さそり座:総合運99点 今日、あなたが出会う人によって、今後のあなたの運命が変化してくるでしょう。そして、今日は異性と親密な関係を築くことができます。
と、ヤフーの今日の占い、というのに書いてあった。 でも、誰とも出会ってない。 どうしてくれるんだー!(どうもしてくれないだろうけど言ってみた)
新コーナー(もともと決まったコーナーなどないが)「N氏とF氏のタリタラロケンロール ナリキリカレントーク」 【テーマ:知能犯】 N氏:いやー、ほんまにどこの世界にも賢い奴ってのはいるもんねぇ F氏:え?なんで私何も意見してないのに、<いるもんねぇ>と言い張るのですか?誰もいないとは言ってませんよ N氏:違うがな!<いるもんねぇ>ってのは、<いるものだねぇ>という意味よ F氏:あぁ、そっちですか N氏:そうですよ、そっちですよ。あんた、言葉丁寧なのに変な解釈する人ねぇ F氏:申し訳・・・ N氏:それにしても・・・そうそう、知能犯、知能犯の話題に戻りますよ F氏:はい N氏:まぁね、そう、どこの世界にも賢い奴がいるもんでね、そういった賢さを悪いことに使う人間がニュースでときどき話題になるでしょう? F氏:そうですね、本当は頭良いのにわざとテストの点を悪くする人とかいますよね N氏:そんな奴いる?なんでわざと悪くする必要が? F氏:必要はないんじゃないですか?ただ点数の悪いテストが見たかっただけじゃないですか? N氏:ぜいたくなやっちゃな(奴だな) F氏:他にも「悪いんですが、○○商事に行くにはどうすればいいですか?」と聞く人なんかもそうですね N氏:それのどこが? F氏:いや、○○商事ってのは、有名大学卒の人間しか入れないエリート集団の会社なんですよ。そこに勤める人間が、「悪いんですが」ってね、律義な悪い奴ですよね N氏:それは律義な悪い奴というより、単なる律義な人でしょ!道を聞くのは悪いこととは言えないんじゃないかい?それになんで○○商事に勤める人がそこの道他人に聞いてるの?バカじゃねえか? F氏:あぁ、賢さを悪いことに使う奴でなく、賢いんだか頭悪いんだかわからない奴の例えでした。すみません。 N氏:そうだろ?まぁね、そう、だからね、例えはもういいけど、そういう知能犯ってのがいるじゃない、話戻すけど F氏:はい、たとえば・・・ N氏:いいって例えは! F氏:すみません。ちなみにこの場合の例えは道で他人と肩がぶつかり合った場合における、相手への「すみません」と同じくらいのすみませんです N氏:意味ぃわからんよ!話を逸らさないでくれよ、な?私が言いたいのはね、知能犯ってのは、何故逮捕されるリスクを背負ってまで、悪いことをするのかねぇ?ということなんだよ。賢いんだったら、まともなことしてお金を稼げばええやない、と思うんよね F氏:そりゃ、悪いことしてる際のスリルがいいからやるのでしょう N氏:なるほどねぇ、って、あんたわかってるじゃない!
「N市の市民の集合体」 N市の図書館に行くと、そこにはN市の市民がいる。 僕もN市の市民だ。 ほぼその市の市民だろう。(例外もあるだろうが高い確率でN市の市民だろう) 職員は別として。 利用者はいろんな年代の人たちがいる。 それでも皆、きっと同じ市の市民なのだろう。 N市の市民、というテーマにおいては、その図書館の利用者は、一つの集合体であると言える。 僕は、ほぼN市の市民の集合体を見渡して思う。 (うわぁ) (混ざれ混ざれ、他のところからも来い!) なんとなく、そう思う。 こんなことを思う私は変だろうか?
―END―
2003年10月30日(木) |
監督、脚本、タランティーノ |
先日の日記でも言った通り、クエンティン・タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」は、すこぶる痛快な映画で、人に一度観てみれば?とつい薦めたくなる映画の一つだ。
amazon.co.jpの「パルプ・・・」に対するカスタマーレビューが面白いので、いくつか載せておく(五つの星のうち、★が多いほど評価が高い) 誉める人はとことん誉めちぎっているのが、この映画の魅力が成せる技だろう。
★★★★★ 誰でも一度は見て欲しい レビュアー: midochan 作りも、複雑ではあるけどわかりやすい一貫性がある。 時間が前後したり焦点がくるくる変わる構成は 最近だとスナッチがあるけど、キャラの魅力や全体の美学において パルプフィクションにはかなわないでしょう。 ジャンキー達の描き方も、下品じゃなくて魅力的だし MIAは抜群に可愛い。
★★☆☆☆ アイディアとセンスは好きですが。。 レビュアー: にわか読書人 うーん。。 多くの方に好まれていて恐縮なのですが。。 正直、長時間のストーリテリングとしては凡庸だと思います。 コラージュの手法も上手く融合せず、テンポとリズムもダラダラ。 タランティーノ氏はオリバー・ストーンの「ナチュラルボーンキラーズ」 の脚本も書かれているのですが、オリバー・ストーンが、 「このままではまともな作品にならない」と判断したらしく、 それをほとんど書き直してしまった、とのエピソードを聞いた事が あります。 題材のセンスやアイディアは大好きなんですが。。 残念です。
★★★★★ 物語の重要なポイント レビュアー: 中田 新也 確かに賛否両論ですね、この映画については。まあ僕は大好きなんですけど。。。僕がおもしろいと思うところで、誰もレビューとして書いてないことを書きます。
VINCENTとJULESがスーツケースを取りに行き発砲された後の結果がこの映画の重要なポイントとなります。流れとしては最後のレストランで朝食を取りながらの会話につながり、ミラクルか偶然かで2人の意見が違います。でもその後偶然だと言い切り仕事を続けた方は結局残念な結果が待っています。仕事を辞めた方はBUM(浮浪者)と言われようが死よりベターな生活を送っていることでしょう。 とにかく2人のレストランでの哲学的な会話と2人のキャラクターの違いがこの映画の最もおもしろいポイントの一つだと思います。
★★☆☆☆ タランティーノにしては・・・ レビュアー: abasois タランティーノの作品は好きだがこの作品はあまりお勧めしない。 複数のストーリーがありそれぞれに関係している。時間軸がばらばらでわかりにくい。 ガイ・リッチーが同じようなことやっているがそっちのほうが面白い。 タランティーノの作品ではレザボア・ドッグスがお勧め。
★★★★★ 文句なし レビュアー: gatherpoint まずカッコイイの一言! 久々スクリーンに戻ってきたジョントラボルタを踊らせたり、 ブルースウィリスに日本刀持たせたりと名場面が散りばめられています。 一つ一つの場面や会話に意味を求める人にはこの映画は全く理解不能でしょう。 時間軸がばらばらになったエピソードが最後に一つにまとまっていく様は圧巻! 音楽もサイコー!
★☆☆☆☆ うーん?? レビュアー: とーの 意味がわからん。気抜いてみてるとまじでわからん。時間も交互してるし、もっかい見直さないとストーリー自体もさっぱりのままだわ。しかし、あまりにも疲れ果てて2度目を見る気がおきない…。周りでは評判いいのになー。うーん。なんでだろー??
★★★★★ 面白いの一言 レビュアー: lucid とにかく構成が凄すぎる。 時間軸操作が絶妙で、全体として3つの ストーリーのオムニバス形式なのだが、 単なるオムニバスではなく、3つの話の内容、 登場人物がそれぞれに関係性を持っており、 さらに一つのエピソードが単純に連続していなくて メチャクチャに分断されているので(といっても原型が なくなるほど粉々ではなく、壊し加減が計算されている) 次の物語の展開が読めず、こんなところに話がつながるのか?! と何かノベル系のゲームをやっているような感覚に陥る。 暴力表現が多少遊戯化しているあたりで好き嫌いが別れるかもしれない。
★★★★★ 宣伝コピーははったりではなかった レビュアー: しげのり この映画を観た時の衝撃は忘れられない。エンドタイトルが流れ始めたときのなんともいえない切なさ(終わってほしくない、ずっとこの世界の中に浸っていたい、という気持ち)を記憶している。
その後1ヶ月ぐらいは、頭の中は”パルプ・フィクション”1色であった。”レザボア”を観たときは、新人監督の第1作としては素晴らしい出来で、まあこれ以上のものは期待できないだろう、と思っていたのだが、”パルプ”はその予想をはるかに上回る、まさに映画の宣伝コピーであった”20世紀にとどめをさす”これまでに出会ったことのない斬新な作品であった。僕の30数年の映画人生においても、ベスト3に入ることは間違いない作品である。
★★★★★ そうなんだよねぇ・・・ レビュアー: blitz この映画、本当に「好き」と「嫌い」がバキーッと分かれますね。実際友達に貸して「なんだったのこれ?何が言いたいかぜんっぜんわからんし」といって突っ返されたことがありました。とっても残念…。何でこの面白さが分からないんだろう?かくいう私はビデオもDVDも本(スクリーンプレイの)もサントラCDも持ってます。マニアですね
どういう人がこれを見て「いい」と思って、どういう人が「ダメ」と思うのか未だに分かりません。ある意味謎が深い作品です。さて、あなたはどっちでしょう?
