矛盾スルニモ程ガアル
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2007年12月30日(日) 今年が終わるらしい。

只今絶賛昼夜逆転中☆ これから寝て起きた頃には多分今年の残りが
6時間とかになってるんだろうなあ、って感じのぼむでございます。おはようございます。




何だか引きこもってるせい+旦那が不規則勤務なせいで、全然実感が湧きませんねえ。「2008年? 来るの? 来るなら来れば?」的な年越しです。相当どうかと思います。





4月の転勤まであと3ヶ月だねと旦那に言うと、絶望的な表情で「あと3ヶ月もあるの…」とか言いくさり仰います。このような状況で何を希望を持てと。(やさぐれ)


おそらく転勤は延びることはないだろうという感じで、段々準備なんか始めちゃっています。





私がこの1年で学んだことは、ある意味今まで生きてきた中で一番大きかったけれど、これからの人生の目標は


・人を妬まず、蔑まず、否定しない自分を作る


ということです。




人のことも、自分のことも、否定しない。



きちんと自分に足場を作ってやることです。



思えば自分には、きちんと「自分で踏み固めた足場」が無いから、いつも不安定で、ぐらぐらして、攻撃的になっていたのだと思います。


そのことで迷惑をかけた沢山の人に対して反省しながら、これからはきちんと「自分で」足場を作っていきたいなーと。


自分の価値観、自分の考え、自分のすべきこと。

「行動」と「思考」のバランスによって培われると思うので、春からはパートでも何でももう一度職を探していきたいです。



んで、今日風呂の中で考えていたのですが、私が30歳になるまでの4〜5年間、きちんと職場を続けられていたら(転勤などの事情は除く)、子供のことも考えようかなと。




ハッキリ言って今、私は子供も怖いが親も怖いです。


モラルって、低下してるんだなーとしみじみ思います。


子育てって、ある程度「子供が一番」で考えるものだと思っていたけれど、今の親というのは「自分が一番」のまま親になっちゃっている人もいるのかも知れないなあと。


そういう意味ではでき婚とかあまり歓迎されるものではないよなーと。


結局、親がしっかりしていないとしわ寄せがいくのは子供なんですよね。


私が自分のしっかりしてなさを考えた時に、やっぱり怖いのはこれだなあと。



「インターネット貸して」(←年の終わりのインパクト大賞)って、親が言うような常識の中で、私が私なりに自分を持って自信を持って、やっていけるようではないと、子供に負担がいっちゃうんですよね…。




「インターネット貸して」という奥様のお言葉は、私の中で、「分かってはいたけれども改めて違うこの常識というもの」みたいなものをはっきりと浮かび上がらせてくれました。




ぬくぬくと、自分の常識の中で生きてきた私には本当にインパクトな出来事でした。



何というか、そのお母さんには「転勤族の知恵」として、「周りと協力し合う」というものがあって、それが私にはとても重く感じるのです。


お茶の場に自宅を提供してくださる、それはありがたいんですけれども

「だから私もあなたの家に行かせてね」
「うちにインターネットがないからやらせてね」

的な心の声を感じるのです。(いや後者ははっきり言われたのですが)


それが向こうは、当たり前のことで、この人はこうやって生きてきたんだなーと思う感じで、だけどキツイ。



私の周りには、こんな常識の人いなかったし、職場のキツさとはまた別のキツさです。流石に職場では、「あなたの家のインターネット使わせて」なんて人いなかったですし…。



でもこれが、当たり前の世界なのかな? それともこの人が特殊なのかな?


「親」という世界を見たことが無かった私としては、本当にびっくりで、だけどこれからの数年間で、これももう少し見ていってみようと思っています。


だけどこの土地で出会った、もう2人のお母さん達はそんなこと全然無かったんですけどね…。やっぱりたまたま? と思いたいのですが…。



話がずれました。



とにかくもう少し様子を見て、私がもっと大人になれるのか、そしてこういう世界でやっていけるのか、それをよく見極めていこうと思います。





お金、貯めなくちゃですしね…。←誰のせいだと。



2007年12月28日(金) よっしゃ!

