ヤグネットの毎日
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2003年03月31日(月) 加藤春生さんをぜひ


 一日、宣伝車から訴える。日ざしが春らしくなってきた。ところどころ、桜の花が咲いているところがある。春が来たな、と一瞬心が緩む。満開の桜の花の下をゆっくりと歩きたいなぁ。。
 でも、いまはそんな余裕などない。たちまち現実モードにもどって、マイクを力強く握りしめる。
 午前中は、僕の市会議員の後任として立候補を予定している、加藤春生さん(55)さんとともに宣伝。
 午後は、今池地域、夕方からは、スーパー前でライブ宣伝。どこでもたちどまって、聞き入る人がいて、演奏と演説がおわるとかけよって、握手をさせていただいた。
 顔が日焼けしはじめて、熱い。。。

  加藤春生さんは、城陽市の前身、城陽町に就職。職員労働組合の執行委員などをつとめたあと、城陽市を含む南山城地域をエリアに、日本共産党の専従職員を四半世紀、25年以上つとめられた方。いまは、パソコン塾を経営している。
 南山城地域は、自治体が多い。そこで、住民こそ主人公の自治体づくりをめざして、草の根から住民との協同をねばりづよくすすめてこられた方だ。
 大きな体に象徴されるように、広くてやさしい心の持ち主。
 忘れもしない。1992年の秋。僕は、宇治田原町の町会議員選挙の応援のために現地で寝泊まりをしていた。はじめての選挙支援活動で、何もわからず無我夢中だった。その選挙は、無投票に終わったのだが、その打ち上げの席で僕のとなりに座った加藤さん。

 「おい、きみは、結婚してるのか?」と声をかけてきた。
 「いえ、こんな仕事していますから、出逢いの場もありません(苦笑)」と僕。
 すると、加藤さんは、「そうか。じゃ、わしが出逢いの場をつくってあげようか」といって、その後、ある女性とあう場を設けてくれた。それが、僕の妻となる人だった。

 面倒みがよくて、人のはなしを最後までじっくりと聞いて、いっしょに解決するまで相談にのる。ーーそれが、加藤さんの人柄である。僕たちの仲人になってくれた人である。
 久世・深谷地域で36年間守ってきた日本共産党の議席。なんとしても、加藤さんにバトンタッチしなくてはならない。13日の府会の選挙がおわったら、27日の市会議員選挙の投票日へ、全力をあげて加藤必勝へがんばりたい。

 
 


2003年03月30日(日) 流した涙に必ずこたえたい

 ハードな1日だった。
 午前中から街頭宣伝。二ケ所でライブ宣伝を行った。気温はあたたかったが、風がきつく、ライブのときにたてるマイクスタンドが風で飛ばされそうになる。思わず、右手で押さえる。(あたりまえだけど、演奏がとまるんだよね。)そんなことが2回ほどつづいた。


 午後2時からは、選挙事務所びらき。150名を超す人たちに集まっていただいた。
 大西前市長のあいさつでは、イラク戦争の即時中止を求め、「土建国家、土建行政から、人間回復の政治への転換を」と訴えられた。とても心に響いた。
 昨年、乳幼児ネットで、一緒に活動した伊藤さんも僕への過分な激励の言葉をかけてくれて、なんかくすぐったい気持ちだった。
 党府委員会を代表してあいさつした渡辺書記長は、いまの情勢が、「戦争か平和か、くらし応援か痛みのおしつけ政治か」など非常に有権者の前にわかりやすくなっていることに加え、京都では民主党が自民、公明などとともに、「オール与党」の一員となていることから、選挙戦の構図そのものが、オール与党対日本共産党という対決構図になっていること。戦争許さず、いのち第一、くらし応援の政治の願いは、こぞって、日本共産党へ」と力強く訴えた。




 
  5時からは、梅川酒店前で、大型宣伝カーも入っての街頭演説会。東部地域の方を中心に、50名を超す聴衆が集まった。井上さとし参議院議員が応援にかけつけてくれた。私の後継の市議予定候補として、いま精力的に活動している、加藤春生さんも力強く訴えた。加藤さんのことは、明日まとめて紹介したい。
 何度か、書いているが、党府委員会に勤務していたときの僕の直接の上司である。息子が生まれた時、井上さとしさんの名前にもあやからせてもらった。それくらい、尊敬できる政治家なのだ。


 井上参院議員は、イラク問題を中心に訴え。アメリカが劣化ウラン弾の使用を認めた事にも触れ、「大量破壊兵器を無くすといいながら、自らは残虐な兵器を使う。このこと一つとっても、ひとかけらの道理もない戦争だ」とのべ、イラク戦争の中止、平和を求める声を日本共産党へと呼びかけられた。とくに印象的だったのは、次のことだ。
 ●参議院本会議での、戦争への支持表明の演説をする小泉首相を自民党や公明党が万雷の拍手で迎えたことについて、井上さんが自席から思わず、怒りの抗議を与党席にぶつけた話
 ●人道目的に復興支援というが、いのちの復興はありえない。人道を口にするなら、いまただちにこの無法な戦争をやめさせることだ。
 ●三兆円という復興支援費は国民一人当り3万円。そんなお金を使うなら、日本の国民の命とくらしを守るためにこそ、使うべきだ。
 「本番で、またぜひ応援をお願いします」、とがっちり握手をして井上参議院議員を見送った。

 夕方からの宣伝では、さらに3ケ所でライブ宣伝。
 寺田西地域での宣伝で、歌い終わって、聴衆のみなさんに握手を求めにいくと、お店の前にたっていた女性の方が、目に涙をうかべ、「感動しました。がんばってください」と声をかけてくださった。
 いまこそ、いのちを守る政治をうちたてることが必要だ。僕のつたない歌に涙を流してくださる方がいる。
 その心にふれて、僕は感動しながら重い使命感にひきしまる思いだった。
 流していただいた涙に必ず勝利でこたえたい。


2003年03月29日(土) 散髪と息子への決意表明



 朝は、近鉄富野荘駅で宣伝。その後、理髪店にいって、パーマをあてなおしてきた。午後からは、地元久世地域を挨拶まわり。夕方からは、宣伝でライブ宣伝を連続的に行った。
 夜、寝るときに息子と向かいあって、決意表明をした。

 父:「今日は、男同士の話をしたい。ちゃんと、目をみて、聞いてくれる?」
息子:「うん?なに?」
 父:「お父ちゃんの仕事は知ってるね。みんなの命を守ったり、平和を守ったり、世の中をよくする仕事、そう、ウルトラマンみたいな仕事だよ。」
息子:「。。。。。。。」
息子:「なんで、お父ちゃん、髪の毛短くしたの?」
 父:「これからね、選挙っていうのがあって、お父ちゃん、とても忙しくなる。お母ちゃんも忙しくなるよ。でも、お父ちゃんもお母ちゃんも、いつも君のことを考えて、君とか保育園のお友達が楽しいこといっぱいできるように、大きくなれるように、っておもってお仕事してるよ。だから、君もお母ちゃんを助けてあげてね。」
息子:「わかんな〜い!」

 息子がこういう返事をするときは、よくわかったときである。

 一人の人格として、ある意味「大人」として向き合って、しゃべってきただろうか?ととても反省をした。そして、きちんと話してあげることが、大切であると思った。
 考えてみると、僕自身が、小さいころから、自分の父親にそういうふうに真剣にはなされてきた事がなかった。食事の時間には、いつも仕事でいない。休みは、ゴルフ接待とか、どこかに1人で外出していく。
 母親がつくった食事にすぐ、ケチをつけるので、一緒に食事をするのがいやだった。
 だから、自分の中で、「真剣に子どもに話すモデル」がなかった。

 でも、昨日は、なにかに後押しされて、意を決して息子に正面から語りかけた。
 どこまで、わかってくれたかは、自信がないけれど、これからも、ことあるごとに、「男同士の話をしような」と語りかけていきたい。
 息子が大きくなって、子どもができたとき、「親父、あんなこといってたな」とか一言でも、一瞬でも思い浮かべてくれたら、それで本望だ。


2003年03月28日(金) 最後の本会議



 27日は、城陽市議会の最終本会議。その模様をまとまって、お伝えしておく。
 冒頭に、議会運営委員会が開かれたが、そこで、「イラクへの武力攻撃の即時中止を求める」決議の取り扱いをめぐっての協議が行われた。
 僕たち日本共産党は、「アメリカとイギリスによる武力攻撃の即時中止」と「この戦争を容認した小泉内閣は、支持表明を撤回すること」という2つの内容を盛り込んだ決議案を提出。これに対し、国政与党の自民党と公明党が、小泉内閣の責任を不問に付す中身となる、「攻撃の即時中止」のみを求める内容の決議案を提出。議運を暫時休憩させて、取り扱いをめぐっての協議となった。
 僕たち以外の会派は、日本政府の責任については意見が別れるので、その部分を削除した案でいきたい、と主張。しかし僕たちは、国民世論は、「なぜ戦争を支持するのか、について小泉政権は十分な説明責任を果たしていない。平和の憲法をもつ政府としては、『支持表明』は許しがたい」として、この内容を削ることは、認められないと主張。結局、調整はつかず、当初どおり、二つの決議案が上程されることとなった。
 採決の結果、日本共産党が提案した案は、日本共産党とひびきの会のみの賛成で否決。もう片方の決議案は、全会一致で採択された。
 僕たちは、もう片方の決議案も世論を反映した中身であるので、「大人の対応」として賛成をした。ひびきの会のベテラン議員さんも、同じように両方に賛成していただいた。不思議なのは、民主党の態度である。
 国政では、菅代表に代わって、厳しく小泉内閣と対峙しながら、城陽では、日本政府が「支持」を撤回するよう強くもとめた日本共産党の決議案に「反対」した。手をあげなかったのである。
 こういう、わかりにくい対応でいいのだろうか?

