2006年07月26日(水)



プロジェクトチームでの仕事に一区切りついたので
飲み会が開かれた。
しこたま飲み食いした後に2次会。
私は1次会で帰るつもりだったのだが
rikuくんは来なさい。との指令が下った。
メンバーは部長×2、課長×2、私(平社員)
であったので、もちろんタダ酒であろうし
オッサンばっかりなのでどうせ1時間くらいで帰れるだろう。
との算段で2次会への同行を了承したのだった。

そしてキャバクラへ入った途端に遠くの方から
「rikuー。コラー。リークー!」との呼び声。
見てみると、山さんと鹿さんが
すでにすっかりデキあがった状態で私を手招きしているのだった。

実は最近、この係長コンビとよくキャバクラへ行くのだ。
なんせ二人とも金持ちなものだから
懐も気にせず遊べるし、なによりこの人達アホ過ぎて楽しい。
そんな彼らに見つかったものだから
今日は帰りが遅くなることを密かに覚悟したのだった。

やがて部長らとの2次会も終了し
私は一銭も支払わなかったどころか
「どうせオマエ。あっちに合流するんだろ?」
と、小遣いまで貰った。
ヤッター。もうけたー。

そして心置きなく鹿さんらに合流。
彼らの飲み方は部長らとは打って変わってあまりに学生ノリ。
着席した途端に一気飲みとか
トイレから帰ってきたら一気飲みとか
キャバ嬢の名前忘れてたら一気飲みとか
一本7000円のシャンパンが1分でカラになり
テーブルの上にガンガン並べられてゆく。

「平日なのに俺らやばくね?」
「気付くの遅くね?」
「だよねー!」
わははー!と笑っている横で、
再び「ぽんっ」とコルクの抜ける音。

会計を済ませてみれば午前2時半。
しめて11万5000円也。
笑った。
私が部長からもらった小遣いなど
この二人の前ではほとんど誤差なのだった。

鹿さんは車道の左右イッパイを使ってフラフラと歩き
「やっべ。もしかして酔った?」と
今更な事を言いながら、ゲーと吐き
山さんは、「明日仕事行きたくねぇよー。ていうか今日だし!あは!」
とか一人で意味不明にテンション高いし
ほんとにこの二人は部下を持つ人間なのだろうかと
少し疑いを持ったが、楽しかったのでヨシとした。

そして今回の件の一番の見所と言えば
次の日、昼くらいに出勤してきて
心底具合悪そうにしている二人に
私が前日の有様を語ってあげたときの
驚きの表情と反省の言葉だ。


「会社早退してデートして同伴出勤してそのままラストまでとかもうしません」

って言ってた。
反省以前の問題だと思う。

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2006年07月16日(日)




北海道では珍しく、行列のできる
美味しいラーメン屋さんがあると聞いて
彼女と二人で行ってみた。

「道は覚えたから大丈夫だよ!」

と、にこやかに言う彼女の後ろをテクテクとついて歩いたが
案の定、迷った。それはもうあっさりと。
仕方がないので、場所に詳しい友人に電話して聞いてみると
存外あっさりと見つかり、彼女は
「まぁ。ね?こんなこともあるよ。ね?」
などとよく分からない言い訳をしながら笑って誤魔化していた。

着いた店は「彩未」という店。
オススメは味噌ラーメンだというので早速、食してみる。
北海道でラーメンを食べたのはいつぶりだろう。
縮れた卵麺がツルツルと旨い。
スープもほどよいコクでしつこくなくいただけた。
これはイチオシだ。




その後、感じの良い喫茶店があるというので
再び彼女の道案内で向かう。

「こっちから行くと近いよ!」

という彼女の後をテクテクとついて歩いたが
隣の家にいくのに、隣町経由で行くカンジの遠回りをし
はじめのうちは、「まぁ散歩もいいよね?」とご機嫌だった彼女も
段々と、「疲れた。」「もう歩けない。」とか
お姫様発言をかましていた。僕にどうしろと言うのですか姫。

着いた店は「沢田珈琲」という
昔ながらのレンガ倉庫を改装したような感じの良い店。
内装もアンティーク調で、ロフトのような2階席がある。
我々はそこに陣取り、手紙を書いたり
持参した本を読んだり、各々の自由な時間を過ごしたのだった。
あの店は気に入ったのでぜひまた行きたい。



そんなのんびりな休日を過ごし
とても癒された一日であったが
とりあえず、彼女の地理感覚とかそういうのは
あまり信用してはいけないな。
という教訓を得た日でもあった。


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2006年07月14日(金)




フェルマーの最終定理
という本を読んだ。

数学の素人でも知っているこの有名な難題。
17世紀にフェルマーが提起してからおよそ350年間
オイラー、ルジャンドル等、有名な数学者から
アマチュア数学者に至るまで様々な人間が挑んだにも関わらず
誰も解くことができなかった。
そして1995年、ごく最近のことだ。
ワイルズという数学者がこの問題を解き明かし
一躍、脚光を浴びた。

