雨ってなんで降ってくるのか? だからって降ってこないのも困りものだ。 それは大地に降り注ぎ、自然に恵みをもたらす。 でも濡れたくない。 将来、なんとか雨を操ることが出来るようにはならないか? 降ってくるタイミングはいいとしても、雨が必要な場所にだけ降らせるとか、 そんなことは無理だろうか? 地面に落ちてくる前にどっかに集めて、それを各地に振り分けて… って多分無理だろう(笑)。
雨はなんだか悲しい存在だ。 地面に落ちてきて、土の中に染み込んで、そしてその先どこに行くのか? 例えば<A>という一滴の雨が地面に落ちて、 それがたまたま<A−1>と<A−2>という滴に分かれるとする。 そしてそれぞれに大地へと染み込んでいく。 でそのA−1とA−2はきっと再び出会う事はなく、それぞれに分裂や合体を繰り返し、 元のAという水はもう存在しないものになってしまう。 でも、もともとAの一部分だった水滴は形を変えながらもどこかに存在しているのだろう。
雨は地球の生き物全てに恵みを与えている。なのに雨自身には何の見返りも無い。 しかし、もしも水に感情があったのなら、もしも水というものがこの世の生き物であったなら、 恵みを与える事に対して喜んでいるかもしれない。 人が誰かをを愛する時、その人は相手に対して愛する事自体に幸福な気持ちを感じる。 別にそれは相手が人ではなく、例えば花であろうと何だろうとそれに対してそういう気持ちになるだろう。 無償の愛なんてどこにもない。 それと一緒で、雨にもそういう感情がもし備わっていたとしたら、きっとそう感じているのではないのだろうか? そう想うと、雨はとことん一途な奴だ。 −END−
[ぢぇんのコメント] めずらしくいい事書いたね(笑)「ある瞬間と同じ瞬間は二度と来ない。」 それを持論にしようとは思っているのだが・・・一期一会、難しいものである。 愛される事を期待して愛する、それは本当に愛していない。っていう事にも通ずる今回の話だね。
僕はどちらかというとテレビっ子だ。 それでも以前よりは必ず見る番組が減った。 主にバラエティを見るけれど、タマにドキュメンタリーや映画も見る。 映画は好きだけれど、大抵レンタル屋で借りて見る。 店の中をウロチョロして、その末に何気なく手に取ったものを観るのが好きなのだ。 ここでちょっと最近の一週間を振り返って、主に何の番組を見ているのか思い出して見る。
月:「HEY! HEY!HEY!」「秘密の爆笑大問題(ビ)」 火:「踊る!さんま御殿!!」「クイズ!爆笑難問題(ビ)」 水:「速報!歌の大辞典!!」「松本紳助(ビ)」 木:(特にない) 金:(剣道行ってるからほとんど見ない) 土:「めちゃイケ!」 日:「森田一義アワー(増刊号ver)」「北条時宗(渡部最高!)」
といった感じ。(ビ)というのは、ビデオを録りながら見ているということ。 今日は水曜なので、上の二つの番組を見たのである。
ところで、「松本紳助」で、ダウンタウンの松本と島田紳助がこんな事を言っていた。 「毎日がおもろない」 意外なコメントだ。その後、こんな事も言っていた。 「部分部分はおもしろいんですよ。例えばゴルフとか行きますよね。で、やってる時は楽しいんですよ。 でも家に帰ったら違うんですよね。「それで?」って思ってしまう。さっきはおもろかったのに その後になってそれがどうやねん?ってことを感じてしまうんですよ。」(松本談) 長者番付に載るような、生活に恵まれたお笑い芸人でも、けっこう素朴な悩みを感じているんだなぁ。 ちなみに彼は、「決して不幸ではないけれども、孤独だ」とも言っていた。
ブラウン管の向こうにいるとはいえ、そんな話に花を咲かせていた二人の姿は、なんだかとても微笑ましかった。 −END−
[ぢぇんのコメント] 俺はテレビはほとんど見ませぬ。恵まれた人は、恵まれてない人ではない。 恵まれてない人は、恵まれた人ではない。どんな人でも、その時の自分に不足している ものに対して憧れたりするのではないだろうか?