 また、「子どもの医療費を通院も就学前まで無料に」することを求める「修正案」の採決結果も、驚くべき内容となった。

 9000人の市民の請願署名を背景に、「入院」については、来年度から就学前までの無料化が実現した。しかし、「通院」は月8000円までが自己負担となり、これでは、1000人のうち95人(市当局の答弁)しか対象とならない。そこで、日本共産党市議団は、「通院も就学前まで無料にする」よう修正案を議会に提出。2月27日の福祉経済常任委員会では民主党だけの反対で可決されたが、この日の最終本会議で、どういう結果がでるか、注目された。
 結果は、自民、公明、民主党などの反対で、この修正案は「否決」された。反対討論で公明党は、「予算をともなう条例改正案を行政となんの相談もなく提出することは、無責任。選挙めあてのものだ」などと主張。これには、驚いた。議員の役割とは、行政を市民の立場からチェックし、不十分な場合は対案を示してその実現を迫ることではないか。
 「行政になんの相談もなしに勝手にやるのはけしからん」というのは、「行政がオッケーをいわないものは議員としてものをいったり、提案したりしてはだめだ」ということになる。さらに、「予算の裏づけがないものを提案するのはけしからん」と行政と同じ立場でものをいってしまっては、議員の存在意義そのものが問われるのではないか。予算の裏付けがなくても、予算の組かえや不要不急の事業を見直すなどをして、財源をつくりださせることが大切だ。そのことを迫ることこそ、議員の役割ではないのか。
 市長のいうことを、なんでもオッケーでは、議員の役割放棄である。

 通院も就学前まで無料にするのに必要なお金は、市当局の答弁でもわずか7000万円である。
 京都府議会では、「通院も就学前まで無料に」と求める請願や日本共産党提案の決議案に、自民党や民主党など「オール与党」は、ことごとく反対してきた。 
 府民の切実な声が届く府政めざして、ますます僕ががんばらなければいけないーーその思いを強くした。

 なお、最終本会議では、「医療費の3割負担導入の凍結を求める意見書」「消費税増税を許さない意見書」
がそれぞれ、賛成多数で採択された。

 最後の議会がおわった。机にある名札を倒す時、はじめて議場にすわったときのこと、はじめて質問したときのことなどが思い出され、ちょっとウルウルときたけれど、まだ闘いをすすめている身。泣くのはやめようと、心に誓った。


2003年03月26日(水) 雨とあられ


 朝は近鉄久津川駅で宣伝。雨がふっていたにもかかわらず、多くの人たちがマイクの訴えに耳を傾け、ビラをうけとってくれた。
 午前中は、会議で地区事務所へ。あらためて、告示まで10日間。緊張感がどんどんと高まっていく。
 午後からは、久世地域を宣伝。出発するときは、晴れ間もみえていたのに、途中からどんよりと曇り空。最後は、ものすごい雨がふりだしあられまで落ちてきた。
 アナウンサーで同乗してくれた大畑さんが、思わず「すごいあられですね」とアナウンスしてしまったほど。(笑)
 宣伝をしているときのことだ。バイクにのった40代ぐらいの男性が、すーっと近付いてきた僕に顔を近付け、「嘘つき!!」と罵声をあびせ、アクセルをふかして逃げるように去っていった。
 おとといも、長池地域を宣伝していると、同じようなことがあった。
 言論の自由は当然保障されなければならない。だが、嘘つきというレッテルをはるのならば、なにがどう嘘つきだと感じているのかを、説明をしてほしい。某宗教団体に丸抱えされている某政党の人たちは、各地で「嘘つき」という罵声を浴びせて、宣伝を妨害している。いくらでも、マイクをわたすので、自分の言葉で訴えてはどうだろうか?いくらでも、公開の場で議論をする用意がある。
 イラク戦争反対の運動を、「イラクへの利敵行為」と批判する政党のいうことには、いくらでも反論する用意がある。

夜は、新日本婦人の会「野菊班」のカラオケパーティーに招待をされ、2曲ほど、十八番を歌わせていただいた。
 お世話になっているTさんは脳硬塞で倒れ、リハビリ中の旦那さんとともに参加。日常会話では、まだ思うように言葉をつなげない旦那さんだが、カラオケは、音程もばっちりで歌詞もよく聞こえる。カラオケは最良のリハビリなのだという。病に倒れた夫へのおもい、介護の日々を一冊にまとめた経験もあるTさん、夫の傍らにぴたりと寄り添い、一緒に歌詞を口ずさむ姿を微笑ましくみた。


2003年03月25日(火) パソのメンテ


 朝、城陽駅で宣伝。刻々と送られてくるイラク戦争での空爆の映像は、映画でもゲームでもなんでもない。あの空の下で、恐怖に耳をふさぐ子どもたち、眠れる夜を過ごす女性たちがいる。罪のない市民の命を奪う戦争は、即刻中止を。日本政府は、戦後の復興に支援するというのが、失われた命は復興できない。無法な戦争に私たちの税金は一円たりとも使わせるな。それよりも、不況で苦しむ国民を応援するために、相次ぐ医療制度の改悪で命の危険さえ、感じている弱い立場の人たちを守るためにこそ、私たちの税金は使われるべき。戦争は、人生をめちゃくちゃにする。ならば、それに対抗する力として、草の根から、地域から、地方政治から、人間の命を輝かせる。人を愛することを大切にする、人との協力を大切にするあったかい人間の輪を広げていこう。

 こう、心をこめて訴えていたら、じっと聞きながら前を通り過ぎた女性が、階段をあがって見えなくなる直前に、大きく手を振って激励をしてくれた。とてもうれしかった。

 午前中は、ハンドマイクを使って、普段なかなか入れない路地裏などを宣伝。
 午後からは、休憩。その時間を使って、パソコンのメンテをした。ホームページも日記以外は更新できておらず、とても焦りぎみだった。仕事で必須だけではなく、メールのやりとり等、僕のライフラインといってもいいものなのだ。マウスが動かなくなったり、全体として重たい感じだった。結局、OSを再インストールすることで、解消。無事、復活した。

 夕方からは、雨。しかも、じゃっじゃ降り。でも、そのなかでも車を走らせた。Yさんがものすごい、迫力でアナウンス。それにつられて、僕も一生懸命訴えた。


2003年03月24日(月) 電車を乗り過ごしてまで


 イラクへの攻撃は依然続いている。あるMLで、アメリカ政府が各国政府に対して、「イラク大使館の閉鎖と大使の国外追放」を要請している、との報道記事を目にした。
 コメントは、「世界の憲兵剥き出しの暴挙。フセイン政権は非合法だから大使は無効というのは、アメリカは何様のつもりか?フセイン大統領の評価はいま、おいて一致して抗議すべきだ」とある。
 まったく同感だ。フランスやロシアはこの要請をきっぱり拒否した。大使館を閉鎖するかどうかは、すぐれてその国の主権に関わる問題であり、他国からあれこれといわれる筋合いのものではない。これが、理由である。まったくその通りだ。
 ところが、日本政府といえば「それぞれの国の事情もある。」などと歯切れが悪いようだ。情けない。

 お昼ごはんを、家族で外で食べた。いつも休憩をさせてもらっている食堂の2Fで食べたが、なにか小旅行にきたような気分。息子もおおはしゃぎで、オムライスを食べていた。

 午後からは、保育園の保護者会の「活動のまとめ」の製本作業。役員さんが集まって、みんなで手作業で仕上げていく。僕はこういう時間が、とても好きだ。みんなで、あ〜だ、こうだといいながら作業をする。途中で失礼させていただいたけれど、保育運動をもっと前進させたい、と心から思うひとときだった。

 23日もライブ宣伝を数カ所でやった。
 ライフ前では、中年の男性の方が最後まで聞いてくれて、拍手をしてくれた。
 近鉄久津川駅では、少年少女合唱団の再生にむけての活動で力を貸してくれた、女性の方が用事で電車に乗らなければ行けなかったのに、一本やり過ごして、僕のギターと歌を聴いてくれた。二番に入るところで電車が入ってきたので、改札口のなかへ消えて行ったがその直前まで、一生懸命手をたたいて、応援してくれていた。なんか、涙がでてきそうになって、ギターのストロークを少しだけ強くふりおろした。
 そのときも、最後まで聴いてくれている人がいて、拍手もしてくれた。
 上津屋の広い畑のまん中で、思いきりうたいあげたときは、近くの小学校であそんでいた子どもたちが、大きく手をふって声援を送ってくれた。平和を愛する、人間を大切にする、やさしい心をつなぎあわせていきたい。戦争は、一人ひとりの人生を蹂躙することだ。蒼い空の彼方とつながっている日本の空。この人生の蹂躙へのプロテストを続けなければ、心が爆撃をくらってしまう。いまも、人殺しが続いていることに思いを馳せ続けよう。


2003年03月23日(日) よく、話し合ったらいいのにね

 22日は、終日街頭から宣伝。6ケ所でライブ宣伝を実施。昨日も書いたが、僕の前を通り過ぎる人、遠くから見る人の目が穏やかだ。笑っている人もいる。そんな人たちをみると、心が熱くなってくる。
 午後、寺田西のある公園の横で演説をしていると、小学生二人が近付いてきた。演説が終わると、ねえねえ、おじちゃん、といって話しかけてきた。

 小学生:「アメリカ、あかんよね。」
 僕  :「そうだよね。アメリカはあかんよね。暴力を使うのはあかん」
 小学生:「でも、イラクもあかんよね。」
 僕  :「!。そうだね、イラクもあかんね。」
 小学生:「よく、話し合ったら、わかりあえるのに。なんでかな?」
 
 子どもたちの瞳と言葉にこそ、真実がある。

 僕は、「その通りだね。おっちゃんもそういうふうに声をあげていくから、君たちもみんなでよく話し合ってね」と話して、その場を離れた。

 イラクでは、同じくらいの年の子どもたちの命が危険にされされている。
 命の重さ、尊さに、差はまったくない。
 早く、やめて、よく話しあえ。ここに、この声をあげ続ける。今日も。


2003年03月22日(土) 終日、戦争やめろ!を訴え

 21日は「躍進大集会」の日。午前中は、僕の後継の市会議員候補として先日発表した、加藤春生さんとともに城陽団地を挨拶まわり。加藤さんは、僕の前回の選挙を取りしきってくれた方であり、僕たち夫婦のキューピット役、仲人でもある。必ず議席を引き継ぐために。4/13の自分の選挙が終わったあとも、27日の市議選投票日まで全力で闘い抜く決意だ。

 午後1時に集会の会場入り。第1部のミニコンサートでハーモニカを演奏していただける、あらいなおこさんに御挨拶をさせていただき、第1部の最後の曲「ヒロシマの有る国で」のセッションの音あわせをさせていただく。なんと、その場にあの、今村克彦さんも来ているではないか。思わず楽屋で記念写真をパチリ(笑)

 第1部の終わりに、あらいなおこさんと「ヒロシマの有る国で」をセッションで歌わせていただいた。ステージの中央にたち、スポットライトを浴びる。なんともいえない感動。一生の宝物となった。









 第2部では、多彩な弁士のおはなしのあと、決意表明をさせていただいた。










躍進大集会のあとは、会場から市役所前までピースウォーク。出発のときに、「翼をください」の伴奏をしたけれど、あんまりうまく弾けなかった。ピースウォークは、MCとBGMだけで、シュプレヒコールはない。僕も、ギターとボードを使って、沿道にアピールした。








 ピースウォークのあとは、近鉄久津川駅で青年のみなさんとライブ宣伝。妻と息子にはじめて僕のライブ宣伝を見てもらった。なんと息子は、ボードと棒をもちはじめて、見よう見まねに宣伝していた。中学生たちのグループや若いカップルが足をとめ、署名に協力してくれる。僕の前を通り過ぎる人が、笑顔だったり「がんばってください」と声をかけてくれる。平和とは心の内側から広がるもの。それぞれの平和へのおもいを自分なりに形にしてあらわすことが大切だ。このライブ宣伝は、ずっとつづけていきたい。
 



2003年03月21日(金) 無法な戦争をやめよ!


