Mother (介護日記)
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2002年04月24日(水) 覚えていない

昨日、徹夜明けだった私は(=_=) ← てつやあけ と変換したら、この顔文字(爆)

え〜、昨日、徹夜明けだった私は、睡眠不足から、昨夜は9時前に布団に入ってしまった。

狭い我が家だからそんな早くに寝る私が悪いのだけど、絹江ときたらピアノの練習中で、
ヘッドホンをしてくれているものの、頭の上でバコバコと鍵盤をたたく音が気になった。

そのうちに、居間に行ったようで静かになった。
私は布団に張り付くように、やがて眠ってしまったようだった。

次に目を覚ましたのは、やはり母の声だった。

「お風呂は?」

「入ったでしょ、夕方。」と絹江の声。

「え? 私? 夕方? 入ってないよ。」

「入ったじゃん、もう」

「まだ、入ってないよ」

「入ったんだってば」

そんなやり取りに、起きようかと思ったところ、今度はレフティーの声。

「今日はもう入ったって、ALLUREから聞いてるよ」

「そう?」

絹江が机の上のベッドへの階段を上り始めたので

「今何時?」 と聞いた。

「11時」

「そう。今日は早いんだね」 と言って、私はそのまま寝たのだったが、
母が数時間前のことを覚えていないと言うことがショックで、胃が痛くなった。

いつも寝る前に私がお風呂に入れている。
そのリズムを壊した私がイケナイと言えばそうだけど。
今日は、夕方、ももひきを濡らしたと言うので、そのついでにお風呂に入るように言ったのだった。



昨日、もうひとつ、やはり数時間前の記憶をなくしていた。

私が早寝をする前、
「今日は遠くまでお散歩に行って疲れたから、私はもう寝るよ。
 おばあちゃんも疲れただろうから、早目に寝るようにね」と言ったところ、

「お散歩? どこに行ったっけ?」

「海まで行ったでしょ?」

「海?」

「だからぁ、海岸を歩いて、途中で老人会のIさんに会ったよねぇ?」

「あぁ、Iさんね」

昨日の海までのお散歩は、母にとっては初めてで、喜んでいたのに。
風が強く波が荒い中でサーファーがたくさんいて、
以前はお友達と、ここまで来てお弁当を食べていたことなどを話してくれたのに。

私が、「母のために」と思ってやっていることは、単なる自己満足でしかないのだろう。
「やってあげたのに、忘れてしまうなんて」と言う気持ちが存在している。

母にとっては、その瞬間が幸せで楽しければ良いのであって、覚えていなくても仕方ないことだ。
それを責めるのは、おかしいと思うのだけど。

「動けない時」と、「動けるのにできない、わからない」と言うのでは
私の対応に大きな差があるようだ。


2002年04月23日(火) 自然のエネルギー

昨日たくさん買い物したので、今日はお散歩にしよう。
初めて、海まで歩いてみた。うちからは1kmぐらいかな。

海岸線を走る車のスピードは速いので、路肩を車椅子で歩くのは恐いくらいだ。
なんか、ごうごうと音が聞こえる。 ダンプ? 違う、波の音だ!
今日は風がすごく強かったから、波がすごく高かった。
今日は火曜日なのに(違)← 「Big Wednesday」って知ってますか(謎)


2002年04月17日(水) ケアプラン未定

夕方、ケアマネージャーの松浦さんの訪問があった。
近所に来たついでに母の様子を見に来てくれたのだけど、それだけだった。

デイサービスについて、
「一番近い○○では、待っている人がたくさんいるようですよ」 とのことだったが、
このケアマネージャー自身も、通所介護施設を持っているはずだが・・・?

具体的なケアプランはまだ何もできていないようだった。

「ベッドのレンタルだけだったら印鑑は要らないので・・・」 と言われれば、
『特に(うちに)来る用事はない』 とも取れる。

「今日は近所の○○さんのうちに来たんだけどいらっしゃらなくて。
 ご家族と一緒に生活するはずが、ご本人が嫌がって・・・」 などという話しを聞けば、
なんとなく 『お宅よりも大変な家があって忙しい』 とも取れる。

考え過ぎだろうか?

