ヤグネットの毎日
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2001年11月30日(金) この国の貧困な福祉

 29日は議会運営委員会
 このまえ、10月議会が終わり、続いて決算特別委員会が開かれていたのに…
 12月6日に開会し、閉会が27日。
 今年は、後半が選挙と議会続きなわけだ。

 7月に参議院選挙
 9月に市長選挙
 10、11、12月と議会。

 そして、来年4月には京都府知事選挙。
 
 議員は年中、「政局がらみ」の生活を送っているわけだが、
 よほど、意識的に勉強をする姿勢を持たないと、スケジュールに流されがちだ。
 
 午後から、生活相談。
 80歳を超す実母が痴呆ぎみで、特別養護老人ホームに入れたいが…という相談だ。
 
 いま、現実は施設介護の基盤整備が圧倒的に不足している。
 特別養護老人ホームは150人を超す待機状態。
 ある施設では、1年待ちという。

 もともと介護保険制度は、高齢化社会の到来によって
 国の措置制度では、財源、基盤整備ともに圧倒的に不足することから
 利用者との契約制度に代わったもの。

 しかし、もともとこの制度の導入の目的が国の財政負担を減らしたい
 というところにあったのだから、福祉の向上という国家の大事な役割
 を投げ捨てる考えそのものから改めなければ、問題の解決にならない。
 やはり、国の政治の流れをかえることが必要なのだ。


2001年11月29日(木) お帰りなさい お義父ちゃん

           
 29日は、前にも書いたが朝3時半に岐阜へ出発。
 6時前にJR岐阜駅に到着。そこで、運転を妻と代わり 
 僕はとんぼ返りで城陽にもどり、妻と息子は岐阜市内の病院へ。
 東海道本線で、名古屋まででてそこから新幹線で京都へいった。
 朝焼けがとってもきれいだった。10時からの決算委員会総括質疑の
 質問準備をしようと思ってたが、ウトウトとして気づいたら「京都」の
 アナウンスが流れていた。乗り越すところだった。アブナイ…

 決算委員会の総括質疑は、申し合せにより1議員15分という時間制だ。
 共産党議員団は、3人の委員なので45分。作戦で、団長の奥村議員に
 できるだけ長い時間で焦点となっている富野幼稚園存続問題や行革について
 質問してもらうために、僕は順番を最後にしてもらい、残った時間で質問す
 るようにした。

 決算委員会の詳しい中身は、またメルマガで書こうと思う。

 決算委員会終了後は、議会報告の構想をねり、
 午後8時から地元の党支部の会議へ議会報告。
 それから、9時の近鉄電車に飛び乗り、また岐阜の病院へ。
 今日が義父の心臓の手術なのだ。

 29日の朝。
 集中治療室で対面することができた。
 
 「あ、生きてた。よかった」
 それが、義父が私たちに語ったこと。
 
 実感がこもっていて、涙があふれでた。
 手術前、麻酔をかけ、丸一日眠っていたことになる。 
 その間、心臓といういちばん大事な臓器に人間の手が加えられるのだ。
 不安でいっぱいだったに違いない。
 
 だから、「生きてた。よかった」は、義父の心の底から思わず 
 あふれでた言葉だったに違いない。

 そうだ、人間は生きなければ生けないのだ。
 精一杯生きて、自分の人生に「お前はよく頑張った」と
 誉めてあげられるぐらい、後悔しない人生をおくりたい。

 心から、そう思った。

手術室に入る前、義父は僕の妻に
「ちょっと一泊二日で宇宙旅行にいってくるわ」と
 いっていた。

 無事、生還だ
 お帰りなさい、お義父ちゃん!


2001年11月27日(火) これから再び岐阜へ

 いま、11月27日午前2時。
 これから、ふたたび岐阜の病院へ義父の姿を見にいく。
 
 息子は例によって夜更かしをして床についたのが12時すぎ。
 妻と子どもが寝ている間に車で運んでしまう計画で、
 僕は、岐阜駅を7時10分に出発し
 名古屋でのぞみに乗りかえ、
 9時すぐに城陽にもどってくる算段だ。
 なにせ、今日は議会の決算委員会の総括質疑。
 なにがあっても、午前10時には委員会席に
 なにくわぬ顔ですわっていなければならない。

 夕べは、妻が仕事で遅くなり
 息子と二人で過ごした。

 パソコンであそべるソフト
 「スモッカ ファンイングリッシュ」で
 息子をひざの上にのせ、二人で遊んでいた。
 僕が夕食をつくらねばならず、席をたっり座ったりを
 くり返し、おまけに途中でゲームを中断して、
 メールチェックをしたりしたのが、気に入らなかったのか
 ひょんなことから、三歳の息子がお怒りだし、
 僕のあごにパンチを出してきた。

 こうなると、まったく大人気ない…
 息子と取っ組み合い(?)の喧嘩となり、
 「何度、いったらわかる!人の顔を殴るな!!」
 と大声で叱りつけてしまった。ご近所さんにも聞こえるぐらいの
 大きな声で。

