〓月夜の日記〓(つぶやき版)
もくじへ。昨日へ。明日へ。


2001年09月30日(日) 音楽祭 その1


中学の頃、 音楽祭があった。



はじめて、地区センターで、 音楽祭が行われることになったのだ。



いろんな中学から、バンドなどが出る。



そこに、あたしらの中学も出ることになったのだった。


中学のとき、、、在籍していたのは フォークソング部・・・
(これ、あんまり言いたくないんだよねえ)


しかも、あたしなんて、歌いたくて入ったので、

ギターは下手、超下手、、、、 簡単なのしか引けないし


みんな いいギターを持ってたのに、あたしだけ、わけわからんメーカー、、、


なんか ちゃんとした楽器屋さんで買ったのではなく、


適当な雑貨やみたいなところで、ぶら下がってた安いやつを 


ケース付きで、買ったのだ。


あやしいギターは、あやしい音色。


赤いバラもようが、中心の縁取りになっていて、


それにだまされたんだけどさあ、




みんな、モーリスとかさあ、、、YAMAHAの3万はするギター・・・・


あたしのは 1万5千円くらい・・・・ ははっ・・・・



薄いさあ、かっちょいい 貝の綺麗な模様のが、よかったと
後で気づいた・・・・ばか。。。。





そんなこんなで、 フォークソング部といっても、あたしは別に
歌いたいだけで、ギターの才能がないのは、とおにわかっていたのですが、
友達もいたし、やめる気はなかったのだ。

今思えばへんだわ。
ふふ。



まあ、


そんなこんなで、


音楽祭に出ることになったんだけれど、


あたしは下手。 もう歌だけすき。

ともだちはギターも好きなので、 一緒にツインでやっていた。


それにピアノを弾いてくれる友達もいた。




だけど、音楽祭に出られるグループ数は決まっているので、


下級生たちと、合体して、 そのときだけの大勢なバンドになった。


バンドっていっても、ギターだらけ。。。がっくり。



そして、下級生に合わせて、(あたしにも合っていたけどさ)

簡単な曲をセレクトした! 


それは!




井上陽水  『夢の中へ』だ!



まだ斎藤由貴が 歌う前だ!(あたりまえ!)




ミーティングで決定して、 練習するが、あまりに突然だったため

時間もなく、 どんどん音楽祭の日は、近づいていったのだった・・・・






つづく。


2001年09月29日(土) 同じきもち



ビートたけしさんが、

今回のテロのことについて、


報復に反対、戦争に反対というコメントをだした。


「ふだん、平和だ、平和だといってる人たちが、
 急に、戦争だという。 どこかにちゃんと戦争反対だという
 人が、いなくてはいけない」 と。



そうそう!!


あたしが不思議だったのは、それだった



平和を願っていた人たちが、


いきなり戦争だといったところ、、、、そう思っていたのだ



よかった・・・



心強い味方に 出会ったような気持ちになった。






2001年09月21日(金) イマジン



イマジンを、、、

ジョンレノンの イマジンを、 放送禁止にしたらしいのを

知ったのは、 イトイさんのHPで、 鳥越さんの コーナーだった。

そして、それについても、今日イトイさんのコラムで、また書いてあって、、、



そう、、、放送禁止でも、自分で歌える。それが、歌の強さだと。




わたしは、、、


イマジンを放送禁止にしたことを、知らなかった。



今の世の中になっても、


そんなことするなんて、 あまりにも おかしすぎて、びっくりした。




そんなやりかたは、 とっくの昔に 終わったんではなかったのか?



イマジン・・・・  わたしは大好きだ。




放送禁止など、意味がない・・・ 音楽は自由だ。



事故の あの映像ばかり、繰り返し放送するっていうことを

やめるというのは、わかる。


わたしも 毎日TVで 流されるのがいやになっていたところだったから。





歌は・・・ あの歌をどうして?