そもそも、介護保険のシステムがまだわかっていない。
市役所と家庭との間に、ケアマネージャーがいて、その他にサービス業者がいる。
複雑だ。

ケアマネージャーにプランの作成を一任した以上、こちらはじっと待っているしかない。

デイサービスの利用が遅れるのであれば、
浴室の床上げやシャワーやウォシュレットなどの自宅改造について早期に検討していただきたい。

その旨を伝えると 「知っている業者があるか」 と聞かれたので、わからないと答え、
この件についてもケアマネージャーにお任せすることになった。

私が短気なのだろうか。


仕事を辞めてしまったことについても 「もったいなかった」 と言われたが、
未だサービスが受けられないような状況で、
とてもこんな母をひとり置いて1日仕事に行くことはできない。
 
もっとも、それほどの想い(親のことが心配だけれど仕事を急に辞めることもできず)を
胸に秘めて勤めている人もいるのだと言われたら
私はスパッと辞められる状況にあるだけ、幸せなのかも知れないが。



今日会った 「のんた」 も言っていた。
のんたも一人っ子で、市内に嫁に行き現在はご主人の両親と同居しているが、
最近、自分のお母さんの体調が優れないので、実家に泊まる日が多いのだと言う。
彼女もお父さんが既に亡くなっているので、お母さんを看るのはのんたしかいない。
ひとりで置いておいてその間に何かあったら・・・と思うと、とても何日も一人では置いておけない。
ご主人は両親がそろっているし、まだ若いし、兄弟もいる。
嫁だろうが何だろうが、自分の親は大事だ。

「のらさん」 もお父さんを亡くしたばかりの一人っ子。 
お父さんが亡くなってからは、お母さんと同居している。私たちはみんな一人っ子で、
嫁でありながらも自分の母親を看なくてはならないという共通の不安を抱えている。


2002年04月15日(月) セキが出る

この2,3日、またセキが出るようになった。

夜中や朝方、苦しいほどに発作的にセキが出る。
母はセキが続いても、それを止める方法を思いつかない。

激しく続くと寝ている私も目を覚まし、
枕元の水筒に用意してあるお茶をあげたり、飴をあげたりする。
こうするとすぐに治まるのだけど、何度教えても、その方法にたどり着かない。


あいかわらず、電動ベッドを使いこなせない。


母はすでに自発的な行動が減っていて、自分から動くのはトイレぐらいである。

言わなければ起きないし、着替えないし、顔を洗わない。
食べた後の食器を片付けに来ないことも多くなった。
食べ終わるといつのまにかベッドに寝転んでウトウトしていたりする。
昨日は、私とレフティーが部屋の掃除に夢中になっている間、ずっと昼寝をしていた。


* * * * *


家事のうちで母ができることをひとつづつカードに書き出し、
私が仕事に行っている間に、それを見ながらできるようにと考えていたものの、
カードを「これからやる仕事」の箱の中から出して作業し、
終わったら「終わった仕事」の箱の中に入れるというのは、
母にとってはそれも難しかった。

私が退職したからといって、すべての家事を私がやれば良いと言うものではなく、
体調を見ながら簡単な家事は手伝ってもらった方が身体にも頭にも良いので、
私がカードを1枚づつ差し出して、それをやってもらうことにした。
「食器洗い」 「金魚の水替え」 「お米研ぎ」 「洗濯物をたたむ」
カードは目で見て確認できるので、何度もやりとりしてイライラすることはない。

さらには
「買い物に行きます。 お化粧をして、ウエストポーチを用意しましょう。」
「スパに行きます。 タオルと、靴下と・・・・」 というカードも作ってみた。

先日バーベキューに出かけた時には、
初対面の人と知らない場所に連れていかれるという不安を取り除く為に、
前日までに、ホワイトボードや日記にメンバーや場所についての予定を書いておき、
当日は「○○公園にバーベキューに行きます」と書いた札を首からかけておいた。

まるで幼稚園生だ。
見方によっては「ふざけている」のかも知れない。
しかし、どこに何をしに行くのか、この人たちは誰なのか、は重要な情報であり、
口で言っても3分で忘れてしまうようでは「ここはどこ?」になり兼ねない。

実際、バーベキューに行く途中、
「これからどこに行くんだっけ?」と何度聞いても、
「これから? え〜? どこ行くんだろう? 知らない」と言うのだった。
その度に「ほら、ここに書いてあるでしょ?」と札を見せて確認させていた。

* * * * *

私はあいかわらず、母の日記のゴーストライターをつとめて、
今日の出来事をチラシに書き出し、母が日記に書き写している。
それを、やることがない時に何度も声を出して読むようにしている。


