2004年12月31日(金) |
二度目の受賞 Sign |
Mr.Childrenの皆さんと関係者の皆さん、レコ大受賞おめでとうございます。 ファンとしては嬉しい限りです。
―END―
ついしん 新年をバイト先で迎えました。
2004年12月30日(木) |
携帯 The Theme Of A Comic Dialog |
ポン吉:最近は色々と、以前は固定式であったものが外へ持ち出せる時代になりましたね 勝田:そうですね色々便利になりましたね ポン吉:その中でも代表的なものと言えばやはり携帯電話 勝田:中には固定式の電話が家にないという人もいるんでしょうね ポン吉:そうですねそのくらい携帯電話が普及したと思うんですけれど、それにしてもね 勝田:はい ポン吉:なんで携帯電話のことをみなさん略して<携帯>と言うんでしょうね 勝田:え ポン吉:いえ、だってね、<携帯>って略したら何の携帯かわからないと思うんですけどね 勝田:そんなに支障はないと思うんですけどね ポン吉:だから本当だったら<携電>って略さないとわかりづらいと思いません 勝田:そう言われてみればおかしいことはおかしいですけどね ポン吉:パソコンだって携帯できる時代ですからね 勝田:でもパソコンは携帯パソコンとは言わないでノートパソコンですからね ポン吉:でもですよ、携帯灰皿っていうのがあるでしょう 勝田:はいありますね ポン吉:あれってどう略すんでしょうね 勝田:うーん ポン吉:例えばね、「今携帯からかけてるんだけど」って僕が相手に言うと、携帯灰皿からかけてるって思われてバカにされる危険性があるでしょ 勝田:それはその相手の方がバカ過ぎるでしょう ポン吉:他にも携帯線香に間違われる危険性もあったりしてね 勝田:携帯線香? ポン吉:あの蚊取り線香の中でも腰にぶら下げるタイプでズボンにフックでひっかけるやつがあるでしょう 勝田:今時なかなかないでしょうけどね ポン吉:あれで電話してきてるって思われちゃうと癪でしょう 勝田:・・・ ポン吉:そうするとバカにされるかもしれないからね 勝田:そんな心配する方がバカだよ ポン吉:あのうずまきが全部灰になったら電話ができなくなるという電話かな、なんて思われて誤解をされるかもしれないでしょう 勝田:そんな人いないよ ポン吉:他にも携帯ストラップと間違われたりする危険性もありますからね 勝田:ストラップ? ポン吉:「今携帯から電話してるんだけど」「え、電話とストラップのどっちから?」 勝田:なんでストラップの方で電話するんだよ ポン吉:紛らわしいですね 勝田:紛らわしくないよ。ストラップで電話かけられちゃったら携帯電話いらなくなっちゃうでしょ ポン吉:そうですね 勝田:そうですねじゃないよ。でもですね、これだけ外に持ち出せるものが増えてくると今後ますます便利な社会になっていくでしょうね ポン吉:そうですね。ところで僕は、今後つくってほしい携帯できるものを提案したいと思うんですけれどね 勝田:確かに考えると色々あるかもね ポン吉:まずは携帯トイレ 勝田:はい ポン吉:これは街中でもよおしてしまい、なお且つコンビニがなかなかみつからない時には役にたつと思うんですけどね 勝田:確かに便利かもしれないですね。でも人目が気になるのがちょっとね ポン吉:そんなあなたには携帯空間を 勝田:空間? ポン吉:こうファンシーケースのような長方形の囲いがね 勝田:あればますます便利ですね ポン吉:他には携帯時計 勝田:あれ、それは既にありますよね、腕時計として。携帯電話にもついてるし ポン吉:じゃあ旅のお供に携帯小説 勝田:それも文庫本持っていけば済みますよね ポン吉:それなら携帯刀なんかがあれば 勝田:銃刀法違反ですよね。そもそも何に使うんですか、外出先で ポン吉:林檎の皮なんかを 勝田:ナイフで剥きなさい。そもそも家で剥きなさい ポン吉:いや外出先で剥きたくなったら 勝田:普通我慢すると思うんですけれど ポン吉:携帯マフラ 勝田:そもそも携帯するものでしょうが ポン吉:携帯ドラえもん 勝田:まず家庭用のやつを創れ ポン吉:携帯ぶとん 勝田:家に置いておけ ポン吉:携帯絵画 勝田:家にかけておけ ポン吉:携帯の家 勝田:お前は遊牧民か。今の日本でそれをする必要はないだろ。どうしてもしたけりゃキャンピングカーを買え ポン吉:高い 勝田:携帯の家なんかもっと高いだろ ポン吉:でもね、やっぱり本当に欲しいものと言えば 勝田:今まで適当だったのかよ ポン吉:携帯女房 勝田:え ポン吉:今の女房は俺の手に負えないんだよ 勝田:・・・ ポン吉:だから、俺の手にも収まる女房を 勝田:いい加減にしろ
―END―
2004年12月29日(水) |
世の中思うようにはいかない It Crawls And Suits So That It May Consider In A World |
世の中思うようにはいかない。 思うようにいったら世の中が壊れるもんな。 僕は世の中の一部。 世の中と言う名のゲームを楽しむならば、ルールを守らなければ面白くない。 ルールとは、ゲームを面白くするためのものだからだ。
―END―
2004年12月28日(火) |
「Mr.インクレディブル」に拍手! Disney Presents A Pixar Film |
色んなことに驚いた。
まず、メインキャラを担当した声優が、本業の人たちでないのにはまっていた点。 黒木瞳はビジュアルまで似ているのが笑える。 事前に情報を仕入れず、先入観がなかったので、シンドロームの宮迫(雨上がり決死隊)は宮迫だと気づかなかった。 今思えば、彼はプロじゃないのにプロっぽかった。 うーん、本当に宮迫だったのか、と疑いたくなるほどだ。 シンドロームというキャラは感情の起伏が激しいのでやりやすいほうだとは思うものの、うまいと思う。
