。香取慎吾はThinkPadではなかったか……などと細かいことはどうでもいいのだ。 夢とは利用することができる。 予知夢だとか、死んだ人間が現れてお告げを垂れたとか、そのような派手なことはいちどもない――いや、亡くなって数日後に、当のばあちゃんが夢にでてきたことはあるけれども、それはまた別のお話――が、私の場合は、現在の自分の状態が如実に現れる。 手持ちの夢辞典にはこうあった。 「靴:基礎固め。人生の岐路にあるあなたを守るもの。(中略)たくさんの靴をはくことは、たくさんの任務をはたすことです」 なるほど、一足目はすぐにわかった。もうひとつは、あれかこれかそれか……おそらくあれであろう。 夢とは――夢占いのように、なにそれがでてきたら大吉です。彼は密かにあなたのことを思っています。思い切ってアタックしてみませう……なんて結果を見て一喜一憂するのもよいのだが、それとは違うレベルで、たしかに意味を見いだすことができるもののようである。
いつものようにいつものごとく、マスコミがあおることで愉快犯がたくさん現れるだろう、ということは見えていた。人の窮状を作り物のエンターテイメントであるかのように楽しんで、ヘラヘラ嗤っているのだ。他人にどれほどの迷惑をかけ余計なことをさせてしまうのかなどまるで考えず――いや、もしかしたら考えており、それすら楽しむための余興として、さらに世の中を混乱させる事をしたりする。ほとんどその心情は理解できないのだが、ろくでもない者なのは間違いがない。そうやって批判する者すら嘲笑うのだから手に負えない。
白い粉のことだけでなく、たとえば以前、校門前に被害者の首が置かれていた事件が起きたときに、花束を持って校門前に行って手を合わせてしまうような連中も同じだ。あれは、他人事として楽しんでいるのである。 本当に自分(の人生)を大切なものとして取り組んでいる人間が、そんな余計なことはしない。だいたいは、自分自身にまるで目が向かない人――おそらく「救いようのないほど空っぽで何もできない」自分に無意識のうちに気がついていて、そういう自分に対する勇気がないため(自分のことに身を入れることができず)、結果として、外側のものに必要以上に関わる――というかバランスを欠いた関わり方をせざるを得ない人々なのだろう、と思う。 対象にされた人はたまったものではない。正体を明かさずにすむ安全な場所から――もしくは一見、正しいことをしているふりをして、いいたいほうだいやりたいほうだいをし、人を傷つけ暗い欲望を満足させる。顔を見せずに何か意味のある事を言ったつもりになっても、当人には迷惑なだけで進展はしない。正体を明かし、傷つく覚悟で臨まなくては、意味のあることにはなるまい。
@niftyの「前世の謎〜過去数の不思議〜」という占いをやってみた。以下、その結果である。
これは間違っている(爆)。
たいていは、文章が未熟であらすじに過ぎないのだけれども、たまーに知的なというか、馬鹿げて見えても馬鹿では書けない、その人の様々が見えてくるような文章に出会って、保守的――というか官僚的な運営をしている自分を発見して反省することがある。
わかりにくくてすまん。メールしてみるか……。 学校の一室でクイズ番組を催している。自分の番がまわってきて、問題を出されるがまるで分からない。飛行機が急旋回すると、引力が外側に引っ張られるので内側の空気が薄くなり、寒くなるのだと誰かが話している。番組は進んでゆくのだが、次第に気分が悪くなり鼻血が出てきてしまう。 タオルで隠していたが耐えられなくなり、保健室へ行くことにする。仲のいい友達が二人ついてきてくれたのが嬉しくて、「おお、やっぱり君たちは友達の中の友達だっ」と思う。もう一人は、心配そうにこちらを見つめるが、立ち上がらない。あいつは、ちょっと格好をつけているところがあるから、まあ、そういうやつだ、と思う。 保健室の扉はガラス張りの観音開きで、鉄格子のように重々しい装飾がついている。しかも、年季の入った風で錆び付いて全体が焦げ茶色になっている。その扉の前で友達の一人が寝そべってしまう。なにをしているんだ、と思っていると、後ろから声がかかる。扉の向こう側の、厚い唇に真っ赤な口紅を塗った、眼鏡の女が驚いて「専務!」と声を上げる。そして、ついでのように私たちを一瞥し、まあいいわ、入りなさいというのである。 という夢を見たのだ。
ひさしぶりに某サイトの更新を行う。それで気がついたのだが、IE 5.5 SP2ではNetscapeのプラグインが使えなくなっているのだな。ということは……サイトで使っているプラグインも使えないということなのだ。
むおー。 対処法は書いてあった。しかし、200以上あるHTMLを書き換えなくてはならない。 むひょー。 散歩。この前より距離を歩いたが、それほど疲れなかった。やっぱり、持続っすよ。
