日記
日記です。なんかあれば書こうと思いますです…。

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2006年10月31日(火) ニュースの学校


たまったニュースをネットで読んでました。兎にも角にも学校が今やばいですね。高校の必修科目の履修が全国7万3000人ぶん漏れているとか,いじめで中2女子が自殺とか,都教育委ではいじめを教員がスルー・もしくは加担すれば問答無用で減給・クビにするなんてカテキョの大学生に課せられる規約みたいなのを全国ではじめて導入するとか,この国の教育はどうなっているんだかまじめに不安です。これらが本当なら学ぶほうも教えるほうも管理するほうもすべてダメじゃんってことですよね,これ…。

ほんの一部でそういう問題がおこるケースもありえるというのが事実だということを願うばかりです。

ではでは。

2006年10月30日(月) 自転車ぱんくしました


自転車がパンクした。おかげで学校についたのが10:15…。1時間目の講義に見事にまにあわなかった。予習した意味ナッシングですね。

とりあえずいったん戻って4時間目の講義は歩きで30分くらいかけていかなければ…。

っていうかこの自転車地味に先週の火曜日もパンクして,それで1時間目でれなくてとか,もうなおすより買い換えたほうが確実で安いんじゃないかな?

ではでは。

2006年10月27日(金) ゲーム脳?


ゲーム脳というのをきいたことがあると思います。ウィキからひっぱると「日本大学文理学部体育学科教授の森昭雄が、2002年7月に出版した著書『ゲーム脳の恐怖』において提示した造語である。森はゲーム中の脳波を測定する実験によって「テレビゲームが人間の脳に与える悪影響」を見出したなどと主張しており、この状態を象徴的に表現したものである。」とあり,ようするにゲームをすることによってゲームによって汚染された脳みたいなところです。

そして,
「この主張がマスコミの報道や講演を通して広く認知されたことにより、「ゲーム=犯罪の温床となる」または「学力を低下させる最大の原因」という認識を持つ層が現れた。「ゲーム=絶対悪」であることを望む保護者や教育関係者らに支持され、ゲームの規制を有利にするための論拠としてしばしば引き合いにされるが、主張の科学的正当性や根拠、客観性については批判的な見解が多く、同書は2003年度の「日本トンデモ本大賞」にノミネートされている。」

と地味に否定もされています。まぁ,ゲーム嫌いの学校関係者などが,ゲームが嫌いだからという理由だけであまり科学的な根拠みたいなのは考えずこの論を賛成し,逆にゲームが好きな人,もしくはゲーム産業っていうのは日本の産業の中ではおそろしく成功している分野なのでこの産業がダメになる経済的損失を知っている人,そもそも森たんを信用していない人(たぶんこれが多数派)は反対した感じです。森たんはかなりあやしい発言がいろいろある人だからね…。(最近思うんですが,大学教授っていってもいろいろな人がいるんですね…。小学・中学・高専だとある程度こういうのが先生って感じでまぁ「先生」って題名で絵でかけるんですが,大学教授は僕には絶対絵でかけない)

詳しくはWikiをみてもらえばわかりますが,まぁ,提唱者の案があまり論理的でなく(α波とβ波の役割についていまいちよくわかっていない),また今の事件は子供がゲームをすることによっておこっているという説だと,じゃあなぜゲームが盛んでない外国でも同様の事件がおこっているのか説明がつかないから,いろいろとつっこみどころがあったらしいです。

しかし,ゲームはくだらないものかというと,これは地味にYESです。正確にいけば,くだらないけど面白いものと思います。コンピュータで計算している以上,制作者が意図した確率や設定にしたがってユーザが遊ぶということで,ほとんどのゲームは,制作者が意図したとおりにすすむことになります。もちろん,例外的にはじまってすぐゲームクリアできたりいつまでやってもクリアできないクソゲーもあります。

もちろん,これらには本を読むようないい点もあります。本も大体作者が意図したとおりの結論に読者がいたるように書かれていて,それに対して読者が怒ったり喜んだり勉強になったりしているわけですが,ゲームもそれに近いものがあります。RPGは特にそうです。

小説と同じで,主人公が同じことをだらだらと繰り返し,その繰り返しをながめているうちにだんだんと主人公が好きになるわけですが,ゲームも同じで,だらだらと同じことを繰り返します。そのうちに主人公に感情移入したりします。もちろん,あんまり同じことを繰り返していても仕方ないのでたまに突然変異として仲間が死んだり敵が仲間になったり,まぁそういった類のを設けます。エロゲだったらどうするのかは知らん。

これがわかると,本やゲームをやるという行為がかなり時間を無駄にしているような気分にもなります。与えられたシステムの上で右往左往するのがばかばかしくなることがあるじゃないですか。そんな感じですね。

こういうことがなぜおこるかというと,本やゲームなどシステムを作らなければいけないものには必ず制約がうまれるからです。本ならいわゆる紙面の都合上とかそういうの。ゲームだったらメモリ容量とかそういうの。また納期・値段なんかもあるでしょう。こういう制約の中では,どうしても同じことを微妙にかえながら10回ほど繰り返してストーリーとするという格好におちつくのも無理はありません。本当はいろいろつくりこんでどこにもない世界を作りたいというものはあると思いますが,本だったらそういう世界だと10巻くらいになってしまうし,もちろんそれが売れなければば経済的なムダだし,ゲームでもCD-ROM3枚くらいにしないといけない。

つまりなにがいいたいかというと,地味にシステム的なもので動いているものを利用していると,発想というか視野が狭くなるということはあると思います。同じことをくりかえしているうちに考えが偏ってきて短絡的になるみたいな格好。これはゲームだけではなく本でも,社会システムでもおこりえます。これを防ぐにはどうすればいいかというと,やっぱり自分からシステムを作り表現する側にまわらないと考えが偏ってしまうことを防げないと思うし,これが末期状態になると考えることをやめてシステムのロボットになるということがおこりえてしまうと思います…。