次にCG技術。 CGをCGと感じさせないところまできている。 そこが、凄い。 映画としての芸術点も高い。 アニメだなんて、信じられない。 実写よりも迫力あるんだよ。 実写映画に宣戦布告しているようなもんだな、ありゃ。 しかし、キャラクターにはアニメらしいかわいらしさもちゃんとある。 だからといって、リアルな背景と融合していないわけではない。 あのさじ加減、エクセレント。
そしてストーリー。 設定がいいとこ突いてるなあと思った。 スーパーヒーローが主人公なのに、舞台が、社会的にスーパーヒーローが迫害されている時代というのがいい。 そして、インクレディブル氏の宿敵が×××××××というのもいい。(未見の人のために伏せ字にしました) あと、家族の物語を嫌みなく誠実に扱っている点も素敵だ。 ストーリーのこととは関係ないが、ジャックジャックがかわいい。 うちにはマクドナルドで手に入れた彼の人形がある。
アニメはもう、子供のものではない。 実際、子供より大人の方が楽しめるんじゃないと思う。 僕は、ピクサーのアニメが大好きだ。 僕の中では、ピクサー映画「モンスターズ・インク」「Mr.インクレディブル」は、ピクサー映画として、アニメとして、二大巨頭となった。
―END―
2004年12月27日(月) |
M−1グランプリ2004 At An End Unexpected At A Certain Point |
どーも、ダーZです。 昨晩のM−1グランプリ、予想以上に面白かったです。 つまり、期待値が低かったということです。 いやいや、それ以上に粒ぞろいの決勝進出コンビの皆さんに実力がありました。 バラエティに豊み、楽しかったです。 なんか、いちいちこのコンビはああだったこうだったというのは面倒です。 みんな、面白かったもんなあ。
千鳥の小説の味わい、タカアンドトシの職人技、東京ダイナマイトのキャラクター、トータルテンボスの言葉へのこだわり、南海キャンディーズの結成一年目にしてのあの完成度、POISON GIRL BANDの世界観、笑い飯の裏切り行為、アンタッチャブルの凄まじさ、麒麟の躍進、どれをとっても・・・ え、笑い飯の裏切り行為って何って? はいはい、録画したものの未見の人はこの先読まないように。
だって、構成が危険過ぎるでしょ、あの漫才。 ラサールが言った通り、長い。 特に前半のパートが難解で長い。 あそこで胃もたれを起こしました、わたくし。 「松紳」という番組でやった二本の漫才の方がどれほど面白いか。 でも、あのネタをあえたやった笑い飯の気持ち、わかります。 裏切りたかったのだろうなと思います。 漫才終了後の哲夫の「よくばりさんになっちゃいました」というコメントからもわかる。 でも、いかんせんまとまりが悪い。 子供に戻ったパートなんか、好きだけどなあ。 どう考えても危険(失敗しそう)なネタだった。 まあ、彼らは永遠のダークホースということで。(おいおい) 来年は麒麟辺りが・・・。
最後に。 僕が以前この日記で最終決戦進出コンビを笑い飯、東京ダイナマイト、敗者復活コンビと予想しておりましたのが、一つしか当たらず残念なものの、裏切られる快感もありました。 予想としてはしょっぱいですのお。 でも敗者復活コンビは品川庄司か麒麟と予想していたので、当たって少しうれしいです。
―END―
2004年12月26日(日) |
夢の中で運転 The Scene To Pass |
いくつものぎざぎざとした濃い紫のラインが、淡い青の背景の手前で上から下へと流れ落ちている。その中を、黄色いツーシータの車に乗った僕は手前から向こうの方へ、かくかくと左右に揺れ動きながら処理速度の遅いコンピュータで再生される映像のように進んでいく。突然ぎざぎざの濃い紫のラインと淡い青の背景が中央から両側に裂け、目の前には青々と茂った草原の風景が広がる。そんな場所を車がもうスピードで走る抜けられるわけがないのに黄色いツーシータはとんでもないスピードで草原から二、三メートルほど上に浮き上がり走行しているようだ。遠くの景色に視点を合わせると、そこには老人になった僕がいる。あそこに着くのはいつ頃だろうか。そもそも漠然と歳をとることをイメージしているが、果たしてそれほど長生きするのだろうか。急にがくがくと車体が揺らぎ、僕は視線を前に戻す。いつのまにか目の前に赤信号が。辺りは草原ではなく、真新しいアスファルトの道路になっている。両側にはビルの群れ。あわててブレーキを踏み込む。目の前にはサラリーマンの集団が。なぜみんな同じ様な格好をしているのだろう。気味が悪い。夢なのだからその集団の中に突っ込んでやろうかと思いアクセルを踏むと、車体が前屈みの姿勢になりながらどどどどと音を立て、宙に浮かびあがっていく。この不安定さが怖くもあり、楽しくもある。しかし、あまりにも上空に来てしまい、地上が恋しくなる。鳥の孤独を知る。上空の世界には何もない。地上の猥雑さに慣れた僕にはあまりにもシンプルで落ち着かない。驚くほど静かだ。ホワイトノイズが僕を襲う。急に眠気が。辺りが暗い。どうやら地球外にきたようだ。宇宙はなぜこんなに暗いのか。何を隠しているのか。きっと宇宙の果てを見せないためだ。いつのまにか僕は黄色いツーシータに乗っていない。宇宙に漂っている。移動しているのかどうかもわからない。本当はここは宇宙などではなく、ごく狭い空間なのかもしれないと思えてきた。そう思った瞬間、目の前が眩しくなり、僕は目を閉じる。目の前には知らない顔の人たちがほっとした表情で僕を出迎えている
―END―
2004年12月25日(土) |
今日はクリスマス How Does Everybody Pass? |
今日はクリスマス。 だからといって、特に変わったことは何もなかった。