★★★★★ 映画史上最高傑作 レビュアー: hoa1977 昔、某携帯電話のCMにタランティーノ監督出ていましたね。「しゃべりタランティーノ」っていいながら電柱登って。その頃は、タランティーノの作品見ていなかったので、「なんだこのあごしゃくれたおじさんは」って感じでした^^;
さて、この「パルプ・フィクション」ですが、若い私には、最初結構難しい映画でしたね。話が前後したりシャッフルするので頭がついていなかなくて・・・。でも二回目みたらがしっとはまってしまいました。それからは、もうひたすらタランティーノの作品見まくりました。「こんな本数ではタランティーノ。もっとみたいーの」(この口調では間寛平さんですな・・・) まー、とにかくユマ・サーマンのかっこいいことといったらないですね。 とにかく映画オタクのタランティノ氏は細部に志向をこらしていますので、見るたびに新しい発見があります。これはぜひDVDを購入して何度も見たほうがお得ですよ
★★★★★ タランティーノのマニアックな快作! レビュアー: cke62570 ひとクセもふたクセもあるキャラクター達か織り成すドラマが、時を前後して絶妙に絡み合い、時には重なり合う。というと、「ショート・カッツ」などのR・アルトマン作品のようだが、そこはタランティーノの監督作。人間の悲喜劇を描く、なんて斜に構えずに得意のバイオレンスとキレたユーモア、パワフルなラブ・ストーリーを散りばめて、何が起こるかわからないスリリングな娯楽作に仕上げている。
特に、B・ウィリス扮するブッチのエピソードは格別の面白さ。ブッチと彼を追うボスが変質的な質屋に監禁されるシーンでアブないギャグを飛ばしつつ、きちんとハッピーエンドに持っていく辺りが笑える。全体的にはタランティーノの作品の中で最も”監督の趣味丸出し”的なノリが強いので、それについて来れるかが評価の分かれ目だろう。
★★★★★ オープニングかっこいい! レビュアー: sleepingjackal 冷静になると、これって凄い豪華キャストですよね。 ジョン・トラヴォルタ主演(だよね?)で、サミュエル・ジャクソンに、 ユマ・サーマン、ハーヴェイ・カイテル、エリック・ストルツ、 5分程度のクリストファー・ウォーケンに、妙に若くてティム・ロス、 忘れちゃいけないタランティーノ本人に、我らがダイハード、ブルース・ウィリス。
DVDの特性をいかして、「ちゃんとした時間軸パルプ」もやってみてほしかったですね。
ストーリーらしいストーリーがあるわけでなし、 激しいアクションがあるわけでなし。 全編繰り広げられるのは、くだらない会話会話会話。
タランティーノ好きな人には最高傑作でしょう。バイオレンスコメディ
★★★★★ 私のベスト1です! レビュアー: kirara1010 初めてこの映画を見たとき衝撃が走りました! 複雑に絡み合い、最初から最後まで息の抜けない ストーリー展開!これまで見た映画の中で一番 ドキドキさせてくれた一本です。 この映画がきっかけでタランティーノのファン になりました。ぜひレザボアドッグスも見てくださいね!
★☆☆☆☆ 最初の10分でやめました レビュアー: tahahiyo 最初の10分で見るのやめました。意味も無く(若者が何かに反抗するという意味があるのかどうなのか知りませんが)人殺しをするシーンに不愉快な気持ちがしました。本当の殺人を知らない人の作った観念的な映画なのでしょうか?よく分かりませんが不愉快でした。
★★☆☆☆ どこが面白いのかわからず レビュアー: D.IKUSHIMA ネットでやたら評判がよかったので見てみたが、ありゃりゃ。 私には合わないのか。 ノリがカッコいいのは認めるが、全然面白くない。 複数のストーリーが絡み合っているようで、 それほど綿密な脚本にも思えなかった。 あと、無意味な長い時間見なければいけないのも辛い。
★★★★★ 時計をそんな場所に隠すな! レビュアー: murderjunkies タランティーノはかつてインタヴューでこう言っていた。「全ての人にウケる映画を作っているわけじゃない。特定の人々にウケる映画を作っているんだ」
「レザボア・ドッグス」そしてこの映画以降、黒スーツでやたらに拳銃を乱射する「クライム/ノワール」と称する映画や小説が雨後の筍の如く現れた。誰もが「ノワール」「タランティーノ」の名前やたらに持ちだすようになった。しかしそんな「後追い」とタランティーノが決定的に違うのは、そのルーツの深さだと思う。「レザボア」だっけ、こんな台詞があった。「やめろ!お前、ポール・カージーのつもりか!!」「アン・フランシス?そりゃ『ハニー・ウェスト』だろうが。」タランティーノの作品中には、色々なモチーフが現れる。ジム・トンプソン、モア・レナード、エドワード・バンカー。そしてチャールズ・ブロンソンからセクシーな女探偵、黒人映画、果ては時代劇まで 飲み込んだその「オタク魂」がただの「オタク」で終わらなかったのは、彼にはそれを「スタイリッシュな作品」に昇華(消化)する感性が備わっていたからに他ならないと思う。そんなタランティーノの気合漲るこの作品。何度でも楽しみたい。惜しむべきはこのDVD,英語の字幕が付いていない。それだけが残念。
★★★★★ タランティーノの映画マジック!最高におもしろい! レビュアー: 街道を行く これほどの映画は滅多にあえないと思います。 タランティーノの映画作家としての才能が開花した傑作だと思います。 「映画」という平面的なメディアに「空間」「時間」といった要素を盛り込んだ仕上げになっています。 物語は、それこそ、ちょっとした話が次々と進行していくわけですが、この話が実に巧妙に、そして立体的に現されます。
最初見た時には、本当にビックリしてしまいました! DVDは「あれっ」と思ったり、ちょっと前まで遡って見てみたい時、便利です。一回限りでは、タランティーノの仕組んだトリックを見破れないかもしれません。 映画の大好きな人には、たまらない演出だと思います。
★★★★★ 歴史に残る名映画…かも。 レビュアー: ランゲルハンス島で会いましょう。 タランティーノの作品では無遠慮に血が流れ無作法に銃が乱射され犬のようにヒトが死にます。その点で「暴力映画」という部類に入るかも知れませんが、しかしそう言って敬遠するには勿体無さ過ぎる秀作です。私は13,4歳のときにビデオを借りてきて見たのですが、音楽、ダンス、映像、全てがアメリカ・アメリカしていて、しかもそれは公開数ヶ月で大きな利益をうむけれど数年したら話題にも上らないようなアメリカ映画とは明らかに異なっていて、なんというか…カッコイイ。馬鹿みたいですけど。それまでバイオレンス系はヒトが死ぬだけで下らないと思っていたけれど、パルプを見て、どんなジャンルにも芸術的価値に優れる作品は有るんだなと気付かされました。小物や服装も凝っていてかなりお洒落なので、暴力映画はちょっと…」という女性にも是非見て頂きたい映画です。タランティーノ以後の(特に若手が作った)映画は映像なりなんなりこのヒトの洗礼を受けていることも多いようなので、それぐらい偉大と考えてヨロシイでしょう。
★★★★★ みなさん気が付きました? レビュアー: マカロニサーフボード この映画を初めて見た時は、まさにカルチャーショックでした。この時期少し低迷していたジョントラボルタがこの映画で見事に復活。すばらしい演技です。個人的にはタランティーノ自ら出演している”ボニーの一件”が好きです。タランティーノが着ているバスローブは、よりリアリティーを出すために、映画の撮影中本人がずっと着ていたそうです。ところで、ハニーバニーがファミレスを襲撃するシーンが映画の初めと終わりに出てきますが、同じシーンなのにセリフの最後が少し変わってる所なんかタランティーノらしくていいです。
★★★★★ 全て面白いです。 レビュアー: kazumix この作品は観る人によって面白いポイントが違うと思います。私的には、えっ!?ここでこうなっちゃっていいの??という無茶苦茶なストーリーと、全編を通じての時にクールで、時に間の抜けた(登場人物は至って真剣なんだけど、)会話がたまりません。また、どうでもいい各エピソードが絡み合って、全体の更にどうでもいいストーリーが出来る展開や、これ以外の並び順はないでしょといえる時間の並べ替えの構成も最高です。気に入らない人は二度と観ないでしょうけど、気に入ったら多分全ての台詞を覚えるほど何度も観るでしょう。
★★★★★ 素敵!! レビュアー: hys ヴィンセントとミアのダンスが最高♪ 結局あのトランクの中身は…?