 朝は、近鉄寺田駅からスタート。途中、缶コーヒーの差し入れがあった。うれしかった。
 午前中は、地元の小学校の卒業式。またまた、自分の小学校時代を思い出す。
 
 当時、お別れ会を自分達で企画してやっていた。卒業式とは別に。そこで、僕は企画を担当して、当時、流行していた海援隊の「贈る言葉」を合唱したりした。卒業式の退場の時、涙をぼろぼろ流してしまったのを思い出した。 
 地元の小学校の卒業式では、卒業生と在校生が歌を交換する。なんて小学生の歌声は、美しいんだろう。声それ自体が美しいのもある。だが、それだけではなくて、少しぐらい音程が狂っていても、歌詞をまちがってても、元気よく、歌い続けるその「心」が人の心をうつのだ。自分の小学生時代を思い起こし、また涙を流してしまった。(汗;)

 事務所にもどると、ついにアメリカによるイラクへの戦争が始まった、というニュースを聞いた。
 午後1時からの議会運営委員会を終えると、西やすひろさん市議予定候補とともに、市内一円を宣伝カーでまわっり、「国際世論も国際法も、国連憲章をもふみにじった、無法な戦争はただちにやめるべき」と訴え、城陽から平和の世論を広げるために、ご一緒にたちあがりましょう!とよびかけた。

案の定、空爆によって、負傷者がでている。  


[写真]20日、空爆で負傷し、バグダッドの病院で横たわるイラクの少女(ロイター =共同)

 人類は、暴力による紛争の解決を防ぐために、国連や国際法をつくり、秩序を守ることをお互いの努力で継続させてきた。今回の戦争は、人類に対する重大な犯罪をおかしことになる。

 今日は、文化パルクで躍進大集会。そのあとには、市役所前までピースウォークがある。ぜひ、一人でも多くの人参加してもらって、城陽から「戦争やめろ!」の世論を広げたい。


2003年03月20日(木) 劣化ウラン弾

朝は、近鉄富野荘駅からスタート。7時半すぎからハンドマイクで訴えさせていただいたが、アメリカのイラク攻撃が秒読み段階にはいったこともあり、ハイテンションで訴えてしまい、山本よし子議員にあわててマイクのボリュームをさげられた(笑)。
 午前中は、寺田東地域を街頭宣伝。地元の三品さんが自ら作った原稿で、味のある宣伝。人柄がにじみでていた。お昼は、休憩する喫茶店がお休みだったので、家に帰りカレーライスを食べる(インスタント)。
 午後からは、久津川と寺田中地域で宣伝。わりと広めのスペースでライブ宣伝をやった。すると、アパートの一階の窓があき、お年よりの方がじっと聞きはじめてくれた。歌い終わると、小さくやさしく拍手をしてくれた。僕は、かけよって、「ありがとうございます。」「戦争がはじまるとかと思うと、いてもたってもいられず、ギターと歌で平和への思いを伝えさせていただきました」というと、小さく「がんばってくださいね」と声をかけてくれた。服装からすると、風邪かなにかで横に臥せていらっしゃったのかもしれない。申し訳ないおもいと、目にうっすらと浮かべられていたものをみて、「よかった」という気持が交錯した。

 演説では、とくに、アメリカの劣化ウラン弾の問題を強調した。大量破壊兵器の所有の問題でイラクを攻撃するのなら、まずアメリカの劣化ウラン弾や核兵器こそ率先して廃棄すべきである。
 劣化ウラン弾とは、放射能をばらまいて人体に影響を与えるものである。ところが、戦争でつかうばあいには、「敵」に対してのみ放射能をばらまくので、かまわないという理由で、1991年の湾岸戦争などで、劣化ウラン弾をアメリカは使用している。
 だが、実際には、「敵」地には、無辜の市民がいるのだ。田中宇さんのメルマガによれば、湾岸戦争のとき、クウェート国境近くのイラク領内で米軍が発射した大量の劣化ウラン弾からばらまかれ、「その放射性物質は、砂漠の砂塵に混じって周辺の村々やバスラ市内に到達し、湾岸戦争が終わった数カ月後の1991年夏ごろから、バスラ一帯では放射能の影響と思われる白血病やガン、奇形児の出産が増加した。 」という。

 まさに、末子の代まで重い後遺症がのこるのが、この劣化ウラン弾なのだ。森住卓さんの写真をみると、その恐ろしさがわかる。これが、戦争の現実だと戦慄が走る。

http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq.html

 午後の宣伝の最後のころ、公園で遊んでいた小学生の女の子たちが、駆け寄ってきた。
 
 小学生:「おっちゃん、選挙にでんの?」「ポスターの人?でも、似てへんやん。」といきなりつっこみ。
 ぼく :「そんなことないで、おっちゃんが、あのポスターの人やで。」
 小学生:「え〜〜っ。でも、全然似てへん。だって、もっとポスターの写真、細いで〜」
 ぼく :「そか(爆)」
 
 小学生の前で「ヒロシマの有る国で」をライブ宣伝した。小さくてかわいい拍手が心の中にしみわたった。
 この子たちが戦争の惨禍で苦しむようなことだけは、絶対にさけなければいけない。

夕方の宣伝の最後、新興団地で演説しているときのことだ。あるお家の勝手口の向こうで、最初じっとたって聞いている人影がみえた。ちょうどシルエットのようにみえたから、もしかして僕の演説を聞いてくれているのかな?と期待した。すると、こんどはその勝手口が開いて、高校生ぐらいの男の子がその裏庭にでてすわりこんで、演説を聞きはじめた。演説が終わると、拍手。それが、団地のなかに響き渡った。ゆっくりとした拍手だった。僕は、お礼をいって、21日の集会のチラシをわたした。「がんばってください」と声をかけてくれた。うれしかった。本当に、


2003年03月19日(水) 多様性こそ宝



 朝は、山城青谷駅で宣伝。だいぶ、朝の冷え込みもやわらいできた。小鳥のさえずりも聞こえる。もうすぐ春だ。桜の花が咲く頃。なぜか、甘くて優美なイメージ。桜の花を心から美しいと思えるような結果を出したい。

 イラク情勢がいよいよ緊迫してきた。アメリカのブッシュ大統領は、イラクのフセイン大統領に最後通告を言い渡し、フセインはこれを拒否。とても残念だが、今週中に、イラクの空には、無機質だが怒りと呪いがつめられた爆弾の雨が降ることになるだろう。

 僕が、政治と社会を変える道に入り、共産党に入ったのも、たとえ、自らの命が奪われようと、自分につながる人々の命、愛する心、美しいものを守ろうと闘った。その生き方に感動したからだ。だから、いま目の前で起きようとしているイラク戦争に反対し、平和の声を広げることは、僕の生き方の原点にかかわるものである。
 無辜の市民の命が奪われるーーそのことが、悲しく、つらく、許せない。

 多様性こそ宝であるーーこのことを最近、痛感する。
 あるMLで、「国家というもののほとんどは、武力をもってその国家を実現してきたけれど、その罪を帳消しにするには、合意を尊重した、多様性を認めあえる世界を自らの意志でつくることだ」という趣旨の一文をみつけた。多様性や信じるものが異なることを認めあえるためには、その感情表現や行動様式に一定のルールが必要だ。無秩序からは、多様性を認めることや共存関係はうまれない。
 「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたが意見を述べる自由は命をかけて守る」ーー民主主義の原点はここにある、と思う。
 国と国の争いは、権力者が国民の多様性を否定して同化を求めることからはじまる。われわれ人間は、様々な人種や、文化習慣、感性をもつことで成り立っている。だからこそ、お互い仲間として共に生活をし、働き、楽しめるように努力しなければいけないのだ。

 そうした多様性を保障してこそ、人間らしく安心して生きることができる。そのためには、ルールが必要だ。平和のルールをやぶることは、人間を否定することである。

 この無法な戦争をおこしてはならない。人間らしく生きるためにも。

 「みんなちがって、みんないい」ーー金子みすずの詩が頭のなかで木霊する。

 


2003年03月18日(火) 久々の京都市内

 17日は午前中、京都市内で会議。ひさしぶりに京都市内にいって、気分転換になった。会議では、京都府政問題などを勉強する会議だったが、党の現職議員や予定候補のみなさんの奮闘ぶりを聞いて、大いに刺戟をうけた。しかも、府内各地で起きている京都府政にかかわる問題などを身近に聞いたり、勉強したりする機会からはなれていた(議員になるまえは、政策宣伝の関係で府内をあちこち歩いていたのに。。。)ものだから、視野がうんと広がったような気分になった。それにしても、京都市内は人が多かった。

 午後からは、街頭宣伝。夕方かららの宣伝では、二ケ所でギターによるライブ宣伝を行った。6時前に妻から携帯電話がなる。「24号線が事故かなにかで渋滞し動かない。息子を保育園に迎えにいってもらえないか」ということだった。あわてて宣伝カーで保育所にかけつけ、息子を乗せて事務所へ連れて行った。
 息子だっこして、保育園の門をでると西の空に、きれいな夕陽がみえた。思わず、今村克彦さんの「wake up」を口ずさんだ。宣伝が終わる頃には、東の空に満月。とても贅沢な気分になった。

  Wake Up!  word&song 今村克彦

  真っ赤な夕焼けが
  この街を染めるとき
  何故か 君を 思い出してしまうのさ
  別に孤独に 耐えてる訳じゃないけれど
  妙に君が懐かしくなるのさ
  
   wake up! 立ち上がれ!
   wake up! 熱くなれ!

  負けるな愛よ! 眠るな夢よ!
  今再び燃え上がれ!
  
  信じるものが 大きすぎるなんて
  夢を持てない 人間の言う事さ
  なんだかんだと ごたくを並べても
  愛や希望は 絵に書いたモチじゃないさ
 
   wake up! 立ち上がれ!
   wake up! 熱くなれ!

  負けるな愛よ! 眠るな夢よ!
  今再び燃え上がれ!
  今ふたたびめぐりくる、時節(きせつ)の中で!


2003年03月17日(月) 終日雨のなかで

16日は終日雨。雨をふきとばす勢いで、分刻みのスケジュールをこなした。まず、10時からは、「みんな仲間教室」の大バザー。僕が住む城陽団地に共同作業所をもつ福祉施設の恒例行事だ。今年ははとくに、法人格の取得をめざしそのための資金確保をよびかけている。文化パルク城陽の外の広場、市民プラザ、会議室などに所せましとバザーの品々が並ぶ。10時にはすでに、写真のとおりのにぎわいだ。安くて、まだまだ使えるものを探し当て大事に使おうという庶民の暮らしが、ここにある。
 途中で失礼をして、尼塚、城南団地、サンフレッシュ前で宣伝。小雨だったので、ライブ宣伝をやった。
 バックコーラスもついてくれて、大いに盛り上がった。ただ、ギターが雨にぬれちゃう。。。結構、奮発して買った大事な楽器なので、ヒヤヒヤしながらの演奏。

 その後、宇治市内で開かれた全京都建設協同組合主催の「建ちゃんまつり」をのぞかせていただき、洛南事務所の木村所長に会場内を案内していていただく。
 パワーシャベルをつかった、子ども用の遊具が目にとまった。息子をつれてきたら、キャーキャーいって楽しむだろうな、と思い記念に写真におさめた。

 模擬店で事務所スタッフにお土産をかって、久世地域での宣伝行動へ。時間がつまっていたので、久世の野口さんがご自宅で昼食を準備していただいていた。ありがたく御馳走に。「七分づき」のお米がとても、おいしかった。午後になると雨足が早くなってきた。地元の城陽団地のなかを野口さんの車で細かくまわり、街頭演説。野口さんは自家用車に宣伝機材をつんで、自ら運転もしてくれた。70歳を過ぎてのこの奮闘ぶり。アナウンサーは大畑さん。大ベテランで、声を聞くだけで元気がわいてくる。みなさんの、この頑張りに、僕は絶対にこたえなければならない。

 夕方からは、古川地域を宣伝。自転車にのった中学生くらいの男の子が、僕たちの宣伝をみるなり、こぶしをあげて、「イラク戦争反対!がんばれ!」と声援をおくってくれた。西元市会議員の娘さんがアナウンサーを引き受けてくれ、元気な声をまちに響かせてくれた。ありがとうね。