今日はアルバイトがあった。 みんなバイト仲間は昨日の夜をどう過ごしたという疑問がたまに頭の中に浮かびながら、時間は過ぎていった。 みんな、当たり前のように彼氏彼女がいるのだろうか。 たとえ今いなくても、前はいただろうな。 一体今まで異性と付き合ったことがない人はどれほどいるのだろう。 何で僕にはいないのだろう。 そんなどうしようもないことを考える。 脱力感が僕を占める。
今日はバイトでのミスが目立った日だった。 僕のしたあるミスの後処理を、ある先輩がしてくれることになった。 僕の勤務時間が終わり、その先輩は引き続きレジを打っていた。 帰り、彼のレジでコーヒーゼリーとパイを買った。 そのパイを彼にプレゼントした。 それは150円くらいだったと思う。
バイト先で買ったコーヒーゼリーをさっきキッチンで食べた。 その時「恋のから騒ぎ」という番組をみていた。 ほのかに面白い。 出演者の女性には、美人でも能面みたいな人が多いなと思った。 隣にいた母は、チャンネルを韓国ドラマに変え、見始めた。
レンタルビデオ店に行くと、色々と映画のことを思う。 ああこの監督は天才だ、とか、この監督は好きだけど、天才というよりは秀才だな、と頭の中でつぶやくうちはまだいい。 架空の人間に対して、映画について語り出すこともある。 もちろん頭の中でだ。 いつも、後で驚くほどの、頭の中で興奮している自分を発見する。 迷った挙げ句、黒澤明の「どですかでん」を借りた。 明日みようかなと思う。
明日、コートを一着買う予定。 明日、「M−1GP2004」をみる予定。 バイトの忘年会はいつあるのかなあ。 今よく聴く曲は、「HEVEAN'S DRIVE/ラルク」。 今日も寝る前に「ナ・バ・テア/森博嗣」を読む予定。
今日はクリスマス。 友達やバイト仲間は、今頃どうしているのかなあ。
―END―
2004年12月24日(金) |
筒井康隆広報部 Whether To Succeed Or Fail |
以前の週末。 ある友人から、旅のお供に筒井の本を貸して欲しいと連絡があった。(その時点で彼は筒井の本を読んだことがない) 僕が散々筒井は天才だと言ったからだろうか。 ただ、読んだことのない人の本を読みたかっただけだろうか。 その時、僕はバイトがあったので貸すことができず、彼は旅立った。 数日前。 彼とのメールのやりとりで、今週末、彼がある場所へ旅立つことを知った。 今度こそ、彼が読んだことのない筒井の本を貸すチャンスだと思い、こちらから借りにこないかと連絡をした。 今日の晩、旅立つ直前に、彼は僕の家へやってきた。 三冊ほど借りると言うので、「笑うな」、「エロチック街道」、「驚愕の曠野―自選ホラー傑作集〈2〉」を僕がチョイスした。 「笑うな」はショートショート、「エロチ」は実験要素の強い短編集、「驚愕の」は傑作集ということで、バランスの取れたチョイスだと我ながら思う。 長編を入れなかったことが、実に優しいとまたまた我ながら思う。 さて、彼はそれらをお気に召すか。 それともこれ以降、筒井の本からは遠ざかるか。 見物である。 実際見るわけではないが。
―END―
2004年12月23日(木) |
境界線 Reality or Fabrication |
昨夜かそれともその前の夜か。 ある友達から電話がかかってきた夢をみたような記憶があった。 しかし、やけにその記憶が生々しい。 そう思って現実の僕は携帯の着信履歴を確認した。 彼からかかってきていた。 そう言えば。 現実と虚構との境界線があやふやだ。
―END―
2004年12月22日(水) |
夜風が目に沁みる A Certain Day Of Winter |
口調がはっきりとしておらず、マイクも使っていないためか、教授の声ははっきりと聞こえない。何を言っているのか。興味がないから耳の穴をかっぽじることはしない。実際は耳の穴に何も詰まっていないので興味があったとしてもかっぽじることはしない。その声は子守り唄の効果もあるようだ。瞼が重い。とろけそうに眠い。何がとろけそうなのか。頭がか。それともあらゆる記憶がか。ふと、これからの大学から自宅までの家路を思い鬱陶しくなる。そして自室にてふとんに篭もり、森博嗣の本を読む自分を頭に浮かべ、うっとりする。あの感覚。幸せであった気がする。それにしても寒い。温かさが懐かしい。母胎が。そのイメージが僕を包み込む。あの中にいる限り、僕に責任はない。そう、責任はない。今はある。誰にそんなものを押し付けられているのか。なんでそれを抱え込んでいるのか。それが生きている証か。地球上に自分が一人きりになるまでの証か。では、母胎に包まれた僕は生きていないのか。きっとそうだろう。たまたまあの中から這い出てきて、色んなものを押しつけられ、僕は今、何を言っているのかわからない教授の話を子守り唄にしながらうとうととしている。お、授業が終わったようだ。いつも授業が終わった瞬間に意識がはっきりとする。如何に授業に興味がないか。体は自動的に講義室の扉を通り、やがて建物の外へと運ばれていく。夜風が。気持ちいい。それは一瞬のことで。気持ちいいと感じた瞬間そこに立ち止まりたかったけれど、後ろから僕の方へやって来る人の邪魔になるからそうはできないと判断し歩調はそのままに。何に動かされているのか。何だっていい。そう悪くはない。自分一人が自分を動かす運転手ではない。いくつもの運転手が交代で僕を。それらの運転手は、いつのまにか僕の中にいる。夜風が目に沁みる
―END―
2004年12月21日(火) |
事前番組 Prior Program |