考えながらゲームをやる,本を読む,社会のシステムを利用できれば最高ですよね。でも社会のシステムを考えながら利用するというのはかなり危険をともなうので素人にはおすすめできない。

ではでは。

2006年10月26日(木) データ構造とアルゴリズム


地味に「アルゴリズムとデータ構造」を落としそうな気がして怖い気分になったので図書館で勉強した。

アルゴリズムというのは,まぁプログラムをやっている人なら誰でも知っているという話で,ソートの種類だとかを知ったり,学校でコンピュータを勉強している人は定期テストのためにソートの手順を丸暗記するとか実社会的にかなり無意味なことをしたことがあると思う。漏れも定期テストのために手順そのものではなくソース自体丸暗記したことがある。いや,実際は概念的にどういうことをやればいいのかながわかっていればいいと思うよ。でも「プログラムで答えよ」とある以上正しいプログラムを解答欄にかかなきゃ○もらえないって話で正しいってどういうことかというと教科書嫁ってことだったりするよorz

という格好から,プログラム=アルゴリズムと考えられがちなんだけど,厳密にいうと違うらしくて,正確にはプログラム=アルゴリズム+データ構造をいうらしい。ただ,プログラム=アルゴリズムと定義しちゃう場合もあるらしい。どういうことかというと,学者によってはコンピュータを数学的なモデルとしてあらわして考える人と,コンピュータってようするにメモリやCPUがあるやつだろって考える人と二通りいて,前者だとプログラム=アルゴリズム,後者はプログラム=アルゴリズム+データ構造らしい。

前者はアラン・チューリング・マシンというのがそれ。アラン・チューリングたんは,イギリスの人で,ゲイでありながら第二次大戦中ドイツの暗号エニグマを解読するためのコンピュータを開発し,コンピュータのモデルの基礎を築き上げた,イギリスの英雄であり,ハードゲイの中のハードゲイだ。このモデルは当然紙の上の議論だから,このモデルにはメモリというものはあるんだけど,それを有限長として扱っていない。つまりメモリはいくらでも使えるということで,命令も数値もいくらでもこの中にいれられる。だからどんな数でも∞に計算できるとされている。さらに演算速度,つまりプログラムの実行速度も華麗にスルーしているらしい。

つまり,文字通り机上の空論みたいな格好なんだけど,アルゴリズムを純粋に,つまり紙の上では実行可能かどうかを検証できる意味では重要らしい。だからこのモデルではプログラム=アルゴリズムというわけ。

しかし,実際のメモリとCPUからできているコンピュータだと,扱えるメモリには限りがあるから変数は束縛変数になっちゃうし,プログラムの実行速度もそのハードの仕様(俗に言うアーキテクチャ)に依存していたりして,アルゴリズムをプログラムにして放り込めばいいというわけではなくなってしまった。そのアルゴリズムが理論上正しくても実際はメモリつんでないからダメということがある。たとえば,このコンピュータでは動くゲームがあのコンピュータでは動かないとか。そこで重要になるのがデータ構造。アルゴリズムで使用するデータをどういう構造でほうりこむの?ということを議論したいらしい。講義ではこの部分をスルーされたからわからなかったんだなきっと。

データ構造には,配列とか,構造体とか,ポインタ(変数への参照のことで「ぬるぽ」みたいなものは何もさしていませんみたいなことを示す)とか,そういうものがある。もっとも基本的なデータ構造は数値と文字で,これをどのようにまとめるかが大事になるわけ。実際,成績処理プログラムだと,同じアルゴリズムでも(それぞれの人間の各科目の成績うちこんで登録するだけ)データ構造を構造体を使うと配列より楽になり,処理手順が減るから計算量が減っていいというわけ。

で,アルゴリズム+データ構造を評価するのには計算量という考え方が有効。その他実行時間という考え方もあるんだけど,これはハードのアーキテクチャに地味に依存するので客観的な評価ではないのでだめ。計算量は,文字通りデータ数nをほうりこんだとき何回プログラムが実行されるの?という考え方。基本的には「最大計算量」といって,最悪のケースの結果を使う。ちなみに計算量はO(n)とあらわす。オーエヌ,もしくはnのオーダーとよぶ。教授はオーエヌとよんでいたのでここではオーエヌと考えてよぶことにする。たとえば,nこのデータが登録されていて登録されているデータを線形サーチで探す場合,配列を全部みて探すということで,最悪のケースはnこの要素全部みてみつからなかない場合だからこのアルゴリズムの計算量はO(n)であるという。ちなみに「こんにちは世界」と表示するプログラムはこれを表示するだけなので誰がどう考えても1回しか実行されないので計算量はO(1)。

一応まぁ,計算量を小さい順から大きい順にならべるとO(x)のxの部分には

1 logn n nlogn n^k 2^n

という順番で大きくなる。まぁ,n→∞にしてグラフをかくとそういう格好になるらしい。

このへんまでがテストでできなかったところだよな…。

で,次回のテスト範囲でありえそうなのは,スタック,待ち行列,連結リストの3つだろう。

一応それぞれ説明すると,これはリストというものを実現するためのアルゴリズム+データ構造。リストは,普通にnこのデータが入っていて,特定のデータを削除挿入変更できたりできますよというもの。リスト自体はマルチタスク・マルチユーザシステムなどなどで利用されている社会的用途の高いものだといえることもある。