 夜は、久世保育園の三役会議。27日の役員会に提案する中身を議論。1年間の活動のまとめが中心。仕事が忙しい中で全体としては、みんな協力しあって楽しくできた一年だった。まだまだ保護者会活動は続く。来年度も子どもたちのため、親同士の手つなぎのためがんばりたい。
 
 家に帰ると、息子がビデオをみていた。雨だったこともあり、今日は一日中、ビデオ漬け。これはいけないと思いつつ、いまの僕の忙しさでは、休日に遊んであげることもできない。ごめんなさい。
 


2003年03月16日(日) ギター演説に思わぬ反響


 15日は朝から、雨がポツポツ。「参ったな〜」が朝いちばんのことば。というのも、今日は、スーパー前などで本格的にギター演説をおこなう日。場所によっては、事前の案内などもしていることから宣伝ができないことは、とても痛い。
 ところが、天気は僕に味方をしてくれたようだ。宣伝をはじめるころには、小雨にかわり、途中からはあがってくれた。よかったよかった。

 ギター演説は思わぬ反響だった。



寺田西のハッピー城陽前には、女性後援会のみなさんがバックコーラスをかってでてくれた。ぼくは、「平和への熱い思いを歌に託して訴えます」と簡単に前置きして、「ヒロシマの有る国で」をゆっくりと歌い出す。高音になると、スピーカーを通して、遠い空までぬけていくような感じ。すると、お店に入ろうとしていた若い女性客二人がしばらく聞き入ったり、雨がっぱを身にまといながら、足早に歩いていた女性の方がこっちに向いてきて、最後まで聞いてくれたり。しだいに輪が広がっていった。(写真は、別の所でうたっているもの。)
 演奏がおわって、雨がっぱの女性に握手を求めにいくと、堰を切ったようにはなしはじめた。

 「とても歌がうまいですね。やさしい声をしていて。。。あなたがいま歌っておられていたとおりですね。戦争はいけません。戦争に協力するお金があるのなら、医療とか福祉とかにお金をつかってほしい。うちの子どもは体がよわくて、正職で働けないんです。あなたの歌をきいて、もっと、政治をよくしてほしいと思いまいた。」 


 
 アルプラザ城陽前では、信号待ちでとまった車がみんな僕に注目。かっこいい車にのってとなりに彼女をのせていた「あんちゃん」(笑)も、ウインドウをさげて、最後まで聞いてくれていた。ちょうど信号待ちの時間で最後まで歌えたので、終わった時、車の中から拍手をしてくれた。それから、福井の高校のサッカー部のバスがちょうど前にとまったとき、窓をあけて大きな声援。ちょっと、恥ずかしくて違うほうをみて、歌ってしまった。(汗;)

 生協前では、西の空にとびきり真っ赤な夕陽が建物の後ろに落ちて行く寸前。「あ、この夕陽をバックにギター演説してるところとってください。ホームページに使いますので」と奥村議員にたのんだが、前の弁士の方の演説が長い長い(爆笑)。ようやくギターをひきはじめたら、夕陽は建物のかげにしっかりと落ちてしまっていた。。。
 僕の演奏がはじまる前に、バイク置き場でヘルメットをかぶって、いまにもスタートしようとしていた女性の方が急に動作をとめて、バイクにまたがったまま、僕の歌をききはじめた。右足でリズムをとりながら、口ずさんでいる。それをみていたら、いいようのない感動が体中をかけぬけて、最後はハイテンションで歌いきってしまった。終わると、その女性の方は拍手をしてくれた。思わずかけよって、「ありがとうございました」と挨拶をさせていただいた。
 すっかり日がくれたあともギター演説は続いた。犬の散歩をさせている男性の方が足をとめ、演説が終わって車を走らせて移動する途中、その男性をみつけたので、手をふると、会釈をして返してくれた。笑顔だった。

 思わぬ反響にスタッフ一同、とても元気づけられた。終わってみると、七ケ所でギター演説。それ以外に、演説だけのところも10ケ所以上こなし、アナウンサーもやってしまった。のどを使い切った一日だった。結構、体力も使った。帰ったら、バタンキューだった。


2003年03月15日(土) 卒業式



 午前中は、地元の中学校の卒業式。来賓として出席させていただいた。
 梅のかおり、そして、涙。惜別。。自分の中学時代を懐かしく思い出し、こちらまで涙がでてきそうになる。旅立つ若人に、いってあげたい。なんどでも人生はやりなおせるから、自分さがしの旅はゆっくりとあせらずに。





 午後からは、京都府委員会の大型宣伝カーが城陽に入り、5ケ所で訴え。私の押し上げ演説をしていただく弁士の方々は、どなたも雄弁家。となりで演説を聞いていて、こちらが面映くなるくらいだった。
 場所によっては、たちどまって、演説に聞き入ってくれる人もいた。





 この日、女性後援会のみなさんが、一緒に車にのっていただき、パネルをつかって道ゆくひとにアピール。効果も抜群だった。
 


2003年03月14日(金) 夕陽とひこうき雲

 朝は、民主商工会や京都建築労働組合洛南支部が毎年おこなっている、「3/13重税反対統一行動」に来賓として参加。あいさつをさせていただくとともに、宇治税務署までデモをして歩いた。
 確定申告の用紙提出をするさいに、業者同士が集いあって、重税おしつけを許さない社会的世論をつくるために、毎年開いているものだ。以下は、僕の来賓あいさつの全文である。

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 3/13重税反対統一行動にご参加のみなさん。ひとことごあいあつを申しあげます。イラク情勢は緊迫の度をましております。アメリカは、国連決議がなくても、単独でイラクへの戦争をはじめるとまでいいはじめています。とんでもないことです。イラクの国民の約半数は、18歳以下の子どもたちです。この小さな命を奪う権利は、誰にもありません。日本政府は、身も心もアメリカいいなりで、本当に情けない限りです。
 しかも、戦争は日本経済にも大きな影響を与えようとしています。イラク情勢の緊迫化や米国株安を受け、11日の東京株式市場は日経平均株価が7900円を割り込みバブル後最安値を更新しました。「小泉不況」にイラク情勢が追い打ちをかけている状況です。それだけに、いまこそ、平和を守れ。戦争はするな!の声をいっそう大きく広げていこうではないか。日本共産党はその先頭に立って奮闘する決意です。

 さて、今年の重税反対統一行動は、いつにもまして重大な情勢のもとでひらかれています。
 日本経団連の奥田碩会長は、消費税率を「毎年1%ずつ、最後は16%にする」という「提言」おこない、これに賛成する政治家に企業献金すると公言するなど、財界、政府、与党が消費税大増税への動きを強めるなかでおこなわれています。経済同友会は、19%の消費税を主張するなど、税率引き上げの競い合いをみせています。本当に許せません。
 深刻化する不況のなか、中小業者の7割が売り上げを落とすとともに、六割が仕入れでかかった消費税を完全には転嫁できずに自腹を切っていることが、全国商工団体連合会が28日に発表した「中小業者の営業とくらし・健康実態調査」の結果でわかりました。調査では、消費税の引き下げ・廃止を求める声が五割を超えています。いまこそ、消費税の増税反対!の声を広げていこうでありませんか。

 みなさん、戦争と深刻な不況。共通するのは、草の根で必死で生きている人々のいのちとくらしが、ないがしろにされる、軽く扱われるということです。ですから、私たちは、一人ひとりがしっかりと手をつなぎ、押し寄せてくる暗い嵐を団結した力、連帯の心で撃ち破っていく必要があるのではないでしょうか。
 今年は統一地方選挙の年です。みなさんが切実な声を大きくあげることで、「借り換え融資制度」を実現させるなど、具体的に政治を動かしています。私は、みなさんのねばりづよい取り組みにあらためて心から敬意を表するものです。

 私は、不況打開の決め手は、業者のみなさんのくらしと営業を支援し、市民のふところをあたためることだ考えます。そのために、住宅改修助成制度の創設を具体的によびかけています。消費税増税に反対し、地域経済の活性化へ、みなさんとともに力をあわせて奮闘する決意です。大きな御支援を心からよびかけて、ごあいさつとさせていただきます。

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  午後から夕方にかけて宣伝カーからマイクで訴え。今日は少なくて、19回しか訴えられなかった。夕方宣伝に出る前に空を見上げると、ひこうき雲がいく筋もでていた。ん?と思って、デジカメを懐にいれた。宣伝のちょっとした休憩のときに撮ったのだが、いつにも増してひこうき雲が空にいくつもできている。これは、ジェット機のものだ。北朝鮮のミサイル発射対策か、はてはイラク情勢がらみなのか?
 航空ショーとしてのジェット機は鑑賞の対象だが、戦闘のジェット機は人を殺し自然を破壊するものだ。
 夕陽とひこうき雲の組み合わせが、なんとも意味深長で少し心が落着かなかった。




 


2003年03月13日(木) すばらしい天気のもとで

 12日は午後からスタート。富野青谷地域をまわった。いま青谷地域は、梅の花が満開。
城陽の観光の目玉でもある「梅林」は、日経新聞で「全国ベスト9のスポット」と紹介されたほど。どこをまわっても、梅のかおりが漂う。この地域では、梅林もそうだが、家々の庭にさく梅がまたすばらしい。昨日も、「しだれ梅」(正式な名前はわからない)を発見して、あまりの美しさに演説がおわってから、携帯電話のカメラでおさめた。

 ぼくは、演説のなかでこんなことを訴えてみた。
 
 「すばらしい天気になりました。梅の花に陽の光が照らされてキラキラと輝いています。私は、春はすぐそこまできていることを実感しました。政治にもあたたかい春をよびおこしたいーーそんな決意をあらたにして、今日、ここでみなさんに訴えをさせていただきます」

 「この抜けるような青空と梅のかおりに心を癒されるのとは裏腹に、いま世界には重く暗い雲がたちこめようとしています。アメリカによるイラク戦争の危険です。かけがえのない命と一人ひとりの人生を奪い去っていいなどという権利は、だれにもありません。美しい自然を壊していい権利は、だれにもありません。ご一緒に、平和を守れ、戦争はするな、の世論を広げいこうではありませんか。」

 訴えること、25回。さすがに夕方になると冷え込みがきつくなる。しかし、僕はこの時間帯がいちばん好き。西の空には、大きなそしてしっかりとしたオレンジ色をした夕陽がものすごく存在感を示して、沈んでいく。この日の夕陽はとびきりきれいだったな。


2003年03月12日(水) ついにギター演説を敢行!