2001年05月29日(火) |
ツレヅレにおもうこと |
今日はバスに乗って最寄りの駅に向かった。 乗ってからしばらくすると、バスの運転手の声が聞こえてきた。 「お降りの際は…」 僕はその声に引かれた。いかにもバスの運転手…という感じがしなかった。 一言でいうと、とても元気な声だった。 降りる時でさえも、その運転手の顔は見なかったが、 察するにこんな様な人かな?と思いながらその声を聞いていた。 ・50歳前後 ・少しハゲてる。 ・微妙に小太り ・メガネはかけていない ・子供は二人 ・趣味は子育て&釣り ・・・と考えたらキリがない。 僕はチョッピリ幸福な気持ちdeそのバスを降りた。
今日はケータイを家に忘れていった。 通学中や大学にいる時、何度忘れてきたことを悔やんだ事だろうka? いつの間にか、それは無くてはならないものになっていた。 無いなら無いde過ごす事もできる。でも、なんだか心細い。 僕は腕時計をしていない。よってケータイでいつも時間を確認している。 今日改めて思った。僕らは時間というものが流れている中を日々、泳いでいるんだと。 絶対時の流れは一方方向を向いている。歩みを止めず、スピードさえも変わらない。 そんな中を僕らはそれぞれに泳いでいる。 でも最近、時の流れが僕を追い抜かしていってしまうのでは?と感じてしまう。 一体、時の流れとはどんなものなんだろう? その流れに、僕はどう付き合っていけばよいのだろう? こんな事を考えているうちはダメなのかもしれない。 時が自分の回りにまとわりついて来てるんだ!と思えるくらいdeないとダメなのかもしれない。 映画「キャスト・アウェイ」の主人公は、時というものに対してどんなことを理解したのだろうか? やっとの想いで無人島を脱出した時、彼は何を思ったのか? それとも、何も感じてはいなかったのであろうか? また観てみたいなぁ、「C・A」。
−END−
[ぢぇんのコメント] 俺も既に携帯中毒にかかってます。君に同じく、時計代わりっていうせいもあるかな。
「?の飛行船」
どうやらその船は、晴れた日の、それも昼下がりの午後に浮かんでいるらしい。 これを今までに見たことがある人は、ざっと1000人ほど。 目撃した人達の証言によると、その船の両側面には「?」の文字がデカデカと 描かれているらしい。 実際それを見た瞬間は、「おぉ・・・」と口をあんぐりとさせずにはいられないら しい。そして気がついた頃にはすでに、晴れ渡る青空のどこに目をやっても、そ れはあとかたもなく消え去ってしまうという。その間およそ2秒弱。
他の目撃証言はこんなかんじである。 「その飛行船には窓らしいものが一切無かった。中には誰がいるのか・・・」 「だいたい普通の飛行機と同じ位の高さを飛行してたと思ったら、急に目の前を 通って行ったのでビックリした。」 「大きさは・・・東京ドームくらいかなぁ。」 「船体は主にねずみ色で、<?>の文字は黄色だったような・・・あれ?もしか したらその逆かもしれない・・・」 と、こんなかんじである。
本当のことを言おう。ここだけの話、僕はこの飛行船の正体を知っている。 今現在、五月二十八日。時刻は十四時二十八分。 われわれの調査によると、中には三人の調査員と二人の操縦者が乗っている。 この五つの生命体達はどうやら、とっても美しい星からやって来た生命体らしく、 理由は分からないが、この地球を滅べすべく故郷の星へ連絡を取り、戦闘部隊を 呼ぼうとしている所だった。そんなことをされれば、地球の明日がなくなってし まう。 マズイ!このままでは。このことを知ったのはつい昨日であり、その飛行船は 19世紀の終わり頃から地球に潜伏し、今に至るまでその1000人ほどに目撃 されながらも今日に至っているらしかった。
そしてそれは昨日の出来事。僕はこの非常事態を相棒のミス・マーガレットと供 に発見した。しかし彼女は五月二十七日、十四時三十一分に命を落とした。 そのときは丁度、彼女がその非常事態のことを上司に報告しようとしていた時で あった。マーガレットは、他の人にその美しい星からきた生命体にとっての秘密 を伝えようとしたからそうなってしまったのだと推測した。 僕は彼女の命を無駄にしない為に、一人で飛行船に戦いを挑むことを決めた。
現在は五月二十八日、十四時三十分。もうやるしかない。僕は覚悟を決めて、飛 行船が現れるのを待った。今日は絶好のピクニック日和だ。
来た!意外にあっさりと現れた。と同時に僕は船体めがけて彼女の形見である矢を放った。 「ザスッ!!」 ?の飛行船はみるみるうちに萎んでいき、終には跡形もなく消えてしまった。 「やった!」 それは十四時三十一分のことだった。 戦いは終わった。 でも安心はできない。いつまたそんなような飛行船がやってくるか、分かったも んじゃない・・・ 明日は、明日にやってくる。 −END−
[ぢぇんのコメント] ふっ・・・これが<コラム的なもの>か?<物語的なもの>の間違いではないのか?
