ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
7月6日午後6時半ごろ、大魔人ことアタクシの実父、他界。
連れ合いと子供と義理の子供と孫に見守られて、自分の部屋で買ったばかりの自慢のステレオでモーツアルト聞きながら。 安らかに息を引き取ってから、大魔人が好きだった日本酒で枕元で献杯した。
6月14日から7月6日までの3週間と2日、特に後半の2週間は食事と入浴以外の時間、私は父親の傍にいて最後の貴重な時間を共有できた。それは苦しくて悲しいこともあったけど、とても幸せなことだったと今でもやっぱり思う。 亡くなってから葬儀までの茶番は、馬鹿な親戚のお陰で思い出しただけでも怒り心頭なのだけど、それはまた別の機会にぶちまけるつもり。
読書や音楽や落語や絵画や映画やお酒を父から手ほどきしてもらったし、嗜好がとても父に似ているので、いなくなって寂しいけど、悲しくはない。 たぶん、父もそれで満足しているはず。
出来ないことを無理にしろとは云わないけれど、 辛いからといって目をそむけて、 出来ないなりの解決策を見つけ出そうとしないのは、単に甘えだと思う。 私だって一生懸命やっている なんて、泣きながら云うんだけど、 間違ったやり方を一生懸命やってたって、無駄だし愚かだって思う。 そう指摘すると、逆上されてしまうんだけど。 ちぃっぽけな立ち位置とマイナス方向のプライドに拘りすぎていて、 がんじがらめになっている姿は可哀想なんだけど、 本人が傷ついてもいいからそれを棄てようとしなければ、 他人からはどうしようもないんだよな。 案外軽傷ですむこともあるし。 がんじがらめに幸せを感じてるならそれでもいいし。 あなたはいいわよね の、「いいわよね」になるまでに、 どれだけの年月と工夫を重ねて沢山痛い思いもし泣いてきたかを考えてみたことありますか? と、云ったところで共通言語をもたない人にとっては通じない話。 人が出した結果を羨ましがるくせに、自分の努力?の経過を評価しろなんて、筋すら通らない。 よな。
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