 朝の久津川駅宣伝。今週から後援会のみなさんが、一緒にビラ配布にたってくれている。どんな激励の言葉よりも、こうして一緒にたってくれる姿が僕の心を奮い立たせる。早朝書いた日記のタイトル「大きな木のように」にのせる写真がほしい、と思ったいたら近鉄久津川駅前のポケットパークの木が目に入った。「これでいこう」と思い立ち、携帯電話に付属している写真でパチリ。ぜひ、昨日の分にのせているのでみてほしい。  

 午前2時間、午後2時間半、夕方1時間半と宣伝カーにのる。朝雪がちらついていたかと思うと急に雲の晴れ間から太陽が顔を出す。夕方から夜にかけては寒風がふきつけてくるなど、安定しないお天気だ。
 いま自分の気持がぐっとテンションあがりぎみできているものだから、くるくる変わる天気にむかって、「どうしたい?」と気づかう余裕もでてきた。

 午後からの宣伝では、ついにギター演説を実現させた。

前日のある会議で、「せっかく矢口さんがでるのだから、宣伝カーの上からマイクをもって訴えるだけではなくって、ギター片手に歌うとか、やわらかい宣伝をする工夫をしてほしい」という強い要望をうけていた。それは、僕にとっても望むところだった。実は、そういうことがしたくてうずうずしていた。その方は、「服装もそんなスーツ姿ではなく、カジュアルな格好で」ともいっておられた。でも、スーツ姿だから、この肥満体型を隠すことができるわけで、カジュアルな格好をしたら・・・。(汗;)

 午後からの宣伝では、ギターを宣伝カーにつんで、わりと大きめのスペースのところで車をとめセッティング。自分の平和に対する思いを語ったうえで、「ヒロシマの有る国で」を歌わせていただいた。見物する人は、学校帰りの小学生が2人。無我夢中で歌った。でも、どうしても初の試みで「照れ」があって、マイクにむかって思いきって歌うことをためらってしまう。声の張りも中途半端になってしまって、評価は30点ぐらいだ。しかし、街角に響き渡るCコードは、なんとなく心にしみるものがあり、やみつきになりそうだった。
 夜、近鉄寺田駅のロータリーでもギター演説を敢行。ただ、とても寒くて手がかじかみ、うまく演奏できなかった。それでも、街灯がスポットライトの代わりを果たして、歌っている自分はとても気持ちがよかった。ん?自己満足で歌っては駄目だよね。(爆)

 夜は、保育運動連絡会の今年度最後の役員会。寒い夜だったのに、全園から出席してくれた。一年間のまとめを僕から報告させてもらい、それにもとづき討議。話しはじめたら、みなさん長い長い(笑)。
 話がどんどんそれていくお母さんたちの輪の中になじんで加わっている自分が、かわいくみえた。今年度の保育運動は、寺田西保育園で休廃園基準をクリア、保育室へのクーラーの設置、4/1の保育、公立7園中6園での0歳児保育の実施など、いくつも要求が前進した一年だった。背景に子育て世代の保育ニーズの高まりがあることは明らかだ。加えて、乳幼児医療費無料制度の拡充を求める請願は、集約数では9000筆を超え、全会派の議員が紹介議員となり、全会一致で採択。これが力となり、来年度入院にのみだが、就学前までの無料化が実現した。継続して声をあげていくことの大切さを学んだ、とみんなが口々に話していた。保育運動をやっていて「よかった」と思えるひとときだった。


2003年03月11日(火) 大きな木のように

 どんよりとした朝だった。東の空をみると、オレンジの朝焼けがちょっとだけ顔をのぞかせる。
 「もっとみたいなぁ」という思いをしまいこんで、朝の駅宣へ。JR長池駅では後援会の方が、奥村議員とともにビラ配布に参加。おそろいのヤッケを着込んで、気合い十分だ。
 昼間は、議会の一般質問。最終日で3人の議員が登壇。本城議員の数時間(笑)に及ぶ質問もすごかったが、与党議員の超短時間(20分?)の質問にも驚いた。質問原稿と答弁が妙にマッチしている。まさか、当局に質問原稿をお願いしたわけではあるまい。そんなことをしたのでは、議員の役割の放棄に等しいことだ!と心のなかでつばをはいたとたん、はたと考えた。僕だって、演説や日常発する言葉のなかで、自分の気持ちを素直に自分の言葉で表現する努力をしていただろうか?その質問を聞いていて、まったく心に届かなかった自分に気づき、「借り物のの言葉とは、こういうことだな」と妙に納得できて、ひとりでニヤリとした。
 
 昼休憩のとき、精神障害者のHさんと昼食をとりながら話をする。Hさんからは4年間、ことあるごとにお話を聞かせていただき、議会の質問でも何度もとりあげさせていただいた。
 今回は、「選挙公約のなかに、『精神保健福祉の充実で心の健康を大切にします』という一文を入れてほしい」というお願いと将来のことで相談をうけた。
 とても自らに厳しいHさんは、食事がくるまでの間、自らの人生をふりかえり、ポツポツとしゃべる。
 心の病が原因で家族ともバラバラになり、ひとりで生き続けなければいけないことを思うと、ときどき、つらくて、せつなくて、やりきれなくなる日が続いたこと。まだまだ精神障害にたいする世間の偏見の目が気になって、葛藤する毎日だったこと。
 悩んでいても仕方ない、自ら殻をうちやぶることが必要だと、精神保健に関するニュースを自分の知り合い、近所などに定期的に配る活動をもう何年もつづけている。僕は、ささやかだけれど少しでもHさんの「挑戦」に貢献したいと、その印刷のお手伝いをさせてもらっている。
 料理がはこばれてきたころ、Hさんは、自分のこれからのことを話しはじめた。Hさんは、グラタン。僕は、ハヤシライスだ。Hさんは一時期、調理師をめざしたことがあった。そこで、60歳をすぎて調理師の免許をとりたい、という。ヘルパーも資格もとって、同じ苦しみをもっているひとの力になりたい。共同作業所やグループホームで料理をつくって、もてなしをしてあげたい。それが、願いだというのだ。しかしそれには、いくつものハードルがある。精神障害者には、バリアがいくつも存在するのだ。
 Hさんは、「苦しむことに感謝しながら生きるというのは、大変な事ですね」と自分のこれからの話をしめくくった。

 僕も、なぜか選挙を控えた自らの心境を話しはじめていた。

 「Hさんのように、いろんなことが原因で、生きることがつらくて、せつなくて、やりきれなくなる人がたくさんおられますよね。僕は、そういう人たちの心に響くような活動ができてきただろうか?そして、『なんとかならないのか!』という地底からわきあがるような訴えを、正面から受け止められるような力があるのか?と時々不安になることがありました。いまも正直いってあります。でも、「強くある」ことが大切ではなくて、人々の心の叫びに自らの心を響かせていく、ありのままの姿をみてもらうことのほうがずっと大切なんだと思うようになりました。」

 僕の話をきいていた、Hさんは、僕の話がおわると、食事の手をとめぼそっといった。



 「府民の代表となる人なんですから、大木のように、少々の雨風にはびくともしない人間でいてもらわんと困ります。」

 大地に根を張り、大空にしなやかに枝葉をのばす大きな木。そうだ、大樹。
 僕の大好きなもののひとつだった。もっとうんと若い頃、いつも大樹をみつけては幹をさすり、てっぺんをみあげていた。「大樹のような大きな心とおだやかな目でしなやかに生きたい」ーー政治の道に足をふみいれたころ、目標としていた自分像が「大きな木」そのものだった。
 大きな木のイメージが心のなかで広がり、なにかがふっきれたような感触。はしなくもHさんの前で涙があふれそうになった。「これはヤバい」。そう思って、あわててハヤシライスを口の中に流し込んだ。

 夕方、寺田西地域を飯田議員とともに宣伝。
 西のほうには、建物がたっていないので、西の空がいっぱいみえる。きれいな夕焼けが街を染める。
 朝、オレンジの朝焼けをもうちょっとみたい、と思ったけれど、この夕焼けにとても満たされた気持になった。人間は強くなりたいと思って、強くなれるわけではない。自分らしく、人間らしく生きたいと思い続けることの積み重ねが、悲しみ、喜び、怒りに心を響かせ共感できる、「強い」人間をつくるのだ。

 夜は、会議に参加。告示まで、あと25日。

 人々の心の叫びに自らの心を響かせていくありのままの姿をみてもらいたい、何千、何万の瞳に。何千、何万の耳と心に僕の思いを届けたい。さぁ、闘いは、いよいよ佳境だ。時間がない。走り続ける、明日も明後日も、その次の日も。もちろん、選挙がおわっても!
 


2003年03月10日(月) 保育園まつりと「やましろ音楽祭」



 9日は朝から、吹雪の空模様。なぜ、この時期に?と首をかしげながら、時計をきにする。
 10時半から、久世保育園の「保育まつり」があり、準備はおろか開催まで危ぶまれるからだ。幸い、まつりがはじまるころには、ちらちら雪にかわり、時折、陽もさした。それでも、メインの「ペンシルバルーン」のときには、またまた雪がコンコンとふりはじめ、主催者としては冷や汗ものだった。
 150人はゆうに超えていそうな盛況ぶり。雪と寒さ、そこに豚汁のふるまい・・・。演出はばっちりだったようだ。

 僕は、八幡市で開かれた「やましろ音楽祭」に出演するために、途中で失礼させていただいた。
 「やましろ音楽祭」は今年で9回目。南山城地域の合唱団が一堂に会し、毎年1年間の成果を発表する機会だ。京都府からの補助もでるなど、大きな事業へと発展している。
 演奏は、「まぁまぁ」といえるものだったのでは、と評価している。もちろん自分がそれにどれだけ貢献できたかは、疑問符がつくが・・・。
 夕方は、「京都民報」の取材。夜は、民主商工会の婦人後援会であいさつ。10日も、終日本会議。

 


2003年03月09日(日) 虹の空

 妻が熱をだした。ここ数日、期末テストの作成、採点や成績付けの準備等などがあって、徹夜続きだった。疲労から風邪をひいたようだ。病院で薬をもらって寝込んでいた。だから、午前中は息子の子守りで予定をキャンセルしてもらった。
 お昼から街頭宣伝にでようとすると、息子が足にしがみついてきた。「ねぇ、もっと遊んでよぅ・・・」顔は笑っていたが、なかなかゆっくり遊んでもらえない父親へのシグナルだった。夜、お風呂に入った時、水鉄砲で打ち合ったり、天井にむけての発射など、いっぱい遊んだ。少しは満足してくれたかな?

 午後からは、一つテーマをもちながら訴えた。演説の原稿の基本は変わらないのだが、自分の思いをもう少し前面にだしたものに工夫をした。たとえば、こんな風に。

 私は、不況打開へ「住宅改修助成制度」という経済政策を提案しています。これは、みなさんがお家を直される時にかかった費用の一部を行政が支援をする、というものです。こうすれば、みなさんの懐も助かるし、業者さんにも、仕事がまわります。お隣りの京田辺市では1200万円の予算をつけたら、2億円を超す経済効果があるなど、効果抜群です。私はこの例も示しながら、まず城陽市で具体化をすべきだ、と先日の議会でも城陽市に実施を迫りました。
 みなさん、城陽市の答弁には耳を疑いました。
 「個人の財産をつくるために税金をつかうことはできない」「経済効果は0とはいわないが、期待できない」と言い放ったのです。なんという冷たい答弁でしょう!経済効果は、おとなりの京田辺市で実証済みなんです。個人の財産形成に税金を使えないというのなら、企業誘致だって、あるいは現にお年寄りに絞って実施されている、バリアフリーのための住宅改修への助成だって、みんな間違いになるんです。「やらない」ことの理屈をたてるために、いっているにすぎないんです。怒りを通り越して、情けなくなりました。
 みなさん、城陽市がまったくやる気がないのなら、わたしを府議会へと送りだしてください。私は、府議会の場で堂々とこの制度の有効性と必要性を訴えて、京都府に実施を求めます。そして、その流れで、こんな冷たい城陽市政を変えようではありませんか!