★★★★☆ 構成が最高!! レビュアー: a_ichimura この作品はタランティーノのカルト的な部分もあるが、 何よりもモノすごいストーリー構成にある。 途中で主人公が死ぬ映画って信じられます? それでも全編、出来ちゃうんです。
★★★★★ タランティーノ最高傑作 レビュアー: アンドリューマッカーシー 何度観ても新鮮。かっこいい。完璧なストーリー展開。大好きなシーンは、ウマ・サーマンとJ・トラボルタのデート。(シーンはトラボルタが迎えに行くところから始まる)彼女の着ていた、白いシャツに黒のベルボトムパンツを合わせ爪は超短く色はシャネルのバンプ(あの頃はみな、血豆色って言ってたな)ってファッションが超クール。 考えてみれば、この作品から、時系列を入れ替えたシーンを展開する映画が多く作られるようになった。でもどれを観ても安っぽいフェイクに見えるし、どことどこをパクッているか分かっちゃう。完璧な脚本、計算されたB級感、超個性的なキャスティングでは、パルプフィクションには叶わないね。
★★★★★ タランティーノ最初で最後の大傑作!! レビュアー: みと 各々の出演者に全く無駄がなく、それぞれのエピソードで主人公を演じ、それぞれのストーリー自体も素晴らしい。それらを何の違和感もなく繋げるシークエンスの上手さ!そして、全作品を包むパルプな(かる〜い)B級BGM。大傑作である。タランティーノはもうこれ以上の作品は作れない、と思うのは俺だけだろうか…。横断歩道を渡るビング・レイムズが車を運転するブルースと出会った際に呟いた、”マザーXxxカー”は、映画史上にのこる”マザーXxxカー”だと思う(笑。
★★★★★ あたしのbest movie レビュアー: midochan タランティーノ作品の中でも一番好き。 Miaがかわいい。ジャンキー達の描き方も抜群に綺麗だし、 かわいげもあります。 時間が前後したりシーンの焦点が変わって繰り返されたりする設定は、 最近だとスナッチがあるけど、パルプフィクションのごちゃまぜ感と、 一貫性の微妙なバランスにはかなわないでしょう。
★★★★★ 名作! レビュアー: サルヲ 実は私は90年代を最も代表する作品とはこれではないかと思ってます。セリフもセットもキャストもすべて。何度も繰り返して見たし、どのシーンから見てもいつも新鮮な感動があります。ぜひともDVDで欲しかったので、早速買わせていただきます。
・・・とまぁ、こういった感想です。 ★1つや2つの人の感想が面白いですねぇ(笑) なんだ、コレ!?って感じなのでしょう。 たまに比較される「スナッチ」は、僕は駄目な質でした。 が、これは好きです。 こっちの方が、シンプルで味わい深い気がします。 本当に好き嫌いが分かれる映画だと思います。 未見の人が、★5つの人の熱のこもったレビューを読んで期待して観ると、案外肩透かしを食らうかもしれません。
冒頭に、これから自分たちが今コーヒーを飲んでいるファミレスで、強盗をしようとするカップルが登場する。
ハニー・バニー:好きよ パンプキン パンプキン:俺もだ ハニー・バニー ・・・ パンプキン:皆騒ぐな!強盗だ! ハニー・バニー:ちょっとでも動いてごらん!一人残らず 脳ミソふっ飛ばすわよ!
好きよ、とか、俺もだ、とか言う前に、2人は散々強盗の計画のことについて話し合っていた。 そして決意を固めたカップルはすぐに行動に移ったのだ。 もうその、変わりようといったらない。 好きよ、とか言い合ってると思ったら銃持って叫んでる。 女のハニー・バニーがありったけ<ファッキン>という語を駆使してわめき散らす。 そして、脳ミソふっ飛ばすわよ!の後、一瞬映像がストップモーションになり、有名なテーマ曲が一気になだれ込むように鳴り出し<MIRAMAX FILMS PRESENTS>という黄色の文字が、黒バックにのる。 そういった物語の滑り出から、この映画は粋である。 もうこれは映画でしか表現し得ないものだと思う。 みなさん、機会があったらぜひ。
―END―
2003年10月29日(水) |
おしりはヒップ、彼らはキュート(過去の映メモつき) |
「赤ちゃん」 赤ちゃんがかわいいというのは、何がかわいいのか? ぬいぐるみと同じで、二頭身に近いところがいいのか? 確かにかわいい。 幼いというのがキーポイントだろう。 同じく(同じにしていいのか怪しいが)ペットとしての犬などもかわいい。 そういったものがかわいいと感じるということは、明らかに対象が自分の手中にいるものがかわいいと思うということだろう。 部下がかわいい、子供がかわいい、という人たちはいるだろうが、そうすると、彼らは部下なり子供なりが、絶対自分の手の中にいるような存在として認識しているということになる。 部下なり子供なりを、そういう風に見ていると、当人らもそう見られていることに気付くだろう。 そうすると、上の立場だと自身が思っている人に対して、彼らは疎ましいように思うだろう。 相手に対してかわいいと思う場合、その相手が身近な人物で、更に赤ん坊でない場合、気をつけた方がいい。 いい関係が築けるとは思えない。 築く気がないならいいが。
「迷う」 きっと迷うでしょう、これからも。 たとえば二つのカップがあり、どちらかを使う場合、私はそれらのうちの一つを選択しなければいけない。 選択するということは、迷うことと似ている。 ということは、年中迷っている私たちがいるということである。 たまに瞬間的に物事を把握し、迷うことのない自分を感じることもあるかもしれないが、それはそれでいいのか?という迷い、不安が少なからず生じる場合がある。 そんな迷いさえも生じない場合もあるが、だからいいとも限らない。 限りなく迷うことがなくなっても、それが合っているかはわからない。 きっと人は迷うのが好きなのだ。 きっと好きになったのだ。
「母」 母が、アメリカ人はガッツ石松みたいな顔の人間が日本人の象徴のような顔であるように、ハリウッド映画などを通じて想像するが、それは失礼な話だという。 そういう母も、ガッツに失礼だ。 ガッツに失礼だ、という僕も、母の自由な意見を尊重していないという点で失礼かもしれない。 これを失礼の連鎖というのだろう。
―END―
【映メモ39】 2003年9月23日 「世界中がアイ・ラブ・ユー」を観た。 尺が短いのが良い。 もちろん良さはそれだけではない。 詳しくは9/24の日記にて
【映メモ40】 2003年9月24日 「ハッシュ!」(邦画)を観た。 シビアでキュートな、新しい家族ドラマ!
【映メモ41】 2003年10月6日 「座頭市」(監督、主演:勝新太郎。89年)を観た。 「たけし座頭市」vs「勝新太郎座頭市」 判定は・・・ 「たけし座頭市」!
【映メモ42】 2003年10月12日 「ライ麦畑を探して」を観た。 主人公はサリンジャーのそれの主人公に憧れて、知り合った彼女と一緒にサリンジャーに会いに行くのだが・・・ 悲しくも何かを得ただろう主人公の青春ドラマでした。
【映メモ43】 2003年10月17日 「スタンド・バイ・ミー」を観た。(劇場にて) 確か、86年かそこらの映画です。 ということで、格安(500円)で上映。 最高でした。 洗練された、青春映画でした。 100分もないのが信じられないくらい、濃密な時間でした。 詳しくは10/19に書く予定。
2003年10月28日(火) |
テンポとミュージック |
映画とは何だろう? 何でもいい。 個々の創り手が、それぞれに的確なビジョンを持っていれば、何でもいい。 少なくとも、それは映像と音(セリフ、効果音、ミュージックetc・・・)で成り立つものである。 もっと言えば、映像があり、音があれば(もしくはなくても良い)、ストーリーがなくても成立する。 また、言葉を変えれば、映像にさえ拘れば、映画には個性が生じる。 あとは味付けである、とも、大胆ながら言える。 バランスは必要だが。 よって、味付けも重要である、と一応言っておけば、もっともらしいだろう。
大抵、映画を観る場合、前もってどんなものかを知ることになる。 ストーリーはともかく、あらすじくらいは目にしたり、少なくともジャンルはどんなものか?くらいは気にして選択する。 みなさんはどのような好みがあるだろうか? 人それぞれだと思う。 今更語る必要も無いが、映画には様々なジャンル、いや、ジャンルでは括れないようなものもあるし、とにかく映画の数だけの映像世界がある。 が、最近の映画には個性が感じられないし、あったとしても、どういうところを観客に楽しんでもらいたいか、というのがはっきりしない映画が多い。 あったとしても、皆かぶっているのである。
昨日観た「Kill Bill」、好みが分かれる映画だろう。 どうやらR−15指定らしい。 それもそのはず・・・(以下一部省略)。 監督はクエンティン・タランタィーノ。 今回が四作目。 二作目の「パルプ・フィクション」は、カンヌで最高のパルムドール賞を受賞。 ビデオでそれを観た時、(こんなものがカンヌで最高の賞になるなんて、カンヌも心が広いなぁ)と思った。 つまらないのによく選ばれたなぁ、という意味ではない。 賞に選ばれる映画と聞くと、大抵シリアスな人間ドラマを想像する。 が、「パルプ・・・」はそういった映画とはかけ離れた、内容はまさにパルプ・フィクション(三流小説)なものである。 ではなぜ、そんなのが賞を取ったのか? ひとえに脚本、編集、音楽のおかげである。(ひとえではなかった) 脚本がいい、というのは、構成がいい、ということである。 三つの独立した物語が時系列に沿って描かれるのでなく、あっちこっちに飛ぶ。 編集の緩急がある。 音楽が抜群にいい。(と筆者は思う) それ以外に特にいいことはない。 話はバカバカしい。 だが、そのバカバカしさも、いいと言えばいい。 時間が長いのに、あまり気にならない。 見終わって、何も残らないような映画だ。 あれは何だったんだ・・・というようなものである。 しかし、面白い映画だった。 映画としての面白さで言えば、ベスト10に入れてもいい。