「M−1グランプリ2004」の事前番組を見ました。 今回の決勝進出コンビは今までの大会のそれよりも新鮮で、そんな点が魅力的だと思います。 敗者復活コンビに、過去の大会の決勝進出コンビが加わればまた違う面白さも加味されるでしょう。 敗者復活コンビは、個人的には品川庄司か麒麟になりそうな予感が。(彼らが敗者復活戦に参加するかどうかは知らない) 決勝戦の大会では、東京ダイナマイトとPOISON GIRL BANDがどこまでやってくれるかを密かに、いや、ここに書いてしまった以上おおっぴらに期待している私です。 最後に最終決戦の三組のコンビを下に堂々と予想します。
笑い飯 東京ダイナマイト 敗者復活コンビ
―END―
2004年12月20日(月) |
外部脳(第三の脳) Semipermanent Memory |
最近、手帳を買った。 初めだからだろうが、色んなことを書き込みたい衝動に時々かられる。 スケジュールだけでなく、余白に思いついたことを書き込めばマイブックにもなる。 世界に一つだけの本だ。 貴重である。 貴重であるという点においてのみ、貴重さがあると言える。
僕は、この日記を第二の脳だと思っている。 そして、第三の脳が、その手帳だ。 その二つをまとめて外部脳と呼んでいる(勝手に)。 この脳は、記憶力が半永久的だ。 実に賢い。 自分にはない要素に惚れ込ませ、自分の側に置いておきたいと思わせるそんな手帳を、僕は恋物と呼ぶ(またまた勝手に)。
―END―
ついしん 今思いついたプロポーズの言葉 「君のパーソナリティーを知りたい」 「僕は君という題材を一生かけて研究したいと思っている教授だ」 「僕はこの先君と喧嘩をしてみたい。そのために暫く僕と付き合ってくれないかな。そんな面倒なことをしたいなんて、他の人に対して思ったことがないよ」
2004年12月19日(日) |
まとめるのが面倒で箇条書きにしました The Diary Of An Itemized Statement |
学業や仕事から解放される週末にはせっかくだから外へ出かけようという考えから解放されよう
逃げていると思ったら、違うところへ向かっていた
現実に飽きたら虚構の世界を、それに飽きたらまた現実の世界を味わおう
―END―
2004年12月18日(土) |
形と実体 A Form And Substance |
もうすっかり冬だから出かける時は重装備をして行くんだけれど、案外太陽が頭の上にやってくる頃にはそんな重装備が鬱陶しくなる。 外出先が学校とか会社ならいいけど、たとえばデパートなんかでは大変だ。 暖房が効いていて、コートなどいらないからだ。 寒いから、冬だからというだけで重装備というのは危険だ。 そういうフォームでは、暖房のある空間で過ごすには不都合だからだ。 確かに冬に厚着をするという印象はある。 人がトレンチコートなどを着込んで街を歩く姿なんて、季節で言えば冬以外にない。 そういうフォームの印象の強さによって、どこに行くにも重装備をするのは考えてみれば滑稽な話だ。 だから、どこかに出かける際には、その場所と服装のコンビネーションをイメージしなければいけない。 ただ、デパートにコート預かり所などがあればいいかもしれない。
―END―
2004年12月17日(金) |
教育について About Education |
昨日、「ほぼ日手帳2005」が届いた。 ワクワクの手帳、始動。
続けることに意義がある、という言葉を昔どこかで聞いた。 しかし、それを何にでも当てはめることはできない。 好きなことと仕事意外には、当てはめることができない。
真のゆとり教育とは、幅広い知識を与えることである。 そうすることで子供はやがて、心にゆとりのある大人となるのである。 だから今まで行われていたゆとり教育というのは、子供にとってかわいそうな教育だ。 授業数を単に減らすのではなく、授業内容が豊富になることが望ましいと思う。 NHKの、小学校の一クラスにOBもしくはOGの人が教えに来るドキュメント番組があるが、あの授業をしてもらったクラスの子達が羨ましい。 ただ、ゆとり教育は間違っていたということを発足させた人たちが認めているらしいので一安心。 以前、ある大学の教授が言っていた。 「ゆとり教育は子供が皆アインシュタインだと思ってやっている教育だ」 なんてわかりやすい表現だろうか。 あれほどの天才でなければ、今まで行われていたゆとり教育などは効果がないだろう。 というか、そんな教育が行われなくても、彼は得意な授業以外はサボり、しっかりと落ちこぼれていた。 縛られるからこそ、はみ出そうとする力が起こるとも考えられる。 すると、天才どころか誰にも効果はないかもしれない。
―END―
2004年12月16日(木) |
子供好き 子供嫌い There Are Faults On Both Sides |
映画「下妻物語」の土屋アンナと、タレントのベッキーは似ている。 ちなみに映画「茶の味」の土屋アンナと、タレントのベッキーは似ていない。 (※タレントのベッキーは、どちらの映画にも出演していない)
「工学部・水柿助教授の日常/森博嗣」は、限りなくエッセイに近い小説である。 「限りなく透明に近いブルー」風に言ってみました。