みんなの願いだろう・・・・



戦争なんて反対だし、 報復による繰り返される 市民の死が

すでに 広まっている。




何をしたんだ? 




簡単に 戦争なんて、言わないでほしい・・・!



平和のために 戦う・・・・  




闘う・・・・・・   戦い・・・・・・





聖なる戦いなんて、 勝手に言うな! 


正々堂々と 自分だけで、立ち向かえ。 



思い通りにならないからと、 たくさんの命を犠牲にして、


周りを巻き込んで!



たった 一人で きちんと、 意見をのべて




お互い 納得するまで、話し合う。  正面きって、相手の目を見て。


それが





本当の 戦いだろう。




戦争なんて、 言葉が なくなって



戦争するなんていう、 気持ちもなくなればいい!





それを みんなが 望んでいる。


2001年09月20日(木) 家出




ちゃんと 家出をしたのは、  20歳の成人式のあとだった。




それまでは、 数回。







高校のときと、卒業してからは、あっちこっち。








卒業したあと、 お金が、なかなか たまらなくて

なんだか、苦労したな。








今の時代、 友達同志で暮らしたり、

一人暮らしをするのは、 もう ごくあたりまえだろう。






その頃は、 市内に家があるのに、 女の子が一人で暮らして
なんで????と

先々で、質問攻めにあった。



それくらい、 いなかった。 



わたしの周りの友達には、 数人、 その頃すでに 実家をでて
一人で暮らしている人がいた。


どの人も、市内に実家がある。


地方から出てくるなら、正当化される一人暮らし・・・・



つらかった。


家を探しているってことが、 なんだかもう、 つらかった。



喜びじゃなく、仕方なく出る一人暮らし・・・・ そう思っていたから。


今みたいな、楽天家のあたしじゃなかった。








初めて 外泊したのは、 高校の卒業式の日。




母親と父親は、あまりに もめていた。


暴力的な 父親。


こりない 母親・・・・



あたしだったら、とっくに別れてるな。 そんな男は最低だ。




家を出る 決心をしたのは、 高校のとき、



父親に 殴られた母親は、

あたしの後ろに 隠れた。




それまでは、 子供を巻き込むなんてなかった。



父親は、手出ししなかったが、あたしは たまらなく、迷惑だった。



子供の後ろに隠れる 親なんて・・・!!!



家を出ようと 心に決めた。








だから、

高校なんて、早く卒業したかったし、

卒業式後も、別にたいして思い出もなく、 


いつものように、 夜 彼氏と会うことになっていた。






派手にけんかが始まって、あたしはもう 巻き込まれるのがいやだった。


兄はいつものように、いなかった。



すっごく いやな雰囲気。

今でも大嫌い。 男の暴力・・・




すぐに家をでた。


彼が来るのを 待った。


家に、帰らないつもりだった。



ずっと 彼を待っていると、(時間よりずっと 早かったし、携帯は当時ないし)



