2009年03月16日(月) |
仕事に対する意識や環境の違い。 |
私の仕事というのは、会社独自の部分もありますが、全国共通の部分もあります。
んで、先日同じ職種の人に、やってる仕事を教えました所。
全然、資格の意味ない作業を相手はしていて、私のやってることを「必要あるんですかそれ」みたいな風に言われました。
衝撃です。
私は、そのやってることをするからこその職種であり、職業であると習ってきたのに…。
要するに相手と私の最初に習った環境なんですよね。
相手は何も考えず機械的にやるのが当たり前の環境で。
私は考えて、情報をきちんと読み取ってやるのが当たり前の環境で。
そりゃあ、相手からしたら「何でそんなことを?」って思うのかも知れません。
知れませんが、相手はそれの専門の学校卒なんですが!!
それがこんな、誰でも出来る作業で資格ですなんて…恥ずかしいっていうか、資格の意味とか考えないのかな…そりゃ大きな資格じゃないですが…。
環境って怖いんですね。 いつの間にか飼いならされているというか。
私は、自分で考えていけるような状態にありたいって思いました。
とかいって、それが出来るかわかりませんが…。とりあえず衝撃でございました。
何だか最近は自分を見つめなおすと言いますか、旦那の鬱がきっかけで、自分のことをよく考えることになっております。なんと。
そして私は、自分が「旦那のために」と思っていることを教えてもらい、それを「自分のために」となるように考えをシフトさせていっている所です。
そういえば、「旦那のために」と、この頃友達と遊んでなかった。
そういえば、「旦那のために」と、仕事終わったらすぐに帰ってきてた。
そういえば、「旦那のために」と、子供を持つことを諦めるつもりでいた。
そういえば、「旦那のために」と、自分が働いて一家を支える気でいた。
でもそうじゃないんだって気付いて、まずは私の人生が楽しい、幸せなものでないといけないんだって分かって、それを実行するつもりです。
友達とも適度に遊ぶぞ。
仕事終わって、ちょっと寄り道して本屋さんとか行くぞ。
子供だって、自分が欲しいと思って、旦那もそう思うなら思い切って作ろうとしちゃうぞ。
仕事だって、続けるのは私のやりがいのためだし、社会経験を積んでいきたいからだぞ。
きっとその方が、旦那だって自分の人生犠牲にして働こうとか思わないはずなのです。
何か道が拓けた(大袈裟)というか。
「自分のために」行動するということ。
それが大事。
私は私のやりたいことをやればいい。
私は私の出来る範囲で旦那に手を貸せばいい。
そういうことを、今一生懸命学んでいます。
人生とは学びの場だなあ…(しみじみ)
とりあえず、友達にメールしようかな。
また皆で集まりたいなあ。
|