 声にも抑揚をつけ、自分の思いのところは少し大きめに。身ぶりも入れると言葉に感情がこもる。

 くり返す事16回(もちろん、訴える場所は全部違う)。なかなか、納得のいく演説にはならない。
 しかし、借り物ではなく自分の心からあふれてくる言葉をビビッドに発露すること、こそが大切だ。
 僕の発言によって、人々の生活が左右される・・・それぐらい、責任があるのだから。だから、一言ひとことにもっともっとこだわりをもつべきだ。
 自分をどう表現するのか?ーー生きることそのものへの真剣さが問われているのだ。


 5時前。東の空に虹が出た。雨がふったり止んだりの困った天気だったが、最後の虹をみて、心が癒された。
 夜は、ジョイナスグリーの練習。実は、9日が「やましろ音楽祭」。午後から発表のステージだ。曲目は、「鉄腕アトム」「月光仮面は誰でしょう」(笑)。そして合唱組曲「海鳥の詩」より「海鵜」。僕自身はあまり練習に参加できていないので、冷や汗もの。午前中は、保育園まつりがある。多忙な一日となる。


2003年03月08日(土) 夜空のむこう

 7日は、昼間は本会議。一般質問が続く。夕方から、街頭にでて宣伝をしそのまま、6時半から「イラク戦争許すな!市民集会」に合流。5分間のあいさつをさせていただいた。
 大要述べた事は、次のことだ。



  わたしたちの党は、今年で創立81周年を迎えます。ひとすじにつらぬいてきたのは、人の命を奪う戦争は絶対に許してはならないという、反戦平和です。その伝統のうえにたって、イラク戦争を許さないたたかいをご一緒にすすめる決意です。
 私ごとで恐縮ですが、私が政治や社会のことを真剣に考えるきっかけになったのは、ヒロシマとナガサキの原爆の惨劇を知ったことです。それまで、家族のありかたなどで悩んでいた私は、家族そろって団らんを楽しむことや、愛することさえ許されなくさせた戦争という現実に、ただただ涙し、怒りを覚えました。
 そして、無言館というところに展示されている、戦争中に描かれた美術学生の絵をみたことを思い出しています。そこには、美しい木々の緑、のどかな田園風景、恋人や妻、子どもを見事に描ききったものばかりがありました。もちろん、「無言館」の絵は反戦平和を訴えているのでしょうが、私は、人間とは、こうも美しいものに心を震わせることができる、すばらしい存在なのか!とそちらのほうに、感動しました。
 それほど、人間とはすばらしい存在なのに、ブッシュは、「ゲームは終わった」といって、何が何でも、イラクに戦争をしかけようとしています。
 私は、崇高な人間の存在、いのちを、「ゲーム感覚」で奪うことに痛みを感じないーーここに、戦争のいちばんの恐ろしさがあると思うのです。
 私は、人間の可能性や理性を奪うものと、闘いたい。そのために自分の存在を役立てたい。みなさんとともに最後まで、この戦争を許さないために闘います。


 その後、キャンドルパレードで近くを歩いた。夜空をみあげると、三日月でその月明かりで雲もくっきり浮かび上がっている。夜空のむこうには、爆弾がふることをおびえ、しずかにだきあっている、イラクの幾百の母と子どもたちがいる。奪ってはいけない、その命を。だれもその権利はないのだ。強く、感じた。







2003年03月07日(金) 最後の一般質問


 6日は、市会議員として最後の一般質問。これまで、大体質問の前日は徹夜状態でテンションを上げて質問に挑んできた。今回も、結局徹夜あけでハイテンションのまま、質問に突入。
 僕はまず、赤字路線が確実となる第二名神の建設中止を国に要望し、長池駅スタジアム公園線の凍結など、大型公共事業優先を見直し、市民のくらしと福祉の充実に力をいれるべき、ことを述べた。
 そのうえで、具体的な不況対策として、1)事業所実態調査の実施、2)莫大な経済波及効果をもたらす、住宅改修助成制度の実施を、3)年間2万時間、3億円の市職員超過勤務手当て分を削り、高卒者や青年を嘱託職員、臨時職員として雇用すべきだ。 4)青年を雇用した場合の雇用主への助成制度をスタートさせてはどうか?を質問。
 さらに、福祉の充実では、精神保健福祉の問題、保育の充実に加え、乳幼児医療費の無料制度の拡充問題をとりあげた。

 驚いたのは、住宅改修助成制度に関する市の答弁だ。この制度は、市民が住宅改修を行うさいに、上限額をきめ、10%の補助を行う、というもの。こうすることで、市民の懐も助かるし、大工だけではなく、電機、家具、左官など、いろんな業種に連動して仕事がまわっていく。だから、京田辺市では、1200万円の予算で、2億円を超す経済効果が生まれ、商工会の会長まで「経済効果は抜群です」と太鼓判をおしているのだ。

 ところが。ところが、である。

 「住宅改修助成制度は、個人の資産形成につながるので考えていない」と答弁。しかも、経済効果についても「ゼロではないだろうが、あまり期待できる制度とは考えていない」と答弁。僕は、耳を疑った。
 「個人の資産形成につながるから、税金投入はできない」というのであれば、現にいま福祉の分野で、高齢者に絞って実施されている、住宅改修のさいの30万円の助成制度も間違いであることになる。そもそも、この理屈をたててしまうと、行政が税金を使って、市民のくらしを応援すること自体が、「個人の資産形成につながるものとして、認められない」となり、市役所は何も仕事ができなくなってしまうのだ。そのことに、まったく気づかない驚くべき答弁である。
 しかも、経済効果云々についていえば、他市の具体的事例を紹介して、事実の問題として提示しているのに、それすらも、認めない。市民に役立つ仕事を率先してやろうとしない、この行政はいったい何なんだ!!!

 また乳幼児医療費の問題でもしかり。来年度から国が0〜2歳まで医療費を国費で負担することになったことから、府も市も乳幼児医療費にかかる予算をのきなみカットしている。僕は、「昨年12月議会で『就学前までの拡充を求める請願』が全会一致で採択されたことの重みを受け止めるならば、予算を減らすのではなく、市独自で上乗せするぐらいの努力が必要ではないのか?」と迫ったが、「市独自で上乗せする考えはない」とこれまた、冷たい態度。

 財政が厳しいことを100回くり返し述べても、財政はよくならない。もっと、税収を増やすことと市民のくらしを豊かにすることをむすびつけるには、どうしたらよいのかを真剣に考え、それをわかりやすく市民に示し、具体化をすすめていく熱いハートがあるかどうかだ。残念ながら、いまの城陽市政には、肝腎かなめの市民を思う「熱いハート」がないことが、ことごとく欠落している。

 そのことがわかった、最後の一般質問だった。

 余談になるが、地元紙の僕の質問の見出しは「雄弁家、最後の質問残念 橋本市長」というものだった。
 橋本市長は、「大変な雄弁家。最後の質問となるのは残念に思う」とエールと送った。(「洛南タイムス」)とある。実は、今回の質問は厳しいこともいわなあかんと思って、緊張していたので、冒頭の市長のこの言葉が、エールだとは受け取れていなかった。その意味では、申し訳ないことをしたな、少なくともお礼をいうのが、礼儀だと思って、少しだけ悔いた。

 


2003年03月06日(木)

 今日、午前11時ごろから、一般質問。原稿全文をアップしておく。結果はまた、あとで。。。


平成15年度第1回定例会 一般質問 第一質問原稿
 
6番議員、日本共産党の矢口まさあきです。通告に従いまして、順次質問をさせていただきます。

 1、不況対策と産業の活性化対策について

 大きな一つ目は、不況対策と産業の活性化対策についてであります。
 
 (1)市長の基本姿勢について

 市長は、施政方針演説のなかで、「くらしを高め、地域の産業を育てるまちづくりの推進」をうたい、地域特産物の振興や緊急雇用創出特別補助金事業の推進、融資制度の充実などをあげられました。産業振興の多くが、これまでの本市が行ってきた施策の継続事業であることに加え、施策そのものが今日の深刻な不況のもとであえぐ市民の願いに正面から応える中身となっているかどうか、私は厳しく検証していく必要があると考えています。日本共産党議員団は、1月10日、「大型公共事業優先を転換し長引く不況から市民のくらし・福祉を応援するための3つの緊急要求」を発表し、市内の中小業者、商店主、福祉関係者など幅広い市民のみなさんと対話をすすめてきました。そのなかで明らかになったことは、いまの不況のもとで、多くの市民が切迫した事態においこまれており、くらしを応援する緊急の対策が必要になっていることです。なかでも、仕事や雇用の確保が切実な課題となっていることが、浮き彫りになりました。小泉内閣は、市民のくらしが今でさえ不景気で押しつぶされそうになっているのに、「不良債権の早期処理」によって、多くの中小企業を倒産・廃業に追い込み、医療や年金・介護など社会保障の分野で約3兆円の負担増、配偶者特別控除の廃止や発泡酒、たばこ等の増税をあわせると、4兆円を超える負担増を押しつけようとしています。このようなくらし破壊の政治を強行すれば、景気もくらしも取り返しのつかないことになります。国でも地方でも、大型公共事業優先の税金の使い方をあらため、その財源を深刻な不況から、市民のくらしと福祉を応援する仕事にあてるべきです。本市においても、赤字路線となることが確実な第二名神道路の建設中止・見直しを国に要望することをはじめ、京都府において巨大スタジアム建設計画が事実上の見直しとなったもとで、長池駅スタジアム公園線整備事業の凍結・見直しをすすめ、市民のくらしと福祉の充実へ力をいれることが緊急に求められています。
 総じていえば、私は、市民のくらしを応援することに行政がいま思いきって力をいれること、そして、地域のなかで、くり返し投資する力(地域内再投資力)をどれだけつくりだすか、ここに力点をおいた手立てが緊急に求められていると考えます。この角度から具体的な提案もさせていただきますが、まず、橋本市長にお尋ねします。市長は、今日の経済不況の原因と打開への要がどこにあると考え、地方が担える役割として何に力点をおくべきであると、お考えですか?基本的な考え方をお尋ねしておきます。

(2)事業所実態調査の実施について

 次に、事業所実態調査の実施についてであります。私は、平成11年第3回定例会で、自治体の雇用対策を求めたさい、雇用の実態、事業所がどういうことで経営上悩んでいるのか、これらを業者とひざをつきあわせて考える、事業所実態調査の実施を求めました。対策の前提は正確な実態把握ですから、当然実施する旨のご答弁をいただけるものと思っていましたが、雇用問題は、国のレベルの話しということで、残念ながら前向きな答弁はいただけませんでした。本市の事業所をとりまく環境はますます厳しさを増しています。事業所実態調査をすみやかに実施し、早急な対策を打つべきであると考えますが、ご所見をお伺いいたします。