兄が 通りかかって。



また、喧嘩してるよ、と言うと、 へえ〜、ってなカンジで家に向かった。


兄は もめごとのあるときは、たいてい 出かけてるから。





しばらくして、やっと彼がきたとき、 偶然 兄が出かけようと通りかかった。


そのとき、

すれ違いざまに言った。


「帰って来いだって」


そして、どこかへ、出かけていった。






聞いた瞬間、 もうぜったい 今日は帰らないと思った。



彼と一緒に いた。 







本当に家出するのは、それから 2年ほどたってしまった。




成人式に振袖を 着たかった。


だけど、ちょうどあたしは 17日に 契約をするところだった。


親にも 全然会っていない。


仕事をしながら、お金をためていた。



たまらなかったけど・・・・・・


振袖をきて、駅に集まってる友達が、うらやましかった。

みんな、 親にいろいろ やってもらったんだろう。



あたしは、そんなことで 親に関わるのは いやだった。


借りも作りたくなかった。






自分で ワンピースを買って、 美容院で髪をアレンジしてもらい、



当時 花やで働いていたので、職場にいって、


テキトウに仕事仲間としゃべって、 さびしさを紛らわせた。



夢だった、でっか〜い カスミソウの束を、そのとき 初めてもらった。


うれしかったな・・・・・





その二日後、


一人暮らしのための、契約をかわし、



不安ばかりを 抱えて、 家をでることになった。




それまでの日々は、ずっと 仕事がない日や、終わった後も、

家探しに明け暮れて・・・




やっと 決まって ほっとした。





そのことは、全部 親には言わないで すすめていた。




荷物も、毎日ちょっとずつちょっとずつ 仕事仲間の車で、


運ぶのを手伝ってもらって。




そして、あとはもう、残していくものにして、


もう 帰ってこない、と 思いながら 荷物を 持って、玄関に行くとき


はじめて 母親が 口をひらいた。



『出て行くの?』






あたしは、 黙って家をでた。







2001年09月19日(水) 蒸発



ある日突然 家族がいなくなることを

こんなふうにいう。 蒸発。






うちの母親は、 

わたしが小学生のとき 蒸発した。


確か、5年か6年だった。



その日は、



なんの変わった様子もなく、 母親は 身支度をして 出て行った。

わたしは、友達をちょうど連れてきて、


部屋で遊ぼうと思っていたのだった。


わたしが家に帰ってきたから、よけい 今思えば そそくさとしていた。






『ちょっと出かけてくるから』
あせって 母親はそう言い残して ふつうにでていった。



わたしは、そのあとも、友達と遊んで、
いつものように、 バイバイっていって、 夜が来た。







それっきり、  帰ってこなかった。




ちょうど 夏休みだった。




父親が 怒ったように あたしに問いただした。


最後に見たのが、あたしだったから。




それからは、


母親のいない生活だった。



母親から、連絡があるまでは。




その間のことを、あたしはよく、覚えていない。





あまり考えないように、していたのかもしれないし、


いつものように、 友達と遊んでいて、忘れたのかもしれない。



父親と、母親、どっちにつくのか、と 


兄とこっそり話し合ったりもした。



あたしは 母親についていくと言った。 そのときは。








ある日、連絡が入った。




父親が電話をとって、



しばらくして、あたしにかわった。



兄は家にいなかった。







受話器から、母親の声がきこえたとたん、




あたしは 一気に泣き出した。



「お母さん、かえってきてよ〜〜〜!!!!」 と

すっごく 泣いて言い出した。


実は自分でも、びっくりしていたのだけれど。


だってほんとに、泣く気なんか、なかったのだ。





すごく泣いているわたしをみて、父親は 半分満足げに見えた。

わたしが、泣くから、母親が帰ってこようと、

思うと、思ったんだろう。










父親本人が、一番困ってるのだ。実は。


わたしなんて、 そのときは、毎日夏休みで、遊んでばかりで

たいして、気に病んでなかった。



今に始まったことじゃなかったし。



それまでも、家をでた経験はある。



そのときは、 あたしも一緒だったけど・・・・・








『何か欲しいものはある?』


母親が 言うから、あたしは 


『本が欲しい』といった。 読書感想文を 書く宿題があるからって。