2002年04月12日(金) 浴室の事情

昨日は私の体調不良により、検診後のSPAは中止して、
代わりに自宅で絹江にお風呂に入れてもらった。

SPAでは何度も絹江に手伝ってもらったことがあるけど、
自宅で絹江にすべてを任せたのは昨夜が初めてだった。
圧迫骨折をするまでは一人でお風呂に入っていた。

圧迫骨折当初は、介護支援センターやケアマネージャーや
介護支援用具レンタル業者が連携して電話や訪問を受け、
早期に介護用電動ベッドが入ったので、私としてはデイサービスについても、
介護認定後すぐに利用ができるものと考えていたがやっぱり甘かったようだ。
介護保険で利用できるサービスの計画については、まだ連絡がない。

何を利用したいか、と聞かれてもまだ良くわかっていなかったが、
我が家のお風呂の事情だけは伝えて、当面はデイサービスを、と希望しておいた。

うちの浴室は、床面から40cmも降りなくてはならず、
浴槽は「据え置き型」で、63cmの高さをまたいで入らなくてはならない。
今時シャワーもないので、沸かしながら浴槽の湯を汲み出して使わねばならず、
使ううちに浴槽の中のお湯が減ってくるので水を足しながら入るものの、
この時期ではまだ沸かす方が使う量に追いつかない。
こんな状況では、二人で一緒に入るのは無理だと思っていたので、
痛みが治まってからはSPAを利用していた。

SPAならシャワーが使えるので非常に楽だ。
私が洗っている間にも寒いようであれば、シャワーをかけて待つことができる。
また、絹江が一緒の時には、交替でどちらかが必ず母をみることができる。

しかし、そうそう毎日SPAに通う訳にもいかないので、
ここ数日は自宅でお風呂に入れ始めていた。

自分が先に入り、すべて洗ってから良く温まったところで母を呼ぶ。
床面の段差に気をつけて、肩に母の腕をかけるようにしてゆっくり降りる。
それでも、こうして自分の足で歩けるから、なんとか入ることができるけれど。

ちょうど「おもいっきりテレビ」でも、脳梗塞の予防には入浴がいいと言っていたが、
母にとって入浴は楽しみのひとつになっている。

昨日、市役所に古い介護保険証を返却に行った時、自宅改造についても聞いてきた。
浴室の段差は、借家の為、現状復帰が簡単なすのこ等で解消したいと思う。
シャワーもつけたいところであるが、住宅改造費はひとり20万円までである。
これから暑くなってくるので、検討したいところだ。


2002年04月11日(木) 本日は定期検診。

今日は定期検診。

整形外科の予約に合わせて8時半までに行かなくては・・・

今日はレフティーが休みなので車で連れて行ってもらえる。
帰りはまたランチとSPAになるかな。
だって、母は行ったばかりでも翌日にはもうすっかり忘れていて
「ねぇ、たまには温泉に行きたいね〜」って言うんだもん。
昨日もレフティーが休みだったので、そうお願いしていた。
「え〜? 日曜日に行ったばっかりじゃん?」
「え? 行ったばっか? そうだったっけ? 忘れちゃったぁ」 (〃´o`)=3


ってか、もう3時過ぎてるんだけど(^_-) 
早く寝なきゃ・・・そのうちに新聞屋のバイクが来るよ〜


* * * * * 


検診、遅刻しました(笑)
8時に家を出る予定だったのに、レフティーが起きなくって。
まぁ、休暇のたびに用事が入っているので仕方ないと思って、私も無理に起こさなかったんだけど。
自分で起きてきたのが8:10で。
どう急いでも8:30に病院は無理ですね^_^;

で、一般的な予約だと時間キッチリに、という制約はなくて、
例えば内科の場合、10時の予約だとすると「10〜11時までに」という解釈。
だけど、整形外科の木曜日というのは手術の日なので、
主治医の診察を受けたいのであれば、8時半までに来るようにとのこと。

前回も予約時間をすっかり忘れていて注射と薬だけだったけど、今回も、ま、それで良し。

内科の10時に合わせて病院に着いた。

「え? ここで降りるの? 病院? 私が診てもらうの?」
相変わらずな母である。

「私、どこか悪いの?」
家では、「私、背中が痛いから病院で診てもらいたい」と言うのにね・・・^_^;


* * * * * *


「背中が痛いんだけど、私、どこか悪いのかしら」
病状については、紙に書いてファイルに閉じてあげている。

   背中の痛みは、もろくなった骨がつぶれてしまったからだということ。
   だけど、薬と注射で痛みは取れてくるのだということ。
   ほかのお年寄りと同じように、骨折をすると少し背中が丸くなってくるということ。