普通に実現すると,計算量が常にO(n)かかってまどろっこしくて仕方ないのでなんとかならないかということでスタック,待ち行列,連結リストが提案された。

スタックはデータの挿入・削除を常に一番最初の要素で行おうというもの。俗に言うFIFOってやつ。ふぁーすといん・ふぁーすとあうとみたいな格好。これは割り込み処理が想定されるプログラムで大変有効で,ある処理中,別の割り込みがあったら今の処理を中断し割り込みを先に計算する,それが終わったらその割り込みをあぼーんしてさっきの処理の途中からを行うというもの。これを行えば,この処理に限っていえばデータの挿入・削除すべてO(1)で行えて効率がいいというわけ。ダイナミックなシステムむきさっ。逆にそういうことをしないシステムの場合,つまりプログラムに優先順位がきまっていない場合これを採用する意味を小一時間といつめたいらしい。

待ち行列は尻尾からデータをいれて(enqueue),先頭からデータをとりだす(dequeue)という考え方。これもデータの挿入する場所とデータをとりだす場所をポインタで参照するようにきめておけば計算量O(1)なのでウマーというわけ。ただし,データ量が多くなると∞のメモリが必要とかありえない理論がうまれてくるのでめんどい格好がある。

これら2つは,挿入とあぼーんは楽なんだけど,データの探索には結局O(n)必要になるし,また,データの途中の要素にデータを挿入することができない欠点がある。そこで連結リストを使う。

連結リストは,まぁデータをセルにカプセル化してまとめようというもの。なにとなにでまとめるかというと,データ本体と次セルへのポインタでまとめる。主に通信システムのパケット(データ分割)なんかはこれが利用される。これで分割して,ポインタを参照しながら元のデータに戻そうというわけ。通信回路の通信容量は地味に限界があるというか,おそろしく少ないデータしかおくれないので,大きなデータは分割しないとやりとりできないわけね。

この構造はわりと便利で,スタックや待ち行列と比べるとデータを挿入・あぼーんする場所がきまってないからO(n)かかって効率悪いんだけど,特定の箇所にデータを挿入したり,また,データの存在のあるなしを調べることもできるので確実性がある。スタックや待ち行列で通信システムを実現すると分割したデータにノイズがまじって紛失したりしてもそれに築かないでつみあげられてしまい,画像や音声だったら元の美しいものがホラーっぽいものに復元されてしまうんだけど,これだったら,ポインタを参照しながらつみあげていけばいいから,みつからなければ「復元不可能だよん」と表示して落ちればいいわけ。

重要なのはポインタで,これがむちゃくちゃだとどうにもならないから,データをあぼーんする時にはそのデータをあぼーんするかわりにそのセルをさしていた別のセルのポインタをどっかまた別のセルにつなぎかえないといけない。まぁ,当たり前だけどね。

挿入する場合も同様。

絶対単位とるぞーーー。っていうかとれなかったらまじでどうなるんだろ…地味に必修だしなこれ。がくがくぶるぶる。

ではでは。

2006年10月23日(月) 作曲しますた。


作曲しました。今回のはわりとやりたいことがスムーズにコンピュータでなってくれて個人的には上出来だと思っています。TOPページのコメントにも地味に工夫したところはかいておきますた。

DTMやDTPだとどうしてもコンピュータの制約みたいなものをうけてしまうので,やりたいことがなかなか全部できない,と。でもMacで作っているので,OSがわりとしっかりサポートしてくれるのでWindowsよりは不便さを感じません。Macをもっていて本当によかった。もしWindowsしかもっていなかったらたぶん普通にゲーム機に使っておしまい。漏れも廃人化していたと思う。すでに廃人だろとかいわない。ハードはどっちも似たようなものなんだけど,ソフトが違うだけでできることがだいぶかわるわけですねぃ。

講義は地味に言語学が面白かった。次回の言語の定義みたいなところは情報工学におけるコンパイラ論なところだと「文字の無限集合」みたいな格好なことは前期の「言語処理(コンパイラ論)」と後期の「オートマトンと形式言語」でやったんだけど,それは情報工学での,つまりプログラミング言語を扱う上での定義だから,普通の言語における定義みたいな様子のものは別の格好で考えないといけないっすね。一応ふられたら答えればいいということで考えていけばいいし,ふられなければそれにこしたことはないということで考えていけばいいという感じですねぃ。

プログラミング言語はコンピュータに処理させるための言語だから自然言語とだいぶ趣が違う。一応,自然言語と同じように名詞・形容詞・動詞みたいなものはあるけど(名詞は変数,形容詞は条件,動詞は処理),どのコンパイラもしょぼい関係から,副詞みたいな,動詞なり名詞なりを修飾する概念がなく,表現力はまったく問われないので(自然言語とは逆で,あるものを実現(表現)するのにいかに単純かつ短文で表現できるかが尊ばれる。人間の処理とはまったく逆で,いかに脳みそを使わないで処理するかを議論するのがコンピュータの学問。人間だと脳みそを使わないで処理することを最低だと定義されるけど,コンピュータだと脳みそを使わないで処理することを最高だと定義される。)自然言語の定義に情報工学の定義をあてはめることはあまり適切じゃないっぽい。

というわけで,自然言語はどう定義すればいいか…。「文字の無限集合」みたいなもの,つまり文字を組み合わせたものには違いないだろうけど,もう少し文化的なものをつめこまないと教養科目っぽくないのでそれっぽいことを考えていけばいっか。

今とてつもなく作曲したばっかだから頭つかいすぎて眠い…。このへんで。

ではでは。

2006年10月22日(日) 人生


Web放置していましたね。すみませぬ。VAIOがとんでしまってリカバリ作業におわれていました。その間レポートなんかもでてどうなるのかとひやひやしましたが無事土曜になおすことができてレポートもしあげることができておkでした。後は印刷するだけ。