『分かった、じゃあ、本を買って帰るね』



わたしは、 うなづきながら、 なきじゃくっていた。




父親に受話器を渡して、ずっと 泣いていた。


泣く気なんか、全然なかったのに。







『こんなに 泣いてるんだぞ! 早く帰ってこい!』


父親は 偉そうに 言っていた・・・・・・・  最悪・・・







それから、 数日して帰ってきた。



母親がいなかったのは、 夏休みの1ヶ月間くらいだったと思う。




もう 薄れた記憶だけど、



あの 出て行くときの、母親の顔が、 今でも忘れられない。




情けない父親は、



『もしこのまま、おかあさんが帰ってこなかったら、
 テレビに出て、 呼びかける番組に出るしかないぞ』と 言っていたのだ。




すごく いやだった・・・・ 



いつも、わたしにとばっちりが来る。 兄はいつも、いなかった。



そんな番組、その当時 しょっちゅうやっていた・・・


家出人捜索番組





行方不明・・・・蒸発・・・・ 大きな写真をだして、

泣きながら 家族が訴える番組・・・・



大嫌いだった。


子供ながらに、 情けなくて、あんなの 見ていられなかった。


蒸発した人を 探す・・・・


行方不明なら、 警察や・・・・ それはすっごく心配だけれども。




あとから、聞いた話では、


母親は、駆け込み寺のような、女の人が家庭のいろいろで、

どうしても 家を出るという相談を受け付けてくれるところに

逃げていたんだという。




うちの父親のせいだ。



暴力と、ちゃんと仕事をしないという、決定的な致命傷のせいだ。



父親失格。



自覚なし・・・・   




子供ながらに 思っていた。 別れたほうがいいのに、と。




すごく、いやだったけど、それしか、方法はないのだろうと。







結局、今も離婚してないんですけどね。 




今じゃもう、昔の暴れん坊の 面影もうすい。







ふっと、 思い出した。




あの 夏休みのことを。






父親は 今、 60を過ぎて、 ガンになったが、元気。


仕事は何もしていない。






母親は 今も 働いている。


2001年09月18日(火) 地震のこと。




今朝 4時過ぎにあった、地震のときに、思い出した。


小学校のときにあった、大きな地震のときのことを。




あれは、昼間

うちは 団地の5階だった。





家には、父親と、小学校、、、たしか4〜5年生のわたし。


犬(マルチーズ)が2匹。




コタツ机で、父親は、熱燗をいっぱいやっていた。

テキトウなつまみと とっくりとお猪口。

見慣れたかんじ。



母親と、兄はいなかった。



どうしてだかは、覚えていないけれど。




そこで、

いきなり、 すっごく揺れだした!


地震だ!!!!  と、すぐ思った。


小さいときから、 天災が苦手。 いつも火事とか、地震とか・・・


想像しては、 怖い・・・・・!!!と思っていた。






あまりの 揺れの大きさに、


父親が立ち上がった!「柱につかまれ!」



二人して、 トイレのとこの柱につかまった。


玄関のすぐ横にあった、トイレの柱。

トイレは柱で囲まれているから、(ユニットではないので)一番いいと

父親は、つねづね言っていた。



走って すぐ柱につかまった。


父親の表情も、とても真剣だった。


そこに、 呼んだわけでもないのに、 犬が2匹とも来た。

足元に、 おなじように 寄り添って じっとあたしたちの顔を見上げた。



その顔が、今も忘れられない。 今は2匹とも天国だけど。




酒が、こぼれた。
とっくりがたおれ、 お猪口の酒もこぼれた。

揺れて、ものが移動するかんじ。




かなり、揺れが長く感じて、 わたしが経験した地震で、

一番大きいという 印象がある。 すごく長かった・・・・・




地震がおさまり、 震度は4だったという。



たしか、、、、そうだったと思うけど、

「うそだ〜」と思ったりした。


「うちは5階だから、 下より揺れる」と、父親は言った。





さて、 今朝の地震は・・・


けっこう 一気にゆれた。


最初、だんだん大きくなって、いったん おさまったか?と思ったら

ガタガタガタガタッッ!と、 大きく揺れだした!


わたしは 黙って バッと立ち上がり、 窓と、扉を速攻であけ、

さらに玄関のロックを あけた。


夫も立ち上がった。 めずらしく。



二人とも、起きてTVをNHKに。


(おかしいことに、TV消したのに、
 地震の前に ついてたんだよねえ・・・・どぼして?)