 しまった…

 また、「切れて」しまった。すぐに自己嫌悪に陥る僕。
 保育園でも、こうして人の顔を殴ることがあるのか、と思うと
 「どんな躾をしているのか…」と思われるのいやで、
 ついつい、カーッとなってしまう。
 あなたは体裁ばかりが先にくると、妻からもよく指摘される。

 妻が帰ってくると、母親の胸でさんざん泣きじゃくる息子
 タイミングをみて、謝るのはいつも僕のほうだ。

 「さとし君、大きな声だしてごめんな。
 でもお父ちゃんも痛かったぞ。さ、仲直りしよ チュー!」
 
 男同士なのに、いつも仲直りはこれだ。
 息子も笑顔でこたえてくるのは、いうまでもない。

 でも、この習慣、適当なところでやめとかないとまずいな……。


2001年11月26日(月) 夜の高速道路

 3連休は超多忙だった。

 23、24日はわけあって、岐阜の病院にいってきた。
 ほんとは、24日中に京都にもどるはずだったが、
 予定を変更して、25日の夜中の2時に飛騨を出発。
 
 国道41号から国道256号を中津川方面に走る。
 対抗車線も自分たちが走っているほうも、皆無といって
 いいくらい車がいない。さすがに少し不安になって、
 ヘッドライトを遠目にして爆走した。

 中央道に入ると、目的地へ急ぐ大型トラックと、大型バス
 がずらりと走る。
 できるだけ、それらを追いやって、ペースメーカーになり
 そうな車を見つけて、その後を走った。

 関ヶ原をすぎて、彦根もすぎ多賀インターのあたりから
 深い霧がかかりはじめて、視界が極端に悪くなった。
 もちろんあたりも真っ暗なので、長くのびる高速道路が
 深い霧のなかに消えてしまっているような錯覚に陥る。

 徐々にイプサムのアクセルを踏み込んでスピードをあげ
 早く状況が変わらないかと、思いきり飛ばしてしまった。

 飛騨萩原を出発したのが午前2時15分、城陽にもどった
 のが午前6時ジャスト。

 そのまま、日曜日の「しんぶん赤旗」の配達に直行した。
  

 25日は朝、後援会でとりくんだ「みかん」の配達。
 今年は豊作でしかも甘い。おいしいので喜んでもらえた。
 
 10時からは、近くの団地の集会所のことで話し合い。
 1時からは、東部コミュニティセンターの20周年記念の
 式典に参加。
 3時からは、私たちの党を知ってもらい仲間を増やす活動を
 地域の方々と取り組む。
 夜は、8時30分から保育園の運動のことで相談にのる。

 というわけ、びっしりつまってしまっていた。
 ホームページの更新もしたいし、メールマガジンも発行したい
 のに、その時間がない。

 しかも、息子が風邪でしんどそう。
 今朝(26日)も、泣きじゃくる息子に「ごめんね」といって
 妻と二人で保育園にかけこんだ。

 


2001年11月23日(金) しっぱいしっぱい

 22日の決算特別委員会は、福祉保健部。
 僕が質問した項目は、次のとおりだ。
 
 1)保育行政について
  ●一時保育の実施状況について
  ●子育て支援センター開所いらいの実績
  ●広域入所について
  ●保育士の「嘱託」と「臨時」扱いの違いは?
 2)知的障害と精神障害の重複障害者にも福祉医療の適用を
  
 3)国民健康保険について
  ●前納報奨制度について
  ●健康増進のための諸事業について


 このなかで、私が注目したのは、2つ。
 一時保育の実施は民間保育園1園でやられていたものを
 2000年度からもう1園増やしている。その結果、利用者
 数も二倍に増えた。受皿が増えたこともあるが、
 子育てに疲れてリフレッシュしたい、悩みがある、そういう
 人たちにも門戸を開いたことも利用者が増えた要因である、
 という。これは大切なことであると思う。このサービスをさ
 らに拡大して、公立園でも行うべきだ、と主張した。

 もう一つは、知的障害と精神障害の重複障害にも福祉医療の適用を
 という問題。
 
 以前、議会で質問したことがある。
 関心のある人は、下記のURLからみてほしい。

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yagunet/9912gikaimokuji.html 

すでにお隣りの京田辺市でも適用がはじまっている。
 来年度からスタートする市町村での精神障害者の支援事業のなかで、
 検討する、との答弁であった。この問題は12月議会でも質問したい。

 さいごに、大失敗の質問。
 国民健康保険のところで、城陽市が国保料を前納した方に前納報奨
 制度として、1000円分のテレホンカードを渡していた。
 こんにち、テレホンカードの利用者が少なくなっていることから、
 「これをやめて、図書カードなどにすべきでは?」と質問した。

 その答弁。
 
 「すでに平成13年度からご指摘の方向でテレホンカードから図書
 カードに代えております」とのこと。

 僕は、顔が真っ赤になってしまった。はずかしい!いかに、自分が
 勉強不足か、痛感した。しっぱしっぱい!

 でも今年、僕も国保料前納したけど…??