年末年始とか、全く関係ないわが旦那。



そう、彼の勤務はシフト制。



土日も無ければ、世間様の行事ともほとんど縁がございません。




ついでに言えば、年末年始とかお盆とかは単身赴任の人優先だと私が勝手に思っているため、決してお休みを取らないようにしている時でもございます。



んで、人の分まで出るため元旦からお仕事です。私のほうも、正月気分なんて全然ないのでいってらっしゃーいって感じでございます。





その代わり、ちょっとずらしてお休みを頂きます。



んで。



その、お休みに。





海外、予約しちゃいました☆







完成した姿は決して見ることがないんだろーなーという有名な教会とかのある所でございます。





今すぐにでも行動! 転職!! って思っていた時は、何が起きるか分からないからこの先お金は遣えないと思って一旦あきらめたのですが、もう少し余裕を見て行動しようとなったため、「じゃあ、今行けるじゃん!」となり、そこから旦那を説得し、親も説き伏せ、晴れて行けることになりました…多分。


冬にこういう旅行は初めてなので、そもそも飛行機が飛ぶのかが不安ですが…。



親は最初反対していたのですが、この地を離れたらここまでの長期休暇は取れないことは分かっていて、職場の人も理解がある今だからこそと、熱意を持って説得致しました。←こんな所にばかり使われる私の熱意。



ちなみに旦那親は、転職には地味に反対な風味のため、旅行には

「そうそう! そうやって気分転換してやっていきなさい!」

みたいな、暗にそうやってうまくやりながら転勤族の人生と付き合っていけという感じだったのですが、私の中では「最後になるだろうから行っておく」みたいな気持ちだったりします。何かだましているみたいで微妙でございますが。





でも楽しみです。というか、やっと楽しみが出来たというか…。



ただ、冬の寒さがどんなものか分からない極度の寒がりの私としては、夏の旦那状態にならないかどうか心配です。(←「暑い」しか言えないのと同じで寒いしかいわなさそう…)



この際だから、あったかめの下着をそろえて、服も少しぐらいは買って(今年の冬買った服:2着 合計:5千円←1着分の値段に非ず)、こんな太ったままじゃいけないからダイエットもして、今度こそ現地の言葉を覚えて行って、準備もきちんとしようとちょっとわくわくしています。




自分メモとして、以下前回のイタリア旅行の時に得た教訓。


・500mlのペットボトルのお茶を持ってくると良い。←ツアー同行者が旅慣れてる方で、持参してた。緑茶がそれはそれはおいしそうでした…。

・髪のトリートメントを欠かさず持っていく。→向こうの水質は日本と違うので、シャンプーも持っていかないと髪が私の場合えらいことに…。

・フリータイムに無茶はしない。



などなど。





ちょっとずつ準備したり、どんなとこだろうと思いを馳せたり、こういうのが楽しいので、旅行の計画というのは立てる段階から旅行なんだよなーと意味不明なことを思ってみたりします。


とりあえず、家計を引き締めないと下着が危うい…!!(←とんとご無沙汰で最近見てみたら、最近は発熱したりとかすげーんですね。←勿論色っぽい方ではないのです。端的に言えばババシャツでございます)




2007年12月24日(月) わかったぞぉう。

イブとは全然関係ない話題ですが。


先日旦那が残業して帰ってきまして、残業の時間としてはまあこんなもん(日付変わってないし)なのだろうなという感じなのですが、とても旦那の苦手な検査等の仕事だったのがあって、もう帰ってものも言わずに黙って着替えてふと見るとベッドで目をつぶっている訳なのです。




私、旦那が苦手な仕事だと思ったから、頑張ってシチューとか作った(←煮るだけだろ)のに。


食べずに待ってたのに。(←昼が遅かったので余裕)




んで、黙る旦那を一生懸命なだめて、気持ちをほぐして、何が嫌だったのか聞きました。



いわく、マニュアルが全然整ってないから、無駄な時間を1時間も過ごした。やってもやってもうまくいかなくてイライラした。
他の人も、とても手際が悪いように思えてイライラしてしまった。