そういえば、 ずっと夢をみていて、 夢のなかでも、揺れだしたとたん

『地震だ!!!!』 って ・・・・・



もおお、 疲れる・・・




でも たいしたことなくて、よかったな。


すぐ おさまって、よかった。 ほんとに。






2001年09月17日(月) マドンナのひとこと



昨日の新聞で、 そして、J-WAVEのジョンカビラさんの番組でも、



昨日のマドンナのひとことは、 印象深いし、

そのとおりだと思った。



今回の事件のことで、

「暴力は暴力を生むだけ、 わたしはこれからも末永くしあわせに
 暮らしたいし、 子供たちも、それを望んでいる」



コンサートの中で 発言したこと。



そして


「今日は忘れてもらうためではなく、 人生の素晴らしさを知ってもらうために」

と。





平和への祈りをささげたあと、 マドンナは こういった。



あたしは

マドンナに対して、詳しいわけではないけれど、



この言葉はすごく、 心に残り、そしてあたしも そう思った。



だって、



犠牲がうまれ、 さらに また攻撃し、 そして 繰り返す、、、

今までと同じこと。


簡単に戦争だなんて、言わないでほしい。





すごく、不安だ。。。。






2001年09月16日(日) 注射のとき・・・



今日ふっと、思い出した。


小さい頃、注射のときのこと。

よく、予防接種を 小学校などでやりますよね。



そういえば、このまえ、TVで、やんちゃなかわいい 男の子が、
みんなで、小学校の予防接種を受けて、
一番やんちゃなのに、 ずっと、ず〜〜〜〜〜っと

教室に帰っても、泣いていた。
立ち場なし・・・・はは・・・・



誰でも小さいときは、 ああいうのって、苦手だよなあ・・・




そういうとき、



あたしは いつも  じっと心に思って 乗り越えていた。



よく、並んで順番待ちするでしょう、あんとき、一番いやな気分に
なってくるんですよね〜。ほんと。


あのときに、もおう
呪文のように 繰り返し、
「あと数分後には、 とっくに終わっているんだから、だいじょぶ、だいじょぶ」

と思うようにしていた。
そうするとね、 ほんとに不思議と、乗り越えられた。




歯医者のときもそう!



わたしは、小学校上がる前までは、 とても歯が良かった。
一本も虫歯がなくて、 誉められてばかりだった。


それがですね、
とたんに、虫歯だらけになった。

生え変わりの時期にも、かなり。


残った糸切り歯は、真っ黒になっちゃったりしてた。



ぐらぐらな歯が、なかなか 抜けなかったときも、
とうとう自分で抜くことにしたとき、 糸でしばって、
ひっぱったりして。


それでも なかなか抜けなかったときも、あったな〜!




ある日、下の歯を抜こうと思って。


糸を巻きつけて、机の引出しに結んだ。

小学校の活発なあたし。

意識しているときは、 なかなか抜けないもんなんだよなあ・・・・



そのとき、 ふっと違うことに夢中になっていた。

椅子から、 くるっと向きを変えて
何か取りに行こうとしたそのとき!!!



あっけなく 歯が抜けましたね。  もう スポンッと!


なんかねえ・・・・思った。


そのことに 集中してるから、 だめなんだな〜!ってね。



だから、

しばらく 大人になってからも、 いやなことがあるときは

この瞬間だけで、 もう、数分たったら、これは、終わってることなんだから、


なんて 言い聞かせているんです。




注射・・・ どうしてもだめだったのは、 ハンコウみたいなやつ。
細かい針が、剣山みたいになっていて、 肩のところに打つ、
とっても痛そうなやつ。すっごい いやだった。




あまりに、やりたくなくて、熱がでた。
その当日。

だって、あれって 跡が残る。。。。 それが絶対にいやだった。
子供ながらに、いやで。


だからあたし、肩のとこは、綺麗。




一生このまま。 あれだけは 勘弁・・・



2001年09月15日(土) MOON/FISH2 Another side OPEN



今日から、正式にオープンということにしました。


古いほうのMOON/FISHも 今までどおり続けていきます。

こちらの、2のほうは、
いろいろと、考えたい。

そして、古いほうも 整理して、もっと見やすいページを
作りたいと思います。




こっちは、容量がまだいっぱいあるし、
画像がどんどん載せられるかと思うと、めちゃ楽しい!