うちのおばあちゃんは、最近口癖のように「わけがわからん」と何事に対しても言う。 わけのわからない芸術を観て素晴らしいと思うならともかく、日常で頻繁にそう思うというのは辛い。 昨日もあるテレビを観ていてそう言っていたが、それでは、本人にとってわけがわからないものを本人の問題とするのでなく、その番組が人を選ぶような番組だと考えればいいのではないか。 アカデミー賞にノミネートもされていないのに、発表式でドキドキする俳優女優などいない。(誰もが他人の受賞に興味がないと仮定する) おばあちゃんも、選ばれていないのだから文句を言っても仕方がない。 アカデミー賞に選ばれるような柄ではないのである。 行くべき会場が違うのである。 つまり、どこかに、おばあちゃんを選ぶ番組があるはずなのだ。 俳優や女優が何かの賞を授与されることよりも簡単だ。 簡単だからいいというわけではないが、何にも選ばれないよりもいい。 家族でテレビをみている場合、主導権がお年寄りにないことが問題なのかもしれない。 お年寄りこそ、子供とは反対に一人で自分の好きな番組を観るべきなのかもしれない。 あまりに偏るのはよくないだろうが。 わけがわからない、と感じて世間からの疎外感を持つのではなく、逆手にとり、むしろ世間を俗世間ととればいいのではないか。 あんな俗っぽいもの、というくらいの気持ちが欲しいものだ。 もちろん俗っぽいものが好きならそれでいいのだが。 基本的に、俗っぽくないお年寄りが疎外感を持つのだ。 まあだから、気持ちの問題と言える。 映画のことに例え直すなら、アカデミー賞の評価基準に自分を合わせる必要はないということだ。
子供好きだと主張する人がいる。 そういう人は、どんな子供でも好きなのか。 世間知らずなところが好きなのか。 子供のサイズが好きなのか。 それとも大人よりもより未来があるというところが好きなのか。 いろいろ考えられるが、反対に私は大人好きでねえという人がいないのは何故か。 僕はどちらかというと大人好きだ。 私は子供好きという人は、そんな自分が素晴らしいと思うふしがある。 同様にそれを聞かされた人も、そんなその人が素晴らしいと思うふしがある。 しかしそれは如何なものか。 誰もが子供っぽい部分を残しながら大人になり、時に自分が子供だった頃を思い出しながら日常を暮らしているが、基本的に大人というのは、社会の中で生きていくためにたとえ愛しく感じていても、自分の子供っぽい部分を身近な人間以外には見せない。 そんな大人が、私は子供好きだと言うことは不自然ではないだろうか。 別に子供好きな人が子供を好きなことを、そしてそう周りの人に言うことを非難しているわけではない。 ただ、それを聞いてこの人は私よりも優れているとか思わなくてもいいだろうということを思う。 そんなことを子供嫌いの僕は思う。
―END―
2004年12月15日(水) |
中古車物色 Used Car Hunt |
僕の好きな車は、大抵ツーシータだ。 一番好きなのはドイツ車のスマート(クライスラー)。 他にはツイン(スズキ)、コペン(ダイハツ)、も好きなツーシータだ。 どれにしても、色は黄色のものがいい。(幸い上に挙げた車にはどれにも黄色のものが存在する) ところで、スマートシリーズに、軽自動車のスマートKというのがある。 外車で軽。 驚きである。 スマートシリーズは、中古では80万円台のものが平均的だった。(調べた結果) 少し高いと思うダーZ。 最近街中で、「おおこれもやはりいいな」と前々から割と気に入っている形の軽をみかけた。 ミニカトッポ(三菱)というやつである。 ちなみにこれはツーシータではない。 やはりこれの黄色いのが欲しい。 中古なら、というか中古でしか存在しないが20万円台であるようだ。 今まで自分の車を持ったことがないダーZ。 密かにこれを初号機にしようと思っている。
―END―
2004年12月14日(火) |
カバーは誘う A Cover Invites |
本のカバーは重要だ。 それが良いと、つい買ってしまう。 内容は読まなければわからない。 あらすじなど、いいように書いてある場合もある。 あらすじでダメだなと思う時もあるけれど。
最近中古で「パプリカ/筒井康隆」を買った。 新潮文庫のやつだ。 これには中公文庫版もあるらしいことがわかっていたのでどんな表紙かなと調べると、その表紙に載っている絵が素晴らしいのなんの。 ポール・デルヴォーという人の画らしい。 この人、キリコに影響を受けたという。 キリコは僕の好きな画家だ。
カバーの画で言えば、先日購入した「工学部・水柿助教授の日常/森博嗣」のそれにも一目ボレした。 人間と違って、画は一目ボレしたものはいいに決まっている。 大竹茂夫という人の画であるらしい。
この先、上記の画家二人に注目していこうと思う。 他にはカシニョール、マティス、マグリット、シャガールのファンです。
―END―
2004年12月13日(月) |
遠距離○○ Play On Words |
T:車欲しいな M:ほう T:就職したら買うぞお M:Tくん(Tではない。就職している)はどうなんだろう T:何が M:まだ必要じゃないのかな T:まだ買う気ないんじゃないかな M:そうなんだ T:一人暮らしを始めたらじゃない M:もうするかな T:まだじゃない M:うーん T:何の目的もなく一人暮しってのもね。お金かかるし M:そうだなあ T:彼女と遠距離じゃんね、Tくん M:うん T:戻ってきてからじゃないかな、親元離れるの M:なるほど T:いつ戻ってくるんだろうね、Tくんの彼女 M:うーん T:車買って遠距離通勤するとかね M:どういうこと T:Tくんが彼女の勤務地の近くで働くってこと M:向こうに引っ越した方が便利じゃない T:家賃の方が高いよ M:そうか T:遠距離って大変だね M:遠距離結婚とかね(そう言えば実際、週末婚という言葉があるな) T:なにそれ M:互いに違う場所で生活しながら週末会うっていう T:厳しいなあ。Tくんの性格からしてないだろう M:遠距離結婚、遠距離出産 T:はっはっは。どういうことなんだろう、それ M:遠距離で出産 T:それ、父親が分らずに生まれちゃってるんじゃない M:もしくは相当子供に興味がないとかね T:女性側からすると辛いかもね M:遠距離・・・ T:遠距離生活とか M:生活か T:遠距離で一緒に暮らしているっていう M:え T:テレビ電話での会話とか M:ああ T:それを一緒にしているというのか M:問題だね。