木曜のカテキョ(大学1年を教えるカテキョ)は,今回は地味に微分の応用ということで接線と法線をやりました(高校でやっているようなことはきいてはいたのでやる必要ないかなぁと思っていたら,なぜか「接線と法線ってなんですか?」みたいな格好のことをいわれたので,やらない高校もあるのかなということでおさえておきますた)まぁ,そういうこともあると思う。高専だと理数系はわりあいいろいろやるんだけど漢文とか,短歌とか,俳句とかそういう文系は完全に全部スルーされてたしね。漏れ自身も文系は何やりゃいいかわかんなかったので向こうでは完全に何も勉強していない。文系の本はそれらしいのは痛快!シリーズ経済学と憲法学と,論文の書き方って本しか自分では読まなかった…。漏れは研究者になれそうにないかもしれないからあまり論文の書き方は参考にならないかもしれないけど,研究者になれそうな方は論文の書き方をよんでおくといいお。

研究論文にあらかじめ書くべき項目みたいなのがリストアップされていて,何からやればいいかわからないということはなくなるお。論文の項目ごとにすすめて,まずその分野の現状を調べて(チーム研究だと下っ端がこの作業をやらされるらしい…。),何があって何がないかを把握して,ないものを作ることを目的とすればいいんだお。この時点でタイトルの(〜分野における xxxを用いた 〜の改善)みたいな格好の〜はうまる。で,手法として何を使うべきかを検討して決定する。これでタイトルのxxxもきまるからタイトル決定で,あとはそれをやってうまくいくかいかないかを検討して,うまくいったらうまくいったとかけばいいし,うまくいかなければこの方法ではうまくいかないことがわかったということをかけばいい。ただし時間をかけて実験・論理的に記載しなくてはいけないのがめんどいところだお。たぶんこれで徹夜・飯ぬきくらいの状態になって疲れそう。作曲みたいな感じ?

中学生のカテキョは無事終わった。あの子本当に大丈夫なんだろうか…。悪い成績とっても何も感じないみたいだし…。まぁ

そういえば英語D。なんとか今週は無事パーティくむことができたお…。頭使ってなんとかくめたお…。まぁ、前回出席カードもちかえったから出席にはなってないけど今回課題だして出席カード返却できたから次回は名前よばれると思うお…。出席のみで単位をだすかどうかきめる教科だから…。方法としては,漏れと同じぼっち君の隣に座ることが重要だお。そのためにどうすればいいかというと,ほかの講義みたいに講義がはじまる15分前に登校するのではなく,講義がはじまるぎりぎりの時間,もしくは若干遅れた時間に入室するのがベスト!周りを見渡せば1人で座っているのが4,5人いるからあとは空気をよんでATフィールド全開にしている人の隣に座ればおkだお…。次回もこれでいってみるテスト。

で,前回となりに座った人も編入生で,その人も高専卒で(某関東の高専),漏れと一緒に高専のトークを少しして面白かったお。まぁ…その人の高専は建築があるとかそういう部分がユニークでそういうところを話してくれたんだけど,漏れの高専ユニークなところ何もないし…。ORやっているところがユニークだけどORは社会認知低いから話してもわからないと思うし,GISに手をだしていて漏れはそれやってたけど,GISはあそこの大学では扱ってないみたいだし…。もうだめぽ…。いや,まぁ,専門分野は若いうちはこころかわるのが常だお。漏れ自身,最初中学生の頃,情報工学科に入ろうと思った理由が「プログラムかいてゲームを作りたい」だったし!それが何を血迷ったか「WebとDTPとDTMをやりたい」に途中でかわって,最終的にはORとGISになって,大学もそれをやろうと思って入ったら,もしかするとそれはやれないかもしれなくて,今度は何にかわるんだろうな…。ネタにみちていてこういうのは悪くないと自分では思います。

ちなみにもともと大学のある県出身者で実家通いらしい。うらやますぃ…。

ではでは。

2006年10月16日(月) いろいろ


適当に脳内変換してよんでください。

マザー・グース・1から宅配便が届いた。食料一式。ウマー。夏休み基地に帰還した時に戦場の最前線では毎食100円程度のレトルトカレーとインスタントラーメンを食ってしのいでいるって話しをしたから,送られた食料品もそういうのだったんだけど,レトルトカレーが全部甘口だった。マザーグース・1,甘口が好きなのはブラザー1ですよ。漏れは普通に中辛or辛口派ですよ…orzあとは好物のみかんとか入っていた。これはいいね。

で,付属していた伝令書によると,ファザー1とブラザー1のうつ病がじょじょに回復し,無事各々の戦線に復帰してきているようなしていないようなという状態らしい。fmfm。

まぁそんな感じ。講義は言語学は一応教科書前日ざっと目だけは通していったけどあまり使わなかったぽね。人がなぜことばを使うようになったかだけど,感情をあらわしたいから,社会の秩序形成の一貫で…などの理由があったけど,今考えてみると,それだと犬や猿がなぜ言葉を発していないのかと疑問になる。漏れなりに5秒でテキトーに考えてみると(そんなことだから単位落とすんだろうな漏れ…)他の動物にはない,これだけは人間ならではのっていうのが理由である気がする。つまり,道具ね。人間とは全生物中最弱ランクであって,あっけなく死んでしまう。人は素手・裸では他のどの動物にも勝てない。それをおぎなうために道具を使いはじめたのが人。つまりそのへんのものを拾い上げて武器として使うことに目覚めたので,どうしても道具を使いこなす必要上,使い方を説明したり記録したり,そういう必要性があったのではないかと思う。さらに,狩りでも人は他の動物に比べて圧倒的に足が遅いので,他の動物のような音もなく近づきスピードで捕まえ即死させるタイプの狩りができない,つまり集団で協力して役割分担してなんとか倒せるかどうかだったから,コミュニケーションを発達させないとそれができないということでそういう言葉がうまれたのかなぁと思う。こういうのが進化論説だったっけ?