んで、ベッドのマットレスとか「くそっ!!」って叩くんですよ。

可愛くすねるぐらいならいいんですけどね。

普段温厚な分、爆発したようになってむちゃくちゃ怖いのです。(私が苦手なのもありますが)



んで、はっきりしました。



この旦那のストレス、吐き出させなきゃ旦那がしんどい、だけど黙ってそれを受ける(というより、まず受けるために凄く努力が要る)私もしんどい、私が一番きついのはこれなんだなあと。




単なる愚痴をうだうだ聞くのもキツイとは思うのですが、旦那のは物凄く気を遣うというか、すぐには爆発できないんだけどほぐすと物凄く酷い爆発なので、トラウマになっちゃいそうで嫌なのです。



私「悪意」に弱いのは変わっていないのです。自分に向けられると、多分普通の人よりも恐怖を感じる心が強いんじゃないのかなあと思います。




ハッキリ言って、2〜3年おきの転勤を繰り返しながら子供がいくつになっても、それこそ中学高校になっても連れて回る根性は私には無いし、旦那に単身赴任する強さもない。



もう転勤族である限り、そしてこんなに旦那が嫌な仕事である限りムリだと。




最悪このまま転勤族を続けるなら、絶対子供は作らない(こんなに両親よわよわで作れない)=子供を作らないなら、夫婦二人で生きていくのならなんとでもなるから地元に住めるじゃん、という素敵な思考回路によって、私の中で転職は決定事項となりました。





何というか、車の運転でも、実は旦那の実家には車が無くて、旦那は大学4年で車を持つまで車にほとんど乗ったことが無い人だったのです。

んで、だからこう、自然に車を運転するとかいうのが身についてないらしく(?)、結構運転すると疲れるんですね。


んで、私といえば車がないと生活できない田舎育ち。


むしろ、車の運転をずっとしていないとストレスを感じるほどです。



なので最近、特に帰省した帰りなど二人とも疲れている時は、私が運転したりすることが多いです。

私もそういうときの運転はしんどいですが、私のほうが持久力だけはあって、疲れていても踏ん張りが利くし、運転に慣れているので、楽なほうがやればいいと思っている訳で。(そして、そういうときに旦那が運転して疲れてイライラされるのが苦手なので)


仕事も、そういう風なもんだと思っていたりするのですが、これはちょっと事情が違っていることもこの間世間に出て思いましたが、つまり仕事のストレスを辛いつらいとあたられるより、自分が辛くて「辛い!! 辛い!!」と言っている方がマシなような気がする、ということでございます。



とにかく実務を積むことが第一目標でございます。



幸い、ちょっと特殊な資格があるので、これが役に立ってくれる、といいなあ…。



2007年12月21日(金) 子連れには寛大であった筈ですが。

子供は基本的に好きなので、子供が少々騒いだりしても可愛いなー、と思って見れていたのです。今までは。



でも、ちょっとだけ「どーなの」と思う出来事が。




それは疲れていて、足を休ませたくて入ったちょっとお高い和食のお店。


といってもランチが一番安いのはお手頃の値段ではあるのですが、それでも普段はなるべく安くというのが信条なので(1000円以上は高いと思っている地方人)、ちょっと奮発してそのお店に入ったのですよ。


客層も結構マダムが多くて、接客もホント一番安い値段のランチ頼んですみませんって気分になるぐらいきちんとしていて、ここならゆっくりできるなーと思っていたのに。





通された部屋が相部屋で。



相部屋はいいのですが、すぐ隣にザ・子連れ。


しかも一組ではなくて、母親3人に子供4人。


3人がやんちゃ盛りの推定3歳前後の全員男児、残り1人がハイハイする幼児。





うるさかったです。







はねる騒ぐ泣く、もうそれは。




けどそれに加えて一番うるさかったのは、一人のお母さんの


「騒がしい!! じっとしてなさい!! いい加減にしなさい、何度言ったら分かるの!!」


という怒鳴り声でした。





私はね、ゆっくり落ち着きたいからこのお店を選んだ訳で。

それなりのコストを払ってここにいる訳で。

貴女もお金を払っているお客だということは重々承知しておりますが、私の方としてもこんな怒鳴り声を聞きにこのお店に入った訳ではないのでありまして。





つーか、何度言ってもきかない年齢の(3歳ぐらいならそういうものだと思う)子供を、こういうお店に連れて来ているあなた達が「いい加減にしなさい」なのでは…? と心の中で思いながら、食事をしました。




いや、ファミレスなら分かりますよ。



だけどこういう和食のお店に、一番騒がしい年齢の子供が集団では、ないだろう…?