「パルプ・フィクション」を思い出して感じた。 映画って言うのは、ストーリーではなく、テンポなんだ!と。 小説よりも、テンポを押し付けるメディアなんだ、と思った。 字を読ませるよりも、映像を見せるというのは、受け手には負担である。 小説は、読み手が想像するという自発的な面があり、その分押し付けがましくない。 が、映画はストーリーに加え、映像も見せるのだ。 かなり押し付けがましいメディアだ。 だから、そこでテンポが重要なのだ。 ずっと速ければいい、ていうものでなし、じっくり見せればいい、というものでなし、である。 はっきりいえば、ストーリーが単純であるほど、映画には都合がいい。 受け手が考えている間にどんどん話が進み、話がこんがらがってくるような映画は、受け手にテンポを感じさせない。 そもそもカオスなところを味わってもらうのが目的のものは別だ。(キューブリックの映画とか) スピルバーグの「激突!」なんて、話はいたってシンプルだ。 ただ一台の乗用車が、タンクローリーに追い回されるだけの映画だ。 オチらしいオチさえない。 なのに案外評価が高い。 「激突!」で言えば、あの手この手で、観客をハッとさせる演出が、最後まで効いていた。
映画はストーリーを語るものではない。 形を見せるものだ。 そう、形と捉えた方が良い。 ワンショットの長さ、画、音、そしてそれらの繋がりによって映画は形成される。 ストーリーに拘ると、画が似たようなものだらけになる。 映画は見せるものだ。 何を物語るか、でなく、何を見せるのか、をもっと考えた方がいい。 もちろん、ストーリーとの兼ね合い、バランスは、うまくとらなければいけない。
「Kill Bill」は、まさにシンプルなストーリーを痛快なミュージックとテンポで見せ切った、映画らしい映画だ。 映画らしい映画とは、見せて魅せる映画のことである。 どんなものを観客に見せるのか? どうやって興味をもってもらうのか? そういったコンセプトがしっかりしたもの、そして独自のものであるものが、僕は、映画としては面白いと思う。
結局言いたいのはこういうことだ。 タンランティーノ作品は、話がどうってことないのに、面白い。 彼は映画らしい映画を創る希少な監督である。 映画好きとしては、オススメの監督で、特に「パルプ・フィクション」がオススメだ。 話が難解でないから、見やすいのも、普段観ない人にはいいだろう。
―END―
2003年10月27日(月) |
今日のテーマは、「おやじギャグ」です。 |
おやじギャグ。そもそもおやじギャグという言葉が,ギャグ自体やおやじと呼ばれる年代の人に対して失礼だ。つまらないものの代名詞のようなイメージがついてしまっている。たしかに大抵のそういったギャグはつまらない。それらは、得てして面白いとかつまらないという評価が下されやすいが、そんなものは必要ない。僕は、それらには、句読点と同じような機能を持っているように感じる。ただ、自分にとって読みやすい文章には、効果的な位置に句読点が打たれている場合がある。そういった文章は、読み手に心地よさを感じさせるものである。それと同じで、いわゆるおやじギャグは、音の響きの面白さが心地よく、それを聞くとホッとする効果があるように思う。文中の句読点に誰が笑うだろうか?それ自体が面白くないのと同じで、ギャグ自体の面白さなんてどうでもいいのである。しかし、稀にそれを兼ね備えたものはある。要は、僕が感じるおやじギャグへのイメージは、世間のそれよりも価値のあるものである。と言っておけば、今後どんなにつまらないギャグを言っても、自分は悪くないんだといういいわけくらいにはなる。
―END―
「太田光の名言」 とにかくバトンは渡されました。青島さんの左手から、石原さんの右手に。
これは某番組で、丁度石原都知事が当選した頃に発表されたコラムの中の一文です。 ちなみに、このコラムは『バトンタッチ』というタイトルでした。
―END―
「現れた音」 コンクリートの上に砂がまばらに散っている。 そこを僕の運動靴が乗る。 ギシギシと音が鳴って、気分が悪い。 あぁ、砂とコンクリートが擦れているんだなと思う。 擦れるとこんな音が出るのかとも思う。 なんで音が出る? 何を伝えるため? 喉の一部分を震わせ、空気に乗せて、相手に信号を送る。 それには個人の意志がある。 相手に何かを伝えたいという。 ただ、僕にはコンクリートの上の砂を踏んで誰かに何かを伝えたい、というのはない。 ないなぁ。 ただ誰の意志にもよらない音が、そこには現れた。 その音が。
「この指にとまる僕たち」 ずっと一人だ。 生まれてこのかた、僕はずっと一人。 何にも変わらない。 例えばちょっと習う前よりはピアノがうまくなったりはしたけど、今はもう弾かなくなって下手になってるだろう。 そうやってちょっとずつ自分の能力に変化はあるけれど、基本的には変わっていない。 よく、<今の俺はあの時の俺じゃない>って言う人がいるけれど、(そういうセリフを何かの物語で聞いただけかもしれない)今も昔もその人は<俺>には違いないわけなのか・・・という冗談は置いておいて、とにかく本当に違うのだろうか?と疑わざるを得ない。 そんなに変えなければいけなかったものを人に宣言までしておいて、 もし変わってなかったらどうするのだろう? 大袈裟だな、と思う。 変わった変わったって、そんなに気安く言うもんじゃ焼き。 しまった、ついつい<もんじゃない>って言おうとして、これだ。 そう、とにかく・・・考え方がたとえ変わろうと、僕自身が変わるわけじゃない。 頭痛がしなくなっても、頭痛があったことは覚えているし、忘れても僕は僕だ。 何が変わっても、僕は僕なんだ。 僕は一人なんだ。 だから、僕は自分の指に自分の存在の全部をとまらせるんだ。 その指にとまれるのは僕だけなんだ。 これって結構贅沢なことかもしれないけど、どっかで飽きちゃうんだよね。 でも、飽きても逃げないしさ、この指。 案外都合がいいんだ。
―END―
最近、某映画館で、昔の映画を500円で鑑賞できるので立て続けに観ている。 前に「スタンド・バイ・ミー」について書いたが、それも500で観た。 最近、新たに「グラン・ブルー(グレート・ブルー完全版)」と「ショーシャンクの空に」を観た。
手短に言うと、「グラン・・・」は、疲れた。 簡単に言えば、好みではなかった。 うーん、惹きつけるものがないね。 先にグレート・ブルーを見た方が良かったんだと思う。 長いもん。 驚きのシチュエーションもないし。 主人公に共感できない、というのもあった。
「ショーシャンク・・・」の方は、ビデオで観たことが数回あった。 これは結構好きな映画だったので、スクリーンで観るとどう感じるのだろう?と思っていた。 話はもう知っているので、ワンシーンワンシーンを、絵画でも観るように眺めていた。 とにかく音は、テレビとは比較にならない。 立体的だった。 二次元であるものの迫力のある大型スクリーンと、立体的な音は、映画をよりリアルなものにしていた。 初めてスクリーンで観ていれば、確実に感動していただろう。 今回は、少なくとも飽きずに観れたのは、映画館という環境のおかげだろう。 が、初めて映画館でこれを観ていたら、という悔しさがあった。 やはり、終盤に主人公が脱走する一連のシーンは、筋を知っていない方が観ていて惹きつけられるだろう。
少し感想を言えば、この映画は、主人公の奇跡的な体験が綴られているわけだが、やはりある程度本人の努力あってこその奇跡であるのがいいと思う。 観たことある人なら、わかってもらえると思います。
いつも思うけど、あまり映画の感想を述べるのが得意ではない。 心で感じたことを言葉に言い換えるのは疲れるからだ。 だから、良いと思った映画じゃないと、テンションはあがらない。 だから、批評もあまりしない。 テンションがあがらないのもあるが、あまりこれは間違っている、と断定するのが好きでない。 だが、好みの問題でなく、客観的に見てまずいと思える点なら指摘できる。 希にそれくらいならする。 案外、感想を言えば言うほど、その映画に対して冷めていくこともある。 だから、観終わった直後の感じ方を大事にしたい。
僕の場合、映画を観終わった後、その内容を思い出せない。 まるで夢から覚めて、その内容を思い出せないように。 でも、良い夢だったか、悪い夢だったか、それくらいはわかる。 夢を詳しく分析する気になれないように、映画に評価を下したくないのかもしれない。
―END―
ついしん もう良い加減、警察の悪口を言うのはやめたらどうか? スピード違反を取り締まるのは、交通事故の抑止力のためである。 たまにしか取り締まらないのは、頻繁にやれば取り締まりの効果がなくなるからだと思う。 ほぼ全員の警官がかわいそうだ。 具体的に向こうの態度が大きかったり、理不尽な行動をしたら、批判すればいいのだ。
昨晩、近所にある、書物販売とCD、ビデオレンタルを行っている店に、家から歩いていった。 片道10分くらいだ。 いや、そういえば自転車で行ったのだった。 外は寒く、寒そうだったのもあり、やはり自転車で行ったのだった。 時間的にあまり外にいるのも好ましくなかった。 外にいたって、何もいいことなんてないだろうし。
帰り道、何も買わず、何も借りずの手ぶらの状態で自転車をゆるゆると漕いでいた。 もうすぐ家に着くという時、妙に寒気を覚えた。 風邪気味だったというわけではない。 その日の夜は、もともと風が吹いていて、どうしようもなく、その寒さから逃れる術も思いつかないまま(きっと思考を停止する機能が風には備えられている)家路を急いでいた。 しかし、そういう寒さとは別の、きっと同系列ではない、もっと奥底からの寒さが、うちの近所を通る際に僕を襲った。
僕は、その時気がついた。 普通の寒さとは違うそれを、なぜ感じたのか? その奥底からの寒さを感じた時、こう思った。
あぁ、生きているんだな