もう1つの人が言葉をしゃべるのはそうしなさいと神がきめたものだからという説。西洋ではまじめに考えられているらしい。わかりにくいが,というよりわからないが,ようするに遺伝子情報の中にあらかじめ人が言葉をしゃべるようにプログラムされていたということかな?もっといえば,ビッグバンのときにうまれた宇宙全体をあらわす方程式(こっそりどこかできいた噂だが,宇宙の動きをあらわす式みたいなのはあるらしい。時系列の方程式で,誕生の瞬間の誕生からちょい超短時間の不安定な瞬間,ビッグバンの瞬間,現在星を観測してみると一定の間隔で地球から離れていっていて,宇宙がまだふくらみ続けているというものを全部ひっくるめて方程式にしてみたことはあるらしい)で,今世の中でおこっているあらゆる現象はあらかじめその瞬間にプログラムのようにきめられていたということか?つまり運命ということ?

ちなみにくらい話しをすると,宇宙の方程式だと結局宇宙はいつか消えてなくなるらしい。今宇宙は膨らんでいるだけど,ある瞬間から逆に縮みはじめて無の,すなわち0という形に帰着してしまうということは理論の上ではそうなっているらしい。もっと暗い話しをすると,宇宙がなくなる前に太陽が膨張して地球が飲み込まれるらしい。もっと暗い話しをすると,その前に人類がそこまで今の形で生き延びるとは到底思えないらしい。もっと暗い話しをすると,人類以前にこのままだと日本は滅びるかもしれないらしい。もっと暗い話しをすると,日本以前に俺が単位とらないとやばいらしい。そして母からの手紙には「後期はaをたくさんとってください」って書いてあった。

はぁ。疲れた。

コンピュータアーキテクチャも復習しておかないとまずい…。

うわああん><

ではでは。

2006年10月15日(日) 作曲


今日は作曲をしました。きいてわかるとおり結構ミリタリー色がこくなっています。こすぎです。ケインこすぎです。はい。6分と長い曲ですが,自分できいてみるとそういう長さを感じさせない曲で,そういう意味ではうまくいったんじゃないかなぁと思います。

構成がシンプルすぎるのと,ミックスも簡単になっている点,リバーブ設定が高すぎる点が問題かもしれません。

作曲がうまくなるよりも難しい願いですが彼女ほしいです。無理ですねごめんなさい。

次つくる曲はもっと複雑にしてみたいですね。複雑なことをやっているんだけど,きいてみると簡単そうにきこえるみたいな,そんな感じの曲をめざしていますねぃ。

そういえば購買でかえないぶんの教科書amazonさんで注文していたんですが今日やっと届きました…。とりあえず明日の授業には間に合ってよかった。

ではでは。

2006年10月14日(土) 音楽


最近音楽でベートーベンのピアノソナタにはまってる。特に熱情の第三楽章にはまってる。この曲は最初から中盤までは,短調でくまれていているんだけど,最後のほうにモダンになってはじけるのだ。そのモダンなところがすき。ピアソラみたいでいい。

音楽はわりときくほうで,作ったりもするんだけど(演奏はアパートなのでできません),好きなジャンルはゲーム音楽,タンゴ,クラシック,ジャズという格好で。

音楽のジャンルには2通りあって,複合的なものと,純粋なものの2つがあると思う。ゲーム音楽はかなり複合的。タンゴはそれまでは純粋なものだったんだけどピアソラ以降はかなり複合的になった。ジャズはそれまでは複合的だったんだけど今はかなり純粋的なものになってきていると思う。ジャズとはこうあるべし!みたいな。クラシックは体質的に今も昔もこれからも純粋ジャンルだと思う。趣味がチェロやピアノだったのでクラシックの人と話すこともあるんだけど,あまり他の音楽には興味ない(特に最近のロックとか,パンクとかには)人が多く,古典的な方面に興味をもつ人が多かったから,まぁ文字通り今も昔もこれからもクラシックでありつづけると思う。

まぁ,いろんな音楽があっていいと思うしいろんな人がいていいんじゃないの?と思われ。

ではでは。

2006年10月13日(金) DVD


DVDをみた。「アイランド」。あらすじは書かないね。アイランドはあれだった。TUTAYAで買ったんだけど,ブースに「こんなに美人なら○○○○でもいい!」ってかいてあったので,あぁそういうあらすじなのねということがあらかじめわかってしまったorz

○○○○という単語をきいてからこの映画をみてしまうと,あぁこいつらが○○○○なのね,○○○○の使い道っていうとまぁああいうことだろうからアイランド行きっていうのはそういうことなのね,ということまで予想して,であたってしまうわけで…。話し自体のどんでんがえしさはあまり感じることはできなかった。新鮮なままみることができればストーリーは面白いと思う。

まぁそんなことよりマイクロソフトがスポンサーだったらしく,情報ブースのmsnサーチの文字,主人公とヒロインが未来のX-Boxで遊んでいる風景とかそういうのが面白かった。

マイクロソフトがスポンサーになっていそうな映画だとあとはターミネーターがある。ターミネーターってときたまターミネーター視点になってコンピュータの画面がうつるんだが,画面がそれとなくMS−DOSだったりする。コマンドラインがMS−DOSそのもの。ターミネーターはDOSで制御されているのだ。すごすぎる…。

逆にAppleがスポンサーになるのは刺激の少ない映画が多い気がする。ユー・ガット・メールとか,フォレスト・ガンプとか。

ではでは。

2006年10月12日(木) カテキョ


カテキョいった。大学生のほうは事務所のほうから本来大学生を指導するという依頼はうけていないので,大学生も今年でカテキョをやめられるように指導しなさいといわれ,家庭では母親さんは「息子が満足いくまで面倒みてくれ」といわれ,漏れは非常に難しい立場にある。給料誰からもらっているかというと,家庭ともいえるし事務所ともいえるし,どうしたもんだろう…。