2001年11月22日(木) 文化の向上とは…

 21日は城陽市議会決算委員会で
 教育委員会の決算審査の日だった。

 僕は、開館5周年をむかえた文化パルクの利用状況など
 について質問した。
 
 質問を通じて明らかになったのは、次の事だ。
 城陽市には文化パルクの管理と運営を委託されている
 財団法人余暇活動センターと
 市内のサークル団体の交流などで組織されている文化協会
 そして、文化振興に責任を持つ城陽市教育委員会という、
 三つの組織がある。
 
 僕は、大要次の事をきいた。

 それぞれの団体にはその性格に従って目的などがある
 が、文化の裾野を広げていく、市民誰もが質の高い文化にふ
 れるという点で、行政が果たすべき主体的役割というものは
 とても大事なのではないか、そのためにどういう努力をして
 きたのか、また、していくのか?

 その答弁に驚いた。今後、文化振興などのために、どういう
 事業が必要か、などを話し合うために、3者(余暇セン、文
 化協会、城陽市が同じテーブルにつくことなどは今後ない、
 というのだ。

 余暇活動センターは、文化パルクの管理と運営に責任をもつ
 組織だから、文パルで質の高い文化事業を展開すれば、それ
 で責任を果たしたことになる、とでもいうのだろうか?

 でも、文パルは城陽市のランドマークと位置付けて、文化の
 殿堂とまでいわれているのだ。

 市民の文化レベルを高めるために、つねに城陽市や関係団体
 とひざを突き合わせて協議していく、というのが当たり前の
 姿ではないのか?と思うのだが…
 
 ちょっと、わかりづらい日記になってしまった。
 このことについては、またあらためて頭を整理して書いてみ
 たい。

 22日は福祉保健部の審査。


2001年11月21日(水) ハモることの喜び

 20日は、決算委員会三日目。
 都市整備に関する審査だった。
 僕は、公園管理の問題について、地域の実情やニーズに応じた
 きめ細かい施設整備と管理を要望した。
 これは、地元紙でも紹介された。メルマガのほうでまた詳しく
 書きたいと思う。

 21日は教育委員会の審査となる。

 僕は文化複合施設である文化パルクについて、開館5周年を経
 ての評価、課題などを中心に聞こうと思っている。
 
 昨晩は、コーラスの練習日。ボランティアでかかわっている
「城陽市少年 少女合唱団」の再生へ、その出発点となる、
 12/25のクリスマスパーティで指導者とスタッフがコーラス
 を披露するのだ。

 スタッフのひとりが音響の仕事をしている関係で、マイクの設
 定などもばっちり。
 
 僕は、練習不足で音がとれずみんなに迷惑をかけたけれど、
 やっぱりハモるというのは、とても気持ちのいいものだ。

 楽器ではない、人間の力でこそ生まれる音。
 当日までに、練習するぞ!
 車の中で、お風呂の中で、歩きながら
 議会の休憩中?これは、まずいか…
 


2001年11月20日(火) 子どもたちに聞け

 19日は市議会決算委員会の二日目。
 市民経済部についての審査だった。

 僕は、住民基本台帳のネットワーク化について
 セキュリティの問題、自動交付機を市民サービスの
 充実の観点からより利用しやすくすること、
 さらに、放置自転車のリサイクルの問題などについ
 て、質問した。

 20日は、都市整備についての審査なのだが、僕は
 先日、ある公園の遊具で遊んでいた幼児があやまって
 転落して怪我をした件で、質問をしようと思っている。
 
 児童公園にはすべり台やぶらんこなど「既製品」の遊具
 が設置されているが、それ以外にも、手作りのユニーク
 な遊具が設置されているところもある。事故があった遊
 具も船をデザインしたもので、子どもたちにとっては、
 とてもおもしろいものだ。
 その遊具で2歳になる幼児があやまって足を踏み外した
 り、浮いたくぎにひっかかり転倒する、などの事故がお
 きた。浮いた釘が放置されているのは論外だが、問題は
 近所のお母さんたちが就学前の子どもたちを連れて、散
 歩にきたりする、「たまり場」となっているにもかかわ
 らず、小さい子どもたち向けの遊具がなくて、小学生な
 ど体格が大きい子どもたち用の遊具しか設置されていな
 い、ということだ。

 もっと、利用する側の市民の声を聞いてニーズにあった
 公園整備というものができないものか?この点を質問し
 ようと思っている。

 昨日、現地をみてきた。すると、小学生が5〜6人で遊
 んでいた。
 遊具の使いやすさ、みたいなことを聞いてみると、いっ
 ぱい、要望がだされた。
 「落書きをなんとかしてほしい」 
 「急に形がかわってしまったので、なんでやろうと思っ
 てた」

 極め付けは、「時計をつけてほしい」ということ。
 なるほど、時計の柱だけが残っている。

 「登校班の集合場所に新しくこの公園になったんやんか。
 ほんで、集まった時に、いま何時かがわかれば便利やし。
 それに、夕方遊んでいるときも、時間が分かれば安心して
 遊べるし…」