だけど、母の中では「背骨が折れている」という部分だけが強烈に印象付けられてしまったようで
何度もそのことについては、私に不安を訴えてくる。

「私の背骨が折れているって言うけどホントかしら?」

その度に、
「動けないほどの痛みが取れて歩けるまでに回復したのだから大丈夫だよ」と言って安心させ、
そして「今後転ばないように気をつけようね」と注意を促す。

痛みや不安で眠れないようならば、ラベンダーオイルなどを塗ってあげる。


* * * * * *


先に整形へ。
ここでも、誰が診てもらうのかと聞いたり、
自分がどこが悪くて治療を受けるのかがわからなかったので説明。

「背中が痛いから、注射を打ってもらおうね」

30分も待たずに呼ばれて、看護婦さんに注射してもらって終了。

そして内科へ移動。
内科の前のソファはギッシリだったので、私たちは外科の前で待っていた。

『まだ何か診てもらうの?』
「今度は内科だよ」
『どこを診てもらうの?』
「なんの病気だったっけ?」
『私? さぁ?』  (-_-;)
「おばあちゃんは、肺炎なんだよ」
『え? 肺炎? 肺炎っていうのは、高い熱が出るんだよね〜?』
「そうだね。そういうのもあるけど、おばあちゃんみたいに熱が出ないタイプもあるんだよ」
『肺炎にもいろいろあるんだね〜』
「なんと言う先生に診てもらうんだっけ?」
『さぁ、知らない・・・・あぁ、K先生?』
「そうそう。忘れちゃだめだよ。」
『うん、K先生ね。』

そんな話をしている間に、主治医が廊下を通り過ぎるのを見つけた母は、
手を振りながら積極的に話し掛けていた。^_^;
M『センセ♪ こんにちはぁ(^▽^)/』
K「あぁ。 ちゃんと覚えてるじゃん^_^;」
A「何をしに病院に来ているかはわからなくても、先生のことはちゃんと覚えているんですよ^_^;」
K「あ、仕事へは復帰しましたか?」
A「いえ、そのままです(-_-;)」

診察室に入ったのは11:30。

『中待合』と呼ばれる場所に貼ってあったポスターに目が行った。

【 慢性閉塞性肺疾患 COPD 】
40歳以上の喫煙者に多く、気道がつまっているので少しの動作でも息切れがします。
タンやセキが長引きます。

治りにくい肺炎って、これのことかな? 母は喫煙はしないけど・・・

「毎日車椅子で買い物に行っています」
「そういう時は調子がいいでしょ?」
「はい、知ってる人に合うとこの調子ですから、
 みんなは母のことをどこが悪いんだろう、どうして歩かないんだろうと思っているみたいです(笑)」
「そうだろうねぇ(笑)」

血圧も血液中の酸素濃度も問題なし。
主治医に「骨折以来、あまり食べられない」と話すと、
痛み止めを飲んでいるせいかも知れないとのことだった。
そこで、ロキソニンは整形でフォサマックが処方されているので中止。
病状も落ち着いているので、現在ステロイド1日2錠のところを1日おきに1錠に減らすことになった。

K「それじゃ、転ばないように気をつけてね」
M「はーい♪ よろしく(と言って主治医と握手をする)」
K「これが選挙だったら、確実に1票獲得だね(笑)」


2002年04月10日(水) 食べたいけど・・・

母は、先月の18日に胸椎の圧迫骨折をしてから急激に食べられなくなった。

「食欲がない」のではなくて、「食べられない」のである。

当初は、激痛のあまりに、食べる気も起こらないのではないかと思っていたが、
その後、痛みが取れてからも食べられないようなのだ。

お風呂上りに体重を測ってみたら51.5Kg。
1ヶ月もしないうちに2.5kg減。



入院前には47Kgだったのが、あれ?と気づいたら頬がプクプクしてきて、
さらには、あごや首や背中まで肉がつき、54kgにもなっていた。

主治医が検診のたびに「腹8分目、いや6分目でもいいですよ」と忠告はするものの、
毎日家にいて特にすることもなければ、食べるぐらいしか楽しみがないのも現実。

人は「そのうちに歩けなくなっちゃうから、歩かせなきゃダメだよ」と言うけど、
3分も歩けば息が切れるようでは、とてもお散歩は無理。
それに、私が仕事に行っている間に一人で出歩くのは危険なので、
食器を洗ったり洗濯物を干したりするのが唯一の運動だった。



今まで通りに食事を作っても残すようになったが、
そうかと言って極端に減らすこともできない。
気持ちは食べたいのだから、それを満たしてあげなくてはと思う。

ダイエットの方法のひとつに、
お茶碗にちょっとだけご飯をよそうよりも、
子供用の小さなお茶碗にいっぱいよそって満足感(満腹感)を得るのだというのを
雑誌で読んだことがある。