とりあえず今日は大学生のほうは関数の極値と最大最小値の判定をやっておいた。まぁ概念的なところを色々と…。建築って何やるのかしらないがコンクリート構造の解析とか建物とかだと,中身を解析して,どこが安定していてどこが不安定なのか調べそうだから,そういう上だと極値という概念は非常に重要そうだなぁという勝手な想像から教えた。こんなカテキョをやるとはバイトをやる前は予想すらつかなかった。

やることはなんてことなくて,関数f(x)の極値はf'(x) = 0の解をf(x)にあてはめたのがそうで,その極大極小の判定はf''(x) > 0なら極小値,f''(x)<0なら極大値ですよというだけの話しね。

明日は中学生のほうか。中学生は今月で終わり。明日と,その来週に2時間教えてこっちは終わり。この中学生は勉強する気があまりない人だったので(本質的に勉強が嫌いみたい),こっちも教えるのが若干つらくなっていたので,本当はこういうことを思ってはいけないんだけど,内心解放感があるのは事実。教えにいってもはじまりの瞬間から「終わりまで後何分ですか?」の連発で,なんだかこっちも内心嫌になっていたのは事実で…。教え方があまり面白くない自分も悪いんだけどね。テレビ番組みたいにはできん。

まぁ,顔や態度にはださなかったけど,「あと何分ですか?」に内心今すぐ終わってもいいんだよ?とは思ってたり。(思っていることを表にださずしまっておくことができるのが漏れの強みです)

決して悪い子ではないんだけど,勉強が嫌いという意味では,つまり家庭教師として付き合えということだとつらい子だったかもしれない。むこうもそう思っていると思う。普通に付き合うんだったらいい子なのでつきあえそうだった。違う形で会えてたらもう少し違ったかもね。。。

ではでは。

2006年10月11日(水) もっとも難しい講義


通っている大学には難しい講義が多数ある。情報理論、信号処理、微分方程式、コンピュータアーキテクチャなんかがそうだ。だが,これらの教科は難しいといっても,理屈の上では難しくもなんともない講義だ。∞に近い時間と,勉強だけしていればよいような環境さえあれば,あとは時間をかけまくって1から勉強すれば,Cをとれるくらいにはなれる。

だが,そういう難しいというレベルをこえた難しい,すなわちボス敵の中のボス敵ともいえる教科がある。英語Dだ。

この教科はもうやばい。わからないなんてもんじゃない。何をどうやっても単位をとれないことが最初から約束されているような講義だ。しかも,理論的に。なぜか。イマージョンプログラムだからか,教授が外人だからか,違う。イマージョンプログラムっていうのだったら英語Bだってそうだった。教授は日本人だったが教材も外国語のものだけだった。だが英語語Bはイマージョンでも外国でも単位をとれる,現に俺はとった。

ではなにが難しいか。それはワークグループをくむからだ!これは編入生には致命的な課題だといわざるをえない。英語Dで毎回講義内で課題があたえられる。まぁこれは当然だ。しかし,これには条件があって,ワークグループを作って,つまり,周りのお友達とペア(3〜4人でも可)をくんで,協力して課題をこなして,みんなでだしにきましょうねという課題なのだ。

これなんていじめ?いやほんと,一言でこの講義をいうならいじめとしか思えない。編入生じゃ友達なんてできるわけないですよ。まして3年生じゃもうとけこみづらいオーラが周り中からでまくってますよ。

というわけで,毎週木曜はどんな講義より難しい講義に毎回出席しています…。いやもう出席カードは課題と一緒に回収だから出席カードですら俺がもちっぱなしだし,教授に話しにいこうにも外人さんだから話しづREEEEっていうか,英語話せNEEEEだし,もうだめぽorz

とりあえず作曲の続きでもやります。

ではでは。

2006年10月10日(火) 時間とお金


大学の近くに住んでいるからなのか,大学の先生を5回くらいみかける件について。もう何人の先生かは目あったらとりあえず「こんにちはー」くらいいうべきかしんない。

ってことは大学の学生とも結構すごい頻度ですれ違ってたりすることがあると思うけど,いかんせんそっちはまだ知り合いいないぽ。

まぁ,よい意味であそこはバランスがとれた大学だなと思う。よっぽどのことがない限り落ちる科目もあればよっぽどのことがない限り落ちない科目まで科目も色々あるし,難易度も学問的な講義から教授の価値観についてまで,色々。まぁ,そうあったほうが変にどっちかに偏らなくていいように思う。

高専みたいに工業高校時代からのなりあがりの先生なんかで構成していると,どうしても講義が社会(?)の価値観を教える講義に偏って学問的に弱くなってしまって,漏れみたいな学問的な議論についていけない学生を量産して,各大学で問題になる,と。でも企業からの評判は悪くない,と。それはまぁ,就職希望者のほうが進学希望者より多数派だったから,自然とすべてが就職にむけてのものになるから,あの中で大学に入ってついていける人を育成するという活動をやること自体,学生の希望にそうものではないのは確かだし,いた仕方ない部分はある。つまり,自分でなんとかしろということですねぃ。

明日はお風呂に入って一曲作曲したい…。

ちなみにこの間の英語Dで,たぶんほんとは英語力を問いたかったんだと思うけど哲学的に難しい問が。「よりたくさんの時間と,よりたくさんのお金,あなたはどっちがほしいですか?理由もそえて。」

あの講義は(編入生には致命的な)グループをくんで課題をこなさせるものだったから(そのときはたまたま同年代のその講義ではぼっちさんの人と一緒になれた)グループ的に「時間。時間は買えないから。」と書いたけど,これはいい答えだと思う。