 まったく、その通りで合理的な意見ではないか。

 子どもたちは、権利の主体である。子どもたちが遊びの
 主人公なのだ。

 この小学生たちも、もっとちっちゃなころから、この公園で
 遊具を使って遊んでいたそうだ。

 利用する人たちが使いやすいようにする、当たり前のことだ。
 そのためにも、子どもたちにまず聞くことが何よりも大切だ、
 と現地へいって、新しい発見をした。



 



2001年11月19日(月) 福祉を向上させたい

 17日は、「心の病」をもっておられる方と東部コミセンで
 待ち合わせてお話をした。

 僕は、障害者福祉、とくに精神障害者の問題に関心が、とい 
 うか、あまりに遅れている課題なので、なんとか前進させた
 いと議会でも質問もし、実際の当事者の方たちと交流をさせ
 ていただいている。

 池田小事件は、まじめにひっそりと暮らしている精神障害者
 の方たちに、プレッシャーと悔しさと怒りを抱かせている。
 
 この間、話し合っているのは、行政の責任で社会的偏見をな
 くすための啓発活動に思いきって力をいれてもらうこと、そ
 れから、当事者や家族が自立できるような支援を充実させる
 ことなどを、前進させようということだ。

 いまの時代、リストラや悪くする一方の医療制度、教育のひ
 ずみなど、人間が大切にされていないのが特徴だ。そんなな
 なかで、心の病はいつ、誰にだっておきうる問題なのだ。
 だからこそ、社会全体がこの問題に真剣に取り組む時期だと
 思って、これからも関わり続けたいと思っている。

 18日は、古川保育園の保育園まつり。僕が役員をやらせて
 もらっている城陽保育運動連絡会の学習講演会をこのまつり
 とジョイントでやらせてもらった。
 古川保育園の保護者やOBなどを中心に、約40名の方に集
 まっていただいた。

 講師の能塚耐子先生(くりくま保育園園長)の話しがデータ
 駆使しての、国や宇治市、城陽市の保育制度の現状と問題点
 そして、子育てについての思うことなどなどをわかりやすく
 話していただいた。

 1時間のテープなんだが、なんとかテープおこしをして、印
 刷物にしたり、ホームページで公開したりしようと思って
 いる。でも、テープおこしの時間があるのかな?

 椅子を並べたり、運んだり、結構体力がいる行事で、今朝
 起きたら腰がいたかった。でも、翌日に疲れがでるのは、
 まだまだ、若い証拠らしい。 


2001年11月17日(土) 決算特別委員会はじまる

 16日から平成12年度の決算特別委員会がスタートした。
 この日の審査項目は、総務関係と消防本部、そして財産区。
 
 総務関係で僕は、庁舎の維持管理の問題と財政悪化の主な原因である
 公債費のことについて主に質問した。

 庁舎の維持管理については、ビルメンテナンス料が
 11年度1953万円であるのに、12年度は766万円も安くなった。
 その理由を問うた。行政側は、3年契約のビルメンテナンスは12年度に
 新たに入札したところ、景気の動向をふまえ、受注希望者が増え、9社に
 よる入札を実施したところ安くなった、と説明した。
 
 つまり、入札によって競争が十分行われた結果、ということだ。
 このことは、どうとらえたらよいのだろう?
 いくら、入札で競争が行われたとはいえ、メンテナンスにかかる経費とい
うのは、業者によってそう違うものでもあるまい。
 逆に言えば、11年度〜9年度までの3年間で、合計2100万円もの超
過のメンテナンス料を払っていた、といえなくもない。
 ビルメンテナンスなどの経費の算出根拠などはどのようなものなのだろう
か?
 業者側からみれば、安い人件費でやらざるを得なくなり大変なのだろう。
 でも、税金をおさめる市民の側からいえば、「きれいに安く」できるとい
うのであれば歓迎する声もあるだろう。このあたりのことを、もっと勉強
したい。

 公債費は、複合文化施設である「文化パルク城陽」に建設に伴って発行し
たものがもっとも多い。公債費全体は、365億円。うち、文化パルク関係で
135億円。これらが、平成37年まで続くというのだ。
 
 文化パルクは、前の前の市長が「城陽市のランドマーク」という位置づけ
で、総工費約180億円もかけて建設した施設。
 人口84000人のまちに、巨大な施設がそびえたっている。
 「身の丈をこえる大型公共事業」との批判の声も多かった。
公債費の返済、維持管理費をあわせると約14億円を毎年返済し、完済が
平成37年。
 一方、使用料等で入る収入は約8000万円。
 財政を大きく圧迫している。
 僕たちは、市民会館など文化活動の拠点は必要だが、豪華すぎるのもその
後の維持が大変、と指摘してきた。
 しかし、その一方で、開館以来6年を経過して、来館者の合計は200万
を超す。
 
 この問題はどう考えたらよいのだろうか。
 音楽をはじめ文化の向上をめざすことは、必要なことだ。その点で僕は、
 文化振興にもっと予算を使うべきだ、という意見をもっている。
 しかし、現実は公債費の償還に追われて(家庭でいえば住宅ローンの支払
 いに追われて、必要な食費や教育費やレジャーにまわすお金を削ってい
 る)いるのが現状だ。

