大切な人の死が目前に迫っていると感じたとき、 向き合うのは、悲観に暮れるためじゃなく嘆き悲しむためじゃなく 命あることの意味、生きていくことの深さ、命の尊さ、重み、 生かされていることの実感、自分外との関わりへの感謝・・・
本当の意味での、人として今こここの瞬間に在る自分という存在を いかに自分以外のために活かしていけるかをきちんと考える 大切な内観の時を持たされている、与えられた学びの時間なんだなと思う。
互いに詫び、互いを許し、互いを認め、互いに感謝する。 祖母の口にする言葉にならない「ありがとう」には そんな想いがいっぱい詰まっているんだなぁと感じています。 誰かを遠ざけたままの心の寂しさほど辛いものはない。 待って焦がれて最後は涙ですべて許しあえる 病院のベッドで静かな時を過ごす祖母に与えられた時間の流れは 心をほぐすための大切な経験なのでしょうね。 日々「嬉しいね、良かったね」が増えていきます。
いろいろな経験、様々な感情、複雑な関わり。 本当に生きていると捌ききれない山ほどの感情があるけれど、 「終わり善ければ総て善し」って まさに、今の祖母のためにある言葉なのかな。 感謝して笑って迎えられる最期は 懸命に生きてきた祖母への一等すばらしい御褒美なのかもしれません。
私も、いつか訪れる今生の終わりまで 精一杯笑っていられる生き方を目指していきたいなって思います。
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