ヤグネットの毎日
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2003年06月27日(金) 小説のたのしみ

 午前中、打ち合わせ会議の場所を間違えるという基本的なミスを犯す。
 ある「リーフレット」を作成するのに構想を練る時間もほしかったので、自宅にこもってあれこれとない知恵をしぼることにした。

 ひとりで仕事をしていて集中力を保ちつづけられることができる人は、えらいと素直に思う。僕は、たいてい飽きてしまったり、誰かと話をしたくなってしまう。
 案の定。昨日も、リーフレットの作成作業もほどほどに切り上げて、読みかけの小説を読んだ。
 僕は、小説がとても好きだ。といっても、ほんものの「本の虫」のように、一日一冊を読了とか、活字を読まないと中毒症状をおこす、ほど徹底しているわけではない。それでも、小説の世界に自分の感性を解き放つときの感覚が、たまらなく好きである。

 エンターテイメントでありながら、人間とは何か、生きるとは・・・など、根源的なテーマをさらりと書いてあるものがいい。読了後に、なんとなく襟を正したくなったり、誰かに優しい言葉をかけたくなったり。そんな新しい自分を発見させてくれるのが、読書の醍醐味だろう。

 どんなに忙しくても、自分の時間として「本を読む」ことを忘れないようにしたい。

 必要があって、昔の写真を押し入れから引っ張り出している。結婚式の前後、息子が妻のおなかに入った頃、息子の生まれたて、そして最初の議員への立候補と落選、二度目のチャレンジでの初当選、息子が一年ごとに大きくなっていく様子。
 僕は、4番目の子どもだったこともあり、自分を中心にした写真が極端に少ない。だから、思い出としての写真がほとんどない。

 息子、妻、家族の歩みをきちんと残しておきたい。たったひとつの家族の思い出は、誰にも代わることはできないのだから。


2003年06月25日(水) めんどくさがりでムダな出費

 僕の悪い癖。めんどくさがりなところ。党府委員会の勤務にもどって近鉄電車で通勤しているが、昨日の朝は雨が降ったり止んだりだったので、傘を持たずに家をでた。城陽はふっていなかったのに、地下鉄をおりて地上にあがると、京都市内はバケツをひっくりかえしたような土砂降りだった。いくら走ってもずぶぬれになりそうだったのであきらめて、350円の傘をコンビニで買った。あ〜またムダな出費。反省。
 宣伝や政策活動に役立つ資料づくりーー新しいポジションでは、こういう基礎資料づくりなどに取り組んでいるが、あらためて日頃からの情報収集不足を痛感する。

 夜は、7月に行われる「JOYOコーラルフェスタ」にむけて結成された「グリーンノート」という混声合唱団の練習に参加した。「大きな古時計」「花」「一本の鉛筆」などお馴染みの曲ばかり。僕は、ふだん男声合唱団で活動しているので、混声合唱はとても新鮮だった。

 筆坂秀世参院議員がセクハラ問題で議員を辞職し、党の役職も罷免された。事の性格と筆坂氏がおかれている立場からいって辞職は当然だが、人を傷つけ、いろんな意味で期待を裏切る結果となったことに対して、同じ党の一員として申し訳ない気持ちとともに、残念な思いでいっぱいだ。


2003年06月24日(火) 二つの「ウルウル」

 僕は息子の話しになると、とくに涙腺がゆるみがちになる。
 昨日もウルウルとしてしまったことが2回もあった。一つは、朝、保育園に送るときのこと。
 
「ねぇ、お父ちゃん、うちもペットを飼うことにしようよ。ずっとほしかったんだ。」と息子。
「どんな、ペットがほしいの?育てるのは大変だよ。(君を育てるのだけでも大変なのに…)」と父。
「う〜ん、小鳥さんがいいかな。かわいがってあげたいんだぁ」と息子。

 「さびしい」という言葉はでてこなかったけれど、一人っ子の息子は、家でも親以外に遊び相手がほしいんだろうな。家にいるときには、もっともっとかかわってあげたい、と思ったとたんにウルウルときてしまった。

 もう一つは、お迎えの車の中。保育園のノートに、今日からはじまった「水浴び」で、シャワーの浴び方とタオルの使い方を先生が説明をするのに、息子がお手本をみせてあげたそうだ。それを、とても自慢げに話してくれた。頭をおもいきりなでながら、「よくできたね〜〜♪」とほめてあげたら、顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。その姿をみたら、またウルウル。やはり、基本的に「親ばか」なのだ。