2001年05月27日(日) |
松本人志&ダウンタウン&爆笑問題 |
松本は、ギリギリのところでやってきた人だと思う。 いろんな先輩達に嫌われながらも(?) その実力で、お笑いに対するストイックなまでの情熱を持ってここまでやって来た人。
例えば彼に対してはこう感じている人もいるだろう… 中傷し、嘲笑って笑いをとっているからイヤだ!と。 でも僕は、彼のそんなような発言に対してほとんど嫌悪感をもったことがない。 やっぱり、<怖い>っていうイメージがあるからなのか?彼はそんなに失礼な奴なのか? 僕はセンスのいいつっこみにしか思えないのである。そう、彼はボケでありながら、
例えば「ヘイヘイヘイ」などでは、ゲストに対して<いいところに目をつけたねぇ!>と言いたくなるような、 微妙にボケの香りさえも漂わせたつっこみを放つ。センスをもった発言ならば、 人を傷付けるどころか、逆に相手をも笑わせ、その場の雰囲気が良くなってしまうのである。 そしてゲストは、むしろダウンタウンに対し親近感をもち、その場がさらに盛り上がる、というわけである。 もちろんそれでも癪に障ったり、生理的に合わん!という人もいるだろう。 それは人の好みだからしょうがないけれど、少なくとも彼らは自分の仕事にプライドを持ち、 自分の正しいと思うことを実行し、時には世の中に対して吠えたりもする。 そういう真の部分を、戦っている彼を、少しでも感じてほしいなーと思う、 アンチ松本、アンチダウンタウンの人には。僕は彼らに対してそんなイメージを持ってるし、 そういう考えを持っている人たちだと思う。
僕は爆笑問題とダウンタウン、それにナイナイの三組が主に好きです。 ここではナイナイのことについては置いときます。で、二組に関して書きます。
<主にコントについて>二組とも、どっちかというと不条理な、シュールな(?)コントをやる。 爆笑は、設定がリアルでやっていることがチグハグというパターンが多い、かな? ダウンタウン(ごっつええ感じ)でのコントは、状況が日常的でない、というか… 明らかにリアルでない主人公であったり、状況そのものがそうでなかったりするものが 多かったように今思えば感じる。それはセットに金が掛かっていたというのもあるし、 日曜のゴールデンタイムということもあって、番組的にもそれだけこだわることができたのであろう。 でも決してお金の問題ではない。こんなことをやってみたい!と松本が思って、 それをやろうとするには結局これだけお金がかかってしまう、という感じなのである。
<ごっつ>のコントは今でもレンタルビデオで楽しめる。 友達の家で、皆そろって大笑いをしたこともあった。少々マニアックな話になってしまうが、 僕はそのビデオの中のものでは「ミラクルエース」「しょうた」「ボウラー仁義」が好きです。 (次点:「ゴレンジャイ」)。
あと、松本のコントといえば、「ビジュアルバム」というのが (そのうちDVDもでるかな?)三巻ある。これは僕を唸らせた。 どちらかというと短編映画に近い感じもする。「ワッハッハ!」と笑えるものではない、正直。 でも、心の中でかみ締めるようなおもしろさが、このビデオには詰まっていた。 その中のコントでは「寿司」「巨人殺人」「システムキッチン」などが面白いと思った。 (特に「寿司」が…)
爆笑のコントは、舞台の上でやるようなのをテレビで二つ見たことがある。 あと「大爆笑問題」というコントビデオがシリーズで四巻、それに「爆笑問題のハッピータイム」という、 CMのパロディのようなコントビデオを一巻見た。
舞台形式のコントは、何より二人の芝居、特に太田の芝居がうまいので、 なんだか芝居を見ているような感じでもある。それにコントは、オチの台詞や状況が来るまでの 芝居がきちんと出来ていれば出来ているほどオチが引き立ってギャップが生じ、 そのズレみたいなのが面白い。だから二人のコントはおもしろい。キャラ的なことで言うと、 太田が田中をばかにしているパターンでの、その太田のすっとぼけたキャラがたまらない。
「大爆笑問題」は以前、テレ東の深夜でやっていた番組のものである。 このビデオのコントは好き嫌いが分かれやすいと思う。 どちらかというと「クスクス」と笑える感じのものだ。 ある僕の友達は、「爆笑の(大爆笑問題の)コントはつまんない」と言っていた(悲)。 やっぱり、このビデオでも一番多いのが、太田扮するボケキャラが 田中扮する普通のキャラを戸惑わせる感じのパターンで、それがまた絶妙におもしろい。
オススメなのはさっきも言ったようにCMのパロディのようなコントビデオ 「爆笑問題のハッピータイム」だ。このCM調のコントは一つ一つがとても短い。 「長いコントはちょっと…」という人はぜひご覧あれ!