そもそもそんな二人、カップルではないだろうなあ T:それにしてもさ、遠距離であるということは、カップルが仕事の都合で離れ離れになってるということだよね M:うん T:それならさ、どこにいてもやれる仕事をすればいいのにね M:それができれば苦労はないだろうね T:でもさ、遠距離だっていうことは肉体的な接触があまりないっていうことでしょ M:まあね T:それなら遠距離にいながら相手との接触が行えるようになったらいいだろうね M:凄いな T:でも、そんなもんがあったら、ストーカーによる被害が深刻になるだろうね M:なるほど T:まあだから、Tくんには遠距離恋愛に耐えてもらうしかないね M:そうだね T:それが嫌ならどっちかが仕事を変えるか、辞めるか、それとも遠距離破局するしかないだろうね M:それって単なる自然消滅じゃん T:はっはっは M:まあこのまま終わるのはTくんに失礼だからさ T:そうだね M:お二人にはこの先もうまくいってほしいですね T:急にあらたまって。白々しい感じが無きにしも M:ですからね、遠距離万歳ということで T:なんじゃそれ M:遠距離が美徳であるということに T:そんな美徳は誰も美徳だと思わんだろうね M:そうかな T:なら遠距離が美徳イコール精神的つながりを重視するということで M:ほう T:肉体的なつながりにさほど重要性がなくなれば M:・・・ T:一目ボレした子に彼氏がいても M:やめなさい T:Tくん、遠距離だったら喧嘩しても食器とか飛んでこないから便利だよ M:励ましになってない T:そうかな M:そもそもTくんは遠距離恋愛を謳歌しているかもしれない T:え M:その方がモテるでしょう T:やめなさい。さっきと言ってること違うじゃない M:まあね T:うん M:いろいろとさ T:うん M:遠距離には不都合なことがあるだろうけどさ T:だろうね M:それを逆手にとってさ T:うん M:未来の二人を想像しながら創造していってほしいね T:まさに遠距離創造 M:それ遠距離つけてる意味ないよ T:しかも励まし方が白々しい上に、遠距離を都合の悪いものだと勝手に解釈してるしね M:わかってるんじゃないかよ T:そっちも人のこと言えないよ M:お互い様か T:お互い様
―END―
ついしん この会話は八割ほどフィクションです。
2004年12月12日(日) |
静物のような生物 A Living Thing Like A Still Life |
「工学部・水柿助教授の日常/森博嗣」からの名言 酒を飲むのは酔うためであり、少量で酔えることは、自動車でいえば燃費が良い、つまり高性能である。沢山飲めることを自慢する人がいるが、その理屈が、どうにも理解できない水柿君であった。
「八割」 この日記は、八割は自分のために書いている。
「静物のような生物」 ウェブ日記というのは、静物のような生物だなと思う。 見かけは動きのないものだが、日々、変化を遂げている。 一般的な生物との違いは、記憶されたものが半永久的に記憶され続けるということ。
「翻訳の翻訳」 私は、ウェブ日記が静物のような生き物であると思います。外観は運動を行っていませんが、変更は毎日遂行されます。共通の生き物との差は、記憶されたものが半永久的に記憶され続けると言うべきです。(@nifty翻訳使用)
「恋人はアクセサリー」 特定の女性とつきあう、もしくは特定の女性が配偶者になるということは贅沢なことだと思う。 それなのに人間というものには浮気心はつきない。(具体的な行動に移るかどうかは別として) 浮気をするということは、贅沢に飽きるという現象か。 では、贅沢さを日々感じ取り、特定の彼女、もしくは配偶者といい関係を築いていこうとする人はどうせうればいいのか。 私的には、相手の女性をアクセサリーだと思えばいいと思う。 聞こえが悪いだろうか。 どういうことか。 簡単に言えば、何かをしてくれる相手、使える相手だと思わないことが大切だということ。 基本、いてくれるだけでいいということ。 話をしてくれるだけでいいということ。 話を聞いてくれるだけでいいということ。 そう思える時が相手と一緒にいる時間の中に存在するということが、大切だと思う。 つまり、本当に相手が何もしないでずっと一緒にいることがいいというわけではないが、具体的な実益を伴わないにも関わらず、側にいてくれることがうれしいと感じることが大切だと思う。(さっきから大切という言葉を使い過ぎ) だから僕は、今後付き合う女性をアクセサリーだと思うことにする予定。 側にいる女性は生きているアクセサリー。 アクセサリーのくせに、時には炊事洗濯もするなんて、凄い。 アクセサリーは、身につけることによって自分のアイデンティティーを増させるもの。 そんなアクセサリー。 毎日磨いてやれるかな。 どこかに置き忘れることなく過ごせるかな。
「裏・恋人はアクセサリー」 女っていうのはわからない。 そりゃあ異性だから当然なのかもしれない。 わからないから、一緒にいたいと思うのかもしれない。 ミステリーと同じだ。 わかってしまえば、その価値は急落。 そういうことなのかもしれない。 違うのは、永遠にオチがわからないのが、女っていうこと。 まあオチのないミステリーもあるけどね。 だから、言い合いになったらどちらかが折れるしかない。 たぶん、分かり合えない部分もあるんだ、男女には。 時々、同じ人間であるということが信じられないと思う。 そんな時、僕は無意識に自分のアイデンティティみたいなものを守ろうとするのか、その相手を人間としてみないようにしている節がある。 所詮、女なんてアクセサリーなんだ、と。 馬の耳に念仏ならぬ、アクセサリーに耳などない、ということ。(なんじゃそれ) こんなこと言ったら怒られるかな。 女の人(言い方が変わってる)ってジョークが通じないところがあるからなあ。
―END―