 庭に咲く紫陽花がとてもきれいだ。
 僕が小さいころ、家の庭先に咲く紫陽花は、庭木の手入れをする母親の姿といつもダブっていた。家の思い出は母親の思い出といろんな部分で重なる。
 共働きの我が家では、「紫陽花がきれいだ」とその前を通りながら思っても、ゆっくり鑑賞する休日にはもう紫陽花の輝きは失われてしまっているだろう。忙しい中だからこそ、そのときどきの感動やおもいを家族が語りあって、共有することが大切なのだ。


2003年06月23日(月) 「話のはなし」を読む

 前にも書いたが、川上貫一さんの『話のはなし』(三一新書)を読み終えた。川上さんは、戦後直後から日本共産党の衆議院議員を三期つとめられ、また党本部で宣伝教育分野の仕事をされてきた方。
 この本には、演説、座談、講演等、およそ「人前で話をする」さいのハウ・ツー的な問題もふくめて、細かい点までの具体的なアドバイスが書かれている。半世紀も前にかかれたものであるにもかかわらず、今日もなおたくさんの示唆をあたえてくれる内容だ。
 「あとがき」で著者は、「話」とは「話術ではない」として、次のように語る。とても印象的だった。

 講演も演説も、また座談一つにしても、そのよしあしは技巧でもなければ、話術でもない。それはその人の思想であり、識見であり、内容であり、つまりはその「人」なのである。どれほど苦心しても、自分以上の話はできるものではもないし、いくら下手でも、その話は、けっしてその人以下になるものでもない。

「鳥のまさに、死なんとするや、その声悲し。人のまさに、死なんとするや、その言よし。」という言葉があるが、人間はだれでも、私利私欲をはなれたとき、その言うことは美しいと、いうことであろう。話もまた、同じことである。だから、話はむつかしいものであり、また、やさしいものなのである。

 形も大事だが、それよりももっと大事なのは、話を伝えたいという、「自らの心」であり、訴えたいと思う「中身」だ、ということだろう。大いに学ばされた一冊だ。




 月曜日から保育園で「沐浴」がはじまるので、新しいビーチバックを買いに出た。同じフロアーにゲームコーナーがある。息子はさっそくそこに飛び込んで、ファイティング系のゲームをやりはじめた。
 わが家では、テレビゲームだけは購入しないことをきめている。ふだん、家ではやらないのでこういうところでは、息子はものめずらしくて仕方がない。ゲームが子どもの脳の成長、発達に与える悪影響をいろんな本で知っているので、息子がのめりこむ前に引きはなさなくてはならない。
 かわいそうだったが、最後は力づくでゲーム機の前から引き離した。かわいそうだったけれど。
 
 ゲームは、子どもたにとって魅力的だ。そういうふうにできている。しかし、のめりこむことはよくないことだと思う。子どもが自分でけじめをつけられない時期には、ある程度強引な手段にでることも仕方ないことだと思うのだが、みなさんはどう考えるだろうか?



2003年06月22日(日) 人類と生命の未来に責任をもつ党として

 僕が所属する日本共産党は、秋の党大会に向けて全党的党議で、「綱領改定」を行う。
 昨日はその改定案の報告が中央委員会総会で不破哲三議長が行った。僕も、衛生中継でリアルタイムで視聴した。

 綱領改定案は、21世紀の世界と日本を国民とともに日本共産党がどのように改革していこうとしているのかを、科学の目でとらえ国民の目線にたってわかりやすく解きあかすことに力点をおいている。
 
 政党にとっての「綱領」とは、その党の存在意義を示すものであり、どういうビジョンで政治を変えようとしているのか、国民とともに歩もうとしているのかを示す、「たたかいの旗印」である。

 綱領改定案は、20世紀の初頭、自由と民主主義をめざす国民のたたかいの歴史をふりかえることからはじまり、日本の基本的な情勢を規定し、世界の現状と21世紀の世界と日本のすすむべき進路を示している。