因みにひとつ気になることがある。 <爆笑問題、ゴールデンでコント番組!>ということはアリエールのか? でもやんないような気がするなぁ。でもみてみたいなー。無理にはやってほしくないので、 ファンとしては複雑な気持ちである。
と、ここまでとりとめもなく書き綴ったが、この二組のコントに感じるのはこんなような事です。 また二組の漫才については、何かを感じた時に、またツレヅレと書こっかな!という次第です。 なのでこれからも二組のネタには敏感に反応していきたいです。
−END−
ついしん:ぢぇん君、もう少し彼女を見習って、お笑いの知識をつけなさい。 でもちょこちょこっと知りつつあるよね、若手のお笑いコンビとか。それも彼女の影響かな(笑) ついしんスペシャル:僕は映画の仕事に憧れている。特に監督という職業に。 今現在、それに似た状況になっている。まさにぢぇん君が経営する映画会社の元で、 僕が自由に映画を撮っている感じに。(今のところ、自分ではホームページを作る気にはなれない)。 まあギャラは発生しないけどね(笑)
[ぢぇんのコメンヨ] それもある。が、別に影響はきっかけに過ぎないよ。趣味となりえるかどうかはね。
「タイタンの赤ん坊」
ハッとした出来事をひとつ。 とあるスーパーにて、ハマッている野菜ジュースを購入しようとするべく、僕はレジに 並んだ。最近では野菜ジュースとトマトジュースを交互に飲んだりしている。 そのスーパーはN駅の真ん前にあり、それは通っている大学の最寄りの駅である。 N駅から大学までは、徒歩でおよそ15分ほど。
話は戻って…そう、並んでいた…といっても、30歳くらいの奥さん1人がレジを受けているだけ。 その後を僕は待っていた。実はその時、授業の始まる時間が迫っていたので、 内心早く終わってほしいなと思っていた。 そんな時、なにやらレジのおばさんがニコニコしているのが目に入った。 おばさんの目線を辿ってみると、そこには赤ん坊がいた。そう、奥さんの子供である。 (もし未亡人だったらごめんなさい)僕はしばらくの間、その子に見とれてしまっていた。 先に急ぐ気持ちはどこへやらである。 僕はその赤ん坊を見た瞬間、何かハッとしたものを感じた。 ハッとすると言えば、その出来事が嫌なこと…恐怖…だったり、 その逆に幸せなこと…衝撃的な…ものを体験した時にそう感じる。今回の場合はもちろん後者の方。 赤ん坊はとても真ん丸い顔だった。レジのおばさんは目線でその赤ん坊にちょっかいをかけていた。 「おゆびをカゴの中に挟んじゃだめよ〜」「バイバイね〜」。すると奥さんはこう言った。 「ほら、バイバイは?」。たぶんその子は1歳くらいかな?という感じだったので、 まだ知らない人に挨拶を返せはしないだろうと思って見ていた。する子はするものなのかなぁ? 人の動きには反応するかもなぁ。残念ながら自分のその頃のことは覚えていないのでよく分からない。 とにもかくにもである。今までみかけてきた赤ん坊の中では、1,2を争うくらいの子であった。 まるでボールやキャンディーのように丸い顔、顔色は健康的な色白。 それはそれはとても艶やかなお肌で、おまけに目はほどよくパッチリ。 全体的には端正な顔立ちで賢そうだった。でもそんな中に、かわいらしい要素も混じっていた。 そう言えばニコラス・ケイジが主演した映画に「赤ちゃん泥棒」ってのがあったっけ。 くれぐれも皆さん、赤ん坊を盗まないようにしましょう! でないと、この映画の結末のようにとても厄介なことになるでしょう(笑)。 僕はそのスーパーを後にした。ちょっとばかし歩く速度を速めながら、 その赤ん坊の余韻に浸っていた。そんな時にふと想った。 もしかしたらこの先どこかであの子に会うかもしれないと。それは何年後、はたまた何十年後のことだろうか? もちろん、明日明後日にその近所で再び会うのは抜きにして。 <一期一会>という言葉があって、また<歴史は繰り返す>という言葉がある。 この二つの要素を組み合わせると、そういうことがあっても不思議ではないような気がする。 未だに膨張を続けている宇宙の一角で、地球はひょんなきっかけでこの世に誕生した。 いや、地球が誕生したから<この世>が出来たのか? そんな宇宙の不思議を想えば、そんな時が来るように思えてならない。 もし実際に出会ったとしたらどうなるだろう?何か、デジャ・ビュ的(実際は経験したことがないのに、 以前に経験したことがあるように感じること)な感覚に近いものを感じるのであろうか? それとも街中でただすれ違うだけなのであろうか? 授業中、そんなことを考えながらスヤスヤと眠ってしまっていた… −THE END−
<ついしん>タイトルの「タイタンの赤ん坊」について:小説 「タイタンの妖女/カート・ボォネガット・ジュニア」を読んでもらうと助かりますが、 そこには世にも美しいラストシーンが描かれています。 という訳で、そのシーンにいてもおかしくないくらい似合いそうな赤ん坊の話、 という意味を込めてそんなタイトルにした次第です。 −明日以降につづく−
[ぢぇんのコメント] コメントしするのが難しい文なので、今日は省略します。
「雨劇」
それは昨日のことだった。 僕は大学まで、毎日二時間かけてエンヤコーラーと行くのである。 その道のりは、<自転車30分>→<地下鉄20分>→<名鉄50分>→<徒歩15分>と いった具合で大学へ着く。地下鉄ではたまに小説なんかを読んでいる。 名鉄ではどうも小説を読む気にはなれず、ただひたすらグ−グーと眠りこける。
その日の朝、ベッドの上で目が覚めた僕は、耳元で嫌な音がするのを確認した。 どうやら雨の様だ。しかも二日目。雨が降るといろんなものが湿ってしまう。 パリパリだったものが、しなーっとしてしまう。あの「しなーっ」がなんとも嫌である。
そんな事を思いながらも、いつの間にか自分の身は大学の方へと向かっていく。 何故かと言うと、それが僕の日課だからだ。 体が意識とは関係なく、その慣れ親しんだ日課通りに事をこなしていくのだ。 別に大学に行きたくないと言っている訳ではない。 僕はか弱くも、通常自転車でいくところを雨の日に限ってバスで行くことにしている。
その日もその例に漏れることなくバスに乗った。整理券を取った。席に着いた。 …しばらくして何気に定期入れを確認したその時、ある事に気がついた。 あっけなくも地下鉄の定期を家に忘れてしまっていたのでR! 頭が締め付けられるようだった…もぐら叩きのあのハンマーで、自分の頭をバカバカ叩いてやりたい。 あの穴全てから僕がランダムに出てきたとしても、必ず全部逃すことなく叩いてやるぞ!…と思えるくらいに。
もう二つ、その時の心理状態を明確にするために、記しておかなければならないことがある。 出足が遅かったため、最初の授業に間に合うかどうかということも気になっていた(結果、ギリギリセーフ)。 おまけにその日授業で発表するハズの課題をすっぽかしていた。 それにより、その授業自体をすっぽかすことを心に固く決めこんでいた。 そんな訳で、バスを降りる頃には、精神的にボロボロであったのは言うまでもない。
時は流れて帰り道、僕は家路を急ぐ(最近、やたらと肩がこっている)。 気分はほぼ変わらぬまま、それでも仕方ないや!と開き直り、 でもなかなかそういう方向に気持ちを持っていけず、やっぱり変わらぬままに… もうすぐで酔っ払ってもいないのに千鳥足になりそうな足踏みで…名鉄の電車を降りた。 「あぁ、また260円余分に地下鉄代を…あれ?あれあれ?? んー、こっちには無いなあ、こっちにも無い。サイフには…ない。明らかにどこにもない!」 名鉄の定期を落としてしまった。ガビーン!!!!!