寂しいんだかなんだか、猫がいま机の横で寝そべっております。にゃごにゃご鳴きながらキーボードの上に乗ってくるのでとっても打ちにくいんですけど(^^;。
さっき――夜中の11時にFAXしたら、すぐに電話があった。明日は日曜日だし、返事は月曜日以降になるだろうと思いこんでいたので驚いた。こんなに遅い時間まで仕事をしているのか……。って、それは自分もだけど、私の場合は、さっきはじめたところなので(笑)、先方がいまの時間に仕事をしているのとは意味が違う。なんだか、ますますやりますぜぃという気になった。 グイン・サーガ81巻。グインとレムスがやり合うところが面白い。 必殺、肩すかしは笑ったなぁ。
やあっと、お返事をいただいた。「これで進めてもらったらいいんじゃない」ということらしい。よしよし。でも、少しイメージが違ったらしい。<ホームページデザイン しかし、聞いたとおりに作ろうと思うと、FLASHが必要だろうし、それだと見られない人が出るからトップページでやるのはやめたほうがいいんじゃないかと思うのですけどね。
ひとつひとつトップの人に確認してもらいながらの作業になるので時間がかる。腰を据えてやろう。
あー。月齢計算はあきらめた。いちいち入力してもらうことにする。
天気が良かったし、気温も暑からず寒からずで気持ちよかったのでひさしぶりに散歩した。ほんの少しだけだったんだけど……気分良く歩けたので分からなかったのだが、どうも俺は疲れたらしい、と気がついたのは数時間してからだった。ちょっと横になったら、そのまま熟睡。思った以上に体力が落ちている。 夜中、なんとなくテレビを見ていたら、漁業の跡継ぎがいなくて、船員にインドネシアの若者を雇っている、という番組をやっていた。がっしりとした体格に、夢を持って頑張っている――焦ることなく、一つ一つ確実にこなして、黙々と働く外国の青年を見て、素直にすごいなぁと感心した。人間はこうでなくてはいかん、とさえ思った。 格好はつけているんだけど、頭でっかちで、その割にイージーで、本当はどうでもいいことにとらわれて当たり前のことができず、うつむいてため息をしているひ弱な日本人――GNPが世界で2位とかそんなことは関係なく、国の勢いは世界の国の半分以下の位置にしかない日本――というのは、かなりやばいのではないか、なんてことを考えた。それって自分のことなんだよね。夢って何だろう?
まだホントじゃないなぁ。<風邪
そんなの簡単かんたーんと思って、ほとんど何も考えずにスケジューリングCGIを作りだしたのだが……面倒くさい! 既存のCGIをいくつか見てみたが、満足できるスクリプトはない。支店ごと(?)に表示を分けたいのと、他の情報と一緒に表示したいということがある。あと、満月、新月の日を求めたいんだけど……月齢計算なんてどうやったらいいんだ? ああっ、早くも見積もりの失敗が分かってしまった!(^^;
どーも、担当の看護婦さんがTさんだと、風邪をひくみたいだ(笑)。帰ってきてから、鼻がぐしゅぐしゅなって、今日も熱が出て一日ほとんど横になっていた。この時間になって少しおさまってきたけどね。
戦争では何も解決しない、と多くの人が気づいている。テロ撲滅のためと称しているが、戦争を始めたことで実際はさらなるテロの可能性を増大させている。拳銃を突きつけて大人しくさせても解決したことにはならない。引き金を引いて首謀者(とその側近)を黙らせたとしても、彼らは単独でそこに存在していたわけではないのだから――親もいれば子もいて、親戚や支持者や「同じ神を奉ずる民」が存在してるのだから、必ずそこに新たな憎しみを生み、新たにテロ(報復)を考える人物が現れてくる。となると、完全にテロを撲滅するためには、次々と殺さなくてはならない。殺せば殺すほどさらに殺さなくてはならない。ここまで殺せばいい、という線がない。極論すれば、行き着くところは人類の死である。 事件に対して、なにもできないと言うけれども、当事者も関係のない人も、できること、することはただひとつ。理解すること。どうしてそのような現象が現れたのか、それをしたらどうなるのか、しなかったらどうなるのか、さまざまなレベルがあろうが、自分のことに置き換えて理解すること。 今度の戦争で、いろいろなことをいろいろな人が考えている。せめて意識変革の切っ掛けになればと思う。
「また、よろしくお願いします。むふふふふ」などというので、来るものと思っていたのに彼女は来なかった。ある人がこういったから、というのが理由らしい。もう少し詳しく言うと、「ある人」がいう「それ」に参加する条件が整っていない、ということらしいんですけどね。「ある人」が、これ以上ないほどすごい人なのは知っているが、どうも、その方を自分の中心としてしまって――ちょっと、普通でないほど傾倒してしまって自分が失われているようだ。