しかも、そのお母さんたちが帰る時に、2人は

「すみません、うるさくして」

と謝ってくださったのですが、1人はそのまま帰っていかれました。


しかもその1人が、怒鳴ってたお母さんでした…。






子供に罪はない。と思います。




罪があるとすれば、それは「場をわきまえない」母親であると、しみじみ思いました…。


ファミレスですら騒がしくしたらある程度気を遣うと思うのですが、こういうお店はねえ…。




私、子供を持ったら自分の楽しみはある程度犠牲になると、そう思っているからこそ子供を持つことに今は踏み切れないのですが、こういうお母さんってそういう風には思ったりしないのかなあ…。


子供が小さいうちは、行けないところも出来ないことも、ある程度あるのが当たり前だと…思っているのですが、まあ実際持ってみないと分からないのでなんとも言えませんが、勿論あの騒がしい子供を毎日育てている訳で、凄いなあとも思うのですが、つまり要するに騒がしくしてもある程度許容されるところを選んで欲しいなあと。



公共交通機関とかは、別に仕方ないと思うのですが、飲食店は親が選べるわけですからねえ…。





とりあえず自分も、もし親になった時には気をつけようと思いました。





食事中に下の話するしさ…。



個室ならともかく、すぐ隣だから聞こえるっちゅーねん。




こういうちょっとお高いお店も、禁煙喫煙みたいに、子連れを分離できるようになればいいのにとちょっと考えてみました。


そしたら、お母さん達だって、普段遠慮して行けない(筈の)お店にも気兼ねなく行けるし、こちらも落ち着いた雰囲気を壊されなくて済むしなあと。



トイレとかも近くにあって、オムツ台完備みたいな。




子供が育てやすいっていうのは、そういうことじゃないのかなあ。


「人に迷惑かけても権利を主張できる」んじゃなくて、「人に迷惑をかけない形で権利を行使できる」みたいな。



うーん。うまく言えませんが。



とりあえず、子育てって本当に大変なんだなあと思いました…。


そりゃあ気晴らしもしたいだろうな、っていうのも分かるのですけれどね。



2007年12月20日(木) 友達が。

年収で結婚相手を選ぼうとしているのですが、




問題は、


「相手の年収が下がっても一緒にいたいと思える相手かどうか」


ということじゃないかなあと思うので、年収を見て選ぶのは危険だともいえるような。



条件から入るのは、ある意味合理的で、勿論否定する訳ではないのだけれども。




うーん。



2007年12月12日(水) ゆっくりじっくり転職計画。

ちょっと落ち着いてきたというより現実が見えてきたため、転職計画をとりあえず、あと2年のスパンで考えることにしました。



この2年の間に、私はどうにか小さな資格で派遣かパートを探す。(まずは派遣で探してみて、無かったらパートで探してみる)


んで、その間にもいくつか受験をしてみる。


旦那ももう少し需要のある勉強をしながら、色々と方向性を模索してみる。




旦那は、本日本気で職場を辞める決心をしたそうです。

やっぱり仕事内容が合わないし変なことが多いと。



私は、旦那の職場の上司が奥様の実家のある町に家を購入されて、奥様と小学生の娘さんがそのまま残られると聞いて、転勤族はムリだと決心を固めました。



確かに、子供と一緒に転勤しながら頑張ってる方も沢山いるのだろうと思うのです。


が、うちの周りでは聞く話のほとんどが「子供が小学生になったら家を買って旦那さんは単身赴任コース」です。



つまりそれだけ、子供がいての転勤は大変だということで。



しかし我が家、単身赴任なんぞしようものなら確実に旦那が病む訳で、単身赴任は不可。



かと言って、子供がいるってだけで大変なのに、子供と一緒に2〜3年で転勤を繰り返すほど、私の根性は据わってない。(そもそも人より根性が少ないと自負しているのに…!)←堂々とそんなこと言われても…。