 当面できることは、複合施設である文化パルクの利用頻度の低いものを改
 善して、市民がより利用しやすいようにすることだろう。
 年間利用率がわずか数%という、茶室やビデオ編集室などもある。
 運営の方法にもメスを入れる必要があるのであれば、検討すべきだろう。
 
 音楽、とくに文化振興に特別な思いがある僕にとって、もっと市民の文化
 活動そのものへの行政の支援こそが必要だと思うので、その角度からの政
 策提言を行っていきたい。

 よりよい芸術に出会うためなら、そのための条件整備(施設整備、名声の
 ある芸術家をよんでくることなどを含め)にお金をかけることは致し方な
 いのか?そのための負担は、誰がすべきか、個人か、民間か、行政か。
 
 こういうことをもっとつきつめて考えいかなければいけない。

 (関心のある方、意見聞かせて下さいね)

 
 
 


2001年11月16日(金) 高齢化社会

 15日は、僕がすむ団地の自治会の役員さんと
 お話をする機会があった。

 僕のすむ団地(といってもマンションではなく、すべて平均
 40坪〜50坪の一戸建て。できて40年がたつ)には、約
 800人が住んでいるが、そのうち、70才以上のお年より
 は、実に330人を超すという。

 役員の方とおはなしをしていると、
 「一緒に、お年寄りに喜んでもらえるようなことをやりまし
 ょう」と提案された。

 自分が、こうした問題意識をもって活動ができていなかった
 ことをとても反省した。

 その役員さんも、60才代半ばである。


2001年11月15日(木) 10月議会終わる

 14日で10月議会が終わった。
 でも、すぐに16日から決算委員会が始まる。
 その後は、12月議会へ突入。市長選挙があった関係で
 日程がつまっているのだ。

 最終本会議では、通常、意見書の審議が行われる。
 意見書は、国政上の焦点となるテーマについて、自治体の
 議会として、政府および関係機関に実現を迫る意思表示を
 するものだ。

 今回は、「雇用確保に関する意見書」
     「健康保険の本人三割負担、老人保険の適用年齢
      引き上げに反対する意見書」
     「道路整備予算の確保に関する意見書」
 が提案された。


 結果は、雇用確保は賛成多数で可決。(共産党は○)
 健康保険本人三割負担…は、賛成少数で否決。
 (共産党は○)
 道路整備予算の確保は、賛成多数で可決。
 (共産党は道路特定財源ではなく、一般財源化をすべきと
  主張し反対)

 詳しい話は省くが、それぞれの会派議員が、自分の意見を
 堂々と述べて、よいことはよい、と主張する活発な議論が
 交わされた。
 これまでは、私たちの党が提案するものには、中身抜きで
 反対されていた向きがあった。
 ところが、今回は、テーマごとに与野党の枠を超えて活発
 な意見が交わされた。画期的なことだと思う。
 
 とくに、「雇用確保に関する意見書」が採択されたときに
 は、僕は、感動のあまり(また!)涙がでてきてしまった。

 これからも、真摯な意見交換を大切にししていきたい、そ
 れが本来の議会のありかただと思うから。


2001年11月14日(水) 「仕事がうまくいかない人の習慣」

 議員という仕事の領域は多岐にわたる。
 議会活動が第一。行政が提案する議案を審査し質問する仕事。
 制度を発展させたり、具体的施策に結実させたりできるか
 それが、議員の腕の見せ所だと、もう亡くなられた先輩議員
 から教えられたが、いまの僕はとてもそこまで行き着かない。

 それから、生活相談活動。いまも、いくつも相談を抱えてい
 るのだが、なかなか解決できていない。

 また、自分たちの党を強く大きくする活動もある。

 その他、市民社会のなかで生活していくうえで、必要な活動
 保育園の保護者会活動、ボランティアでかかわっている、
 「少年少女合唱団」の活動。それに、趣味の音楽がある。

 1日は24時間しかないのは誰も同じなのに、自分は時間の使い
 方がつくづくへたくそだと思っている。
 いつも、「仕事術」の本を買ってきては、一念発起するのだ
 が、長続きしない。

 机の上は雑然とし、システム手帳にスケジュールを書き込ん
 でも、用事を忘れることもある。

 先日、本屋で「なぜか、仕事がうまくいく人の習慣」という
 本を見つけて、また妻から「買っても実践しなかったら意味
 ないじゃん」と叱責されるのを覚悟しつつ、買ってしまった。

 まだ、パラパラとしか読めていないのだが、キーワードは

 「すぐにやる」「整理する」ということのようだ。

 どちらも、自分にいちばん欠けていること。
 典型的な「仕事がうまくいかない人の習慣」なのだ。

 


2001年11月13日(火) 息子との会話

 朝、息子を保育園に送っていく間の会話が最近おもしろい。
 今朝は、「さとしくんネコちゃんみたよ。ねえ、どんなネコだったのって聞いて」と息子。
 「どんなネコやったの?」と僕。
 「あのね、久世神社の石の椅子の上にね、ネコちゃんがいたの」
 
