とうとう新しいパソコンを買った。VAIOのVGN-FS31B。この機会に無線LANもと欲張ってルーターも買ったので合計は17万5千円ナリ。どこの部屋でもインターネットが可能になって便利になった。液晶画面むが格段ときれいになったので目がくらむようだ。Meでは動画がすぐクラッシュしていたのでこれからは安心して見られるでしょう。
木曽義仲が討ち取られたのは元暦元年(1184)1月22日だったがテレビでは昨夜最期のシーンが放送された。義経の手勢が射た矢で額を打ち抜かれドクドクと血が流れる凄惨な場面に思わず目をつぶった。平家物語は原文で読んだほうがよい。高校の「古典」の授業を思い出しませんか?
「遠からんものは音にもきけ、近からん人は目にもみたまへ。木曽殿の乳母子に、今井の四郎兼平とて、生年三十三にまかりなる。さるものありとは、鎌倉殿までもしろし召されたるらんぞ。兼平討つて兵衛の佐殿の御見参にいれよや」とて、射残したる八筋の矢を、さしつめひきつめさんざんに射る。死生は知らず、やにはにかたき八騎射おとし、そののち太刀を抜いて切つてまはるに、面をあはするものぞなき。ただ、「射とれや射とれ」とて、さしつめひきつめ、さんざんに射けれども、鎧よければうらかかず、あきまを射ねば手もおはず。木曽殿はただ一騎、粟津の松原へかけたまふ。ころは正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷ははつたりけり。
1885年のショパンコンクールで優勝して世界的に知られるようになったブーニンはどういうわけか日本で人気がバクハツ。我が家でもどこかの長男に雰囲気が似ているということでカミさんを虜にしたのは去年のヨン様ブームと同じ現象。だが20年も前のことだからもう忘れかけていたがNTTのフレッツ・スクエアで去年のコンサートのフル映像が見られたので懐かしい顔が見れた。憂愁に満ちた青年がすこしふっくらとして歳月を感じさせた。しかし彼女は友達に誘われて温泉の朝湯づかりにお出かけで見たのは私だけ。
埼玉から帰ってちょうど一年になるが菜園は手つかずで放置していた。しかしそのままでは草取りにも難儀するので春先動かぬ体にむち打って鍬を入れ、二三種の野菜の種を蒔いた。そのひとつが中国野菜のタアツアイ。たぶん「太菜」と書くのだろうが文字通り肉厚の野菜だ。見かけは無骨だが味はなかなかよい。生でよし茹でてよし炒めてよしで毎日みそ汁のぐになったり和え物になったりして食卓をにぎわわす。みなさんにも供したいが埼玉はあまりにも遠いので考えるだけになっている。子どもたちは野菜が食べられるようになっただろうか。
父と子の相克はツルゲニエフの「父と子」以来の文学上の重要テーマだが、板橋の父親ごろし(母親も巻き添えを食った)は現代の親子関係の深層をのぞかせて戦慄すべき事件である。伝えられる殺害動機もかつての親子関係に見られる親密さや情愛のかけらもなく怨恨や憎悪だけの荒涼とした風景を思わせる。
亀田興毅クンのノックアウトシーンを見たいと思って朝からテレビニュースを丹念に見ていたがどの局も取り上げなかった。一般紙も片隅にベタ記事扱い。ノンタイトル戦だから注目されなかったのだろうが久々に出現した怪童だから見たかったなぁ。動画ニュースはテレビ局系のサイトにあるがどの社もスポーツというジャンルはない。スポーツのハイライト映像を著作権を越えて公開してもらいたいものだ。
11日に梅雨入りしたが晴れ続きで空梅雨の気配だったが今朝になってようやく雨になった。父の日の日曜日、「どっか連れて行ってよ」とねだられているが「この雨じゃ無理だな」と雨を口実にしてゴロ寝を決め込んでいる。彼女は仕方なしに一人で買い物に出ていった。
JT(日本たばこ)の公開株は140万で売り出されたが初値は120万でお祝儀相場どころか売り出し価格を下回ったので初値差益でパソコンをねらっていたのにあてがはずれたばかりかその後の値動きもさんざんで一時60万まで下がってもはや首をくくる以外にない状態だったがこのところ値をもどして先日150万という最高値がついた。たばこという時代おくれのものを作っている会社がなぜいま株価を上げているのかよくわからないが10年短気を起こさずずっと持ち続けていたので損をすることにならなかった。売り時がいつか緊張がつづく。
一皿三人前980円という焼き肉のチラシが新聞に入った。よし今日の昼飯はここだとカミさんを誘った。「三人前は多すぎるから一皿頼んで二人で食おう」という計算だったのだが「バッカじゃないの。二人で一皿なんて注文できなるわけないでしょ。そんなことしたら恥ずかしくって」と一蹴されてしまった。こういうオーダーなんてやはりマナー違反になるのかな。
70歳になったので敬老パスをもらい市内バスは無料という特典を得てよく利用しているが運転手には受けがわるいようだ。バスを降りるときつとめて「ありがとう」と言うようにしているがたいていの運転手が返事をしない。どうも心の中で「うるせー。さっさと降りろよ。この老いぼれ」と思っているような沈黙だ。福祉ずれした薩摩の守(忠度=ただのり)への反感もわかるがあからさまに態度に出されると「長生きして悪かったな」と憎まれ口をたたいてみたくなる。
70歳を過ぎたら免許更新時には高齢者講習を受講しなければならない。テレビゲームのような運転適性検査、動体視力をふくむ視力検査、運転実技など全3時間の講習内容。この講習を受けるために6150円要する。県の公安委員会が認定した金額だから適正料金なのだろうが少し高過ぎはしないか。150円の端数はどこから出たのか。教官も気になるのか「高いですか」というから「高い」」と答えて置いたがいささか敬老精神に欠けた料金設定だと思う。休憩時間には茶菓の接待があり終了時には認定証にそえて園芸用の剪定ハサミが記念品として渡されたがこの分だけ安くしてくれた方がよかった。
国会中継を見ているとセンセイ方のシャツ姿がなんだか異様で似合わない。28度にコントロールされている国会内だからスーツ着用でも決して暑くないと思うのだけど。クーラーのなかった時代の議員たちの夏の服装はどうだったのだろう。漱石の「猫」に耐え難い夏の暑さを「皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだ」と表現しているが、温暖化防止の究極はエアコンの廃止にまで徹底しないとCOOLBIZとはいえない。
子どもたちがまだ幼児だったころ(つまり30年前)購入した散髪バリカンを今まで使っていたがさすがにくたびれて切れ味が悪くなったので新品を購入した。床屋をやめてカミさん床屋にして節約してきたから新しいのを買うのも大した負担ではない。2300円。それにしてもよくもったものだ。日本製はこういう点でも優れている。子どもたちがプレゼントしてくれた音響製品も20年経った今でも達者に動いている。
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