つまり、転勤族は向いていないというか、職業選択を誤ったというか…。






まあその2年の間に、私も「こんなに働いて大変な思いをしてその上子供って考えたらムリーーー」となるか、「やっぱり働く方がいい」となるか、しっかり見極めてから考えようと思います。




まずは転勤先と、仕事があるかどうかかなあ。





今年も終わりますが、私たちの願いは唯一つ、


「ここから出たい」


です。



でも半年延びるかも知れないんですけどね…(遠い目)



2007年12月11日(火) 自信がついたら。

いいのになあ。(願望)




結局、試験に受かっても、いやだってあれだけの勉強しかしてなくて運で受かったんだしとか、世間的には大したことない試験だしとか、実力伴って無いしとか思ってしまって自信なんてつかない。(断定かよ)



そんな自分を救うのは、旦那の

「人より勉強しなくて受かるのは、元の頭が(多少は)いいってことだよ」

という言葉。



驕るんじゃなくて、人を見下すんじゃなくて、ただ「自分はできない奴じゃない」という自信が欲しい。
旦那は、とても大きな意味で私を「認めて」くれる。それが嬉しい。



自分で決めて、自分で勉強して、結果を出した。



そのことを、もうちょっと自分で認めてあげなければ。




あの時超勉強不足で絶対落ちると思ってそれならばいっそ受験をやめようかと思ったけれど、それをおして経験の一つだと思って一人で受験しにいった、それだけでも価値のあることだと、そういう風に思わなくては。





母親のことだってそうだ。



自分が地元に戻りたいと思って戻るのだから、母がそれを望んでいようと望んでいまいと関係ない。




自分で決めるってことは、自分で責任を取るということで。長い間意識的にも無意識的にもそれから遠ざかっていた私には、本当にこれから大事なことだと思うんだ。



成功しても失敗してもいいんだ。



とにかく自分でやってみなければ。



2007年12月08日(土) 夢を見ながら。

さて、転職話がさっくり停滞してきました!
どんどん不可能だという現実が! けど私、諦めません。つーか諦めたら確実に人生に希望がなくなる…。

こうやって現実の厳しさを知っていくのもきっといいことなのだと思います。やるだけやったら諦めもつきますしね…。


しかし、本当はずっと悩んでいます。


以前に言っていた資格、合格しまして(奇跡が!)まあそれでも結局は実務の無い私だし、そもそも営業色の強い職種だし私が続くはずもない感じなのですが、それでもパートぐらいなら何とか口もあるかなって感じで、とりあえず「無いよりまし」と考えているのですが、結局は旦那の転職先一つなんですよね。ああ…。


旦那は何度もここで書いておりますが、本当に、ほんっとうに社会に向かないというか、対人関係が凄く苦手な人なので、このままサラリーマン生活を続けるのは旦那にとっても向かないことだというのはあるのですが。

かといって、対人関係があまりない職種というものに転職するには、旦那も実務経験がないのですよ…。



するとこのまま転勤族という選択肢が!! おおいやだ!! という訳で思考はループ、とりあえず35歳まではあがいていいんじゃない? と自分をなだめることで、この将来への不安を少しでも緩和したい今日この頃なのです。

以下、いきなり自分のためのメモなのです。


☆現況・そしてこのままこの会社を続けると

デメリット
・2〜3年おきに転勤
・旦那が苦手(人付き合いが濃い)な土地でぐるぐる
・定年まで安定しない
・子供が産まれた場合、私の就職はほぼムリ。パートですら多分ムリ。←前回子持ちに対する世間の冷たさを実感
・子供が産まれた場合、私が見知らぬ土地でやたらめったら苦労(職を見つけるのも、聞いた話ではPTAなんかも大変らしい…)
・子供が(略)、そうそう実家にも帰れず友達とも遊べず私がノイローゼになる危険が
・子供も転勤族でつらい思いをする(子供の性格にもよるけれども、小さいうちから苦労をかけることになるんじゃないかなあと心配)