この本はそんなフェルマーの最終定理の発端から
この問題に挑んだ数多くの人間の人生や
数学の歴史や進化を分かりやすく述べている。

私は数学者という人種の
真実を解き明かそうとする情熱と
数学の奥深さに痛く感激し
彼女と二人で入った飲み屋で
気が付けばとくとくと語っていたのだった。
「ピタゴラスの定理でx^2+y^2=z^2ってあるでしょ?それがね?・・・」
今考えるとたぶん、面白くなかったと思うし
酔っ払うにしてはもうちょっとこう・・・
親しみやすい酔い方をすべきだったと思う。
彼女もよく我慢して聞いてくれた。
多分、僕が逆の立場で
酔っ払った人間に、数学について熱く語られても
「まぁまぁ。そんなことより、あそこにいる娘のオッパイでかくね?」
とでも言うだろう。

今後、酔って饒舌になるときには話題には気をつけたい。
相手が親しめる話題が好ましい。
数学の話をするにしても
ただ、ピタゴラスの定理について説明するのではなく
「たとえばキミの胸を三角形に置き換えるとここがxで・・・」
と言いつつ、胸を触るくらいの
そんな親しみを持って会話していきたい。

もし、セクハラで訴えられた場合でも
「いや、違うんですよ。xがね?」
という弁明をすれば精神鑑定に持ち込めるので一石二鳥。



それにしてもあの飲み屋のレバーは劇的にうまかった。
ほんのりピンクで口の中でとろけた。
カメラを持っていかなかったのが悔やまれる。
ぜひまた行きたいと思う。


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2006年07月12日(水)


測定室からの帰り道
エンヤコラーと階段を上り
踊り場に到着した瞬間
手元からノートがボトリと落ちた。

私はそれを拾おうとして
一歩前に踏み出した時
目測を誤って蹴り飛ばした。

あわわ。
私はずささーと向こうへ滑ってゆくノートを
慌てて追いかけて
再度拾おうと手を伸ばしたところ
今度は間違って踏みつけた。

無実のノート君にとっては散々な仕打ち。
なにしてるんだ自分。
誰かに笑われるならまだしも
ギャラリーのいないところで
ネタをかましても何一つ楽しくないどころか
ちょっと軽くヘコむ。

私はノートを拾い上げるにしては
あまりに慎重な動作でもって
ようやく目的を達成することができた。
ふぅ。

するとふと私にインスピレーションが舞い降りた。
お?おお?
あら。もしやしてこれが
「踏んだり蹴ったり」の語源ではあるまいか?

おそらく先人も、今回のような出来事が有り
この言葉を作ったのであろう。
だってこの言葉そのままだもの。
だとすれば。ふふ。
いやぁ昔の人も、存外ドジだったのであるなぁ。
うふふ。アホだね。

そんなことを考えて自分を慰めてはみるが
自分も同様のアホであるし
おまけにノートにばっちりついた足跡は消えないのだった。

もしこのことわざを私流に言うとするならば
「踏んだり蹴ったり足跡消えない」だ。


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2006年07月10日(月)



人体の不思議展を見てきた。

どこの学校の理科室にもあった人体の標本。
あれはただのレプリカであるが
どこかには必ず本物の標本があるはずであって
そしてそれが一般公開されるとあれば
見に行かないわけにはいかない。
早速、コクさん、ボウズやらと向かったのだった。

標本の種類は様々で
骨格から筋肉、内臓、神経、血管。
そして病巣から生殖器や胎児にいたるまであった。
もしこれらが全てレプリカであったなら
ふーん。すごいね。で終わると思うが
なにせ全部本物であるのだから
これが以前、生命として機能しており
しかもそれぞれに人格を所有していたのだ。と思うと
人間というものの精密さと奥深さを感じずにはいられない。
また、自分自身や家族を献体として捧げる決意をする
彼らの意志はものすごいなとも思った。


ちなみにこの展示会の標本は
通常、標本と聞いて思い浮かべるような
ホルマリン漬けのブヨブヨのなんだか良く分からないものではなく
特殊な加工によって、色味や質感など
生前の状態がかなり残った状態で大気中に展示されている。
一部、直に触れるものさえある。
これがすごいと思った。

コクさんやボウズ、ヨウスイさんもこの展示会に行ったので
もちろん本日の昼飯にはこの話になったが
人体の構造に関する話題よりかはどちらかというと
この標本の作製方法についてがメインだった。
エンジニアの習性だろうか。
それがどうやって作られるのかが一番気になった。
どいつもこいつも
この標本の特殊な作製方法だけは
バッチリ頭に入っていた。
あげくに、ほんとに作れるか再現実験してみたい。
などと言い出す始末。
やるなら自分の体でやって欲しいものだ。

同じものを見ても
多分、子供や女性や
その人の職業やらで
見方が色々違うんだろうなぁ。と思った。
そしてそうやって個々別々として
違った価値観で生きている僕らの体は
どの人もあの標本と同じように
実に綿密に作られた肉体でもって
今、生きているのだ。


感じ方は人それぞれ違えど
見に行って損はないと思う。




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日記才人