生々しく、ゆっくりと、そんな感情が身を包んでいた。 身を包まれた僕は、何から身を守られようとしていたのか? それとも、何かを内に守ろうとしたのか? そのどちらか、それとも両方かもしれない。
生きているから、寒い
寒い
寒いのが正解で
そう思う僕も正解で
家に帰りつく僕はきっと間違っている
僕は家に着いた。 生きていることを意識しなくなった。 外の寒さの反動で、コーヒーを飲もうとした。 そして飲んだ。 飲もうとして、飲むまでの間、僕は生きていた。 飲んだらそうでなくなった。 生きていることを意識しなくなった。
生きている僕は、生きていることを意識したり、しなかったりする。 意識とは、それだけ乱雑なものなのだろう。 生きているということも同様に、乱雑なのだろう。 コーヒーを飲んだ後の僕は、生きていることを思わなくなった。 それも、生きている証なのだろう。 コーヒーを飲む僕も、生きている。 まるで、死んだように生きている。 きっと、生きていた。
―END―
【訂正とお詫び】 昨日の日記で、マラリアの話題について触れましたが、僕はマラリアのことを蚊のような虫の名称として捉え、表記していました。 が、ある友人に確認し、マラリアというのは病名のことを言うのだと知りました。 誤解を招く表現をしたことをお詫びしますと共に、訂正させて頂きます。
今日の私的の名言コーナー
「太田光by『爆笑問題のススメ』」 (※後で前後関係を述べるのが面倒なので、長めの文章をそのまま載せます。) 今日のテーマは一芸入試です・・・(中略)この一芸入試という発想は、もともとアインシュタインが数学以外の科目はすべて不得意で大学受験は失敗したということを踏まえた上で、まぁ、そういったことから発想されたそうですが、もういい加減、アインシュタインをこういったことの例にするのはやめたほうがいいと思います。 アインシュタインという人は、何百年に一度出るか出ないかという大天才なわけで、普通の人の目安にはならないのだということを何故いつまでたっても気がつかないのでしょうか? アインシュタインができた数学と、普通の人が得意だと言っている程度の数学では、その数学のレベルが全然違うのです。 アインシュタインは数学だけできていればそれで充分だったでしょうけれども、普通の人は数学も国語も、英語もできなきゃ駄目なんです! いい加減に目を覚ませ!!と私は言いたいです。 また、この制度は、個性を重視する教育のための制度であるという意見もありますが、本来、人間の個性というものは、たとえ社会や教育の制度が個性を無視するような制度であっても、その中でも自分でも押さえ切れない状態で突出していってしまい、ほっといてもそういった制度の中からでも必然的にはみ出してしまう、それこそが人間の個性というものではないでしょうか? 個性を重視するといった、上から決められた用意された制度の中にすっぽりと収まってしまうというようなものは、そんなものは個性でもなんでもない、単なる迎合でしかない! 私はこの一芸入試という制度に、怒りを禁じ得ません!! 以上コラムでした・・・コラムじゃねぇや。(あとがき)
本当に怒りを禁じ得られないのではないだろうけど、こういう考え方を持てる、もしくは浮かばせられる、ということは、重要なことだと思います。 この言い分は、お笑い芸人の世間に対するつっこみとしても取れるし、コラムニストの記事としても聞けるし、とにかく鋭いなと思いました。
―END―
ついしん テレビから上の名言を紙に書き取るのは大変・・・というか面倒でした。 なので、途中から方法を変えました。 ちなみに、我が家では、テレビとPCは違う部屋にあります。 途中からは、テープレコーダーに録音しました。 よって、上に打ち込む時は、途中までは紙を見ながらやっていましたが、あとはテープレコーダーを、今僕がいる場所(PCのある部屋)に置き、再生し、頻繁に巻き戻しながら打ちました。 初めから全部、いったんテープレコーダーに録音してから、PCのある部屋に持っていき、聞きながら打ち込んだ方が速かったでしょう。
うぉぉぉぉぉっ!!映画「Kill Bill(キル・ビル)」のHPのタイピングのゲームがクリアできんっっ! 寝れないっ! 悔しいっっ! くぅわぁぁぁっっ!!! なーっっ! とぅらぁーっ! はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、… … … くりくり栗山千明ぃーっっ!(漢字の保証なし)
【時事ネタルンルントークショー】 まぁ今朝のニュースなんかでは、<増える、てつどう貨物輸送>という話題がありましたけれどね、スタジオでそう言ってから中継先にVTRがいって、現地のレポーターが『あそこに見える列車には何が積まれていると思いますか?』と問い掛けてもね、もうスタジオの人間はもちろん視聴者も知ってるっちゅーねん!
あとですね、ある国の地域でマラリアが発生していて深刻であるというニュースで、マラリアのことを言う前に<今、静かな殺人者が○○で深刻な問題になっています>という風に言ったんですね。僕は何のことかな?と思ったんですけどね。聞いてみたらマラリアのことだって言うじゃないですか。そんなん静かな人間の殺人者もいるっちゅーねん!むしろマラリアの飛ぶ音が蚊のようにブーンってなっていたら、夜なんか気になって寝れなくて、全然静かでない、ということも有り得るかもしれません。(マラリアが夜行性か、また蚊のように羽音をたてるかの確認はしておりません)マラリアにキャッチコピーは必要なのでしょうか?
以上、時事ネタルンルントークショーのコーナーでした。
―END―
ついしん 栗山が「キル・ビル」に、GO GO夕張というキャラクターで登場するようです。 (高校の制服らしき衣装で)
ついしん2 GO GO夕張の<GO GO>は、監督が無類の日本マニアであることから推測すれば、わかる人はわかるはず・・・そう、アニメ「マッハ・・・」のそれです。
ついしん3 「Kill…」は、ハリウッド映画です。
ついしん4 監督のクエンティン・タランティーノは、顎出てます。
めざましテレビに、もののけ姫の主題歌を歌った米良さんよりも高い声の出る男性が出ていた。 その人が音楽の先生を目指すべく通っていた学校の、声楽の先生がその人に言った。 『ふざけるなよ』 なぜそう言ったのか? 彼の声があまりにも高く、悔しさのあまりに出た言葉だと言う。 お前がふざけるな!
以下、私的の名言コーナーです。
「地球儀のスライス/森博嗣の一編『石塔の屋根飾り』よりの名言」 インドというのは、実に時間を超越した国だと先生はよくおっしゃっていましたよ。そう、アンダと呼ばれるドームの寺院建築なども、何百年に一度といったゆっくりとした増広で今でも成長を続けています。現在我々が見ているものは、果たして過去の建築物なのか、あるいは未来に完成する建築物の工事途中なのか、わかりません。人間が創っているはずなのに、人間のジェネレーションを大きく飛び越えているのです。
感想は割愛させていただきます。
「上に同じく、地球儀のスライス/森博嗣の一編『石塔の・・・」 何でもそうですが、正解とは、真実とは、本人が最も納得できる仮説に他ならないのです。
納得できないんですよね、なかなか。
―END―
「午後2時16分(前編)」 えー、『スタンド・バイ・ミー』については、後編の方でご紹介したいと思います。 まぁですね、今日の今の天気ってのが、珍しく心地よくていいですね。 秋の日の晴れの暖かい時が、一番いいっすねぇ。 お風呂はぬるま湯が一番鬱陶しいですよね。 だからって、冷水に入るのも、アツアツのお湯に入るのも嫌っすね。 この後次第にぬるくなっていくのだろうが、今のところ熱い、っていうのが一番いいっすね。 でも、その時丁度良い湯加減でも、この後冷めるだろうそのお湯の事を思うと、何だか儚い気がしますね。 このエイチツーオーの一群は、温かい時にだけお風呂のお湯として認められ、そうでない時は認められないのだな、と思うと儚いですね。 まぁ、冷めたら洗濯に使用する水として利用されたり、何かと省エネの時代には、エイチツーオーも活躍するから、そう儚くもないのかもしれませんね。 しかし、本当はお風呂のお湯として一生を終えたかったエイチツーオーもいるかもしれません。 その事を思うと、やはり儚い気もします。
「午前0時28分(後編)」 金曜日、『スタンド・バイ・ミー』を劇場へ観に行きました。 もちろんリバイバルです。 500円で観られるのもあって、一度ビデオで観たにもかかわらず行きました。
やはり、映画館で観るのは違いますね。 緊張感がいいです。 ビデオで観た時よりも印象が良かったのに驚きました。 単に家では集中して観ていなかったのかも。
例えば少年四人組が橋の上のレールにいる時に、汽車が迫ってくるというスペクタクルシーンがあります。 ちなみに橋の上のレールなので、少年らは橋を渡り切らないと脇に逃げることができません。 そんな一連のシーンの一つに、汽車の正面をバックに、少年らが必死になって手前に走ってくるのを正面から捉えたカットがありますが、それの臨場感は映画館でしか味わえないでしょう。
この話は、確実に青春映画としてカテゴライズされるだろう類のものです。 ニュースで行方不明だと伝えられるある少年の死体をとある場所で見た、という話を聞きつけた、もうすぐ中学生になる少年四人組みのロードムービー。 個性に満ちたこの少年ら一人一人が良かったですが、特に故リバー・フェニックス演じるリーダー格の少年の、リーダーらしからぬ弱音を吐くシーンが良かったです。
彼の父親は町で評判の悪い酒飲みで、彼自身も学校の先生たちに目をつけられているという境遇にいました。 父親が悪いから、という風に自分も人から見られることを絶えず意識させられてきた彼は、森の中での死体探しの冒険の中で迎えたある晩、友人の一人にこう言いました。 『誰も僕を知らないところへ行きたい』
青春映画とは何なのか? いい青春映画は観客に何をもたらすのか? それは一言に要約するのは難しいが、強いて言えば単なる<甘酸っぱい良き思い出>なんていうもんでなく、もっとシビアな<人生の欠片>であろうと思います。