メリット
・専業でも何とかやっていけるだけの収入はおそらくあるので暮らしには困らない(生活は質素になるけれども)
・大きな会社なので多少安定
・子供のそばにずっといてやれる


☆希望の地元就職・共働き

デメリット
・不安定なところに就職すると、金銭的にさまざまなことに苦労する
・不安定なところに就職すると、旦那の帰りも遅く本末転倒になる
・共働きなので、子供に寂しい思いをさせるかも(実はこれが一番心配)
・一生その土地にいることでわずらわしさがある

メリット
・親が近くにいるので、私が働きやすく、子供に寂しい思いをさせることが少しは減る
・同じ土地にいられるので、引越しのわずらわしさも寂しさも、「また一からやり直し感」もない
・子供の転校がない
・親のそばにいるので親のことも少し安心




と、ここまで書いてきて、また悩んだりもする訳ですが。

私の周りに聞いてみた所、私の友達で本当に尊敬!! 性格が素晴らしい!! という友達2人が、二人とも親が共働きで、幼稚園に通っていたという事実が私を深く考えさせています。

その2人とも、祖父母(どちらか)と同居。
かなり、小さい頃はおばあちゃんがそばにいたというタイプなのです。


正直に正直に言えば、私は3歳までは、ずっと親と一緒にいて、親がしっかりと愛情を注いであげるのが理想だと思っています。勿論そうでない人もいると思いますし、個人の意見として聞いていただきたいのですが。

んで、それが不可能ならば、おばあちゃんなどの人が母親役を務めるのが良いんじゃないと思っています。

パーソナリティ障害に関する本を読んでいて、結構幼児期の心理学とか出てくることがありまして、それで言えば(私の解釈では)

・0〜1歳半ぐらいまではとにかく無償の愛。愛。愛。
・1歳半〜 は、子供の自立(いたずら)を阻害しないようにしつついつでも自分がいるよ的な愛を注ぐ


という感じかなと。


ということは、1歳で保育園に預けてしまうと、愛が足りなくなってしまうんじゃないかなーと心配な訳です。
この時期での愛がないと、「自分はここにいていいんだ」みたいな、自己肯定感というものが育たないらしいのです。
私は、この時点でのものはあるんですよね。自分はいらない子だとかは思ったことがないので。ただ、無償過ぎる愛(ある意味で有償なのかも)によって、この1歳半からの「自立を阻害しないように」で×マークがついちゃうのですが。かなり昔は過保護だったので…。だけど母は行き過ぎて、子供の人生は自分のものと思っているところがあって、何というか結局、母は自分の思い通りにいく子供が好きなだけというか。

ちょっと話がそれるのですが、今回転職話にあたって、母はそれなりに嬉しそうにしていた訳です。んで勝手に、「あんたたちが帰ってきたら、これをして、これをやって…」って道を決めてる訳ですよ。

だけど私、もうそういうのからは脱却しなくてはと思って、

「もし帰ることがあっても、過干渉はやめてよ。私たちは私たち夫婦で考えるから、口を出さないで。やる時は私の意志でやるから」

と何度か伝えてきたのです。


んでね。厄介なのは、母に過干渉の自覚がないのですよ。

「まあ! いつ私があなたに干渉したっていうのよ!」

とか言う訳です。


母は、かなり献身的に人に尽くすタイプなのですが、最近分かったのですが、尽くす分子供に頼るのも当たり前なんですよね…。

「これをやって」という物言いが、もう有無を言わさない口調なのですよ。


んで今回、旦那の生きにくさやあれこれを伝えて、母としては

「まあ! 素直に何でも言うこと聞く子だと思ったのに! ムリをしてるかも知れないと分かったら何でもお願いできないじゃない!!」

みたいな感じもあるらしくって、何かもう、旦那が気に入ったっていうのはつまり、大人しそうな、自分の言うこと聞きそうなタイプだったからかよって我が母ながらがっかりです。
けど、親に適度に失望することも必要らしいので、だからといって母を急に全て拒絶! とまではいきませんが…。