 かつて、民主党の幹部が、日本共産党が「共産主義をめざしているから政権をともにすることはできない」という主旨のことを発言していた。つい先日も、民主党の岡田克也幹事長は、政権協議の相手として日本共産党を「いまのところは想定してない」などと発言し、その理由を「(安全保障政策などで)政策的に違和感がある」といっていた。しかし、民主党は政権交代はさかんに口にし、「政策綱領」づくりをすすめるとしているが、では一体、どういう世界と日本を21世紀につくっていくのか、人類史的に視野にたった政党としてのビジョン、哲学をもちあわせているのだろうか?僕の不勉強かもしれないが、まだそういう文書を読んだ記憶がない。
 しかも、安全保障政策の中心は、アメリカのむき出しの覇権主義に対して、追随姿勢をとるのかどうかが、ポイント中のポイントだ。日本共産党は、アメリカの横暴に対してキッパリと対決する立場を明確にしている。この政策的立場に「違和感がある」というのであれば、民主党は安全保障政策で、自民党政治とどこが違うのか?といわれても仕方ないだろう。
 
 まだまだ力は足りないけれども、日本共産党は現在の小泉政治とアメリカの横暴によって苦しめられている日本と世界の国民の苦難の解決方向を指し示すだけではなく、利潤第一、ムダと浪費、環境破壊の資本主義経済のもとでの歪みを是正し、乗り越える力を人類はもちあわせている、という展望をもっている。
 それは、人類と生命の現在と未来に責任をもつ政党としての当然の態度である。
 
 国民の苦難に心を寄せて、ともに解決する力と指針をもちあわせているこの党の値うちを、より多くの人たちに伝え、同じ目線でともに歩むことをよびかけていきたい。
 

日本共産党の綱領改定案はこちらから読むことができます


2003年06月21日(土) ようやく散髪

 午前中、ようやく散髪にいくことができた。僕の髪はちょっと固めでストレート。何もしないとボサボサ頭になる。府会議員選挙の候補になるのをきっかけに、おもいきってパーマをあてた。今度も、あらためてパーマをあてなおした。なじみのお店。奥さんから、「じゃこ」を炊いたものをいただいた。ダイエット中の僕にとっては、タイムリーな一品。ありがたくいただいた。
 午後からは、会議の準備と会議。夕方ごろになって、嫁さんから電話で「急きょ、会議が入ったので保育園に迎えにいけなくなった。いってほしい」とのこと。
 さぁ、こういう予定外のお迎えのときがいちばん焦る。なんとか車をとばして、ギリギリセーフだった。
 「ギリギリ」とは、午後6時をすぎると、有料の「延長保育」となるからだ。間に合ったときには、なんとなくうれしくなってしまう。不謹慎だろうか?(苦笑)

 夕食は、「ホットドックパーティ」をした。夕食にパンなどふつう食べないのだが、昨日息子が、母親にねだって、「ホットドック」にして食べたいと、それ用のパンを多めに買うはめになった。季節柄、パンを長い時間置いておくわけにはいかないし、今晩の食事のメニューが自動的に決まったわけだ。
 といっても、ウインナーとキャベツ、スライスハム、ゆで玉子とマヨネーズを混ぜたもの、これらを適当にホッピングするシンプルなもの。
 それでも、お口のまわりにケチャップをつけたりして頬張る息子は満足げだった。

 内橋克人さんの『もうひとつの日本は可能だ』(光文社)を読みはじめた。帯びにある言葉が、どうしようもなく僕の心をひきつけた。

 「呼吸する生き物としての人間という原点にもどらないかぎり、人々が望む経済もないでしょう。私たちはいま、もうひとつ別の方向にこそ、『未来への曙光』をみることができるはずです」 

 昨日の日記に書いたことだが、アメリカとイギリスが「大量破壊兵器の保有」を口実にイラク戦争をはじめたが、いまだに大量破壊兵器がみつからないことから、ヨーロッパはもちろんアメリカ国内からも、非難の声があがりはじめている。「大量破壊兵器など最初からなかったとしたら、何のための戦争だったのか?」と。

 内橋さんの著書の巻頭の「読者へ」のなかには、きわめて簡潔にこの問いに対する著者なりの回答が下されている。

 「アメリカ型資本主義の精神」の汎世界化、その尖兵としての「自由」、二つをセットにして初めて切り拓くことができるフロンティアこそ、世界市場化である、という思想が流れている。 
 