Z:「あの、ちょっと切符を落としてしまったんですが…西可児から乗って…」 窓口:「値段はいくらのを購入されましたか?」 Z:「アッ、710円で…」 窓口:「では交通調査カードはもってます?」 Z:「あ、はい。」 その日は丁度、そんなカードを乗る時に配られていた。それが西可児から乗って来たという証拠になった。 窓口:「ほんとは駄目なんだけどね、今日はこれを改札口にいる駅員に渡してください」 Z:「あ、ありがとうございます」
そんなわけで、西可児から名古屋駅までの運賃はなんとか免れた。 それにしても明日からどうすればいいんだ!?片道で710円である。 あと1ヶ月は使える代物だった。頭は同じ疑問をグルグルと回しつづけていただけだった。 明日早速定期券を買うしかない…「あっっ!!!」ここでまた壁にぶち当たった。 二週間前から無くしていたのだ、学生証を…もう、ため息もでない。
地下鉄を降りた。雨は依然として降りつづいていた。 僕はバスの停留場から少し離れた所にあるベンチに座った。そこには上に屋根があった。 このベンチから再び立ち上がることができるのか? はたまた、このままずっと座りっぱなしのままでいるのか? そして雨はいつまで降りつづけるのだろうか? もうすぐバスはやって来る。そろそろバス停に行かなければ… 重い腰はなんとか持ち上がった。そして傘を広げる必要があったので、雨に濡れないように傘をさした。 「あれっ?」
次の瞬間、奇跡は起った! 何かがひらりと地面に落ちた。どうやら傘のどこかに挟まっていたのだろう、それは名鉄の定期だった。 体がフッと軽くなった。僕はしゃがんでそれを拾い、バス停に急いだ。 早く学生証を再発行せねば。課題は遅れてでも出さねば。 ところでこの雨はいつ止むのであろうか?
−END−
[ぢぇんのコメント] Zらしいボケですね。さすが、自分でネタを作る男・・・
2001年05月23日(水) |
もしも・・・だったら風の日記 |
「ビューティフル・エブリデイ」
もし、自分の周りの世界にこんな人達がいて、僕にとってこんな役割だったらなぁ ということを考えてみました。
妻:乾貴美子
愛人:麻生久美子
口喧嘩の相手:水野美紀
行きつけの喫茶店の店員:山口もえ
英会話教室の先生:中谷美紀
行きつけのラーメン屋の娘:須藤理沙
くされ縁:リブ・タイラー
隣犬:サクラちゃん(あほ犬)
僕の彫った彫刻:奥菜恵
毎日公園に犬(サクラちゃんではない)を連れてきている人:上原多香子
二週間に一度お呼ばれされる家:渡部篤郎の家 …
と、こんな人たちが僕にとってこんな役割だったとしたら、やっぱり… 逆に嫌だ(笑)。
ついしん1:昨日の物語には、全くストーリー性はありません(笑)。だって<その>電車に乗ってからは、僕は一つの<点>に乗っていただけだから。ストーリーは進んでいないことになっていまっす。
−明日以降につづく−
[ぢぇんのコメント] 安心してください。一般人の周りに、そんな美人ばっか集まりませんから(笑)
2001年05月22日(火) |
ある物語のような日記(それとも、ある日記のような物語?) |
それは学校の帰り道で起こった。 某駅の地下のプラットホームに僕はいた。
その時は確か午後二時頃だったと記憶している。 そのホームには、通勤ラッシュの時ほど人はいなかった。 時計を見て時間を確認する度に、僕の待つ電車に対する気持ちも変化していった。 だんだんとその時間が近づくにつれ、「もうすぐやってくる」 「その電車に僕は乗るんだ」という気持ちが自然に沸いてきた。 僕は今から友達の家を訪れる予定だった。
やがてトンネルの向こうから、電車よりもせっかちな音達の集団が、 まるで遊園地に遊びに来ている子供たちが「はやくはやく!」と 体を弾ませながら親を手招きしているかのように、 「もうすぐお父さんとお母さんも来るよ」と言って教えてくれた。 滅茶苦茶すいている遊園地の係員のような気分になった。 実はもうその頃からすでに僕は何か、ゆったりとしたものを体に感じていた。ついに電車は到着した。 僕はその電車を待つ人たちの中では、一番遅くにドアをまたいだ。 僕の体は、その瞬間だけマリオネットのようだった。 とすれば、誰が僕を・・・