んで、今回こうやって私が自立宣言を出していると、どうも母の中で

「帰ってきたら自分の思う通りになる」→「帰ってきても思い通りにはならないらしい」→「それならちょっとどっちでもいいや」

みたいな変化があるように感じられるのです。少なくとも、以前のような熱気が感じられない…。


けど、私のほうもそれを寂しいとかおのれ母めとか思うんじゃなくて、「それぐらいがちょうどいい」と思っていけるようにしたいと思っています。


何か、こんなに親にコントロールされるのを危惧しているのに、地元に戻ってしかも子育て親に頼る気(子供が熱出した時とか)なのは微妙ですが…。

けど、親のいない土地で、子育て(しかも転勤族)やる勇気も、正直なくなってきたというのが現状なのです。

降伏宣言でございますよ。転勤族を甘くみておりました。っていうか、二人とも人見知り(旦那はもっとひどくて人苦手)夫婦なのに、転勤族は負担が大きすぎるということに、もっと早く気づくべきでした…。


だけど、経済的な不安や雇用の不安、時間的な不安近所の不安など、地元に帰れたとしても別な負担があるんですよね。


本当に難しいなあ…。



だけどとりあえず、

・多少安定した所でないと転職はしない

と決めているので、無謀なことはしない、筈…だったのですが、やっぱり安定した所って実務ないと厳しいじゃん? つーことは、安定した所にこだわっていると転職って現実的に不可能じゃん? ということに最近気づいてきて、私としては悩みどころ(っていうか、気づきたくないので気づかないふりをしているのです…)な上に、旦那のお母さんの入院(命に別状は無いらしいのですが)まで重なって、つーかむしろ話が転べば旦那地元での就職になったりするのか? どうなんだおい? という事態でございます。

旦那地元は、なぜか旦那が嫌がっているし、生活にお金がかかりすぎるので実質不可能だと思うのですがね…。だけど、やっぱり親の健康状態が心配になってくる年なんですよね。

自分もしっかり健康には気をつけなくてはなーと思いました。



話がずれて、しかも何が言いたいのか結局分からないまま終わりまする。(おい)



2007年12月04日(火) こころをまるく。

うりゃ! と駄目もとで履歴書を出したところから、「実務経験いるって書いてたじゃーん。今回は見送るね」という内容の電話がきました。



曖昧な書き方だったから、どうかなと思ったのですが…がっくりです。



凹むけれども、ここは縁が無かったと思って諦めます。


やっぱりどこも正社員になるには実務がいるんだなーと、しみじみ思います。



んでですね。最近イメージしているのが、まるい、ソフトビーチバレーボールのようなやわらかいけどへこんでもすぐに戻るような心です。


アルミのように、凹まされたらべっこりそのままではなくて、ぽーんとはじき返せるような、一旦凹むんだけどすぐに元通りになって全然傷つかない、そんなイメージで。




自分に自信を持ってあげると、多分自然にこういうボールになるんだろうなあと思います。

友達とか、駄目でもすぐに立ち直って前向きにいけているのは、きっと根本の自信があるからなんですよね。


私もしっかり自分に自信をあげつつ、臨時からでも始められるように準備をしたいと思います。




帰りたい!! って気持ちばっかりだったけれど、旦那の「ある程度安定した所じゃないと転職は怖い」っていうのもそうだなと思ったので、二人で模索しながら、二人が納得できる形でいられたらと思います。


あと、親の反対(転職は賛成だけど、まず旦那ありきの考え)によって大分現実にかえったのもあります…。
やっぱり産む産まないって大きいんですね。



それにしても、いつの間にかぎりぎりの年齢になっているんですねえ…。
ハローワークの人は実務を積んでも年齢がいくと厳しいかも、と言っていたけれど、そもそも実務が無きゃ採用がないのであれば、パートでも臨時でも実務を積むしかないじゃないのでしょうか。どうなんだ。


まあ少しずつ探していこうと思います。

履歴書を出したことも、ハローワークに行ったことも、「私が」決めてやったことで、そういうのが積み重なって自信になっていく、はずなので。就職も性格も長期戦でございます。


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