 ときに強力な暴力的措置を講じてでも、「世界の市場化=グローバリゼーション」を実現していこうという考え。これを、「ネオ・コン」=「ネオ・コンサーバティブ(新保守派)というそうだが、こうした流れをたちきっていくためにも、「人間復興の経済」こそが必要だ。
 
 丹念に読み込みたいと心から思える一冊である。


2003年06月20日(金) 大いなる誤謬にストップを

 ここ数日、有事法制や北朝鮮問題などを中心に資料収集をしていてあらためて気づいたこと。
 一つは、有事法制の制定を民主、自由党などを巻き込んで急いだことの愚かさ。
 「基本的人権を保障することなど民主党の奮闘で歯止めをかけた」というが、肝心の「何のための有事法制なのか?」「どういう事態に有事法制が発動するのか?」この点については、ほとんど議論がされていないことだ。だいたい、有事法制の核心をなす「武力攻撃事態法」そのものが、平時では考えられない様々な人権の制約を行うものである。
 「日本が他国から攻められた場合にどうするのか?」ーー北朝鮮の一連の事態を念頭に、盛んにこうした論点が喧伝された。しかし、世界の軍事力がアメリカについで第2位という驚くべき戦闘能力をもつ日本にとって、他国が侵略するケースは考えられない。メリットがないからだ。その能力をもつ国は皮肉にもアメリカぐらいだろう。北朝鮮にはそういう侵略をしかけるまでの力はない、というのが専門家もふくめた「常識」なのだ。そうしたことが意図的にか、まったく問題にされない。
 しかもだ。いま日本がやるべきことは、「北朝鮮に攻め込まれたときに対処できるように有事法制をつくる」ことではなく、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が来日したさいに、くり返し強調したように、平和と安全の北東アジアをつくるためにも、対話による平和的な外交努力を強めることではないだろうか。戦争によってもたらされる悲惨を国民とともに具体的に想像することこそが必要だ。

 しかも、有事法制のいちばんの眼目は、アメリカの先制攻撃による戦争に日本の自衛隊が即応できる体制づくりにこそある。アメリカ第一主義というイデオロギーが文化や経済だけではなく、軍事面でも完全に日本を飲み込もうとしている。ほんとうに、この方向に未来はあるのだろうか?
 「アメリカがいるから日本は守ってもらえる」とは、大きな誤謬だと思う。「大量破壊兵器をもっているからけしからん」といってはじめたイラク戦争。たくさんの命が奪われ、現に戦闘は続いているが、いまヨーロッパを中心に、「なぜ、いまだに大量破壊兵器が見つからないのか?」「イラク戦争は本当に正義の戦争だったのか?」という疑問の不信の声があがりはじめている。アメリカの中でも、ニクソン大統領時代の「ウォーターゲート事件」以来の、「WMDゲート事件」として大量破壊兵器は存在したのか?をめぐって、大問題になろうとしている。ちなみに、「WMD」とは、ウエポンズ(兵器)のW、マス(大量)のM、ディストラクション(破壊)のDのことだ。戦争の大義名分が完全に崩れさったあとに残るのは、かねがねいわれていた、「中東地域での石油の利権を確保するための力づくの勝負」だけ。
 まさに侵略目的の戦闘行動に日本が自衛隊もそして国民をも巻き込んで協力するーー本当にこれが、真に国際的な貢献なのか?国際=アメリカという考えでは、決して世界的な信頼を得ることはできないだろう。
 アメリカになんでも追随する日本の態度は、世界からの笑いものにしかならない。
 日本が真に安全でしかも平和なアジアと世界をつくるためにとりうる道は、アメリカへの追随をやめて、平和的な外交で積極的なイニシアチブをとり続けることだと思う。

 僕は、有事法制は日本を守るため、という誤謬、アメリカに守ってもらえる。このことが誤謬であることを国民の共通認識にすることがいま緊急に求められていることだと考えている。


2003年06月19日(木) 送別会

 昼食をかねて、ささやかな送別会が開かれた。
 地元の居住支部の方で、城陽の党組織はもとより、女性運動、住民運動などをゼロからつくりあげてきた方だ。僕の住む「城陽団地」は、団地ができて40年がたつ。その最初から住み、ゴミの収集、保育所、学童保育所、自治会づくり、こうしたことに立ち上げから関わってきたのだ。
 要求にもとづく住民運動こそ大切ーーこのことを生きた姿で教えていたいだいた。僕も公私にわたりお世話になったので、出席させていただいた。