お金というのはまさしく人工的なものであって,人がつくった価値観だといわざるをえない。正確には国か。今,国の借金が700兆だという。しかし700兆円という借金そのものに実体はないように思う。例えば,日本銀行が紙幣をすりまくって,お金の量を今より2倍にする。そうすると物価が2倍になり,借金額は今でいう350兆円(と同じ価値)になる。つまり,国の借金なんていうのはその気になればどうにでもなるものだったりするのではないか。個人のお金にしても,存在が実にあやふやで,あまりこんなものにふりまわされていても仕方ないとは思う。適度に社会システムにのるのはいいことだが,お金にこだわっていても仕方ない。それは神様を信じるのと同じくらい,人の作った偶像にふりまわされているなと思う。お金とは人工的である以上,誰かの手が加わればどうにでもなるものなのだ。

しかし,時間は人が作ったものではない。人がその存在に気づいたのは確かだが,何が時間を作ったかといえば,人でない何かとしかいいようがない。自然法則ともいえるのかもしれない。これはお金と違って誰かの手でどうにかなるものではない。それこそなるようにしかならない。

こう考えれば,お金と時間だったら,時間のほうがよっぽど大切で重要だと思う。いいかえるなら,100兆円やるから今すぐ死んでくれというのと同じことで,その問いに「いいよ。」と死ぬ人は,事情はさまざまだろうが,世界認識としては犠牲にするものの順序を間違えているような気もする。

私立大をすすめているわけじゃないよ。

ではでは。

2006年10月07日(土) 悩み


麻原しょうこう。わけのわからないおじさんだったが,この記事をみてもわかるように,なぜ多くの若い人があのおっさんのもとに集まったのかは考える必要がある。

人間悩みは大体もっている。自分もある。多くの場合,その悩みは人にはいいだせないものだ。学校の先生や関係者だと,その悩みを話すと成績がさがるんじゃないかと本気で思ったりもするだろうし,友達だと嫌われたり笑われたりするんじゃないかといえない。親しければ親しくなるほどその後の影響が怖くていえないものだと思う。

匿名のインターネットならそういう心配はないが,しかしなんだかんだいっても他人の中の他人。誰だかわからない不確かなコミュニケーションである。相談してもあまり楽になりはしない。相手がただ楽しんでいる可能性も否定しきれない。

カルト宗教は,そこを解決できてしまう側面がある。集まった人は身内であり他人でもあり,みんな同じような悩みを抱えている。麻原がそれをきくだけはきいてくれて,こうしなさいと答えてくれる。はきだしたことによるその後の心配もしなくていいし,コミュニケーションも明確だ。

本来,これを解決できるのは親などの身内が子供の意見をきくのが一番いいとされたが,近年ではなかなかそうもいかない。

今の世の中は,mixiだとか,宗教だとか,そういう悩みを相談できる環境がたりない結果,そういうものがうまれるんだと思う。

漏れも他の人と同じで悩みはたいてい自己解決する以外に方法はない。しかし精神的なものはどうにかなるが,病気などの肉体的なものや,社会的なものなどは自分で解決できない。それをどうするかが今の課題だ。もう手遅れ?

ではでは。

2006年10月06日(金) 幾何学


今回は必修の幾何学を一発合格したいのでいつもより多めに復習しているんだけど,やばい…。orz

定められた公理だけど
A1a:点Aと点Bがあり,AとBがある直線に含まれれば,AとBの共通部分は直線である。

A1b:平面αと平面βがあり,αとβの共通部分が直線なら,αとβはある直線に含まれる。

A2a:直線aとbが平面αに含まれれば,aとbの共通部分に含まれる点Aが存在する。

A2b:直線aとbがあり,点Aがaとbの共通部分に含まれれば,aとbは任意の平面αに含まれる。

A3:全集合P内には必ず直線がありまくる。

A4a:任意の直線aについて,直線b1,b2,b3が存在すれば,aとbiの共通部分に点Aiが含まれる。またb1やb2の共通部分は存在しない。

頭痛くなってきたのでレポート書きます。

ではでは。

2006年10月05日(木) 時間割


時間割は月曜1,4
火曜1〜4
水曜1、2
木曜1、2
金曜1〜4
土曜3、4
になると思うぽ。

前期よりがっちり入っているぽ。単位とれそうな努力だけはしないと。それでとれなかったらそれは仕方ないぽ。

ではでは。

2006年10月04日(水) Mac and PC


自分はMacとWindows両方もっていて両方使っているんだけど,このCMに笑った。

Windowsは市販されているソフトの使い勝手などはMacに及ばないが,WindowsPCの利点はフリーソフトが豊富な点だと思う。

面白いのは,最終的にはWindowsソフトとして公開されていても,内部の音楽や絵といった部品はMacで作られている点。MacはWindowsの下請けなのだろうか。

ではでは。

2006年10月03日(火) 新聞が生き残るには


夜朝日新聞がきた。勧誘がもう必死だった。商品券をもってきて,料金も月3000円を月2000円にまけるからとってくれという。さらに就職で役に立つとか,もうなんでもありの勧誘でかえってひいた。一応丁寧に断った。相手を怒らせないようにってことで…。

朝日新聞さんも今は購読者数が増えなくて困っているんだろうか…。新聞の購読者が増えるためにどうすればいいか。たぶん新聞そのものがかわらなければいけないように思う。インターネットによって,(デマも含む)いろんな情報がどこにいても瞬時に入手できるこのご時世,新聞は情報のジャンルも伝達速度もあまりに遅いといわざるをえない。

情報理論的な情報量という意味でも(いわゆるショックが大きいか小さいかというやつね),新聞の情報には特に目をひくようなものはない反面,ネットには少なくともそういうのはある。デマかもしれないが,そのデマの情報量もでかいのがネットの特徴。読んでいて面白い。

新聞媒体ではどうしても,ネットより伝達速度が遅い。ではどうすればいいのか。情報を正確にするにも新聞はすでに限界を迎えている。しかし,方法がないことでもないと思う。