 「そう、それでどんなネコやったの?」

 「あのね、しろ〜いネコちゃん。それでね、ストローでね、ジュースを飲ませてあげたの。」

 僕「※△●×□…」

 とにかく、描写が細かいのと、時々話がジャンプして自分の想像の世界へとんでしまう。それでも、父親と会話が成立しているのがうれしいのか、次ぎつぎと話しかけてくる。可能な限りつきあったあげたい。

 このまえ、ジャスコの楽器店で、ギタレレと、ミニアコギターと女性用のアコースティックギターを試しに弾いてきた。
 いま、僕がもっているギターは、ヤマハのものだが、相当古い。それに、僕の手はとても小さい。ふつうのギターでは、押さえられないぐらい。(ほんまに)
 それで、お店の人に聞いたら、「お客さんぐらいの手でしたら、これがおすすめです」といわれて、出てきたのが通常より少し小さめのギターだったのだ。弾いてみると、これが僕の手にピタリ。FもBmも簡単に押さえられるし、感激してしまった。
 ギタレレもなんとも言えない音色。
 あ〜あ、みんな欲しいなとため息をついていたら、何やら隣で、「この大きなバイオリン欲しい、欲しい」と駄々をこねている子どもの声が聞こえるので、振り向くとわが息子であった。

 店内いっぱいに聞こえる声で、泣きじゃくるので、イソイソと店を出た。
 今度は、ひとりで…。


2001年11月11日(日) 保育園の遊具づくり


数日、忙しくて日記が書けなかった。まとめて書くぞ。
 
 9日は、城陽市少年少女合唱団の再生にむけてのスタッフが集まって、
 12月25日のクリスマスパーティで歌う曲の練習をした。
 「アメージング・グレース」とモーニング娘のでっかい宇宙に愛がある」。
 24時間テレビ、24時間マラソン応援曲だ。
 
 女性二人と僕の三声なのだが、アルトの女性かテナーの男性がいれば、もっと
 厚みのあるハモりになる。誰かいないかなあ。
 
 10日と11日は、午後から久世保育園の遊具づくり。
 保育園の伝統のイベントだ。
 保護者会が中心になって、園庭の遊具の補修をしたり、
 園と相談して、新しい遊具をつくったりするのだ。

 春にアスレチックの防腐剤塗りをやった。
 今回は、園庭の斜面に長い竹を十字に組んで昇り降りができるもの
 (名前なんていうんやったかな?)を新しい竹につけかえた。
 それから、工事で電線などをまきつけておくでっかい木製のリール
 を使って、テーブルをつくったり、太い丸太を足にしての長椅子。
 乳児用のテーブルなどなどをつくった。

 遊具づくりの担当の役員さん(僕は担当三役だったのに、何もでき
 ずおんぶにだっこ)の活躍が本当にすばらしかった。

 会社つながりで、材料を仕入れたり、とても段取りがいい。
 また、旦那さんが現場の作業でみんなをうまくリードしてくれた。
 
 それに、プロの大工さんが保護者でいて、工具をはじめ、テーブルや
 椅子づくりなどは、ほとんどがこの方にやっていただいたほど。

 体力的をいっぱいつかったが、いろんなことを考えた。
 僕は、銀行員の息子で親父が日曜大工をする姿など一度もみることが
 なかったので、自分自身が日曜大工が大の苦手だった。
 保育園の保護者のお父さんたちがたくさん集まったが、こうした日曜
 大工が好きで得意な人がたくさんいる。
 僕は、素直に自分が日曜大工が苦手なことをみんなに伝え、でも一生
 懸命取り組みたい、ということを話した。
 自分が得意な分野でがんばって、それぞれの得手を生かして力をあわ
 せる。自分の得手を素直にまわりにいえるかどうか、結構大切なこと
 ではないか、と思った。
 
 もう一つは、若いお父さん、お母さんたちのパワーだ。
 総勢、30〜40名(子どもをいれたらもっと多い)が集まって、
 それぞれ役割分担をして、黙々と仕事をこなす。
 土日、みんな仕事で疲れているだろうに、集まってきた。
 この「思い」を大切にしたいな、と思った。

 議会の質問で、お金をかけなくても、すばらしい施設をつくることが
 できることの例で、西宮市のビオトープづくりの話を紹介した。
 低年齢児から、子どもたちに自然と共生することの大切さを教えたい
 という市民が、それぞれ材料を無料でもちこんでボランティアでつく
 りあげた、という話しなのだが、行政が「子どもたちに自然と共生す
 ることの大切さを教えたい」という熱いメッセージと市民の思いが
 一つに重なって生まれたものだ。お金をかけなくても、いい保育がし
 たい、という行政と市民の思いが結合すれば、すばらしい仕事ができ
 るのだ。問題は、その思いを一致させるために、行政が十分な情報
 公開を説明責任を果たしているかどうか、なのだ。