いくらすごくても、しょせん他人――というか別個の人間だからね。完全に「ある人」と一致するという無理のある事柄が最優先事項になっていて、そのために自分の感覚まで無視してしまっているのではないか。別に宗教ではないけれども、盲信という言葉が思い浮かぶ。自分の感覚を使って、自分が生きてゆかなければダメだ。 自分を見つめるというのは、自分の体や精神をよく感じてあげるということだと思うのですけどね。大切なのは、その感覚に忠実であること。いくら尊敬しているか好きなのか知らないけれども、彼女は近づきすぎて自分を見失ってしまった。いちど自分の中から「ある人」を突き放して真に自分を取り戻さなくては危ない。 それにさ。 何をするにも、自分がそうしたいから、という理由より優先される理由がある人と付き合ってもうまくいかないと思うんだ……。
多大なエネルギーを費やし、新しいものを創出している人物に対して、匿名で的はずれな批判というか、誹謗中傷を繰り返す人って……なんなんだろうねぇ? 匿名でなくては言えないこともあるだろうが、それを逆手に取って言いたい放題だもんな。他人はともかく自分はどうなんだろうね。その方が100万倍も大事だと思うのだけど。生きているのは自分なんだから。
世の中に不快なものはたくさんあるけれども、もちろんわざわざそんなところに首をつっこむ必要はない。しかし、見せられてしまうということもある。しばらくぶりに、そういうものもあると思い出させてくれた。多分、そのようなものが現れたときは、自分を省みる時なんだろうとも思う。 それはいいんだけど――。 他人の行状にいちいちケチをつける奴ってのは、己の俗悪な精神性を世間にお披露目しているだけだということに気がついた方がいいね。それを見てそのように思ってしまう自分の偏見(フィルター)があるのだ。だれもそんなことは言っていないのに、勝手に勘違いして怒ったり呆れたりしているんだもの(^^;。あなたにはそう見えるのね、ということだ。
打ち合わせしてからもう一週間もたつので、そろそろなにか結果を見せなくてはならぬ、と思ってトップページだけ作ってしまう。気がついたら朝の4時。サーバにアップして、FAXを入れておく。
それから寝て、起きたら午後2時。特にいつまでにやらなくてはいけない、ということのない細かなこと――のびのびになっていたことを行う。ほんのちょっとしたことなんだけど意外と時間がかかる。2ヶ月ぶりに、個人ページを更新したりとか。 なんだかねぇ。 いままでは、目をつぶり、両手で耳をふさぎ、味も匂いも触った感じもほとんど無視して、身を縮めて暗闇の中をどこへとなくただ流されていたような気がする。自分の、こうしたいという感覚を信ぜず、外側にある情報を中心にして右往左往していたのだな。情報の激流に巻き込まれ、その流れに合わせるのに精一杯で、自分の感覚を無視せざるを得なかったといえるかもしれない。それでは、本当に生きているとはいえない。書いてしまうと簡単だけれども、なにかやるぞと力むことも焦ることもなく、他人に見せつけてやろうなんて気もなく、自分の足で快適に歩けるだけ歩けばいい、ということに納得した。同じ事を言っていても、少しまた変わった、と思う。 客観的に何かすごい変化があったわけでは全然ないのだけれども、自分的には大事件だ。やっと、薄目を開けることが出来たという感触だ。 いいことありそう。
ラピスが来た。キーホルダーの石は、思ったよりも小さかった。勾玉はいい感じ。革ひもがついているのだが……ついているだけなので、首からさげるのにどうやって結んでいいのか分からない。石は濃い青にところどころ白や金色の石が輝いて見えてきれい。
猫が本棚の上で寝ている。……どうやってのぼったんだ?(^^;
これは嘘である、という思いこみでものを見る人が本物に出会うことはなかろう。というか、見抜けまい。これは逆の立場の人もそうだ。だから、肯定も否定もしない。
どのようなことも、その人の持っているフィルターを通して認識されるということがある。そのフィルターを捨て去り、素でものを見ることができなければ永遠にケンカになる。ひとりひとり違うフィルターを比べて、おれはこうだ、いや、おれのはこうだといっているのだからね。 どっち派でもそうだけど、出演者は名前を売るのが目的のように見える。そういう業の匂いがぷんぷんする。毒にも薬にもならぬエンターテイメントとして楽しむ分にはいいが、目くじらたてない方がいい。こういってはお終いだが、メディアそのものが張りぼての嘘っぱちだからね。いちいち乗せられない。 いつだって本当に大切なことは足下にあるものだ(偉そうだ)。 汚くて臭い生き物がいるところは、汚くて臭くなるものだ。逆も然り。汚ギャルとかさ(笑)。そのことに善悪はない。ただ、そうだというだけだ。
おおみち礼治
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