確かに僕は、その息子や娘より遅れて到着した親に乗ったはずだった。 でも、それは違っていた。中に入り空いているスペースに座って初めて、 あることに気がづいた。 そこには客が一人として居なかった。自分を除いては。
次第に僕は自分が本当に<その>電車に乗ったのか、よく分からなくなっていた。 自信が持てなくなっていた。 目を凝らしても、他に人は乗っていなかった。 車掌さえも居なかった。 僕はここでいったい何をしているんだ? その電車は一向にトンネルから出ようとする気配が無かった。 本当に僕は<その>電車に乗っているのか?みんなはどこに行ってしまったのか? 僕はどこに居るのだろうか…。
しばらくたった。しばらくとしかいいようがない。 実際どのくらい一人で乗っていたのか覚えていないのだから。 気がつくと僕は、多くの人に背中を押され、 友達の待つとある駅の地下ではないプラット・ホームに投げ出されていた。
−END−
ついしん、この文章を書き始めた途端に、座っていた椅子が壊れました。椅子を取り替えて、 また書き始めました。
−明日以降につづく−
[ぢぇんのコメント] いまいち筋が読めません(笑)誰か分かる方いますか?(俺があほなんか?)
今この独り言をわざわざ見てくれている人へ
「○ジンガーZ」改め「サワンダーZ(ダーZ)」のオリジナルな歌詞ができあがったので みてみてちょんまげ。
一番:「森の泉」は お風呂屋なんだよー スーパーおじいちゃん サワンダーZ おでこのメガネはデコデコデコーリーン! お茶ーをこぼして「パイルダーOFF!!」 出ちゃうよ 必殺「ロケットメガーネー」 今田耕二 それは芸人ー ジジッGO!ジジッGO!サワンダーーーゼェェッ!!!
二番:今日はやる気がないので休みたーい スーパーやる気ない サワンダーZ ペプシの絵柄はデコデコデコーリーン! ある意味出さない お客にお茶ーをー 僕ーの主食はサクサク天そば 東野幸治 それも芸人ー ジジッGO!ジジッGO!サワンダーーーゼェェェッ!!!!(「ェ」を一番より一つ分多く歌う)
ついしん1:5月20日のぢぇんさんの独りごとは、僕も同じ事が言いたいくらいなっとくです。
ついしん2:レイクエンジェルは、やっぱり「イ」の人が一番がんばっています。 前回の独りごとの「ついしん2」はかんちがいでした。またまたミスってすんまそん。
−明日以降につづく−
[ぢぇんのコメット] 7年の友人付き合いを以ってしても、この歌詞のセンスはとてもじゃないが理解できません。
※この日記は、記した当時のものに、若干修正をしています。
2001年05月20日(日) |
日記とイイワケのような日記 |
昨日から今日にかけて、友達の家で遊んでいました。 その家には、サクラという、落ち着きすぎている犬がいました。 とてもべろべろなめてくるので、頻繁に手を洗いました。でも愛着を持ちました。 彼のうちにはちょっとしたホームシアターがあり、 それの威力はDVDソフト「アル マゲドン」を観たときにかなり発揮していました。 三十歳になるまでには僕も手に 入れたいと、つくづく感じました。 そう言えば、最近のペプシのボトル缶のデザインはアート的なので、 昨日、思 わずそれ目当てで買ってしまいました。部屋のどこかに飾ります。
ちなみに、このコーナーは日記のコーナーですが、日記の様でない日記も 気まぐれに書きたくなってしまいますので、そのことはどうかお許しくださいまさーー。 別に受け狙いではないです。その日の頭に浮かんでしまったものなら、それは、 僕の中では日記に近いものとして考えてしまうのです。昨日の日記もそうです。
−THE END−
ついしん、昨日の日記の<そんな力は出かった。>の部分は、<そんな力は出 なかった。>の間違いでした。