 僕は、久世保育園が取り組んでいるこの遊具づくりも、同じことがい
 えるのではないか、と思う。
 子どもたちに、安全で素敵な遊具で遊んでほしい、という
 保護者の思いが、30〜40人もの保護者の二日がかりの作業に結実
 した。
 「子どもたちのためにいい保育をしたい」この思いを大切にして、こ
 れからの城陽の保育を行政と保護者と地域と考えあっていきたいもの
 だ、と思った。

 その他、10日の夜は、ジョイナスグリーの練習。少年少女合唱団の
 再生にむけてCDの紹介とカンパの訴えをしたら、たくさん協力して
 いただいた。ありがとう!
 11日の朝は、10時から福祉ふれあいまつりに挨拶だけで申し訳な
 かったが、参加させていただいた。

 


 


2001年11月08日(木) 民間委託

 8日は、議会の一般質問が続いて行われた。
 
 飯田議員は、学校給食の民間委託について、
 実施することに反対の立場から質問した。
 そのときのことだ。

 飯田議員は、民間委託をすることによるデメリットを
 具体的にあげたのだが、それを受けて市長は、

 「議員が指摘するような問題が実際にあるのなら、民
 間委託はすべきではない。しかし、やる前から、まず、
 『民間委託はダメ』という立場で議論をするというの
 は、いささか偏った議論ではないのか」などと答弁した。

 僕は、この問題はとても重要なことなので、これからも
 しっかりと勉強したいと思っている。

 早いはなしが、財政が厳しいので「民間でできることは
 民間で」市役所の仕事はお願いしていきます、というの
 が市長さんの話だ。
 それを議論するのが、なぜ悪いのかということなのだが、

 じゃあ、僕は逆に聞きたい。
 ゴミ収集、学校給食、保育園、幼稚園などなど、子ども
 を育てたり、環境意識を高めるための施策など21世紀
 にとても大事な問題を、民間まかせにしてしまって、
 公務員、市役所の職員がやる仕事というのは、一体何が
 残るのですか?

 税金を集めて委託業者に支払うだけの仕事になってしま
 っては、絶対にいけないのだ。

 民間委託がすべてダメだ、といっているわけではない。
 なじむものとなじまないもの、その区分を厳格にすべき
 だ、というのが僕の意見だ。
 
 このあたりも、もっともっと勉強してみたいな、と思っ
 ている。

  


2001年11月07日(水) 骨太な主張を

 この間、毎日の日記更新が崩れている。
6日に、一般質問があって、その前日は徹夜をした。
 その反動で6日は、家に帰って御飯を食べ風呂に入って、そのまま布団へ。爆睡状態だった。
 6〜12日と市議会は一般質問が続く。
 メルマガで議会の状況を早く伝えなければ、と少し焦りぎみ。

 議会からの帰り際、市の職員と立ち話をしているとき、
 「議員さんの最後の要望は、がっかりした。品を落としたのでは」という。まあ、この人とはそういうことが言える間柄なのだが、こういうわけだ。
 「議員さんは、子育て支援について、最後に要望で『最大のコストで最大の支援を子どもたちに行うべきだ』というが、そんなことは、非現実的だ。
 厳しい財政状況の中で、フラットな施策展開しかしなかったら、結局みんなうまくいかない。子育て支援ならそれに的を絞った施策展開をすることで、あらたな展望をでてくる、こんなふうにまとめたほうがよかったのでは」というわけだ。
 
 私は、「答弁する幹部がみんな、口をそろえて『お金がない。財政的効率性を考えて』云々いうものだから、少し極端なことをいったんですよ」といったのだが、その職員のいうこともわからないことはないのだ。

 でも、私は、21世紀の行政のすすむべき方向として、
 子どもを育てる、ということにかなりのウェートをおいた施策展開こそ、必要だと思っている。その意味では、骨太の主張として、「最大のコストで最大の支援を」というのは、そう間違った言い方ではない、と思うのだが。

 いま小泉首相が叫ぶ「構造改革」という路線にとても疑問と関心を持っている。結局のところ、日本の大企業の国際競争力を高めるための政策が、この路線だ。

 もっと個人消費を増やす方向、将来不安をなくす方向での経済政策が求められているのではないか。

 「失業の不安をなくす、学校の先生を増やすなど、公的部門で雇用を増やす。福祉や介護でも、サービスを受ける側は出費は厳しく、サービスを提供する側は労働条件が厳しい。両方を良くしていけば、これは無限のニーズがあると思います。」
                  山家悠紀夫@神戸大学大学院教授

 という記事が、7日付の「しんぶん赤旗」にのっていた。
 いま、僕がもっとも学びたいと思っているテーマだ。勉強したい!


 最近、この日記を読んでくれる人が増えている。

 そこで、読者の方によびかけたい。

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この日記をよんでの感想をきかせてくださいね!
 
 mailto:yagunet@fmm2.seikyou.ne.jp

 

 


2001年11月06日(火) ものづくりに賭ける熱意におどろき!