みなさんに オープンするまえから、
この日記風なものは、どんどん書いていたけれど、

2のほうは

個人的な感じで、 ひとつのことについて、
ポツリポツリと 進めていきたいと思います。


今日はずっとPCと 向き合って、 もう何時間だろう。

午前中からだから・・・・・  8時間は このままかなあ?

運動不足ですわ。こりゃあ。



ファイナルファンタジー10は、全然手につかず、、、、



どうして、こう
ホームページのことになると、何時間でも座っていられるのか
ほんとに自分でも、こんなふうになるとは、思わなかったんだけれど。



これからも、どんどん 直していって、
いっぱい コーナーも作りたいです。



ということで、

とりあえず、お知らせまで。






2001年09月14日(金) 悲しいこと

悲しいことって


どんなことだろう。


どういうときに、本当に悲しいのだろう。




あたしは


気持ちのことが、大きい。


相手に伝わらなかったこと。


伝えられなかったこと。


すれ違い、、、

見ないふり・・・・・




悲しい出来事は、

毎日ニュースで 流れる





麻痺しても 平気でいる人




大切なものを、、、 壊すこと





いいかげんに 扱われること





押し付けと、 決め付け。




勝手すぎること。









空っぽになった 心



悲しいことって  ひとくちには 言えないみたい。


2001年09月13日(木) 細いアスパラ



最近
安く売っている

細いアスパラ。 束になってだいたい¥100


これが、美味しいんです。


しっかりはしてないけれど、


すじっぽくないので、

そのまま 手軽に炒めたら、あっという間に美味しくなる!


ちょっと 太めで、しっかりした、新鮮なのも、もちろんおいしいけれど、




炒めるのには、案外こっちの 細めのアスパラのほうが いいかも。




ほそくったって、


いっぱい 束になってるんだい!



弱気なアスパラが、

みんなで集まって、強気に言ってみせるような


そんな束。




今日は 簡単に炒めて ごちそうさまでした。


2001年09月12日(水) N.Yの事件後




イトイさんがやっている、
「ほぼ日刊イトイ新聞」というHPでは、

現地にいた人たちから、寄せられたメールや、
実際、めずらしくシアトルに行って、帰ってくる予定だった
イトイさん本人からの、メッセージなど、



読んでいると、それぞれから、今回のテロ事件のことが
なおさら、 現実的になって伝わってくる。



NHKや、フジTVでは、連日ずっと、この事件について、放送中。



ニュースの時間帯になると、 また始まる。




テロを許せないのは とてもそう思う。



だけど、アメリカは、


強引に わざとではないけれど、 



市民を巻き添えにした・・・



それが、こんなふうに返ってきてしまってる・・・・





繰り返しても、意味が無いのに




また、



この事件のあと、 向こうのなんの罪も無い人たちを、



巻き添えに するのだろうか?





簡単に 崩れ去る・・・・・





解決の方法は、 あるのでしょうか?


2001年09月10日(月) 冬へと。


このところ、

一気に日が短くなってきた。

12時間 くらいになってきた。 日の出、日の入りが。


夏は7時過ぎまで明るいはずが、


このまえ、仕事帰りにふっと 思ったっけ。


あれ? なんか暗くなってきたな。。。


まだ 5時頃だった。



夏なら・・・・残業2時間しても まだ明るい。

今は、定時で帰っても暗くなった・・・・・


こう感じると、冬になるのは、早い。


秋は、あっという間に過ぎるから。




毎年


こんな時期になると、 日の長さで季節を感じる



どんどん 暗くなって
なんだか さみしくなったり・・・


木枯らしが吹く季節になると、 なんだか早くうちに帰りたくなったり。

シチューのCMも もうすぐかな。


おでんとかさ、


なんか あったかい酒が似合うようになって。


そしたらもう、 クリスマスもお正月も、あっという間だ!