(3)住宅改修助成制度の実施について

 私は、冒頭にも述べた通り、今日の不況を打開する決め手は、市民のふところをあたためること、そして中小業者に具体的に仕事をおこすようなしくみをつくること。この二つが大きなポイントであると考えます。京都府内の経済情勢は、一段と厳しさを増しております。二〇〇〇年度は、負債総額一〇〇〇万円以上の倒産件数は、五百三十四件(前年度比一五%の増)で、戦後最悪の記録を更新しています。九一年からの十年間でみると、倒産件数は約二倍に膨らんでいます。とりわけ、建築労働者をはじめとした、中小零細企業のくらしと営業も大変深刻となっています。賃金や単価の切り下げ、不払いの多発、仕事が入ってこない…。こうしたなかで、「子どもの教育費すら準備できない」こんなお話までお聞きいたします。まさに生死をかけた深刻な状況となっています。
 こうした深刻な地域経済のもと、仕事確保と市民のふところをあたためる施策として、私は、住宅改修助成制度の創設を強く主張するものであります。この制度は、城陽市民の住宅改修工事に、10%の助成制度を創設することによって、地元経済への波及効果を促すことを目的とした経済政策であります。これによってもたらされる経済効果は、はかりしれないものがあります。第一に、自治体が住宅改修に助成することで、住民の住宅需要を喚起することにつながります。第二に、少額の助成でも大きな経済効果を生み出すことは、お隣りの京田辺市の実績をみても明らかです。京田辺市では、一二〇〇万円の予算で、二億円を超す経済効果を生み出しています。予算執行額に対して、工事総額は十六倍です。東京都の板橋区では、予算執行額に対して、工事総額は実に二十六・三倍、兵庫県明石市の場合には、一五・二倍となっています。まさに、効果は絶大であります。第三に、この制度は住宅改修によって、家具やエアコン、カーテンの購入など、新たな経済的波及効果を生み出すという点が特徴であります。第四に、施工者と雇用者、原材料の購入から住宅用の設備の購入など、お金が地域で循環するという、地域循環型の経済効果があり、地域経済の活性化にむすびつきます。しかも、仕事確保と雇用確保という、自治体でできる雇用創出という、メリットを生み出します。
 ところが、この制度は、昨年度に請願が市議会に提出されたさい、「個人の財産形成に税金を投入することはできない」「経済効果も期待できない」などとして、行政からも厳しい態度で、導入の考えがないことが示されました。
 しかし、すくなくとも事実をありのままにとらえようという、真摯な態度があれば、この制度が経済効果が高い制度であること、仕事確保へ有効な施策であることについては、認識の一致がはかれると思うのであります。私は、すみやかにこの制度の実施を求めるものであります。橋本市長。あなたは、この住宅改修助成制度について、いまだに、「経済効果が期待できない」とか「個人の財産形成に税金投入はできない」などの、旧い考えにとらわれているのですか、このさいはっきりとお尋ねしておきたいと思います。明解なご答弁をお願いいたします。

 (4)若年層の雇用確保と市内への定着のために

  大きな4つ目として、青年層の雇用確保と市内への定住のために、いくつかの提案をさせていただきます。就職難や失業、低賃金や、ひどい労働条件は、若い人たちの自立をさまたげ、「晩婚化」や「非婚化」、「少子化」の要因にさえなっています。そして、若い世代の夢や希望を奪い、“自分は社会から認められていない”という不満やいらだちをあおるマイナスの役割も果たしています。また、若い人たちがわが城陽市に定住し、子育てに励み、生活を送りつづけることは、広い意味での税収増の対策にもなるものであり、まさに戦略的位置づけをもって、この青年層の定着にふみだすべきであります。そこで、私は今回、若年層の雇用確保と市内への定着のために、いくつか具体的な提案をさせていただきます。
?本市として、高卒者や青年を臨時職員、非常勤職員として採用すべき
 一点目。本市の年間2000時間にもなる超過勤務の解消、有給休暇の完全取得などを実施すれば、本市として高卒者や青年を職員として採用するなど、あらたな雇用を生み出すことは可能であります。実施すべき考えはございますか?
?雇用主への助成及び補助制度をスタートさせてはどうか。
 二点目。きめ細かな景気・雇用対策として、雇用主への助成及び補助制度をスタートさせてはどうか。このことについて提案をいたします。この制度は、既に滋賀県や高知県、鳥取県でスタートさせているもので、たとえば、滋賀県では、高校を卒業しながら就職が決まらない若者を雇用した事業主に、一人当り最高15万円の奨励金を支給しています。継続して雇用してもらうため、事業主が交付申請できるのは、雇用してから三ヶ月後として、正当な理由なく一年以内に解雇した場合には、奨励金を返済させることになっています。ぜひ、実施にふみきるべきでありますが、ご所見をお聞かせください。
?新婚世帯への家賃補助や本市の民間住宅の空家などを利用して賃借を
 若い世代の定着という点では、住まいへの補助も有効です。私は、新婚世帯への家賃補助や本市の民間住宅の空家などを利用して、年令の上限を設けて、その期間、低額で貸し出しをするなどの方法が採用できないか、基本的な考え方をお尋ねしておきます。以上が、一つめの項目です。

 2、福祉の充実について

 次に、福祉の充実について、3つの問題について順次お尋ねいたします。

(1)精神障害者福祉について

 私は、この4年間、精神障害者福祉の諸課題について、くり返しこの場からも質問し、要望をさせていただいてきました。それは、時の流れとともに、揺れ動く若者のこころ、教育現場をはじめ多くの職場で心の健康問題が重視されてはじめており、いまや心の健康は、現代に生きるすべての人々の共通の問題である、という思いがあること。そして、精神障害者が地域で安心して暮らせる社会は、すべての人にやさしい社会であり、そういうまちづくりを本市こそが率先してすすめるべきだ、という強い思いからであります。来年度予算案を拝見いたしますと、精神保健福祉の分野では、精神障害者ボランティア団体活動支援事業として、日常生活に関する相談、援助等を行う「サロン」を設けるなど、この分野を意識した施策がはじめて具体的に盛り込まれた事は、率直に評価するものです。そのうえで、当事者や家族、ボランティア団体から要望が出されている問題で、早急な実施が必要な問題について、このさい、いくつかお尋ねをしておきます。

?市内在住の精神障害者の実態を正しく把握しその情報を開示すること。 一つ目は、市内在住の精神障害者の実態を正しく把握しその情報を開示することであります。城陽市の障害者計画では精神障害者の数は、平成17年には約1,100人という見込み数が出ております。私は、相手を待つのではなく、こちらから出向いて行くことが大事だと考えます。ぜひ、訪問調査などを本格的に実施すべきでありますが、ご所見をお聞かせください。

?精神障害者とその家族に対するケアシステムの質の向上について
 二つ目に、精神障害者とその家族に対するケアの問題についてであります。これは、本市の福祉や医療施設との連携が不可欠であり、そのなかでのケアシステムの構築が求められますが、今年度はこの問題で、どういう到達目標をもって取り組みをすすめるのか?具体的にお聞きしたいと思います。

?同一福祉圏域内における施設利用(入場)の減免措置について
 三つ目に、同一福祉圏域内における施設利用(入場)の減免措置についておたずねします。宇治市、城陽市、久御山町の同一福祉圏域にありながら、たとえば宇治市植物園などの利用について、城陽市在住の精神障害者は有料となるのは、福祉の平等制においても不自然、との声があがっております。近隣市町と協議のうえ、社会資源の共有の促進をはかるべきでありますが、ご所見をお聞かせください。

(2)乳幼児医療費無料制度について

 次に、乳幼児医療費無料制度について、であります。
 私は、12月議会の一般質問で、乳幼児医療費の無料制度について質問をし、「府が仮に就学前までの拡充にふみきららなかった場合、本市独自として制度拡充を行うべき」と市長に迫りました。
 ところが、御承知のとおり、今回、本市から提出された議案は、京都府の制度に横ならびであります。もちろん、これ自身は前進なので、喜ばしいことでありますけれども、私が質問で迫ったのは、「本市としてどういう独自の施策ができるのか?その決意はあるのか?」ということでした。その点では、本市としての努力の形跡はみられない、といわなければなりません。委員会において修正案が可決されたことは、市民の願いに答える立場から当然の結果であります。あらためて、市長にお尋ねします。橋本市長の、乳幼児医療費無料制度の拡充に関する基本的な考え方、自らの思い、今後、制度拡充へさらに踏みきる考えはあるのかどうか、明確にご答弁いただきたいと思います。

(3)保育の充実について

 最後に、保育の充実について、いくつかお尋ねします。

?保育所入所に関する広報活動について。
 まず、本市としての保育所入所に関する広報活動についてであります。公立であれ、私立であれ本市のそれぞれの保育所の入所を促進させるために、本市としては、どのような広報活動を行っていますか?措置から契約への法改正を盾にしての入所を促す広報活動の怠慢は当然のことながら、許されるものではありません。たとえば、現に、青谷地域の市民の声として、「0歳児保育を実施できる施設があることや3人いれば開設できること」を知らなかったという声がこの間、私のところに寄せられています。休廃園基準云々をいうまえに、市としての広報活動を強めるべきであります。見解をお聞かせいただきます。

?久世保育園の建て替えについて
 次に、久世保育園の建て替えの問題であります。御承知のとおり、久世保育園は築30年以上が経過し市内の保育園でもっとも古い園舎であり、今年度は入所数の増加もありプレイルームを保育室にしなければならないほどの、状況であります。こうしたなかで、園舎の建て替えは、保護者をはじめ市民の切実な声であります。久世保育園の立て替えは、平成14年中に改修計画をたてることが議会での答弁と理解しております。現時点で、行政としては建て替え問題について、どういう方針をもっているのか、をお尋ねします。東部地域での人口増の傾向に対応するために計画があった、深谷幼稚園に保育園を併設する計画が白紙にもどったのはなぜですか?白紙化は、それ自体をいま云々いうわけではありませんが、マンモス化解消の手立てはどうするのでしょうか?さらに、保育園舎の設計段階から保護者や市民の声を取り入れた手法を採用すべきでありますが、ご所見をお聞かせください。一般質問でありますので、来年度、どこまで具体化をはかるのか?決意もふくめて、明解にご答弁をお願いいたします。

?0才児保育の実施について
 最後に、子育て支援の重要な柱として、ゼロ歳児保育の全園での実施を求めます。希望者が年度当初3人いれば、開設するという本市の基本方針は、一歩前進であります。しかし、不況の深刻さと女性の自立を促す立場をふまえれば、たとえ3人に満たなくても希望者があれば、開くというさらに一歩踏み込んだ対応をすべきであると考えます。来年度、ゼロ歳児保育を開く予定の保育園とあわせて、本市の基本的考えをお聞かせください。以上で、この場での第一質問とします。




2003年03月05日(水) 今村克彦さんのこと

 5日は、終日質問準備なので、この日記で活動の様子を報告することはほとんどない。パソコンの前で、はたと考える前に、書いておきたいことをこれから1日がはじまるのだけれど、書いておこうと思う。
 今村克彦さんのことだ。

 1日の子育てシンポの第1部「ミニライブ」に快く出演してくださり、とてもすばらしい演奏を聴かせていただいたことは、すでに先日かいた。
 今村さんは、現役教師とミュージシャン、語り人、祭人などマルチな顔をもつ人間である。
 
 なぜ、彼は現役の教師でありながら、ミュージシャンなのだろうか?
 