そんなシビアな面だけでなく、森の中での眠れぬ夜に身を寄せ合う四人の姿は心地よい温もりを感じさせてくれるし、その一人が退屈凌ぎに語る創作物語は聞き手の三人が面白いというように僕も面白かったです。
その創作物語は、日頃デブデブと言われ淡々と屈辱に耐える男の子が、ブルーベリーパイの早食い競争で、事前に油をグビグビと飲み、その腹で競争に参加し、吐きそうになるまで食べ続け、実際に前年度チャンピオン吐き散らすというものでした。 それを見た周辺の人間が互いに向かって吐き、結局観覧者を含む会場全員(デブの男の子を除く)がそこら中に吐きまくり、彼の皆に対する復讐は成し遂げられる。 実に彼はそれを成し遂げた時、満足げでした。 そんな一連のイメージシーンの中で、一個所最高に面白かったのがあります。 そのイメージシーン中、語り手の少年がナレーションになっているが、彼(語り手)が<双子がお互いに>と言った時に、二人の男の子が向かい合っていて、お互いに吐き合っているシーンが、一瞬映るのです。 何故か、それが最高に笑えました。
他にも面白いシーンはいくつかあり、さっき橋の上のレール上を逃げるシーンのことを言ったが、なんとか全員が逃げ切れた後に、誰かが<これで次の汽車までは安心だ>と言ってみせるというジョークも、好きでした。 まさに、緊張のシーンの後のジョークは生きる、というのの好例でありましょう。
名作と聞くと、時代遅れのイメージがあるが、そんなことはないと思います。 そう思わせないのが名作だ、と個人的には思うのです。 公開されてから何年も経っている作品でも知名度がある、というのは、並大抵のことではないのではないでしょうか。 今公開されている映画の中で、どれほどがこの先十年後二十年後まで残っていくでしょうか? そう思うと、余計『スタンド・・・』の凄さを感じられずにはいられません。
―END―
「哲学の哲学」 哲学は、後づけである。 後にならなければ、哲学は成り立たない。 先の事の参考にもならない。 単なる作品である。 とも考えられるし、そうでない場合もある。 つまり、一定の哲学など有り得ない。 と考えられる。
「タイトルだけが多すぎて」 前にも短編が書きたいだのタイトルは決めただのと言った。 今でも、タイトルだけは一向に決まっていく。 以下が、それらである。
バトラー親子、遊園地へ行く 短待ち 仮糸の未知 待った彼? ガムを投げる 会話のずれ 寝た形跡のある敷かれたカバー 知識とは? スーパーダジャレショー 約一人前 ディースカバリー ディースカバリー 一目散から四目散までとする サスペンス、スリス、ショック療法(三段階療法) 二単位 喫茶コーヒー以外 夏の装い/トリプレ(AAA) 後悔内容 くだらない、つまらない 変わらない人々 父が変身したが為 部屋の中でのサーフィン指導 立っているのかそうでないのか〜コーンスープの器〜 そういえばの田村 花つまみ 洗面所 貼ると女 ビッグ・ドリーム Big Dream お腹が減ってしまうと評判の、信じられないメカニズム 障子を引くにはまだ早い 暗がりに連れ込まれた幸子 不景気ですからねの直前 裸山 地面の存在 不思議なバイク 以上、親族的ジャックに関するニュースでした。
―END―
ついしん テツandトモのトモが、テツの事を「テッちゃん」と言うのが嫌だ。
「スペシャルゲスとスペシャルハンサムト」
(ゴールデンタイムに似合ったハデハデしい効果音が流れると同時に、番組セットの中央の扉から、この番組の司会者が二人現れる) 山口:は〜い、今夜のスペシャルゲスとの登場です。 鷲尾:え、どういうことですか?ゲストは… 山口:ですから、(隣の鷲尾を指して)スペシャルゲス、との登場です。 鷲尾:僕はゲストじゃないでしょ! 山口:今僕らは二人であの扉から出てきましたよね? 鷲尾:そうですよ。 山口:そんな僕が、あなたという【スペシャルゲス】と、登場したのだと言ったのです。 鷲尾:(笑)スペシャルゲスって、そんな凄いゲスなのか俺は! 山口:特別ですからね。 鷲尾:どういうことですか?なら俺は、「スペシャルハンサムとの登場です」って言えばお前は満足なの? 山口:それは…【スペシャルハンサムト】っていう言葉はないからダメですよ。【ハンサムト】って何ですか? 鷲尾:それは、ゲストの対の言葉だよ。 山口:ということは… 鷲尾:司会者の意だよ。 山口:ということは、君は、僕のことを司会者として一流だと言ってるわけだね。
―END―
○ダーZ、映画を語る。
やっぱり僕は、映画が表現としては一番好きである。 距離感が良いのかもしれない。 スクリーンの中に世界はあるのに、その世界には指一本たりとも立ち入ることはできない。 客観表現とでも言おうか。
映画は比較的大衆的なものであもある。(演劇、お笑いコントなどに比べて) その分、マニアックではないと言える。 やはりマニアック過ぎるものばかりでは、不安である。 自分だけが笑っているのが良いことなのか? 良いわけないし、そんなことは有り得ない。 自分だけが面白いと感じるものがあるなら、それはたぶん僕がラリっている時だろう。 絶対、共感者がいるはずである。 ある作品を面白いと思う、自分以外の共感者が。 その共感者が少ない場合、その作品はマニアックなものと位置付けされるのだろう。
ではなぜ、僕は客観表現である映画を求めるのか? それはこの先を読み進めていくとわかるかもしれない。
希に、マニアックなものが、<マニアックと言う名のメジャー>になる場合がある。 それはいつしか、したり顔でメジャーとなるだろう。 そういうのが表現の世界において、面白い瞬間である。 新しい表現の誕生とでも言えるだろう。(人は飽き性なので、必然のことである) そういうこともあるので、客観性を求める場合、マニアックなものにも要注意である。
やはり映画を観る僕というのは、客観性のある映画に期待しているから、それを好むのだろうと思う。
あと、映画でマニアックなものと、例えばコントでそうであるものとは、立場が若干違う。 簡単に言えば、映画でマニアックの度合が強いと、大抵問題にされない。 なぜか? 言い忘れたが、マニアックの中にも、大衆的になり得るマニアックなものと、本当のマニアックなものとがあると思う。 大衆的になり得るそれは、どこかに従来の表現法に通じる面があるはずなのである。 真のマニアックなものとは、あまりにも逸脱していて、特に映画表現の世界では犯罪者(もの)なのだと思う。
話が逸れたが、映画はスクリーンが観客の前にある限り、つまり二次元である限り、どうしたってリアル(現実)からは多少離れたものである。 そんな点が、映画の表現にリアルさを必然的に求め(井筒監督の口癖でもある)、客観性を求めるのだと思う。 つまり、二次元式の映画には客観性のあるものが似合う、という僕の見解である。 (反対に、目の前で三次元の生身の人間らによって表現される舞台は、多少表現方法が現実離れをしていても見れるものである。) だから、映画は真のマニアックを受け付けにくい某体なのである。
ただ、何がリアルか?という問題には、僕は寛容である。(井筒監督ほど特定の表現方法を求める姿勢を持っていない) 例えば、ミュージカルがリアルでない、と言うのは簡単だが、僕はそう断定しない。 ミュージカルにも、リアルなものもそうでないものがあると思う。 北野版座頭市で話題のタップシーンを、リアルでない、嘘だ、という人もいるだろうが、僕はあれがあの映画のリアルだと思う。 何となくではあるが、あれは、(町から悪党が一掃されたという)農民の喜びの表現だが、あのタップの軽快で迫力のある(演出)表現が、まさに、まさに<喜び>そのものであるように感じるのである。 映画の中のリアルとは、現実のそれとは違う。 また、現実のリアルを映画にそのまま持ち込んでも、それに新しさはない。 それならドキュメンタリーで充分だろう。
またまた話しが逸れたが、僕は、二次元であるが故に必然的にリアルであることを迫られた表現某体である映画に、愛着がある。 愛着はそのリアルさ、客観性によって生まれるのだろう。(映画=客観性=リアル=愛着) 人は、自分たちと違う存在を嫌う性質の生き物、という点を考えると、リアルな映画は、他の芸術や表現方法のものより身近で愛着のあるものになり得易い、ということがはっきりとわかると思う。
現実と言う名の世界に住む僕らが客観という幻想の潜む映画という表現に愛着があるが故にそれを鑑賞する様は、まるで自分の事を客観的に空から覗いているかのようだ。 映画が好きな人は、現実の正体を知りたいと思う人達なのかもしれない、と、ふと思った。
―END―
ついしん きめ細やかな法則よりも、臨機応変で変幻自在な対応の方が役に立つ。
「ナイン・ストーリーズ/サリンジャーよりの名言」 事実がはっきり分るのはいつも遅きに失するのが通例だけれど、「喜び」と「仕合わせ」の最も著しい違いは「仕合わせ」は固体であるに反し、「喜び」は液体だということだ。
なんとも感覚的に通じる表現でした。
「同じく、ナイン・ストーリーズ/サリンジャーよりの名言」 「オレンジの皮が浮いてるのが面白いんじゃない」と、テディは言った「オレンジの皮があそこにあるのをぼくが知ってるってことが面白いんだ。もしもぼくがあれを見なかったら、ぼくはあれがあそこにあることを知らないわけだ。そしてもしもあれがあそこにあることを知らなければ、そもそもオレンジの皮ってものが存在するということさえ言えなくなるはずだ。こいつは絶好の、完璧な例だな、物の存在を―」
たまに、僕が思うことに似てる発想なのでビックリしました。 僕は、大学のある授業をきっかけにそういうこと(見えないものは存在しないのか?など・・・)を考えたのだけれど。 これは、「ナイン・ストーリーズ」という短編集の「テディ」という短編に載っているものだが、テディというのは十歳の設定だ。 十歳が自力でそんなことを考えていたら凄い。 何かの本でそういう考えを知って、それをきっかけに考えるようになったのだとしても、早熟だろう。 たまにそういう子はいるのかもしれない。
