Mother (介護日記)
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2004年09月20日(月) |
“車椅子で電車に乗って出かける”ということ |
昨日、友人2人と鎌倉へ行って来ました。
母と行った思い出の場所でもあります。
今日は久し振りに介護のページを更新しました。
新しいアルバム「車椅子で電車に乗る」には、 車椅子利用者が駅での乗換時に一番の難関となる階段での移動について 写真で紹介しています。
車椅子の利用が必要な人も、周りの協力を得てもっと外出しましょう。
車椅子なんかなくたって家の中なら不自由はないという人も、 車椅子を使えばもっとあちこち遠くへ行くことができますよ。 外出は唯一、車の通院だけと言うのではもったいないじゃないですか。 “車椅子でラクをしなさい”と言っているのではありません。 安全なところへ移動したら、自分の足で立って歩けば良いのです。
母は当時、家の中では自分でトイレに行くことができました。 しかし、長い距離を歩くことはできませんでした。 車椅子で買い物や散歩に行くと、 「そうやってラクをさせるから歩けなくなる」と言われました。 他人には病気のことなんてわかるわけはありません。 家の中で数メートル歩けることと、外に出て何kmも歩くのは明らかに違います。
車椅子に乗っていた母が、車に乗ろうとして立ち上がると、 「なぁんだ、立てるんじゃないか」と言う人がいました。 介助によって一瞬立ち上がって数歩動けることと、歩き続けることは違います。
車椅子に乗っているから脚が悪い・・・という発想は、 時に当てはまらないこともあるのです。 母は「突発性間質性肺炎」で、歩くと呼吸が苦しくなる。 それで車椅子が必要だったのです。
知らないのだから仕方がない。 しかし、そういう無神経な発言が外出を億劫にさせているのだと思います。
介護する人にとって車椅子での外出は負担だと思いますが、 お互いにまだ体力があるうちに出かけましょう。 青い空の下で心地良い風に吹かれて、いつもと違う景色を見れば、 わずかながらもストレス解消ができるのではないでしょうか。
暑過ぎず寒過ぎず、お天気が良くて雨の心配がない。 介護する人もされる人も体調が良くて通院日でもなく、 来客もなければ家族の予定もない・・・と言うような都合の良い日は、 実はそんなにたくさんはないのかも知れません。
行ける時に行った方が良いです。 どうぞ、その瞬間を逃すことがありませんように・・・
2004年09月05日(日) |
「世界の中心で・・・」 は せつない |
お涙頂戴物はキライな我が家だけれど「世界の中心で愛を叫ぶ」は、2話から見始めた。 原作も映画も、かなり話題になっていたから。
身近な人の死がテーマになっているので、どうしても母のことと重なってしまう。
入院に対する驚き。 長期化する不安。 日に日に弱っていく体。
余命いくばくもないことが疑いようもなく明らかになった時、残された時間をどう使うのか。
本人は何を望んでいるのだろうか? 周りは何をしてあげられるだろうか?
朔と亜季の結婚式の記念写真を見て、 母に京都の映画村で着せた文金高島田の写真を思い出した。 そうだ、家族写真も、スタジオでちゃんと撮っておくべきだった。
オーストラリア行きの計画は、母の退院を決意した時を思い出させた。
この作品を、母がまだ生きているうちに知っていたなら、 まだもう少しできたことがあったかも知れない。
この1年半の間に介護サービスの業者は増えて、 私の通勤時間には各社のデイサービスの送迎と重なり、 それを必要としている人の存在をうかがわせる。
『人込みに車椅子は無理だから』と諦めた花火大会。 それならなぜ、家の庭で花火をしてあげなかったのか・・・
絹江が着た浴衣も、母に着せてあげれば良かった。 家の中で着ても構わなかった。
もっとあちこちに連れて行ってあげれば良かった。
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