今年も半分以上。



毎年どんどん、月日の流れが、速くなる。



あっという間に年取るって、 ほんとなんだろね。



2001年09月09日(日) 朝顔ジャングル


職場の勝手に作った、花壇にあたしも参加し、
植えてもらった、朝顔2株。


すっごいですね。

地面に繋がっているからか、どんどんどんどん伸びていって


植木鉢のものじゃあ、想像できないくらい、
めちゃくちゃに伸びていく。四方八方。


1株はうすい、すっごくうすい、紫で、元気なかったんだ。
もう1株は、濃いピンクで、元気満々だった。


うすい紫のほうは、伸びも悪く、
なんだか、焼けちゃって、葉っぱの色も、、、だから心配で、

だめになったかと思っていた。
花もなかなか咲かない。


一方、 元気のいい濃いピンクの方はもう、
どんどんどんどん、スクスク伸びて、あっという間に花を咲かせ、
さらに グイグイ伸びていった。


紫のほうは

ちらっと1輪花を咲かせただけで、その後ぱったり。

伸びているけれど、ピンクにはかなわない。



だから、なんか諦めて、まあ、しょうがないね〜なんて言っていたら。



すごいです。



めちゃくちゃ元気になって、


どんどん花を咲かせている!


毎日毎日、ピンクより多いだろう。


元気だ! すっごく!!!! よかったよかった。


朝顔って、ほうっておくとドンドンドンドン、もお
とりとめもなく、伸びていくんですね、すごい。


職場の雨どいを伝って、どんどん上へ上へ!

そして地面を這って、横へななめへ、たまらん勢いで進んでいる。


だってもう、、、、9月。。。。



一体いつまで、咲くのでしょうか?


種がいっぱいできるだろうな〜!


うれしい!