 昨日に続いて資料集め。今の国会で強行された「有事法制」の問題点などについて整理。どう、わかりやすく知らせていくのか?
 「北朝鮮との関係などを考えれば必要では?」「いざというときに備えて必要では?」などの気分が国民の中にあることは事実だ。そこにかみあわせながら、有事法制の問題点とアジアの平和と安定につながる外交とはどうあるべきか、という骨太の主張をきっちりと伝えることができるか?
 こうしたことをアメリカの「先制攻撃」を当然視する戦略とのからみで、訴えることがポイントだと思う。
 もう、いいかげん「グローバルスタンダード」の名のもと、アメリカ第一の価値観から抜け出さなくてはいけない。ほんとうは、生活の仕方、文化のありよう、こうした問題にも引き寄せて考えなくていけない問題なのだ。
 
 


2003年06月18日(水) 終日資料あつめ

 17日は、終日資料あつめ。あらためてインターネット上には無数の情報が流れていることを実感。問題は、このおびただしい情報のどの部分を切り取っていくかだ。ひとえにキャッチする側の立場と感性にかかっている。どうしてもいろんなものに目移りがして、昨日一日だけではまとまりきらなかった。

 川上貫一さんの『話のはなし』をもう少しで読み終わる。戦後まもなく書かれた本で例示などで時代的制約をまぬがれないものもあるが、中身は現代にそのまま通じるものばかり。明日、感想をのせるようにしたい。

 土曜日の晩からはじめた「プチ断食」が終わった。結果は、3キロの減。しかし、このプチ断食は体に不足がちなミネラルを体中に補給するなど、体質改善が目的だったのでダイエットはあまり期待していなかった。夕べ、ひさしぶりに白いお米と肉を口にしたが、胃袋が小さくなったためか、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。勝負はこれから。60キロを切るまで、がんばるぞ。

 18日は36回目の誕生日。復活の日記を読んだ嫁さんに、「弱冠35歳というけれど、世間では管理職になったり、独立して活躍するとか第一線ではたらく立派な『大人』でしょ。弱冠などといっていること自体が甘えている」といつものきつ〜い突っ込みをされた。
 たしかにそうだ。今日を起点に、悔いのない足跡を一日一日残していこう。
 


2003年06月17日(火) 踏切りの故障

 息子を保育園に送るのに、朝からバトルをくりひろげた。休み明け、そして朝から京都市内に出勤しなければならない状況で、どうしても「早く、早く!」を連発してしまう。これまで朝みていたアニメを、録画だけにして家をでたので、「これみたいよ!」とごねだした。しまいには、「お父ちゃんじゃなくて、お母ちゃんといきたいよ」と言い出す始末。
 「時間がないの!いいかげんにしろ!そんなに行くのが嫌ならずっと車の中にいれば!」と「切れて」しまった僕。とたんに、後悔の気持が湧いてくる。「ごめんね。でも、お父ちゃんに協力してね。」と伝えて、ようやく園の中へ。
 5歳だから、もう親の生活の仕方が変わったことなどは、きちんと伝えていかなければいけないし、一定は話しているつもりだが、自分の気持をコントロールするのに時間がかかるのだろう。
 夕方、家に帰るとたくさんの「お絵書き」した紙をもちかえった。一枚一枚を自慢げに説明する息子。その中に、「これはね、お父ちゃん、これはお母ちゃん」と親の姿を書き留めているものがあった。
 いろいろとつらくあたってしまうときもあるけれど、息子のなかにはちゃんと自分を支えてくれる親の存在がつよく刻まれているんだな、とうれしくなると同時に、自分の感情や都合だけでしかりとばす自分を恥じた。もっと、子育てに責任感をもたねば。



 ところで、夕方家に帰る途中で、とんでもない「事件」に遭遇した。
 もう、家と目と鼻の先にJRの踏切がある。遮断機がおりたままになっていたので、電車が通過するものとしばらく待っていたが、いっこうに電車がこない。あまりに長い時間開かないので、「もしや?」と思って見上げると、「故障」マークが点滅している。僕は、あわてて踏切りに明記されていたJRの駅に電話した。午後5時30分のことだ。(携帯電話に履歴とともに時間が刻まれているので正確)
 