 僕はいつもこのことが気になってしかたなかった。それは、漠然と「議員でありながら音楽活動をやっていきたい」という自分のこれからと重ねていたからかもしれない。
 そんなとき、今村さん率いるダンスチーム「関西京都今村組」の公式サイトのなかの今村さんのコーナーのなかで、僕の疑問に見事にこたえているくだりがあった。少し長いが引用する。

 私は教師である。人がどう思おうと私は断じて教師である。また、私は音楽人(ミュージシャン)である。プロかアマかなどはどうでもいい。とにかく私は音楽人である。
 先日、あるテレビ局の取材を受けた。そのテレビ局は、教師をしながら本も出し、音楽人としてCDも出している私の特異性が、マスコミ的に「面白い」と考えたのだろう。
 「先生はなぜ、教師と音楽の二つの生き方をするんですか?教師を辞めて音楽をしていくつもりはないんですか?」
 取材の中でこのような質問を受けた。そのとき私はこう答えた。
「教師も音楽も辞めるつもりはない。私にとって教師とは『教え導く者』ではないんです。私にとって教師とは彼ら子どもたちと共に生きることで、何度でも青春をやり直させてくれるモノなんです。そして、音楽とは、私に何度でも青春を繰り返させてくれる子どもたち、若者たちに贈る私からの贈り物なんです。表現方法を知らないあいつらの代わりに、私が音楽であいつらの想いを表現したいんです。今村克彦著『明日への誓い』プロローグより

 
 まだ、このプロローグは続く。関心のある方は、以下のURLから、今村克彦の部屋を探し、「語り人」のコーナーをみてほしい。
 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/imamuragumi/main.html

 僕にとって、議員活動とは、有権者に施しを与えるものではない。「〜してあげている」ではないのだ。一人ひとり様々な人生のなかでのもがきや苦しみ、願いを共有して、少しでも人間らしい生き方を模索することであり、僕自身の「人生のやり直し」かもしれない。そして、音楽を通じて、僕がみた風景や人々の生きざま、葛藤、喜び、悲しみを表現して、届けることができれば、と生意気だが考えている。
 そのためには、相当音楽的な技術を向上させなければいけないが(汗;)

引用した部分からの文章がすばらしい。ぜひ、続きを読んでほしい。


2003年03月04日(火) 事務所のこと

 4日から一般質問がはじまった。今議会限りで勇退する議員が質問の最後に声を詰まらせた。僕は6日の2番目、午前11時頃の登壇となる。僕も泣いてしまうだろうか?いや、たぶん泣かないと思う。最近、少しずつ強くなっている自分がいることを確認できるから。自分の質問は、市民の怨嗟、怒り、悲しみ、希望を代弁するものだ。そして、僕のあとに続く仲間の論戦につなげていくものだ。自分の感情をおさえてそのことに徹するものだと思うから。いま僕はひとりではない。話しはかわるが、僕の事務所を開いてから、1ヶ月が過ぎた。事務所には、スタッフが常駐しそれこそ本番なみの活動である。昨日、終日議会質問の準備をしていたとき、買いものにでたついでに事務所の横をそっと車で通ってみた。窓の奥には、狭い事務所でそれぞれが電話の応対をしたり、書き物をしたり、忙しそうにしていた。
 質問準備のためとはいえ、家で自分なりに時間を使えたし、体を休めることもできた。それは、こうして一生懸命に事務所を支え、僕の活動を支えてくれる人たちがいるから。
昨日、大切な友人から「事務所の身近な人たちをひきつけられるような人間でなくて、なぜ有権者をひきつけられるの?」と指摘をうけた。他にもアドバイスをもらい、あらためて、自分がいまどういう位置にいるのかを考えさせられ、一つひとつに「うんうん」とうなづいた。

  事務所では、こんな手作りのノボリを準備してくた。僕は、こうした手弁当で自らの思いを形にして頑張る人たちの思いに応えなければいけない。僕は、ひとりではないのだ。たくさんの人びとの怨嗟、怒り、悲しみ、希望を代弁しなければいけないのだから。
 
 


2003年03月03日(月) 終日議会質問準備

 3日は、終日議会準備。夕方まで、すごい雨がおちてきていたので、外にでるのも億劫になるぐらい。
 こんな日でなければ、「外にでるのが億劫」なんて思うこともできないから、それでもいいか、と自分を納得させた。夜は、久世保育園の保護者会の会議。3月9日が保育園まつり。その最終的な準備で盛り上がった議論に。

 夕方、雨があがったころ、ギターをかき鳴らした。「ヒロシマの有る国で」をストリートで歌う時には、アルペジオではなくて、強いストロークで弾く必要がある。いま、まちかどでギターをかき鳴らして、イラクへの戦争をやめろ、と声を張り上げて歌いたい。。。1カポを2カポに変えると、いちばん自分らしい声になる。誰か、歌わせてくれないか。
 
 ヒロシマの有る国で
 しなければならないことは
 灯るいくさの火種を
 消すことだろう。


2003年03月02日(日) まちかどからの拍手に心躍る

 2日は、ぽかぽか陽気。城陽には春のきつい風は吹いていなかった。午前中は、養護教諭の方たちから、保健室からみた子どもたちのことをいろいろと聞かせていただいた。とても、貴重なひとときだった。
 一つひとつの事例をここに書くわけにはいかないが、話を聞いて強く思ったことは、「親も子も心が解放されるコミュニティの『場』づくりが急がれていること」。子育てだけではなく、親も共に育つ、「共育ち」がますます必要な時代になっていることだ。
 電磁波が人体に与える影響、食が子どもの成長にどれだけ大きな影響を与えているか。なども、養護の先生らしく、詳しく話して聞かせてくださった。昨日の「子育てネットワーク」を広げていくことの緊急性と重要性をますます自覚した。

 午後からは、「女性のつどい」が鴻ノ巣会舘でひらかれ、80名を超す参加で熱気ムンムン。心あたたまる贈り物までいただき、感激しっぱなしだった。その場で、僕の「テーマソング」をつくることを、宣言してしまった。実はまだ、何も形になっていない段階なのに。(汗;)

 夕方からは、宣伝カーに乗り込み、宣伝。市役所前と近鉄寺田駅前ロータリーで二回も拍手をいただいた。
市役所前では、姿が確認できず。寺田駅前では、若者だった。握手を求めにいくと、「ポスターで存じ上げてますよ。がんばってください」と激励してくれた。おもわず小躍りしてしまった。

 僕は、この日とくに力を込めたのが、2月27日の福祉経済常任委員会での審議の模様と議員の果たす役割についてだった。

 城陽市議会に提案されていた「乳幼児医療費制度の改正案」は、すでに京都府が発表している乳幼児医療制度にあわせて、「入院の医療費負担分を小学校にあがるまで無料に。ただし、通院については3歳以上〜就学前まで、月8000円の限度額を超えた分を市が負担する」となっていました。
 しかし、通院の場合、自己負担の月8000円という制約で、無料化の対象となるのは、全体のわずか9.5%。12月議会では、「乳幼児医療費無料化を就学前まで拡大してほしい」との請願署名が9000筆を超え、全会派の議員らが紹介議員に名を連ねるなかで全会一致でにより採択されています。
 こうした世論と運動を背景にして、日本共産党議員団は、「通院についても無料化にしてほしい」との声が多数寄せられていることから、「入院だけではなく、通院についても就学前まで無料にする条例」の修正案を27日の委員会に提出したものです。
 審査の結果、日本共産党の山本よし子、若山のり子議員、無会派の本城隆志議員、城志会の畑中完治議員の賛成で可決された。
 このなかで、反対したのが、緑の会(民主党)の八島議員だけだった。「きびしい財政状況のなかで前進させている。修正案では、財源をどうするのか?無責任な対応はできない」というのが反対の主な理由のようである。

 僕は、演説の中で力を込めた。

 「いま議員の役割が問われている。財政がきびしいというのは行政の主張であり、僕たち議員は市民のねがい、声にもとづいて、その声を実現するために行政に働きかけることこそが議員に求められている役割ではないのか?。請願に賛成しておきながら、具体的な問題に入ると反対にまわる、というわかりにくい態度こそ、政治不信をまねく原因ではないのか。私は、3月27日の本会議で可決された修正案が本採択されるよう、全力でがんばります。同時に、京都府も同様に通院も完全に就学前まで無料にするように、府議会の場で堂々と迫らせていただきたいのです。どうか、私、矢口まさあきを府議会で働かせて下さい」


2003年03月01日(土) 広がれ!子育てネットワーク

 今日から、日記を書いている日と掲載日を統一しています。 
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1日は、朝からシトシト雨。「一日雨がふるのか?よわったな。。」一瞬不安がよぎる。
 午後からは、東部コミセンで子育てシンポジウムがあるのだ。朝は、宇治久世教職員組合の第49回大会に来賓として出席。僕は、大要つぎのことを訴えた。
 
 あまりに冷たいいまの政治のもとで、その歪みやひずみが子どもたちに集中的に反映しており、いじめ、不登校、登校拒否、新たな「荒れ」、指導困難など学校現場は課題が山積みである。いま、財界など日本経済と社会を支配したいとねがっている人たちがめざしているのは、弱肉強食のむきだしの競争社会であり、そのために教育基本法の見直し、国家主義的な教育の復活、差別と選別の能力主義的な教育を強力におしすすめることである。こうした社会の現状は、子どもたちに明るい未来を描く事ができない現実をつくりだしている。
 ある中学生の先生が中学1年生に、将来のことを作文でかかせると、自分に自信がない生徒は次のような一文を書いた、という。
 「将来、段ボールで生活しているかもしれない。。。自殺しているかもしれない。。野宿しているかもしれない。。。。。」「自分を好きになれて、自分を受け入れられることが究極の幸せなのでは」とは、尊敬するシンガーソングライターの山本さとしさんの言葉だ。
 いまこそ、いまと未来にたいして希望をもたせるような世の中をつくらなければならない、その思いをますます強くした。
 
 午後からは、子育てシンポジウム。結局雨がやまず、参加者は40名弱。それでも、中身はとても充実したもので、終了後は爽快感につつまれた。シンポの全体の具体的な様子はまた、サイトにアップすることとして、おおまかな内容を紹介しておく。

 オープニングは、今村克彦さんと吉岡浩市郎さんのミニライブ。夢がかなった。今村さんとは、直接逢ってお話をするのは、実ははじめて。でも、ホームページや昨年12月の奈良100年会舘のライブを聴きにいったり、メルの交換はしているので初めてあった気がしない。恥ずかしながら、顔をみた瞬間、涙がでそうになった。なぜだろう?わざわざ城陽まで足を運んでくれたことへの感激もある。でも、この人が人間の心の奥底にある、微妙な心の揺れやつまずきにとても敏感ですべてをやさしく包み励ましてくれるような、雰囲気をもっているからかもしれない。4曲ほど歌っていただいた。とくに、「yukiko」と「沖縄〜愛する人へ〜」は最高だった。そのときは、緊張していて涙はでなかったのに、翌朝、新聞を配りながらクルマのオーディオで聴いたら、涙があふれて思わずクルマを止めた。

 第2部の子育てシンポは、中学生から保育園まで5人の子どもを育てるお母さん、小学校の現役の先生、京都保育運動連絡会の事務局長で保育問題の研究者、そして僕がパネラーとして最初に発言。そのあと、参加者がマイクをもち、それぞれの思いを語り合った。
 全体を通じて感じた事は、子どもたちをとりまく環境が大きくかわってきていること。それは、たとえば中学校の先生が発言していたが、かっての「荒れ」る生徒には、それなりの主義主張があった。だから、その主張を聞いてあげる事が第一に必要だった。しかし、いま「荒れ」ている生徒たちは、「愛情不足」「甘えたい」というシグナルになっている。だから、頭をなでてあげると、急にシュンとなってしまう、というのだ。
 また、ある保育園の保護者からは、あまりに行政都合の対応が多い事に、「保育園に私たちの人生をあわせなあかんっていうのはおかしい」との発言があった。本質をついた言葉ではないか。「財政の効率的な運用」というものさしだけで、保育や子育て、教育をはかってはいけないのだ。
 僕は、保育など就学前の子育て、小学校、中学校といういわば「串さし」の子育てネットワークの必要性をかねてから、訴えてきた。今回のシンポジウムがその出発点になれば、とねがっている。

 


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