そしたら来年咲かせよう。


楽しみは、まだまだ続くのだ。


2001年09月05日(水) アンクレット



8月から、デビューしたもの。


それは アンクレット。

今まで一度もしたことがなかったんだけど、
靴下も短いのがはやっているし、ちょっと がんばって痩せて
スカートをはけるようになったからかもしれない。

友達とふと、桜木町に行ったときに、買った。
たしか、ワールドポーターズ。

ふっと見てたら、急に買いたくなって。

安いのだった。¥1200

シルバーと、ビーズでできている。



なんだか、鎖の部分が多すぎて、一番短いところにしても
かなりたるむ感じで、残りの余った部分が踏みそうな感じになるので、
二重にしてとめた。


それからずっと慣れた感じだったんだけれど、



気に入ってて、、、 緑と黄緑と、、、、水色、、、
いろいろなビーズがちんまりと繋がって、

お風呂に入るのも、どこにいくにも一緒。


なんてかんじだったんだけれど、



旅行中にはずれた。



石巻に泊まっていたときだった。 まだ初日。


東北の旅のスタートで、ホテルについて、くつろいでいたときだった。


ベットの上で、漫画なんか広げて たらら〜〜〜ん♪なんて気分のとき

パラッ・・・・と

落ちたんだった。


よかった〜と思ったのは、

街を歩いてるときじゃないってこと。

わからなかったり、無くしたり・・・・

気づいて、無いことに気づいたりしたら、な〜〜んかいやな気分になるから、



そのテンは良かったが、

それにしても早すぎ。



くさりの切れ目が 開いたのが原因だった。



それからずっと、

旅行から戻ってきても、ほっぽっておいたんだけれど





今日直してみた。


ペンチがなかったので、 ハサミではさんで・・・


これがなかなか、難しいんだけど

すっごくちっちゃい、鎖の部分をはさんで・・・・

ギュ〜〜〜〜と・・・・



はさむまでが、むずかしかった。


成功しました。 だからまた、あたしの足に。




なんだか、うれしくなった。

そして、風呂に入るときも、また一緒。



ずっとつけておくならば、


こんどはもうちょっと、ランクアップして
頑丈そうで、繊細なのを、買おうかなあ・・・・


なんて
アクセサリーが、あまり興味ないあたしが久々に
興味をもった アンクレットだった。







2001年09月02日(日) 夫の寝相と、いか飯のまるかじり


もんのすごい 晴れ方の今日。
もう 日差しがまぶしいなんて もんじゃなく、痛い。


このごろ、

夫の寝相が悪すぎる。

悪いっていうか、 布団のど真ん中で寝ようとするのだ。

毎日毎日。

いつから?ってくらい、もうさ〜、 あたしは端に追いやられ、

起きてしまい、なんだかもうっ! ゆっくり眠れないっ。


うちの布団は、ダブルロングだ。

夫の背が高いし、体つきがゴツイ。でも太ってないからまだいい。。。



どっちかが、いつも先に布団入って、眠ってしまうけれど


そのときはちゃんと、お互いぶつからないように、半分から、そっちとこっち!

なんて感じで、眠っているのに



気づくと、夫がど真ん中・・・・


なぜ?


あたしは 布団から落ちそうなんだよなあ。


目覚めてしまう・・・・




夫がど真ん中で 寝たがる理由はなにか?




謎だ・・・・





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そして、


ああ、今日はTVで見て、すごく懐かしくなって、


ずっと食べたいと思っていたものを、食べました。


それは イカ飯。



わたしが子供の頃は、
うちの実家でよく、作ってくれた。

でっかいイカだったから、 テキトウに切って、
中はもち米で。。。 おいしかったんだよな〜!



それを、今日、スーパーで見つけた。

パックになっていて、北海道のやつ。


ちょっと高いが、迷わずカゴへ。

夫はぶーぶー言ってたけど、いつも自分の食べたいものは、
どんどん買うからさ、 あたしはこういうときは、有利!


そして、晩御飯のときに、1本たべました!


おいしかった〜!


だってもおおお、あのイカの煮えた感じとさ、

味がしみてる ご飯と。。。。 イカってほんと、なにしても美味しいな。


2本入りで¥498だった。
1本は、夫にあげた。


なんか、 実家のイカ飯、たべたくなったな〜!


よく考えたら、ほんと、あんな家庭でも、子供の頃に食べた味ってのは


家庭の味として、懐かしくて、忘れられないものになるんだなあ・・・・


なんてしみじみ。



イカ飯、焼き竹輪の煮たの、もつ煮込み(これはどこよりもうまい)


もっとあるだろうけど、今は、腹いっぱいなので思いつかないみたい。。。

はは。




ということで、


夢のイカ飯のまるかじりは、今日無事に、果たしました。



やっほっ。また買おうっとっ。


2001年09月01日(土) 出だし好調!な9月


9月の記念(??)に、一人で酒を飲んだ。


ってのは、うそで、夫が飲み会で、めずらしく出かけるため、
だったら!あたしも! 家で、一人で酒酒! 明日は日曜だし〜!

なんて、思って、駅まで一緒に行って、夫は電車で戸塚へ。

あたしは そのまま買い物して、家へ。


ビールを冷やしつつ、楽しい楽しい酒をっっ。





飲み始めたのは、6時45分くらい。



そして、夜中12時過ぎまで、飲んでいた。

さすがに、12時頃からは、水なんかも一緒に。


ビールロング缶、2本と、 JINRO。 いろいろなもので割った。

いやあ、もう何杯飲んだか分からないけれど、楽しかったっす。



いろ〜〜んなものを、買い込んで、週末に飲むってなんか、楽しい。
居酒屋に行くよりも、リラックス&安上がり!
好きなことをしながら、TV見つつ、もうさあ〜、いい〜〜!ね。



ダイエット中なのに、このありさま、と思っていませんか?


いいんです、息抜きながら、ちょっとずつ減らせばいいんですっ。

一進一退の今日この頃・・・ いいんですっ。



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