―END―
おととい、初めてヤフーオークションに出品した。 某番組のプレゼントで当たった本四冊が、2,100円で落札された。 送料450円はこちらがもつので、差額の1,650円が利益である。 これを元手に、なんとか「松本人志のスーパー一人ごっつ」を一枚でもヤフオクで手に入れたいと思う。
―END―
2003年10月13日(月) |
知らない、わからないは厳禁! |
過去のPCメールの送信メールの件名に説明を加えてみよう!のコーナー
○息子違い 一家の合計年齢を競う競技があり、そこで板垣一家と野呂一家で勝負したところ、板垣一家が15歳差で勝った。 丁度板垣一家には、満15歳の中学生がいた。 そこで、その一家の主である潤一郎が言ったセリフが下に記したものである。 「丁度(うちの)息子違いで我が家の勝利ですね」 それをヒントに、競技委員会は、息子違い賞を設置。 息子違いで勝った一家には、特別賞(ぶり大根)を進呈することになった。
○ナルナージャ・ラッセンハッテのボケェ! 本当はこれを言った人(女)は、怒ってなんかいないのです。 拗ねているだけなのです。 なぜ拗ねたのか? ナルナージャ・ラッセンハッテが彼女にこう言ったからです。 「君は僕のことが好きなんだろ?」 彼女は、自分から彼に「好き」だと言いたかったのでしょう。
○段階コンディショナー まぁ、コンディショナーというのはシャンプーの後に頭にかけるものですよね。 段階というのは、世代別にコンディショナーが違う、ということです。 正確には頭皮の若さによって、使うコンディショナーを変えましょう!という提案を、某化粧品メーカーが提案したのです。 このことによって、より世間の世代間のギャップが開いてしまったらしいです。
○ま、舞い上がれぇぇ!!という命令に乗じた僕ら 忘年会の際、場の盛り上がりに欠ける状態時に、幹事が急に「ま、舞い上がれぇぇ!!」と言った。 僕らはその幹事の面子をたてようと、無理矢理奇声などを発して形だけでもと盛り上がった。 それに気を良くした幹事(かなり酔っ払っている)は、「よ〜し、私が一曲歌います」と言って、ジャイアンばりのオンチを披露した。 皆はそれを聴いて思った。 「舞い上がった俺たちが悪かった」
○肉を騙す 幸枝(妻):最近不景気で高いお肉が買えないわねぇ、あーた 芳夫(夫):そうか、すまんなぁ 幸枝:んーあなたが悪いんじゃないけどね 芳夫:・・・ 幸枝:でもね、高いお肉食べたいじゃない? 芳夫:いいよ、俺はこの肉でも 幸枝:私は嫌だわよ、あーた 勝(中2):早く食べようよ 芳夫:そうだな 幸枝:だからね 芳夫:聞いてないなおまえ 幸枝:だからね、騙すことにしたの 勝:不倫相手を? 芳夫:何っ!いるのか?そんな相・・・ 幸枝:いないわよっ!!お肉をよ 勝:だから食べよ・・・ 芳夫:お肉を? 勝:お肉を食べたいよ 幸枝:お肉を騙したの! 芳夫:・・・ 勝:・・・ 幸枝:ふふぅ、私、お肉を騙したの 芳夫:病院に連れてこうか? 幸枝:病院に騙されたのはあなたじゃない!無駄な治療費払わされて・・・ 芳夫:関係ないよ。その話はもういいだろ 勝:どの話だってもういいよ 幸枝:お肉だってね・・・ 芳夫:話戻ったのか 勝:まぁ病院に騙された話うんぬんで夫婦が揉めるよりいいけどね 芳夫と幸枝:だまってなさい!! 勝:病院に騙される夫と肉を騙す妻、なんて最低だね 幸枝:私はね、狂ってなんかないのよ、勝。お父さんと同じにしないでよ 芳夫:だから病院の件をひっぱるなって! 幸枝:だから、話を戻しますよ 芳夫:あぁ 勝:ふぅ・・・ 幸枝:安いお肉だって、貧乏人が成り金になるごとくに・・・ 芳夫:たとえ古いな 勝:成り金って、お札を明かりを灯すのに使うんでしょ? 芳夫:そりゃ教科書の読み過ぎだ、勝 勝:そんな忠告聞いたこと無いよ 芳夫:そうか? 幸枝:だから、安いお肉をね、私はおいしくしたのよ 芳夫:どうやって? 勝:ばか夫婦。聞く方も聞く方だよ 幸枝:「あんたは高いお肉よ実は!!」ってこのお肉(卓上の皿に盛ってある)にさっきまで言い続けたのよ。あなたにも手伝ってもらいたかったわ 芳夫:俺はだめだよ、今声の調子悪いから 幸枝:今現在悪いように聞こえないけど? 芳夫:今さっき治った 勝:随分子供っぽいいいわけだな ナレーション:そうこうしているうち、卓上のお肉は、一匹の野良猫にかき乱された 猫:ガヤヤニヤニャニャ〜 勝:あ! 幸枝:高いお肉が 芳夫:どうせ安いよ 幸枝:いえ、そこは「高いお肉」だと言い張らないとお肉がその気にならないのよ 勝:どっちでもいいよ・・・ 芳夫:高いお肉がぁ・・・ 幸枝:あら、ちょっとまって!どうせ猫にかき乱されて食べれなくなったなら、安いお肉である方が都合がいいわ 勝:元々・・・ 芳夫:・・・ 幸枝:安いお肉をよくも野良猫めぇ!! 芳夫:お肉も忙しいねぇ 勝:そんなこと言ってる場合? ナレーション:こうして楢崎一家の夜が更けていった・・・
―END―
ある男は、書店で「小さなことにくよくよするな!」というタイトルの本を見つけた。 その表表紙に印刷されたタイトルは、彼の心を強く打った。 (今までの俺は、少し悩み過ぎていたんだ。もっと楽観的になろう!) そうして小さなことにくよくよしなくなった彼は、その本の中身を読もうとはしなかった。
―END―
もしも、街中に<燃やしたいゴミ>と書かれたプレートのついたゴミ箱があったらどうしよう?
―END―
2003年10月10日(金) |
今(10/9(木)、p.m.10:45)、ちょっと初めの方を見ていたけれど・・・ |
なんか、「マンハッタン・ラブストーリー」、期待できそう! さすがクドカン!! ・・・(↑を打ち込んでから一時間弱後)いや〜「マン・ラブ」終わりましたが、いいっすねぇぇ♪ 「マン・ラブ」、いいっすねぇ。 めくるめくって感じっすねぇぇ。 もう一時間弱なんてあっという間っっすねぇぇぇぇぇ。 頭の一分くらい見過ごしてちょっぴり悔しいっすよー。 でもいいわぁ・・・ いい。 贔屓目にみているのだろうが、それを差し引いても愉快なドラマだと思う。
この物語はマンハッタンという東京の硬い感じの純喫茶を中心に様々なラブストーリーが展開していくドラマらしいんです。 そのマンハッタンのマスターは、バイトに店長と言われているが内心マスターと呼んで欲しいと願う無口な、コーヒーに病的なほどに情熱を捧げる男である。 そんなこだわりのマスターの店には、最近近くにテレビ局が建ったせいでコーヒーの味になど無関心な業界人が、恋の駆け引きの場として使うためにやってくる。 つまり、マスターvs常連の客の構図である。 そんな中、バイトの青年は中立の立場であり、無口なマスターの唯一の代弁者でもある。 なにしろマスターは、どうしても客に言いたいこと(主に文句)がある場合、その青年を通じてコミュニケーションをとるほど無口である。 もう本当に、入れ替わり立ち代わりめまぐるしく登場人物が変わっていき、テンポが良い。 客達も曲者ぞろい。 あと友情出演が多すぎ!(初回だからか) 主題歌はマスター演じる松岡の所属するTOKIOが歌い、歌詞は脚本のクドカン(宮藤官九郎。劇団大人計画所属。ちなみに主宰の松尾スズキも声優役で登場!連ドラ初登場かも。地上波初の映画並に初登場!意味不明。言ってみただけ)が担当! もう、来週からも見るっきゃない!! 来週から木曜10時(初回つまり今日は10:30開始)は「マン・ラブ」できまりだね!! グッラッ!!!(グッド・ラックをアメリカンな感じで言うとこうなると勝手に思う)
―END―
ついしん 初回未見で興味を持った方、来週水曜に初回の再放送がp.m.11:55より放映です。
ついしん2 クドカン脚本は会話の面白さが好評のようだが、そんな彼が無口なマスターを主要人物にしているのがまた面白い。
短編小説を書きたいなと思う。 僕が今まで読んできた数少ない小説を参考に、書こうかな。 家にはカーポティ、サリンジャー、バリー・ユアグロー、筒井康隆、有栖川有栖、森博嗣、星新一の短編集がある。 あと、手塚漫画もある。 厳密に言えば星新一とユアグローのはショートショートである。 あと、太田光の短編の載っている本もある。 それらを参考にしようと思う。 どのくらい参考にするかはわからないが。 ひょっとして参考にしないかもしれないし、参考に出来ないかもしれない。 まぁその辺は・・・。
どういうのを書きたいか? ナンセンスコメディがいい。 だから、ごっつ(フジテレビ系「ダウンタウンのごっつええ感じ」)のコント、「ビジュアルバム」、「一人ごっつ」などの松本らの作品も参考になると思う。 あと、松本や板尾らが出ている舞台コントのビデオや、「七福人」という爆笑問題らが出ているコントビデオも面白かったなぁ。 すっかり内容忘れてるけど。 前もこの話題はこの日記に書いたな。 ただ、あまりそういうお笑い色が強いのはやりたくない。 文章に還元できない面白さがそれらにはあるし、真似したくないからである。 比較されると負けるし。 突然だが、四コマ漫画ならぬ四コマ文章っていうの、やろうかな。 絵、長い文章が苦手でもこれなら・・・。 とにかく書こうと思う。
そこで、先に仮の想像を膨らませられそうなタイトルを考えてみた。
表面上キャッチャー 猫に戻る 錯覚に先立ちましてぇ クーラーと煙草 埋没のオンパレード まるで壁に張りついてしまったかの如く 個人空間 おだやかって何?〜課外授業〜 幸福の夢 工務店 私はその<何か>を知っている。 帰還記念日 Feedback Anniversary 名前いらず はみだし症候群 かいこネタ ある陰謀
↑の中から、より多くの作品を生み出したいと思う。
―END―
2003年10月08日(水) |
数えるから長いし、短い |