 「踏切りの故障です。早くなおしていただかないと、車の渋滞など大混乱します。」僕は、故障の事実とまわりの様子を伝えた。
 すると、JRの担当者は、「すぐ調べます」といって、管理システムかなにかで調べたのだろう。「やはり故障のようです、対処します」と告げた。

 この時間帯は、勤め帰りの車などが頻繁にとおる。旧道から団地の中に入ってくる道路でようやく離合できるくらいの細い道だから、知らずに入ってくるとUターンできなくなる。しかも、しまったままの踏切りを通行人やバイクが突っ切って、万が一電車に轢かれたりしたら、大変なことだ。僕は、城陽警察署にも電話して、交通整理の対応を要望した。城陽警察の対応は、「わかりました。宇治警察署に連絡して、すぐに対処します」というものだった。

 そうこうしているうちに、車やバイクが旧道からどんどん入ってくる。
 僕は、とっさに鞄の中にあるちらしの裏側に「踏切り故障中」と大きく書いて、車のドライバーにみせながら誘導することを思いついた。一市民がこうした誘導をするのは、いかがなものか、と思ったけれど、これをしなければおそらく渋滞に加え、復旧のメドもわからないドライバーにとっては、イライラがつのり、ちょっとしたパニックがおきると判断したからだ。
 何十台という車が旧道から踏切りがある方向へ右折しようとする。その一台一台に「踏切り故障中」の「プラカード」をみせながら、迂回を誘導した。これが約20分〜30分も続いた。

 ようやく、JRの担当者たちがサイレンをならしながら到着したのが、午後6時すぎだった。この時点では、まだ交通整理の警察の姿を僕は発見できていなかった。僕がもう一度、城陽警察に電話したのが、午後6時10分。
 なんとか誘導をしているけれど、限界がある。実際、あやうく「お釜をほる」ところだった車も何台かあった。
 
 踏切りのほうへいったん様子をみにいくと、ひとり警官がたっている。
 へとへとになっていた僕は、思わず、「こんなところに立っていても仕方ないでしょ?一人じゃ少なすぎますよ。交通整理にならないでしょ。旧道の入り口にたたなければ、意味ありませんよ!」と叫んでしまった。
 その警官は、いろいろ弁明していたが省略する。弁明にもなっていないからだ。

 ようやく、踏切りの故障がなおって、渋滞も解消したのは、故障の通報をしてから、実に1時間近くたってからのことだった。

 この「故障事故」は、いくつもの問題点を投げかけていると思う。なにしろ、夕方5時すぎという、帰宅者がもっとも多くなる時間帯の故障だけに、踏み切りを渡ろうとする人間と車の安全確保を第一義的に考えるべきなのだ。であるならば、道路の形状、地理的な問題を考えれば、一刻を争って「交通整理」をはじめるのが対策の第一だ。
 結局、僕が交通整理をしたところには、JRも警察もたたなかった。これは、どういうことだろうか?

 また、この踏切りはちょうど、宇治市と城陽市との境にある。道路半分から見事にわかれているのだ。警察に通報して、場所を知らせても、「ほら、○○でんきさんの前にある踏切りですよ」といっても、電話に出たものがピンとこない。行政界にある付近については、道路管理、消防などに加え、こうした緊急の事態についても、どう対応するのか、方針を明確にしておくべきなのだ。
 とくに城陽市は、東西交通の便が悪いこと、南北にJRと近鉄が通っていることから、「踏切りのおおい街」である。しかも、それを横切る道路はいずれも幅員の狭いものがほとんどだ。今回のような事故が起きた場合に、ゆきづまった車を逃がすためのスペース等もほとんどない。
 すくなくとも、万が一事故が起きた時には、個々の踏切りごとに、どういう対処をするのか、JR、警察、行政といった関係機関でマニュアルなどを確認しておくことが必要ではないのか?