ついしん2、レイクエンジェルの「レ」の人は、がんばっています。
ついしん3、…もうなーいです。(笑)
[ぢぇんのコメント] 僕は「イ」の人の方が頑張ってると思います。
「象」。
この動物に対して、大抵のヒトが<優しそう>なイメージを持っているだろう。 というか、僕もそう思う。因みに僕は動物占いは象であるのでR。 象は、とても優しそうな眼差しでヒトを見つめている、とヒトは思っている。 でも象は、いろんな気持ちを(実は)持っているのである。例えば、憎しみ、怒り、なんて感情も、持っていたりする。 その事を、人間はあまり考えなかったのである。
ある日の昼下がりの午後、そこはとある国の森の奥深く。
象の「ポッド」は、日本から来ていた中年の観光客を背中に乗せていたが、(象のご主人や近所の原住民達、そして他の日本人観光客達は、その場にとても和んでいた)本当にあっけないような感じにその出来事は起こった。 ポッドは背中の中年男性をポーンと宙に舞わせ、そんなに間を置くことなく、前左足で踏み潰されたのである。
その一連の出来事は、本当にあっという間であった。
原住民の一人は、こう叫んだ。「俺たちには俺たちのルールがある。 象は、寛大で優しい心の持ち主の象徴なんだ。特に動物というものをよく知らないやつにとっては特にな!」 これを聞いた象は、それを胸に刻み、その意味を体全体に震わせていた。
「ヒトがどう思おうと、知ったことじゃない。我々像には象の考えがある。 だからといって、人間と対立するつもりはない。ただ、正直いわせてもらうと、今は暴れたい気持ちだった、本当に。 人間で言うところの理性のようなものが、さっきは体の外に飛んでしまっていた。 許してくれとは言わない。もう済んでしまったことだ 。 でも一つ言わせてくれ!」
ポッドは、一呼吸置いてこう言った。 「物事は、そう簡単には変わらない。 でも、そうだとしても、<その>ルールは、自分達の、象社会のものではないんだ!」
ポッドの仲間の象たちも周りにいたが、静かにその様子を見守っていた。
その晩、ポッドは原住民数人に射殺された。 ポッドは最後の力を振り絞って「パオ−ン!!」と叫ぼうとしたが、そんな力は出かった。 その数人の原住民以外、最後を看取ったものはいなかった。
次の日、日本人観光客達はすぐさま帰り、原住民達は、何も起こっていなかったかの様にいつも通りの生活を送ろうとしていた。
−THE END−
−明日以降に続く−
SPECIAL THANKS TO スウィーティー福和&永田一番絞り
[ぢぇんのコメント] これってほとんど永田一番絞りさんが考えたでしょ?当たってるっしょ?
2001年05月18日(金) |
日記というよりは、番組の感想 |
昨日(今日のことじゃないのは反則?でも印象深かったので許してちょんまげ!)、NHKの某番組で高倉健が出演していて、いろんな質問をされていた。 因みに、彼の映画は観たことない(ごめんなさい)
彼はインタビューの中でこんな事を言っていた。
「気持ちの良い風に吹かれたい」。
なんて渋いことを言うんだ!普通の人が言ったらうそ臭く聞こえそうなこの言葉も、健さんにかかるとそうでもない。
「そうでないと、人に優しくなれないから」。
そんな彼は、映画の仕事をいつまでやるか?との質問に、 「撮影が終わった後、公開されるまでは辛いんですが、その後に、何か、やってよかったというものを感じるんです。 それが感じられなくなったら辞めないといけないですね」 というようなことを言った。
男の背中には、いつだって素敵なものが映っている。 それを磨いていくのが男の仕事なのだろうか?
…って、そんな中途半端にロマンチシズムが漂うような表現をよく使ってられるよな! (爆笑問題の田中風つっこみ)
−明日以降につづく−
[ぢぇんのコメント] こないだネプチューンの番組で、高倉健は大根役者とか言ってる人がいたなぁ。
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