何を知らないと馬鹿なのか 何を知っていればそうでないのか ふとそんなことを思って、知らないことがあってもいじゃないか!と開き直る僕です。 知らないと自分に損になることは、知りたいけれど。 まぁそれは今考えることではないかな。 あくまでも自然にいこうと思う。
周りで政治や経済の話が軽くでもされていると、気になる。 無知な自分を感じる。 その自分に対する嫌悪感のようなものは、まだ本格的ではない。 やはり、もともと相当に興味がないものに関しては、何かがないと知ろうとしない。 まだ何もない僕には、なくて当然かもしれない。 と正当化しておこう。 だれからも文句は言われまい。
僕は、ものを数えるのが嫌いだ。 単純作業だからか? それを率先することはない。 計算とは違う。 ただ、そのものの数を数えるのが面倒だと思う。 そういうのは機械に任せたいと思う。 ただ、それがいずれ尽きるものであるなら、数えるだろう。 たまっていく本の数を知ろうとは思わない。 が、財布の中身は確認すようとする。 無くなるのがよほど怖いのだろう。 困るのだろう。 減っていくものを数えるという本能。 それは必要なものかもしれない。 それが人間というものかもしれない。 でも本当は、何にも数えてたくはない。 数えて、知って、何になる? 本当は興味が無い。 だけど、数える。 何か、違和感を感じる。
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2003年10月07日(火) |
形から逃れようとする形 |
えー、黒飴を舐めています。 お腹にいいそうです。 どういいか? それはわからないです。
『バカの壁』という本が売れているそうです。 ネーミングが最高だと思います。 だから売れているのでしょう。 あと、(本の厚さが)薄いのも理由かな。
面接などで<何でもやります>と言う人は何もやれない、と何かに書いてありました。 これはなるほどと思いました。 やはり、自分なりのビジョンがなければ、その人は社会に割に合う(人によってどれくらいで満足するかに差はあるが、生活に余裕が出来る程度以上の収入があれば、割に合うと言えると定義する。この場合の生活に、趣味的なものにお金を投じ満足することは含まれない。)報酬(賃金)を得られないのかもな、と感じた。
僕の友達のKくんは、道ですれ違った人の足を見て『足が綺麗な人はなんでそうなのかな?』というようなことを言った。 要は見とれていただけのことなのだろうが、足が綺麗なことの理由は様々だろう。 もちろん、綺麗、というのは形のことに関してもだろう。 彼は本当にどうしたら足がその女性ほど綺麗になるのか、なるための手段を知りたいのだろうか? 自分の足も綺麗にしたいのか? それとも、そういう足を見たいのか? ずっと見ていたいのか? 美術館にその足が展示されていたら、そこばかり見ているのだろうか? 週に三回その美術館に足を運ぶのだろうか? それとも、たまに見るのがいいのか? もし彼にパートナーがいたら、彼女の足も綺麗であってほしいのだろうか? きっとそうだろうが、もし自分の理想の足でなければどうするのか? 諦めるのか? 足に関しては諦めるのか? 人は、そうやって自分が気に入らないところがあっても、次々と諦めていかなければいけない。 すべてが理想どうりなんてことはない。 生活形態、家族、仕事、自分の性格、才能、健康に対して、すべてに満足できるだろうか? そんなことを考えるのは暇人だと言われそうだが、この際しょうがない。 たとえば、自分が掲げた目的が追行できなかったとしよう。(それに一定の期限があるものとする) それでも、それができなかったことばかり考えていては人間生きてはいけない。 ということは、同時に(厳密に言えば短期間に)いくつものことを人は考え、実現可能のものはその方向へ導こうとしているのだ。 そしてある決定事項が他のそれに影響する場合、一度決定した事項を検討したり、それが無理なら他のそれを検討する。 それらが影響されない、独立したものである可能性は、考えられる限り少ない。 一つの事項、例えば一つの追行すべき任務は、何かしらの影響を受けるものである。 つまり、一つ一つの事項に、人は決定を下していくのだ。 Kくんは、自分が女性の足を見て綺麗だな、と思ったその感情をどうするのか? たまに垣間見る程度でいいのか。 それともそれを求めるのか。 どれくらい求めるのか。 はたまた自分に求めるのか。 それを決定しなければ、少なくとも無意識にでも意識しなければ、彼という存在にはなり得ない。
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雨やだぁぁぁ〜っ!!!!!!!! 何とかならないこの現代における気象という存在。 偶然人類がこの世に生を受けたように、また雨が降るのもどうしようもない現象。 がしかし、雨に濡れたら風邪を引く。 そして寒い。 寒い。 やる気出ない。 布団に包まっていたい。 包って・・・ 晴れに日にうつつを抜かしている僕の夢を見たい。 一体何にうつつを・・・。 それはハンググライダーかもしれない。 間違えて風に飛ばされて、どっかのビルの窓にぶつかって窓ガラス割ったら自爆テロだと思われるかな? それはいやだ。
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田中:ロッキード事件で国会での喚問を受けた小佐野賢治が偽証罪から逃げるときに言った文句って知ってる? 太田:知らないよ 田中:そうなの?まぁ古い話だからね。 太田:記憶にございません 田中:知ってんじゃねーかよ!!知らないなら<知りません>って言うだろ、普通!
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ついしん 上のは、実際に言っていたか、誌面に載っていた、両氏のギャグの一部であるが、正確な言い回しは忘れてしまったので、自分の言葉で書いたものである。
2003年10月04日(土) |
初心を忘れないのがいいのか? |
えー、忘れた方がいい初心っていうのもあるでしょう・・・。
ところで、『タガタメ/Mr.Children』の歌詞に<ディカプリオの出世作なら>とありますが、一体それは何の映画のことでしょうか?
『ギルバート・グレイプ』? それとも『タイタニック』? どっちがそうなのか気になって、夜も眠れないことはないです。
ところで、最近お気に入りの番組は『ウラ関根TV』です。 もしかしたら<ウラ>はひらがなかも。
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ついしん 夢が残酷なのか? 現実が残酷なのか? あなたの周りに神はいる
2003年10月03日(金) |
タガタメ カネハナル モチロン ジブンノタメ |
んー、虫の鳴き声が微かに外から漏れ聞こえます。 真夜中の細やかな何でしょうね。 話をしているのか。 音を奏でているのか。 もっと違うことなのか。 何をしているのか、僕にはわからない。 だけど、夜の虫の鳴き声っていいなあ。 せめて、虫にとっても夜の人間がいい存在でありますように。 相互関係がこの先もいいものでありますように。 万物の進化も退化も、僕らには必要ない。 人間がどんな凄いものを発明し、暮らしが豊かになっても、 それは基本には今の姿の人間にしかためにはならない。 だから今日も僕は、 虫の鳴き声を心地よく思えて良かったと思う。 (携帯より)
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ついしん 「タガタメ」の歌詞をワードに打ち込んだ。 デスクトップに保存したので、いつでも素早く見られる。 その曲は、友達にダビングさせてもらった。 彼は、ラジオから録ったと言う。
2003年10月02日(木) |
唇に唇を塗る季節ですね |
リップとは、唇という意味である。 ただ、日本では一般的に、唇に塗る棒状の保湿剤のことをリップ(スティック)と呼ぶ。
本来唇そのもののことをリップというのに、それに塗るものがリップと呼ばれていると、混乱するような気もするが、現に混乱は起きていない。 本来、リップスティックと言えば、正解なのだろう。
しかし、リップと略すると、本来の意味は消えてしまう。 それでも日本では通じる。 要は通じれば問題にはされないのだろう。 普段、僕も気にはしない。
ただ、目薬のことを<目>と呼ぶようになることはないだろう。 目に目をさす。 目には目を、というのと混同してしまいそうで面倒だ。 将来、目薬の事を英語でアイ・ローションと言うようになり、略してアイと呼ぶようになるだろうか?
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2003年10月01日(水) |
松本人志関連のDVD、続々 |
欲しいんです!DVD「松本人志のスーパー一人ごっつ」シリーズが。 あと、ごっつの作品もこの度DVD化されたらしく、そちらも欲しい。 ビデオのごっつには、写真のやつ(知らない人には意味不明)がないから、貴重♪ もちろん、ビジュアルバムのDVDも・・・。 古賀という、板尾が演じるキャラが出てくるコントが好きです。 あと、「園子」とか、寿司屋のやつとか・・・。
ダウンタウンのに限らず、色んなお笑い芸人のライブのDVDとかも欲しい。 もちろん爆笑問題のも。
【今日の爆笑おすピーを見て思ったこと】 高校生の頃のホンジャマカ石塚が撮った、ロッキーのパロディ映画『ロッカー』は、家庭用のビデオで撮ったのだろうか? それともどっかで機材をレンタルした? 僕も何か、コントっぽい作品を将来創りたい。 それが一つの趣味になるだろう。
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ついしんの今日の一言 ま、死にゃーしないさ。
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