2004年12月11日(土) |
僕の読書日記 My Reading Diary |
本屋で立ち読みした本について。
○「異形/北野武」 著者名がビートたけしでないところがポイント。 エッセイ集。 気になる部分を読んだ。 詳しいことは忘れたが、朝家を出る時、死んだ両親や師匠、黒澤明監督に線香をあげ、あなたたちが出来なかったことをおいらがやってやるから背中に乗んな、というようなことを思うというエピソードを読んで、涙が溢れてきた。 一目が気になるので押さえたが、家で読んでいたらポロポロと零していただろう。
○「工学部・水柿助教授の日常/森博嗣」 幻冬舎文庫。 本人がHPで、解説がとても楽しみな人だと書いていた。 さて誰だろうと本を開いてビックリ。 筒井康隆だった。 もう少しで<あっ>と声が出そうになった。 それは感動に近い衝撃だった。 特に文面からは、小説であろうがエッセイであろうが偽善的な要素が一切なく、ごますりや褒め殺しといったこともするがずがない筒井氏が、相当これを評価していた。 本編も人がマネできないような面白いものであるが、これは筒井氏の解説が相当一冊の価値を高めている。 少なくとも僕にとっては。
○「日経エンタテイメント! 2005年1月号」 エンタテイメントに関する情報雑誌。 松本人志の映画の感想のコラムを読んだ。 二つのうち、一つは『血と骨』についてであった。 この映画はビートたけしが主演なのだが、原作での主人公が関西人だったので、関西人の俳優に演じてもらいたかったと述べている。 関西人の松本氏からすると、少々江戸っ子のたけしには無理があったと映ったらしい。 しかし、ベッドシーンでのたけしの演技を観て、彼がいつのまにか本物の役者になっていたんですねというようなことを言って、評価もしていた。 星10つのうち、8つだったので、松本氏の評価としてはかなりいい方だ。 ずっと気になっていて、観にいこうか迷っていたが、近いうち観に行く予定。
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2004年12月10日(金) |
灰色の衝撃 A Gray Shock |
昨日に引き続き、バイト先に関する話を。
僕はとあるスーパーでアルバイトをしている。 午後の十時以降は、来店客数に比例して、レジは二人できりもりをしている。 昨日、僕はその時間、パートのおばさんと二人でレジを打ちながらも、暇な時は品出しのお手伝いなどもしていた。 そんな時、社員の人がレジにやってきて、一緒にやっていたおばさんに何か言ってたのだが、「女性じゃないと無理だから」という断片的なセリフだけを聞き取ることができた。 そしてそのおばさんは社員の人と共にどこかへ行ってしまった。 一体何が起こったのだろうとその時思った。 後で聞くと、万引きをした女性が、身体検査をされる際、「女性にやってもらいたい」と言ったので呼ばれたという。 なるほど、無理に男性の警官が身体検査をすれば、あべこべに職権乱用のセクシャル・ハラスメントで訴えられるというわけか。 なかなか勝ち気な犯人だ。 そういうプライドがあるなら、なぜ万引きなどしたのだろう。 バレた時のこと考える余裕がないような精神状況だったのか。 それ以上の考察はできない。
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2004年12月09日(木) |
クスクス The Onomatopoeia Emitted When It Thinks That It Is Interesting |
僕は大型スーパーでアルバイトをしている。 今日、バイト仲間(僕の誕生日にチョコレートの詰め合わせをくれた年下の男。他意はない。詳しくは11/18の日記を。本当は詳しくない)が、バイトが終わり、私服に着替えて店内で買い物をしようとしていた時のこと。 自分以外の客が視界に入った瞬間、反射的にこう言ったという。
「いらっしゃいませえ〜!」
一種の職業病か。
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ついしん 上の話は、彼が、バイトを終え、購入しようとしている商品を抱え、僕のレジへやってきて聞かせてくれたお話である。
2004年12月08日(水) |
読む手帳でもある Functional Fullness |
ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞。http://www.1101.com)内のほぼ日ストアで昨日追加販売された、<ほぼ日手帳2005>を注文した。 全国のロフトでも販売されているらしいが、ほぼ日ストアで注文すると、特典がある。 昨日は追加販売であったが、初回販売では注文された数だけ販売されるという方式だった。 だが今回は数量限定販売。(1万冊) 午前11時に予約受付が開始されたこの手帳、昨晩(12/08)の午前3時頃にほぼ日に訪れると、<ありがとうございました!>の文字が。 一日もかからず売り切れ御免である。 さすが数量限定販売。 僕はマンゴー色の手帳を予約しました。 届くのが楽しみ。
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ついしん イトイ的なものが好きだ。
2004年12月07日(火) |
今更の感のある話題 Animal Fortune-telling |
中古の本を売っている店で、動物占いの本が50円で販売されていたので購入した。 その本で、11/30の日記に登場した友人との相性を確認した。
僕は象で、彼は狼。