ネットがここまで発達した理由は双方向媒体であるため,読者からのフィードバック,もしくは受け手が自ら発信することができるからに他ならない。これを新聞でも導入する。

今新聞は購読者確保のために未購読者に商品券などをばらまいている。これをやめて,商品券を購読者にばらまけばいい。新聞をとれば,2ヶ月に1回(勧誘もそんなペースだよね?)商品券が購読者に届く。こうすれば,ネットとの差別化をはかることができる!新聞のいけないところは,購読する前は甘い顔をしてくれるが,購読してからの待遇が冷たくなるところだ。これをなおせばまだ活路はみえるはずだ。つまり今は未購読者に対して甘く,購読者に対して冷たいが,これを逆にして,未購読者に対して冷たく,購読者に対して甘くなればいい。

そのほか,1年に1回,購読者に音楽CDやプレーヤをプレゼント!そのほかにも購読者に色々特典をつける。家族でとってくれているところには旅行券なんかもばらまく。一人暮らしの学生でとってくれているところにはノートパソコンをばらまく。Macminiでも可。

逆に,未購読者への新聞の勧誘なんてのは経費の無駄だからやめる。どうせ成果なんてあがらないのだから。興味がない人や必要性を感じていない人なわけだから,勧誘にいくだけ無駄だ。僕の家へもくる必要はない。今,勧誘にまわしている人は,逆に購読している人のところへうかがわせ,「朝日新聞ですが,これまでの記事の感想アンケートを各家庭に伺ってまわっています。商品券もさしあげますので,ぜひご協力ください」といえば,家庭も料金を払ってるんだし,ほぼ確実にドアをあけてくれて協力してくれるだろう。

毎月か2月に1回,つまり勧誘にくるのと同じ頻度で,購読家庭に伺い,家庭から「もっとこういう記事を書いてほしい」などという要求をうける。その場での投書もうけつける。こうすれば,新聞はもっとよくなるはずだ。

まぁ,この事実に気づけた新聞社が21世紀も紙で生き残っていくんじゃないかなとまずはずれそうな予想をしてみるテスト。

ではでは。

2006年10月02日(月) 生き残るぞガルム1


月曜は1時限と4時限だけ受けるんだぽ。開講科目の関係で中抜けするぽ。その時間を使って私生活の部分を整理できるから,中抜けも一人暮らしの学生にとっては重要だぽ^^

とりあえず1時限目の言語学と,4時限目のコンピュータアーキテクチャをうけてきた。4時限目は他に天文学なんてのも開講されているんだけど,単位取得状況をみてみると,共通科目は卒業要件を前期でみたせたので,あとは語学1科目と専門科目をわんさかとらなきゃいけない感じ。もちろん…124単位に達しなきゃ卒業できないので,単位をどんどんたしていかなきゃという意味で共通科目もとっていくけどね。

1時限目は,この教授は苗字英語Bの人と同じ人で,わかりやすいし,どっちかといえばゼミ形式っぽい講義をしてくれるので,講義に毎回でて,ちゃんとレポートをだせば単位がとれるし,内容も面白いのでウマーだった。高専のときに経験したんだけど,専門ばかり視野がどんどん狭くなっていって,それこそ機械やパソコンばっかりやるネクラな人に自分がなっていったんだけど,大学だと共通科目をとることでそうならないように回避することもできるのでいい。高専のときはどうしていたかというと,ネクラな人にならないようにピアノとかチェロなどといった趣味をもつことで無理矢理回避しようとしたりした。でも共通科目との違いは,趣味と学校だとどうしても学校優先になってしまって,あまりいい効果がでない点かも…。バイトをやるのも手なんだけど,高専っていうのは居残り実験が多いからいつ実験が終わるかわからないのでバイトは大学に比べるとやりにくかったし,なによりそもそも長期休み以外のバイトは学則で禁止されていたしw(そんなきまり無視する人も全然いたけどね)

で,1時限目は教科書も購買で買ったしガンガルぞなんだけど,問題は4時限目のコンピュータアーキテクチャだぽ…。去年は58名うけて26名しか合格しなかったという情報理論ばりの厳しい教科><。進級を重視するなら天文学にまわったほうがいいんじゃまいかとその時間中何度も悩んだが,コンピュータアーキテクチャはパソコンやマイコンの知識のコアとなる学問だから,大学の情報工学科に入ったなら普通は単位が取れなくても,受けておくべき教科だお。これを知らない人は情報工学科とはいえない…。

教科書はAmazonさんで購入がデフォらしいので,みておかなければ…。計算機構成は高専のときの計算機工学か編入単位認定されていて,I形式だのMIPSだのは,確かにそんなのも2年前くらいにはやったなーー…ノートみておかないとなー…だったんだけど,mult命令を使ったとかdiv命令を使ったとか,そのへんは高専ではやってないorz 性能は若干やった。確か単位時間に何命令こなすことができるかとかそういう指針があって,それを求めるための公式とかあって,ノートみれば思い出すと思うんだけど,脳内からは全部とんでた…。まったく思い出せない…。あとやったのってメモリのビッグエンディアンとリトルエンディアンの違いくらいしか覚えてない…。あ,IBMのえろい人が提言した,論理素子が小さくなりそうな予測的法則なんてのもやったかも…。

確か当時は学校のレポートやテストのときにつくっていたまとめデータはMacOSXに一杯入っているから,後で確認しておこう…。

4時限目…こわいけど受けるか…。レポートとかたぶん冬休みあけを締め切りとするとかありそうなので,たぶんこれとったら冬休みはレポートにおわれることになると思うけど,それは工学部の宿命だよねっ。っていうかどっちみち必修のプログラミング演習IIも受けるので,それはこれをとってもとらなくても一緒だと思う。明日のプログラミング演習IIはC言語に関する学力テストみたいなのをやるという。成績には関係ないらしいけど…解けないかも…。いや,漏れの場合こういう成績に関係ないテストはできて,成績に関係あるテストでこけたりするから,ほんとダメ人間の典型だったりする。

とにかく生き残るぞガルム1。

ではでは。

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