 5日は、午前中が党の会議。午後からは、八幡市で鉄工所を経営されている、知り合いのところへ工場見学をさせてもらった。

 あまり詳しいことを話しはできないのだが、ものすごい技術をもっている工場だ。
 その方が、熱弁をふるう。「日本でベンチャーが育たないのは、中小企業の中で、すぐれた技術をもちあわせていても、すぐに大企業が資金力にものをいわせてその技術をシェアごと根こそぎ奪い去ってしまうこと。
 そんなことを続けていたら、世界で通用しなくなる。
 本当に、この分野で成功している方のお話だけに説得力が違う。

 子どもの頃から、ものづくりが好きだった。そして、自分の技術を通じて社会の役にたつ仕事がしたい。小さい頃、学校の先生にいわれた「人糞製造機だけにはなるな」の教えを自分なりに実践している姿。
 (人糞製造機とはなにかは、また別の機会に書きたい)

 ものづくりにかける情熱のまっすぐさ、真剣さに圧倒されっぱなし。
 なぜか、とてもすがすがしかった。そして、何ごとにもあまちゃんの自分を恥じた。


 


2001年11月05日(月) たくさんの元気をもらって

 11月2日(深夜)から4日まで、東京の「赤旗まつり」へ洛南地域の後援会バスツアーで参加してきた。
 最近、まとまって本を読めなくていたので、長距離のバスのなかで二冊も読むことができた。
 
 3日は、あいにくの曇り空。午後からは、ついに雨が落ちてきた。
 この日、午前中は、シンガーソングライターの野田淳子さんのコンサートを中央舞台で聞いた。CDなどでは何度か聞いたことがあったが、ナマの野田さんの歌を聴くのは初めてだった。
 心にしみ入る歌。なんという不思議な声だろうか、と思った。歌いながら遠くを見つめると、声とともにやさしさや悲しみ、喜びといった人間の感情がやわらかいものにつつまれて、ふわーっと広がっていく感じ。
 癒しという言葉は、もう使い古されているのかもしれないが、あの声はまさしく、癒しの声だ。
 「里の秋」が平和をねがう歌であったことは、はずかしながらはじめて知ることだった。それから、10年以上前、厚着基地を飛び立った米軍機が民家に墜落し、幼い兄弟がなくなった悲しい事故を歌った「千羽鶴」は、当時、その事故を知って涙を流した野田さんが娘にこの話しを聞かせたエピソードを歌にしたものだ。
 僕の周りの人、みんなが泣いていた。
 こんなに、人の心を揺さぶり感動させることができる、野田淳子さんの音楽に僕は魅了されっぱなしでであった。

 そのあとの、政治プログラムや木曽路の旅のことは、あとで3、4日の欄が空欄になるので、そこに書きとどめておことう思う。

 とにかくたくさんの元気をもらった。さあ、今日からまたがんばるぞ!


2001年11月01日(木) 胸がしめつけられて…

 アメリカへのテロに対する報復戦争は、いよいよ泥沼化してきた。
 この間、相次いで重大なことが発生したり、判明している。
 そのいくつかを拾って紹介すると、
 ●<タリバン政権> 日本を敵と判断 自衛隊派遣に反発
 ●核テロの可能性は従来考えられていたよりも高い=国際原子力機関
 ●クラスター爆弾をアメリカが使用。「不発弾は黄色い色で筒の形をしている」などと説明したうえで、最近空爆のあった地域で黄色の物体を見つけたら絶対に触らないようアメリカは異例の注意を促している。
 (小さな爆弾が地上に落下した瞬間にいくつにもはじけとぶ爆弾。危険性の高い兵器として国際的に禁止すべきという世論が広がっている)
 
 ●アフガニスタンのタリバーン政権は1日、同日未明の米軍の空爆で、南 
部ヘルマンド州にある同国最大のダムが決壊寸前になる被害を受けたと語った。アフガン・イスラム通信(AIP)が伝えた。
 ダム破壊で、電力もストップ、途方もない被害がでる可能性も。

 しかも、日本のメディアもそうだが、現地の生々しい様子はほとんど報告されていない。
 そんな折、現地の被害の様子を写真で見ることができるサイトをのぞいた。ヶがをした子どもたちの姿だけでも、いたたまれないのに、このサイトには、ヶがで死亡した悲惨な亡骸まで写されていた。「これが現実だ。目を背けるな」というメッセージかもしれないが、胸がしめつけられて、すぐにクリックしてそのサイトを閉じた。

 9/11のテロでも罪もない人びとが6000人も命を失っている。
 同じように、こうしてアフガンの罪のない人の命が奪われている。
 罪なき人々の命が犠牲になる、この報復戦争。
 一日も早く武力攻撃をやめ、いくら攻撃してもビン・ラディンを捕まえられないとアメリカ自身が認めているのだから、この地球上からテロを根絶させるために、世界の世論と力を国連の場に集中させるべきだ。
 
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同じ団地に住む若いお母さんから、「いつもメルマガを読んでいますよ」と激励された。書き続けていてよかった。本当によかった。これからもがんばるぞ。激励してくれたときの素敵な笑顔を僕は、いつまでも忘れない。


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