 さらに、今回は携帯電話で「故障の第一報」をしたけれど、もしあそこで誰も電話をもっていなかったら、どうなっていただろう?
 「非常のときは、このボタンを」とあるが、もっと駅なり管理センターにダイレクトでつながるようなシステムをつくるべきだろう。

 大事にいたらくて本当によかった。市民の安全を守るというのは、こうした一見小さな事故のようにみえることに、どれだけ真剣に機敏に対応するかにかかっている。そのことを考えさせられた出来事だった。
 
 


2003年06月16日(月) 頭痛と肩凝りでダウン

 昨日からはじめた「プチ断食」。我が家にあった「ミキサー」は、機能が「ミル」しかないために、いちいちガーゼで絞りださなければいけない。
 毎回、嫁さんと共同作業で搾り取りをやっているわけにはいかないので、ついに、家電屋さんで「ミル、ミキサー、ジューサー」の三位一体型のものを購入することにした。

 断食をはじめる前から食事の量を減らしてきたこともあって、すでに2キロの減。何キロからのマイナスかは内緒。(^^;)

 内田康夫の『中央構造帯』を読み終えた。400ページをこす大作。エンターテイメントという舞台で、政治の腐敗、人間の業をみつめあるべき姿をさりげなく指し示す。いつもながら、期待を裏切らない一冊だった。

 夕方から夜にかけて、激しい頭痛と肩凝りに襲われた。前日に、「腸のはたらきを活発にするヨガのポーズ」といって、「ハト」と「アシカ」のまねを体をつかってやってみた。(テレビで効果があるといっていたので)
 そのせいで、体がびっくりしたのか?とも思ったが、とにかく体がだるく頭痛がやまない。
 家族にはもうしわけないが、ほとんどグロッキー状態で布団にもぐりこんだ。
 ん?政治の話がない。明日は、きっちり書くぞ。m(..)m


2003年06月15日(日) コミュニケーションの専門家

 じめじめとした毎日が続く。昨日から、三日間の「プチ断食」をはじめた。いっせい地方選挙がおわってから、家にいることが多くなり、体重がさらにアップしてしまった。(汗;)とにかく、体がしんどい。これでは仕事にならない、と思いダイエットに挑むことにした。(いったい何度目のチャレンジだろう)
 三日間は、「ほうれん草、にんじん、きゃべつ、バナナ、豆乳、レモン果汁」をミックスした特製ジュースを食事の代わりにのみ続ける。夕べは、保育園の保護者会の三役会議があり、みんながもちよった「さくらんぼ、餃子、メロン」などがテーブルにところ狭しと並べられたが、ぐっと我慢。

 
嫁さんからは、「出していただいた方に失礼でしょ(食べないのは)それなら、次の日から断食をはじめるとか、なぜ計画的にできないの?」と無計画性をまた厳しく突っ込まれてしまった。

 「しんぶん赤旗」の6月14日付の「学問/文化」欄に、広告プロデューサーの糸川精一さんのインタビュー記事が載っていた。とても興味深い内容で、ひさびさに「目からウロコ」の話しだった。
 糸川精一さんは、関西広告業界ではその名を知られた人で、「商業と文化の発信地キタを舞台に、地下街に川が流れる阪急三番街や若者文化の拠点・HEPファイブをてがけ」ている。このたび、社長職を辞したのを機に、自身の半生を『キタの街おこし自分史』(日本機関紙出版センター)にまとめられている。

 広告業界は、生活者や企業、行政に積極的に提案する“マーケティング・エージェンシー”へと変ぼうし、いまや6兆円産業。しかし、糸川さんは、「単純に資本の論理でまわっているわけではない」として、次のように述べる。とても、印象的だったので全文を紹介したい。

 なぜこのような広告をつくったのか?街づくりをしたのか?商品に込めた理由を理解してほしい。われわれの役割は、いまや生活者のニーズを的確につかんで未来の展望を提示する機能をもっている。プランナーの仕事は、生活者の求めるものをマーケティング・リサーチ(市場調査)し、一商品を売ることがやがては街づくりへと発展していく場合もある。いわばコミュニケーションの専門家なんです」 
 
 宣伝や広告は「コピー」、「ことば」が命である。「富士山」は、誰がみても「富士山」にかわりないけれど、しかし、久々に外国から日本にもどってきた人は、「なつかしい日本の象徴」として自分の心にうつしだすかもしれないし、スキーが好きな人は、山頂をいつも染めている雪景色をみて今年のスキーの計画をひそかに心でねりあげ、ほくそえむだろう。それぐらい、同じ一つのものをみても感じ方や興味のむけどころは多様だ。だからこそ、それぞれが、何をどう感じたのかを語りあい、伝えあうことからコミュニケーションははじまる。そして、その伝えあいのなかから、より多くの人たちが求めるもの、価値あると思えるものをみいだし広げること。その媒体の役割が「広告」であり、「言葉」なのだろう。そんなことを考えさせられたインタビュー記事だった。