おもむろにご飯茶碗を小さくもできないので、
おかずのお皿を今までの白い平凡なものから、
ちょっとおしゃれな絵柄入りのものを使うようにした。
実際、お皿の面積も小さいので少量でもたくさんに見えるし、
白いお皿と違って柄の部分が空白を埋めてくれるという効果もあるように思う。


およその家でご飯を食べることを経験してきた私なんぞは、
みんなと同じ物がひとり分づつ分けられていて(例えば旅館の食事のように)
「これがあなたの分ですよ」と言われれば気兼ねなく食べられるものだけど、
ひとつのお皿にドカンとよそったものをいくつも出されて
「お好きにどうぞ」と言われても、実際はなかなか手が出せないものである。

母はこれまでに3回も私たちとの同居を拒んで出ていった人である。
母なりに遠慮していることがこちらにもうかがえる。

だからこそ、特に食事に関してはこちらが配慮してあげなくてはいけないと思う。
食べられないだろうと思っても、食べたいという気持ちは満たしてあげたい。

外食の時は、私と分け合っていろんな物を少しづつ食べられるようにしているが、
それも、本当ならば一人前づつ注文してあげた方が良いのだろう。
しかしこれもまた「残したらバチが当たる」と言う世代の母なのである。


2002年04月05日(金) 今日は車椅子がある

これから買物に行こう。

今日もよいお天気♪


2002年04月04日(木) お天気も良くお買物日和だけど

車椅子がなかったので、お買物には行けなかった。

昨日、一緒に銀行に行った時に車に積み込んだのを、降ろすの忘れた。(T_T)
なんか、廊下が広いような気がしたんだよな・・・

車椅子、実は玄関を入った廊下に置いてある。
狭い通路を一層狭くするが、他に置く場所がないもんで。


母は残念がっていた。

ま、こんな日もあるさ。

で、私も眠たいし買物パスしたかったんだけど、冷蔵庫空っぽで。
仕方なくひとりで行きましたとさ。

車椅子だと、買った荷物は母に持ってもらうんだけど、
今日は自分が持たなきゃイケナイから、軽いものをちょっとだけにしようと思ったけど
結局、それなりの重さになるのよね〜

母の車椅子を押す方が重いはずだけど、自分で荷物持つの、やだなぁって(笑)


2002年04月01日(月) リフレクソロジー

『おなかが空いたけど、絹江ちゃん、ご飯なぁい?』

『え? ご飯? さっき食べたばっかりでしょ?』

『あら、ホント? 何食べたっけ?』

そんなやり取りを聴いていて目が覚めた。相変らず寝ている私だった。

・・・しかし。

とうとうそこまで来ましたか。

ボケて来ると食べたことを忘れるというのは、本当なんだと確認した。


* * * * *


リフレクソロジー。 簡単に言えば「脚のエステ」だろうか。

東洋的なものは痛くて、英国式のは痛くないのだという。
私も一度、SPA内でリフレクソロジーを受けたことがある。
パウダーやオイルを使って、脚のツボ押しやマッサージをするのである。

昨日会ったのらさんはリフレクソロジーの勉強中なので、
『練習したいから、今度お母さんの脚を貸してね』と言っていたが
今日早速来てくれることになった。

母のかかとはガサガサになっていて粉を吹くほど荒れていた。

施術前、いきなりそんな足では申し訳ないので、
お湯を汲んだバケツに足をつけて少しでも柔らかくなればと思った。

のらさんは、脚の裏のツボを記した資料とパウダーを持参していた。
鉛筆で細かな書き込みがあり、熱心に勉強している様子がうかがえた。

ベッドに横たわり、バスタオルを敷いた上に膝下の脚を乗せてパウダーを塗り、
そのしなやかな手指で、ツボやリンパなどを刺激していた。

まだ起きたてだった私はその間に家事に専念していた。

施術の時間はおよそ1時間。
膝下だけで1時間というのも、大変な作業だと思う。


実は、のらさんのお父さんはこの冬に亡くなったばかりだった。

うちの母が入院した、退院したなどと騒いでいる間に、
のらさんも、糖尿を患っているお父さん連れて病院に通っていたが、
ある日、お母さんとの会話中に脳梗塞で倒れて入院、わずか半月で亡くなってしまったのだった。

のらさんは、お父さんが半身不髄になることを覚悟して、
自分の学んでいるリフレクソロジーを活かそうとしていた矢先だった。



『お父さんには何もしてあげられなかったから・・・』



通夜の日、のらさんは私たち親しい友達の前でも取り乱すことはなかった。

でも、今日はどんな思いで母の脚をやってくれたんだろう・・・


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