【対人関係・いい感じ指数】というのがある。 81〜100はバッチリ意気投合。 61〜80は話していて楽しい。 41〜60普通の友達感覚。 21〜40は無関心。 0〜20は合わないと感じる。 0未満は天敵同士。 だそうである。
僕からみた彼との指数は1。 彼からみた僕との指数は-5。 だそうである。 確かに、まだ僕のほうが彼を理解しようと努めている。
詳しくは「人間まるわかりの動物占い/ビッグコミックスピリッツ編集部」を。
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2004年12月06日(月) |
感想 About The Program “Recommendation Of Bakushoumondai” A Broadcast Today |
「爆笑問題のススメ」を観ての感想。 ・確信犯的にやっていることは、と聞かれた真鍋が、<下ネタ好き>と書かれたフリップを出し、ゲストの「ベルバラ」の作者の人にそのことを褒めらた彼女が、調子に乗ったのかピースサインをした姿をみて、こいつは大物だと思った。
・<テロに屈しない>と各紙に書かれているが、どれほどの覚悟をもってそう言っているのか、と太田が発言したが、確かに僕も、その表現には一部の若者が安易に<戦争反対>と言っているのに似たものを感じる。
・男女平等と言うからには女性も覚悟をしなければいけない、というようなことを「ベルバラ」の作者が言ったが、全くその通りだと思う。言っちゃあ悪いが(なら言うな)、女性でそのことを把握していないまま、声高らかに男女平等を唱えている人はみっともない。男性との生物学的な違いによって生じる差別は必要なのだ。
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2004年12月05日(日) |
言葉の記号化現象2 The Symbolization Phenomenon Of Language2 |
バイト先の休憩室で休憩をしていると、仕事が終わって帰宅する人がバッグを取りに来ることがある。 そんな時、特に主婦の人たちは、去り際に僕に、つまりまだ仕事がある人に対して頑張ってと声をかけてくれる。 個人的に<頑張る>と言う言葉は好まないが、そういう時に言われるそれは好ましいものだ。 このよく使われる<頑張ってね>という表現、とうの昔に記号化してはいるが、僕にとってはその言葉の意味よりも、言ってくれたということ自体が重要なのだ。 つまり、記号化している言葉には、相手に構えさせることなく気を使える機能があると言える。 言葉には、その意味以外にも伝わるものがあるのだなと思う。
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2004年12月04日(土) |
意外なメンバー M-1 Grand Prix 2004 |
麒麟が、スピードワゴンが、アメリカザリガニが、りあるキッズが・・・ M−1グランプリ2004の決勝に出場を決めたメンバーは、去年のメンバーとはガラッと変わっている。
東京ダイナマイト(オフィス北野) アンタッチャブル(人力舎) タカアンドトシ(吉本興業 東京) 千鳥(吉本興業 大阪) トータルテンボス(吉本興業 東京) 南海キャンディーズ(吉本興業 大阪) POISON GIRL BAND(吉本興業 東京) 笑い飯(吉本興業 大阪)
以上の八組が、2004の決勝メンバーである。 私的に誰やねんと思うのが三組いる。 さすがにアマチュアはいないか。 千鳥が生き残ったのは、意外であった。 アンタッチャブル、笑い飯は去年の最終決戦に残った二組なので不思議はないが、他は皆、新しい人たちばかり。 松竹のコンビがいなくなった変わりに、オフィス北野の所属している芸人が出てきたのは意外だが新鮮でいいことだ。 一つ気がかりなのは、今回の八組のメンバー、花がなさそうということ。 その分、実力で勝ちあがってきたことは言うまでもないだろう。
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2004年12月03日(金) |
安心ワーズ CM On Which Kiyosiroh Imawano Is Appearing |
<幸せになりたいけど、頑張りたくない> そう歌っているのは、あるCM内の忌野氏。 あ、こんなこと思ってもいいんだ、と思うと、ふと変に入っていた力が消え、自分ではそう思っていないのに他人からは頑張っているように見えるような自然な力が出せそうな気がした。 名言である。
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2004年12月02日(木) |
落葉集め Collected Fallen Leaves |
無数に点在する落葉 それらを路上でかき集める一人の女性 いくつかの場所で、集められた落葉が低い山を形成している それらの山々、一度強風が吹けば、またたく間に跡形もなく消えてしまうだろう そしてまた、点在する落葉 まるで我々人間のよう 落葉は人間、風は時間 では一体、誰が僕と家族を、そして友人や大切な人々を引き合わせたのだろうか それを運命と呼ぶのだろうか では、落葉をかき集めていた女性は、運命
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2004年12月01日(水) |
整理整頓 Arrangement Order |
自分のテリトリーを自分で整理整頓してこそ、本当の整理整頓であると言える。 家族といえども他人がそれを行えば、それは本人からしてみれば散らかしているのと同様である。
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