 
 糸川さんは、インタビューの最後に、「これから政治の季節がくる」と予測し、保険も年金も若い人たちにとって悪いことばかりやられているので、怒りに心頭になることをきっかけに爆発する、と指摘する。
 その場合も、様々な「体験」を積み重ねることが大事だという。ひとりひとりの体験、感じたこと、見たことを伝えあい、共有するーーここにもコミュニケーションの役割が発揮されるんだ、と自分なりにとても納得した。

 僕たち政治家にとって必要なのは、「ほら、あなたが思ったり感じたりしていることと、日本共産党がめざしていることは、同じことなんですよ。だから、あなたの気持ちに一致するところで力をあわせましょう」と気軽に広げていくことだろう。

 


2003年06月14日(土) メルマガも復刊

 日記を復活させたのに続いて、三ヶ月も休刊となっていたメルマガもようやく復刊させた。最新号は104号となる。

 僕なりのリベンジへの決意を述べたものだったが、さっそく嫁さんからは、「口だけにならないように」ときつ〜い、突っ込み。
 日記の更新もできていないことも指摘されて、あわてて書いている次第。

 メルマガを発行したら、さっそく感想のメールが寄せられた。
 お一人は、僕の大先輩で学生時代から、僕の生き方に大きく影響を与えていただいた方。「率直な気持ちの表現があなたらしい」と書いてくださった。もうひとりは、メルマガの感想をよく送ってくれる大学時代の後輩。
 「社会変革の道を切り開く気概を維持し続けることこそ最重要」とアドバイスしてくれた。
  
 長い間、発行できずにいたのに、あたたかい激励のメッセージ。涙がでるほどうれしかった。
 そして、「そう、この感覚だね。メッセージの伝えあい、感じたこと、考えたことの紡ぎあいこそ、コミュニケーション、人の心を変えていく原点だね」と思った。こういう仲間を大切にして、一歩ずつすすんでいきたい。


2003年06月04日(水) 日記を復活

 いっせい地方選挙がおわって、一ヶ月あまり。
 この間、いろいろなことを考えた。元来、深刻に悩むたちではない僕がめずらしく「これからの人生」を考えた。そして、ひとつの方向性をあらためて確認した。

 自分は不十分な人間である。
 しかし自己完成、自己実現と社会をよくすることを分かちがたく結びつけた生き方をしよう。

 これが、いまいえる結論である。

 社会変革と自己実現の第一歩として、日記を復活させることにした。
 
 活動日誌でもあり、自分の心をうつし出す鏡でもあり、情報発信の場でもある。
 
 真保裕一の小説に「ダイスをころがせ」というのがある。前によんで感動した一冊だ。
 そのなかに、こんな言葉がでてくる。

「敗者復活戦は、結果を求めるものではなく、再び戦っていく闘志を取り戻していく舞台だ」

 いっせい地方選挙でバッチをはずしたあと、何気なくページをめくったとき、この言葉がとびこんできた。別の所では、「政治とはあとに続く人に道を示すこと」ともいっている。

 この二つの言葉が、僕の心をゆさぶった。

 政治家は、バッチをつけて政策を実現してこそ、その役割が果たせるものかもしれない。だが、政治とは、国民が主役であるはずだ。ならば、心を変え、地域をかえ、この国のかたちを変えていく。そのための道を示し「あるべき姿」を訴え続けること、たとえ、結果がどうであれ、理想や信念を抱きつづける姿をしめしていくことも、また政治家の役割ではないか?

 弱冠35才という、人生のちょうど半分で考えた。
 政治の貧困さからたくさんの涙をながしている人たち、不安定な人間社会で心にいくつもの傷をもっている人たち、能力をもちながら十分その力を発揮できていない人たち、そういう人たちとともに、政治を変えるたたかいを続けていきたい。
 自分らしく人間らしく生きたい、というあたりまえの願いを実現するために。
 


ヤグネット |MAILHomePage

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